代表メッセージ

“時間預金”でウェルネス豊かな社会を ―「未来通帳®」の描く未来―

「時間は人生のために®」。ダンクソフトが大事にしてきたテーマです。そこで、デジタル・テクノロジーを使って業務を効率化し、生まれた時間をよりよく使うことで、一人ひとりのクリエイティビティを高めようと考え続けてきました。今回のコラムでは「未来通帳®」という新たなシステムの構想をお話しします。これはまだ青写真なのですが、皆さんとアイディアをもちよって、一緒につくりあげていきたいと考えています。 



┃もしも、「時間を預金する」ことができたら  

  

【関連コラム】
はなまる学童クラブ様のシステム導入事例、『「学童保育サポートシステム」が運営を楽に便利に、石垣島の子供たちを笑顔に』https://www.dunksoft.com/message/case-hanamaru-kintone 

先日、石垣島でダンクソフトの学童支援システムを導入している はなまる学童クラブさんと話をした時のことでした。地域では、みんな忙しく働いているけれども、デジタルが必ずしも上手な人ばかりではないので、不便なことも多い。もっとデジタルを上手に活用して効率的に動ける地域になったら、捻出した時間を地域の介護や子育てに使えるのではないか。「ダンクさん、何かできませんか」と、言われたのです。 

 

時間は大事です。でも現代は、みんな、時間がありません。忙しい人が多く、予定を合わせるのも一苦労です。 

 

ですが、もし、スケジュール調整が瞬時にできるようになったらどうでしょう。いちいち電話やメールをしたり、調整ツールをつかったりせずとも、さっと会議日程を決められます。日程を共有するのにもいちいち連絡する必要がなく、関わるすべての人にいっせいにリアルタイムで共有されるのです。 

  

そうなったら、それぞれが浮いた時間を貯金でき、使える時間は格段に増えます。日本中で、誰かのために、あるいは自分のために使える時間が激増します。社会全体でなら、どれだけ多くの時間が生み出せることでしょう。地域課題の解決に充てられる時間も増えていくでしょう。最近Appleは預金サービスに参入しましたが、これは文字通り“money”に着目していますよね。私たちは、むしろ、「時間(time)」を貯金するという考えなんです。  

┃企業が多様な役割を求められる時代に 

 

ここのところ、企業はさまざまな社会的役割を求められています。少子高齢化対策から、災害時に地域でBCPの担い手になること、障がいのある人を雇用すること、それにプライバシー・マークの取得からSDGsまで、実に多様です。これはつまり、企業で働く一人ひとりも、さまざまな課題の解決に向けて、日々考え、行動していくことが求められているということです。 

 

そのためには、働く一人ひとりが業務を効率化して、時間をねん出する必要があります。生まれた時間は、社会課題の解決や、新しい学びや、コ・ラーニングに振り分ければ、個人もクリエイティビティがあがるし、よりよい未来社会をつくるきかっけが生まれます。そんなツールができないものかと、40周年を迎えた今年、考えを進めています。  

┃時間をうみだす「未来通帳®」という構想 

 

デジタルで日常を効率化して、時間をつくる。そうして生まれた時間を、個人が、企業が、地域社会が、ウェルネスを豊かにする方向に活用していく。この構想を「未来通帳®」と名付けてみました。暫定的な名前かもしれません。これから構想が進む段階で、変わっていってもかまわないと思っています。  

 

未来通帳®には、ふつうの通帳と異なるところが2つあります。ひとつは、「お金」ではなく「時間」を扱うということ。もうひとつは、「未来」を記録できるということです。通帳は、これまでの取引記録など「過去の情報」を記録するものです。ですが、何か「未来の情報」を書き記せるようなツールをつくりたいと考えています。ビジネスは未来をイメージしていかないとうまく進みませんから。    

┃長期スパンでビジネスを見透す「未来かんり®」に着想を得て 

  

未来情報を書き記すシステムとしては、ダンクソフトでは、ずいぶん前に「未来かんり®」というソフトウエアを開発しました。これは、ビジネスで重要なヒト、モノ、カネ、時間を一元管理する販売管理システムです。この中に、画期的な点がいくつもありました。  

  

そのひとつが、数年先の未来情報まで扱えることです。ほとんどの販売管理システムが扱うのは、1年間という会計年度での管理です。でも、このシステムを開発したときの課題は、2〜3年先の、未来に行われる結婚式にまつわる情報に、どうシステムが対応できるかでした。これは、それまでの一般的なシステムでは課題解決ができなかったのです。  

【関連コラム】
株式会社ユーアイ 取締役社長 藤吉恒雄氏とのクロストーク『経営者対談:UNLIMITED FLORIST ─ デジタルと手仕事の美徳は引き立てあえる
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【関連コラム】
『最初プロジェクトは、花屋さんのための課題解決システム ~80年代からサブスク型』
 https://www.dunksoft.com/message/2022-02#2202%E2%80%905

この問題をなんとかクリアしようとして生まれたのが、来年、再来年、そしてその先と、会計年度をまたぐようなスパンで情報を扱うというアイディアでした。「未来かんり®」では、単年度を超えて、それまでより長期的に情報を可視化できるようになったのです。すると、「この先、いつどれくらいの投資をするか」といった先々のことまで、考えられるようになりました。   

┃個人も、企業も、「時間のポートフォリオ」を組んでいく 

 

今回の「未来通帳®」は、財務的なことにかかわることではなく、“時間”に着目する構想です。「“生まれた時間”をどんなことに投資していきたいか」を考え、生活設計することができます。たとえば、身体、メンタル、精神性、知的好奇心などウェルネスにかんすることから、SDGsやソーシャル・キャピタルなど社会や地球にかかわることまで、自分が求める未来にむけて、分野を選んで時間を配分していきます。 

 

ただし、せっかく時間を生み出しても、その時間を必ずしも有意義なことにつかうとは限りませんよね。 

 

そこで、「時間のポートフォリオ」という考え方を入れて、どんな分野にどれぐらいの時間をかけたか、一覧で見えるようなしくみを想定しています。 

 

「思っていたよりも、ソーシャル・キャピタルづくりにかけた時間が少ないな」、「環境保全に取りくみたかったけれど、今月はちょっと足りていないな」「ソーシャルな活動に費やしすぎたかな」など、実際につかった時間が可視化されるようになります。洗濯機が登場して家事の時間が短縮されたのに、それがテレビを見る時間になってしまった、というようなことでは残念ですから。 

 

時間のポートフォリオがあれば、自分の行動を振り返り、これからの行動を変えていくことができます。そうすることで、自分のウェルネスを充実させることにつながります。みんなで集合的にポートフォリオを共有すれば、ウェルネス豊かな未来社会に近づくだろう、ということなんですね。  

┃アクターを超えた連携・協働をうながすために 

  

「未来通帳®」では、手はじめに、一企業を超えてカレンダーを共有してみたいと思い描いています。会社のなかでスタッフ同士の予定を共有し把握しあうのは、今ではあたりまえになりつつあります。ダンクソフトでも、皆の予定をOutlookで共有しています。私のカレンダーも全員が見られますし、直接予定を書きこむこともできます。 

  

しかし、多くの場合、カレンダーを共有できるのは企業内に限られています。ですが、これからは、一社だけで課題解決するのではなく、さまざまな立場の人と協働し、価値を共創する時代です。他の会社、団体、そして地域の人たちなど、様々なアクターと予定を共有できたら、さらに連携・協働が実現し、加速すると思いませんか。「予定を入れる」「予定を共有する」ところが、未来が始まるポイントなのです。 

 

これまでの感覚だと「この日、どうでしょうか」と、事前に声をかけて調整することになりますが、その手間や時間も、ツールによって簡単に省くことができます。対話の場がすぐに設定できますから、プロジェクトはスピーディーに動きだしますね。多方向の関係づくりも進むことになりますし、多様なアクターたちによる協働の成果として、予想もしなかったイノベーションが生まれてくるでしょう。  

┃1ヶ月で8時間もの時間が生まれたツール「日報かんり®」をモチーフに 

  

実際に、デジタル・ツールがあると、どれぐらいの時間が節約されるものでしょうか。いえ、どれぐらい新たに時間を生み出せるのでしょうか。 

 

ダンクソフトでは、「日報かんり®」という、自社開発のツールを使っています。スタッフ一人ひとりが、予定表に自分の予定を30分単位から入力していきます。1日の終わりになると、クリックひとつで予定表が日報に変換されるという、便利な仕組みです。自分がどのプロジェクトにどれくらいの時間を使ったかも、自動で集計されます。  

  

このツールのおかげで、スタッフが業務報告書を作成する時間が格段に減りました。あるスタッフは、1ヶ月で8時間もの時間が生まれたといいます。 

 

事務処理に割く時間が短縮されたので、私たちは日々の「所感」を書く時間をつくることができました。所感には「今日のBGMはこれ」とか「こんなお昼ごはんを食べた」など、業務報告には載らないような、他愛もない内容を書いています。でも、これがいいんですね。 

 

お互いに読んでコメントしあう感じになり、自然と相互理解が深まり、メンバー間のコミュニケーションが活発になりました。これによって、相互に連携・協働する素地ができてきています。  

┃デジタル・ネイティブとつくる、大航海を楽しむような新時代の協働システム  

 

デジタル・テクノロジーは、これからますます発展していきます。暫定的に「未来通帳®」と呼んでいるこのシステムに、どんな機能をもたせるか、どんなインターフェースにしていくかなど、具体的な内容については、多様な方々との対話のなかで生まれていくでしょう。特に、徳島の阿南高専ACT倶楽部のメンバーや、ダンクソフトのインターンシップ生など、若い方々との「対話と協働」のなかから、具現化していくつもりです。  

 

21世紀に生まれたデジタル・ネイティブたちは、どんな未来を思い描くのか。その未来のために、どんなツールがあったら便利で、意味が感じられるのか。皆さんもアイディアがあったらお寄せください。ともにつくりあげるプロセスが、いまから楽しみです。 

 

2006年に、ヨーロッパへワールドカップ観戦に行きました。その際に立ち寄った、港町・マルセイユの小さなお店で、「航海日誌」に出会いました。英語では log bookと呼ばれ、航海の一部始終を毎日書き記すものです。紙をほとんど処分した完全ペーパーレスのオフィスに、いまも大事に置いている、数少ない紙モノです。 

 

Uncharted Waters ──。これは「未知の海」のことなんですが、これからの未来社会づくりも、いわば、海図なき航海のようなものでしょう。なので、航海日誌を手に、大海原へ航海に出るように、来るべき未来社会を楽しみながらつくっていけるような協働環境を用意してみたいと考えています。  

いまがいちばん新しい ─創業40周年を迎え、明日を語る─ 

ダンクソフトは2023年7月に創業40周年を迎え、今月より41期がスタートします。今回のコラムでは、これまでの歴程を幾分振り返りながら、「いまがいちばん新しい」ダンクソフトの現在、そして未来についてお話しします。 



┃インクリメンタル・イノベーションを積み重ねて 

  

おかげさまでダンクソフトは創業40周年を迎えます。ちょうど1年前の7月から、40周年特設ウェブサイトをスタートしました。その中で、40年で起きた世の中の動きとダンクソフトの活動を重ねてみました。 

 

この40年で、社会は大きく変わりました。それとともに、ダンクソフトは、少しずつよりよくしていく「インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)」を積み重ねてきました。つねに時代時代の少し先をいく価値を発揮しつづけてきた40年の歩みです。 

ダンクソフトの歴史を、IT 業界や社会の出来事とともにご紹介しています。
https://www.dunksoft.com/40th-history

 これまでも何度か話してきましたが、この会社の創業社長は別にいて、私ではないんですね。創業社長は、造船会社のIT部門で機械制御を担当した後、1983年に東京・秋葉原で、当社を設立しました。当時の社名は、株式会社デュアルシステムと言い、制御と呼ばれるハードウェアを動かす部分を想定してつくられた会社でした。 

 

しかし、創業から3年で社長が病気で急逝してしまいます。売上は2年で10倍近く伸び、社員も一挙に10名以上増えたタイミングでした。急成長していた部門を担当していたことから、入社2年目、社員番号4番の私が、2代目社長に就任することになりました。 

 

この会社をどう舵取りしていくか真剣に考えましたね。そして、事業内容をソフトウエアに絞りこむことにします。   

┃ソフトウエアで“ダンク・シュート”を決める 

  

ソフトウエアを開発し、提供していると、「プログラムをつくることで劇的に便利になる」という出来事に出会うことがあります。 

 

印象深かったことのひとつに、広告代理店さんにデータベース・システムを開発したプロジェクトがあります。原価管理から、発注、見積書の作成、最後は請求書の発行、入金回収まで、すべてのデータを関連づけたシステムを開発しました。 

 

ヒト、モノ、カネ、時間という、ビジネス上の重要リソースを、すべてデータベースにいれることで、便利にプロジェクトの見積もりが出せるし、営業が見積もりを自分でつくれるようになりました。また、それをシェアできるようにすることで、経験をシェアできるようになりました。 

 

すると、それまで4人いた庶務担当が、2、3年たつと配置換えになり、営業スタッフとして外へ出ていけるようになったのです。会社としては、外に出られる人が増えることは、いいことです。会社はこうやって変わっていくのだなというイメージを持つことができて、組織がよりよく変わる方向でプログラムをつくらないといけない、と思いましたね。 

 

その後、Windows95が発売された1995年、社名を「ダンクソフト」に変更しました。ダンクには、ジャンク、つまり、くだらないもの、という意味があります。おもしろくてくだらないものをつくりたい、ということもあったのですが、もうひとつ、バスケットボールのダンク・シュートの意味も込めました。 

 

ダンク・シュートは、普通のシュートと同じ2点カウントですが、ダンクが決まるとチームも会場も盛り上がり、ゲームの流れがそれだけで大きく変わります。ダンク・シュートのように、私たちもビジネスを劇的に変える経験をつくりたいという思いを込めて、名付けました。    

┃ポリバレントで、助け合う風土ができてきた  

 

ダンクソフトで大事にしている考え方には、スポーツから取りいれたものがいくつかあります。「ポリバレント」が、そのひとつです。 

 

「ポリバレント」とは、状況や場面に応じていろいろな役割ができる人を指します。いわば「一人十色」と言えます。かつてサッカーでは選手の役割は、ポジションごとに固定しているのが普通でした。しかし、あるときオランダがトータル・フットボールというチームのあり方を打ち出したんですね。一人ひとりが攻めも守りもでき、ゲームの状況に応じて役割が流動的に変わるというものです。 

  

ダンクソフトのメンバーは、それぞれがポリバレントになることを目指していますし、自然とポリバレント化にむかう環境も整えています。例えば、社内に総務や経理担当者がいないことも、そのひとつです。ここ20年、この体制をとっています。 

  

総務・経理にかんする日常的な業務は、それぞれのスタッフがシステムから入力して完結します。各メンバーがふだんからバックオフィスの仕事に触れていると、どんなドキュメントが必要か、どんなルールになっているかということが、自ずとよくわかってきます。イレギュラーなことが起きても、適宜、経験のあるスタッフと協働することで問題解決へと向かいます。業務をブラックボックス化せずに、経験をシェアしていくことで、社員同士の互恵的関係(助け合う関係)を日ごろから培っているんですね。   

┃「対話するチーム」が未来をつくる 

  

ダンクソフトのユニークネスは、構成メンバーが多様であるだけでなく、お互いに協働できることです。社員同士のコミュニケーションは、ここ1年ほどでとても深まりました。大きかったのが、40周年記念企画としておこなった「未来の物語プロジェクト」です。 

  

「自分たちが思い描くダンクソフトの未来を、自分たちでつくろう」と唱えたひとりのプロジェクト・メンバーの声に多くのスタッフたちが共鳴し、全社員の8割にあたる20名が未来の物語を書き上げました。会社の未来は、経営者ひとりが決めるものではありません。スタッフそれぞれが思い描く未来の集合体が、ダンクソフトの未来です。物語を書くことで、一人ひとりが「未来は自分たちで創り出せる」と実感できたことは重要な共通体験であり、大きな成果でした。 

  

皆がそれぞれの書いた物語を読みあい、会話・対話し、フィードバックしました。これによって、互いのことをより深く知ることができ、以前よりも日常のコミュニケーションの質が高まっているのを実感しています。すると、連動して、お客様に対する提案内容のクオリティも驚くほど向上したのです。これは思いがけないうれしい成果でした。 

 

社内では、私が毎月のコラムを公開すると、それを受けてスタッフが、部署の垣根を超えた対話の場をもっています。また、日報を利用したちょっとしたコミュニケーションも活発になっています。スタッフのコメントから、私自身もあらたに気が付くこともあるんですね。最近は、返してくれるコメントの量がますます増えて、リプライするのが追いつかないほどです。コラムや日報を介して、ダンクソフトはつねに「コ・ラーニング(共同学習)」状態を目指している、と言えるでしょう。  

┃人は成長しつづける:80代の剣士の姿 

 

進化可能な場や組織では、個人のポテンシャルも引き出されていきます。私は67歳になりますが、自分自身、今もまだ成長している感覚が持てているんですよね。環境が大きく変わる今日、それはとてもよいことだと思います。 

 

最近思い出すのは、小学生のころに見た剣士の姿です。私は8歳のときから、剣道を習っていました。父は当時、剣道六段。師範になっていました。父といっしょに通っていたのは、講談社の敷地内にある野間道場でした。天覧試合が行われた日本一の道場です。そこで持田盛二さんという、“昭和の剣聖”と呼ばれた人が稽古をつけていました。 

  

このときの様子が目に焼き付いています。持田さんは当時80歳を超えていたはずです。でも誰も太刀打ちできないのです。剣道は、年齢が上がれば上がるほど強くなれる滅多にないタイプのスポーツなんですね。身体の動きが多少鈍くなったとしても、相手の心理を読む洞察力はますます高まるからです。そうした経験もあってか、年齢を重ねるごとに、いっそう進化できると確信しています。   

┃「いまがいちばん新しい」 

 

さて、集団や組織の次元に目を移すと、ダンクソフトもまた、つねに進化しつづけています。40周年を迎えるにあたって、「40年目のダンクソフト いまがいちばん新しい」というキイ・フレーズを掲げました。「いまがいちばん新しい」と自信をもって言えるのは、私たちは先行して未来をつくろうとしているからです。 

40周年特設ウェブサイト
https://www.dunksoft.com/40th

いまでは一般に浸透したテレワークについても、ダンクソフトでは2008年から取り組みを始めていました。当初はウェブ回線が不十分で、実用段階には届きませんでした。しかし、段階的に環境を整えていったことで、子どもを保育園に入れられなかったスタッフが在宅勤務できるまでになりました。 

 

また、東日本大震災のあと、徳島にサテライト・オフィスを開設するなど、「スマート・オフィス構想」をすこしずつ実践してきました。こうした積み重ねがあったので、2020年のコロナ禍では、緊急事態宣言が出された翌日から、全社テレワークに即時切り替えることができました。  

┃失敗は財産、危機は転換のチャンス 

 

いまのダンクソフトは、インクリメンタル・イノベーションの積み重ねの上に成り立っています。私たちが時代の変わり目にいち早く対応できているのは、世間に先行して失敗を獲得しているからなんですね。先にやって、先に失敗しているので、さらにその先にいくことができるのです。だから、まずはやってみる。前例もなく、手順も不明瞭ですから、先行していれば失敗するのは当然です。誰も挑戦していない新分野なら、失敗すること自体が財産になります。早く失敗し、そこから学べば、早く先へ進めます。こうやってダンクソフトは、未来をつくってきました。 

  

私たちにとって危機は忌避するものではありません。さらにレベルアップしていくためのチャンスです。日本は災害大国ですから、そこから立ち直るレジリエンスは高いでしょう。しかし、復元したあと、さらに新しい次の一手を打っていこうという動きはあまり見られないように感じます。 

  

新型コロナウイルス感染症の位置づけは、5類へと移行しました。しかし、未来を考えたときに、パンデミックはまだまだ起こる可能性があります。ですから、パンデミック以前の状態、つまり「もとに戻ってよし」とするのではなく、さらなる進化を遂げて未来をつくっていくタイミングにしていくべきだと考えています。要するに、危機こそ、自ら転換点をつくる好機です。   

┃デジタルがつくる多様性の高いコミュニティ 

 

ダンクソフトがこれから力を入れていきたいことに、「コミュニティづくり」があります。これは大きく2つの取り組みがあり、ひとつは、これまで徳島にサテライト・オフィスを設置するなど、遠くの地方との関係を結んできました。もうひとつは、ここ2年、「神田藍」というプロジェクトを通じて、本社のある神田周辺で、つまり都市の中のコミュニティづくりにも関わっています。ここ40年の歴史で、はじめての取り組みです。 

 

実際、藍という植物を媒介にすることで、街の人たちとの関わりが増えています。ふらりとお菓子をもってオフィスに来てくれる方もおられますね。神田藍のコミュニティが広がることで、これまで関わりのなかった企業や団体とも連携が生まれています。これは一種の副次効果でしょうね。「ソーシャル・キャピタル」がじわじわと醸成されていくことで、イノベーションの芽が出てきているのを感じます。 

 

こうして多様な人々の集まるコミュニティを、これからはデジタル・ツールがさらに支えます。ウェブARツール「WeARee!(ウィアリー)」や、会員組織運営を助ける「ダンクソフト・バザールバザール」などのプロダクトです。離れていても協力ができて、未来を共につくるチャレンジができるような仕組みが重要でしょう。  

┃国境も障害も、デジタルで超えていく 

  

協働しながら、イノベーションを生み出するには、多様な属性をもつ人が集まっているほうがよいものです。ダンクソフトというコミュニティも、住んでいる地域はバラバラですし、それぞれが多様な個性、特徴、スキルをもっている人たちで構成されています。最近ではトルコやフランス出身のスタッフも迎え、国籍も多様化してきました。 

 

デジタル・ネットワークを活用することによって、より多様な仲間と協働していくことができるでしょう。たとえば、身体が不自由な人もそうです。すでに、ALSの患者さんが視線入力でパソコンを操作できるようになっています。デジタルを利用すれば、場所や環境に左右されずに働けるようになります。ともに働くことで、互いの視野が広くなり、クリエイティビティがさらに高まる。どんどん発展するデジタル・ツールを使えば、人や組織の可能性をひらくことも可能です。   

┃船の舳先に立つ企業として 

  

“船の舳先(へさき)”に立つ。ダンクソフトの企業姿勢です。船首にいると先がよく見通せ、先行している感覚があります。船の後方にいると、安定しているかもしれませんが、どこに向かっているかわかりません。前にいる分だけ先が見えるし、どこに向かっていくのか、未来をつくっていくことができます。 

  

デジタル環境も技術も、目覚ましいスピードで変化しています。10年先はまだ考えられますが、100年先には私はもういませんし、その頃ダンクソフトはどうなっているのか、どうありたいのか。 

 

100年先だと量子コンピュータさえ、過去の話題に変わっていたりと、やれることも世界認識も変わっているでしょう。ある意味、年齢も居場所も関係なくなり、言語の壁もなくなっているでしょう。地球のなかだけにいるとは限りません。私たちの子孫は火星に住んでいるかもしれません。 

 

住む場所も、話す言葉も、生まれた時代もまったく異なる人たちが、目線を合わせて連携・協働する世界をいかに実現するか。やがて、資本主義のあり方も変わるでしょう。当然、ダンクソフトができることも変わるはずです。それでも、多様性・複雑性を重視する方向に向かっていることは間違いないでしょう。人間と機械と自然との関わりをうまく結び、船の舳先に立ってイノベーションを起こしつづけていく存在でありたい、と考えています。 

 

ダンクソフト発・地球によりよいデジタル推進

ダンクソフトは来月40周年を迎えます。この40年で、社会で企業が求められる役割が、大きく変わってきました。企業は経済一辺倒で事業を拡大すればよいという時代は、もうとっくに終わっています。 

 

6月5日は国連が定めた「世界環境デー」です。これにちなんで、今月は、「地球環境によりよいデジタル」というテーマでお話しします。デジタル企業であるダンクソフトがこれまで取り組んできたこと、そしてこれから私たちに求められることなどが中心です。 



▎2009年。「新しい働き方」を実現したら、「紙」を使わなくなった  

振り返ってみると、ダンクソフトの場合、何か別の課題を解決していたら、結果として環境にもよりよい活動になっていた、ということが多いようです。  

たとえば、「ペーパーレス」の取り組みが、そのひとつです。2009年の段階で、ほぼ社内のペーパーレス化が完了していました。当時、国内的に見ても、かなり先駆的なことだったと思います。  

本格的なテレワーク導入のきっかけとなった社員のインタビュー記事がCHANTO総研のウェブサイトに掲載されています。
https://chanto.jp.net/articles/-/237229 

転換点になったのは、育休中のスタッフから相談を受けたことでした。「子どもを保育園に入れられなかったから、復職できない」というのです。そのとき私は、であれば、オンラインで勤務してみたらどうだろうと提案したんですね。以前からテレワークの試みは始めていましたが、完全にリモートのみで働くことは未経験でした。そこから、保育園問題を解消するため、お母さんが自宅を離れずに育児をしながら遠隔で働き続ける工夫を導入していきました。情報共有をさらにスムーズにしようと、クラウド化も加速させました。  

育休スタッフの切実な声を聞き、実際に働ける方法を探っていたら、結果的にデジタル化が進み、紙を減らすことにもつながり、今でいう新しい働き方を先取りしていました。  

▎複合機のないスマートオフィスへ 

こういうわけで、当時から、業務のなかで、紙を使うことはほとんどありませんでした。さらにスタッフは1つのPCに2つのモニターをつなげて使う“ダブルモニター”にすることで、作業のために紙を出力する必要がなくなりました。会議では、大型モニターを利用し、資料や議事録を表示します。紙の資料を会議のために印刷したり、議事録を印刷して配布したり、といった手間や無駄がなくなります。情報共有と情報開示を進めた結果、環境にもよりよい「ペーパーレス」なオフィスになりました。 

 

デジタル化されたダンクソフト本社オフィス

2023年のいま、神田の本社オフィスには、ファクシミリ(FAX)はもちろん、コピー機もプリンターもありません。ダンクソフトはオフィス移転を比較的多く行ってきたのですが、そのたびにスリム化、つまりデジタル化を重ねてきました。脱アナログ化したこのオフィスは、「スマートオフィス」のショーケースです。従来のオフィスにあったような備品がない代わりに、良質なスピーカーや大型ディスプレイなどテレワーク環境が整っています。オフィスに来てくださった方には「こんなオフィスは見たことない」とよく驚かれます。 

 

■『スマートオフィス構想を実践する新拠点』
https://www.dunksoft.com/message/2021-03 

■『理想的で機能するテレワーク環境づくり:発想転換のポイント』
https://www.dunksoft.com/message/2021-05 

▎“エコ・ペーパーレス”の推進で、環境保全とコスト削減を両立 

デジタル・ツールを使うと、紙の使用量はもちろん減ります。ということは、それにあわせて文房具への支出も減ります。さらには、オフィス内に書類を管理する場所もいらなくなります。コピー機を置かなくなれば、年間で数百万円単位のコスト削減が可能です。そのうえ、わざわざ書類を事務所に取りに行くという面倒からも解放されます。経済と環境保全を両立させる取り組みを、ダンクソフトでは“エコ・ペーパーレス”と呼び、推進していました。 

 

ペーパーレス化に取り組んだ当時の、徳島合同証券様の取材動画

デジタルの推進によるエコ・ペーパーレス化は、これまでたくさんのお客様とともに取り組んできました。たとえば徳島合同証券様は、社内に眠っていた3.5トンもの書類を捨てることに成功しました。社員それぞれが管理していた個人情報をデジタルに一元化することで、コピー機やFAXを利用する頻度も激減しました。結果的に700万円ものコストが削減されました。もともと環境への意識が高い泊健一社長でしたが、その後もSDGsを推進する企業として、徳島の要になっていらっしゃるようです。ちょうどカーボン・オフセットの発想が注目されていた頃でした。 

 

■ 事例:「ペーパーレス化」で 6期連続の赤字からV字回復 
https://www.dunksoft.com/message/2019/7/22/-6v 

 ■ 泊健一社長からのダンクソフトへのコメント 
https://www.dunksoft.com/work-style  

▎森林保全NPOが、デジタル化を推進:「森での時間が増えた」 

NPO法人 樹木・環境ネットワーク協会様のケースも、思い出されます。ちょうどコロナ禍がはじまる直前でした。テレワークの仕組みを導入する支援をしました。 

 

ダンクソフト社員がテレワーク勤務体験談を共有している様子

こちらの協会は、森や里山の保全活動や、そのための人材育成を活動の主軸にしています。テレワーク補助金を使って、事務所の外からでもデータにアクセスし、どこからでも活動ができるように設定を行いました。 

