#2022

物語だけでなく、その“結び目”もつくろう 


2022年最後のコラムとなる今回は、代表取締役 星野晃一郎と取締役 板林淳哉が対談しました。40年の節目に向けて、そしてこの先の50年を見据え、今年1年を振り返ります。

左:ダンクソフト 取締役 板林淳哉   右:ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

▎未来の物語は自分でつくる

 

星野 今年1年を振り返ると、やはり創業40年目を迎える年だったことが大きいですね。板林さんはどんなことが印象に残っていますか。

 

「ダンクソフト40周年」特設サイト
dunksoft.com/40th


ダンクソフトに関わる人々の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story

板林 いろいろありますが、中でも全社で物語づくりをしてきたことです。7月にオープンした「ダンクソフト40周年」の特設サイトでは、何名かのメンバーが先行して、それぞれの物語を公開しています。その後、若いメンバーが中心になって、全員が物語を書くことになりました。ダンクソフトにとって、とてもよいことだと思います。

 

開発チーム 澤口泰丞の「未来の物語」
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星野 40年目を迎えた節目に、思いがけず、みんなで未来を考えるきっかけになりました。というのも、最初は全社ではなく、有志だけでやろうかと考えていたんですね。ところが、開発チームの澤口さんが「全員に参加してほしい」「人の描いた未来に乗っかるのではなく、一人ひとりが自分で未来を描いてほしい」というようなことを言ってくれたんでしたね。

 

板林 はい、それを受けて、社内でどんどん物語が生まれはじめたのが嬉しいことでしたね。

 

星野 そう、若い世代がどんとボリュームのある、いきいきとした物語を書いてくるんですよね。本当に感心します。

 

ダンクソフトの歴史を、IT 業界や社会の出来事と共にご紹介しています
https://www.dunksoft.com/40th-history

代表取締役 星野晃一郎の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story-hoshino

板林 「40周年特設サイト」のなかにあるヒストリーのコーナーも、星野さんによるヒストリーのコラムも、よかったですね。僕も知らないことばかりで、毎回新鮮でした。

 

星野 コラム公開後に感想を持ちよってダイアログするのが、社内の習慣として定着しましたね。メンバーから「こうして今があるんだな」「ずっとイノベーションしつづけてきたから今があるのだな」「自分たちも学んで、イノベーションが起こせるようにしていきたい」という声が聞けたのも、嬉しいことでした。

  

▎対話次第で高まるチーム力

 

星野 2022年は、対話の機会を引きつづき増やしました。物語を書いたり、対話を重ねたりする中で、一人ひとりが育ってきました。結果、チームとしての力も上がってきました。それを実感する1年でしたね。スタッフそれぞれのコミュニケーションが、とても豊かになっています。他社と比較しても、ダンクソフトでは、スタッフが自分の考えや伝えるべきことを、自分の言葉で相手に届ける力がついてきています。今年はスタッフ一人ひとりの可能性が、さらに花開いた1年だったと言えます。

 

板林 その成果が次々と形になっていく場面が、とくに秋以降に多くありました。KOSEN EXPO 2022(コウセン・エキスポ2022)CybozuDays 2022(サイボウズデイズ 2022)、DNAセミナー収穫祭。要(かなめ)となるさまざまな場で、それをすごく感じました。

 

星野 多くのメンバーたちが、部門を超えて活動に参加していたのはよかったですね。特に、今年春に新卒で入った2人が、目覚ましい活躍をしてくれました。

 

 ▎若手の活躍が光ったKOSEN EXPO 2022

 

星野 KOSEN EXPOは、高専(高等専門学校)と産業界の連携創出を目的としたイベントです。今年は10月24日(月)から28日(金)まで5日間にわたってオンライン開催されました。その中で、ダンクソフトは30分の配信を行い、全国の高専生の皆さんに向けて、「SmartOffice構想」の話をしました。

中心を担ってくれたのが、この春、阿南高専を卒業してダンクソフトに新卒で入った濱口さん・港さんの若者コンビです。そこに徳島オフィスを立ち上げるきっかけとなった竹内さん、インターミディエイターの中川さんが加わって、番組を配信しましたね。いま手がけている、学生と地域企業の連携・協働を促進するプロジェクト「ACT倶楽部」の話からはじまり、地域の若者が活躍する未来を語りました。

 

■ACT倶楽部について
dunksoft.com/message/case-bazzarbazzar-actclub

■コロナ禍のなかオンラインでインターン経験を積んだ港さん
dunksoft.com/message/2020-11

 

板林 つい、この3月まで学生だった2人が、資料作成も含めてとても頑張っていましたね。準備は大変だったはずですが、ハロウィンの仮装をして楽しそうなよいプレゼンテーションになりました。

KOSEN EXPO 2022の様子

星野 ダンクソフトに入社してからまだ約半年です。しかも、4月から週に1度の出社日以外はテレワークで働いています。それでここまで育っているのは、ダンクソフトが培ってきたテレワーク環境の質を象徴していますね。  

▎CybozuDays 2022での大成功

 

星野 11月には、サイボウズのクラウドサービス総合イベント「CybozuDays(サイボウズデイズ)」に出展しました。11月10日(木)から11日(金)にかけて、幕張メッセで3年ぶりのリアル開催でした。ダンクソフトの出展は、1コマの小さなブースでした。パネルは2枚だけ。石垣島の「はなまる学童クラブ」様の取り組み事例を紹介し、とてもシンプルなブースでしたが、大成功をおさめましたね。はなまる学童クラブの松原かいさんには石垣から来ていただき、今回ユーザーの生の声を語っていただいたんです。

 

■事例:「学童保育サポートシステム」が運営を楽に便利に、石垣島の子供たちを笑顔に
dunksoft.com/message/case-hanamaru-kintone

 

板林 こうした展示会では、一般的に言って、サービスを提供している側が、自分たちだけで作ったものを紹介するブースが多いですね。しかし、ダンクソフトのブースはそれと違って、開発者と利用するユーザーさんが、一緒にブースに立っていたんですよね。ですから、学童を運営する現場の悩みや課題をよく聞くことができました。それらを理解しながら、ブースに訪れた方々と学童システムについてお話できたのは貴重です。開発者とユーザーが一緒にブースで来場者に応対するスタイルは、なかなか思いつかないし、思いついても簡単にできることではありません。新しい形で成功した、面白い取り組みだったと思います。

 

星野 サイボウズの営業部長にも注目されて、「ユーザーが話してくれるのがいちばんだと気づきました」と高く評価されたそうですね。  

▎横断的チームが力を発揮した

 

ダンクソフトパートナー 片岡幸人の「未来の物語」
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星野 このCybozuDaysも、社内横断的なプロジェクト・チームによって実現したものですね。部門を超えて、入社間もない若いスタッフたちも参加したのがいいことですね。メンバーとしては、学童システム開発者でもあり、プロジェクト担当者の中さんを中心に、kintone開発を担当している片岡さん、大川さん。そこに澤口さん、徳島オフィスのメンバーやウェブチーム、企画チームからも参加し、制作物のデザインやウェブ制作、当日の幕張メッセでのブース対応など、スピード感のある横断的チームが力を発揮しました。

 

■石垣はなまる学童クラブ KINTONE通信「祝!1周年」
dunksoft.com/hanamaru/210528

  

板林 サイボウズさんとの付き合いは10年近くになりますが、以前出展した時にはあまり人が来ず、淋しいブースだったりしたのが、今年は全く新しいスタイルがつくれて、本当によかったです。

 

星野 当日は11時の開場からすぐに人が集まり始めて、ちょっと見たことがないような活況ぶりでしたよ。ただ道行く人にチラシを配るようなやり方じゃなくて、2日で100人以上の方々にしっかり話をすることができたようです。1週間を待たず問い合わせが入って次につながるなど、充実した成果となっています。よい流れができました。

▎近況からはじまるCo-learning:DNAセミナー

 

板林 DNAセミナーは年に2回開催している全社セミナーで、2006年から実施しています。今回もオンラインを併用し、ハイブリット型で開催しました。トピックの発表では、前述の港さん・濱口さんが高専エキスポの体験を話し、ウェブチームのメンバー2名が、松江でのワーケーション体験を共有しました。

 

星野 一人ひとりの近況も面白かったよね。

 

板林 はい。全社テレワークになってからは、雑談もなかなかできないので、DNAセミナーの冒頭に、各自からの5分間近況シェアを取りいれました。それぞれが工夫して面白く話していて、コミュニケーションが豊かになりましたね。チームの関係を深めるよい機会にもなりました。

 

星野 個性というか、それぞれの地域差も面白くて、ダンクソフトに集うメンバーたちはほんとに特色がありますね。前にも増して、多様性をひしひしと感じました。最近ウェブチームに入ったあるメンバーは、周囲にクヌギ林があって、カブトムシを幼虫から育てていると話しながら、実際にカメラごしにカブトムシを見せたりもしていました。

 

板林 3日前から息子を誘ってベースを始めましたと、弾いてみせたメンバーもいましたね。あと、関西メンバーはどうしてもオチをつけたがる(笑)。やはりお笑いの精神が身についているんでしょうか。  

▎一人ひとりの物語づくりと未来志向の結び目づくり

 

板林 DNAセミナーのコアの部分として、物語づくりをしましたね。それぞれが自分とダンクソフトの過去・現在・未来の物語を書く30分のグループワークです。5月のDNAセミナーでは、まだまだ遠慮がちな書きぶりにとどまっていたものが、今回はしっかりと物語の形になってきました。テーマは、ダンクソフトに入る前、入ってからどうなってきたか、そして未来に何をしていきたいか。

 

星野 みんな楽しんで書いてたね。

 

板林 そうですね、他のメンバーの物語を聞くことからの発見も大きかったです。まだまだ未来の部分が書き足りない感じなんですが、それでも聞いているとやはり大きな方向は共有してるんじゃないでしょうか。それぞれが描いた物語をつくりっぱなしにせず、孤立させずに、物語と物語の“結び目”をつくっていくのがポイントですね。それによって互いが連携・協働していくことをイメージしているのですが、今回は未来に結び目ができていく期待が持てました。

 

星野 DNAセミナーは以前から、自ら学ぶこと、そして、お互いから学ぶことを大切にしてきました。では何を学ぶのか。はっきり言えるのは、エンジニアだからといって技術だけ学べばよいわけではありません。より広く、深く、永く生かせる学びを、コ・ラーニングできるといいなと思った時に、物語の力はこれからますます重要になると考えたんですね。というのも、物語を介してコミュニケーションをすることで、互いの理解が深まるんですね。これからは多様なメンバーがチームを組み、ネットワーク的に課題解決をし、需要創造に向かうことで、社会全体がより豊かになっていく。それとともに、ダンクソフトもよりよい未来に向かっていく。ここから50年先の未来を一緒に考えてみる機会。そんなイメージでいます。板林さんはどう思いますか。

 

板林 そうですね、会社の中にこもって、コードを書いてプログラムを作る人だけと話していると、未来から逆算してつくるより、今できることだけに取りくんでしまうというか、小さくまとまった守りの姿勢になって、閉じがちです。でも本当は未来に向かってやりたいことをどうすればできるかを考えたいですね。そして自分がそこにどう関われるかをポジティブに考え、主体的に結び目をつくっていく。このとき、お互いの物語を知ることで、相手と自分の結び目が見えて、一緒にやるきっかけになっていくんですよね。未来の部分がまだみんな書き足りないので、もっと豊かにしていきながら、かつ、たくさんの結び目を見つけていきたいです。

 

星野 そのためにも、「対話」が大事ですよ。

 

神田藍のプロジェクトでも、物語を描くことによって、それまでよく知らなかった近隣の人たちやコミュニティーとのつながりができていったんですね。しかも、話がトントン拍子に進み、プロジェクトが一気に加速しました。分断が進む時代ですが、だからこそ、対話と協働で、一人ひとりの物語を丁寧に重ねていくことが大切ですね。みんなで物語をつくる取り組みは、今後も続いていきます。来年に向けて、ぜひ社外の方々とも、多様な「物語の結び目」をつくっていきたいですね。それが、イノベーションにつながっていきますので。

 

■事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル
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事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル

協働パートナー:「神田藍愛〜I love KANDA〜 プロジェクト」に参加する企業・団体・住民の皆様


ダンクソフト本社のある東京都千代田区の神田エリアには、その昔、染物屋の集まる日本有数の「紺屋町」があった。全国の藍や問屋が集まり、いろいろな地域同士を藍で結んでいた場所だ。2020年12月、この神田エリアで、有志を中心に「神田藍プロジェクト」が誕生した。神田にゆかりのある「藍」を媒介とし、地域で暮らす人々や働く人たちによるコミュニティをつくろうと、小さくはじまった「神田藍愛〜I love KANDA〜 プロジェクト」(以下、神田藍プロジェクト)が今、急速な展開を見せている。


