HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ第3回目です。インターネットの可能性が幕を開ける1990年代後半をとりあげます。

  

▎インターネットがいよいよ台頭

 前回の「HISTORY2」では、パーソナル・コンピュータ黎明期だった90年代前半のエピソードをお話ししました。激変が続くコンピュータ業界、空前のバブル景気、そしてバブル崩壊、相次ぐ災害と危機。苦境のなか、がむしゃらに仕事にうちこみ、WindowsやAccessをいち早く事業化していく激動の数年間でした。

 

今回は、1990年代後半。社名をデュアルシステムから「ダンクソフト」へと変更しました。時代はいよいよインターネットが社会全体に広がっていくときです。私が感じていた可能性を実証したくて、まず自分自身ですすんで新しい体験をしていましたね。インターネットによって何がどう変わるのか。その先の未来を見ていた時代です。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)

https://www.dunksoft.com/message/2022-04 

  

▎Windows95から98へ。AppleからはiMacが登場

 当時の業界事情は、それまでから一転、大躍進したWindowsの全盛期になります。Windows95、Windows98。深夜のお祭りさわぎにわく秋葉原の情景は、もはや社会現象でした。覚えている人も多いでしょうね。

 

この頃、実はApple社は一度傾きかけています。ですが、スティーブ・ジョブズの復帰から、98年のiMac登場を経て、劇的な回復を遂げていきます。私自身、なかなか手にはいらなかったなか、運よく入手できたiMacを実際に使ってみて、これはなかなかいいな、と感じたことを覚えています。

  

▎特許申請に値する、画期的な工程管理システムを開発 

当時のダンクソフトは、それまでの流れを受けて、Accessを使ったアプリケーション開発を多く手掛けていました。なかでも、T建設様とプロジェクト管理のソフト会社とダンクソフトが共同開発したビルの工程管理システムは画期的でした。それまで熟練の職人が1週間かかって手計算していた工程計画を、ボタンひとつ押した瞬間に、わずか数秒で計算し、工程表が完成するというものでした。

 

これにはT建設様もとても驚いて、特許申請しようと提案されるほど斬新なものでした。デジタルを駆使して、効率化だけではない、その先にあるものに向かっていく。手計算からデジタルへ。ある意味、このシステム自体があっと驚く、新しい“はじまり”をつくったと言えるでしょう。建設業界で高い評価をいただいて口コミで次々に広がり、T建設様のほか、大手ゼネコン各社に採用いただきました。

 

会社としては、バブル崩壊のダメージから回復していく途上にありました。私を含め総勢5〜6人で、本当にがむしゃらに働いていたころです。連日、深夜まで仕事をして、会社に寝袋で泊まり込むことも珍しくありませんでした。今ではとても考えられませんね。

  

▎2週間の休暇をとり、ワールドカップを観にフランスへ

 ところで、インターネットは、まだビジネスにも、生活にも浸透していませんでした。ですが、私はインターネットに、はかりしれない可能性を感じていました。

 

そんななか、私にとって衝撃の大事件が起きます。1998年フランスFIFAワールドカップ・アジア予選で、サッカー日本代表が悲願の初出場を決めたのです。こんなことが現実になるとは想像もしていませんでした。小さいころプレイしていたこともあり、サッカーが大好きで、日本代表の試合もずっと見てきました。その少し前まで、日本のサッカーはとても世界に通用するものではなかったのです。

  

▎旅のテーマは「インターネット」

 いてもたってもいられず、フランスへ行こうと決心しました。会社はバブルの打撃から回復の途上という状況でしたから、葛藤もありました。でも、ワールドカップに日本代表が出場するなど、一生に一度のチャンスかもしれないと、当時、痛烈に思ったのです。思い切って2週間の長期休暇をとりました。

 

行く以上は何かに生かそうと考えまして、そこで掲げたテーマが「インターネット」です。すべての工程で、インターネットを駆使した旅にしようと、実験してみることを決めました。

  

▎先んじて自分で実験してみるという冒険

 まず、まだ当時めずらしかったことですが、事前から現地まで、旅行手配をすべてインターネットで、自力で予約してみましたね。

 