 

デジタル導入により、ひとつは、広報担当の方が、介護と仕事を両立できるようになりました。また、「事務仕事のために、森に行く時間が減ってしまう」という事務局長さんの悩みが、業務が効率化されたことによって解消されました。デジタル導入で、離職も防ぎ、「森林保全」という本業に、さらに時間と力をかけられる環境をつくられたわけです。 

 

■ 事例:テレワークで実現したNPOの働き方改革と拡がる可能性 
https://www.dunksoft.com/message/case-telework-npo-shu  

▎ダンクソフトがかかわることで、環境保全が広がる 

NPO法人 樹木・環境ネットワーク協会様は、「人と自然が調和する持続可能な社会」を目指して、森づくりをはじめとしたさまざまな活動を行っています。ダンクソフトがデジタル化を支援することで、間接的に、環境保全に協力できたことになると考えています。 

 

NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様の活動の様子。駅前の花壇整備。

他にも、NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様のご支援では、より使いやすいボランティア管理システムをkintoneで実現しました。事務局もボランティアも、手作業で行っていた集計業務をデジタル化し、本来リソースを使うべき緑化のために、もっと力をかけられるようになりました。そして、さらに新しい領域や課題に取り組もうという気持ちにもなっていただくことができました。担当したダンクソフトのスタッフも、現場に足を運んで様子を拝見することができ、大田区の緑化に貢献できたと喜んでいました。 

 

■ 事例:作業効率化を機に、デジタル化でプロセスを見直し、誰もが関われる団体運営へ 
https://www.dunksoft.com/message/case-hanamidori-kintone  

 

▎ダイアログ・スペースから、森づくりを考える 

このように、環境問題に取り組む団体を支援することで、私たちダンクソフトの自然環境への意識もよりいっそう高められています。 

 

NPO法人森づくりフォーラム様とも、樹木・環境ネットワーク協会様を介して出会いました。3年前から、ダンクソフトのオフィス内にある「ダイアログ・スペース」を使って、ハイブリッド型の全国大会を開催するご支援をしています。コロナ前には、年に1度、リアルに集って大きなイベントを行っていたところが、コロナで一変。オンラインで上手に配信する方法と場所を提供し、新しい形の全国大会実施にこぎつけました。 

 

今年も、6月10日(土)と11日(日)の2日間にわたって、「第27回 森林と市民を結ぶ全国の集い2023」が開催されます。1日目はオンライン配信と国立オリンピック記念青少年総合センター現地会場とのハイブリッドで実施。2日目はオンライン配信で開催します。 

「続・森は誰のもの? ~森林コモンズを活かす明日へ~ 第27回 森林と市民を結ぶ全国の集い2023」 
https://moridukuri.jp/forumnews/forest2023_commons 

開催期間: 2023年6月10日(土)・11日(日) 

 

2日目の11日は、ダンクソフトの「ダイアログ・スペース」から、全国へ配信します。今年のテーマは「続・森は誰のもの?〜森林コモンズを活かす明日へ〜」です。どんな話が聞けるのか、私も楽しみにしています。 

  

ダンクソフトの「ダイアログスペース」

ダンクソフトの「ダイアログ・スペース」は、約1Gbpsの超高速光通信や、マイクやカメラ、モニター、高品質スピーカーを備えています。このオンライン・フォーラムもリアル感のあるセッションを楽しんでもらえるでしょう。「全国の集い」はどなたでもお越しいただけますので、ぜひご参加いただければと思います。 

 

ダンクソフトでは、このような「開かれた対話と創造の場づくり」を、さまざまなパートナーと一緒に行っていきたいと考えています。オフィスのダイアログ・スペースを利用してハイブリッド型イベントを実施することにご関心のある方は、ぜひお声がけください。(お問い合わせはこちらから) 

▎ウェブ・カメラで見守る「神田藍」の鉢植え 

オフィスといえば、オフィスのベランダでは、ここのところ、「藍」を育てています。 

 

ダンクソフトのオフィスは神田駅前にあります。神田はかつて、染物屋の集まる日本有数の「紺屋町」でした。そこで、この地域で暮らす人や働く人たちが「藍」を媒介にコミュニティをつくろうと、「神田藍プロジェクト」が始まりました。今年で3年目になる取り組みで、ダンクソフトも参加しています。5月には、千代田区のまちづくりサポート報告会にて、活動に対して「サポート大賞」を受賞しました。 

 

ダンクソフトオフィスのベランダで育てている藍

私にとっていちばん身近な自然は、ここにあります。藍を育てるのも、もう3年になりました。毎日水やりをしなくてはいけないことも、雨の日は水やりをしなくていいから嬉しいことも、今では私自身の日常です。これまで植物を育てたことはなかったのですが、育て方も少しずつ進化してきました。藍の様子を遠隔で24時間見られる「見守りカメラ」を設置したり、藍が自動で水を吸い上げる装置を入れたりするなど、藍が育つ環境もデジタルで整えてきました。 

 

■ 事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル
https://www.dunksoft.com/message/case-kanda-ai 

■ WeARee!で見る神田藍プロジェクト 
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai/content/4872?resp=1726

  

▎5G構想でインターネットが行き渡った日本中の森で、できること 

インターネット回線とカメラをつないで、植物を遠隔で見守る。私がオフィスの鉢植えに活用しているこの仕組みは、森林管理に応用できるものだと考えています。見守りカメラを設置して、それがインターネット回線につながってさえいれば、現地に行かずとも森林の状況を把握することができます。ダンクソフトで使っているSwitchBot社製のカメラは、太陽光エネルギーを使えるので、電源に配線しなくとも連続使用ができます。 

 

いま、日本では5G構想が実現しつつあります。これは、現在使われている第4世代(4G)の100倍以上高速な通信網を、離島や山間部を含む日本全域に張りめぐらせるという計画です。10Kmメッシュでカバーしていく計画なので、近いうちにどんな地域にもインターネットが行き渡るようになるでしょう。デジタル環境は飛躍的に進化しています。 

 

都市部ではインターネットがおおむね浸透してきました。あとは山間部や森林です。そこが整えば、どこにいても森林保全の活動ができ、これまで人が入りにくかった奥地まで目が行き届くようになります。ロボットなどとも協働すれば、人が介在しなくてもできることが、めざましく増えていくはずです。 

 

「森林保全」というと、自然を「人間や機械が関わらないもの」ととらえがちです。自然と人間、自然と機械を、対立構造で考える人も少なくありません。ですが、人間もまた自然の一部です。その人間がつくった機械もまた、自然と関わりを持つ重要な一部と考えたほうが、無理がないと思っています。 

 

日本はこれから人口が減っていきます。人口8000万人になったとき、働ける人口もずいぶんと減っているでしょう。そのような時代にこそ、デジタルとインターネットが活躍します。一次産業や二次産業にデジタルを導入し、関わる人を増やす。今後のテーマになっていくでしょう。 

  

▎スタッフ一人ひとりが、未来の地球環境を考えている、そんな会社に  

私自身は、一時、OECDが公開していたBLI(Better Life Index)の指標を意識して見ていたことがありました。Better Life Index(「より良い暮らし指標」)は、2011年に公開されたもので、住宅、収入、雇用、共同体、教育、環境、ガバナンス、医療、生活満足度、安全、仕事と生活の両立という11の分野で比較する、豊かさの指標です。 

 

今は、SDGsが企業にとっても考えるべき必須事項となっています。40年前にはもっぱら金銭的価値の追求が企業に求められていたことに対して、今は、社会的価値や環境価値が同時に求められるようになりました。時代が大きく変わっているのです。 

 

企業に地球環境保全の努力が求められるようになるのであれば、スタッフ一人ひとりに求められることも、当然変わっていくことになります。ダンクソフトでは、スタッフ一人ひとりが環境意識、社会意識を持てるように、評価制度を見直そうとしています。メンバーが未来の地球環境を考えている、そんな会社になっていきたいと考えています。 

 

そのためには、「業務」内容への評価以外にも、「未来」を切り拓く人になるために学び、考え、行動できているかという観点も、大事にしていく予定です。40周年を機に、「人として、よりよくなっていく」方向を目指したいと思っています。 

 

日本高専学会と考える、日本の将来 ―地域と地域をテクノロジーが結ぶ未来像―

今回のコラムは、日本高専学会会長の山下哲先生、理事の土井智晴先生をゲストにおむかえしました。日本高専学会は、2022年より「ダンクソフト・バザールバザール」を導入し、研究会活動がさらに活性化したという声を寄せていただきました。高専といえば、日本の技術力の要。デジタル・ネイティブ世代のポテンシャルをひらくための環境づくりや、スマートオフィス構想の展望について語らいました。 

【左から】  

日本高専学会 代表 山下哲さん 

日本高専学会 理事 土井智晴さん 

株式会社ダンクソフト 代表取締役社長 星野晃一郎 

株式会社ダンクソフト 開発チーム マネージャー  竹内 祐介  



▎海外から高く評価される、日本特有の「高専」という制度

ACTフェローシップのメンバーと

星野 ダンクソフトは、いろいろなご縁が重なって、高専とのつながりが深くなっています。徳島の阿南工業高等専門学校(阿南高専)で、竹内が授業を担当するようになって5年。 高専と社会を結ぶACTフェローシップのメンバーとしてプロジェクトにかかわったり、学生がインターンに来たりパートナーシップ協定を結んで協働したり。昨年は阿南高専から2名が新卒で入社しました。 

 

山下 嬉しいご縁ですね。私が会長を務めている日本高専学会は、「高専」という日本特有の教育制度をより良い制度に改編していくことについて、研究活動を行っています。日本のためにさらに役立て、世界へ発信していこうという学会です。今年で発足29年になります。 

  

星野 高専生はとても優秀ですね。昨年入社した阿南高専の2人も、入社直後から大活躍です。 

  

日本高専学会 代表 山下哲さん 

山下 それはなによりです。そもそも高専という制度は、産業界からの要請に応えてつくられたものでした。1950年代後半、日本はめざましい経済成長を遂げました。そのとき、それを支える技術者が求められるようになりました。日本で初めての「国立高等専門学校」が設立されたのは1962年でした。高校3年間に2年プラスして5年間の高専を卒業すると、そのまま企業で働けるようなレベルの人を育てようと、60年前につくられた学校制度です。 

  

星野 ダンクソフトの連携先である阿南高専OB会の現会長が、やはり高専の卒業生で、彼はたしか高専の1期生か2期生だったと思います。 

  

山下 初期の卒業生でしたら、なおさら優秀な方でしょう。当時の高専は入学希望者がとても多く、入学してくるのは偏差値70を超えるような学生ばかりだったそうです。文部科学省が最初につくったカリキュラムは、高専の5年間で大学の工学部卒業と同等レベルの専門知識を身につけるという、とんでもなくハードなものでしたから。高専は、設立以来ずっと、学生のポテンシャルをおおいに発揮させる学びの場だと思っています。 

  

星野 高専制度が始まって60年、高専学会が発足して30年ですか。時代が変わるなかで、高専に求められるものも変わってきたのか、とイメージしているんですが。 

  

山下 ええ。私自身、変わりゆく中を生きてきました。高専はその成り立ちからして、文科省管轄の他の教育機関と異なる側面が多く、チャレンジできることも多い学校制度です。そこで、この制度をさらに進化させるべく、本学会が設立されたというわけです。 

 

いまでは日本の高専制度は海外でも高く評価されて、海外高専へと展開しています。日本は、モンゴルやタイ、ベトナムの3カ国を中心に、高専のカリキュラム設計や教材開発、教職員研修などのサポートを行っています。  

 

高専学会公式サイト 
https://jact.sakura.ne.jp/ 

 

高専学会では、研究助成も行っています。また、研究会活動の活発化にも、力を入れています。会員が中心となって、それぞれの研究分野を持ち寄って高めていこうというものです。一般教育科目、人権教育、留学生対応教育などにかんする研究会が立ち上がっています。  

▎KOSEN EXPOでも注目された「スマートオフィス構想」  

星野 ダンクソフトで働く2名の高専卒業生は、デジタル・ネイティブたちです。40周年プロジェクトの物語にも書いていましたが、中学生のときに初めてスマホを手にして、ものすごい衝撃を受けたそうです。彼が言うには「徳島という田舎から、世界が見えることに驚いた」と。彼らはデジタル・ネットワークを駆使して、自分から学びにいく力をすでに身につけています。社会を変えて未来をつくっていくのは、きっと彼ら若者たちだと感じています。 

  

株式会社ダンクソフト 開発チーム マネージャー  竹内 祐介  

竹内 私は2018年から阿南高専で非常勤講師をしていますが、そこでは教員も生徒も、顔を合わせれば「技術の社会実装」という言葉を口にします。技術を社会問題の解決にむけて役立てようという意識を、みんながもっていますね。 

  

星野 昨年、オンラインで開催された「KOSEN EXPO2022」もその一環でした。あのイベントは、「研究・教育の成果の社会実装を目指す高専」と「高専の技術やアイデアを活用しながら課題解決を目指す企業・団体等」とのマッチングをはかるものでした。 

  

竹内 「KOSEN EXPO2022」では、新卒の2人が大活躍しました。特設ウェブサイトの制作からプロジェクトの発表まで、彼らがすべて担当してくれて。テーマは「ふるさとの未来をつくる、スマートオフィス構想」。発表も上々でしたし、ウェブサイトもかなりの閲覧数があったようです。 

 

星野 ダンクソフトでは「スマートオフィス構想」を提唱しています。インターネットを上手に利用して、クリエイティブに仕事ができるビジネス環境を各地につくろうというものです。これにより、首都圏への一極集中を緩和して、地方にいてもやりたい仕事を選んで働ける環境を実現していくことができます。地域には、学校を卒業してもそのまま地元に残りたい若者がいます。その場合でも、デジタルがあれば、地域にいながらにして、日本各地や世界各地と連携・協働できるしくみを、整えることが可能です。そうすれば、日本は地域から変わっていくはずです。 

徳島県の阿南高専を2022年に卒業、物語プロジェクト最年少受賞者の濱口航貴(ウェブチーム)が直面した「未来社会」を描く難しさとは

https://www.dunksoft.com/message/2023-03  

若手の活躍が光った「KOSEN EXPO 2022」 

https://www.dunksoft.com/message/2022-12 

▎都心への一極集中ではなく、地域にいても働ける未来 

星野 高専生は企業からも引く手あまたですよね。ですが、彼らの就職先が都市部に偏ってしまう現状は何とかしないといけません。本人が東京へ出ていきたいのならもちろんよいのですが、本当は地域に残りたいのに、仕事がないからやむなく都市部へ出ていってしまうのは、地域の未来にとっても、もったいないことです。「スマートオフィス構想」は、高専卒業生が地元に残り活躍するスキームのひとつになるものだと考えています。 

ダンクソフトは2011年の東日本大震災をきっかけに、“場所を問わず働ける”リモートワークの実験を始めました。コロナ禍を経て、全員リモートワークが基本となっています。 

  

山下 全員がリモートワークというのは画期的ですね。  

  

ふるさとの未来を創る、竹内祐介の物語

https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi  

竹内 私もいま、徳島の自宅から参加しています。私が入社した2012年は、徳島でリモートワークの実証実験が行われていたタイミングでした。私は徳島出身で、就職してからも徳島で働いていましたが、初めての子どもが生まれる直前に転勤を言い渡されてしまって。子育ては地元でしたかったので、退職せざるを得ませんでした。 

  

土井 竹内さんには長らくお世話になっていますが、そんな経緯があったとは知りませんでした。  

  

徳島県神山町でサテライトオフィスの実証実験(2012年)

竹内 そうですね。そこで出会ったのが、徳島県神山町でサテライトオフィスの実験をしていたダンクソフトでした。古民家で、数名のスタッフが東京本社とビデオ会議をつないで業務を行っていたんですよ。いまから10年以上まえですから、その姿にはびっくりしました。こんな働き方があるのか、と目からうろこでした。そこで東京まで直談判しに行き、徳島サテライトオフィスをつくってもらって、徳島で働けることになりました。  

 

▎各校固有の「知と技能」をデジタルで結ぶ  

株式会社ダンクソフト 代表取締役社長 星野晃一郎 

星野 いまのデジタル・ネイティブ世代は、オンラインでのやりとりは小さいころから慣れています。ですから、リモートで働くことになんの違和感もなく適応できます。これは私たちの世代とはぜんぜん違いますよね。若い方たちはすばらしい強みをもっていると思いますよ。「スマートオフィス構想」で、そんな彼らのポテンシャルが、より活かせるようになると考えています。 

  

山下 リモートでの連携や協働といえば、高専学会でもこれから考えていることがあります。それは、インターネットを使って、各高専が誇るスペシャリストの技を、全国の高専で共有できないかということです。 

 

というのも、どの高専にも名物先生がいて、持てる技術や高い技能を伝えるために工夫を凝らした実験や実習を多く取り入れたカリキュラムを組んでいます。それは素晴らしいことである一方、現状では各校固有のものになっています。これらを、全国高専で共有していきたいのです。 

 

現在のVRやARの技術を使って、たんなる座学の“視聴”を超えて、“実体験ができた”と実感できるレベルで体験できないか。たとえば阿南高専の生徒が、私のいる木更津高専の実習を“体験”するといったことを、将来的に実現させたい。技術者の将来と日本の未来という意味でも。一朝一夕でできることではなくとも、きっと近い将来に見えてくる未来の姿だとも思います。 

 

インターネットやデジタルの力を活用した遠隔コミュニケーションについては、ぜひダンクソフトさんとも知恵を出しあっていければと思います。  

  

星野 嬉しいです。この対話の場そのものが未来ですね。ぜひともいっしょにチャレンジしていきましょう。 

  

▎効率化は、クリエイティビティのために  

星野 高専学会様には「ダンクソフト・バザールバザール」を導入いただいています。ご使用になってみていかがでしょうか。 

 

日本高専学会 理事 土井智晴さん 

土井 おかげさまで、いまのところとても助かっています。日本高専学会では、2022年に、会員組織の運営効率化のため、バザールバザールを導入しました。それまで300名ほどの会員にむけて封書で案内していたため、かなりの手間とコストがかかっていました。それが、システム導入後はその書類封入作業から解放されました。めざましい効率化とコスト削減になりましたね。 

  

山下 コロナ禍もあり、オンライン化が一気に進みました。おかげで経費をかなり削減できました。効率化によって得られた予算で、学会内で力を入れていきたい先述の研究会活動へ、助成制度を進めることができました。これは、うれしいことのひとつです。研究助成を得た先生方からも、研究会の新提案が増えるなど、さらに研究会活動が活発になることを期待しています。 

  

土井 そのほかにも、管理者がそれぞれのPCで管理していた会費情報・会員情報をバザールバザール上に移すことができました。セキュリティの観点からも、管理の見直しとクラウドを使うことを求められていたのですが、今回それが実現できて、ほっとしました。 

 

ダンクソフト・バザールバザール
https://dbb-web.bazaarbazaar.org/ 

また、バザールバザールは会員管理に役立つだけでなく、会員同士の情報共有や情報交換にも使えます。とくに研究会会員どうしの意見交換や対話に有効ですね。最近は、より便利な機能が加わって使いやすくなったおかげで、バザール内に設けた研究会のコミュニティで、参加者からの発言が増えてきています。 

 

星野 業務の効率化が進んで、研究という本来の業務に割く時間や費用がうまれたり、オンラインでの談話や対話が活性化したりしているのですね。まさにバザールバザールが目指すところです。よりよく使っていただいて、ありがとうございます。  

 

日本高専学会では、会員を募集しています。

↓入会案内はこちらをご覧ください。

https://jact.sakura.ne.jp/enter/ 

▎ソフトウエアと集会が、イノベーションを創出する 

土井 じつは高専学会だけでなく、私の勤務先であり母校でもある大阪公立大学高専の同窓会にも、バザールバザールを導入させていただきました。毎年160名の卒業生ほとんどが同窓会に加入します。卒業すると学校とのつながりが切れてしまいがちですが、これからはバザールバザールが、卒業生たちを結び、コミュニティをより活性化していってくれそうだと期待しています。   

 

竹内   高専学会さんは、バザールバザールをお使いになるなかで、「使ってみてこうだった」とか「こんな機能がほしい」など感想やリクエストをくださいます。お互いに対話を重ねることで、ともにシステムをよりよくアップデートしていけることをありがたく感じています。   

  

星野   毎年160人ということは、20年後には、大阪公立大学高専の同窓会メンバーだけでも3000人を超えるわけですね。イノベーションは、多種多様な方々がかかわる場所から起きていきます。バザールバザールによって、日本中の高専卒業生がネットワーク上でつながる環境がうまれたら、そこからたくさんのイノベーションが起こる予感がします。 

  

▎協働を通じて地域イノベーションのさざ波を   

星野 土井先生はロボット工学がご専門ですね。未来の展望をどうご覧になっていますか? 

 

土井 いま世の中は、ChatGPTなどAIを使ったソフトウエア開発がブームですよね。いわば、アタマがますます充実しているわけです。私は専門がロボット工学です。神戸で毎年夏に開催する「レスキューロボットコンテスト(※)」の実行委員もしているものですから、機械出身の人間から見ると、どうもアタマばかりで、カラダがついていっていないように感じます。これから先、脳や情報といったソフトウエアばかりでなく、機械や実物をつくっていくハードウェアの力も引き続き重要で、重視すべきだと考えています。 



※ レスキューロボットコンテストとは、防災・減災に関する社会啓発およびロボット技術を通した人材育成を目的とし、災害救助を題材としたロボットコンテストです。2001年から毎年夏に開催されています。

↓レスキューロボットコンテストについては、こちらをご覧ください。https://www.rescue-robot-contest.org/ 



星野 おもしろいですね。じつはダンクソフトはもともとハードウェア開発から始まった会社でした。そんなこともあって、私もハードには関心があるのですが、ロボットはこれからますます研究が進んでいくので、注目しています。ロボットとインターネットが合わされば、ものすごく可能性がひらけていきますよね。 

  

ダンクソフトはデジタルの会社ですが、「人間と機械と自然の協働」に注目しています。たとえば、森づくりなど森林保全の取り組みをする団体と連携もしています。土井先生のお話をうかがって、たとえば人が立ち入りにくい森のなかにロボットが入って、人間がリモートで木を伐採し、それによって森林問題の解決につながる未来が、もう目の前にきていると期待が高まりました。 

 

あとは、やはり介護ですね。私の場合は、ぎりぎり介護ロボットが間に合って、90歳になっても鉄腕アトムに担いでもらって世界中を飛び回れるだろうと、真面目に思っていたりします。ともあれ、これから目指すべきは「アタマとカラダの融合」ですね。 

 

竹内   どれだけデジタルが発達しても、人間が肉体をもっている以上、リアルなものはかならず残ります。ですから、ソフトウエアはリアルな場をいかにサポートできるかということが、今後より重要になってくると思います。私も大学で専攻したのは材料系だったので、ハードウェアの重要性も楽しさも、お話を聞いていてそうだなと思います。 

 

土井   この国はたぶんかなりテクノロジーが好きなのだと思います。私がいる大阪の堺には有名な仁徳天皇陵という前方後円墳がありますが、ピラミッドと比較される建造物が、なぜあの場所にあるのか、いろいろ調べてみると理由があり、そこから日本人の新しい技術に対する好奇心のようなものが見えてきます。新しいもの好きがいて、古いものを大切にする人もいて、それが融合して時を経ると、新しいテクノロジーとなって出てくる。だから焦ることなく、日本人らしいものを生み出していけばいいと考えています。 

 

星野   山下先生、土井先生のお話をうかがって、テクノロジーによる明るい未来を感じました。それとともに、日本の将来を考えると、都市部だけに活気があるのではなく、それ以外の地域各地をよりよくしていくことも必要不可欠です。このとき、技術が、地域社会に貢献できることは、たくさんあります。さまざまなコストを下げることはもちろん、人と人をつなぐことや、人間とロボットをつなぐことも、そのひとつですよね。 

 

ですので、テクノロジーに明るい先生方や高専生の皆さんが、さらに社会と接点をもち、その技術や技能をもって、地域の課題・問題を解決していくことで、高専の価値は、さらに高まると思います。たとえば、そうした試みのひとつが、阿南高専の「ACT倶楽部」ですね。ですので、一方では、ソフトとハードを切り離さない「技術イノベーション」を進めること、そして他方では、“技術と社会”が接点をもち、高専を起点に「地域イノベーション」のさざ波を広げていけるよう、私たちも、これからも一緒に協働していけるといいですね。本日は、ありがとうございました。 

40周年「ダンク感謝祭」は、集い、出会い、次の“はじまり”をつくる場

ダンクソフトはこの7月に40周年を迎えます。今回のコラムでは、40周年に向けて、これからどんなことをしようとしているか、いま考えていることをお話しします。ぜひ皆さんと、この節目を起点に、未来にむけて連携していきたいと思っています。  



▎「物語プロジェクト」と「感謝祭」を並行して実施 

 

今年7月に、ダンクソフトが40周年を迎えます。このタイミングで、「感謝祭」を実施したいと考えています。 

ただ、一般に日本ではバーゲン・セールのようなものを感謝祭と称することもありますが、そういう意味じゃないんですね。 

謝意を伝えたいのは、わりと広い範囲でして――直接のお客様はもちろん、スタッフ、その家族、お客様の先にいるお客様……といったステイクホルダーをイメージしています。 

さらに、いわゆる自然の恵みもあってビジネスや地域活動も可能なわけで、そういった地球環境のような「自然資本」も感謝祭の対象ですね。一連のシリーズにして実施できるようにと、各担当者たちが企画しています。というわけで、わりと広いスコープで「感謝祭」をとらえてるんですよ。 

 

それと、ダンクソフトでは、いま、「物語プロジェクト」が3つのレベルで進行中です。 

3月の社長コラム『ダンク史上初、つくりたい未来の物語が集結 』はこちら。
https://www.dunksoft.com/message/2023-03

まず第1に、スタッフ一人ひとりによる、未来志向の物語づくりです。これは先月のコラムでご紹介しました。 

 

ただし、これでは個人語り、つまり「点」ですので、これを「面」にしたいんですね。そこで、部署を超えたメンバーたちが、お互いの物語をつなげあおうと、対話ベースで、意見や感想をフィードバックしあっています。つまり、個々の物語をリンクしあって「物語の結び目」をつくるのが、第2のレベルです。 

 

さらに第3の動きとして、ダンクソフトの「サービス」を物語化するプロジェクトも動き始めています。いままで機能については語ってきたのですが、それだけでなく、未来志向で、もっと別の語り方もできると思っています。 

 

ということで、「物語プロジェクト」と「感謝祭」を、2重らせん的にからめながら、並行して進めていこうと思っています。  

▎「感謝祭」という名前のきっかけ 

 

「感謝祭」というネーミングを最初に使ったのは、昨年10月のことでした。<高専エキスポ>に参加したときでした。ちょうどハロウィンの頃のイベントだったのですが、謝肉祭というのもちょっとそぐわないな、と思いまして、そこではじめて感謝祭と銘打ったんですね。 

 

「神田藍の会」についてはこちらをご覧ください。
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai 

最初に「感謝祭」というネーミングを使っていたのは、<神田藍の会>を一緒に推進している一般社団法人遊心の峯岸由美子さんでした。峯岸さんのおっしゃる「感謝祭」は、会の皆さんはもちろんのこと、それだけでなく、自然の恵みをはじめ、あらゆるものに感謝する祭、という意味でした。それを聞いて、なるほど、それはいい表現だと思いました。そこで、私も参加している<神田藍の会>で、12月10日に「感謝祭」を行いました。 

 

翌日11日には、ダンクソフトのコミュニケーション・サービス「WeARee!(ウィアリー!)」をテーマに、オンラインでの感謝祭をやってみました。考えてみると、昨年11月のサイボウズ・デイズへのイベント出展も、お客様に感謝するという意味では、「感謝祭」だったと言えるでしょうね。  

▎「バザールバザール」は業務効率化と集会のためのツール 

 

7月から40周年目がスタートしますので、いろいろな切り口で、お客様、パートナー、さらにその先にいる方々のアイディアも取りいれながら、楽しい感謝祭をご一緒に企画していきたいと考えています。 

 

「ダンクソフト・バザールバザール」についてはこちらをご覧ください。
https://dbb-web.bazaarbazaar.org/ 

感謝祭を通じて、結果として、皆さんにとって、関係づくりとコミュニティの活性化につながることを期待しています。そこで、ひとつの案として、いま、「ダンクソフト・バザールバザール」という製品を使って、インターネット上に皆で集える“グラン・バザール”をオープンしようと検討しているところです。 

 

「バザールバザール」は、バザール=市(いち)という名前のイメージ通り、もともとは安心して出会える場をイメージして、つくりました。 

 

