SmartOffice Adventure ─ ぼくらは人がやらないことをやる ─
株式会社ダンクソフト
代表取締役 星野晃一郎
経営者の会からうまれた新活動 ~アクティブ・シニア・プロジェクト
1980 年代に、創業者から社長職を継承して以来、経営者が集う東京ニュービジネス協議会(NBC)に参加してきた。80 年代後半に行っていた若手経営者の勉強会を再度立ち上げたいとの意向があり、2002年から再び経営者の勉強会を始めることになった。そこでは、経営強化委員会の初代委員長である M.E. 氏の元、月1回の会合とメンタリング・プログラムを実施していた。参加者それぞれの経営が前向きになった時点で、M.E. 氏より、横断的ネットワークを生かした新たなプロジェクトの提案があった。
それは、「アクティブ・シニア・プロジェクト」というものだった。リタイア後のシニア層は、まだまだ活躍できるチャンスがある。その力を活かして、都会ではなく、色々な地域の中で、周囲の人々と連携して課題解決するためのチームがつくれないか。あるいは、アクティブ・シニアが活躍するコミュニティがつくれるのではないかという内容だった。
そこで、M.E. 氏が音頭を取り、アリゾナのサンシティーやマレーシアのペナン島など、シニア・コミュニティの候補地を 2 年間にわたり調査した。その結果、海外拠点ではやはり言語、習慣、通貨の壁があり、医療体制に不安がのこることが明らかになった。そこで国内に視点を変えて、温暖で薬草が豊富にある石垣島に白羽の矢が立った。
2005 年5 月、経営者の会は石垣市長とも面会し、地元との関わりが始まった。プライベートビーチ付きの土地を購入する契約まで進んだのだが、それが突然破談になり、意欲的にプロジェクトに関わっていたメンバーたちはやる気を失ってしまった。さらに発案者の M.E. 氏も 2006 年 1 月に急逝、結果的に石垣島にアクティブ・シニア・コミュニティをつくるプロジェクトは、いったん停止することになった。
次の挑戦は伊豆高原。そこでの失敗から、徳島神山町のサテライト・オフィスへ
2006 年 11 月、会の発起人である H.D. 氏の父親で、さいたまトヨペット創業者の H.Y. 氏より、所有している伊豆高原の森林を利用しないかという提案があった。メンバーによる数回の視察を経て、ダンクソフトのスタッフYからある提案をうける。それは、伊豆半島全体を利用して、子供たちに遊びの機会を提供する NPO を立ち上げたいというものだった。そこで、ダンクソフトが中心となり、伊豆高原でのプロジェクトを進めることになった。
現地に移住したシニアが経営する不動産会社がオフィスに入居し、NPO では、カヌーとフライ・フィッシングを子供たちに教えることをビジネスのコアにするという構想がはじまった。すぐに森林の中にトレーラーハウスを置いて、拠点になるか?など、場所の吟味がスタートした。
ほどなくして、2007 年春、ある中古の別荘が見つかった。それは、会のアドバイザーでもある建築家 Y.M. 氏が最初に設計、施工した物件だった。この中古の別荘をダンクソフトで購入し、本格的にプロジェクトがスタートした。
別荘を SmartOffice として整備することも、目指すことのひとつだった。別荘を丸ごとクラウド化して、利用者にすべての ICT システムが完備された状態をつくる試みだ。クラウドが今のように整備される前のこととはいえ、先進的かつ画期的な試みだった。
しかし、残念なことに、この直後にリーマン・ショックが起き、不況が世界を襲うことになった。その影響で、伊豆高原にフライ・フィッシングなどの遊びを楽しみにやって来る人たちも激減した。また経済のあおりを受けて、ダンクソフトも減収を余儀なくされた。そこから立ち直ろうとしている 2011 年 3 月 11 日には、東日本大震災が起こった。3.11 以後は、東京とは別の場所である伊豆に拠点を持っていることは、BCP (事業継続計画)の観点から、会社として好条件ではあった。ただ、伊豆高原のインターネット環境が期待したほど優れず、IT企業のバックアップ・オフィスにはならないことが判明。結果、伊豆高原の実証実験からは撤退することになった。