 ■藍を媒介に地域がつながる「神田藍プロジェクト」がスタート

神田藍プロジェクトのメンバー
後列左から
2番目 東京楠堂 井上智雄氏
4番目 株式会社ハゴロモ 伊藤純一氏
5番目 一般社団法人 遊心 峯岸由美子氏
6番目 ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

神田藍プロジェクトでイニシアチブをとるメンバーのひとりが、一般社団法人 遊心 代表理事の峯岸由美子氏だ。遊心は、「自然・家族・仲間が共にいる喜びを通して、どのような環境においても『しなやかに自律する』人を育てること」を理念に掲げ、都市部の自然をテーマに、親子や子供を対象としたワークショップの実績が豊富な団体だ。 

峯岸氏は以前、神田に本社を持つ株式会社ハゴロモのビルをフィールドに、伊藤純一 社長(当時)とともに、地域の子供たちと屋上で野菜を育てるプロジェクトを実施していた。しかし実際には、日差しが強すぎることによる水不足など、野菜を育てるには厳しい環境だった。そこで、都心のビル街という環境にも強いであろう「藍」を育てるのが面白いのでは、というアイディアが生まれ、これが神田藍プロジェクトへと形を変えていったのだ。

 

■「地域コミュニティの活性化」が「防災」につながる

一方、40年にわたり都心にオフィスを構えるダンクソフトには、もともと「防災」への課題意識があった 

ダンクソフトが考えるこれからの防災についてはこちらのコラムをご覧ください。https://www.dunksoft.com/message/2022-06

巨大地震などの災害時に、企業に求められるのは迅速なリカバリーである。ダンクソフトでは2008年からテレワークの実証実験をするなど、デジタル環境の整備は進み、BCP対策は万全だ。だが、防災を考える時、もうひとつの要となる「地域コミュニティとの連携」は、希薄な状態だった。  

ちょうど本社を神田駅前の新築ビルに移転後、ほどなくして、神田藍プロジェクトの話が舞い込んだ。それは、神田に住む人、働く人、愛する人たちが共に力をあわせ、神田をより楽しく、心地よく過ごせる街へと育てることを目指して、神田のシンボルとなるだろう「藍」をみんなで育てる活動だった。 

移転したばかりで、地域とのつながりを求めていたダンクソフトにとって、神田藍プロジェクトは渡りに船だった。このプロジェクトを通じて、地域コミュニティや地域企業との新たな結びつきが生まれ、将来的には神田エリアの防災にもつながる可能性がある。そこで、2021年12月、ダンクソフトは迷うことなく参加し、事務局メンバーにも加わった。

 

■デジタル企業が植物を育てるという試み

植物や自然に精通している峯岸氏いわく、神田藍プロジェクトは、最初の1年は試行錯誤の連続だった。思ったように藍がうまく育たない場所があったり、企業や地域の方々にもなかなか理解を得られないなど、色々な課題が出ていた。峯岸氏は、これらの課題へひとつひとつに丁寧に対応していくことで、様々な方たちがプロジェクトへ参加しやすい状況をつくる工夫を重ねた。

藍の育て方を紹介する動画「種まき編」。他にも、「植替え」「間引き」「水やり」などを紹介した動画もあります。

藍の育て方を動画でシェアしたり、藍を育てる方たちを訪ねてよく話をしながら、藍を育てることがコミュニティの活性化につながるという未来の物語を、粘り強く語りつづけていた。 

ダンクソフトでも、その未来の物語に賛同し、いち参加企業として、藍の鉢植えを1つベランダで育てることから1年目が始まった。コロナ禍となり、全社在宅勤務となったオフィスのベランダで、藍は元気に育っていた。オフィスに出社していたダンクソフト代表の星野は、在宅勤務する全国のスタッフたちへ、藍の様子を共有した。また毎日の水やりをする中で、育成プロセスをデジタル化することを試みた。ウェブカメラを設置し、24時間どこからでも藍の様子が見られるように簡易なシステムをつくり、自動で藍が水を吸い上げる装置を入れるなど、藍が育つ環境をデジタルを使って整えた。

 

■多様性から広がる神田藍コミュニティ

メンバーたちの活動の様子を見て、徐々に徐々に神田藍プロジェクトの輪は広がっていく。神田明神の境内にも藍が育ち、美容院や酒問屋の軒先にも藍のポットが置かれ、藍をめぐる会話が街に増えはじめた。興産信用金庫や神田学会などの企業・団体も、この新しい動きに関心を寄せて、協力・連携が生まれはじめた。 


そんななか、東京楠堂の井上智雄氏が参加することになり、神田藍プロジェクトに大きな変化が起こりはじめる。楠堂さんといえば、和本や集印帳などの製造販売をする神田の老舗企業である。地域とのつながりも強い。

 自治会とのつながりを持つ井上氏が起点となり、2022年春には神田東松下町の町内会とプロジェクト・メンバーが対話する機会が生まれた。これをきっかけに、5月の子供の日にあわせて、地域の子どもたちへ160個もの藍の種を育てる牛乳パックの鉢植えを配布するイベント実施が決まった。続いて、8月20日には、各自で育てた藍の葉を持ち寄って、叩き染めをするイベントを開催。「自分で育てた藍の葉で布を染める」という初めてだらけの体験は、参加者から大変好評を得た。「藍」を媒介に多様な属性の人々が偶発的に集まり、今までにない神田藍コミュニティが、さらに広がりはじめている。

  

■「WeARee!」と「ダイアログ・スペース」で活性化する地域コミュニティ

ダンクソフトでは、神田藍プロジェクトのなかで、デジタルを活用した2つのことを提供している。

ひとつ目は「WeARee!」(ウィアリー)を活用したウェブサイトである。WeARee!とは、バーチャルツアーやARカメラを使ったコミュニティ・イベントを誰でもカンタンにつくれるウェブ・ツールだ。

すでに遊心は、2020年に WeARee!を活用し、ダンクソフトと協働プロジェクトを行っている。今回の神田藍プロジェクトでは、WeARee!の機能の一部である「ウェブサイト機能」と「写真投稿&チャット機能」が生かされている。藍の写真を自由に投稿できるオリジナル・ウェブページを制作。会員専用ページでは、メンバーが投稿した写真について、チャット機能でメンバー同士が対話をすることができる。藍の発育状態が良くない時に写真を投稿すれば、メンバーからアドバイスが自然と届く。オンライン上で場所や時間を選ばず交流できるコ・ラーニング(Co-learning/共同学習)のコミュニティが、WeARee!上に誕生している。

WeARee!を使った、神田藍プロジェクトのページ
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai

遊心とダンクソフトの協働プログラムの事例紹介はこちら
https://www.dunksoft.com/message/yushin

 

「神田藍プロジェクトに関わる方には、ご高齢の方もいます。実際に運用してみると、そもそもWeARee!にログインできないという声も出ました。ダンクソフトさんに相談すると、従来型のログイン方法にとらわれない、使いやすいシステムに作り直してくださいました。神田のメンバーのみなさんと対話をしながら、ダンクソフトさんと協働して、より使いやすいUIづくりができて助かっています」と、峯岸氏は語る。

 

ダンクソフトのダイアログ・スペースに集まる神田藍プロジェクトのメンバー。

ふたつ目は、ダンクソフトのオフィス内にある「ダイアログ・スペース」の活用である。 この「ダイアログ・スペース」は、オンラインとオフラインのハイブリッド型ダイアログにも対応した、良質な対話空間だ。社外のイベントや会議にも多く利用されており、神田藍プロジェクトもこのダイアログ・スペースで集まることが多い。

 

また、オフィスにはアイランド・キッチンが備わっているため、ちょっとした生葉染めも、このスペースですることができる。メンバーそれぞれが、自分で育てた藍の葉を持ち寄って、ダンクソフト代表である星野と共に、わきあいあいと生葉染めを楽しむ場面も増えてきた。

 

■「藍×デジタル」で育まれる神田藍コミュニティ

ダンクソフトの社内でも、神田藍プロジェクトを通じて、予想外の効果が生まれた。それは、神田地域を越え、全国で働くダンクソフトのスタッフのあいだに「藍」を媒介にした交流が活性化したことだ。

 

2022年春、徳島サテライト・オフィスのメンバーが揃って神田オフィスに訪れた際に、神田で育てた藍の種を持ち帰った。東京で育てた藍が、神田を離れ、徳島でも花を咲かせたのである。東京・徳島間のオンライン・ミーティングでは、当然のように「藍」が話題にあがり、自然と対話も活性化していく。先日は、東京と徳島合同で、生葉染めのオンライン体験を行ってみた。他にも、栃木や江ノ島に住むスタッフたちも苗を持ちかえり、藍をそれぞれの地域で育てている。今や「神田藍」は、既に神田エリアにとらわれない、様々な人々のコミュニティを結ぶ「媒介」となった。

 

東京楠堂の井上氏は、「ゆくゆくは育てた藍を使った自社ブランドをつくりたい。また体験型の藍染ワークショップなども視野に入れていきたい。」と、神田藍を活かした新しいビジネスの可能性に胸を膨らませている。遊心の峯岸氏も「コロナが落ち着いたらWeARee!のARの機能を活用した、オンライン・オフラインのハイブリッドなイベントを企画したい」と期待を語る。

「20年後、自分で藍染めした法被を着た若者たちが、神田祭で練り歩く」。これは、神田藍プロジェクトが描く、ひとつの未来の物語である。「藍×デジタル」を活かした神田藍プロジェクトは、これからも、神田地域の「ソーシャル・キャピタル」を豊かに醸成する新しいコミュニティとして育っていくことだろう。


■導入テクノロジー

WeARee!
ダイアログ・スペース(ダンクソフト内)

 

■神田藍愛〜I love KANDA〜とは

神田に住む人、働く人、愛する人達が共に力を併せ、神田をより楽しく、心地よく過ごせる街へと育てるためのプロジェクト(運営:一般社団法人遊心)。藍を新たな街のシンボルとし、神田の名産として様々な商品やサービスを 提供・発信する仕組みづくりを行う。一連の活動は持続可能な地域づくりの基盤となり、また人と人、人と地域の絆を深める結び目となることを目的としている。

https://yushin.wearee.jp/kanda-ai

HISTORY5:自律・分散・協働型社会への先駆的助走(2010年代) 


ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ。第5回目の今回は、2010年代から現在までをお話しします。2011年の東日本大震災からコロナ禍まで、世界が大きく変化しています。そのなかでダンクソフトの未来への起点を、いくつもつくった転換期です。  

▎流れを変えた、徳島サテライト・オフィス設立 

 

前回の「HISTORY4」では、2000年代を取り上げました。GAFAが急速に世界に展開していった時期です。その一方で、日本のデジタル化は大きく出遅れ、世界から取り残されていきました。思ったように進まない日本の状況に、もどかしさを感じざるを得ませんでした。 

 

そのような中にあっても、まずは自分たちから「理想のインターネット」を実現していこうと、ダンクソフト社内の働き方改革や環境改善を進めていきました。働く一人ひとりの「人間」に注力して、デジタルでどこまでできるかを模索したタイミングです。 

 

これら2000年代の努力やしかけが、いよいよ顕在化してきたのが2010年代です。この時期、ダンクソフトは、時代に先駆けてサテライト・オフィスやテレワークの実証実験を、日本各地でスタートします。ペーパーレス、自由度の高い働き方など、ダンクソフト文化の先進性が高く評価されはじめ、大きな潮流が生まれていきました。 

 

中でもダンクソフトにとって大きな転機となったのは、やはり徳島にサテライト・オフィスをかまえたことでした。徳島以前と以後では、組織も文化も変わりました。それほどに影響力のある出来事でした。 

  

▎自分たちが「進んでいる」と気づき始めた 

 

2009年、ダンクソフトは「中央区ワーク・ライフ・バランス推進企業」認定制度の、第1回認定企業に選ばれました。翌2010年には、中央区に続いて、東京都産業労働局が合計10社程度選定する「東京ワーク・ライフ・バランス認定企業」にも選ばれます。こうした受賞をきっかけに、自分たちの働き方が、世の中より進んでいることに気づき始めたのが、2009年頃でした。 

 

また、2010年には、経済産業省が主催する「中小企業IT経営力大賞」も受賞しています。この頃、ダンクソフトはすでにペーパーレスをほぼ実現していました。紙のない会議や、複写機のないオフィスを、多くの企業や行政が視察に訪れました。皆さんずいぶん驚かれたのですが、自分たちにとってはもう当然のことになっていたので、驚かれることに私たち自身が驚いていたものです。ただ、この現象は、10年以上たった今でも、続いています。 

 