機能としては2つあって、「効率化ツール」兼「集会ツール」なんですね。これはもともと、団体運営の事務効率化から出発したツールなんです。業種はなんであれ、事務作業はだんだん煩雑になっていきますから、「効率化」は大事ですよね。これが第1機能です。 

もうひとつ。歴史を見ると、何かが新しく起こるときって、「集団」ベースじゃないですか。大学の発生も、政党の発生も、企業の発生も。なので、いまは時代的にもイノベーションが必要なので、ネクスト・パンデミックとかにも関係なく、人が集まったり、出会ったりできる「集会ツール」にしたいんですよね。それが「バザールバザール」の第2機能です。「集会なくして、イノベーションなし」ですから。 

ただし、ただ不特定多数の人たちがやってきても、“不安な場”になるだけですよね。なので「バザール」上では、知り合いの知り合いとか、誰かの紹介とか、なんらかのつながりをもった人たちが集える、“安心できる場”になることを目指しています。  

▎インターネット上にみんなが集う“グラン・バザール”を 

 

この「バザールバザール」を、ダンクソフトと関わりのある方々に開放して、40周年だからこそできる集いの場 “グラン・バザール” を企画しています。 

 

「ダンクソフト・バザールバザール」開発チームによるダイアログも、合わせてお楽しみください。プロダクト、サービスに対する考えや思いを語っています。
https://www.dunksoft.com/message/engineering-next-vol1 

コロナ禍では、なかなか気軽に人とリアルに会えず、関係が希薄になるということがあったのではないでしょうか。また、オンラインで不特定多数の人々とつながってしまえるからこそ、発言がしづらかったり、発言が商用利用されることを懸念したり、ということもあるでしょうね。「バザールバザール」という、個人情報保護もしっかりしていて、広告・宣伝が一切入らない、“安全なバザール”(インターネット空間)の中なら、皆さんに楽しく集まって、遊んでいただけると思うんです。 

 

そこは、お互いのケミストリーもよく働き、のみならず、よい偶発が起こっていく。人と人がつながるきっかけも、たくさん生まれていくでしょう。ダンクソフトを通じて、新しい出会いや対話が生まれ、次へのアイディアが生まれる “楽しいバザール” ができればと考えています。 

 

「ACT倶楽部」についてはこちらのコラムをご覧ください。
https://www.dunksoft.com/message/2021-11 

具体的には、40年間のダンクソフトの歴史を通じて関わりを持ってくださったお客様やパートナーにアカウントを用意して、バザールに参加していただけるようにしていきます。現在ダンクソフトの製品やサービスを使っていただいているお客様はもちろんのこと、かつて使ってくださった方々、ダンクソフトが中央FMでスポンサーしているふたつの番組のリスナーさんたち、スタッフや登壇者、徳島ACT倶楽部のメンバーといった皆さんにも入ってもらえると、場が多様化して面白くなりそうです。  

▎希薄になったコミュニティ:東京のご近所付きあい事情 

 

最近、吉祥寺に引っ越したスタッフが、ご近所へ引っ越しの挨拶に回ろうとしたら、一軒も出てきてくれなかったとのことでした。その話を聞いた別のスタッフも、引っ越しの挨拶で、誰も応答してくれなかった経験をもっていました。 

 

現代の東京らしいエピソードではありますが、残念なことですね。きっとできるだけ人と顔を合わせたくないのでしょう。コミュニケーションを断つ方向に進んでいるようにみえますね。 

 

以前から、強盗や詐欺など凶悪な事件がありますから、防犯上、警戒するのもわからなくはありません。ただ、隣近所に誰が住んでいるのかもわからないのは、特に「防災」の観点から考えれば、あまり良い状態とはいえません。  

▎離れていても、声をかけあえる関係がある豊かさ 

 

“グラン・バザール” は、これとは逆をいく動きです。「感謝祭」もまた、そういう風潮とは逆の方向に向かうものです。 

 

昨今の異常気象や災害状況などを見ても、互恵的なコミュニティが維持され、活性化されるかどうかは、私たちにとって今後の死活問題です。それがデジタルの登場によって、新しい形の活路が見えはじめています。つまり、離れていてもコミュニケーションがとれて、サポートができる。そうなってきたんですね。 

 

ダンクソフトでは、さまざまな製品・サービスを提供しています。それは一見、バラバラなことをしているように見えるかもしれません。ですが、実際には皆さんと共に「デジタル・デバイドの解消」を行い、そこからさらに「コミュニティの活性化」へ向かえるよう、支援するということが、共通のテーマになっています。感謝祭を通じて、またグラン・バザールを通じて、知らなかった良いサービスや、その上手な使い方、デジタルを日常に取りいれるコツなども、知っていただくきっかけになればと思います。 

 

感謝祭やグラン・バザールの先には、「スマートオフィス構想」の推進というビジョンがあります。いまや、インターネットが生活の中に溶け込んでいて、人との関係やネットワークがあれば、場所を問わず、若い人たちが住みたい地元を離れずに仕事ができるようになりました。画期的なことです。これからは、私たちと地方との関わりがさらに増えて、東京でも地方でも、色々な展開が増えてくるだろうと思います。 

 

先日の誕生日に、ソーシャル・メディアでたくさんのお祝メッセージをいただきました。まだお返ししきれていないのですが、北海道から沖縄まで、またスペインからもメッセージがとどきました。デジタルがあるからこそ、こうして離れていてもコミュニケーションがとれるわけで、今までなら経験できなかった豊かさを実感しています。 

 

昨年オープンした「40周年特設サイト」にも、さまざまな方からお祝いメッセージをいただいています。40周年を迎えるのが今年2023年の7月。ここからさらに、よりよい未来をつくっていきましょう!  


ダンク史上初、つくりたい未来の物語が集結

ダンソフト40周年企画のひとつとして、2022年から、社内で「未来の物語」を描くプロジェクトを実施してきました。2023年1月に集まった物語は、全部で実に20作品にのぼります。これらを読み合い投票する社内コンテストを行いました。今回は、受賞者4名とプロジェクト担当者を迎えて、今回のプロジェクト、そして、この先の未来について語り合いました。 

 

最優秀賞     野田周子(ウェブチーム) 

役員賞(板林賞) 大川慶一(企画チーム) 

役員賞(渡辺賞) 濱口航貴(ウェブチーム) 

役員賞(星野賞) 港左匡(開発チーム) 

 

プロジェクト担当 澤口泰丞(開発チーム) 

代表取締役 星野晃一郎 



▎ダンク史上初の快挙、“こんな経験は40年間で初めてだ” 

 

星野 何度か話していますが、最初は有志数名だけで物語を書くことになるかと予想していたんです。それが、澤口さんの「いや、全員で書くんだ」という発言から、全社プロジェクトになっていきました。しかし、ここまでになるとは思ってなかったですね。 

 

澤口 会社の未来を考える時に、一部の人だけが考えた未来に乗っかるような状況ってすごく怖いなと、まず思ったんです。そうならないために、一人ひとりみんなが会社の明るい未来を考えてもらいたい。そのためのきっかけになるという意味で、物語を書いて未来を語るという今回のプロジェクトは、意義のあることだったと思います。 

 

星野 こうして未来語りの物語をお互いに交換し、物語を介してお互いを深く知ることができたというのは、チームとして相当頼もしいですよ。ひとつ言えるのは、ダンクソフト40年の歴史の中で、社内の人たちがこれだけお互いを知ったのは初めてだということです。こんな経験は私もしたことがなく、ダンク史上初の快挙です。ここからチームがどうなっていけるか、40周年を迎える7月に向けて、すごく楽しみにしています。 

 

澤口 私自身、何度も感動することの連続でした。まずやはり20作品ができあがったこと自体が嬉しく感動的でしたし、読み込んでみると、一つひとつが本当に素敵で、また感動しました。さらに、賞を選ぶ投票の段階でも、多くのスタッフが投票に参加してくれたことにも感動しましたし、かつ投票に添えられたメッセージにも感激しました。 

 

代表取締役 星野晃一郎 

星野 ここまでの数が集まるとはね。年末の仕事納めの時点で見たときは8本だったんです。ところが、1月4日の仕事始めの日に開けてみたら、いきなり20本が提出されていて。すごいですよね、これって。 

 

澤口 最初は最優秀賞ひとつだけの予定でしたが、「これだけの数が集まったし、しかも力作揃いで、賞がひとつだけではもったいない」ということになり、急きょ役員賞を追加してもらいましたね。ダンクソフトには役員が3人いるので、新たに賞が3つ増えて4つになりました。今日は受賞者の皆さん4人に集まってもらいました。  

▎未来社会を描く難しさ。ここから VR の未来はどうなる? 

 ──まずは今回の最年少受賞者の濱口さんです。徳島県の阿南高専を2022年に卒業し、春に新卒入社してまもなく1年。今回、役員賞(副社長・渡辺賞)を受賞しました。 

 

濱口航貴(ウェブチーム)

濱口 私の物語は、中学時代に初めてスマートフォンに触れて、文明的なものを感じたエピソードから、やや SF 的ともいえる未来社会へと向かう、という内容でした。中学時代、家ではスマホを持たせてもらえなくて、親に内緒でスマホを入手しました。初めて文明に触れた経験でした。徳島という田舎で生まれ育って、それまで家と学校の往復だけが世界だったんです。だから、スマホとの出会いはすごい衝撃でした。初めて都会の人たちと同じ情報に触れ、同じものを享受できたという感覚です。これがIT分野と出会った原体験となって、今の自分があることを物語に書きました。 

 

星野 濱口さんのその興奮はわかる気がしますね。私が初めてインターネットを体験したのが、たしか1993年頃。当時はニフティー・サーブの時代で、あの頃のブラウザは、たしかモザイクだったかな。世界に窓が開いた興奮を、よく覚えています。 

 

濱口 スマホ以前は何も持っていなかったので、逆に感動が大きかったかもしれません。それまで情報を得るといえばテレビぐらいしかなかったところから、いきなりインターネットに触れたので。 

 

星野 濱口さんが出会ったスマホですから、相当完成された状態のデジタルを、最初にいきなり見たわけだからね。 

 

濱口 はい。僕の物語の結末は、未来社会がどうなっているかを思いつくまま書いたものでした。その世界では、VRやアバターを当たり前に使って仕事をしている想定です。ただ、個人的には、実際にはこの方向でVR が進化することはないだろうと思っていて、そう思いながら書いたところがあります。 

というのも、未来の姿がまだ想像がつかなくて。今のVRは、VRゴーグルをつけて3Dでモデリングされた世界を目視することができるものです。でも、まだその空間で移動する方法が明確に定義されていない感覚があります。いわゆるゲームでいうところのコントローラーができる前のような状態なんじゃないかと思っています。 

なので、その VR 空間でどういうふうに立ち回るかが確立されてみないことには、実際にどのように実用されていくのかが思い描けなくて。仕事でコミュニケーション・ツールとして使うなら、VR ゴーグルをつけて何かするよりも、現在のビデオ会議の方が効率的です。どういうところで VR がビデオ会議を上回るのか。離れたもの同士が会議をしているというような方向性ではないんじゃないかと思いつつ、あえてフィクションとして書いてみた、という感じです。 

 

澤口 今回、「ダンクソフトの未来像」をみんなで考えていくにあたって、一人ひとりの未来が合わさったものが会社の未来になっていってほしいと考えました。みんな苦労しながらも、会社と自分の「未来」について、すごく考えて書いてくれましたね。 

 

濱口 物語を書く上で困ったのは、まさに未来の部分でした。実は色々な未来シナリオを書いて、何回も書き直してみたんです。でも、何度書いても「これは違うな」という未来しか書けず、それで「こうはならないな」と思う未来を描くことになってしまいました。今回の僕の物語の反省点はそこで、つくりたい未来像を描き切れなかったことでした。 

物語を書いてよかったことは、自分が過去に歩んできた道をあらためて振り返るきっかけになったことと、未来について考えられたことです。日頃はやはり、どうしても目の前のことに集中することが多いので、改めて先の事を考えるよいチャンスになりました。今回は、つくりたい未来について書ききれませんでしたが、引き続き、もっともだと思える未来像を書けるようになっていきたいです。 

 

大川 濱口さんも港さんもすごく若くて、自分とは離れた世代の若者です。そういう方たちがどういう視点で物事を見て、どういう経験をしてきたのかを、今回、物語を通して詳しく知ることができました。率直な感想として、共感しました。そこに書かれていた子供時代のときめきや行動原理は、私自身も同じ年頃の頃に感じていたものと近く、親近感を持ちました。  

▎過去の延長ではなく、そうあってほしい未来を描く 

──続いて、濱口さんと同時入社、同じく阿南高専出身の港さんです。役員賞(社長:星野賞)を受賞しました。 

 

港左匡(開発チーム)

 私の物語は、自分の過去の経歴をたどり、今後どうなっていってほしいかという未来について書いたものです。前半の振り返りパートは、高専に入った頃の話からダンクソフトに入って仕事をしている現在あたりまで。後半は、未来ということで、まあ、好き勝手に書きました(笑)。私も濱口さんと同じで、未来で自分が具体的に何をしているかを書くのは難しかったので、未来がどうあってほしいかを想定して、どう働いているかの観点で書きました。 

内容としては、メタバース的な社会の姿を、「なるべくそうあってほしい」という観点で書きました。バーチャル空間というか、デジタル技術を使った働き方が標準になっていってほしいということですね。また、そのなかで、ダンクソフトは新しい技術をどんどん取り入れていく積極的な姿勢をいつまでも保ったままの企業であってほしい、というようなメッセージを書きました。 

ただ、僕もこのままではメタバース空間で仕事はできないと思っています。具体的には、入力デバイスが、現状のキーボードやタッチ・ディスプレイなどのままではダメで。濱口さんの話にもゲーム・コントローラーの話が出ていましたが、もっと根本的にひっくり返すような何かがないと、このままでは使いづらいです。それをどう解決できるのかというと、ひとつは軽量化ですね。今のヘッドフォンくらい身軽なもので、VR空間に入っていかれるぐらいの軽さが欲しい。現状だと、トラッキング・センサーなど大掛かりな装置が必要なことが、今の技術的限界なので、今後それがどうなるか。うーん、わかりません(笑)。 

 

星野 港さんが書いた物語を初めて読んだのは、私と入江さんなんですよ。去年の全社会議でチームが同じだったんですね。そのときにみんなで物語を書き始めたわけですが、これは面白いなと思いました。だって港さんの物語なのに「私は竹内祐介です」から始まるんですよ。もうその時点で実際にイメージも浮かぶし、何が始まるんだろうと先が期待されて。その書き出しがよかったのと、全体の構成も構造的で、そこも良かったです。 

 

 物語の始まりは会話で書いた方が良いというのを聞いたことがあったので、自分としては特殊なことをしたつもりはなかったんですが(笑)。 

書いてみてよかったのは、よい振り返りの機会になったことです。過去の自分は、ある意味で他人だと思うので、そういう意味では、書く方も読む方も含めて、他者の経歴を知る、とても良い経験になりました。 

苦しかったのは、過去の厳しかった経験と向き合うことでした。結局、辛いことばかり書いても仕方ないと考えて、ばっさりカットしました。あと、書く内容や構想自体は頭の中でイメージできても、それを実際に文章に起こすことに時間がかかり、なかなか難しかったです。今後推敲していくとしたら、未来の部分で自分が何をしているかを膨らませると、もっとバランスがよくなっていくかなと考えています。 


野田 高専に進学する人は、中学の時点ですでに将来を考えて、高専という5年の道を選んでいるだけあり、港さんも濱口さんも、未来社会の姿をよく描けていましたよね。普段の仕事ではチームが違うのですが、松江のワーケーションに参加したとき、松江と徳島をオンラインでつないで、おふたりのプレゼンを聞く機会がありました。こうして物語を読ませてもらったりして、ふたりともプレゼンも文章もうまく、吸収力と行動力のある方たちであることがよくわかります。 

 

大川 私も普段はチームが違うので関わりが少ないのですが、こうして物語を通しておふたりの経験や思いを詳しく知ることができてよかったです。皆さんの物語を読んでいると、港さんも濱口さんも野田さんも、ダンクソフトに今こうしてみんながいることが、奇跡的だなと感じました。  

▎心に抱えた歯がゆさが、物語をつくることで昇華された 

──次は、最後の役員賞(取締役:板林賞)、大川さんです。 

 

大川慶一(企画チーム)

大川 昨年5月に祖母が亡くなりました。私はそこを起点とする物語を書きました。享年99歳、あと1年で100歳だったのですが。昨年はコロナ禍まっただなかだったので、祖母が倒れて入院したと聞いて病院に行っても、直接には会えません。リモート面会しかできないんですね。そのまま何ヶ月か通い続けたのですが、ずっとリモート面会のまま。結局、祖母は最後まで、画面越しに映る私たちを家族として認識できませんでした。こちらが言葉をかけても、伝わっているという実感も、励ませているという手応えもなく、歯がゆい思いをしているうちに亡くなってしまいました。 

これまでダンクソフトで、リモートワークや年配の方々のデジタル・ワークをサポートする仕事をしていたにもかかわらず、灯台下暗しで、一番身近な家族に対してケアができていなかった葛藤がありました。そこから、未来につなげていきました。世の中的にも、世代がひとつ上がると、もう見えない領域というか、手付かずのまま問題が置き去りにされていることに気づき、これまでITに触れる機会のなかった高齢者に何かアプローチできないかと考え、行動を起こしていく、というのが物語の流れです。 

最終的には、高齢者施設で、IT機器をつかったコミュニケーションやレクリエーション、またタブレットで絵を描くとか、ツールに慣れる機会を高齢の方々へ提供する事業を進めている未来を、フィクションとして描いた物語となりました。 

 

星野 物語の構造のひとつに、「不足から充足に向かう」ということがあります。大川さんの物語は、ご自身にとって身近な課題、つまり不足からはじめて、それが充足された未来のビジネス・プランを構想したことが、とてもよかったですね。 

 

大川 理想の未来を書くことで、心の中に抱えていた歯がゆさやモヤモヤが、ある程度は解消されたように感じます。このモヤモヤは、自分の中に抱えたままだと、ずっと悔いとして解決されずに残るたぐいのものだったと思うので、文字にして出力できて、本当によかったです。 

港さんは辛い経験を振り返ることが苦しかった、と話していましたが、私はそこには難しさはなかったです。むしろ逆でした。祖母が亡くなった時、亡くなる瞬間に立ち会えなかったこともあって、全く何の感情も浮かんで来なかったんですよ。それが、具体的に物語として表現したことで、ああ、こういう気持ちを発散したかったんだな、という気持ちに、ようやく気づくことができました。 

 

 いろんな世代がデジタル・ツールを使えるようにしようという、「デジタル・デバイドの解消」に向かうビジョンが感じられて、とても共感しました。実は私が投票したひとつが、大川さんの物語だったということを、ここで告白します(笑)。 

 

野田 私もコロナ禍のなかで家族が入院し、面会もできなくなっていく体験をしたので、重なる部分があり、共感をもって読みました。また、高齢者のデジタル・デバイドの現状と、課題解決のための事業提案の必要性が、とても切実な問題として迫ってきました。大川さんの試みが、今後も多くの人に役立つと良いなと思いました。 

 

星野 大川さんの言うように、物語として書き出すことで越えられたり、逆に港さんの言うように、一度書き出してみて思い切って捨ててしまうというのも、ひとつの物語効果だと思います。やはり自分を外に表現するのは大事ですね。今回のことは、それぞれの人が自分自身を振り返り、次を考える、いい機会になりましたね。 

 

澤口 はい。今回、皆さんに物語を書いてもらいたかったねらいの一つとして、お互いのことを知ってもらうということがありました。コロナでテレワーク化が進み、ずっと離れて仕事をしていて、お互いのことが見えづらい状況が続いていました。ですので、同僚を知るためのツールとしての物語ということも、意識していました。物語づくりは、各自が自分や他者に向き合うことでもあり、過去、現在を超えて、未来に向けてこれからどうしていくかを考えることでもあります。このあたりがやはり、物語プロジェクトとして、とても有効だったのではないかと思います。  

▎「偶発性」から始まる、私の物語 

──それではいよいよ最後、最優秀賞の野田さんです。 

 

野田周子(ウェブチーム)

野田 私も基本的には自分の経歴を物語化しました。物語は、私が松江に行ったこと自体が、家族の遺したメッセージとシンクロしていたという偶発性を発端として始まります。そして、人とのご縁や偶発的な出来事がダンクソフトへの入社につながっていったこと。去年、松江でのワーケーションを経験したんですが、その経験やその周りに起きた偶然の出来事を描いた物語でした。 

 例えば、転職時に私を面接した人が同じ小学校だったことが、何十年後かにわかったことや、ワーケーション先の松江で、出向先の企業で仲の良かった出雲出身の方が、実はダンクのメンバーとご近所同士で親しくしているのがわかったこととか。ダンクソフトでは日本全国どこでも仕事ができるので、それが将来は世界に広がっていくという物語になりました。 


大川 野田さんの物語は、ここまで多様な経験をされていること、そしてそれをここまで詳しく物語にされていることがすごいと思いました。なんといっても文章がすばらしくて、めまぐるしくシーンが動くんですね。松江に行くところから始まって、綱渡りのように進んで、最後は奇跡的なめぐりあわせでダンクソフトにたどり着く。とてもドラマチックで面白かったです。 

 

野田 ありがとうございます。物語を書いてよかったことは、何度も皆さんからも話が出ているように、やはり、これまでを振り返ることができたことでした。あんなことがあったな、こんなこともあったな、と懐かしさを感じながら、ダンクソフトで働いている現在までの出来事を辿ることができたのはいい経験でした。 

ただ、私は未来については描けなかったんですよ。大川さんも港さんも濱口さんも、未来が書けていて、すごいと思いました。私の場合は、目の前の現実的なことしか考えられなくて、なかなかそこまでいきませんでした。でも、未来もしっかり考えなきゃいけないなというのが、これからの課題だと分かったことも、今回参加した収穫でした。 

 

星野 実は、私も票を入れました。野田さんはダンクソフトに来る前は旅行関係の仕事をしていて、世界各地を旅行しています。多彩な経験のなかで、いろんなことに挑戦してきた、ものすごいチャレンジャーの物語でした。仕事が大変なときにはバスケットボールをするのが息抜きだという部分などは、私もテニスをしているので、共感しましたね。 

 今回、4人の物語以外も含めて、どの物語も、ボリュームも構成力もよく、読み応えのある物語ばかりでした。ですが、その中でも野田さんの物語は、多くのスタッフからの票を得ることになりましたね。  

▎新しいことへの挑戦が評価されるダンクソフト 

 

星野 今回、澤口さんがいろいろと工夫して主体的に動き、新しいプロジェクトを、ここまでに育ててくれたことは、これからのモデルになると考えています。異なるものやひとのあいだを結び、展開をつくる「インターミディエイター」を、実践したプロジェクトになりましたね。通常の開発者としての業務もあるなか大変だったと思いますが、よくやってくれました。それはきっと誰もが感じていることではないでしょうか。 

 

野田 まったくそう思います。それに、人望のある人でないと、一緒になにかをつくりあげようとは思えないので、そういった面で澤口さんは適任だったと思います。今後もし何か手伝えることがあるなら私も参加できたらと思うので、ぜひ声をかけてください。 

 

濱口 実はプロジェクトの途中の段階で、澤口さんが僕や港さんを含む数人を集めて、意見交換の場を設けてくれたことがありました。そんなふうに若い世代の声も聞きながら、もちろん他にもいろんな人の意見を聞きながら、プロジェクトを進めていかれたのだろうと思うと、本当に感謝しています。 

 

 今回、こうして振り返りの機会をつくってもらえてありがたかったです。また、プロジェクトの進め方自体も素晴らしくて、多くの人に参加してもらう工夫をし、周囲の賛同を得ながらプロジェクトを推進していかれた推進力は、メタ的な観点でもすごいと思いました。他のプロジェクトにも応用できるポイントがいろいろあると思うので、どんな工夫をしたかを、ぜひ共有していただきたいです。 

 

大川 今回、この物語プロジェクトで一番感謝しているのは、物語を交換しあうという形で、社内メンバーとのコミュニケーションができたことです。お互いの物語を読むと、どんどんその人の目線になって想像でき感情移入が進んで、人に対するリスペクトが生まれてくるんですよね。自己紹介やプロフィールの交換では、こうはなりません。すごく良かったです。 

 

澤口 皆さんにそんなふうに評価してもらえて、担当した甲斐がありました。こういう取り組みは、通常のクライアント対応の仕事とは違うタイプのものですが、何か新しいことへの挑戦がこんなふうに評価されるというのは嬉しいですし、大事なことだと考えます。  

▎会社自体がひとつの生命体  



星野 ダンクソフトはもともと私が作った会社ではありません。私は社員番号4番で、4人目に入社したメンバーです。創業から今までに、約130人がこの会社に関わりました。その時その時に在籍した人たちが会社を支え、会社の40年をつくってきました。そう考えると、会社自体が、ひとつの「生命体」のようなところがあります。常に動き変化しながら、動的平衡を保って、イノベーションを起こし続けています。私は経営者ですが、私だけで作ってきたわけではないし、これからはそういう時代でもありません。 

今後は、つくられた物語のひとつひとつを、孤立させずに、それぞれの物語を重ね合わせて、結び目をつくっていきたいものですね。さらに、社内メンバーだけではなく、パートナーやお客様も、物語に登場したり、自ら物語づくりに参加していただきたいと考えています。 

 デジタル・テクノロジーは、この40年で1億倍に成長してきました。この先、さらに進化は加速するでしょう。そこには、恩恵も危うさも、両方あるわけです。ですからそこに、どんなよりよい未来の物語を描けるかが、重要になります。だからこそ、これからはさらに、お客様とも一緒に物語をつくっていくのが必要だと考えています。そして、コ・ラーニングし、成長しあえる組織同士のネットワークが生まれていってほしい。これは私がもっている「コミュニティ」のイメージに通じるものです。お客様や社会と、共に進化、つまり「共進化」しながら、デジタルを使って、よりよい未来や社会がつくれるような流れができればと思っています。 

 


今回の受賞者以外の、ダンクソフトにかかわる人たちが考える「未来の物語」を40周年記念特設サイトで公開しています。
https://www.dunksoft.com/40th-story 

 

計画一辺倒ではない、偶発性からのイノベーション 


今日のテーマは「偶発性」です。偶発性が大事であること、インターネットで偶発が起きやすいこと、それによるイノベーションの可能性についてお話しします。 

▎偶発性の原体験 


昔、こんなことがありました。私が入社3年目の1986年ごろのことです。当時は初代の社長が存命で、自分のチームにスタッフが10人ほどいました。 

 

IT技術者の国家資格といえば、「情報処理技術者試験」です。これを、当時、会社としてみんなで受験してみようということになりました。医師や弁護士と違って、IT業界では資格がなくても仕事はできます。ですが、試験に挑んでみると、自分ができなかった部分がわかるし、できないところを埋めていくことができます。情報処理業界における自分の位置づけや実力もわかります。 

 情報処理技術者試験は、情報処理推進機構(通称IPA)によるものです。今では資格の種類も増えてバリエーションが豊富になっていますが、当時はまだ2種・1種・特種の3つしかなかったんですね。2種が一般的プログラマー、1種は多少設計も含み、特種がシステム・エンジニアでコンサルティングもできる人、という3区分です。他のスタッフには2種を受けてもらい、当時私は部長職に就いていたこともあり、特種を受けようかということになりました。  

▎神田駅前の電話ボックスで出会ったチャンス

 

ところが、秋の試験を目前に控えたその夏、先代が急逝し、急遽、私が会社を継ぐことになりました。社長就任が9月、試験が10月。とにかくバタバタしていて、受験勉強も手のつかない状況でした。 

 

本と出遭った神田の電話ボックスは、現在も神田駅前に存在する。

当時、“半ドン”といって、午前中仕事をしてお昼前に帰るというワークスタイルがありました。ある半ドンの土曜日に、これから帰るよと家に“帰るコール”をしようと、神田駅の電話ボックスに入りました。すると、電話の上に本が置いてありました。B5判でかなり分厚い、雑誌のような本で、誰かの置き忘れたものでした。見ればなんとそれが、まさに私が受験しようとしていた特種情報処理技術者試験対策のテキストだったのです。そんなことってあるんですね。 

 

もう時効でしょうから白状しますが(笑)、そのテキストを持ちかえりました。社長になったばかりの超多忙ななかでしたが、行きかえりの電車の中で、必死にその本を読み込み、試験に備えましたね。  

▎合格率10%の難関に合格、転機となった“特種”取得 

 

