HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり”

2022年、ダンクソフトは第40期を迎えます。その節目にあたり、今年のコラムでは何回かにわけて、IT業界の進展と共に変身してきたダンクソフトの歴史を取りあげていきます。初回となる今回は、ダンクソフトができた1980年代。誰も知らない創業の頃を語ってみたいと思います。 



▎1983年、デュアルシステム創業 ~はじまりは“ハードウェア”~ 

 

誤解されることが多いのですが、私は創業社長ではありません。創業者の遺志を受け継いで就任した、2代目社長です。東京・秋葉原に株式会社デュアルシステムが創業したのが1983年7月、創業者は会田祥彦さんでした。造船会社のIT部門で機械制御を担当していた方で、旺盛な独立精神から起こした会社です。自身で独自のブランド製品をつくりだしたいという希望をもってスタートしました。 

 

当時は、社員3名、アルバイト1名。初めて開発した自社製品は、PCとプリンタのあいだに置いて切り替えを行うスイッチでした。驚かれると思いますが、ダンクソフトの前身であるデュアルシステムの“はじまり”は、ハードウェアでした。ですから、社員にはメカトロニクスの技術者やハードウェア技術者もいました。 

 

若かりし頃の星野晃一郎

私が入社したのは、創業から1年後の1984年7月です。もともと音楽を志す文系学生でした。大学卒業後に音楽をやりながら、小さな寺子屋で英語と数学の個別学習を担当していたんです。ある日、インテルの最新CPU関する英語マニュアルを一緒に読んでほしいということで、SEの方が寺子屋にやってきました。彼は私に英語を、そして私は彼からプログラミングを学ぶという “co-learning” がはじまりました。その方から昼間は使わないPCを借りて、独学でプログラミングを学びはじめました。 

 

目に見えないものを構築していく点で、プログラミングは、音楽と親和性が高くて、おもしろかったんです。自作で学習システムやワープロソフトを作ったりして、ハマりました。一方、音楽のほうは、山下達郎の登場に衝撃を受けて、これは太刀打ちできないな、と。それを機に音楽の道ではなく、縁あってこの会社に入ることになったのです。入社した当時、私のプログラミング歴は2年半でした。  

▎2年で売上10倍の超急成長 

 

入社後すぐに担当したのが、富士通のプロジェクトでした。本社の制御系通信システムの開発プロジェクトに、メンバーとしてアサインされました。振り返っても、40年この業界で仕事をしてきた中で過去最高に難しい仕事で、当時は毎日、ただただがむしゃらに働いていましたね。 

 

入社時点の肩書は主任でした。とはいえ、社員数人の小さな会社です。部下は誰もいない、ひとり主任でした。まもなく管理主任になり、課長代理になりました。しかし課長はいません。じきに課長になり、部長代理になり(もちろん部長はいません)、入社から約2年で部長になっていました。その頃には部下も10人近くおり、売上も入社時の10倍ほどまで伸びていました。  

▎ハードウェアからソフトウェアへの転換 ~創業社長の急逝を乗り越えて~ 

 

ところが、1986年7月、社長が病気で急逝します。創業からわずか3年でした。そして同年9月、入社2年にして私が2代目社長に就任することになったのです。 

 

ソフトウェアに特化していくのはそこからです。小さな会社はノウハウこそが資産なので、やれることを絞らないと価値につながらないということは常に意識していました。そこで事業内容をハードウェア中心から、ソフトウェアに特化。あつかう分野もプログラミング言語も、意識的に絞っていきました。  

▎「これからはPCの時代だ」 ~未来を見すえた決断~ 

 

80年代は汎用機(メインフレーム)全盛期。企業のシステム開発は汎用機で行うことが主流でした。パーソナル・コンピュータ(PC)はその名の通り、個人で楽しむホビー用と認識されていて、プロが使うマシンとは思われていませんでした。当然ながら、PCベースでシステム開発をする企業もまだまだ少なかった。 

ですが、そんな中、ダンクソフトはPCベースのシステム開発を選択しました。PCの方がスピードにもコストにも優れ、作業の時間が短縮できます。実際に使用するクライアントの利便性が高いことも明らかでした。オモチャで開発するのかと揶揄する人もいた時代でしたが、今思えば、未来を見通した、先見性ある決断でした。 

汎用機(左)と当時画期的だったNEC9801(右) 

(出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0
Ing. Richard Hilber - 自ら撮影, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8724964による

https://en.wikipedia.org/wiki/PC-9800_series By Miyuki Meinaka - File:NEC_PC-9801UV_owned_by_Takayama_city.jpg, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77386805)