ダンクソフトの受賞歴はこちら
https://www.dunksoft.com/award

実際には当時、ワーク・ライフ・バランスを推進する企業はまだまだ少なく、特に中小企業では「そんなことをしていたら会社がつぶれる」という考え方の経営者が多かったのです。ペーパーレスも、世の中ではまだ夢のような話でした。景気も調子のいい時期でした。 

 

こうした流れのなかで、3.11が起こりました。これは大きな衝撃でした。  

▎アフター3.11、新たなパラダイムの中で 

 

2011年3月の東日本大震災で、世の中のパラダイムは大きく変わりました。震災と原発事故によって、それまであたりまえだった「日常」が足元から崩れました。仕事をする意味を考え始める人も出てきました。人は自然にあらがえない。あの事象をまのあたりにして、あらためてそう気づき、価値観を変えていこうとする人も多くいました。 

 

私たちも、BCP(事業継続計画)の観点から、震災後に徳島に行くことになり、ものの見方がまったく変わりました。それまで山手線の内側だけが商圏だったものが、一気に視野が広がったのです。 

マイクロソフトの事例紹介で、ダンクソフト星野が東日本大震災当時の考えを語っています。

  

▎新たな希望と可能性:「デジタルを活用すれば、できる」 

 

少子化、首都圏一極集中、地方の衰退、過疎化、消滅集落、少子高齢化。地方には仕事がなく、一方で都会では技術者不足の未来が目に見えており、日本の課題は深刻化するばかりです。地球規模で見ても、気候変動、森や海などの環境破壊、戦争や紛争、エネルギーや食料の枯渇など、課題が山積みです。社会全体が行き詰まって、このままでは無理なことは明らかでした。 

 

当時、世間では「打つ手がない」という論調がほとんどでした。ですが、私たちにはそれとは違う可能性が見えていました。 

 

それは、 

「デジタルを活用すれば、できる」ということでした。   

▎NHKで全国に衝撃をもたらした徳島の情景 

 

2011年9月、徳島県神山町で、県内の地域団体と連携して、サテライト・オフィスの実証実験をしました。地域団体と連携したのは、ヨソ者だけでやるのではなく、地元の方たちと一緒にやることが大切だと考えていたからです。 

 

それでも、最初は東京の会社がマーケットを広げに来たと誤解され、「黒船」と呼ばれたりもしました。だからこそ、丁寧に「対話の場」を設けることを決め、地道に丁寧なコミュニケーションを重ねるなかで、次第次第に地域との関係を深めていくことができたんですね。 

 

さて、このときの取り組みをNHKが取材に来ていたんです。10月に徳島放送局で、12月にはNHK総合テレビ「ニュースウオッチ」で紹介されました。放映された情景は、川の中でPCを使って仕事をしている人の姿。この映像は観る人に強烈なインパクトがあったようですね。 

 

その後、「あの映像を観ましたよ」という人たちに、いったい何十人あったかわかりません。目にした方々に、新しい未来や希望を直感させる光景だったのでしょう。これが全国に流れました。この映像を観た人たちの中で、デジタル化への意識が芽生える転換点となったことは間違いありません。   

▎何も諦めなくていい 

 

こうした一連の流れから、ダンクソフトでは、徳島市内にサテライト・オフィスを開設することになります。きっかけは、ひとりの働きかけです。「地元・徳島を離れず、自分の持てる力を活かして、ダンクソフトで働きたい」とプロアクティブに行動した、ひとりの人間がいたことで、徳島にオフィスが生まれたのです。彼はエンジニアであり、夫であり、父であり、生まれ育った徳島での生活を望む徳島市民でした。 

 

ダンクソフト 竹内祐介の「物語」はこちら
https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi

これが当社の竹内さんなのですが、当時の状況では、彼が望むワーク・スタイルをかなえる道がありませんでした。エンジニアとしての仕事は、徳島県内にはほとんどなかったのが実情です。徳島で暮らし続けるには、「何かを諦めなくてはいけない」。この切実な発言を聞き、そんなナンセンスな話はないと考え、竹内さんをスタッフに迎えいれ、徳島に拠点をつくりました。それから10年、何も諦めなくてよい環境で、彼は開発チームのマネジャーとして活躍しています。 

  

▎事情や課題は一人ひとりちがう 

 

これに先立って、2010年には、育休から復帰したスタッフがダンクソフト初のテレワーカーとして、仕事を再開する場面もありました。彼らのような人たちがいることで、ダンクソフトにはそれ以降、より多様で、優秀な方たちが集まってくるようになりました。 

 

私が、がむしゃらに働いた80年代90年代を経て、フランスでの体験をきっかけに無茶な働き方に疑問をもつようになったことは「HISTORY3」で話したとおりです。 

 

事情や課題はスタッフごとにちがいます。それを丹念に聞いて課題解決し、事例化していくことは、企業としての蓄積になります。もちろん、後に続く人にとっても、これからの若者の未来にとっても望ましいことです。 

 

今では、様々な地域にいながら、子育てをしながら、介護をしながら、あるいは海外から、優秀な人たちが多様なスタイルで働くダンクソフトになっています。   

▎「インターミディエイター」という概念に出遭って見えた未来 

 

2013年、もうひとつの大切な出来事がありました。それは「インターミディエイター」という概念に出遭ったことです。 

 

それまで手探りしながら、あるいはポール・フルキエの『哲学講義』、中国との縁がきっかけで読んだ孔子の『論語』、荘子の『荘子』などに学びながら、自分なりに考えてきたことが、ここで明確に言語化されました。このフィロソフィーが入ってきて、勇気づけられて、ほっとして前を向けるところがありました。 

 

また、一般的にいわれる「マーケット」という概念をリセットできたことも大きかったですね。お金のやりとりをするだけがマーケットではない。マーケットとは本来、人と人が集まって交流する場であり、対話の場であって、経済的な取引はその一部で起きているにすぎません。 

 

震災の直前に始めた生放送のラジオ番組を「ツイッター市(いち)」と名づけたのは、まさにそうしたマーケット本来のイメージを「市」に託したものでした。多様な人々が集まり、交流し、対話を行うこと、つまり、場における相互作用が、市でのイノベーションを生み出します。この考え方は、後にソリューションとして開発した「ダンクソフト・バザールバザール」(2016年)の名前にも、継承されています。 

 

ダンクソフトにかかわる人たちが考える「未来の物語」を紹介しています。https://www.dunksoft.com/40th-story

最近も、どうして先んじて未来を実現できるのかと、ご質問いただきました。「インターミディエイター」のマインドセットのひとつに、未来の物語を描く“ナラティブ・ケイパビリティ”というものがあります。未来を構想し、物語化することで、連携・協働がしやすくなって、構想の実現がはやくなるわけです。物語を未来にむけて実践し具現化していくことによって、ダンクソフトではここのところ、様々な新しい動きがここそこに生まれています。   

▎いつまでファックスを使い続けるのか? 

 

一方、社会の動きとしては、2014年に、まち・ひと・しごと創生「長期ビジョン」「総合戦略」が閣議決定されています。ようやくというか、今ごろというか、世の中の変化というのは、私たちの思うようなスピードでは進んでくれないものです。 

 

働き方改革、テレワーク推進、ペーパーレスも同様です。これだけ「DX」(デジタル・トランスフォーメーション)と言われながら、まだファックスを全廃できていない状況を一刻も早く何とかしなければ、子どもたちの世代に負の遺産を遺してしまいます。   

▎オープンでフラットなインターネット社会をつくるために 

 

問題は他にもあります。インターネットがここまで広がると、怪しいサービスや広告モデルに席巻されてしまい、今や、インターネットの安心・安全・セキュリティは、ますます重要な課題になりました。 

 

以前からお伝えしてきた通り、インターネットは便利ですが、パーフェクトなツールではありません。国家をまたいで情報が行き交うサイバー・スペースには、警察がいません。フェイクニュース問題はもちろん、世界では子どもの誘拐など実害も多発しています。情報格差・学習格差も深刻な課題です。 

 

ですから、これからますます重要になるのは、「インターネットに “よりよいもの” をのせていく」ことです。ダンクソフトは、これを掲げながら、よりオープンでフラットな、健全なインターネット社会をつくっていけるよう、努力を続けていきたいと考えています。   

▎「リバース・メンタリング」の時代へ 

 

今後のカギは「リバース・メンタリング」です。年長者が若い人たちに上から知識を教え込む時代は終わりました。これからは、それが逆転して、むしろ若い世代に学ぶ時代、そして、ともに学びあうCo-learningの時代です。特に、デジタル分野についてはそれが顕著です。 

 

日本にもデジタル・ネイティブ世代が育っています。AIでトレーニングを積んでいる将棋の藤井聡太さんもそうですし、若いテニス・プレーヤーは、ゲームを通じてフェデラーやナダルのプレイを体験し、経験値を積んでいます。ダンクソフト新入社員の港さんは、家庭のデジタル大臣として、年長者たちをサポートしながら家庭内デジタル・デバイドを解消しているようです。 

 

また、ゲーム世代は、オンライン・ゲームなどで、国境を越えて協働することの愉しさや効果を、身をもって知っています。従来の考え方に縛られている大人よりもずっと、これからの新しい発想やリテラシーを身に着けています。さらに急激に進化していくデジタルやインターネットは、チームで学ぶ習慣が求められて、Co-learning 自体が組織文化に必須になる、と考えています。こういうことを、かえって大人たちは知りません。「またゲームか」と眉をひそめているあいだに、彼らはやってくる未来に積極的に適応しているのです。 

 

ここからさらにデジタル技術は進歩していきます。Co-learning を通じて新しい世代の得意なデジタルと、大人たちの経験や知恵とを交換していくことが、イノベーションを起こしていくと確信しています。なにしろイノベーションとは異質なものの関わりから生まれるのですから。彼らを教育するのではなく、ともに学び合って、エンパワリングし、力になっていけるか。私たちがこれをできるかどうかで、身のまわりも、日本人の未来も変わってくることでしょう。 

ダンクソフト 星野晃一郎の「物語」はこちら
https://www.dunksoft.com/40th-story-hoshino


CROSS TALK:ダンクの対話するエンジニアたち 


今回は、ダンクソフトの開発方針についてお話しします。お客様との持続的な対話があるからこそ、つねに先んじて変化に対応した提案が可能になります。こうしたダンクソフトのフレキシブルな開発アプローチと、まだ業界でもめずらしい“対話するエンジニア”たちの姿勢を感じていただければと思います。   

▎ずっと前からアジャイルだった 

 

星野晃一郎

星野 ダンクソフトのシステム開発は進め方が他とは違います。よく「業界のやり方にとらわれない会社」と言われてきました。今でいうアジャイル開発的なアプローチを、昔からずっと追及していたからでしょう。アジャイル開発の概念自体は、21世紀に入って生まれたものです。今でこそ、言葉も手法も市民権を得ていますが、当時はまったく馴染みがありませんでした。 

 

竹内 そうですね、少し解説すると、アジャイル開発の「アジャイル」とは、直訳では「速い、機敏、俊敏」という意味です。文字通り、開発スピードをあげて、素速く提供します。そして、設計、実装、展開を速いサイクルで何度も繰り返しながら、より発見的にすすめていくアプローチです。予め決まったゴールに向かっていって、つどつど変更できないのではなく、むしろ、予想もしなかった結果を生みだすこともできます。サービスインまでが速いことに加え、状況の変化に応じて柔軟に対応できるのが長所です。  

一方、従来型のウォーターフォール開発では、最初にゴールを明確に設定します。まず見積りと設計書を用意。その後、仕様書に従って、決まった各工程を順々に進めていきます。柔軟性には欠けますが、最初に全体像が決まるわかりやすさはあります。 

 

星野 ダンクソフトは昔から、お客様との丁寧な対話と柔軟な変化対応を大切にしてきました。対話を重ねながら、相互的に開発を進める中で、最初に想定していたゴールよりも、もっといいゴールに到達できます。そういう発見的でアジャイルな開発姿勢でずっとやってきました。技術の進化が速い業界ですから、言語や手法やサービスなど、ツールはどんどん進化します。ですが、開発ポリシーの根本は変っていません。そこに多様な経験と高い技術を持つポリバレントなエンジニアが加わって、より盤石の体制となっているのが、現在のダンクソフトなんですね。 

 

よく対話型だと時間がかかりませんかと訊かれますが、対話的であることと、アジャイル型であることは矛盾しません。むしろ、環境変化が速いですから、お客様とたえず情報をやりとりできる関係のほうがいいわけですよ。ちなみに、“対話するエンジニア”というのは、業界ではめずらしいスタイルです。 

 

※ポリバレントとは 

https://www.dunksoft.com/recruit#philosophy 

▎バラエティ豊かな背景のエンジニアたち 

 