海外旅行といえば、移動・宿泊の手配は旅行会社、情報源は紙のガイドブックの時代です。もちろんカーナビはありません。それより少し前に何の予定も組まずに旅をするバックパッカーのブームもありましたが、このとき私が実践してみたのは、そうした現地飛び込み型ではなく、インターネットを使ってすべて自分で事前手配しながら、その上で気ままに次の目的地をめざす、新しいタイプの自由旅行でした。

 

マルセイユの街並み

対ジャマイカ、日本代表の3試合目を観たあと、私はアルルからマルセイユへと旅をしながら、サッカーの試合を楽しみました。その後はフランスを離れ、ミラノ、チューリヒへと、1300㎞をレンタカーで走破。その都度、インターネットでホテルを探し、地図をもって目的地へ移動します。最後は、スイスから帰国の途につきました。

  

▎現地からリアルタイムに情報発信、インターネットの手ごたえを確信

 それから、現地から試合速報や生の情報を、インターネットを使って知人たちにメール配信しました。試合直後に、会社のメンバーを含め20数名に、試合結果などをメールで送りました。それを社のメンバーが、インターネット上に公開してくれていました。

 

テレビ中継でマスメディアが報じるのとは違う、一個人の情報発信は、日本にいる人たちにとって貴重な情報だったと思います。いまでこそ、一人一人がSNSで情報を出せる時代になりましたが、現地から生の情報がほぼリアルタイムで届くことは珍しく、みなさん喜んでくださいました。

 

あの頃のインターネットは、パソコンにモデムが内蔵されていて、電話回線につなぐダイヤルアップ接続でした。いまのようなWi-Fiはありません。ですから、通信のために電話線を持ち歩いて、電話の回線ジャックにケーブルをさすわけです。ピーヒョロロローという発信音を聞きながら回線をつないだものです。

 

このとき体験した驚きと感動は、「インターネットの可能性を追求する」という明確なイメージとなり、現在のダンクソフトが掲げる「インターネットによりよいものをのせていく」という「スマートオフィス構想」につながっています。

 

インターネットを使えば、それまでやれないと思っていたことが、実はできる。実体験をもって「できるんだ」と知り、人々に先んじて手ごたえを感じたことの意味は大きかったですね。

 

当時の情報は、後に個人ブログに転載したので、今も読むことができます。よろしければご覧ください。 

http://blog.roberto-system.jp/200605/article_9.html 

  

▎日本人の働き方は、これでいいのか?

 さらに、この2週間の休暇で得たものがあります。それは、働き方に対する大きな意識の変化です。

 

当時私は、大変な葛藤があって「2週間も」休んでいるという気持ちがあり、覚悟を持って渡欧しました。ところが、ヨーロッパの人たちにとっては「2週間、それは短いね」という反応でした。価値観がまったくちがったのです。

 

彼らは1カ月~2カ月のバケーションを当たり前にとります。なのに、GDPはそれなりに高い。きっと集中して働き、思い切り休むからなのでしょう。メリハリというか、緩急があるのですね。

 

▎この違いはどこから来るのか

 旅先で会う向こうの人たちは、とても楽しそうでした。キャンピングカーで夏のバケーションをエンジョイしている人にもたくさん会いました。かたや日本の私たちは、毎日めちゃくちゃに働いてオフィスで寝袋。この違いはどこから来るのだろう? と考えずにいられません。

 

それまでは「これが当然」と思っていた過酷な働き方に、はっきりと疑問を覚えました。このままではよくない。働き方を変えていくほうがいい、と感じた原体験です。

  

▎いち早く実験して、未来を確信し、新しい“はじまり”をつくる

 この後、1990年代末ごろのいわゆる2000年問題を経て21世紀に入ると、いよいよインターネットが世界を席巻していきます。ダンクソフトも、ウェブサイト制作に力を入れ始めます。また、社内のことでいえば、2002年には就業規則をスタッフ自らが書きかえはじめ、スタッフたちが徐々に自律型人間へと変化していきます。そして2008年には、インターネット前提の働き方、テレワークの実践が始まります。

 

90年代後半にしていたことは、インターネットに感じた可能性をいち早く実験し、先どりし、未来への確信をつかんだこと。そして、この確信をビジネスへと展開し、社内外をインクリメンタル(漸進的)に変えていったことでした。90年代後半は、このあと劇的な変化を起こしていく、ダンクソフトらしい“はじまり”のはじまりでした。