▎最初プロジェクトは、花屋さんのための課題解決システム ~80年代からサブスク型~ 

 

自社製品としての初プロジェクトで、自分たちがつくりたいものをつくれた最初のものは、花屋さんのためのシステムでした。 

 

ウェディング向けの花屋さんをやっている方が、コンピュータでしくみを作ることに、会社としてチャレンジされたいという相談でした。私たちも結婚式場に出向いてインタビューを重ねました。コンピュータを購入する予算がないため、ダンクソフトで余っていた少し古いPCを貸し出して導入し、販売管理の仕組みができあがりました。式に関する情報、会場、ドレスに合わせた花や小物の情報、イベント情報などが管理できる仕組みです。 

 

システムとして画期的だったのは、時間・期間の区切りをなくし、長期にわたるプロジェクト管理を可能にしたことでした。 

 

80年代に主流だった保存媒体フロッピーディスク 

(出展:https://en.wikipedia.org/wiki/Floppy_disk By George Chernilevsky - Own work, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6963942 ) 

当時の販売管理システムでは、通常、月や年単位で会計が区切られていました。月単位で管理して、月が終わったら〆て計算し、フロッピーに保存というものが主流でした。 

ただ、結婚式は1年後など先々での実施なので、時間に関係なく販売管理ができるものである必要がありました。また、花屋さんは週1回仕入れに行き、仕入れた花も再利用ができます。そういう特殊な事情を加味したシステムでした。 

 

今でいうサブスク型の契約でした。斬新です。こうして通常であればマシン購入やシステム開発費など、莫大な初期投資が必要だったところ、イニシャル・コストを抑えての導入が実現できました。40年たった今でも、しっかりシステムの内容を決めてから受発注するプロジェクトが多いのが実情です。そんな中、80年代に、お客様と連携しながら少しずつ開発し、刷新していく顧問型プロジェクトとして提供したのは、時代を先行していましたね。 

 

このお客様は今でもご支援が続いています。デジタルの力で、ビジネスをよりよくしていくパートナー(協働相手)として、連携しながらご一緒しています。 

 

また、ここで生まれた、決算期に縛られない、時間をこえて企業の重要情報を管理できる斬新な発想は、その後も変わらず弊社製品の設計思想として受け継がれています。現在の製品でいえば、「未来かんり」に活かされています。 

 

▎「はじまりをつくる」のはじまり 

 

もともとデュアルシステム(現ダンクソフト)は、創業者が自社ブランド製品を開発する意図で立ちあげた会社です。ハードウェアからソフトウェアに転換した今日も、自社ブランドを開発するというDNAは、現在のダンクソフトに受け継がれています。新しい取り組みに挑戦し、常に学びつづけ、学びあうという精神も、創業時から大切にしていること。ダンクソフトのインクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)を支えていると言えるでしょう。  

▎80年代の創業期は時代の激動期 

 

私はビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスと同じ年の生まれです。80年代のIT業界は、やがて来るパソコン時代やインターネット時代を目前に控え、ものすごいスピードで動き続けていました。黎明期とはこういうものなんでしょうね。私たちも、ここから変わっていく、そのはじまりをつくっていくという自由な時代の風を感じながら、休みなく働き続けていました。  

ビル・ゲイツ(左)とスティーブ・ジョブス(右)

(出展:
Bill Gates photo by DFID - UK Department for International Development - https://www.flickr.com/photos/dfid/19111683745/, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

Steve Bobs photo by Matthew Yohe, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

私自身も超多忙で、月の残業時間が多いときで150時間にのぼり、最多で9つのプロジェクトを抱えて同時進行。もっとも過酷な時期は月1kgずつ体重が落ちていき、命の危険を覚えたこともありました(笑)。 

 

80年代の創業期はそんな猛烈な状況でしたから、あっという間に過ぎたというか、あまりに忙しすぎて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをよく覚えていないくらいです。唯一覚えているのは、84年のロス五輪の時期、実家に戻って家族とテレビを見たという記憶ぐらいです。そんな激動の立ちあげ期が、ダンクソフトにもあったということです。 

 

この後、90年代、そして21世紀へと時代が進み、自社製品のリリース、ダンクソフトへの社名変更、マイクロソフト社とのパートナーシップ等を経て、ダイバーシティ、ワーク・ライフ・バランス、そしてエシカルへと向かって変化しつづけていくことになります。そのあたりはまた次回以降、順にお話ししていこうと思います。