星野 今回は、私を含めて、4人のエンジニアが参加していますが、いずれも、経歴も性格も本当に多様で個性的です。バラエティ豊かなんです。それぞれ異なる知見と経験を持つエンジニアたちがチームで協働することは、お互い刺激になりますし、ダンクソフト全体の技術が高まります。価値観も、ずいぶん多様になりました。対話する文化の浸透と相まって、次第に相乗効果を発揮し、いいダンクソフト文化を形成しています。せっかくなので、自己紹介をしてみましょうか。 

 

竹内祐介の「未来の物語」https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi

竹内 ダンクソフトに参加する前は、私は地元徳島で、ジャストシステム社にいました。約10年にわたり、エンタープライズ向けソリューションや日本語入力システムの開発等に携わっていました。ダンクソフトでは、企業向けシステムや「バザールバザール」等の開発を担当しています。 

 

大川慶一

大川 私は栃木在住ですが、前職は県外の会社で、制御系のシステム開発をしていました。秘匿性の高いソース・コードを扱っていましたので、情報管理に厳しい、かなりクローズドな職場でした。オープンソースやテレワークの対極ともいえる環境でしたね。 

 

ダンクソフトに転職して以降は、地元栃木からの完全テレワークです。サイボウズ社のkintoneなどプログラミングだけでなく、Microsoft社製品やウェブサイト制作のサポートも行っています。 

 

片岡幸人の「未来の物語」https://www.dunksoft.com/40th-story-kataoka 

片岡 大学は文系学部を卒業しました。キーボードも満足に打てないのに、システムエンジニアという響きのかっこよさから、思い立って名古屋のIT企業に入社。エンジニアの道に入りました。やがて地元の高知にUターンし、教育委員会で5年間本業の一般的な事務作業などをこなしながら、平行してさまざまなIT関連業務に携わりました。その間、デジタルで効率化して得られた時間を活かして、教育委員会内で新しいことを提案したり、高知大学の大学院に進んで、学び直したりもしました。その後、教育委員会を退職、ベンチャー企業への参加を経て独立しまして、現在はパートナーとしてダンクソフトのプロジェクトに参加しています。 

▎肌で感じていた、ウォーターフォール型の限界 

 

星野 私たちが今でいうアジャイル型開発を独自に手探りで実践していた時代から、いよいよ本格的にアジャイル開発の手法を取り入れていくことになったのが、2015年です。「バザールバザール」の開発に乗り出した時でした。 

 

竹内 まずはセオリー通りの方法を忠実に取り入れてみようと考えて、アジャイル開発の具体的な手法の1つであるスクラム開発を採用しました。 

 

星野 片岡さんがジョインしたのが、ちょうどこのタイミングでしたね。 

 

片岡幸人

片岡 はい。当時私はアジャイル開発にいくつかの疑問をもっていました。というのも、名古屋のIT企業時代の頃から顕著でしたが、まず見積が重要になるケースがやはり多いですね。最初に予算と全体像を決めてスタートする進め方が、どうしても打破できない。こういうクライアントに対して、アジャイル開発の手法は使えないと思い込んでいたんです。 

 

でも、実際のところ、うまくいっていないプロジェクトを見ると、失敗の原因はだいたいの場合、クライアントとのコミュニケーション不足です。早い段階でコンセンサスがとれていないことがトラブルの原因となっていることがほとんどなんですよ。回避するためには、少しでも早くモックアップを見せ、イメージを共有しながら進めていくこと。勝手に一気につくりすぎない。それって、結局はアジャイルなんですよね。  

▎互いに変化していく“顧問型プロジェクト” 

 

「大田・花とみどりのまちづくり」様を紹介したコラム、『「人を幸せにするシステム・デザイン」をIMAGINEする』 
https://www.dunksoft.com/message/2022-03 

星野 ダンクソフトでは“顧問型プロジェクト”と呼んでいるものがあります。お客様との対話を重視し、連携しながら開発と刷新を繰り返していく進め方を言います。例えば、大川さんが担当したNPO法人「大田・花とみどりのまちづくり」様のプロジェクトは、その好例のひとつとして、以前、コラムでも紹介しました。 

 

大川 私も、前職では完全にウォーターフォール型でした。ダンクソフトに入って初めて目の当たりにした“顧問型プロジェクト”の進め方は、とても新鮮で魅力的でした。大田・花とみどりのまちづくり様のプロジェクトでは、月1回の定例ミーティングを重ねるなかで、お客様が次第に自律的になっていって、自分たちの手でデジタルにチャレンジしていかれる姿に感動しました。 

 

星野 そこは大川さんの持ち味も大きいですよね。エンジニアでありながら、パソコン初心者にもわかりやすい、やわらかい言葉でデジタルを説明してくれます。なにより、お客様と丁寧に対話を重ねていますよね。それによってお客様が一緒になって変わっていく様子が見られます。お互いに学びあって、自律的に育つ環境が生まれたのはなかなか誇らしいことです。  

▎リバース・メンタリングは、開かれた社会の入り口 

 

星野 先ほどのケースはご高齢の方々が運営する団体で、大川さんという孫ほどのエンジニアとCo-learningの関係(互いに学びあう関係)ができました。こんなふうに、うんと若い人からデジタルを学ぶ時代が、もうそこまで来ています。これを「リバース・メンタリング」と言います。その動きは、今後間違いなく加速していくでしょうね。 

 

片岡 そうですね、子どもはどんどん進化します。私の子供も、スマホで話しながらチームを組んで、PCのオンライン・ゲームをやりながら、TVのYouTubeで攻略動画を流し、マルチタスクでデジタルを使いこなしています。順応力が高いんですよ。けれども、まだまだ学校の尺度では、子供のデジタル活用は悪とされることも多いんです。大人がそれを邪魔することのない社会をつくっておかないといけません。 

 

竹内 日本のデジタル化がまだまだだ、ということを星野さんもよく話していますが、日本は、多様性への許容も、ずっと乏しかったのだと思います。世界のなかでもずば抜けて変化が好きでない性分。新しいシステムにのりかえる、そうしたイノベーション・コストを受け入れるのが苦手な人たちというか。そのような考え方は変えていかなければ、と思いますね。 

 

大川 想起されるのは、台湾のコロナ対策の機敏さです。2020年に、IT担当大臣のオードリー・タンが、広く国民の意見をききながらシステムをつくり、広く人々が参加できる場をつくりました。何かと囲い込んで、クローズド環境でプロジェクトをすすめる日本とは、あまりに対照的です。すべてがオープンソース化されている状態がいちばん幸せだと考えています。そういう社会をめざしたいですね。  

▎人々の善さが引き出されるインターネット空間とは 

 

星野 いかにソーシャル・キャピタルを高めて、コミュニティを活性化していくか。これが今、とても重要だと考えています。そのためのコミュニケーション環境を充実させることは、デジタルの大切な役割のひとつです。そこでダンクソフトでは、このことを念頭に、現在、「バザールバザール」のバージョン・アップを進めています。 

 

竹内 もともとバザールバザールは安心・安全な場を提供することを理念としてきました。これに加えて、人の善さが自然と引き出される、いわば性善説が機能する雰囲気・空間にバージョン・アップしていきたいと考えています。 

 

竹内祐介

やらないと決めていることは、既存のSNSとの比較や競争ですね。逆に、ぜひ取り入れたい機能としては、「インターミディエイター」の特徴をバザールバザールに積極的にフィードバックしていくことです。インターミディエイターとは、人と人のあいだを上手に結んで、対話と協働を促進する役割です。 

 

バザールバザールを使うと、さらに対話が活性化されるものにしていきたいと検討しています。具体的には、お互いが大事にしている未来志向の物語を関連づけたり、その結果、参加者(ユーザー)の積極的な参加・関与をうながしたり、使えば使うほど、使う方の可能性が引き出されたりといったあたりを実現したいですね。 

 

また、アジャイルっぽい考え方なのですが、つくり手が使い方を決めすぎない、遊びを持たせた場にしようとも、考えています。私たちが思いもよらなかったような使い方をしてもらえると嬉しいです。  

▎デジタル化で、より楽に仕事ができる環境を 

 

星野 ダイアログが活発になるというのは期待がかかりますね。ダンクソフト・バザールバザールは、コミュニティを形成していくうえでますます重要なツールとなっていきます。実際、阿南工業高等専門学校のACT倶楽部で採用いただき、そこから他の高等専門学校へも、バザールバザールの輪が広がっています。 

 

ダンクソフトの“さきがけ文化”を体験するインターンシップ 
https://www.dunksoft.com/message/2021-10   

事例:学生・教員・企業による対話と協働をデジタル・ツールで支え、地域イノベーションを次々と創出する高専の未来 
https://www.dunksoft.com/message/case-bazzarbazzar-actclub    

「テレワーク」をテーマに阿南高専で特別講義を実施 
https://www.dunksoft.com/news/2019/9/11    

高専×産業界 KOSEN EXPO 2022 
https://expo2022.kosen-k.go.jp/   

星野 一方で、社会全体を見ると、デジタル化がまだまだ、という印象です。河野太郎さんがデジタル大臣に戻ってきましたが、一昨年の3月、河野さんにオンライン上でFAXをやめることを進言しました。しかし、実際にはなかなか減りません。 

 

時々思い出すのが、以前、萩の立明木(あきらぎ)中学で授業をして、先端を示したときのことです。子どもたちは感激して喜んでくれました。あの子たちが大人になって就職し、会社でFAXを使うという未来は避けたい。また、デジタル化の名目で複合機を普及させる会社が多いですが、それではペーパーレスは進みません。 

 

こんな状況がまだまだ多いのですが、私たちはデジタル・デバイドの解消とスマートオフィス構想を着々と進めています。そのかなめになるのは、こうした“対話するエンジニア”たちです。ますますデジタル化を進めて、より楽に仕事ができる環境を、ぜひ多くの方々に整えていただきたいですね。 

 

事例:前例のなかったNPO評価認証プロセスをシステム化、効率と高品質を同時に実現へ

お客様:公益財団法人 日本非営利組織評価センター(JCNE)様

 

公益財団法人 日本非営利組織評価センター(以下:JCNE)は、2022年4月から、NPO(非営利組織)を対象とした組織評価制度「ベーシックガバナンスチェック」について、kintoneによる管理・運用システムを開始した。エクセルやメールを使っていたかつての申請プロセスが、フォームに入力するスタイルへと簡素化。その結果、導入から半年足らずで、団体内の事務作業が効率化されただけでなく、利用団体の手続き負荷が軽減されるなど、すでにいくつもの成果があがっているという。今回は、新しいシステム導入の経緯や効果について、JCNE事務局の村上佳央氏にお話をうかがった。


 ■目の前の業務に追われ、後回しになっていたシステム改善

 

JCNEは、2016年の設立以来、NPOを対象に団体の組織評価・認証制度を提供している。NPOにとっては、JCNEのような第三者機関から評価を受け、ガバナンスをみなおすことが、団体の基盤強化につながる。加えてJCNEでは、集約した評価情報を関係機関へ提供したり、広く公開することで、NPOの信頼性や認知向上に貢献している。近年では、助成財団が助成対象となるNPOを審査する際に「ベーシックガバナンスチェック」の利用を推奨するなど、JCNEの評価制度にますます注目が集まっている。

https://jcne.or.jp/data/gg-voice2022.pdf 

グッドガバナンス認証を取得した団体を紹介する「Good Governance Voice」。応援したい団体を見 つけることができるガイドブックとなっている。

「全国レベル、分野共通の非営利組織の評価機関の設立は初の試みです。ですので、日本社会においての『組織評価制度の確立』が、当初、JCNEの大きな課題でした。」と本プロジェクト主担当である村上佳央(かなか)氏は、スタート当時を振り返る。NPOは規模も分野も多岐にわたり、企業に比べて運営体制も脆弱な団体が多い。その状況を考慮しながら、どのような指標やデータを評価対象とするかなど、制度をゼロから設計するところに工夫が必要だった。 

現在、JCNEは「ベーシックガバナンスチェック」「グッドガバナンス認証」という、2段階の評価制度を提供している。申請件数は年間数百。これだけの申請数をわずか5名の事務局員で対応している。これまでは、データはすべてExcelで管理し、申請団体とのやりとりもメールが中心だった。そのため、申請団体からのちょっとした登録内容の変更依頼に対しても、その都度スタッフが手作業で対応する必要があった。

「団体の評価情報を適切に管理したり、もっとデータを活用したくても、手作業の多いExcel管理に追われ、人的リソースを割けずにいました」(村上氏)と、普段からもどかしさを感じていたという。こうした管理体制は、事務局と申請団体の双方に負担がかかり、変更漏れや入力ミスといった情報管理上のリスクも含んでいた。 