試験は10月の天気のいい日曜日に行われました。午前午後と1日がかりの試験です。午後いちは小論文で、400字のものを2つ。午後の最後には、長文の論文で2400字程度の試験でした。そのテキストに、事前にするべき対策が書いてあったので、書かれたとおりに時間制限を設けて、前週に論文を書く予行演習をしていました。3つのテーマから1つを選んで、制限時間2時間。悪筆ですが書くのは速い方なので、当日も1時間ほどで書きあげて提出し、あとは結果を待つばかりとなりました。 

 

当時の特種は合格率が10%ほどで、なかなか受からないものだったんです。待つこと3か月、翌年2月に、郵送で無事に合格の通知が届きました。そのときの合格通知と受験票は今でももっています。かなりの狭き門でもありましたし、合格通知が届いたときはすごく嬉しかったですね。 

 

特種の資格試験に合格したことで、新人社長として自信と手応えも得られましたし、その後の指針になりました。それに、大手企業と直接取引をするときには、資格の有無で評価が異なりました。特種を持っていることで、相手に自分の力を示すことができました。同じ資格を持った先方担当者と対等に話もできて、プロジェクトがスムーズにいくなど、効果を実感しました。  

▎スタッフの思いがけない提案から動き出した物語プロジェクト  

もうひとつ、最近、偶発性から展開したプロジェクトがあります。前回のコラムで取り上げた、ダンクソフト40周年の物語プロジェクトが、そのひとつとなっています。 

ダンクソフトにかかわる人たちが考える「未来の物語」
https://www.dunksoft.com/40th-story 

 

企画当初は、5,6人ぐらいの有志が物語を書けばいいだろうというのが、私の印象でした。それが、ひとりのスタッフの思いがけない提案で、大きな変化が生まれましたんですね。 

 

それは、「経営陣が描いた未来の物語にただ乗っかるのではなく、スタッフみんなに、未来は自分でつくるものだと思ってほしい。だから、未来の物語を全員に書いてもらいたい」という、スタッフからの提案でした。私にとっては、まったく予想外の、嬉しい出来事でした。彼が“理想”を語ったことを機に、昨年以来、全員で未来の物語を書こう!という、予想を超えたプロジェクトに発展していったわけです。 

 

このプロジェクトを通じて、提案した本人は、さらによりよく変化を遂げていきました。また、彼だけでなく、周囲のスタッフにも好影響をもたらし、社内によい変化の波が広がることになりました。結果として、当初の想定を大きく上回って、1月の時点で、20以上の物語が提出されたんですね。スタッフが全部で26、7名ですから、とても高い比率で参加していることになります。 

 

しかし、それにとどまらず、それぞれの描いた未来の物語が、実現に向けてすでに少しずつ動きはじめているのも、いいことですね。7月の40周年を目前に、一人ひとりの参加によって、ダンクソフトにイノベーションの芽が数々生まれています。 

▎インターネットは偶発性を促進する  


もうひとつ、最近、インターネットが、より偶発性をもたらすのではないかと気づくきっかけがありました。 

 

事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル
https://www.dunksoft.com/message/case-kanda-ai

先日開催した神田藍プロジェクトのオンライン・イベントで、いくつかの偶発性が、会に意外な活気をもたらしたのです。 

 

ひとつは、徳島県から出向で東京に駐在している徳島県庁のIさんが、めずらしくアポイントなしで、ダンクソフトの神田オフィスを訪ねていらしたんですね。思いがけないことでしたが、その時にいろいろと話ができて、イベントにもリアル参加していただくことになりました。 

 もうひとつは、オンライン・イベント当日、徳島県神山町に暮らすSさんのFacebook投稿で、神山町でも藍を育てていることがわかりました。このことで直前にやりとりをして、その流れでお誘いしたところ、徳島からオンラインでイベントに参加してくださったんです。その後、ちょうど神山でも藍の種ができているということで、後日それを送ってもらい、いま徳島から届いた藍の種がこのオフィスにあります。 

 

藍を介して、徳島と神田がつながることをイメージしてはいましたが、こんな風にスピーディに徳島の方たちと関わりを持てたのも、オンライン・イベントだったからこそです。素敵なハプニングが起こり、新しい動きが生まれはじめました。 

 

これまでの、オフライン中心のビジネス・シーンでは、そもそも偶発性はなかなか生まれにくいものだったと感じています。オフラインの打ち合わせや会合などを考えると、予定通りの時間と場所に、予定通りの人数で参加することが通常でした。 

 

ですが、インターネットとオンライン・コミュニケーションの発達によって、偶発的な出来事が、よりひんぱんに起きるようになってきているのでは、と体感しています。 

 

オンラインのセッションの時に、たまたまそのタイミングで出会った人に参加してもらうと会話が活性化する、といった経験のある人は、割に多いのではないでしょうか。あるいは、ふと参加してもらった人から意外なつながりが広がったり、その場にとても良い影響をもたらしてくれたりする。私自身も、何度もこうした経験をしています。 

 

また、これも皆さん経験があると思うのですが、ソーシャル・メディアにしてもチャットやメッセージのやり取りにしても、インターネットでのコミュニケーションの中で、なんだか妙にリズムやタイミングがうまく合うなとか、逆に合わないとか、そういう相性やタイミングってありますよね。距離や時間を超えていくからこそ、インターネットは偶発性が促進されやすいメディアなのだと感じています。  

▎イノベーションを生む「偶発」の力  

従来のビジネスでは、偶発性は嫌われてきたんですよね。PDCAをまわす、といわれるように、まず計画を立てることが大事で、計画通りに実行することがよいことだ、と考えられていました。一方、偶発性をとらえて動いていくと、思いがけない方向へ行きます。計画や予想とは違うことがおこります。ですから、「偶発的なもの」は、きっちり計画した通りに実行することに価値を置く人たちにとっては、避けるべきもの、排除すべきものになってきました。 

 

ですが、これからは「イノベーションの時代」ですから、単に計画したことをきちんと実行するだけでなく、偶然起こることを、適宜うまく取り入れていくこと。そこで起こっていることをちゃんと見て、必要なことは受け入れ、次につなげていくこと。こうしたことが大事になっていきます。これは、私の好きな音楽のジャム・セッションやスポーツにも通じるものがあります。イノベーションとは、こうやって、偶発性を起点に起こっていくものではないでしょうか。 

 

さて、いくつかの実際にあった経験をお話ししました。神田駅の電話ボックスで、置き忘れたテキストに出遭ったことも、あるスタッフが、思いがけず理想を語ったことも、まったく「偶発的なこと」でしたが、それを見落とさず、かつ、否定しなかったことで、その後、次々と物事が展開していったわけです。インターネットがいいのは、こうした面白いハプニングに遭遇しやすい場だからですね。 

 

計画は大事ですが、それだけを絶対化しないこと。むしろこんな風に、偶発的な動きをうまく掴むと、それが後から見れば、イノベーションの起点だった、ということがあるわけです。 

 

これから本格化するイノベーションの時代では、計画一辺倒ではない、偶発性に開かれた姿勢が、ますます大事になっていくと考えています。 

 

40周年 年頭所感:「インターネットに よりよいものをのせていく」


新年あけましておめでとうございます。

2023年の年頭にあたり、ご挨拶申し上げます。


 ▎「インターネットに よりよいものをのせていく」 ─ 明日の”ethics”

 

2023年、ダンクソフトは40周年を迎えます。

ここからの40年を考えると、インターネットを前提としながら、さらに目覚ましい速度でテクノロジーが進化していきます。だからこそ、ダンクソフトが大事にしているテーマが、ますます重要になってきます。

 

それは、

「インターネットによりよいものをのせていく」こと。

 

世界が動乱するいま、2023年は、よりよい社会をつくる方向に転じていかないと意味がないと思っています。そのための鍵が「ethics(エシクス、倫理)」です。よりよい社会に向かうためのethicsについて、ダンクソフトだけでなく、デジタルを使う多くの方たちと共に、このことを考えていく。今年はその “はじまりの年” にしていきます。

 

手始めに、ダンクソフトが重視するethicsは何か。さしあたり3つあげるなら、対話、協働、コ・ラーニング(共同学習)です。 

▎「コ・ラーニング」型のワークチームとコミュニティへ

 

社内に目を転じれば、2022年は40周年に向かう記念の年ということで、数々の部門横断プロジェクトを実施しました。これらを通じて、スタッフたちがめざましく成長したことは、ダンクソフトにとって大きなトピックでした。

 

長らく日本企業は人材育成への投資を行ってきませんでした。そんな中、ダンクソフトでは、2006年に初開催した、年に2回の社内プログラム「DNAセミナー」や、これからの考え方を学びあう講義やワークショップなどを実施。スタッフたちは、そこで得た学びを業務やプロジェクトで実践します。こうして、継続してスタッフたちが自然と育つための環境をつくってきました。

 

また、私たち技術者の特性として、常にあたらしい技術の習得を止めるわけにいかない、ということがあります。

 

ただ、学びつづけなければならないのは、デジタルの分野に限ったことではありません。誰もが、よりよい学びに出会って、自らの行動を変えていく習慣がついていれば、複雑・多様なこの時代でも、先を見透して成果が出せるようになっていきます。

  

しかも、これから直面する課題は、一人では十分に対応しがたい複合的なものになっていきます。ですからチームやコミュニティなど、ネットワーク的に解決していくことになります。その際、日本は資源が限られていますので、あらためて一人ひとりの知識的レベルを上げていかないといけない。要するに重要なのは、学びつづけ、それを活かせる人。もっとみんなで分かったことをシェアして、お互いにレベルアップしていくことが大事です。

 

これからは、年齢も関係ないし、住んでいる場所も関係ない。その意味で、対等に問題解決の場に参加する時代になりました。デジタル・ネイティブとも呼ばれる若い方々のクリエイティビティも存分に活かしながら、コ・ラーニング型のワークチームとコミュニティをつくっていきたいものです。

 

ここで重要なのが、「リバース・メンタリング」の考え方です。年長者が若い人たちに上から知識を教え込む時代は終わりました。これからは、それが逆転して、若い世代から学びとる時代です。彼らを教育するのでありません。むしろ、コ・ラーニングを通じて、お互いに変化していくことを目指していきたいです。それが互いの可能性を引き出し、イノベーションへとつながるからです。 

 ▎「スマートオフィス構想」の目的は、人々を幸せにすること

 

そこで、「スマートオフィス構想」です。日本は課題先進国といわれますが、ということは、日本だけでなく、いずれは世界中が似たような生活課題を抱える状況になっていきます。そのとき若い人たちとともに、そしてデジタルを使って身近な課題を解決していく場が、「スマートオフィス」です。あまり移動しなくても世界中をマーケットにして、高いレベルでビジネスができる流れを生みだせる時代に必要な場です。

 

こうした次代をつくる動きとは対極にあるのが、ロシア・ウクライナ戦争でしょう。2022年は、ロシアのウクライナ侵攻に象徴される、社会的分断と辛らつな戦いの1年でした。2022年の「今年の漢字」に「戦」の字が選ばれたことも記憶に新しいところです。

 

ですが、こうした時代の風潮や雰囲気に引っぱられてはいけない時だと考えています。

 

ビジネスを語るとき、よく戦争のメタファーが好んで使われます。例えば、戦略、戦術、ターゲット(標的)、ロジスティクス、そして領土の奪い合いであるシェア争いなどは、もともと軍事用語からの転用です。勝ち負け2分法を前提とした競争戦略論ではなく、お客様と対話を重ねながら、互いの足りないところを補完しあい、協働型で未来を描ければ、ビジネスはもっと創造的で豊かになるでしょう。「スマートオフィス構想」は、そうした考え方のうえに成り立つものです。

 

ダンクソフトが学童システムで関わっている石垣島からは台湾が見えたり、その先には中国があったりして、色々な船が行き来していますから防衛も大事です。しかし、コミュニケーションを通じて、社会をよりよい方向に向けていくことを誰もが考えないといけない。そのために“Building a Better Internet”、つまり、「インターネットの善用」がとても重要です。 

▎未来を果敢に描きだす企業に

 

今年は、課題をより解決するためのプロダクトやサービスへと、レベルアップしていく年になります。

 

例えば、ウェブARツール「WeARee!(ウィアリー)」や、会員組織運営を助ける「ダンクソフト・バザールバザール」などは、いずれもコミュニティのためのツールです。つまり、新しい関係を結び、既存の関係を豊かにし、相互信頼を深めるためのツールです。

 

2022年後半に開催した、地元・神田藍プロジェクトの感謝祭では、WeARee!(ウィアリー)のスタンプラリー機能を活用してイベントを盛りあげました。今年も、さらに使い勝手がよくなり、コミュニティを支える方向で、開発が進むでしょう。

 

バザールバザールは、今よりもっと参加者同士が対話できるツールとなるよう、開発チームで新機能を検討し、開発を進めています。ここでもお話したことのある、徳島県にある阿南高専と「ACT倶楽部」という連携プロジェクトに取り組んでいますが、バザールバザールを通じて、ずいぶんと活性化しています。2022年には、いよいよ内容が展開して、地域課題の解決事例が成果として出はじめました。



ここでも、参加する学生たち・教員たち・地域企業・その他の関係者たちを結ぶコミュニティ・ツールとして、バザールバザールを採用いただいています。

 

 事例:地域イノベーションを次々と創出する「ACT倶楽部」

 

学童保育の取り組みをサポートする「kintone学童保育サポートシステム」も、昨年「Cybozu Days2022」に出展した際、大盛況でした。開発メンバーたちが、学童システムを必要とする来場者の方々とじっくり話ができたようで、それらがこの後、ソリューションとして反映されるのが楽しみです。

“学童運営が楽になる” ダンクソフトの学童支援システム
https://www.dunksoft.com/kintone/gakudo/ 


また、ウェブチームは、金融機関を長年ご支援しています。近年、「貯蓄から投資へ」という流れが出てくる中、新たに投資を始めてみる生活者が増えたそうです。口座数はコロナ前後で300万件増となっています。

 

デジタル・デバイドの方々や、金融知識が必ずしも豊富ではない生活者も、今後こうした投資関連のサービスを利用することになります。だからこそ、こうしたデジタル分野にこそ、これからは機能する「ethics」が不可欠です。

 

私自身は、今年も総務省の地域情報化アドバイザーを継続します。その関係で、四国、松江をはじめ、全国各地に点在する先見性のある方々と「スマートオフィス構想」の取り組みを進めていきたいと考えています。

 

この他にも、プロダクトごとに、ユーザーの方々と一緒になって「感謝祭(イベント)」を開催する運びです。オンラインや動画もフル活用しながら、ダンクソフトの外の方々とのコミュニケーションを増やすこと、そして、より様々な場面で私たちのプロダクトが活用される1年にしていきます。

 

40周年を迎える2023年は、いま生まれているよい流れを、さらに盛りあげていく1年です。みなさまとの丁寧かつ的確な対話を通じて、ぜひ協働型でプロジェクトを進めていきましょう。10年先、50年先、100年先のよりよい未来を描きながら。

 

ダンクソフト40周年記念特設サイト
https://www.dunksoft.com/40th

物語だけでなく、その“結び目”もつくろう 


2022年最後のコラムとなる今回は、代表取締役 星野晃一郎と取締役 板林淳哉が対談しました。40年の節目に向けて、そしてこの先の50年を見据え、今年1年を振り返ります。

左:ダンクソフト 取締役 板林淳哉   右:ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

▎未来の物語は自分でつくる

 

星野 今年1年を振り返ると、やはり創業40年目を迎える年だったことが大きいですね。板林さんはどんなことが印象に残っていますか。

 

「ダンクソフト40周年」特設サイト
dunksoft.com/40th


ダンクソフトに関わる人々の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story

板林 いろいろありますが、中でも全社で物語づくりをしてきたことです。7月にオープンした「ダンクソフト40周年」の特設サイトでは、何名かのメンバーが先行して、それぞれの物語を公開しています。その後、若いメンバーが中心になって、全員が物語を書くことになりました。ダンクソフトにとって、とてもよいことだと思います。

 

開発チーム 澤口泰丞の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story-sawaguchi

星野 40年目を迎えた節目に、思いがけず、みんなで未来を考えるきっかけになりました。というのも、最初は全社ではなく、有志だけでやろうかと考えていたんですね。ところが、開発チームの澤口さんが「全員に参加してほしい」「人の描いた未来に乗っかるのではなく、一人ひとりが自分で未来を描いてほしい」というようなことを言ってくれたんでしたね。

 

板林 はい、それを受けて、社内でどんどん物語が生まれはじめたのが嬉しいことでしたね。

 

星野 そう、若い世代がどんとボリュームのある、いきいきとした物語を書いてくるんですよね。本当に感心します。

 

ダンクソフトの歴史を、IT 業界や社会の出来事と共にご紹介しています
https://www.dunksoft.com/40th-history

代表取締役 星野晃一郎の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story-hoshino

板林 「40周年特設サイト」のなかにあるヒストリーのコーナーも、星野さんによるヒストリーのコラムも、よかったですね。僕も知らないことばかりで、毎回新鮮でした。

 

星野 コラム公開後に感想を持ちよってダイアログするのが、社内の習慣として定着しましたね。メンバーから「こうして今があるんだな」「ずっとイノベーションしつづけてきたから今があるのだな」「自分たちも学んで、イノベーションが起こせるようにしていきたい」という声が聞けたのも、嬉しいことでした。

  

▎対話次第で高まるチーム力

 

星野 2022年は、対話の機会を引きつづき増やしました。物語を書いたり、対話を重ねたりする中で、一人ひとりが育ってきました。結果、チームとしての力も上がってきました。それを実感する1年でしたね。スタッフそれぞれのコミュニケーションが、とても豊かになっています。他社と比較しても、ダンクソフトでは、スタッフが自分の考えや伝えるべきことを、自分の言葉で相手に届ける力がついてきています。今年はスタッフ一人ひとりの可能性が、さらに花開いた1年だったと言えます。

 

板林 その成果が次々と形になっていく場面が、とくに秋以降に多くありました。KOSEN EXPO 2022(コウセン・エキスポ2022)CybozuDays 2022(サイボウズデイズ 2022)、DNAセミナー収穫祭。要(かなめ)となるさまざまな場で、それをすごく感じました。

 

星野 多くのメンバーたちが、部門を超えて活動に参加していたのはよかったですね。特に、今年春に新卒で入った2人が、目覚ましい活躍をしてくれました。

 

 ▎若手の活躍が光ったKOSEN EXPO 2022

 

星野 KOSEN EXPOは、高専(高等専門学校)と産業界の連携創出を目的としたイベントです。今年は10月24日(月)から28日(金)まで5日間にわたってオンライン開催されました。その中で、ダンクソフトは30分の配信を行い、全国の高専生の皆さんに向けて、「SmartOffice構想」の話をしました。

中心を担ってくれたのが、この春、阿南高専を卒業してダンクソフトに新卒で入った濱口さん・港さんの若者コンビです。そこに徳島オフィスを立ち上げるきっかけとなった竹内さん、インターミディエイターの中川さんが加わって、番組を配信しましたね。いま手がけている、学生と地域企業の連携・協働を促進するプロジェクト「ACT倶楽部」の話からはじまり、地域の若者が活躍する未来を語りました。

 

■ACT倶楽部について
dunksoft.com/message/case-bazzarbazzar-actclub

■コロナ禍のなかオンラインでインターン経験を積んだ港さん
dunksoft.com/message/2020-11

 

板林 つい、この3月まで学生だった2人が、資料作成も含めてとても頑張っていましたね。準備は大変だったはずですが、ハロウィンの仮装をして楽しそうなよいプレゼンテーションになりました。

KOSEN EXPO 2022の様子

星野 ダンクソフトに入社してからまだ約半年です。しかも、4月から週に1度の出社日以外はテレワークで働いています。それでここまで育っているのは、ダンクソフトが培ってきたテレワーク環境の質を象徴していますね。  

▎CybozuDays 2022での大成功

 

星野 11月には、サイボウズのクラウドサービス総合イベント「CybozuDays(サイボウズデイズ)」に出展しました。11月10日(木)から11日(金)にかけて、幕張メッセで3年ぶりのリアル開催でした。ダンクソフトの出展は、1コマの小さなブースでした。パネルは2枚だけ。石垣島の「はなまる学童クラブ」様の取り組み事例を紹介し、とてもシンプルなブースでしたが、大成功をおさめましたね。はなまる学童クラブの松原かいさんには石垣から来ていただき、今回ユーザーの生の声を語っていただいたんです。

 

■事例:「学童保育サポートシステム」が運営を楽に便利に、石垣島の子供たちを笑顔に
dunksoft.com/message/case-hanamaru-kintone

 

板林 こうした展示会では、一般的に言って、サービスを提供している側が、自分たちだけで作ったものを紹介するブースが多いですね。しかし、ダンクソフトのブースはそれと違って、開発者と利用するユーザーさんが、一緒にブースに立っていたんですよね。ですから、学童を運営する現場の悩みや課題をよく聞くことができました。それらを理解しながら、ブースに訪れた方々と学童システムについてお話できたのは貴重です。開発者とユーザーが一緒にブースで来場者に応対するスタイルは、なかなか思いつかないし、思いついても簡単にできることではありません。新しい形で成功した、面白い取り組みだったと思います。

 

星野 サイボウズの営業部長にも注目されて、「ユーザーが話してくれるのがいちばんだと気づきました」と高く評価されたそうですね。  

▎横断的チームが力を発揮した

 

ダンクソフトパートナー 片岡幸人の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story-kataoka

星野 このCybozuDaysも、社内横断的なプロジェクト・チームによって実現したものですね。部門を超えて、入社間もない若いスタッフたちも参加したのがいいことですね。メンバーとしては、学童システム開発者でもあり、プロジェクト担当者の中さんを中心に、kintone開発を担当している片岡さん、大川さん。そこに澤口さん、徳島オフィスのメンバーやウェブチーム、企画チームからも参加し、制作物のデザインやウェブ制作、当日の幕張メッセでのブース対応など、スピード感のある横断的チームが力を発揮しました。

 

■石垣はなまる学童クラブ KINTONE通信「祝!1周年」
dunksoft.com/hanamaru/210528

  

板林 サイボウズさんとの付き合いは10年近くになりますが、以前出展した時にはあまり人が来ず、淋しいブースだったりしたのが、今年は全く新しいスタイルがつくれて、本当によかったです。

 

星野 当日は11時の開場からすぐに人が集まり始めて、ちょっと見たことがないような活況ぶりでしたよ。ただ道行く人にチラシを配るようなやり方じゃなくて、2日で100人以上の方々にしっかり話をすることができたようです。1週間を待たず問い合わせが入って次につながるなど、充実した成果となっています。よい流れができました。

▎近況からはじまるCo-learning:DNAセミナー

 

板林 DNAセミナーは年に2回開催している全社セミナーで、2006年から実施しています。今回もオンラインを併用し、ハイブリット型で開催しました。トピックの発表では、前述の港さん・濱口さんが高専エキスポの体験を話し、ウェブチームのメンバー2名が、松江でのワーケーション体験を共有しました。

 

星野 一人ひとりの近況も面白かったよね。

 

板林 はい。全社テレワークになってからは、雑談もなかなかできないので、DNAセミナーの冒頭に、各自からの5分間近況シェアを取りいれました。それぞれが工夫して面白く話していて、コミュニケーションが豊かになりましたね。チームの関係を深めるよい機会にもなりました。

 

星野 個性というか、それぞれの地域差も面白くて、ダンクソフトに集うメンバーたちはほんとに特色がありますね。前にも増して、多様性をひしひしと感じました。最近ウェブチームに入ったあるメンバーは、周囲にクヌギ林があって、カブトムシを幼虫から育てていると話しながら、実際にカメラごしにカブトムシを見せたりもしていました。

 

板林 3日前から息子を誘ってベースを始めましたと、弾いてみせたメンバーもいましたね。あと、関西メンバーはどうしてもオチをつけたがる(笑)。やはりお笑いの精神が身についているんでしょうか。  

▎一人ひとりの物語づくりと未来志向の結び目づくり

 

板林 DNAセミナーのコアの部分として、物語づくりをしましたね。それぞれが自分とダンクソフトの過去・現在・未来の物語を書く30分のグループワークです。5月のDNAセミナーでは、まだまだ遠慮がちな書きぶりにとどまっていたものが、今回はしっかりと物語の形になってきました。テーマは、ダンクソフトに入る前、入ってからどうなってきたか、そして未来に何をしていきたいか。

 

星野 みんな楽しんで書いてたね。

 

板林 そうですね、他のメンバーの物語を聞くことからの発見も大きかったです。まだまだ未来の部分が書き足りない感じなんですが、それでも聞いているとやはり大きな方向は共有してるんじゃないでしょうか。それぞれが描いた物語をつくりっぱなしにせず、孤立させずに、物語と物語の“結び目”をつくっていくのがポイントですね。それによって互いが連携・協働していくことをイメージしているのですが、今回は未来に結び目ができていく期待が持てました。

 

星野 DNAセミナーは以前から、自ら学ぶこと、そして、お互いから学ぶことを大切にしてきました。では何を学ぶのか。はっきり言えるのは、エンジニアだからといって技術だけ学べばよいわけではありません。より広く、深く、永く生かせる学びを、コ・ラーニングできるといいなと思った時に、物語の力はこれからますます重要になると考えたんですね。というのも、物語を介してコミュニケーションをすることで、互いの理解が深まるんですね。これからは多様なメンバーがチームを組み、ネットワーク的に課題解決をし、需要創造に向かうことで、社会全体がより豊かになっていく。それとともに、ダンクソフトもよりよい未来に向かっていく。ここから50年先の未来を一緒に考えてみる機会。そんなイメージでいます。板林さんはどう思いますか。

 

板林 そうですね、会社の中にこもって、コードを書いてプログラムを作る人だけと話していると、未来から逆算してつくるより、今できることだけに取りくんでしまうというか、小さくまとまった守りの姿勢になって、閉じがちです。でも本当は未来に向かってやりたいことをどうすればできるかを考えたいですね。そして自分がそこにどう関われるかをポジティブに考え、主体的に結び目をつくっていく。このとき、お互いの物語を知ることで、相手と自分の結び目が見えて、一緒にやるきっかけになっていくんですよね。未来の部分がまだみんな書き足りないので、もっと豊かにしていきながら、かつ、たくさんの結び目を見つけていきたいです。

 

星野 そのためにも、「対話」が大事ですよ。

 

神田藍のプロジェクトでも、物語を描くことによって、それまでよく知らなかった近隣の人たちやコミュニティーとのつながりができていったんですね。しかも、話がトントン拍子に進み、プロジェクトが一気に加速しました。分断が進む時代ですが、だからこそ、対話と協働で、一人ひとりの物語を丁寧に重ねていくことが大切ですね。みんなで物語をつくる取り組みは、今後も続いていきます。来年に向けて、ぜひ社外の方々とも、多様な「物語の結び目」をつくっていきたいですね。それが、イノベーションにつながっていきますので。

 

■事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル
dunksoft.com/message/case-kanda-ai

 

HISTORY5:自律・分散・協働型社会への先駆的助走(2010年代) 


ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ。第5回目の今回は、2010年代から現在までをお話しします。2011年の東日本大震災からコロナ禍まで、世界が大きく変化しています。そのなかでダンクソフトの未来への起点を、いくつもつくった転換期です。  

▎流れを変えた、徳島サテライト・オフィス設立 

 

前回の「HISTORY4」では、2000年代を取り上げました。GAFAが急速に世界に展開していった時期です。その一方で、日本のデジタル化は大きく出遅れ、世界から取り残されていきました。思ったように進まない日本の状況に、もどかしさを感じざるを得ませんでした。 

 

そのような中にあっても、まずは自分たちから「理想のインターネット」を実現していこうと、ダンクソフト社内の働き方改革や環境改善を進めていきました。働く一人ひとりの「人間」に注力して、デジタルでどこまでできるかを模索したタイミングです。 

 

これら2000年代の努力やしかけが、いよいよ顕在化してきたのが2010年代です。この時期、ダンクソフトは、時代に先駆けてサテライト・オフィスやテレワークの実証実験を、日本各地でスタートします。ペーパーレス、自由度の高い働き方など、ダンクソフト文化の先進性が高く評価されはじめ、大きな潮流が生まれていきました。 

 

中でもダンクソフトにとって大きな転機となったのは、やはり徳島にサテライト・オフィスをかまえたことでした。徳島以前と以後では、組織も文化も変わりました。それほどに影響力のある出来事でした。 

  

▎自分たちが「進んでいる」と気づき始めた 

 

2009年、ダンクソフトは「中央区ワーク・ライフ・バランス推進企業」認定制度の、第1回認定企業に選ばれました。翌2010年には、中央区に続いて、東京都産業労働局が合計10社程度選定する「東京ワーク・ライフ・バランス認定企業」にも選ばれます。こうした受賞をきっかけに、自分たちの働き方が、世の中より進んでいることに気づき始めたのが、2009年頃でした。 