その後、震災直後に、ダンクソフトは東京の代替地として、超高速ブロードバンドのある徳島と出会った。当時注目されはじめていた神山町に、いちはやくサテライト・オフィスをつくり、SmartOffice 実現に向けたダンクソフトの物語りは続いていく。徳島以降は、萩、北海道別海町、徳島県阿南市などで、続々とテレワーク実証実験を重ね、各地で新しい働き方のモデルを示してまわることになる。その話はまた別で語ることとしよう。
石垣市宮良地域で学童クラブがスタート、再び石垣島の地を訪れる
2020 年 4 月、石垣市宮良地域で、新しい放課後学童クラブ「はなまる学童クラブ」がスタートした。設立早々にコロナ禍となり、小学校が休校に。いきなり全日でお子さんたちを迎える体制を整える必要がでてしまう。そのため、運営者である松原かい氏は、シフトや勤務体制を簡単に管理できるツールを早急に探していた。経営相談をしている会社に相談すると、“ダンクソフトさんならそういう仕組みが作れるかもしれない。東京の会社だが、相談してみたらどうか”と、担当の中香織を紹介された。電話やオンライン会議で、2000 キロ離れた場所同士が連携し、新システム開発がスタートした。
そして 2021 年 12 月、星野は、石垣島を訪れ、ダンクソフトが提供する学童システムを駆使して学童運営をする松原かい氏を訪問。NBCで石垣島でのアクティブ・シニア・コミュニティを計画したころから、実に 15 年ぶりに石垣島に降り立ったことになる。
石垣島から、子供たちと「 SmartOffice 構想」をスタートする未来
学童の子供たちみんなは、ダンクソフトのシステムによって、働いているスタッフがとても助かっていることを知っていた。男子 2 名が、星野と同伴していた奥様に握手を求めて感謝を示したほど。彼らの未来に、ダンクソフトがなんらかの寄与ができないかと、構想する。
例えば、夏休みなどの機会を使って、リモートでプログラミングを子供たちと Co-Learning するのはどうか? プログラミングを学んだ学童の卒業生たちが、今後は島の中で学童システムを維持管理していけるのではないか? さらに、自分たちでツールをバージョン・アップしながら、彼らのプロジェクトとして、少しずつ沖縄全体に広げていくこともできるのでは?
沖縄県は出生率が高いわりにシングルマザー比率も高い。そういったお母さんたちも将来に向けてスキルアップするため、ダンクソフトの SmartOffice で子供たちとともにプログラミングを覚えていくことも可能となる。さらに、近隣に住むシニアのみなさんも、デジタル・デバイドの解消のために、学童の子供たちからスマホの使い方を学ぶこともできる。デジタルを学んでアクティブになったシニアのみなさんとは、石垣島の歴史など生きた知恵をクラウドに保存して、未来に継承していく仕組みづくりもできそうだ。
また、防災という点でも、デジタルが生かされる余地が多い地域だ。英雄伝説のある大浜海岸には、海岸から 100 メートルほど離れたところに、津波大石(うふいし)と呼ばれる、サンゴでできた大きな石がある。1000 トンともいわれる巨大な石の上には、大きな木が生えているのだが、かつてここを大きな津波が襲ったときに、海からサンゴの塊が押し上げられたのだそうだ。2000 年前のことで、石垣島全体が覆われるような津波によって、多くの方が亡くなったとのこと。色々な大事なものも失われただろう。
今後は、子供や地域の女性たち、シニアの方々が、SmartOffice でデジタルを学ぶことで、クラウドに大事な情報を常にアップする習慣がついていく。それはそのままBOUSAIFULNESS(災害前提社会への備え)につながる。安心・安全で、信頼度の高いソーシャル・キャピタル豊かなコミュニティが、石垣島から沖縄の島々、さらに九州から日本へ、また台湾から東南アジアなどへ広がっていく未来が描ける。SmartOffice の発展は、石垣島をはじまりに、さらに進んでいくことになるだろう。