JCNE事務局の村上佳央氏。「以前働いていた印刷会社が、大量のゴミを出して環境を害していることに疑問を感じ、NPOへの転職を考えた」という。村上氏は、職場の同僚が、近くにある有名なNPOのことさえ知らなかったことに課題意識を抱き、NPOの認知向上に寄与するJCNEへの就職を決意したという。

■ダンクソフトの「NPOへの実績」と「評価制度への理解」が決め手に

 

 そこで、業務の手間を減らして効率化していくことが、より質の高い体制や、多くの団体評価を実現してNPOの信頼を高めることにつながるだろうと、JCNEの業務改善に取り組むこととなった。NPO業界では、業務プロセス改善にkintoneを使っている団体も多いことから、今回、JCNEもkintoneを使うことを決めた。kintoneの無料相談窓口に問い合わせると、複数の企業を紹介された。その中から、最終的にダンクソフトへ依頼することとなり、2021年12月に、本プロジェクトがスタートした。

 

「ダンクソフトさんは、理解することがなかなか難しいJCNEの評価制度について、提供した資料以上のことを理解しようとしてくださいました。このことが決め手になりました。」と村上氏は振り返る。

 

また、ダンクソフトがサイボウズのパートナー企業であり、NPOへのkintone導入実績が充実していることも、安心感につながったという。

 

「実は“評価”というのは、システム化するのが一番むずかしい分野なのです」と語るのは、ダンクソフトの片岡幸人だ。片岡は、サイボウズ社公認のkintoneエバンジェリストでもあり、今回導入したシステムの全体設計を担当した。JCNEの評価制度は仕組みが緻密で、評価項目も多岐にわたる。このことから、kintoneでのシステム化や運用は、相当にハードルが高いものと予想していた。

 

しかし、実際には、予想以上にスムーズに初期バージョンを完成させることができた。それは、JCNEのシステム化チーム(村上氏・浦邉氏)と、ダンクソフトの中香織が中心となって、対話的なプロセスを重視したことが大きな要因だろう。

 

JCNEには当初から、「こういう課題を解決したい」という明確なイメージがあった。また、中香織はウェブ・デザイン出身の強みを活かし、JCNEの課題に対して、ユーザーが使いやすいUIデザインの提案を続けた。相互に対話を重ねながら、徐々にシステムを形にしていき、運用がスタートしたのは、2022年4月。最初の問い合わせから、わずか4か月で導入に至った。

 

■kintone導入で実現した3つのシステム改善 

kintoneによるシステム化によって、JCNEが重視していた点が、いくつも改善している。ここでは、その中から3つのシステム改善を紹介する。

 

1つ目は「長期的に継続利用できる団体データベース」であること。

kintoneによる管理ページの一部。団体の審査ステータスが視覚的にわかりやすく、別ステータスのレコードにも簡単に移動できるステータス・バーが実装されている。

JCNEの評価制度は、認証が得られたら終わりではなく、3年ごとに更新をおこなっている。また不足があって認証されなかった団体からも、再評価申請を受けつけている。そのため、1回の申請で終わりではなく、長期的に活用できるデータベースである必要があった。更新や再審査にまつわる情報もすべて含めて管理できることで、申請団体を長い目で見守ったり、長くお付き合いしたりすることができるようになる。

2つ目は、「ユーザーが使いやすいレイアウトの実現」だ。

これまで利用していたExcelのレイアウトをベースにデザインされたデータベース。従来のレイアウトにそったUIにすることで、スタッフの負荷なくkintoneのシステムへと移行できた。

kintoneは情報を上下にレイアウトしていくのが得意なアプリだが、JCNEではExcelで使っていた横長レイアウトに馴染みがあった。そのため、「横長のレイアウト」へのリクエストに対応。スタッフが慣れ親しんだフォーマットを尊重したデザインとなった。小さな工夫ではあるが、もたらした成果は大きい。スタッフたちが新しい業務プロセスへ移行する際の負担を、大幅に減らすことに貢献した。

 

3つ目は、「団体用マイページの作成」である。

これまでメールで届いた登録内容の変更はJCNE事務局が修正し、評価結果のステイタスはメールで連絡していた。それが、すべてマイページ上で、申請した団体が自分たちで更新やステイタスの確認をできるようになった。この機能は申請団体からも好評で、「マイページであらゆる手続きができるため、以前よりプロセスがスムーズになった」と嬉しい声も多数届いている。

申請団体が利用するマイページ「じぶんページ」(左)。申請団体は、評価の進捗状況の確認や登録内容の更新をマイページでいつでも自分の手でおこなえる。右図では、提出書類のチェック結果が表示されている。

■「アジャイル方式」で、お互いの専門を超えた協働が実現

 

とはいえ、前例のないシステムづくりゆえに、想定外の事態も起こった。

 

「一言に“NPO”といっても、規模も分野もさまざまです。ですから、いざ新しいシステムで申請が始まると、ほとんどがイレギュラー対応という感じでした」と、村上氏は振り返る。運用が始まったばかりのシステムではまだ対応できない、想定外の申込内容が、システム導入後に次々に届き、その度にシステム修正の必要性がでてきた。

 

新たに表出した課題ひとつひとつに対して、ダンクソフトはスピーディーに柔軟に改善していき、システムは、多様な団体の申請にこたえられるように進化していった。これは、ダンクソフトの顧問型支援の特徴でもある。世の中では「アジャイル方式」とも呼ばれ、小さな単位で開発と実装を繰り返すため、開発がアジャイル(機敏)になるというものだ。

 

「まだまだ制度が確立しきっていない私たちからすると、できるところから改善して、新たな課題が見つかったら改善して・・・、というやり方はとてもフィットしました。NPOやJCNEに向いているスタイルでした」(村上氏)

 

また、対話を重視するダンクソフトとの協働スタイルについて、村上氏はこう振り返る。「NPOのよりよい組織づくりには、NPOの専門家だけでなく、それを形にするシステムの専門家も加わって、両者による連携が必須です。今回のシステム導入がうまくいったのは、システムの専門家であるダンクソフトさんが、JCNEの組織評価制度を本当によく理解してくださっているからだと思います。私たちにとって、ダンクソフトさんは評価制度を推進するパートナーですね」。 

 

■デジタルでまだまだ広がるNPOの可能性

 

kintoneのシステム導入からまだ半年足らずであるにも関わらず、単なる業務効率化にとどまらない効果がすでにあらわれている。(2022年9月現在)

 

まず、サポートが必要な団体へのフォローや、評価にかかわる業務など、本業や今まで手の届かなかった業務に注力できるようになった。また、ダンクソフトが作成したマニュアルを活用することで、これまで担当者ごとに微妙に異なっていた管理ルールが統一され、データ管理リスクが軽減された。さらに、申請団体側のプロセスも、わかりやすくスムーズになった。「“評価”というと、ハードルが高いものと思われがちですが、そのハードルをいかに下げられるかという点で、今回のkintoneによるシステム化が大きく貢献しています」と、村上氏は嬉しそうに語る。

 

今回のシステム化の成功を受けて、JCNEではすでに今後実現したいプランがいくつも出てきているようだ。

 

「信頼性の証」となるグッドガバナンス認証マーク
https://jcne.or.jp/evaluation/good_governance/

ひとつは「グッドガバナンス認証」へのkintone導入だ。「グッドガバナンス認証」は、今回システム導入をした「ベーシックガバナンスチェック制度」のアドバンスド版である。評価項目がさらに多く、数値では表現しづらい団体の想いやヒアリング情報も扱う必要がある。こうしたデータをどのようにハンドリングしていくかなどの難しい課題はあるものの、今後チャレンジしていきたいという。

 

 また、「評価情報の活用」を、デジタルでさらに有効にしていくという展望もある。今回のシステム化によって、蓄積したデータをいかす基盤ができあがった。研究機関へデータを提供したり、一般の方々がNPOを検索しやすくするために用いたりなど、デジタルによって新たなデータ活用の可能性がうまれている。

 

さらに、「グッドガバナンス認証団体のコミュニティづくり」も、次に実現したいことのひとつである。JCNEでは、グッドガバナンス認定を受けたNPOの優れた組織運営ノウハウを、他のNPOへシェアするコミュニティをつくることで、NPO組織全体の底上げに寄与したいと期待を寄せている。ダンクソフトでは、デジタル化の価値は、単なる効率化にとどまらず、その先のお客様や関係者とのコミュニティを活性化するところにこそ、活用の真価があると提唱している。

 

村上氏は、「ほとんどのNPOは、どうしても自分たちの“事業”やその成果に重きをおきすぎています。組織評価を通じて、自分の“組織”にも目を向けてケアをしたり、足元をかためることに力を割いていただきたい」と述べる。さらに、JCNE自身も、グッドガバナンス認証を600団体にするという、次の目標を掲げている。「自身の団体力強化にも目を向けていきたい。そのためにも、これからも、ダンクソフトさんと協働しながら、徐々にシステム改善を続けていきたいとも思っています」と、今後の展望に胸を膨らませた。 


■導入テクノロジー

  • kintone

  • kintone顧問開発

※詳細はこちらをご覧ください。https://www.dunksoft.com/kintone

 

■ 公益財団法人 日本非営利組織評価センター(JCNE)とは

https://jcne.or.jp/

2016年に設立した非営利組織(NPO)。「グッドガバナンス認証」と「ベーシックガバナンスチェック制度」という組織評価制度をつうじて、NPO組織の基盤強化をおこなうとともに、その評価情報を活用することで、NPOの信頼性向上と認知向上にも取り組む。また、世界約20ヶ国の評価認証機関からなる国際ネットワーク「ICFO」に加盟し、加盟団体との意見交換や最新の情報収集をおこなっている。

 

HISTORY4:ヨコをみず、未来を見てきた(2000年代)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ第4回目。2000年代をとりあげます。21世紀に入り、IT業界の動きが社会全体の潮目をつくりはじめました。ダンクソフトも、現在につながるさまざまな変革や転機を経験していきます。  

▎GAFAの萌芽と、日本のガラパゴス化 

 

前回の「HISTORY3」では、インターネットが登場しはじめた90年代後半のエピソードをお話ししました。Windowsが95から98へと大躍進し、AppleからはiMacが登場してV字回復。一方、ダンクソフトでは、私がインターネットに感じた可能性をいち早く実験し、フランスへの旅で未来への確信をつかんだ時期でした。働き方を変えていく方向も、その中で見えてきました。 

 

今回は、2000年代です。Google、Amazon、Facebook、そしてTwitterなどの新興企業が次々と登場し、EコマースとSNSが急激に伸張しました。ですが、日本ではいくつかのハードルのために、インターネットと基幹システムの接続がうまく進みませんでした。私の感覚では、インターネット化への動きがぱたっと止まってしまった。むしろ後退して世界から日本が取り残されてしまった時代でもありました。 

 

何がハードルとなっていたのか。その中で、ダンクソフトは何をしていったのか、2000年代の葛藤と挑戦をお話ししてみようと思います。 

 

HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半) 

https://www.dunksoft.com/message/2022-05  

 

▎大きく出遅れていた日本 

 

2000年9月、Googleが日本語による検索サービスを開始。同11月、Amazonが日本でのサービスをスタート。2001年1月には英語版Wikipediaが初めて公開されるなど、世界はいよいよインターネット時代かと思われました。実際、日本の企業でも電子メールはいち早く広まりましたし、パソコンもようやく1人1台時代になってきていました。しかし、そうした表面的なインターネットの普及とはうらはらに、システムの根幹のところでは、日本は実は大きく出遅れていたのです。 

 

欧米では、インターネットの普及に先立ち、MS-DOS時代にすでにネットウェアやネットワーク・システムによるファイル・サーバーが広く浸透していました。つまり、これは、社内LANが普及して、同僚たちとファイル共有が社内で行える状態です。その後でインターネットが入ってきたため、情報が保存される基幹システムが社内にまずきちんとあり、その上でインターネットを介して外部とつながるという、あるべき順序で展開されました。 

  

▎日本のデジタル化を阻んだ3つの理由 

 

しかし、日本は違いました。日本が出遅れたのには、3つの理由がありました。 

 

ひとつ。日本では、まだLAN環境さえ十分に整わないうちに、インターネットが来てしまったことです。そのため、基幹システムでデータベースをしっかり構築することをしないまま、それとは別のところで、インターネット上で動的に情報を動かす試みが始まってしまいます。 

 

これにより、多くのECサイトは基幹システムと連携できず、ECサイトで集めた情報を社内データベースに改めて入力しなおすなど、情報が二重化していたのです。企業やビジネスの情報の持ち方としては、良い状態ではありませんでした。 

 