 

また、2010年には、経済産業省が主催する「中小企業IT経営力大賞」も受賞しています。この頃、ダンクソフトはすでにペーパーレスをほぼ実現していました。紙のない会議や、複写機のないオフィスを、多くの企業や行政が視察に訪れました。皆さんずいぶん驚かれたのですが、自分たちにとってはもう当然のことになっていたので、驚かれることに私たち自身が驚いていたものです。ただ、この現象は、10年以上たった今でも、続いています。 

 

ダンクソフトの受賞歴はこちら
https://www.dunksoft.com/award

実際には当時、ワーク・ライフ・バランスを推進する企業はまだまだ少なく、特に中小企業では「そんなことをしていたら会社がつぶれる」という考え方の経営者が多かったのです。ペーパーレスも、世の中ではまだ夢のような話でした。景気も調子のいい時期でした。 

 

こうした流れのなかで、3.11が起こりました。これは大きな衝撃でした。  

▎アフター3.11、新たなパラダイムの中で 

 

2011年3月の東日本大震災で、世の中のパラダイムは大きく変わりました。震災と原発事故によって、それまであたりまえだった「日常」が足元から崩れました。仕事をする意味を考え始める人も出てきました。人は自然にあらがえない。あの事象をまのあたりにして、あらためてそう気づき、価値観を変えていこうとする人も多くいました。 

 

私たちも、BCP(事業継続計画)の観点から、震災後に徳島に行くことになり、ものの見方がまったく変わりました。それまで山手線の内側だけが商圏だったものが、一気に視野が広がったのです。 

マイクロソフトの事例紹介で、ダンクソフト星野が東日本大震災当時の考えを語っています。

  

▎新たな希望と可能性:「デジタルを活用すれば、できる」 

 

少子化、首都圏一極集中、地方の衰退、過疎化、消滅集落、少子高齢化。地方には仕事がなく、一方で都会では技術者不足の未来が目に見えており、日本の課題は深刻化するばかりです。地球規模で見ても、気候変動、森や海などの環境破壊、戦争や紛争、エネルギーや食料の枯渇など、課題が山積みです。社会全体が行き詰まって、このままでは無理なことは明らかでした。 

 

当時、世間では「打つ手がない」という論調がほとんどでした。ですが、私たちにはそれとは違う可能性が見えていました。 

 

それは、 

「デジタルを活用すれば、できる」ということでした。   

▎NHKで全国に衝撃をもたらした徳島の情景 

 

2011年9月、徳島県神山町で、県内の地域団体と連携して、サテライト・オフィスの実証実験をしました。地域団体と連携したのは、ヨソ者だけでやるのではなく、地元の方たちと一緒にやることが大切だと考えていたからです。 

 

それでも、最初は東京の会社がマーケットを広げに来たと誤解され、「黒船」と呼ばれたりもしました。だからこそ、丁寧に「対話の場」を設けることを決め、地道に丁寧なコミュニケーションを重ねるなかで、次第次第に地域との関係を深めていくことができたんですね。 

 

さて、このときの取り組みをNHKが取材に来ていたんです。10月に徳島放送局で、12月にはNHK総合テレビ「ニュースウオッチ」で紹介されました。放映された情景は、川の中でPCを使って仕事をしている人の姿。この映像は観る人に強烈なインパクトがあったようですね。 

 

その後、「あの映像を観ましたよ」という人たちに、いったい何十人あったかわかりません。目にした方々に、新しい未来や希望を直感させる光景だったのでしょう。これが全国に流れました。この映像を観た人たちの中で、デジタル化への意識が芽生える転換点となったことは間違いありません。   

▎何も諦めなくていい 

 

こうした一連の流れから、ダンクソフトでは、徳島市内にサテライト・オフィスを開設することになります。きっかけは、ひとりの働きかけです。「地元・徳島を離れず、自分の持てる力を活かして、ダンクソフトで働きたい」とプロアクティブに行動した、ひとりの人間がいたことで、徳島にオフィスが生まれたのです。彼はエンジニアであり、夫であり、父であり、生まれ育った徳島での生活を望む徳島市民でした。 

 

ダンクソフト 竹内祐介の「物語」はこちら
https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi

これが当社の竹内さんなのですが、当時の状況では、彼が望むワーク・スタイルをかなえる道がありませんでした。エンジニアとしての仕事は、徳島県内にはほとんどなかったのが実情です。徳島で暮らし続けるには、「何かを諦めなくてはいけない」。この切実な発言を聞き、そんなナンセンスな話はないと考え、竹内さんをスタッフに迎えいれ、徳島に拠点をつくりました。それから10年、何も諦めなくてよい環境で、彼は開発チームのマネジャーとして活躍しています。 

  

▎事情や課題は一人ひとりちがう 

 

これに先立って、2010年には、育休から復帰したスタッフがダンクソフト初のテレワーカーとして、仕事を再開する場面もありました。彼らのような人たちがいることで、ダンクソフトにはそれ以降、より多様で、優秀な方たちが集まってくるようになりました。 

 

私が、がむしゃらに働いた80年代90年代を経て、フランスでの体験をきっかけに無茶な働き方に疑問をもつようになったことは「HISTORY3」で話したとおりです。 

 

事情や課題はスタッフごとにちがいます。それを丹念に聞いて課題解決し、事例化していくことは、企業としての蓄積になります。もちろん、後に続く人にとっても、これからの若者の未来にとっても望ましいことです。 

 

今では、様々な地域にいながら、子育てをしながら、介護をしながら、あるいは海外から、優秀な人たちが多様なスタイルで働くダンクソフトになっています。   

▎「インターミディエイター」という概念に出遭って見えた未来 

 

2013年、もうひとつの大切な出来事がありました。それは「インターミディエイター」という概念に出遭ったことです。 

 

それまで手探りしながら、あるいはポール・フルキエの『哲学講義』、中国との縁がきっかけで読んだ孔子の『論語』、荘子の『荘子』などに学びながら、自分なりに考えてきたことが、ここで明確に言語化されました。このフィロソフィーが入ってきて、勇気づけられて、ほっとして前を向けるところがありました。 

 

また、一般的にいわれる「マーケット」という概念をリセットできたことも大きかったですね。お金のやりとりをするだけがマーケットではない。マーケットとは本来、人と人が集まって交流する場であり、対話の場であって、経済的な取引はその一部で起きているにすぎません。 

 

震災の直前に始めた生放送のラジオ番組を「ツイッター市(いち)」と名づけたのは、まさにそうしたマーケット本来のイメージを「市」に託したものでした。多様な人々が集まり、交流し、対話を行うこと、つまり、場における相互作用が、市でのイノベーションを生み出します。この考え方は、後にソリューションとして開発した「ダンクソフト・バザールバザール」(2016年)の名前にも、継承されています。 

 

ダンクソフトにかかわる人たちが考える「未来の物語」を紹介しています。https://www.dunksoft.com/40th-story

最近も、どうして先んじて未来を実現できるのかと、ご質問いただきました。「インターミディエイター」のマインドセットのひとつに、未来の物語を描く“ナラティブ・ケイパビリティ”というものがあります。未来を構想し、物語化することで、連携・協働がしやすくなって、構想の実現がはやくなるわけです。物語を未来にむけて実践し具現化していくことによって、ダンクソフトではここのところ、様々な新しい動きがここそこに生まれています。   

▎いつまでファックスを使い続けるのか? 

 

一方、社会の動きとしては、2014年に、まち・ひと・しごと創生「長期ビジョン」「総合戦略」が閣議決定されています。ようやくというか、今ごろというか、世の中の変化というのは、私たちの思うようなスピードでは進んでくれないものです。 

 

働き方改革、テレワーク推進、ペーパーレスも同様です。これだけ「DX」(デジタル・トランスフォーメーション)と言われながら、まだファックスを全廃できていない状況を一刻も早く何とかしなければ、子どもたちの世代に負の遺産を遺してしまいます。   

▎オープンでフラットなインターネット社会をつくるために 

 

問題は他にもあります。インターネットがここまで広がると、怪しいサービスや広告モデルに席巻されてしまい、今や、インターネットの安心・安全・セキュリティは、ますます重要な課題になりました。 

 

以前からお伝えしてきた通り、インターネットは便利ですが、パーフェクトなツールではありません。国家をまたいで情報が行き交うサイバー・スペースには、警察がいません。フェイクニュース問題はもちろん、世界では子どもの誘拐など実害も多発しています。情報格差・学習格差も深刻な課題です。 

 

ですから、これからますます重要になるのは、「インターネットに “よりよいもの” をのせていく」ことです。ダンクソフトは、これを掲げながら、よりオープンでフラットな、健全なインターネット社会をつくっていけるよう、努力を続けていきたいと考えています。   

▎「リバース・メンタリング」の時代へ 

 

今後のカギは「リバース・メンタリング」です。年長者が若い人たちに上から知識を教え込む時代は終わりました。これからは、それが逆転して、むしろ若い世代に学ぶ時代、そして、ともに学びあうCo-learningの時代です。特に、デジタル分野についてはそれが顕著です。 

 

日本にもデジタル・ネイティブ世代が育っています。AIでトレーニングを積んでいる将棋の藤井聡太さんもそうですし、若いテニス・プレーヤーは、ゲームを通じてフェデラーやナダルのプレイを体験し、経験値を積んでいます。ダンクソフト新入社員の港さんは、家庭のデジタル大臣として、年長者たちをサポートしながら家庭内デジタル・デバイドを解消しているようです。 

 

また、ゲーム世代は、オンライン・ゲームなどで、国境を越えて協働することの愉しさや効果を、身をもって知っています。従来の考え方に縛られている大人よりもずっと、これからの新しい発想やリテラシーを身に着けています。さらに急激に進化していくデジタルやインターネットは、チームで学ぶ習慣が求められて、Co-learning 自体が組織文化に必須になる、と考えています。こういうことを、かえって大人たちは知りません。「またゲームか」と眉をひそめているあいだに、彼らはやってくる未来に積極的に適応しているのです。 

 

ここからさらにデジタル技術は進歩していきます。Co-learning を通じて新しい世代の得意なデジタルと、大人たちの経験や知恵とを交換していくことが、イノベーションを起こしていくと確信しています。なにしろイノベーションとは異質なものの関わりから生まれるのですから。彼らを教育するのではなく、ともに学び合って、エンパワリングし、力になっていけるか。私たちがこれをできるかどうかで、身のまわりも、日本人の未来も変わってくることでしょう。 

ダンクソフト 星野晃一郎の「物語」はこちら
https://www.dunksoft.com/40th-story-hoshino


CROSS TALK:ダンクの対話するエンジニアたち 


今回は、ダンクソフトの開発方針についてお話しします。お客様との持続的な対話があるからこそ、つねに先んじて変化に対応した提案が可能になります。こうしたダンクソフトのフレキシブルな開発アプローチと、まだ業界でもめずらしい“対話するエンジニア”たちの姿勢を感じていただければと思います。   

▎ずっと前からアジャイルだった 

 

星野晃一郎

星野 ダンクソフトのシステム開発は進め方が他とは違います。よく「業界のやり方にとらわれない会社」と言われてきました。今でいうアジャイル開発的なアプローチを、昔からずっと追及していたからでしょう。アジャイル開発の概念自体は、21世紀に入って生まれたものです。今でこそ、言葉も手法も市民権を得ていますが、当時はまったく馴染みがありませんでした。 

 

竹内 そうですね、少し解説すると、アジャイル開発の「アジャイル」とは、直訳では「速い、機敏、俊敏」という意味です。文字通り、開発スピードをあげて、素速く提供します。そして、設計、実装、展開を速いサイクルで何度も繰り返しながら、より発見的にすすめていくアプローチです。予め決まったゴールに向かっていって、つどつど変更できないのではなく、むしろ、予想もしなかった結果を生みだすこともできます。サービスインまでが速いことに加え、状況の変化に応じて柔軟に対応できるのが長所です。  

一方、従来型のウォーターフォール開発では、最初にゴールを明確に設定します。まず見積りと設計書を用意。その後、仕様書に従って、決まった各工程を順々に進めていきます。柔軟性には欠けますが、最初に全体像が決まるわかりやすさはあります。 

 

星野 ダンクソフトは昔から、お客様との丁寧な対話と柔軟な変化対応を大切にしてきました。対話を重ねながら、相互的に開発を進める中で、最初に想定していたゴールよりも、もっといいゴールに到達できます。そういう発見的でアジャイルな開発姿勢でずっとやってきました。技術の進化が速い業界ですから、言語や手法やサービスなど、ツールはどんどん進化します。ですが、開発ポリシーの根本は変っていません。そこに多様な経験と高い技術を持つポリバレントなエンジニアが加わって、より盤石の体制となっているのが、現在のダンクソフトなんですね。 

 

よく対話型だと時間がかかりませんかと訊かれますが、対話的であることと、アジャイル型であることは矛盾しません。むしろ、環境変化が速いですから、お客様とたえず情報をやりとりできる関係のほうがいいわけですよ。ちなみに、“対話するエンジニア”というのは、業界ではめずらしいスタイルです。 

 

※ポリバレントとは 

https://www.dunksoft.com/recruit#philosophy 

▎バラエティ豊かな背景のエンジニアたち 

 

星野 今回は、私を含めて、4人のエンジニアが参加していますが、いずれも、経歴も性格も本当に多様で個性的です。バラエティ豊かなんです。それぞれ異なる知見と経験を持つエンジニアたちがチームで協働することは、お互い刺激になりますし、ダンクソフト全体の技術が高まります。価値観も、ずいぶん多様になりました。対話する文化の浸透と相まって、次第に相乗効果を発揮し、いいダンクソフト文化を形成しています。せっかくなので、自己紹介をしてみましょうか。 

 

竹内祐介の「未来の物語」https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi

竹内 ダンクソフトに参加する前は、私は地元徳島で、ジャストシステム社にいました。約10年にわたり、エンタープライズ向けソリューションや日本語入力システムの開発等に携わっていました。ダンクソフトでは、企業向けシステムや「バザールバザール」等の開発を担当しています。 

 

大川慶一

大川 私は栃木在住ですが、前職は県外の会社で、制御系のシステム開発をしていました。秘匿性の高いソース・コードを扱っていましたので、情報管理に厳しい、かなりクローズドな職場でした。オープンソースやテレワークの対極ともいえる環境でしたね。 

 

ダンクソフトに転職して以降は、地元栃木からの完全テレワークです。サイボウズ社のkintoneなどプログラミングだけでなく、Microsoft社製品やウェブサイト制作のサポートも行っています。 

 

片岡幸人の「未来の物語」https://www.dunksoft.com/40th-story-kataoka 

片岡 大学は文系学部を卒業しました。キーボードも満足に打てないのに、システムエンジニアという響きのかっこよさから、思い立って名古屋のIT企業に入社。エンジニアの道に入りました。やがて地元の高知にUターンし、教育委員会で5年間本業の一般的な事務作業などをこなしながら、平行してさまざまなIT関連業務に携わりました。その間、デジタルで効率化して得られた時間を活かして、教育委員会内で新しいことを提案したり、高知大学の大学院に進んで、学び直したりもしました。その後、教育委員会を退職、ベンチャー企業への参加を経て独立しまして、現在はパートナーとしてダンクソフトのプロジェクトに参加しています。 

▎肌で感じていた、ウォーターフォール型の限界 

 

星野 私たちが今でいうアジャイル型開発を独自に手探りで実践していた時代から、いよいよ本格的にアジャイル開発の手法を取り入れていくことになったのが、2015年です。「バザールバザール」の開発に乗り出した時でした。 

 

竹内 まずはセオリー通りの方法を忠実に取り入れてみようと考えて、アジャイル開発の具体的な手法の1つであるスクラム開発を採用しました。 

 

星野 片岡さんがジョインしたのが、ちょうどこのタイミングでしたね。 

 

片岡幸人

片岡 はい。当時私はアジャイル開発にいくつかの疑問をもっていました。というのも、名古屋のIT企業時代の頃から顕著でしたが、まず見積が重要になるケースがやはり多いですね。最初に予算と全体像を決めてスタートする進め方が、どうしても打破できない。こういうクライアントに対して、アジャイル開発の手法は使えないと思い込んでいたんです。 

 

でも、実際のところ、うまくいっていないプロジェクトを見ると、失敗の原因はだいたいの場合、クライアントとのコミュニケーション不足です。早い段階でコンセンサスがとれていないことがトラブルの原因となっていることがほとんどなんですよ。回避するためには、少しでも早くモックアップを見せ、イメージを共有しながら進めていくこと。勝手に一気につくりすぎない。それって、結局はアジャイルなんですよね。  

▎互いに変化していく“顧問型プロジェクト” 

 

「大田・花とみどりのまちづくり」様を紹介したコラム、『「人を幸せにするシステム・デザイン」をIMAGINEする』 
https://www.dunksoft.com/message/2022-03 

星野 ダンクソフトでは“顧問型プロジェクト”と呼んでいるものがあります。お客様との対話を重視し、連携しながら開発と刷新を繰り返していく進め方を言います。例えば、大川さんが担当したNPO法人「大田・花とみどりのまちづくり」様のプロジェクトは、その好例のひとつとして、以前、コラムでも紹介しました。 

 

大川 私も、前職では完全にウォーターフォール型でした。ダンクソフトに入って初めて目の当たりにした“顧問型プロジェクト”の進め方は、とても新鮮で魅力的でした。大田・花とみどりのまちづくり様のプロジェクトでは、月1回の定例ミーティングを重ねるなかで、お客様が次第に自律的になっていって、自分たちの手でデジタルにチャレンジしていかれる姿に感動しました。 

 

星野 そこは大川さんの持ち味も大きいですよね。エンジニアでありながら、パソコン初心者にもわかりやすい、やわらかい言葉でデジタルを説明してくれます。なにより、お客様と丁寧に対話を重ねていますよね。それによってお客様が一緒になって変わっていく様子が見られます。お互いに学びあって、自律的に育つ環境が生まれたのはなかなか誇らしいことです。  

▎リバース・メンタリングは、開かれた社会の入り口 

 

星野 先ほどのケースはご高齢の方々が運営する団体で、大川さんという孫ほどのエンジニアとCo-learningの関係(互いに学びあう関係)ができました。こんなふうに、うんと若い人からデジタルを学ぶ時代が、もうそこまで来ています。これを「リバース・メンタリング」と言います。その動きは、今後間違いなく加速していくでしょうね。 

 

片岡 そうですね、子どもはどんどん進化します。私の子供も、スマホで話しながらチームを組んで、PCのオンライン・ゲームをやりながら、TVのYouTubeで攻略動画を流し、マルチタスクでデジタルを使いこなしています。順応力が高いんですよ。けれども、まだまだ学校の尺度では、子供のデジタル活用は悪とされることも多いんです。大人がそれを邪魔することのない社会をつくっておかないといけません。 

 

竹内 日本のデジタル化がまだまだだ、ということを星野さんもよく話していますが、日本は、多様性への許容も、ずっと乏しかったのだと思います。世界のなかでもずば抜けて変化が好きでない性分。新しいシステムにのりかえる、そうしたイノベーション・コストを受け入れるのが苦手な人たちというか。そのような考え方は変えていかなければ、と思いますね。 

 

大川 想起されるのは、台湾のコロナ対策の機敏さです。2020年に、IT担当大臣のオードリー・タンが、広く国民の意見をききながらシステムをつくり、広く人々が参加できる場をつくりました。何かと囲い込んで、クローズド環境でプロジェクトをすすめる日本とは、あまりに対照的です。すべてがオープンソース化されている状態がいちばん幸せだと考えています。そういう社会をめざしたいですね。  

▎人々の善さが引き出されるインターネット空間とは 

 

星野 いかにソーシャル・キャピタルを高めて、コミュニティを活性化していくか。これが今、とても重要だと考えています。そのためのコミュニケーション環境を充実させることは、デジタルの大切な役割のひとつです。そこでダンクソフトでは、このことを念頭に、現在、「バザールバザール」のバージョン・アップを進めています。 

 

竹内 もともとバザールバザールは安心・安全な場を提供することを理念としてきました。これに加えて、人の善さが自然と引き出される、いわば性善説が機能する雰囲気・空間にバージョン・アップしていきたいと考えています。 

 

竹内祐介

やらないと決めていることは、既存のSNSとの比較や競争ですね。逆に、ぜひ取り入れたい機能としては、「インターミディエイター」の特徴をバザールバザールに積極的にフィードバックしていくことです。インターミディエイターとは、人と人のあいだを上手に結んで、対話と協働を促進する役割です。 

 

バザールバザールを使うと、さらに対話が活性化されるものにしていきたいと検討しています。具体的には、お互いが大事にしている未来志向の物語を関連づけたり、その結果、参加者(ユーザー)の積極的な参加・関与をうながしたり、使えば使うほど、使う方の可能性が引き出されたりといったあたりを実現したいですね。 

 

また、アジャイルっぽい考え方なのですが、つくり手が使い方を決めすぎない、遊びを持たせた場にしようとも、考えています。私たちが思いもよらなかったような使い方をしてもらえると嬉しいです。  

▎デジタル化で、より楽に仕事ができる環境を 

 

星野 ダイアログが活発になるというのは期待がかかりますね。ダンクソフト・バザールバザールは、コミュニティを形成していくうえでますます重要なツールとなっていきます。実際、阿南工業高等専門学校のACT倶楽部で採用いただき、そこから他の高等専門学校へも、バザールバザールの輪が広がっています。 

 

ダンクソフトの“さきがけ文化”を体験するインターンシップ 
https://www.dunksoft.com/message/2021-10   

事例:学生・教員・企業による対話と協働をデジタル・ツールで支え、地域イノベーションを次々と創出する高専の未来 
https://www.dunksoft.com/message/case-bazzarbazzar-actclub    

「テレワーク」をテーマに阿南高専で特別講義を実施 
https://www.dunksoft.com/news/2019/9/11    

高専×産業界 KOSEN EXPO 2022 
https://expo2022.kosen-k.go.jp/   

星野 一方で、社会全体を見ると、デジタル化がまだまだ、という印象です。河野太郎さんがデジタル大臣に戻ってきましたが、一昨年の3月、河野さんにオンライン上でFAXをやめることを進言しました。しかし、実際にはなかなか減りません。 

 

時々思い出すのが、以前、萩の立明木(あきらぎ)中学で授業をして、先端を示したときのことです。子どもたちは感激して喜んでくれました。あの子たちが大人になって就職し、会社でFAXを使うという未来は避けたい。また、デジタル化の名目で複合機を普及させる会社が多いですが、それではペーパーレスは進みません。 

 

こんな状況がまだまだ多いのですが、私たちはデジタル・デバイドの解消とスマートオフィス構想を着々と進めています。そのかなめになるのは、こうした“対話するエンジニア”たちです。ますますデジタル化を進めて、より楽に仕事ができる環境を、ぜひ多くの方々に整えていただきたいですね。 

 

HISTORY4:ヨコをみず、未来を見てきた(2000年代)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ第4回目。2000年代をとりあげます。21世紀に入り、IT業界の動きが社会全体の潮目をつくりはじめました。ダンクソフトも、現在につながるさまざまな変革や転機を経験していきます。  

▎GAFAの萌芽と、日本のガラパゴス化 

 

前回の「HISTORY3」では、インターネットが登場しはじめた90年代後半のエピソードをお話ししました。Windowsが95から98へと大躍進し、AppleからはiMacが登場してV字回復。一方、ダンクソフトでは、私がインターネットに感じた可能性をいち早く実験し、フランスへの旅で未来への確信をつかんだ時期でした。働き方を変えていく方向も、その中で見えてきました。 

 

今回は、2000年代です。Google、Amazon、Facebook、そしてTwitterなどの新興企業が次々と登場し、EコマースとSNSが急激に伸張しました。ですが、日本ではいくつかのハードルのために、インターネットと基幹システムの接続がうまく進みませんでした。私の感覚では、インターネット化への動きがぱたっと止まってしまった。むしろ後退して世界から日本が取り残されてしまった時代でもありました。 

 

何がハードルとなっていたのか。その中で、ダンクソフトは何をしていったのか、2000年代の葛藤と挑戦をお話ししてみようと思います。 

 

HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半) 

https://www.dunksoft.com/message/2022-05  

 

▎大きく出遅れていた日本 

 

2000年9月、Googleが日本語による検索サービスを開始。同11月、Amazonが日本でのサービスをスタート。2001年1月には英語版Wikipediaが初めて公開されるなど、世界はいよいよインターネット時代かと思われました。実際、日本の企業でも電子メールはいち早く広まりましたし、パソコンもようやく1人1台時代になってきていました。しかし、そうした表面的なインターネットの普及とはうらはらに、システムの根幹のところでは、日本は実は大きく出遅れていたのです。 

 

欧米では、インターネットの普及に先立ち、MS-DOS時代にすでにネットウェアやネットワーク・システムによるファイル・サーバーが広く浸透していました。つまり、これは、社内LANが普及して、同僚たちとファイル共有が社内で行える状態です。その後でインターネットが入ってきたため、情報が保存される基幹システムが社内にまずきちんとあり、その上でインターネットを介して外部とつながるという、あるべき順序で展開されました。 

  

▎日本のデジタル化を阻んだ3つの理由 

 

しかし、日本は違いました。日本が出遅れたのには、3つの理由がありました。 

 

ひとつ。日本では、まだLAN環境さえ十分に整わないうちに、インターネットが来てしまったことです。そのため、基幹システムでデータベースをしっかり構築することをしないまま、それとは別のところで、インターネット上で動的に情報を動かす試みが始まってしまいます。 

 

これにより、多くのECサイトは基幹システムと連携できず、ECサイトで集めた情報を社内データベースに改めて入力しなおすなど、情報が二重化していたのです。企業やビジネスの情報の持ち方としては、良い状態ではありませんでした。 

 

2つ目の理由は、ネットワーク回線が遅く、速度がまったく足りなかったこと。できなかったというより、古いサービスを優先して、キャリアが普及させたくなかったのではないかと思っていますが、その後、ソフトバンクBBが登場してADSLを日本中に配ることで、高速インターネットが普及します。それまで、日本のネットワーク環境は大変もどかしいものでした。 

 

3つ目として、日本語という言語特有の課題がありました。27文字のアルファベットで完結する英語に対して、日本語はひらがな・カタカナ、それぞれの全角と半角、さらに膨大な数の漢字があります。これらを処理するジャストシステムのフロントエンド・プロセッサは画期的な発明でした。同時に、システムにとっては大変負荷のかかるものでもあり、文字通り“PCの重荷”となっていました。日本語をのせると使い物にならない。そこでダンクソフトでは、ネットウェアは英語版、ATOKは明朝体以外のフォントをはずし、必要最低限にスリム化してシステムを動かすというアクロバティックな方法で、この課題をクリアしていました。 

  

▎自分たちが「理想のインターネット」を実現していく 

 

こうした複数のハードルのために、もっと画期的に進んでいくと考えていたデジタル化が、日本では思ったように進みませんでした。それどころか、むしろ後退して、世界から取り残されて止まってしまった感じがありました。それが2000年代の日本のIT事情で、当時感じていた歯がゆさでした。 

 

それでもダンクソフトは、「インターネットの理想」を追求していきます。データベースが得意なことと、いち早くインターネットの可能性を試していたことが、功を奏しました。既存の社内データベースとEコマース・サイトを連携するプロジェクトへの要請が増加していきます。アメリカの大手スピーカー・ブランドも、当時のクライアントのひとつでした。 

 

また、予測したように世の中のデジタル化が進まないならと、むしろ自社内の環境改善に力を注ぎ始めました。デジタルで実現したいこと、未来のあるべき姿を自分たちで実践していき、「ほら、こういうことだよ」と周囲に見せられるようにしようと、動き始めます。  

 

▎何よりも「人間」に注力した 

 

根底にあったのは、会社がより良くなっていくためには、会社の体質を変え、働きやすい環境をつくることだ、という思いでした。そうすることで、スタッフがモチベーションをもって働けるようになるだろう、と考えたんですね。そうした先にしか未来はないという確信がありました。 

 

就業規則を創業以来はじめて変更したのが、この時期です。女性スタッフが抱える出産・子育ての課題を中心に、働きやすい環境を自分たちで積極的にデザインしました。例えば、就業規則をスタッフ自らが作成したのは、その典型例です。驚くほど効果がありました。自分たちでつくったルールですから、スタッフたちが内容をよく覚えているんです。普通は誰も関心がないんですが、就業規則なんて。このタイミングで人事評価制度も新たにつくりました。数値的に見えやすい結果を評価するだけでなく、一人ひとりの行動を丁寧に評価し、プロセスを評価してきました。今では、スタッフの評価をめぐって、もっとじっくり対話するようになっています。 

 

その後も、社内コミュニケーションの機会を増やし、2006年には初の「DNAセミナー」を開催しました。以来、年に1、2回は全社員が集うCo-learningの場を用意しています。2022年6月に内閣が提示した新政策の中に、「人材への投資」が重点テーマとして入りました。この背景には、実は世界各国と比較して、日本企業は人材への投資をしてこなかったという事実があります。こうした中、継続的にスタッフが互いに育っていく環境づくりをしてきたことは、誇らしい取り組みだと考えています。 

  

▎『哲学講義』から受けた刺激 

 

当時も今も、私がイメージしているのは、ヨーロッパの働き方です。1998年のフランス滞在で、彼らの働き方や休暇の取り方をじかに見る機会がありました。 

 

また、当時プロジェクトで連携した法政大学教授から紹介された書籍からの学びも、大事なモチーフになっています。 

 

これは、ポール・フルキエの書いた『哲学講義』という本なのですが、フランスのリセ(高等学校)で、哲学の代表的な教科書になっている分厚いテキストです。その中に、フランスの労働社会学者ジョルジュ・フリードマンによる一節があります。 

 

「未来の問題は労働ではなく、逆説的ではあるが、余暇の問題となろう」 

 

つまり、働く人にとって、余暇は本来、人間性の発達と倫理的進歩の時間となるべきもの。しかしそれは反対に、堕落と倫理的無秩序の機会にもなりうる。これをどう防ぐかが問題だ、というのです。 

 

ここには余暇の生かし方の問題があるわけですが、余暇を人間性の発達につなげるには、人は学び続けることが大事でしょうね。こうしてクリエイティビティも発揮していくことができるのだと考えています。 

 

私自身、時代時代で必要な本を読み、話に耳を傾け、かつ実践しながら、新しいはじまりをつくってきました。ダンクソフトには、「時間は人生のために」というモットーがあるのですが、これは、この頃に生まれました。フルキエの『哲学講義』もそうですし、中国との縁がきっかけで読んだ孔子の『論語』、荘子の『荘子』も好きです。本は時代を超えて人に出会えるので素晴らしいと思います。 

  

▎初のMicrosoftアワード受賞 

 

2000年代後半のハイライトのひとつは、初めてMicrosoftからアワードを受賞したことです。 

 

2006年にアメリカでDynamics CRMというデータベース・ソフトが発売されました。日本支社のダレン・ヒューストン社長(当時)に相談をすると、本社の担当者を紹介してくれました。すぐにシアトルまで会いに行きました。 

 

話をしてみると、Dynamics CRMでダンクソフトの実現したいことが表現できることを確信、その年の後半から、開発をスタートしました。 

 

結果、2007年には、Microsoftのパートナー・プログラムで実績を評価され、パートナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。パートナー企業の数は、日本だけでも万を超えますが、ゴールド・パートナーは数えるほどしかありません。しかも、ゴールドの中では一番小さな規模の会社だったので、嬉しく光栄なことでした。 

  

▎「SmartOffice構想」の兆しは2000年代に 

 

ここから、ダンクソフトはさらに加速します。 

 

翌年の2008年には、クラウドサービスの導入・運用支援の提供を開始。伊豆高原でサテライト・オフィスの実証実験にも挑戦します。これについて、40周年を機に、詳しい物語を書いてみました。よろしかったらご覧ください。 

 

そして、ダンクソフトで最初のテレワーカーが誕生するのが2010年4月。今にして思えば、現在かかげる「SmartOffice構想」の布石ともいえる動きが、2000年代には始まっていたのでした。 

 

2010年に入ると、テレワークやサテライト・オフィスを本格稼働させます。「インターネットに よりよいものをのせていく」という現在の流れに向かって、インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)に着手した時期です。この2010年代については、また次の機会にお話ししようと思います。 

 

SmartOffice Adventure ─ ぼくらは人がやらないことをやる ─ 

https://www.dunksoft.com/40th-story-hoshino

 

 

経営者対談:Unlimited Florist ─ デジタルと手仕事の美徳は引き立てあえる ─


今回のコラムは、株式会社ユーアイ 取締役社長の藤吉恒雄さんがゲストです。大変活躍されている日本を代表するフローリストです。グランドハイアット東京やハイアット・リージェンシー京都、HOTEL THE MITSUI KYOTOの装花デザインなどを手がけていらっしゃいます。コロナ禍を経験して見えてきた課題、今後のビジネスの展望や、「デジタル」がもたらす未来について、対話しました。  

株式会社ユーアイ 取締役社長 藤吉恒雄 

株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎


▎80年代、「やはりあのシステムがほしい」と転職先にも導入 

 

星野 ダンクソフトは、この7月から40期目に入りました。藤吉さんとの関わりは、もう40年近くになります。最もおつきあいの長いクライアントのお一人です。 

 

藤吉 きっかけは知人の紹介でしたね。当時勤めていた結婚式場で、花の仕入れ管理に苦労していたときでした。週末には20〜30件の結婚式が行われるわけですが、それらすべてを手作業で集計していたんです。限界を感じ、システム開発を依頼しました。それがとても使いやすく便利で、その後、今の会社に移った時にも「やはりあのシステムがほしい」となりました。結果、移籍先にも同様のシステムを改めて導入していただいたのです。 

 

星野 お仕事の特徴として、一般的な販売管理とは、時間のスパンが違いますね。今日明日の出来事ではなく、結婚式は、来年、再来年という“未来”のデータを扱います。顧客も、ご両家だったりするので一人ではありません。仕入れも独特です。要素がことごとく他の業界と異なるので、一般的な販売管理システムでは何ひとつ合いませんでした。それがまるごと表現できるように開発する必要がありました。 

 

当時はそれを特殊だと感じていましたが、その後、多くの業界に触れる中で、実は他の分野でも必要とされていたことだとわかりました。私たちもよい勉強をさせていただいたと感謝しています。 

 

藤吉 いつもひょっこり事務所にやってきて、ちょちょっと仕事をしてリュックを背負って帰っていく。当時の星野さんの後ろ姿が印象に残っています。 

 

星野 最初の開発時は、まだまだパソコンも黎明期で、使わなくなった中古パソコンをお貸しして使ってもらったんですよね。だからいつも何かしら荷物があったんです(笑)。データベースも、いちからつくるしかなかった時代で、記録媒体はなんとフロッピーでした。 

 

藤吉 パソコンもブラウン管のような時代でしたね。   

▎デジタルを取りいれて効率化するためには、意識を変えることが重要 

 

藤吉 結婚式のしくみは、その頃からほとんど変わっていないかもしれません。何より、花をさす仕事自体は変わりません。ですが、それ以外の事務的な作業をデジタルで効率化できるようになりました。ただ、ものづくり業界の特性でもあるのか、手間を美徳とする文化も根強くあり、デジタルへの拒否反応は、まだまだあります。やはり意識を変えていく必要があると強く感じています。 

 

星野 とすると、こう言ってみてはどうでしょうか。デジタルで効率化したぶん時間ができる。その時間で、より手間をかけられるのですよ、と。要するに、デジタルと手仕事の美徳は、引き立てあえるんですよね。 

 

それから、デジタルでの効率化のポイントは、同じ情報は再利用し、一度で済むものは一度で済まそうという発想です。再利用できるところは再利用するとよいですよね。 

 

藤吉 イレギュラーも多い業界です。急な仕事が入ったり、なくなったり、シフトが日々変わったり、時間がばらばらだったり。効率化していかれるよう、仕事を見直して、しくみを変え、デジタルの使い手である我々の意識を変えることで、業界をもっと良くしていけるはずです。 

 

星野 柔軟に対応できるシステムにしておき、合理的にできるところは合理化する。その分、浮いた時間や費用を使って、クリエイティビティを発揮するところに注力していくことができます。そのためにこそ、デジタルをうまく取り入れて、効率化していきたいものですね。   

▎コロナ禍の2年半を、会社の体質を変える意義ある時間に 

 

星野 イレギュラーと言えば、コロナはフラワー業界にとってはいかがでしたか。 

 

株式会社ユーアイ 取締役社長 藤吉恒雄 氏

藤吉 コロナ禍のダメージは甚大でした。2020年の2月、大企業やブランドのパーティーなどのイベントが、いち早く中止になりはじめます。3月になると、学校が休校になり、結婚式や大小のイベントも軒並みキャンセル、または延期。4月、5月は、とうとうほぼゼロになりました。誰にも先の状況が読めないなかでしたが、5月末頃、持ちこたえるところまではやろうと、スタッフをひとりも手放さない決断をしました。現場仕事がない分、じっくり考えることができるため、これからの仕事の仕方について、スタッフ皆で考えはじめたんですね。 

 

星野 どんなことをされたのですか。 

 

藤吉 アイディアを出し合い、ミーティングを重ねて、どうすれば体質を変えられるか、考え抜きました。例えば、残業をなくす方法を突き詰めていくと、結婚式の打ち合わせから変えなければならないことが見えてきました。 

 

星野 その後、それを実践していかれたのですね。 

 

藤吉 2021年の秋頃には、幸いにも忙しさが戻ってきました。そこでトライ・アンド・エラーを繰りかえし、しくみを見直し、2年半かけて体質を変えてきました。チーム力もあがりました。その成果が今ようやく出てきたところです。 

 

星野 コロナ禍の時間を意義あるものにされましたね。 

 

藤吉 そうですね。じっくり考える時間をもらえたという意味では、意義ある時間でした。それまで馴染みのなかったオンラインでの打ち合わせにも慣れましたし。継続的に体質改善に向き合えたので、結果的には貴重な時間となりました。 

 

星野 そうなるように意志を持って、スタッフの皆さんと対話を重ねられたからこそですね。あらためて思うことですが、やはり「対話」が大事ですね。ダンクソフトでも、スタッフと私との対話、スタッフ同士の対話、お客様との対話を、約10年ほど前からでしょうか、意識的に重視してきました。 

 

くわえて、技術的なタイミングですね。ある意味、技術がコロナ禍に間に合ったと言えると思います。通信環境がこれだけ進化した今だったからこそ、コロナ禍でも、ストレスなくオンラインで対応できます。藤吉さんと出会った頃は、まだダイヤルアップの時代でした。そこからADSLを経て光ファイバーの時代になり、最大通信速度は、1980年からの30年で約10万倍になったと言われます。   

▎「デザイン価値」で、フローリストの地位を高める 

 星野 ところで、コロナ禍を経て、いま感じている課題は、どのようなことがありますか? 

 

藤吉 日本は生け花の世界ですと、伝統として確立されているところがあります。ですが、フローリストについては、どんなすばらしいデザインをしても、そこに対価を得るのが難しいことが、課題だと感じています。 

 

花を用いた空間装飾という私たちの仕事は、有形の花があってこそ成立します。ですが、そこにデザインや技術、ワザという無形のものがなければ成立しません。それこそ一番重要な部分であるにも関わらず、日本のお客様はモノ以外の側面、つまり無形のものには対価が発生しないと思っているようです。海外の企業や外資のクライアントは、「デザイン価値」に対価を払う文化が浸透しているのですが……。 

 

星野 わかります。分野は違いますが、実はダンクソフトでも、ウェブ・デザインやどこにもない新提案をする際に、同じような課題を感じています。 

 

藤吉 当社の社名は、「Unlimited Imagination」を略して「ユーアイ」(以下UI)です。想像性に限界を持たずにやろうという意味で、UIの花は「唯一無二の花」をコンセプトとしています。そのため、デザインにたどり着くまでに、多くの要素(エレメント)をふまえて考え抜きます。クラフトワークともいうべき手仕事のよさを生かしつつ、どうすれば無形の価値を評価する文化を確立、認知していけるのかを常々考えています。 

 

星野 業界を問わず、日本全体の課題ですね。例えば、ヨーロッパはブランディングにたけていて、価格設定が日本よりも高い。一人ひとりが長期休暇を取ることもできて、それでも会社が回ります。日本はそろそろ、安いものがいい、という風潮を変えないといけないタイミングにきていると思います。世界はとっくにそちらにシフトしているのですから。それがまわりまわって、若い人たちの賃金が上がらない問題に関連します。イマジネーションやクリエイティビティ、審美的要素など、無形のもの、いや、「デザイン価値」への評価や価値で対価を得ていく方向に、変えていかないといけないですね。 

 

藤吉 ブライダルのお仕事の場合、約3か月前からお会いして、当日までに複数回のお打合せをします。ですが、私たちは本番になるまで、どのような空間になるか実物をお見せすることができないんです。ですから、やはりヒト対ヒトの信頼関係が大事です。当日を迎える頃には、お友達のようになっている、そんなふうになりたいものです。 

 

星野 プロセスの価値ですね。 

 

藤吉 私たちUIは、マス・プロダクションとアートのあいだにいる、と考えています。手仕事の温かさを残しつつも、デジタルを使いながら効率化していくことが大事だと感じています。ですが、一方で、その2つの相反するものをいかにつなぎ、成果を出していくか。それが難しいところだとも思っています。星野さんから知恵を頂いたり、自分たちのタレント性をさらに磨いたり、意識をもってやっていかないといけないですね。 

 

星野 すばらしい考え方ですね。でも、実はデジタルって、とても温かみのあるものなんですよ。『「人を幸せにするシステム・デザイン」をimagineする』というコラムを先日掲載しましたが、デジタルがあれば、人やアイディアがつながって、温かくてクリエイティブな関係コミュニティをつくることができますしね。このプロセスで一人ひとりの可能性をひらくことができることも実感しています。ぜひご一緒に取り組んでいきたいですね。   

▎予期せぬ天変地異で左右される原価管理を、システムがサポート 

 

藤吉 もうひとつの課題は、原価管理です。生花の市場は“競り(せり)”で売買されます。値段が決まっておらず、状況により乱高下します。そのため、原価が安定しません。事前に「こんな花にしましょう」「あの花を使いたい」と相談していても、使う時期にいくらで買えるか、お客様のリクエストが、変動する市場に合致するとは限りません。原価予測がきわめて難しいんです。 

 

星野 競りというのは、また大変ですね。 

 

藤吉 ええ。天変地異で温室が飛んでしまうこともありますから、原価は常に変動します。ダンクソフトさんにつくっていただいたシステムでは、原価を記入するようになっています。そこで、原価の精度を高めるために、仕入れ担当者が、中卸業者さんに価格予想を出してもらうようにしました。それをもとに予想原価を記入していく。それによって原価管理が、以前よりは随分できるようになっています。また、会社が目標にする数値がコンピュータに入っているともいえますので、じゃあそこにどう合わせるか? と、担当者たちが、状況をみながらやりくりできるようになっています。 

 

星野 システム開発の時点では想定していなかった使い方ですね。システムはそのままでも使い方を発展させて、システムを、より有効に活用してくださっています。それで想定以上の積極的な効果を出されているということですから、開発者として、とても嬉しいお話をお聞きできました。 

 

 ▎花を再生する農場をつくりたい 

 

星野 最後に、未来にこうしていきたいという展望をお聞きできますか。 

 

藤吉 そうですね、もっとフローリストという職業がさらに認知され、地位が上がるようにしていきたいですね。当社UIを、考え抜いた商品・サービスを提供するプロフェッショナル集団にしたい。そのために私がすべきことは、スタッフにとってより良い環境をつくることだと考えています。労働時間にせよ、効率化にせよ、環境は私が整えるから、みんなそこで好きに暴れてくれたらいい、と。それと、個人的には、現役リタイア後は、農場をつくりたいという夢があるんです。 

 

星野 農場ですか? 

 

藤吉 花は、多くの場合、切り花で使います。根のついた状態で仕入れたものを切って使うことがあります。例えば、アジサイなどは株で買って、それを切って使うので、株が大量に残ってしまいます。これを農家は引き取って、育てなおしてはくれません。その、花を切り落とした後の根や株を、再生できればと思うのです。 

 

星野 そのためのプラント農場や温室というわけですね。 

 

藤吉 そうです。最たる例がクリスマス・ツリーです。何年もかかって育った樹木が、12月の約ひと月の役目を終えたら、そこまで。ツリーとして鉢植えにするため、根を小さく刈り込んでしまうので、もう再利用ができません。1~2メートルの背丈になるまで3、4年はかかります。このペースで行けば、育てる方が追いつかない。お金の問題より何より、ただただもったいない。このことがずっと気になっていて、現役を離れたらどこかで植物の再生活動ができればと思っているんです。 

 

星野 農業・林業×ITには大きな可能性が眠っています。ダンクソフトはデジタルの会社ですが、実は私は少し前から「自然と機械と人間の協働」に注目しているんですね。これがますます重要になっていくのは間違いないと思っているんです。そうした考えもあって、ダンクソフトは、この神田オフィスに移転してから、地域の皆さんと藍(あい)を育てる「神田藍プロジェクト」に参加するようになりました。オフィスのテラスで藍を栽培し始めて2年目になります。 

  

▎神田で藍を育てる コミュニティがあれば、どこにいても働ける未来へ 

 

オフィスのベランダで育てている藍の植木鉢

藤吉 ビルのテラスで藍を栽培? そんなことをされているのですか。 

 

星野 ええ。そこのベランダにあるんですよ。都会には地域コミュニティがあまりないので、身近な人を知っているコミュニティをつくりたいと思って始めたのですが、藍自体の魅力もわかってきました。株もどんどん増えて、今年はついに、神田で採れた種を植えて、藍を神田で育てて、神田で染めた「生葉染め」ができましたよ。 

 

通常、藍は染料に加工して使いますが、新鮮な生葉なら生葉染めができます。木綿や麻は染まりづらいのですが、動物性の生地は染めやすいそうですね。先日、群馬県にある世界遺産の富岡製糸場に行きまして、絹のポケットチーフを手に入れてきました。それを生葉染めで染めたものが、こちらです。 

 

藤吉 星野さんが染めたものですか? それは驚きました。 

 

星野 先日このオフィスで生場染めをしたところなんですよ。今日、藤吉さんにお渡ししようと思って用意しました。生葉染めの特徴で、色の濃淡も風合いも均一でなく表情豊かに染まります。お好きなものを一枚どうぞ。 

 

藤吉 青は好きな色で。では、濃いものをいただきますね。いい色だな、ありがとうございます。 

 

星野 それで、この藍の鉢植えのそばにカメラをセットして、リモートでウォッチしているんですよ。そうすることで、離れたところにいて、毎日様子を見に来ることができなくても、世話ができています。今はまだ水やりまで自動化できていませんが、それも手の届く未来です。 

 

いま進められている第5世代移動通信システム(5G)の通信速度は、第4世代(4G)の実に100倍以上も高速です。総務省では大型予算を組んで、離島や山間部をふくむ日本全域の5G化を急ピッチで進めています。過疎地や人間が住んでいない山林地域にもインターネットが行き渡れば、距離や住環境は大きな問題ではなくなります。人がこれまで住めないところでも活動や仕事ができるようになります。 

 

藤吉 そんなに進んでいるんですね。 

 

星野 そうなれば、藤吉さんがおっしゃった花の農場のようなことは、どこにいてもできるようになりますね。それと先ほど、環境は私が整える、とおっしゃいましたが、それこそダンクソフトでは、インターネットを上手に利用してクリエイティブに仕事ができるビジネス環境をつくるため、「スマートオフィス構想」を提唱しています。首都圏への一極集中を緩和し、地方にいてもやりたい仕事を選んで働ける環境を実現していく構想です。これが、これからますます重要になっていくでしょうね。地域にいながらにして日本各地、あるいは世界各地と連携・協働していくきっかけになる場としても、期待しています。 

 

藤吉 とすると、もっといろんなところで働けるように、価値観を変えていかなければなりませんね。 

 

星野 私のイメージだと、近いうちに鉄腕アトムが登場して、行きたいところに私を背負っていってくれると思っているんですよ(笑)。夢物語と思っていることが現実となるのも、きっとそう遠い未来ではありません。 

それにしても今回の対話は、思いがけず「再生」がテーマになりましたね。デジタルがあれば、手仕事も、植物も、コミュニティも再生できる。古代からあるものが、最新技術で、より魅力をもつ。今日は、unlimitedな夢もともに描ける時間をいただきました。ありがとうございました。 

  

Cross Talk:課題を課題として感じていないという課題 


[参加者] 

ウェブチーム 大村美紗 

開発チーム 澤口泰丞 

企画チーム Umut Karakulak 

代表取締役 星野晃一郎 


 ▎はじまりをつくり続けて 40 年 

 

星野 ダンクソフトは 7 月から新年度を迎え、40 期目に入りました。今回は、これからのダンクソフトをつくっていくスタッフ3名とのクロス・トークです。 

 

最初に、「ダンクソフトが 40 周年を迎える」と聞いて、どうですか。 

 

澤口 40 年というと、今の自分の年齢を上回ります。僕が生まれる前からこの会社があった。しかもその頃から IT に関する事業をしていたのだと思うと、それはすごいことだなと、素直に感心してしまいます。自分が 5 歳のとき、未来がこんなにデジタル社会になるなんて、想像もできませんでした。 

 

ウムト たしかに、40 年前にITの仕事をするって、とても大変だっただろうなと思いますね。5 年前でさえ、今使っているツールもなかったですし。技術も 5 年あれば相当変わっています。今思えばとても大変だったのに。 40 年前だとインターネットもなかったですよね? 

 

星野 そうですね。ダンクソフトの創業は 1983 年。日本でインターネットが一般に運用されはじめるのは 1990 年代以降ですから。 

 

大村 会社としてすごいことですよね。そして、それだけ続いているということは、続けるために業務内容もどんどん変化してきただろうし。でもデジタルという軸はずっとぶれていない。そこもすごいなと思います。 

 

星野 変化については、意識的に変えていることもあれば、状況が変わって変化したこともあります。世の中がすごいスピードで動いていますから。振り返れば、初期の頃は何もありませんでした。ウィンドウシステムもデータベースも何もないから、何でも自分たちでつくるしかなかったんですね。 

 

技術も社会も高速に進んで、ウムトも言ったように 5 年前と比べても想像もつかないくらい進みました。そう考えると、5 年後はさらに変化が加速しているかもしれません。たとえばデバイスも、今はスマホが主流ですが、これが指輪やメガネになったり、身体の中に入ったりするのかもしれない。いずれにせよ、デジタルはもっと身近になっていくでしょう。  

▎誰のどんな課題を解決していくのか 
─クライメイト・チェンジ、ペーパーレス、セキュリティ、フェイク・ニュース 

 

星野 これまでも、ダンクソフトは誰かの課題や、社会の課題を解決するためのソフトウェアを開発してきました。皆さんには、いま気になっている社会の課題がありますか?  

 

ウムト クライメイト・チェンジ。気候変動です。状況はとても深刻で、今、最優先すべき課題だと思います。 

 

この課題解決のために、デジタルに何ができるか。先日仲間と話しあったときには、使用した電気量を可視化するアプリを作成するアイディアが出ました。 

 

生活のなかで、どこでどれだけの電気を消費しているか、みんなはあまり気にせず暮らしていると思います。状況をデジタルで見えるようにします。そうすれば、節電しようとする行動を促せるのではないかと考えたんですね。実状を知るだけでも、人の行動は影響を受けますから。 

 

澤口 それにも通じますが、課題を課題と感じていないことも課題だと思います。現状に疑問を持たず、それでいいと思ってしまい、気づかない。 

 

たとえばペーパーレスが進まない企業もそうです。ずっと紙でやってきた。社内は相変わらず紙を使っている。だから、それでいいと思ってしまうんですね。別に課題だと思っていない。でも、もっと便利なツールや効率のよい方法があって、活用すれば色々な効果が期待できる。でも、なかなかそうした認識に至らない企業が多いのではないでしょうか。ですが、テクノロジーが進化したことで、敷居が低くなり、実は今はかえって導入のチャンスとも言えます。 

 

ダンクソフトが、よりよいソリューションを展開していくために、まだ課題を課題として気づいていない人に気づいてもらえたらと思います。そのための働きかけをするのも、僕たちの役割だと思います。 

 

大村 IT は便利です。同時に、メリットの背後に、デメリットや危険性も伴っているものです。ですが、どんなデメリットや危険性があるか、認識にはばらつきがあります。詳しい人はわかっているけれど、そうでない人は知らない。知らないまま、便利さを取り入れるつもりで、リスクにさらされてしまいます。 

 

星野 メリットを享受する裏側のデメリットの問題、大事ですね。その筆頭が、やはり、セキュリティとフェイクの問題でしょう。タダほど高いものはないのです。無料のサービスをかしこく使っているつもりが、実は自分のプライバシーを売り渡していた、ということになってしまいます。インターネット上には残念ながらフェイク・ニュースが横行しています。適切な自衛が必要であるにもかかわらず、そこはあまり語られていませんね。 

 

そういう意味でも、これからは「インターネットに よりよいもの をのせていく」ことがますます大切になります。インターネットとデジタルの未来のためにも。ダンクソフトは、そこを大切にしています。  

▎将来は、世界各地から参加者が集まる場に 

 

星野 みなさんは将来、どんなダンクソフトにしていきたいですか? 