2つ目の理由は、ネットワーク回線が遅く、速度がまったく足りなかったこと。できなかったというより、古いサービスを優先して、キャリアが普及させたくなかったのではないかと思っていますが、その後、ソフトバンクBBが登場してADSLを日本中に配ることで、高速インターネットが普及します。それまで、日本のネットワーク環境は大変もどかしいものでした。 

 

3つ目として、日本語という言語特有の課題がありました。27文字のアルファベットで完結する英語に対して、日本語はひらがな・カタカナ、それぞれの全角と半角、さらに膨大な数の漢字があります。これらを処理するジャストシステムのフロントエンド・プロセッサは画期的な発明でした。同時に、システムにとっては大変負荷のかかるものでもあり、文字通り“PCの重荷”となっていました。日本語をのせると使い物にならない。そこでダンクソフトでは、ネットウェアは英語版、ATOKは明朝体以外のフォントをはずし、必要最低限にスリム化してシステムを動かすというアクロバティックな方法で、この課題をクリアしていました。 

  

▎自分たちが「理想のインターネット」を実現していく 

 

こうした複数のハードルのために、もっと画期的に進んでいくと考えていたデジタル化が、日本では思ったように進みませんでした。それどころか、むしろ後退して、世界から取り残されて止まってしまった感じがありました。それが2000年代の日本のIT事情で、当時感じていた歯がゆさでした。 

 

それでもダンクソフトは、「インターネットの理想」を追求していきます。データベースが得意なことと、いち早くインターネットの可能性を試していたことが、功を奏しました。既存の社内データベースとEコマース・サイトを連携するプロジェクトへの要請が増加していきます。アメリカの大手スピーカー・ブランドも、当時のクライアントのひとつでした。 

 

また、予測したように世の中のデジタル化が進まないならと、むしろ自社内の環境改善に力を注ぎ始めました。デジタルで実現したいこと、未来のあるべき姿を自分たちで実践していき、「ほら、こういうことだよ」と周囲に見せられるようにしようと、動き始めます。  

 

▎何よりも「人間」に注力した 

 

根底にあったのは、会社がより良くなっていくためには、会社の体質を変え、働きやすい環境をつくることだ、という思いでした。そうすることで、スタッフがモチベーションをもって働けるようになるだろう、と考えたんですね。そうした先にしか未来はないという確信がありました。 

 

就業規則を創業以来はじめて変更したのが、この時期です。女性スタッフが抱える出産・子育ての課題を中心に、働きやすい環境を自分たちで積極的にデザインしました。例えば、就業規則をスタッフ自らが作成したのは、その典型例です。驚くほど効果がありました。自分たちでつくったルールですから、スタッフたちが内容をよく覚えているんです。普通は誰も関心がないんですが、就業規則なんて。このタイミングで人事評価制度も新たにつくりました。数値的に見えやすい結果を評価するだけでなく、一人ひとりの行動を丁寧に評価し、プロセスを評価してきました。今では、スタッフの評価をめぐって、もっとじっくり対話するようになっています。 

 

その後も、社内コミュニケーションの機会を増やし、2006年には初の「DNAセミナー」を開催しました。以来、年に1、2回は全社員が集うCo-learningの場を用意しています。2022年6月に内閣が提示した新政策の中に、「人材への投資」が重点テーマとして入りました。この背景には、実は世界各国と比較して、日本企業は人材への投資をしてこなかったという事実があります。こうした中、継続的にスタッフが互いに育っていく環境づくりをしてきたことは、誇らしい取り組みだと考えています。 

  

▎『哲学講義』から受けた刺激 

 

当時も今も、私がイメージしているのは、ヨーロッパの働き方です。1998年のフランス滞在で、彼らの働き方や休暇の取り方をじかに見る機会がありました。 

 

また、当時プロジェクトで連携した法政大学教授から紹介された書籍からの学びも、大事なモチーフになっています。 

 

これは、ポール・フルキエの書いた『哲学講義』という本なのですが、フランスのリセ(高等学校)で、哲学の代表的な教科書になっている分厚いテキストです。その中に、フランスの労働社会学者ジョルジュ・フリードマンによる一節があります。 

 

「未来の問題は労働ではなく、逆説的ではあるが、余暇の問題となろう」 

 

つまり、働く人にとって、余暇は本来、人間性の発達と倫理的進歩の時間となるべきもの。しかしそれは反対に、堕落と倫理的無秩序の機会にもなりうる。これをどう防ぐかが問題だ、というのです。 

 

ここには余暇の生かし方の問題があるわけですが、余暇を人間性の発達につなげるには、人は学び続けることが大事でしょうね。こうしてクリエイティビティも発揮していくことができるのだと考えています。 

 

私自身、時代時代で必要な本を読み、話に耳を傾け、かつ実践しながら、新しいはじまりをつくってきました。ダンクソフトには、「時間は人生のために」というモットーがあるのですが、これは、この頃に生まれました。フルキエの『哲学講義』もそうですし、中国との縁がきっかけで読んだ孔子の『論語』、荘子の『荘子』も好きです。本は時代を超えて人に出会えるので素晴らしいと思います。 

  

▎初のMicrosoftアワード受賞 

 

2000年代後半のハイライトのひとつは、初めてMicrosoftからアワードを受賞したことです。 

 

2006年にアメリカでDynamics CRMというデータベース・ソフトが発売されました。日本支社のダレン・ヒューストン社長(当時)に相談をすると、本社の担当者を紹介してくれました。すぐにシアトルまで会いに行きました。 

 

話をしてみると、Dynamics CRMでダンクソフトの実現したいことが表現できることを確信、その年の後半から、開発をスタートしました。 

 

結果、2007年には、Microsoftのパートナー・プログラムで実績を評価され、パートナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。パートナー企業の数は、日本だけでも万を超えますが、ゴールド・パートナーは数えるほどしかありません。しかも、ゴールドの中では一番小さな規模の会社だったので、嬉しく光栄なことでした。 

  

▎「SmartOffice構想」の兆しは2000年代に 

 

ここから、ダンクソフトはさらに加速します。 

 

翌年の2008年には、クラウドサービスの導入・運用支援の提供を開始。伊豆高原でサテライト・オフィスの実証実験にも挑戦します。これについて、40周年を機に、詳しい物語を書いてみました。よろしかったらご覧ください。 

 

そして、ダンクソフトで最初のテレワーカーが誕生するのが2010年4月。今にして思えば、現在かかげる「SmartOffice構想」の布石ともいえる動きが、2000年代には始まっていたのでした。 

 

2010年に入ると、テレワークやサテライト・オフィスを本格稼働させます。「インターネットに よりよいものをのせていく」という現在の流れに向かって、インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)に着手した時期です。この2010年代については、また次の機会にお話ししようと思います。 

 

SmartOffice Adventure ─ ぼくらは人がやらないことをやる ─ 

https://www.dunksoft.com/40th-story-hoshino

 

 

経営者対談:Unlimited Florist ─ デジタルと手仕事の美徳は引き立てあえる ─


今回のコラムは、株式会社ユーアイ 取締役社長の藤吉恒雄さんがゲストです。大変活躍されている日本を代表するフローリストです。グランドハイアット東京やハイアット・リージェンシー京都、HOTEL THE MITSUI KYOTOの装花デザインなどを手がけていらっしゃいます。コロナ禍を経験して見えてきた課題、今後のビジネスの展望や、「デジタル」がもたらす未来について、対話しました。  

株式会社ユーアイ 取締役社長 藤吉恒雄 

株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎


▎80年代、「やはりあのシステムがほしい」と転職先にも導入 

 

星野 ダンクソフトは、この7月から40期目に入りました。藤吉さんとの関わりは、もう40年近くになります。最もおつきあいの長いクライアントのお一人です。 

 

藤吉 きっかけは知人の紹介でしたね。当時勤めていた結婚式場で、花の仕入れ管理に苦労していたときでした。週末には20〜30件の結婚式が行われるわけですが、それらすべてを手作業で集計していたんです。限界を感じ、システム開発を依頼しました。それがとても使いやすく便利で、その後、今の会社に移った時にも「やはりあのシステムがほしい」となりました。結果、移籍先にも同様のシステムを改めて導入していただいたのです。 

 

星野 お仕事の特徴として、一般的な販売管理とは、時間のスパンが違いますね。今日明日の出来事ではなく、結婚式は、来年、再来年という“未来”のデータを扱います。顧客も、ご両家だったりするので一人ではありません。仕入れも独特です。要素がことごとく他の業界と異なるので、一般的な販売管理システムでは何ひとつ合いませんでした。それがまるごと表現できるように開発する必要がありました。 

 

当時はそれを特殊だと感じていましたが、その後、多くの業界に触れる中で、実は他の分野でも必要とされていたことだとわかりました。私たちもよい勉強をさせていただいたと感謝しています。 

 

藤吉 いつもひょっこり事務所にやってきて、ちょちょっと仕事をしてリュックを背負って帰っていく。当時の星野さんの後ろ姿が印象に残っています。 

 

星野 最初の開発時は、まだまだパソコンも黎明期で、使わなくなった中古パソコンをお貸しして使ってもらったんですよね。だからいつも何かしら荷物があったんです(笑)。データベースも、いちからつくるしかなかった時代で、記録媒体はなんとフロッピーでした。 

 

藤吉 パソコンもブラウン管のような時代でしたね。   

▎デジタルを取りいれて効率化するためには、意識を変えることが重要 

 

藤吉 結婚式のしくみは、その頃からほとんど変わっていないかもしれません。何より、花をさす仕事自体は変わりません。ですが、それ以外の事務的な作業をデジタルで効率化できるようになりました。ただ、ものづくり業界の特性でもあるのか、手間を美徳とする文化も根強くあり、デジタルへの拒否反応は、まだまだあります。やはり意識を変えていく必要があると強く感じています。 

 

星野 とすると、こう言ってみてはどうでしょうか。デジタルで効率化したぶん時間ができる。その時間で、より手間をかけられるのですよ、と。要するに、デジタルと手仕事の美徳は、引き立てあえるんですよね。 

 

それから、デジタルでの効率化のポイントは、同じ情報は再利用し、一度で済むものは一度で済まそうという発想です。再利用できるところは再利用するとよいですよね。 

 

藤吉 イレギュラーも多い業界です。急な仕事が入ったり、なくなったり、シフトが日々変わったり、時間がばらばらだったり。効率化していかれるよう、仕事を見直して、しくみを変え、デジタルの使い手である我々の意識を変えることで、業界をもっと良くしていけるはずです。 

 

星野 柔軟に対応できるシステムにしておき、合理的にできるところは合理化する。その分、浮いた時間や費用を使って、クリエイティビティを発揮するところに注力していくことができます。そのためにこそ、デジタルをうまく取り入れて、効率化していきたいものですね。   

▎コロナ禍の2年半を、会社の体質を変える意義ある時間に 

 

星野 イレギュラーと言えば、コロナはフラワー業界にとってはいかがでしたか。 

 

株式会社ユーアイ 取締役社長 藤吉恒雄 氏

藤吉 コロナ禍のダメージは甚大でした。2020年の2月、大企業やブランドのパーティーなどのイベントが、いち早く中止になりはじめます。3月になると、学校が休校になり、結婚式や大小のイベントも軒並みキャンセル、または延期。4月、5月は、とうとうほぼゼロになりました。誰にも先の状況が読めないなかでしたが、5月末頃、持ちこたえるところまではやろうと、スタッフをひとりも手放さない決断をしました。現場仕事がない分、じっくり考えることができるため、これからの仕事の仕方について、スタッフ皆で考えはじめたんですね。 

 

星野 どんなことをされたのですか。 

 

藤吉 アイディアを出し合い、ミーティングを重ねて、どうすれば体質を変えられるか、考え抜きました。例えば、残業をなくす方法を突き詰めていくと、結婚式の打ち合わせから変えなければならないことが見えてきました。 

 

星野 その後、それを実践していかれたのですね。 

 

藤吉 2021年の秋頃には、幸いにも忙しさが戻ってきました。そこでトライ・アンド・エラーを繰りかえし、しくみを見直し、2年半かけて体質を変えてきました。チーム力もあがりました。その成果が今ようやく出てきたところです。 

 

星野 コロナ禍の時間を意義あるものにされましたね。 

 

藤吉 そうですね。じっくり考える時間をもらえたという意味では、意義ある時間でした。それまで馴染みのなかったオンラインでの打ち合わせにも慣れましたし。継続的に体質改善に向き合えたので、結果的には貴重な時間となりました。 

 

星野 そうなるように意志を持って、スタッフの皆さんと対話を重ねられたからこそですね。あらためて思うことですが、やはり「対話」が大事ですね。ダンクソフトでも、スタッフと私との対話、スタッフ同士の対話、お客様との対話を、約10年ほど前からでしょうか、意識的に重視してきました。 

 

くわえて、技術的なタイミングですね。ある意味、技術がコロナ禍に間に合ったと言えると思います。通信環境がこれだけ進化した今だったからこそ、コロナ禍でも、ストレスなくオンラインで対応できます。藤吉さんと出会った頃は、まだダイヤルアップの時代でした。そこからADSLを経て光ファイバーの時代になり、最大通信速度は、1980年からの30年で約10万倍になったと言われます。   

▎「デザイン価値」で、フローリストの地位を高める 

 星野 ところで、コロナ禍を経て、いま感じている課題は、どのようなことがありますか? 