 

澤口 僕には将来したいことがあるんです。全国各地を訪れ、いろんな地域の人たちをダンクのメンバーにしたいんです。 

 

ダンクソフトは働きやすい会社です。長く働くことができます。でも、それが同質化にならず、新陳代謝を起こしつづけていたい。そのためにも、日本中のあちこちから、クリエイティブな人たちが参加し続けるダンクソフトであってほしいと思います。 

 

異なる文化圏の人どうしが刺激を受けあえる風通しのよい環境は、イノベーションをもっと促進するでしょうから。 

 

星野 まさに「スマートオフィス構想」の発想ですね。それぞれの居場所や愛着のある土地がスマートオフィスになっていく。僕たちが理想とする未来です。 

 

▼スマートオフィス構想とは  
https://www.dunksoft.com/message/2021-04

 

 

澤口 その土地でしか知られていない、外の人にとって魅力的なモノやコトなどの情報が、各地にたくさんあるはずです。地元の人には当たり前だけど、違う地域や外国の人にはとても貴重で価値があるとか。ささいな情報も、インターネットにのせることで世界に開かれ、世界中に知ってもらうことができる。そこから始まるものがきっとあると思います。 

 

星野 インターネットがこれだけ進んだ今、距離は問題ではなくなりました。ウムトは出身地のトルコと、日本にいても変わらずコミュニケーションがとれていますし。コロナ禍がおさまらない中で、フランスの学生がフランスに居ながらにしてダンクソフトでインターンを経験しましたね。 

 

ロシアとウクライナ問題のなかでも、例えば、イーロン・マスクがいちはやく衛星インターネット回線を開放しました。世界中のホワイト・ハッカーたちが、遠隔からウクライナに手を差し伸べました。かつてないインターネットと情報の動きが、支援の輪を広げています。 

 

インターネットがあれば、物理的な地域の壁を軽々超えて協働できる時代です。世界中からダンクソフトに参加者が集まる未来は、案外近いかもしれませんよ。 

▎時代と対話しながら、次のプロジェクトを生みだし続けるダンクソフトへ 

 

ウムト ダンクにはフレキシビリティがあって、まだまだ新しいワークススタイルに挑戦できる会社だと思います。一人ひとりがオーナーシップを発揮して、もっと面白いプロジェクトを進めていける可能性を感じています。 

 

大村 そうですね。ダンクソフトは、メンバーを自由にさせてくれます。良くも悪くも、“放し飼い”というか(笑)。だからみんないろんなことを考えて、それぞれに行動に移していくことができます。いまはコロナ禍を経験し、メンバー同士がなかなか直接会えなかったこともあり、ちょっとばらつきを感じています。ですから、ダンクソフトの長所である開放感を保ちつつ、これからは、スタッフ同士のコミュニケーションがもっと活性化される環境にしていければと思っています。 

 

こうして他のチーム・メンバーと話すのもいいですね。澤口さんとは同期ですが、今日初めて知った新たな面がありました。ウムトにも「え、そうだったの?」という意外な発見がありました。 

 

ウムト たしかに、ダンクはいろんなスキル持ったポリバレント(※1)な人たちが集まっていて、とても個性豊かです。ダンクソフトのメンバーそれぞれの特長や魅力が混ざりあえば、すごく面白いことが起こりそうです。 

 

星野 それぞれのメンバーが未来を考えて、次をつくっていく集合体が、ダンクソフトなのだと思っています。今回、皆さんの話を聞いていても、やっぱりそう思いました。ひとつのプラットフォームというか、もっと信頼感のあるコミュニティのイメージですね。 

 

年代も住む地域も多様ないろんな人たちが関わって、コ・ラーニングできる場所。みんなで社会課題を解決していく場所。時代と対話しながら、次のプロジェクトを生みだし続ける場所。ダンクソフトはそういう場所になっていってほしいと、あらためて思いました。 

 

みなさん、今日はありがとうございました。 

 

※1 ポリバレントとは?https://www.dunksoft.com/recruit#philosophy    


参加者プロフィール 

大村美紗 ウェブチーム 

2009年に新卒採用で入社。ウェブデザインを担当。コロナ禍でデジタル化やクラウド化が進むなか、デジタルの苦手な人が取り残されることが心配。デジタルに苦手意識を持つ人にも使いやすいものを提供したいと考えている。 

 

澤口泰丞 開発チーム 

2009年に新卒採用で入社。ダンクソフト・バザールバザールの開発、顧客へのシステム導入などを担当。対面に比べてリモートでのコミュニケーションに物足りなさを感じており、そこをデジタルで解消する有効な方法を探索している。 

 

UMUT KARAKULAK 企画チーム 

インターンシップを経て、2016年に新卒採用で入社。 ARシステムWeARee!の開発に携わる。いま注目しているのはAI。技術的にも環境的にもいよいよ準備が整い、イノベーションが期待できるとみている。 

 

ダンクソフト40周年特設サイトをぜひご覧ください→ https://www.dunksoft.com/40th

 

 

BOUSAIFULNESS ──災害前提社会への備え


 ▎BCP:3.11で失われた情報と思い出が教訓に 

 

今回は「防災」がテーマです。私個人としても以前から関心を持っており、取りあげたいと考えていました。最近は、ますます関心をお持ちの方も多いようです。 

 

ここでは、ダンクソフトが考えるこれからの防災について、2つの観点からお話しします。 

 

1つめは「BCP」(事業継続計画)です。大切な情報をどうバックアップし、すみやかな事業再開につなげるか。 

 

2つめは「コミュニティ」との関連です。防災力の高い、ソーシャル・キャピタルの豊かなコミュニティの形成に、企業がどう貢献していけるか。ダンクソフトのケースを例としてご紹介します。 

 

2011年の東日本大震災では、大切な写真がたくさん流されてしまいましたね。個人の情報と同様に、多くの自治体や企業が重要な情報を失いました。紙の台帳やカルテが流されたり、サーバーやコンピュータごと流されたりしたのです。紙の情報は、それ自体が失われると取り戻すことができません。ですが、データをインターネットにのせておけば、情報は助かります。そこで企業は「BCP」を意識することになります。   

▎企業にとって大事なのは、迅速なリカバリー 

 

「BCP」とは、事業継続計画(Business Continuity Plan)のことです。企業が災害やテロ、システム障害などの緊急事態に遭遇しても、損害を最小限におさえ、事業を再開・継続するための計画のことです。 

 

緊急事態は、突然やってくるのが特徴です。リーマン・ショックも、東日本大震災も、コロナ禍も、そうでした。その時、企業にとって大事なのは、迅速なリカバリーです。いかにすみやかに復旧し、事業を再開・継続できるかが、信用につながります。逆に、迅速に有効な手を打つことができなければ、機会ロスが高じて、とくに中小企業にとっては致命的なダメージとなる可能性があります。  

▎クラウドなら、どこにいてもビジネスを再開できる 

 

火事の多かった江戸時代に、江戸市中の大店は、万一の火事に備えて、店を再建するのに必要なだけの部材を江戸の外にバックアップしていたといいます。店という場をいち早くリカバリーすることが重要だったからですね。 

 

一方、現代企業にとって、もっとも重要なのはやはり「情報」です。江戸時代には建物のバックアップ部材を用意していたように、今の時代には、情報のバックアップを準備しておくことが必要です。情報をインターネット上にのせて、クラウド化できていれば、データのバックアップは常に自動的になされている状態です。こうしておけば、個人の生活においても、ビジネスにおいても、大切なものを失わずに済むわけです。 

 

「データ・バックアップと防災」と聞くと、これら2つを遠く感じる方もいるかもしれません。でも、これらは関連しているんですね。 

 

ダンクソフト神田オフィスは、以前にも紹介したとおり、ペーパーレスを徹底しています。できるだけモノを減らして、大事なものは整理し、かけがえのない情報はすべてインターネットにのせています。ですから、もし何か緊急事態が起こっても、インターネットさえあれば、どこででもビジネスを速やかに再開できます。 

 

必要な情報がインターネット上にさえあれば、どこにいてもビジネスを再開できる。こういう時代になっています。このことを多くの人に知ってほしいのです。 

 スマートオフィス構想を実践する新拠点 
https://www.dunksoft.com/message/2021-03  

▎災害、テロ、ミサイルまで想定するイマジネーションを 

 

防災や危機対策は、もっとも想像力を発揮すべきところです。未来を構想する際はもちろん、どこまで事前に最悪のケースを想定しておけるかが大事です。「防災」という観点では、不測の事態をイメージすることが欠かせません。 

 

日本では、「緊急事態」というと、地震、水害、台風といった自然災害を連想しがちです。ですが、BCPではミサイルが飛んでくることや、テロが発生することも想定します。テロや戦争と聞いても、なんとなく遠く感じるかもしれませんが、今、ウクライナをめぐって起きていることや、北朝鮮情勢をみても、対岸の火事ではなく、決してひとごとではありません。   

▎「顔見知りコミュニティ」の威力 

 

「防災」を考えるとき、地域の人たちと「顔見知り」の関係でコミュニティに参加できていることも大切です。都市では、隣に誰が住んでいるかがわからない状態は珍しくありません。しかし、実際のところは、東日本震災時でも、顔見知りかどうかが人の動きを分けたと言います。 

 

企業であれば、自社内や取引先など「オフィスの中」はよく知っていても、一歩「外」に出ると、意外と誰も知らない。知り合いがいません。そのような状態で、いざ災害になったときに、どう連携して乗り越えていくことができるでしょうか。   

▎ビル全体の備蓄倉庫をダンクソフト社内に 

 

昨年の夏、ダンクソフト神田オフィスの入居しているビルのオーナーが変わりました。その後、ビルとしての防災対策を検討するなかで、ビル全体のための備蓄倉庫をダンクソフト社内に設けることになりました。他社の分も含め、ヘルメットや、水や乾パン等の備蓄品をしまってあります。現在、私が防災責任者となって、いざ災害になったときに、どうオペレーションしていくか、ビル全体のBCPを策定しているところです。 

 

3.11では、都心部で帰宅困難者が多く出ました。あのときは、備えのあった一部の大企業が、社屋や備蓄を開放するなどしました。今では規模の大小を問わず、こうした行動が、企業の果たすべき社会的責任として求められています。私たちも、何かあったとき、地域や防災拠点になれる、地域の人々と助け合える、そのような良き企業市民としてのダンクソフトでありたいと考えています。   

▎オフィス街で藍(あい)を育て、コミュニティを育てる 

 

ダンクソフトが神田に移転してきたのは、2019年です。その後まもなく、縁あって、地域で活動している「神田藍(あい)プロジェクト」に関わるようになりました。 

 

神田には、江戸時代に、染物屋が軒を連ねる日本有数の紺屋町がありました。オフィス・ビルが建ち並ぶ現在の神田には、当時の様子は残っていないように見えますが、土地の記憶をたどり、神田の街で藍を育てようというプロジェクトです。 

 

ベランダで育てている藍

私たちも2年前から、フロアのベランダに藍の鉢を置いて育てています。藍は育てやすい植物で、日当たりさえよければ失敗が少ないのもいいところですね。お店の前で藍を育てている個人商店があったり、私たちのようにビルのベランダや屋上に鉢植えを並べている企業や銀行があったり。5月5日には、子供の日にちなんで、地域の子供たちに160株ほどの藍を提供しました。8月には子供たちの街歩きも予定されています。   

▎藍ネットワークを結ぶ「WeARee!(ウィアリー!)」へ 

 

オフィス移転からまだ3年ですが、藍を媒介に、顔見知りや知り合いが地域に増えました。このプロジェクトに関わっていなければ出会わなかったような、思いがけない方ともご縁が広がっています。新参者でも企業でも、枠をこえ、「藍」を介して地域にとけこんでいくことができる、素晴らしい取り組みだと感じています。 

 

いま、この神田藍プロジェクトの運営に、ダンクソフトの「WeARee!(ウィアリー!)」をご提供しているのですが、ゆるやかなつながりを持てるコミュニケーション・ツールとして、少しずつ活用がはじまっています。今後は、街歩きの記録や成果をアーカイブするなど、さらに可能性が広がっていくことを楽しみにしています。 

 神田藍愛プロジェクト 
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai 

 

 

2008年以降、ダンクソフトは「地域コミュニティ活性化」の実証実験に多数携わってきました。そのなかで、コミュニティの単位は、ある程度小さい方がよいと感じています。そして、小さな単位のコミュニティどうしがつながっていけば、安心・安全を担保したまま、信頼できる人どうしの集まりを広げていけます。   

▎「バザールバザール」でイノベーションと よりよいコミュニティを 

 

 ダンクソフト・バザールバザール 
https://dbb-web.bazaarbazaar.org/ 

こうした「スモール・コミュニティの連携」が実現できるデジタル・ツールとして開発しているのが、「ダンクソフト・バザールバザール」です。もともとコミュニティ運営の効率化を主眼に2016年から提供開始したものですが、他のコミュニティと相互連携できる機能も備えています。ですから、信頼できるコミュニティ同士で、ともに問題解決をすることも可能です。 

 

このため、バザールバザールは、「防災のプラットフォーム」にもなりうると考えています。 

日ごろからコミュニティ内でのコミュニケーションが成立していたら、お互いの安否確認から必要情報の共有までがスムーズです。顔の見える人同士のコミュニティですから、フェイク情報が入ることも極力避けられるでしょう。信頼のおける情報が得られること、また信頼できる別のコミュニティと協働できることは、非常事態下では、さらに大きな意味を持つでしょう。 

 

この夏、バザールバザールは、大幅なバージョンアップを予定しています。テーマは2つあって、「イノベーション」と「よいコミュニティ」です。 

 

参加者同士が雑談・会話・対話をする中から、ときに予想を超えた、そしてユニークなイノベーションが生まれるよう、さらに工夫を重ねています。 

 

それから、コミュニティ運営の「効率化」だけでなく、本当に「よいコミュニティ」をつくりたいですね。そのためには、ソーシャル・キャピタルがカギだと言われています。 

 

コミュニティというのは、単に人がいるだけでなく、それぞれがつながっていることが大事ですよね。また単につながっているだけでなくて、お互いに信頼し合っていること。そして、互恵的な関係が築かれていることも。 

 

ここにあげた〈社会的ネットワーク〉、〈相互信頼〉、〈互恵性〉をソーシャル・キャピタルといいますが、この3つが豊かであることが、「よいコミュニティ」の条件だとされています。「よいコミュニティ」では、防災意識が高く、災害時・災害後も助けあって、地域のリカバリー(回復)が速いことも知られています。 

 

「よいコミュニティ」ができれば、有事だけでなく、平時でも、また地方であれ都会であれ、安心して暮らせます。そして、もうひとつ。コミュニティが活気づくためには、そこにちょっとした「新しいこと」の取りいれ、イノベーションも必要ですよね。 

 

「イノベーション」と「よいコミュニティ」を支えるデジタル活用を、これからも、みなさんと一緒に進めていきたいですね。 

HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ第3回目です。インターネットの可能性が幕を開ける1990年代後半をとりあげます。

  

▎インターネットがいよいよ台頭

 前回の「HISTORY2」では、パーソナル・コンピュータ黎明期だった90年代前半のエピソードをお話ししました。激変が続くコンピュータ業界、空前のバブル景気、そしてバブル崩壊、相次ぐ災害と危機。苦境のなか、がむしゃらに仕事にうちこみ、WindowsやAccessをいち早く事業化していく激動の数年間でした。

 

今回は、1990年代後半。社名をデュアルシステムから「ダンクソフト」へと変更しました。時代はいよいよインターネットが社会全体に広がっていくときです。私が感じていた可能性を実証したくて、まず自分自身ですすんで新しい体験をしていましたね。インターネットによって何がどう変わるのか。その先の未来を見ていた時代です。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)

https://www.dunksoft.com/message/2022-04 

  

▎Windows95から98へ。AppleからはiMacが登場

 当時の業界事情は、それまでから一転、大躍進したWindowsの全盛期になります。Windows95、Windows98。深夜のお祭りさわぎにわく秋葉原の情景は、もはや社会現象でした。覚えている人も多いでしょうね。

 

この頃、実はApple社は一度傾きかけています。ですが、スティーブ・ジョブズの復帰から、98年のiMac登場を経て、劇的な回復を遂げていきます。私自身、なかなか手にはいらなかったなか、運よく入手できたiMacを実際に使ってみて、これはなかなかいいな、と感じたことを覚えています。

  

▎特許申請に値する、画期的な工程管理システムを開発 

当時のダンクソフトは、それまでの流れを受けて、Accessを使ったアプリケーション開発を多く手掛けていました。なかでも、T建設様とプロジェクト管理のソフト会社とダンクソフトが共同開発したビルの工程管理システムは画期的でした。それまで熟練の職人が1週間かかって手計算していた工程計画を、ボタンひとつ押した瞬間に、わずか数秒で計算し、工程表が完成するというものでした。

 

これにはT建設様もとても驚いて、特許申請しようと提案されるほど斬新なものでした。デジタルを駆使して、効率化だけではない、その先にあるものに向かっていく。手計算からデジタルへ。ある意味、このシステム自体があっと驚く、新しい“はじまり”をつくったと言えるでしょう。建設業界で高い評価をいただいて口コミで次々に広がり、T建設様のほか、大手ゼネコン各社に採用いただきました。

 

会社としては、バブル崩壊のダメージから回復していく途上にありました。私を含め総勢5〜6人で、本当にがむしゃらに働いていたころです。連日、深夜まで仕事をして、会社に寝袋で泊まり込むことも珍しくありませんでした。今ではとても考えられませんね。

  

▎2週間の休暇をとり、ワールドカップを観にフランスへ

 ところで、インターネットは、まだビジネスにも、生活にも浸透していませんでした。ですが、私はインターネットに、はかりしれない可能性を感じていました。

 

そんななか、私にとって衝撃の大事件が起きます。1998年フランスFIFAワールドカップ・アジア予選で、サッカー日本代表が悲願の初出場を決めたのです。こんなことが現実になるとは想像もしていませんでした。小さいころプレイしていたこともあり、サッカーが大好きで、日本代表の試合もずっと見てきました。その少し前まで、日本のサッカーはとても世界に通用するものではなかったのです。

  

▎旅のテーマは「インターネット」

 いてもたってもいられず、フランスへ行こうと決心しました。会社はバブルの打撃から回復の途上という状況でしたから、葛藤もありました。でも、ワールドカップに日本代表が出場するなど、一生に一度のチャンスかもしれないと、当時、痛烈に思ったのです。思い切って2週間の長期休暇をとりました。

 

行く以上は何かに生かそうと考えまして、そこで掲げたテーマが「インターネット」です。すべての工程で、インターネットを駆使した旅にしようと、実験してみることを決めました。

  

▎先んじて自分で実験してみるという冒険

 まず、まだ当時めずらしかったことですが、事前から現地まで、旅行手配をすべてインターネットで、自力で予約してみましたね。

 

海外旅行といえば、移動・宿泊の手配は旅行会社、情報源は紙のガイドブックの時代です。もちろんカーナビはありません。それより少し前に何の予定も組まずに旅をするバックパッカーのブームもありましたが、このとき私が実践してみたのは、そうした現地飛び込み型ではなく、インターネットを使ってすべて自分で事前手配しながら、その上で気ままに次の目的地をめざす、新しいタイプの自由旅行でした。

 

マルセイユの街並み

対ジャマイカ、日本代表の3試合目を観たあと、私はアルルからマルセイユへと旅をしながら、サッカーの試合を楽しみました。その後はフランスを離れ、ミラノ、チューリヒへと、1300㎞をレンタカーで走破。その都度、インターネットでホテルを探し、地図をもって目的地へ移動します。最後は、スイスから帰国の途につきました。

  

▎現地からリアルタイムに情報発信、インターネットの手ごたえを確信

 それから、現地から試合速報や生の情報を、インターネットを使って知人たちにメール配信しました。試合直後に、会社のメンバーを含め20数名に、試合結果などをメールで送りました。それを社のメンバーが、インターネット上に公開してくれていました。

 

テレビ中継でマスメディアが報じるのとは違う、一個人の情報発信は、日本にいる人たちにとって貴重な情報だったと思います。いまでこそ、一人一人がSNSで情報を出せる時代になりましたが、現地から生の情報がほぼリアルタイムで届くことは珍しく、みなさん喜んでくださいました。

 

あの頃のインターネットは、パソコンにモデムが内蔵されていて、電話回線につなぐダイヤルアップ接続でした。いまのようなWi-Fiはありません。ですから、通信のために電話線を持ち歩いて、電話の回線ジャックにケーブルをさすわけです。ピーヒョロロローという発信音を聞きながら回線をつないだものです。

 

このとき体験した驚きと感動は、「インターネットの可能性を追求する」という明確なイメージとなり、現在のダンクソフトが掲げる「インターネットによりよいものをのせていく」という「スマートオフィス構想」につながっています。

 

インターネットを使えば、それまでやれないと思っていたことが、実はできる。実体験をもって「できるんだ」と知り、人々に先んじて手ごたえを感じたことの意味は大きかったですね。

 

当時の情報は、後に個人ブログに転載したので、今も読むことができます。よろしければご覧ください。 

http://blog.roberto-system.jp/200605/article_9.html 

  

▎日本人の働き方は、これでいいのか?

 さらに、この2週間の休暇で得たものがあります。それは、働き方に対する大きな意識の変化です。

 

当時私は、大変な葛藤があって「2週間も」休んでいるという気持ちがあり、覚悟を持って渡欧しました。ところが、ヨーロッパの人たちにとっては「2週間、それは短いね」という反応でした。価値観がまったくちがったのです。

 

彼らは1カ月~2カ月のバケーションを当たり前にとります。なのに、GDPはそれなりに高い。きっと集中して働き、思い切り休むからなのでしょう。メリハリというか、緩急があるのですね。

 

▎この違いはどこから来るのか

 旅先で会う向こうの人たちは、とても楽しそうでした。キャンピングカーで夏のバケーションをエンジョイしている人にもたくさん会いました。かたや日本の私たちは、毎日めちゃくちゃに働いてオフィスで寝袋。この違いはどこから来るのだろう? と考えずにいられません。

 

それまでは「これが当然」と思っていた過酷な働き方に、はっきりと疑問を覚えました。このままではよくない。働き方を変えていくほうがいい、と感じた原体験です。

  

▎いち早く実験して、未来を確信し、新しい“はじまり”をつくる

 この後、1990年代末ごろのいわゆる2000年問題を経て21世紀に入ると、いよいよインターネットが世界を席巻していきます。ダンクソフトも、ウェブサイト制作に力を入れ始めます。また、社内のことでいえば、2002年には就業規則をスタッフ自らが書きかえはじめ、スタッフたちが徐々に自律型人間へと変化していきます。そして2008年には、インターネット前提の働き方、テレワークの実践が始まります。

 

90年代後半にしていたことは、インターネットに感じた可能性をいち早く実験し、先どりし、未来への確信をつかんだこと。そして、この確信をビジネスへと展開し、社内外をインクリメンタル(漸進的)に変えていったことでした。90年代後半は、このあと劇的な変化を起こしていく、ダンクソフトらしい“はじまり”のはじまりでした。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を振り返る「HISTORY」シリーズの第2回。世界も日本も、そしてコンピュータ業界も激動した1990年代前半をとりあげます。  

▎90年代前半はパーソナル・コンピュータ黎明期 

 

前回の「HISTORY1」は、80年代の創業期、最初の「はじまり」についてでした。創業社長の急逝から私が会社を継承したこと。メインフレーム主流の時代に、いち早くPCベースでの開発を選択したこと。自社製品の開発を志向していたことなどを、コンピュータ業界の時代背景もまじえて話しました。 

 

今回は、1990年代前半に入ります。世の中は、空前のバブル景気から、バブル崩壊へ。湾岸危機、ソ連崩壊、そして阪神大震災、地下鉄サリン事件。危機や災害は遠い世界だけの話ではなく、私たち自身の日常にも潜んでいることを思い知らされる出来事が続いた時代です。 

 

この頃のコンピュータ業界は、いよいよパーソナル・コンピュータが席巻し、マイクロソフトが台頭してくる、コンピュータ黎明期です。アップル、マイクロソフト、IBM、富士通、NEC、コンパック、ゲートウェイ……。各社がこぞって新製品を開発し、業界が激しく動き始めた時期でした。そして、まだ世界が今のようにネットワークで複雑・多様につながってはいない、インターネットの夜明け前でもあります。 

 

HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり” 

https://www.dunksoft.com/message/2022-02  

▎一太郎、Lotus 1-2-3、NECの独壇場 

 

まず、当時の業界事情をざっと見ておきましょう。 

 

コンピュータというハードウェアを動かすには、基本ソフトウェアであるOS(オペレーティング・システム)が必要です。今でこそ、OSといえばWindowsとMac OSが圧倒的ですが、現在に至るまでには、さまざまなOSの栄枯盛衰がありました。また、OS上で使われるソフトウェアも、激動の変遷をとげて、今に至ります。 

 

80年代末から90年代初頭は、IBMがAppleのMacに対抗して、MS-DOSの後継となるOS/2を出した頃です。表計算ソフトといえばLotus 1-2-3(ロータス ワン・ツー・スリー)が強く、Microsoftのマルチプランだった時代です。プログラミング言語としてはBASIC(ベーシック)が主流でした。 

 

しかし日本のPC事情は、世界の趨勢とは少し違っていました。NECが圧倒的シェアを誇り、中でもなんと言ってもワープロソフトの一太郎、それに表計算ソフトのLotus 1-2-3がセットになって、オフィスの中に浸透していきました。もうひとつ、NECのパソコンはカラーグラフィックが豊富な色を表現できる強みも大きかった。IBMはビジュアル性能でNECに勝てなかったのです。 

▎OS/2からWindows3.1へ 

 

当時、当社はNEC系列の会社と取引があり、工場のオペレーティング・システムや東京駅の駅案内システムなどを開発していました。私自身は、同時に、NECがつくったBit-INNというパソコン・スクールの秋葉原校や大阪校で、OS/2や、プログラミング言語であるC言語やアセンブラの講師をしていました。 

 

昔から新しいもの好きが集まる会社だったんです。自社製品の開発にも、当時最新だったOS/2でのプログラミングで、いち早く挑戦しました。ただ、できたはいいが、あまりにも重かった。今までのマシンでは満足に動かず、なかなか実用には耐えませんでした。 

 

そこへ登場してきたのが、Windows3.0です。画期的なOSとして、1990年5月の登場以降、世界を塗りかえていきました。ですが、日本でのWindowsブームは、93年に登場するWindows3.1日本語版を待つことになります。当時まだ日本語対応の壁はそうとうに高く、開発が難航したのでした。   

▎ビル・ゲイツと意見交換した、第1回Windows World 

 

Windows3.1日本語版の発売に向けて、日本でもこのOSを広めようと、1991年6月、幕張メッセで第1回「Windows World Expo/Tokyo」が開催されました。当時大盛況だったMac Worldと比べ、Windows自体がまだ普及する前だったこともあり、イベント規模はとても小さかったんです。でも、面白そうだから出てみたい。出展社も来場者も少ないなか、実はこれに当社が出展していました。 

 

といっても、Windows製品はまだ作っていません。ないけれども、2つの製品を出展しました。ひとつが、MS-DOS用のWindowsシステム。もうひとつが、ロサンゼルスにある私の従兄弟の会社が開発した画像データベースの日本語版、自社ブランド製品でした。 

 

ビル・ゲイツと直接会って意見交換をしたのは、その初日の夜の懇親会です。その時出展している人たちと、ビル・ゲイツを囲んでの小さなパーティが開かれました。成毛眞さんもいました。 

 

せっかくの機会ですから名刺交換の際に、日本の機器とWindowsとの互換性のなさについて、ビル・ゲイツに物申しました。何とかします、と返答をもらったことを覚えています。当時の私の発言が寄与したかどうかはわかりませんが、いまやWindowsは互換性に配慮した製品になっています。 

 

開発者をパートナーとして大切にするMicrosoftの社風は今も変わりませんが、さすがに今ではこんなことはありえませんね。当時の日本が、いえ、世界でも、まだWindowsブレイク前夜だったことがわかります。   

▎バブル崩壊、遅れてやってきた打撃 

 

1989年12月29日、日経平均株価が史上最高の38,957円44銭を記録しました。空前のバブル景気です。株価はこれをピークに下落を始め、1991年3月、いわゆる「バブル崩壊」が始まります。しかし、実際に景気の悪化を私たちが実感するまでには、半年近くのタイムラグがありました。 

 

当時は大手企業の受託業務が多かったため、景気悪化の影響は大きいものでした。大口顧客の仕事が突然切られるなど、急激に仕事が減っていきました。その結果、1991年の暮れには、25人いた社員をわずか4人にまで減らさざるをえなくなっていました。チームごとクライアントに引き取っていただくなどの対応に努めはしたものの、新米経営者として、とても辛い経験でした。   

▎小さなチームでの再スタート。新発売のAccessを求めて、ロスへ飛ぶ 

 

小さなチームでの再スタートとなったのが、1992年初頭です。それまでの仕事が激減するなか、休暇もないほど働きづめだった状況から一転し、考える時間ができました。 

 

それまでは受託開発が中心でしたが、私自身はもともと音楽がつくりたかったことも重なり、これからは新しく自社製品を開発していこうと、思いいたります。これは、先代の創業社長がかかげたビジョンでもありました。 

 

当時はインターネットがまだない時代ですから、情報をとるには、アメリカのパソコン雑誌からでした。3、4か月後に日本に着くわけですが、定期購読していたんです。そこで、新しいデータベースソフト「Microsoft Access1.0」がアメリカで発売されるという情報に出会います。 

 

当時、日本ではPC用の本格的リレーショナル・データベースが、まだほぼありませんでした。データベースも自社内で開発していたのですが、限界がありました。そんなとき、パソコン雑誌でAccessの登場を知り、思ったんですね。これはまさに私達がほしかったものだ、と。 

 

そこで、ロサンゼルスまで飛んで、発売日に買いに行ったんです。翌1992年12月のことです。実際に開けてみると、やはりものすごくいい製品でした。ロスまで飛んだ甲斐がありました。この出たばかりのAccessを使って、色々なシステムを開発しました。日本の開発会社の中では、さきがけでした。 

 

さまざまな業界・企業・組織向けシステムを開発しました。そんな中、自社製品として、人脈管理ソフト「義理かんり」をつくります。これが、マイクロソフト担当者の目に留まり、共同でプロモーションを行うことになりました。Accessを普及させたいマイクロソフトからの依頼で、ソースコードを開示することを了承したのです。これもダンクソフトらしい、オープンで、開発会社としては画期的な選択でした。そして、製品は爆発的に広がっていきました。   

1992年、「義理かんり for Access」リリース 

https://www.dunksoft.com/message/2019/12/2   

▎未知を追いかけ、面白がるマインド 

 

まだインターネットが今のようになかった当時、最先端のものを取りに行くには、実際に行くしかありませんでした。私は昔から好奇心が強く、つねに新しいものを取り入れていきたいという気持ちがあります。ロスにいた従兄弟やアメリカのPC雑誌など、外の情報をみずからの足で取りに行っていたおかげで、「次」へいち早く踏み切れたのかもしれません。 

 

私に限らず、当社のメンバーは、未知のものを面白がり、未知のものを常に追いかけているところがあります。新しいものに出会うと、次のことができます。この姿勢は、ダンクソフトの特徴である「インクリメンタル・イノベーション」の土壌となっています。   

▎震災、テロ、核 

 

この頃も80年代同様、がむしゃらに仕事ばかりしていて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをあまり覚えていません。ですが、1995年、大きな災害や事件・事故が立て続けに起こります。1月の阪神淡路大震災、3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件、そして12月の高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故です。 

 

テレビから流れる震災の映像は衝撃でした。関西の仕事も多かったこともあり、神戸の被災地へも足を運びました、あの頃から大きな災害が起こり始めた、という印象が強いです。地下鉄サリン事件はオフィスのごく近くで起きたもので、パトカーや救急車のサイレンが鳴り続いていました。 

 

それまで平和に過ごしていたものが、そのような危機や災害は決して対岸の出来事ではなく、リアルに自分の身に起こりうるものなのだと初めて実感をもって認識したのが、思えばこの時だったのです。   

▎「よい社会をつくりたい」 

 

「もんじゅ」の事故については、もう少し違う思いがあります。実は私は、福井県敦賀市にあるこの原子炉に仕事で関わっていた時期があります。具体的な話はここでは控えますが、そこで見聞きした経験は、現在のダンクソフトや私自身にとって大きなものとなりました。特に、「エシカル」であること、そして「インターネットによりよいものをのせていく」という未来像にとってです。 