 

藤吉 日本は生け花の世界ですと、伝統として確立されているところがあります。ですが、フローリストについては、どんなすばらしいデザインをしても、そこに対価を得るのが難しいことが、課題だと感じています。 

 

花を用いた空間装飾という私たちの仕事は、有形の花があってこそ成立します。ですが、そこにデザインや技術、ワザという無形のものがなければ成立しません。それこそ一番重要な部分であるにも関わらず、日本のお客様はモノ以外の側面、つまり無形のものには対価が発生しないと思っているようです。海外の企業や外資のクライアントは、「デザイン価値」に対価を払う文化が浸透しているのですが……。 

 

星野 わかります。分野は違いますが、実はダンクソフトでも、ウェブ・デザインやどこにもない新提案をする際に、同じような課題を感じています。 

 

藤吉 当社の社名は、「Unlimited Imagination」を略して「ユーアイ」(以下UI)です。想像性に限界を持たずにやろうという意味で、UIの花は「唯一無二の花」をコンセプトとしています。そのため、デザインにたどり着くまでに、多くの要素(エレメント)をふまえて考え抜きます。クラフトワークともいうべき手仕事のよさを生かしつつ、どうすれば無形の価値を評価する文化を確立、認知していけるのかを常々考えています。 

 

星野 業界を問わず、日本全体の課題ですね。例えば、ヨーロッパはブランディングにたけていて、価格設定が日本よりも高い。一人ひとりが長期休暇を取ることもできて、それでも会社が回ります。日本はそろそろ、安いものがいい、という風潮を変えないといけないタイミングにきていると思います。世界はとっくにそちらにシフトしているのですから。それがまわりまわって、若い人たちの賃金が上がらない問題に関連します。イマジネーションやクリエイティビティ、審美的要素など、無形のもの、いや、「デザイン価値」への評価や価値で対価を得ていく方向に、変えていかないといけないですね。 

 

藤吉 ブライダルのお仕事の場合、約3か月前からお会いして、当日までに複数回のお打合せをします。ですが、私たちは本番になるまで、どのような空間になるか実物をお見せすることができないんです。ですから、やはりヒト対ヒトの信頼関係が大事です。当日を迎える頃には、お友達のようになっている、そんなふうになりたいものです。 

 

星野 プロセスの価値ですね。 

 

藤吉 私たちUIは、マス・プロダクションとアートのあいだにいる、と考えています。手仕事の温かさを残しつつも、デジタルを使いながら効率化していくことが大事だと感じています。ですが、一方で、その2つの相反するものをいかにつなぎ、成果を出していくか。それが難しいところだとも思っています。星野さんから知恵を頂いたり、自分たちのタレント性をさらに磨いたり、意識をもってやっていかないといけないですね。 

 

星野 すばらしい考え方ですね。でも、実はデジタルって、とても温かみのあるものなんですよ。『「人を幸せにするシステム・デザイン」をimagineする』というコラムを先日掲載しましたが、デジタルがあれば、人やアイディアがつながって、温かくてクリエイティブな関係コミュニティをつくることができますしね。このプロセスで一人ひとりの可能性をひらくことができることも実感しています。ぜひご一緒に取り組んでいきたいですね。   

▎予期せぬ天変地異で左右される原価管理を、システムがサポート 

 

藤吉 もうひとつの課題は、原価管理です。生花の市場は“競り(せり)”で売買されます。値段が決まっておらず、状況により乱高下します。そのため、原価が安定しません。事前に「こんな花にしましょう」「あの花を使いたい」と相談していても、使う時期にいくらで買えるか、お客様のリクエストが、変動する市場に合致するとは限りません。原価予測がきわめて難しいんです。 

 

星野 競りというのは、また大変ですね。 

 

藤吉 ええ。天変地異で温室が飛んでしまうこともありますから、原価は常に変動します。ダンクソフトさんにつくっていただいたシステムでは、原価を記入するようになっています。そこで、原価の精度を高めるために、仕入れ担当者が、中卸業者さんに価格予想を出してもらうようにしました。それをもとに予想原価を記入していく。それによって原価管理が、以前よりは随分できるようになっています。また、会社が目標にする数値がコンピュータに入っているともいえますので、じゃあそこにどう合わせるか? と、担当者たちが、状況をみながらやりくりできるようになっています。 

 

星野 システム開発の時点では想定していなかった使い方ですね。システムはそのままでも使い方を発展させて、システムを、より有効に活用してくださっています。それで想定以上の積極的な効果を出されているということですから、開発者として、とても嬉しいお話をお聞きできました。 

 

 ▎花を再生する農場をつくりたい 

 

星野 最後に、未来にこうしていきたいという展望をお聞きできますか。 

 

藤吉 そうですね、もっとフローリストという職業がさらに認知され、地位が上がるようにしていきたいですね。当社UIを、考え抜いた商品・サービスを提供するプロフェッショナル集団にしたい。そのために私がすべきことは、スタッフにとってより良い環境をつくることだと考えています。労働時間にせよ、効率化にせよ、環境は私が整えるから、みんなそこで好きに暴れてくれたらいい、と。それと、個人的には、現役リタイア後は、農場をつくりたいという夢があるんです。 

 

星野 農場ですか? 

 

藤吉 花は、多くの場合、切り花で使います。根のついた状態で仕入れたものを切って使うことがあります。例えば、アジサイなどは株で買って、それを切って使うので、株が大量に残ってしまいます。これを農家は引き取って、育てなおしてはくれません。その、花を切り落とした後の根や株を、再生できればと思うのです。 

 

星野 そのためのプラント農場や温室というわけですね。 

 

藤吉 そうです。最たる例がクリスマス・ツリーです。何年もかかって育った樹木が、12月の約ひと月の役目を終えたら、そこまで。ツリーとして鉢植えにするため、根を小さく刈り込んでしまうので、もう再利用ができません。1~2メートルの背丈になるまで3、4年はかかります。このペースで行けば、育てる方が追いつかない。お金の問題より何より、ただただもったいない。このことがずっと気になっていて、現役を離れたらどこかで植物の再生活動ができればと思っているんです。 

 

星野 農業・林業×ITには大きな可能性が眠っています。ダンクソフトはデジタルの会社ですが、実は私は少し前から「自然と機械と人間の協働」に注目しているんですね。これがますます重要になっていくのは間違いないと思っているんです。そうした考えもあって、ダンクソフトは、この神田オフィスに移転してから、地域の皆さんと藍(あい)を育てる「神田藍プロジェクト」に参加するようになりました。オフィスのテラスで藍を栽培し始めて2年目になります。 

  

▎神田で藍を育てる コミュニティがあれば、どこにいても働ける未来へ 

 

オフィスのベランダで育てている藍の植木鉢

藤吉 ビルのテラスで藍を栽培? そんなことをされているのですか。 

 

星野 ええ。そこのベランダにあるんですよ。都会には地域コミュニティがあまりないので、身近な人を知っているコミュニティをつくりたいと思って始めたのですが、藍自体の魅力もわかってきました。株もどんどん増えて、今年はついに、神田で採れた種を植えて、藍を神田で育てて、神田で染めた「生葉染め」ができましたよ。 

 

通常、藍は染料に加工して使いますが、新鮮な生葉なら生葉染めができます。木綿や麻は染まりづらいのですが、動物性の生地は染めやすいそうですね。先日、群馬県にある世界遺産の富岡製糸場に行きまして、絹のポケットチーフを手に入れてきました。それを生葉染めで染めたものが、こちらです。 

 

藤吉 星野さんが染めたものですか? それは驚きました。 

 

星野 先日このオフィスで生場染めをしたところなんですよ。今日、藤吉さんにお渡ししようと思って用意しました。生葉染めの特徴で、色の濃淡も風合いも均一でなく表情豊かに染まります。お好きなものを一枚どうぞ。 

 

藤吉 青は好きな色で。では、濃いものをいただきますね。いい色だな、ありがとうございます。 

 

星野 それで、この藍の鉢植えのそばにカメラをセットして、リモートでウォッチしているんですよ。そうすることで、離れたところにいて、毎日様子を見に来ることができなくても、世話ができています。今はまだ水やりまで自動化できていませんが、それも手の届く未来です。 

 

いま進められている第5世代移動通信システム(5G)の通信速度は、第4世代(4G)の実に100倍以上も高速です。総務省では大型予算を組んで、離島や山間部をふくむ日本全域の5G化を急ピッチで進めています。過疎地や人間が住んでいない山林地域にもインターネットが行き渡れば、距離や住環境は大きな問題ではなくなります。人がこれまで住めないところでも活動や仕事ができるようになります。 

 

藤吉 そんなに進んでいるんですね。 

 

星野 そうなれば、藤吉さんがおっしゃった花の農場のようなことは、どこにいてもできるようになりますね。それと先ほど、環境は私が整える、とおっしゃいましたが、それこそダンクソフトでは、インターネットを上手に利用してクリエイティブに仕事ができるビジネス環境をつくるため、「スマートオフィス構想」を提唱しています。首都圏への一極集中を緩和し、地方にいてもやりたい仕事を選んで働ける環境を実現していく構想です。これが、これからますます重要になっていくでしょうね。地域にいながらにして日本各地、あるいは世界各地と連携・協働していくきっかけになる場としても、期待しています。 

 

藤吉 とすると、もっといろんなところで働けるように、価値観を変えていかなければなりませんね。 

 

星野 私のイメージだと、近いうちに鉄腕アトムが登場して、行きたいところに私を背負っていってくれると思っているんですよ(笑)。夢物語と思っていることが現実となるのも、きっとそう遠い未来ではありません。 

それにしても今回の対話は、思いがけず「再生」がテーマになりましたね。デジタルがあれば、手仕事も、植物も、コミュニティも再生できる。古代からあるものが、最新技術で、より魅力をもつ。今日は、unlimitedな夢もともに描ける時間をいただきました。ありがとうございました。 

  

Cross Talk:課題を課題として感じていないという課題 


[参加者] 

ウェブチーム 大村美紗 

開発チーム 澤口泰丞 

企画チーム Umut Karakulak 

代表取締役 星野晃一郎 


 ▎はじまりをつくり続けて 40 年 

 

星野 ダンクソフトは 7 月から新年度を迎え、40 期目に入りました。今回は、これからのダンクソフトをつくっていくスタッフ3名とのクロス・トークです。 

 

最初に、「ダンクソフトが 40 周年を迎える」と聞いて、どうですか。 

 

澤口 40 年というと、今の自分の年齢を上回ります。僕が生まれる前からこの会社があった。しかもその頃から IT に関する事業をしていたのだと思うと、それはすごいことだなと、素直に感心してしまいます。自分が 5 歳のとき、未来がこんなにデジタル社会になるなんて、想像もできませんでした。 

 

ウムト たしかに、40 年前にITの仕事をするって、とても大変だっただろうなと思いますね。5 年前でさえ、今使っているツールもなかったですし。技術も 5 年あれば相当変わっています。今思えばとても大変だったのに。 40 年前だとインターネットもなかったですよね? 

 

星野 そうですね。ダンクソフトの創業は 1983 年。日本でインターネットが一般に運用されはじめるのは 1990 年代以降ですから。 

 

大村 会社としてすごいことですよね。そして、それだけ続いているということは、続けるために業務内容もどんどん変化してきただろうし。でもデジタルという軸はずっとぶれていない。そこもすごいなと思います。 

 

星野 変化については、意識的に変えていることもあれば、状況が変わって変化したこともあります。世の中がすごいスピードで動いていますから。振り返れば、初期の頃は何もありませんでした。ウィンドウシステムもデータベースも何もないから、何でも自分たちでつくるしかなかったんですね。 

 

技術も社会も高速に進んで、ウムトも言ったように 5 年前と比べても想像もつかないくらい進みました。そう考えると、5 年後はさらに変化が加速しているかもしれません。たとえばデバイスも、今はスマホが主流ですが、これが指輪やメガネになったり、身体の中に入ったりするのかもしれない。いずれにせよ、デジタルはもっと身近になっていくでしょう。  

▎誰のどんな課題を解決していくのか 
─クライメイト・チェンジ、ペーパーレス、セキュリティ、フェイク・ニュース 

 

星野 これまでも、ダンクソフトは誰かの課題や、社会の課題を解決するためのソフトウェアを開発してきました。皆さんには、いま気になっている社会の課題がありますか?  