 

こうした経験を通して、私は、一人ひとりの生活が豊かになるために「よい社会をつくりたい」という思いを強め、そのための仕事をしていく会社でありたい、と考えるようになりました。人の生活とリスクをどう考えるのか。そしてデジタル・テクノロジーは、暮らしや社会の課題解決にどう寄与できるのか。デジタルで私たちができることは、これからに向けて、まだまだあると考えています。 

 

中央集権的でなく、パーソナルで民主的な、オープンで開かれた社会。トップダウン型でなく、自然発生的なネットワーク型の広がりへの志向を、明確に意識するようになりました。   

▎1995年、インターネット時代のはじまり。「ダンクソフト」のはじまり。 

 

1995年、Windows95が発売になります。日本語版発売日の、深夜のお祭り騒ぎを覚えている人も多いことでしょう。 

 

そして1995年といえば、後にインターネット元年と言われる年で、ここからインターネットが社会全体に広がっていきます。 

 

当社の社名変更も、この年でした。デュアルシステムから「ダンクソフト」へ。 

 

この年は、ダンクソフトにとっても私自身にとっても、大きな節目となる年だったのです。 

「人を幸せにするシステム・デザイン」をimagineする


▎注目したい3つのポイント 

 

今回は、先日公開された事例、NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様のプロジェクトを取りあげます。私の目から見た意味や価値、それを支えた開発メンバーの活躍についてお話しします。  

NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様の活動の様子

こちらの皆様は、花壇や区民農園の整備など、花とみどりで人と人をつなぎ、明るく安全で、住みよいまちづくりを目指す団体です。東京・大田区で20年以上にわたり活動を続けています。 

 

もともと情報管理に紙とデジタルを併用しておられ、メールやファックスなど連絡方法もさまざまでした。ですが、これから活動を続けていくためには、やはり団体運営にデジタルを取りいれることが必要だと、kintone導入に踏み切られました。 

 

プロジェクトは2年半にわたりました。詳細はここでは省きますが、いろいろと紆余曲折がありました。結果としては、すばらしい成果と価値を生み出しました。 

 

中でも今回注目したいポイントが、3つあります。 

まず、プロジェクトの進め方が、変化に対応できるフレキシブルな伴走型アプローチである点。次に、プロジェクトを通じてお客様の可能性や新しい行動を引きだす「エンパワリング」の好例となった点。そして、よりよい社会に向けた「インターネットの善用」という未来と希望についてです。また、真摯にやさしくクライアントと連携しつづけた開発メンバー、企画チーム大川慶一のサポートぶりについても紹介したいと思います。 

 

事例:作業効率化を機に、デジタル化でプロセスを見直し、誰もが関われる団体運営へ 

お客様:NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様 
https://www.dunksoft.com/message/case-hanamidori-kintone    

▎対話を通して、変化に対応していくフレキシブルな開発アプローチ 

 ひとつめのポイントは、プロジェクトの進め方です。ダンクソフトとのプロジェクトは、進め方が「変わっている」「他とは違う」とよく言われてきました。 

 

というのも、一般的なシステム開発では、最初にゴールを明確に設定し、機能や仕様を設計書に落とし込んでから、計画通りにつくっていく進め方が、まだまだ主流です。いわば、答えを決めてからスタートするわけです。 

 

しかし、私たちはそうではないやり方を得意としています。何ができるようになるとよいか、大まかなゴールを共有します。そのうえで、まずは出来るところから着手し、小さな部分からでも改善しながら、設計、実装、展開を速いサイクルで繰り返し、開発を進めます。 

 

大田・花とみどりのまちづくり様と対話を重ね、作りあげたシステム。参加者それぞれに送付するポイント発行案内もkintoneアプリから一括で作成が可能。

これは一般的にはアジャイル開発と呼ばれているアプローチです。アジャイルとは、身軽で敏捷なという意味ですが、ダンクソフトはこれにくわえ、昔から、お客様との丁寧な対話と変化への対応を大切にしてきました。対話を通して、少しずつイノベーションを積み重ねていく「インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)」を掲げるダンクソフトらしい柔軟な開発プロセスです。 

 

これが大きく奏功したのが、今回のプロジェクトでした。プロジェクト開始前では見えてこなかった課題を発見しながらリクエストにも対応できますし、常に「小さな提案」をしながら進めていくことができます。変化の激しい時代には、このほうが結果として、お客様の満足が高く、使い勝手もよくなり、長いこと使っていただけるシステムになるのです。   

▎やわらかい言葉でお客様と連携できるエンジニアがいる 

 大田・花とみどりのまちづくり様は、事業もデータもとても複雑な団体です。多岐にわたるすべての要件を満たすのは、容易ではありません。また、事務局も活動メンバーも比較的ご高齢で、パソコンやデジタルになじみのない人がほとんどでした。 

 

ダンクソフト 企画チーム 大川慶一

そんな中で、つくりながら試運転と改善を重ねる開発スタイルでこのプロジェクトを推進したのが、ダンクソフト企画チームの大川というエンジニアです。コロナ前から100%在宅ワークで勤務している北関東在住のスタッフで、打合せもサポートもリモートが基本でした。団体の皆さんにもオンラインでの打ち合わせに慣れていっていただきながら、共感をもって協働関係を築いていきました。 

 

一般的なIT企業では、営業担当がお客様と接して、エンジニアはお客様と会わずに、営業担当者が聞いてきたことをもとに開発だけするケースが多いものです。でも、ダンクソフトには営業担当はいません。プログラマーやエンジニアが直接お客様と対話し、プロジェクトを進めていきます。一人ひとりがフレキシブルに多様な役割を果たす、「ポリバレント」な動きをしています。 

 

大川はエンジニアでありながら、パソコン初心者にもわかりやすい、やわらかい言葉でデジタルを説明でき、システム導入の話ができます。しかも、そうした方々と、望ましいゴールを探りながら進むプロジェクトです。ダンクソフトに、このようにお客様と対話し、提案ができるエンジニアたちがいることは誇りです。  

 ▎可能性と行動を引きだし、学ぶ意欲を高めた「エンパワリング」なプロセス 

 さて、注目したい第2のポイントは、このプロジェクトに参加することで、団体メンバーの方々がエンパワーされたことです。ひとりひとりの可能性や新たな行動が引きだされたり、学びの意欲が生まれたりしたことです。ダンクソフトのプロジェクトは、関わった人たちがプロジェクトを通じてエンパワーされることも、特徴のひとつです。エンパワーというものは、1回したから終わりではなく、常にエンパワーしつづけることが大事ですから、これを「エンパワリング」と呼びます。 

 

デジタルにチャレンジし続ける、大田・花とみどりのまちづくり様

たとえば、大田・花とみどりの街づくり様の場合、kintoneを導入したことをきかっけに、事務局長みずからが本で勉強して自分でもアプリ作成をはじめたり。メンバーの皆さんも、コロナ禍でプロジェクトを継続するために、初めてリモート会議に挑戦したり。都度都度、大川に相談しながら、より自律的に、自分たち自身の手でもデジタルにチャレンジし続けていく学習力が生まれたようです。そうなると、プロジェクトをさらに先へと展開させていく推進力になるんですね。 

 

このように、ダンクソフトのプロジェクトは、プロセスのなかで一人ひとりが、デジタルによってできなかったことができるようになり、その先の課題に目が向くようになります。 

 

「ここを変えたらもっと良くなる」という試行錯誤を重ねて、今、こちらの団体では、「他にこんなこともできる」「活動と団体のさらなる価値向上を」と、デジタルを活用した新たな価値創造へと視野を広げておられます。   

▎団体の社会的意義 ~花と緑の防犯効果、安全で住みよいまちづくり 

 花や緑や花壇が整っている街は、歩いていても暮らしていても心地よいものです。人の癒しになるだけでなく、防犯効果や安全・安心につながります。「みどりで人と人をつなぎ、明るく安全で住みよいまちづくりを目指す」という、大田・花とみどりのまちづくり様の理念にうたわれている通りです。 

 

大田・花とみどりのまちづくり様が管理する、駅前花壇

普段の生活の中で、たいていの人は花や緑の果たす役割に気づきません。整った状態を維持する方たちがいることや、その業務の大変さを意識することもないでしょう。ですが、ニューヨークもそうでしたが、らくがきがなくなった街では犯罪が減少します。これと同じで、緑が整備されていることで、その街で安全・安心して暮らせているのだと思います。 

 

地域コミュニティの価値を高める活動の意味がいかに大きく重要か、私たちにとっても貴重な気づきとなりました。私自身、住んでいる地域で、緑や環境整備に目が行くようになり、そうした視点から街を評価するようになりました。今までとはまた違った目で地域を見るようになったのも、この団体をご支援したことがきかっけです。   

▎よりよい社会に向けた「インターネットの善用」を目指す 

 こうした社会的意義の大きい団体と連携できることで、自分たちの仕事が、デジタルの力が、またインターネットの活用が、社会がよりよい方向に向かう一助になっていることを、担当者が直接実感できます。その経験や知見を、さらに開発にフィードバックしていくことができます。このことは、ダンクソフトにとって大きな価値になっています。 

 

現に、このプロジェクトを担当した大川は、最近、「人を幸せにするシステム・デザインって何だろう」ということを考え始めています。 

 

インターネットは良くも悪くも便利なツールになりました。それだけに、どうしてもお金が儲かる方向に悪用されることがあります。そちらの方が目立ってきているし、ユーザーの側が心無い企業に日々データを搾取されている実態もあります。 

 

ですがダンクソフトは、「インターネットの善用」を目指しています。よりよい社会に向かうために、インターネットの力を役立てたい。人がより明るい未来に向かうための活動を支援したいし、自分たちも向かっていきたい。そう考えています。 

 

社会全体でさまざまな分断が進むなか、インターネットで仕組みをつくる側にいる立場として、デジタルをどう使っていくか。「デジタル・デバイドの解消からコミュニティの活性化へ」というデジタルの未来を見据え、「よりよいインターネット」に寄与する存在でありたいと思います。 

HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり”

2022年、ダンクソフトは第40期を迎えます。その節目にあたり、今年のコラムでは何回かにわけて、IT業界の進展と共に変身してきたダンクソフトの歴史を取りあげていきます。初回となる今回は、ダンクソフトができた1980年代。誰も知らない創業の頃を語ってみたいと思います。 



▎1983年、デュアルシステム創業 ~はじまりは“ハードウェア”~ 

 

誤解されることが多いのですが、私は創業社長ではありません。創業者の遺志を受け継いで就任した、2代目社長です。東京・秋葉原に株式会社デュアルシステムが創業したのが1983年7月、創業者は会田祥彦さんでした。造船会社のIT部門で機械制御を担当していた方で、旺盛な独立精神から起こした会社です。自身で独自のブランド製品をつくりだしたいという希望をもってスタートしました。 

 

当時は、社員3名、アルバイト1名。初めて開発した自社製品は、PCとプリンタのあいだに置いて切り替えを行うスイッチでした。驚かれると思いますが、ダンクソフトの前身であるデュアルシステムの“はじまり”は、ハードウェアでした。ですから、社員にはメカトロニクスの技術者やハードウェア技術者もいました。 

 

若かりし頃の星野晃一郎

私が入社したのは、創業から1年後の1984年7月です。もともと音楽を志す文系学生でした。大学卒業後に音楽をやりながら、小さな寺子屋で英語と数学の個別学習を担当していたんです。ある日、インテルの最新CPU関する英語マニュアルを一緒に読んでほしいということで、SEの方が寺子屋にやってきました。彼は私に英語を、そして私は彼からプログラミングを学ぶという “co-learning” がはじまりました。その方から昼間は使わないPCを借りて、独学でプログラミングを学びはじめました。 

 

目に見えないものを構築していく点で、プログラミングは、音楽と親和性が高くて、おもしろかったんです。自作で学習システムやワープロソフトを作ったりして、ハマりました。一方、音楽のほうは、山下達郎の登場に衝撃を受けて、これは太刀打ちできないな、と。それを機に音楽の道ではなく、縁あってこの会社に入ることになったのです。入社した当時、私のプログラミング歴は2年半でした。  

▎2年で売上10倍の超急成長 

 

入社後すぐに担当したのが、富士通のプロジェクトでした。本社の制御系通信システムの開発プロジェクトに、メンバーとしてアサインされました。振り返っても、40年この業界で仕事をしてきた中で過去最高に難しい仕事で、当時は毎日、ただただがむしゃらに働いていましたね。 

 

入社時点の肩書は主任でした。とはいえ、社員数人の小さな会社です。部下は誰もいない、ひとり主任でした。まもなく管理主任になり、課長代理になりました。しかし課長はいません。じきに課長になり、部長代理になり(もちろん部長はいません)、入社から約2年で部長になっていました。その頃には部下も10人近くおり、売上も入社時の10倍ほどまで伸びていました。  

▎ハードウェアからソフトウェアへの転換 ~創業社長の急逝を乗り越えて~ 

 

ところが、1986年7月、社長が病気で急逝します。創業からわずか3年でした。そして同年9月、入社2年にして私が2代目社長に就任することになったのです。 

 

ソフトウェアに特化していくのはそこからです。小さな会社はノウハウこそが資産なので、やれることを絞らないと価値につながらないということは常に意識していました。そこで事業内容をハードウェア中心から、ソフトウェアに特化。あつかう分野もプログラミング言語も、意識的に絞っていきました。  

▎「これからはPCの時代だ」 ~未来を見すえた決断~ 

 

80年代は汎用機(メインフレーム)全盛期。企業のシステム開発は汎用機で行うことが主流でした。パーソナル・コンピュータ(PC)はその名の通り、個人で楽しむホビー用と認識されていて、プロが使うマシンとは思われていませんでした。当然ながら、PCベースでシステム開発をする企業もまだまだ少なかった。 

ですが、そんな中、ダンクソフトはPCベースのシステム開発を選択しました。PCの方がスピードにもコストにも優れ、作業の時間が短縮できます。実際に使用するクライアントの利便性が高いことも明らかでした。オモチャで開発するのかと揶揄する人もいた時代でしたが、今思えば、未来を見通した、先見性ある決断でした。 

汎用機(左)と当時画期的だったNEC9801(右) 

(出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0
Ing. Richard Hilber - 自ら撮影, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8724964による

https://en.wikipedia.org/wiki/PC-9800_series By Miyuki Meinaka - File:NEC_PC-9801UV_owned_by_Takayama_city.jpg, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77386805)

▎最初プロジェクトは、花屋さんのための課題解決システム ~80年代からサブスク型~ 

 

自社製品としての初プロジェクトで、自分たちがつくりたいものをつくれた最初のものは、花屋さんのためのシステムでした。 

 

ウェディング向けの花屋さんをやっている方が、コンピュータでしくみを作ることに、会社としてチャレンジされたいという相談でした。私たちも結婚式場に出向いてインタビューを重ねました。コンピュータを購入する予算がないため、ダンクソフトで余っていた少し古いPCを貸し出して導入し、販売管理の仕組みができあがりました。式に関する情報、会場、ドレスに合わせた花や小物の情報、イベント情報などが管理できる仕組みです。 

 

システムとして画期的だったのは、時間・期間の区切りをなくし、長期にわたるプロジェクト管理を可能にしたことでした。 

 

80年代に主流だった保存媒体フロッピーディスク 

(出展:https://en.wikipedia.org/wiki/Floppy_disk By George Chernilevsky - Own work, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6963942 ) 

当時の販売管理システムでは、通常、月や年単位で会計が区切られていました。月単位で管理して、月が終わったら〆て計算し、フロッピーに保存というものが主流でした。 

ただ、結婚式は1年後など先々での実施なので、時間に関係なく販売管理ができるものである必要がありました。また、花屋さんは週1回仕入れに行き、仕入れた花も再利用ができます。そういう特殊な事情を加味したシステムでした。 

 

今でいうサブスク型の契約でした。斬新です。こうして通常であればマシン購入やシステム開発費など、莫大な初期投資が必要だったところ、イニシャル・コストを抑えての導入が実現できました。40年たった今でも、しっかりシステムの内容を決めてから受発注するプロジェクトが多いのが実情です。そんな中、80年代に、お客様と連携しながら少しずつ開発し、刷新していく顧問型プロジェクトとして提供したのは、時代を先行していましたね。 

 

このお客様は今でもご支援が続いています。デジタルの力で、ビジネスをよりよくしていくパートナー(協働相手)として、連携しながらご一緒しています。 

 

また、ここで生まれた、決算期に縛られない、時間をこえて企業の重要情報を管理できる斬新な発想は、その後も変わらず弊社製品の設計思想として受け継がれています。現在の製品でいえば、「未来かんり」に活かされています。 

 

▎「はじまりをつくる」のはじまり 

 

もともとデュアルシステム(現ダンクソフト)は、創業者が自社ブランド製品を開発する意図で立ちあげた会社です。ハードウェアからソフトウェアに転換した今日も、自社ブランドを開発するというDNAは、現在のダンクソフトに受け継がれています。新しい取り組みに挑戦し、常に学びつづけ、学びあうという精神も、創業時から大切にしていること。ダンクソフトのインクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)を支えていると言えるでしょう。  

▎80年代の創業期は時代の激動期 

 

私はビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスと同じ年の生まれです。80年代のIT業界は、やがて来るパソコン時代やインターネット時代を目前に控え、ものすごいスピードで動き続けていました。黎明期とはこういうものなんでしょうね。私たちも、ここから変わっていく、そのはじまりをつくっていくという自由な時代の風を感じながら、休みなく働き続けていました。  

ビル・ゲイツ(左)とスティーブ・ジョブス(右)

(出展:
Bill Gates photo by DFID - UK Department for International Development - https://www.flickr.com/photos/dfid/19111683745/, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

Steve Bobs photo by Matthew Yohe, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

私自身も超多忙で、月の残業時間が多いときで150時間にのぼり、最多で9つのプロジェクトを抱えて同時進行。もっとも過酷な時期は月1kgずつ体重が落ちていき、命の危険を覚えたこともありました(笑)。 

 

80年代の創業期はそんな猛烈な状況でしたから、あっという間に過ぎたというか、あまりに忙しすぎて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをよく覚えていないくらいです。唯一覚えているのは、84年のロス五輪の時期、実家に戻って家族とテレビを見たという記憶ぐらいです。そんな激動の立ちあげ期が、ダンクソフトにもあったということです。 

 

この後、90年代、そして21世紀へと時代が進み、自社製品のリリース、ダンクソフトへの社名変更、マイクロソフト社とのパートナーシップ等を経て、ダイバーシティ、ワーク・ライフ・バランス、そしてエシカルへと向かって変化しつづけていくことになります。そのあたりはまた次回以降、順にお話ししていこうと思います。  

2022年 年頭所感

新年あけましておめでとうございます。 

2022年の年頭にあたり、ご挨拶申し上げます。  


▎2022年、デジタルで劇的に流れを変えていく 

 

2022年は、後戻りせず、未来を実現していく時です。 

 

インターネットにあらゆるものをのせていく。加速してきた流れが、いよいよ社会と暮らしを変える大きなうねりとなってきました。「スマートオフィス構想」も、新たな局面に入っています。 

 

本年はダンクソフトにとって、40期目となる大きな節目の年でもあります。他に先がけて常にクリエイティブにはじまりをつくり、劇的に流れを変える年にしていきます。   

▎社名の「ダンク」はダンク・シュートのダンク 

 

ダンクソフトの「ダンク」は、ダンク・シュートのダンクです。これはバスケットボールの花形プレイで、高く跳んでリングの真上からボールを直接たたき込む、あのダンク・シュートです。 

 

ダンク・シュートは、相手のディフェンスを完全に崩して、試合の「流れ」を劇的に変えることができます。インパクトが大きく、人の心を動かします。驚きで感動を生むという大きな力をもっています。   

▎驚きで感動を生み、世の中のシーンを変える 

 

また、ダンクは「ジャンク」ともかけています。ジャンクDNAのジャンクですね。くだらないもの、つまらないもの、がらくたを意味しますが、一見くだらなく思えるもののなかに、実は価値があるという意味を込めています。どうでもいいような役に立たないものをつくっている会社です、と言いながら、実は予断をもたず、劇的に流れを変える、新しい価値を提示するようなサービスやプロダクトをつくっているという(笑)。遊び心のある、ちょっとしたユーモアでもあります。 

 

ダンクソフトは、いつもダンク・シュートをねらっています。ダンク・シュートのような、劇的に流れを変えるサービスやプロダクトをつくり、世の中のシーンを変えていく。新たなはじまりをつくる。常にそこを目指しています。2022年は、40周年を刻む年でもありますから、スタッフやお客様、そしてパートナーの皆様と共に、ダンク・シュートを次々と決め、驚きで感動を生んでいきたいですね。  

▎2021年の成果が結実、アワードも受賞 

 

2021年は、多くの新たなはじまりが生まれた、いい1年になりました。日本各地でさまざまなプロジェクトが展開し、新たなシーンを生み出しました。業績もよく、新しいメンバーが4人入社。来春ジョインする2人の内定も決まっています。 

 

そんな2021年の終わりに、ダンクソフトは、株式会社 主婦と生活社が主催する「CHANTO総研企業アワード2021」を受賞しました。各地で展開するリモートオフィスや長年にわたるテレワークの実績など、スタッフの働きやすさにつながる施策のほか、「スマートオフィス構想」に対して評価いただいたものです。 

 

こうした賞をいただくのは、2017年の東京都「東京ライフ・ワーク・バランス認定企業」以来で、ありがたいことにこれで16個目の受賞となります。2017年には、他にも、経済産業省「攻めのIT経営中小企業百選」、徳島県「とくしま子育て大賞 子育てサポート大賞」と、年間に3つの受賞という晴れがましい年でした。 

 

●参考 

https://www.dunksoft.com/news/2021/12/9 

https://www.dunksoft.com/award 

 

●CHANTO総研のインタビュー記事 

https://chanto.jp.net/work/working/237219/ 

https://chanto.jp.net/work/working/237229/   

▎ウェブチームと手がける、生活イノベーション 

 

2022年のダンクソフトの見どころを、チームごとにご紹介したいと思います。 

 

まずウェブチームは、昨年4人の新メンバーを迎え、大きくパワーアップしました。新卒メンバーも含めて適応がとても早く、新たなテクノロジーを導入するよい機会にもなりました。 

 

また、これまで開発を進めてきたプロジェクトから、今年、大きな新展開を発表できる予定です。たとえば、投資の民主化と呼びたいような、皆さんがあっと驚く新しいサービスを用意しています。大半の人たちにとって遠くに感じられた証券取引や投資がもっと身近になり、生活の中に新しいイノベーションを提供できる運びで、期待がかかります。   

▎業務効率化ツールが「対話ツール」へと進化 

 

次に開発チームでは、「ダンクソフト・バザールバザール」のメジャー・アップデートに向けて動いています。バザールバザールは、現在は組織の会員管理を主眼としたクラウド・サービスとして提供しています。おもに事務局が業務を効率化して、会員とのコミュニケーションを円滑に活発にするサービスとして、力を発揮しています。 

 

今、この特長をさらに伸ばしながらも、単なる業務効率化ツールにとどまらない、「対話ツール」へと進化させています。ニュービジネス協議会様や阿南高専ACT倶楽部様のような先行事例をよきモデルとして、さまざまな組織への導入をサポートしていければと考えています。 

 

対談:地域イノベーションが生まれる協働のしくみとは──徳島でACT倶楽部が始動 

https://www.dunksoft.com/news/2021/11/1 

 

「対話」はとても重要で、ダンクソフトでも重視しています。多様な人たちが自律しながら協力し、平等に意見を出しあえ、良質な対話ができることで、組織も、チームも、個人もよくなると考えています。議論や評論や論破ではなく、「多様性の中の対話」によって、イノベーションを起こしていくことが大事です。このためのツールへと、バザールはさらに進化していくことでしょう。  

 ▎誰でもどこからでも、世界を視野にビジネスを 

 

企画チームの2022年は、「WeARee!」(ウィアリー)の進展が大いに期待しています。先月のコラムでは、砥部焼の窯元とともにバーチャル・ツアーを実現したケースをお話ししました。バーチャル・ツアーを使って、作家や生産者自身が、地域に居ながらにして、みずから世界へプレゼンテーションできる環境が整いました。愛媛まで足を運べなくても、インターネットごしに日本のアートワークを手に入れたい人は世界中にいますので、バーチャル・ツアーの後、即、ECサイトで入手することも可能です。このように、「バーチャル・ツアー+ECサイト」という組み合わせによって、世界が一気に目の前にやってきますね。 

 

言葉の壁も、翻訳技術の向上によって、大きな障害ではなくなりました。世界を視野に入れたビジネスが、場所や組織規模を問わず、誰にでも可能な時代なのです。 

 

バーチャル・ツアーだけでなく、「WeARee!」は、使い方次第で、まだまだ多様な可能性がひらけていくでしょう。新しい使い方をたくさん発見するために、多くの方々に使っていただける年にしていきたいですね。  

▎石垣島の学童運営にみる、未来の先どり 

 

2021年のハイライトとして大きいのが、何度かご紹介してきた石垣島の放課後学童クラブのケースです。デジタル導入による作業効率化、コミュニティ活性化の温かくも斬新な成功事例で、このケースには私たちが目指す未来のかたちが詰まっています。   

▎小さな会社こそ、デジタル化の好機 

 

かつて、デジタル化や情報システムの導入は、とてもお金のかかるものでした。大企業でなければ難しかった時代がありました。ですが、クラウドが登場して、システム導入に要する費用は劇的に下がりました。 

 

いまや、小さな組織でも、かつて大企業だけが使えたようなシステムを利用できるようになりました。いえ、むしろ小さな会社や団体ほど、デジタル化の劇的なメリットがあります。テクノロジーが急速に進展し、いよいよ環境が整った今、小さな組織、地域の組織、PCが浸透していない組織こそ、デジタル化の恩恵を実感する好機なのです。  

 ▎スマホとインターネットさえあれば、できる 

 

石垣島はなまる学童クラブ様の場合も、もともとPCを使う人は、ほとんどいませんでした。でも、スマホとインターネットは、日ごろから皆さんが使っているのです。それなら後は、“インターネットにあらゆるものをのせていけばよい”だけ。ダンクソフトは、そこをお手伝いしていきました。 

 

結果、変化は劇的でした。はなまる学童クラブ様の場合、事務担当の専任スタッフがいなくても運営できるようになったのですから。それほどに事務作業の負荷を減らせています。もちろん作業は全て、使い慣れたスマホのままです。 

 

このようにスマホとインターネットがあれば、できる。「ない」と思っていたインフラが、実は「ある」。このことに、サービスを提供する企業サイドが、まだ気づいていないだけだと思います。    

▎子どもたちが未来だ 

 

効率化で得られた費用や時間は、子どもたちのために。子どもたちがのびのびと成長できる、理想の学童づくりのために活かされています。 

 

子どもたちの笑顔が何よりですね。未来をつくるのは彼らですから。そこに未来が見えます。ダンクソフトにとって、子どもたちの未来につながるサポートをしていること自体が価値でもあります。 

 

また、はるか2000キロも離れた石垣島の学童と東京の会社が、実際に会わずにも協働できることも新しい。いくつもの意味で、私たちが目指す未来のかたちの詰まったケースだと思います。   

▎ダンクソフトは地域へ、世界へ 

 

インターネットにあらゆるものをのせていく。そしてその先にある「スマートオフィス構想」へ。これまで展開してきたサービスから、未来を先どりする事例が、目に見える形で、次々と結実してきています。 

 

「WeARee!」も「ダンクソフト・バザールバザール」も「日報かんり」も「学童アプリ」も、すべてスマートオフィス構想の一環です。これからさまざまなプロダクト&サービスが連携し、収斂し、スマートオフィス構想がいよいよあちこちで実現していくフェイズに入りました。 

 

2021年はフランスからのインターンを受け入れ、ダンクソフトにとってヨーロッパが近くなりました。3年後にはパリでオリンピック開催です。そのころまでには、ダンクソフトも世界へ向けた「スマートオフィス構想」を展開していきたいですね。機は熟したと感じています。 

 

世界全体を見渡せば、あちこちで分断が進んでもいることが気がかりです。都市と地域、子どもの現在と将来、地域と世界、森と人……。しかし、関係が途切れている“あいだ”にこそ、デジタル活用の可能性があります。最後に一言。気が付いた人から変わっていくことが大事です。そのための意識変革をうながすのが、私たちダンクソフトの役割だと思っています。 

 

2022年、もとに戻らず、ご一緒にデジタルで次なるはじまりをつくっていきましょう!

株式会社ダンクソフト 
代表取締役 星野 晃一郎