 

ウムト クライメイト・チェンジ。気候変動です。状況はとても深刻で、今、最優先すべき課題だと思います。 

 

この課題解決のために、デジタルに何ができるか。先日仲間と話しあったときには、使用した電気量を可視化するアプリを作成するアイディアが出ました。 

 

生活のなかで、どこでどれだけの電気を消費しているか、みんなはあまり気にせず暮らしていると思います。状況をデジタルで見えるようにします。そうすれば、節電しようとする行動を促せるのではないかと考えたんですね。実状を知るだけでも、人の行動は影響を受けますから。 

 

澤口 それにも通じますが、課題を課題と感じていないことも課題だと思います。現状に疑問を持たず、それでいいと思ってしまい、気づかない。 

 

たとえばペーパーレスが進まない企業もそうです。ずっと紙でやってきた。社内は相変わらず紙を使っている。だから、それでいいと思ってしまうんですね。別に課題だと思っていない。でも、もっと便利なツールや効率のよい方法があって、活用すれば色々な効果が期待できる。でも、なかなかそうした認識に至らない企業が多いのではないでしょうか。ですが、テクノロジーが進化したことで、敷居が低くなり、実は今はかえって導入のチャンスとも言えます。 

 

ダンクソフトが、よりよいソリューションを展開していくために、まだ課題を課題として気づいていない人に気づいてもらえたらと思います。そのための働きかけをするのも、僕たちの役割だと思います。 

 

大村 IT は便利です。同時に、メリットの背後に、デメリットや危険性も伴っているものです。ですが、どんなデメリットや危険性があるか、認識にはばらつきがあります。詳しい人はわかっているけれど、そうでない人は知らない。知らないまま、便利さを取り入れるつもりで、リスクにさらされてしまいます。 

 

星野 メリットを享受する裏側のデメリットの問題、大事ですね。その筆頭が、やはり、セキュリティとフェイクの問題でしょう。タダほど高いものはないのです。無料のサービスをかしこく使っているつもりが、実は自分のプライバシーを売り渡していた、ということになってしまいます。インターネット上には残念ながらフェイク・ニュースが横行しています。適切な自衛が必要であるにもかかわらず、そこはあまり語られていませんね。 

 

そういう意味でも、これからは「インターネットに よりよいもの をのせていく」ことがますます大切になります。インターネットとデジタルの未来のためにも。ダンクソフトは、そこを大切にしています。  

▎将来は、世界各地から参加者が集まる場に 

 

星野 みなさんは将来、どんなダンクソフトにしていきたいですか? 

 

澤口 僕には将来したいことがあるんです。全国各地を訪れ、いろんな地域の人たちをダンクのメンバーにしたいんです。 

 

ダンクソフトは働きやすい会社です。長く働くことができます。でも、それが同質化にならず、新陳代謝を起こしつづけていたい。そのためにも、日本中のあちこちから、クリエイティブな人たちが参加し続けるダンクソフトであってほしいと思います。 

 

異なる文化圏の人どうしが刺激を受けあえる風通しのよい環境は、イノベーションをもっと促進するでしょうから。 

 

星野 まさに「スマートオフィス構想」の発想ですね。それぞれの居場所や愛着のある土地がスマートオフィスになっていく。僕たちが理想とする未来です。 

 

▼スマートオフィス構想とは  
https://www.dunksoft.com/message/2021-04

 

 

澤口 その土地でしか知られていない、外の人にとって魅力的なモノやコトなどの情報が、各地にたくさんあるはずです。地元の人には当たり前だけど、違う地域や外国の人にはとても貴重で価値があるとか。ささいな情報も、インターネットにのせることで世界に開かれ、世界中に知ってもらうことができる。そこから始まるものがきっとあると思います。 

 

星野 インターネットがこれだけ進んだ今、距離は問題ではなくなりました。ウムトは出身地のトルコと、日本にいても変わらずコミュニケーションがとれていますし。コロナ禍がおさまらない中で、フランスの学生がフランスに居ながらにしてダンクソフトでインターンを経験しましたね。 

 

ロシアとウクライナ問題のなかでも、例えば、イーロン・マスクがいちはやく衛星インターネット回線を開放しました。世界中のホワイト・ハッカーたちが、遠隔からウクライナに手を差し伸べました。かつてないインターネットと情報の動きが、支援の輪を広げています。 

 

インターネットがあれば、物理的な地域の壁を軽々超えて協働できる時代です。世界中からダンクソフトに参加者が集まる未来は、案外近いかもしれませんよ。 

▎時代と対話しながら、次のプロジェクトを生みだし続けるダンクソフトへ 

 

ウムト ダンクにはフレキシビリティがあって、まだまだ新しいワークススタイルに挑戦できる会社だと思います。一人ひとりがオーナーシップを発揮して、もっと面白いプロジェクトを進めていける可能性を感じています。 

 

大村 そうですね。ダンクソフトは、メンバーを自由にさせてくれます。良くも悪くも、“放し飼い”というか(笑)。だからみんないろんなことを考えて、それぞれに行動に移していくことができます。いまはコロナ禍を経験し、メンバー同士がなかなか直接会えなかったこともあり、ちょっとばらつきを感じています。ですから、ダンクソフトの長所である開放感を保ちつつ、これからは、スタッフ同士のコミュニケーションがもっと活性化される環境にしていければと思っています。 

 

こうして他のチーム・メンバーと話すのもいいですね。澤口さんとは同期ですが、今日初めて知った新たな面がありました。ウムトにも「え、そうだったの?」という意外な発見がありました。 

 

ウムト たしかに、ダンクはいろんなスキル持ったポリバレント(※1)な人たちが集まっていて、とても個性豊かです。ダンクソフトのメンバーそれぞれの特長や魅力が混ざりあえば、すごく面白いことが起こりそうです。 

 

星野 それぞれのメンバーが未来を考えて、次をつくっていく集合体が、ダンクソフトなのだと思っています。今回、皆さんの話を聞いていても、やっぱりそう思いました。ひとつのプラットフォームというか、もっと信頼感のあるコミュニティのイメージですね。 

 

年代も住む地域も多様ないろんな人たちが関わって、コ・ラーニングできる場所。みんなで社会課題を解決していく場所。時代と対話しながら、次のプロジェクトを生みだし続ける場所。ダンクソフトはそういう場所になっていってほしいと、あらためて思いました。 

 

みなさん、今日はありがとうございました。 

 

※1 ポリバレントとは?https://www.dunksoft.com/recruit#philosophy    


参加者プロフィール 

大村美紗 ウェブチーム 

2009年に新卒採用で入社。ウェブデザインを担当。コロナ禍でデジタル化やクラウド化が進むなか、デジタルの苦手な人が取り残されることが心配。デジタルに苦手意識を持つ人にも使いやすいものを提供したいと考えている。 

 

澤口泰丞 開発チーム 

2009年に新卒採用で入社。ダンクソフト・バザールバザールの開発、顧客へのシステム導入などを担当。対面に比べてリモートでのコミュニケーションに物足りなさを感じており、そこをデジタルで解消する有効な方法を探索している。 

 

UMUT KARAKULAK 企画チーム 

インターンシップを経て、2016年に新卒採用で入社。 ARシステムWeARee!の開発に携わる。いま注目しているのはAI。技術的にも環境的にもいよいよ準備が整い、イノベーションが期待できるとみている。 

 

ダンクソフト40周年特設サイトをぜひご覧ください→ https://www.dunksoft.com/40th

 

 

BOUSAIFULNESS ──災害前提社会への備え


 ▎BCP:3.11で失われた情報と思い出が教訓に 

 

今回は「防災」がテーマです。私個人としても以前から関心を持っており、取りあげたいと考えていました。最近は、ますます関心をお持ちの方も多いようです。 

 

ここでは、ダンクソフトが考えるこれからの防災について、2つの観点からお話しします。 

 

1つめは「BCP」(事業継続計画)です。大切な情報をどうバックアップし、すみやかな事業再開につなげるか。 

 

2つめは「コミュニティ」との関連です。防災力の高い、ソーシャル・キャピタルの豊かなコミュニティの形成に、企業がどう貢献していけるか。ダンクソフトのケースを例としてご紹介します。 

 

2011年の東日本大震災では、大切な写真がたくさん流されてしまいましたね。個人の情報と同様に、多くの自治体や企業が重要な情報を失いました。紙の台帳やカルテが流されたり、サーバーやコンピュータごと流されたりしたのです。紙の情報は、それ自体が失われると取り戻すことができません。ですが、データをインターネットにのせておけば、情報は助かります。そこで企業は「BCP」を意識することになります。   

▎企業にとって大事なのは、迅速なリカバリー 

 

「BCP」とは、事業継続計画(Business Continuity Plan)のことです。企業が災害やテロ、システム障害などの緊急事態に遭遇しても、損害を最小限におさえ、事業を再開・継続するための計画のことです。 

 

緊急事態は、突然やってくるのが特徴です。リーマン・ショックも、東日本大震災も、コロナ禍も、そうでした。その時、企業にとって大事なのは、迅速なリカバリーです。いかにすみやかに復旧し、事業を再開・継続できるかが、信用につながります。逆に、迅速に有効な手を打つことができなければ、機会ロスが高じて、とくに中小企業にとっては致命的なダメージとなる可能性があります。  

▎クラウドなら、どこにいてもビジネスを再開できる 

 

火事の多かった江戸時代に、江戸市中の大店は、万一の火事に備えて、店を再建するのに必要なだけの部材を江戸の外にバックアップしていたといいます。店という場をいち早くリカバリーすることが重要だったからですね。 

 

一方、現代企業にとって、もっとも重要なのはやはり「情報」です。江戸時代には建物のバックアップ部材を用意していたように、今の時代には、情報のバックアップを準備しておくことが必要です。情報をインターネット上にのせて、クラウド化できていれば、データのバックアップは常に自動的になされている状態です。こうしておけば、個人の生活においても、ビジネスにおいても、大切なものを失わずに済むわけです。 

 

「データ・バックアップと防災」と聞くと、これら2つを遠く感じる方もいるかもしれません。でも、これらは関連しているんですね。 

 

ダンクソフト神田オフィスは、以前にも紹介したとおり、ペーパーレスを徹底しています。できるだけモノを減らして、大事なものは整理し、かけがえのない情報はすべてインターネットにのせています。ですから、もし何か緊急事態が起こっても、インターネットさえあれば、どこででもビジネスを速やかに再開できます。 

 

必要な情報がインターネット上にさえあれば、どこにいてもビジネスを再開できる。こういう時代になっています。このことを多くの人に知ってほしいのです。 

 スマートオフィス構想を実践する新拠点 
https://www.dunksoft.com/message/2021-03  

▎災害、テロ、ミサイルまで想定するイマジネーションを 

 

防災や危機対策は、もっとも想像力を発揮すべきところです。未来を構想する際はもちろん、どこまで事前に最悪のケースを想定しておけるかが大事です。「防災」という観点では、不測の事態をイメージすることが欠かせません。 

 

日本では、「緊急事態」というと、地震、水害、台風といった自然災害を連想しがちです。ですが、BCPではミサイルが飛んでくることや、テロが発生することも想定します。テロや戦争と聞いても、なんとなく遠く感じるかもしれませんが、今、ウクライナをめぐって起きていることや、北朝鮮情勢をみても、対岸の火事ではなく、決してひとごとではありません。   

▎「顔見知りコミュニティ」の威力 

 

「防災」を考えるとき、地域の人たちと「顔見知り」の関係でコミュニティに参加できていることも大切です。都市では、隣に誰が住んでいるかがわからない状態は珍しくありません。しかし、実際のところは、東日本震災時でも、顔見知りかどうかが人の動きを分けたと言います。 

 

企業であれば、自社内や取引先など「オフィスの中」はよく知っていても、一歩「外」に出ると、意外と誰も知らない。知り合いがいません。そのような状態で、いざ災害になったときに、どう連携して乗り越えていくことができるでしょうか。   

▎ビル全体の備蓄倉庫をダンクソフト社内に 

 

昨年の夏、ダンクソフト神田オフィスの入居しているビルのオーナーが変わりました。その後、ビルとしての防災対策を検討するなかで、ビル全体のための備蓄倉庫をダンクソフト社内に設けることになりました。他社の分も含め、ヘルメットや、水や乾パン等の備蓄品をしまってあります。現在、私が防災責任者となって、いざ災害になったときに、どうオペレーションしていくか、ビル全体のBCPを策定しているところです。 

 

3.11では、都心部で帰宅困難者が多く出ました。あのときは、備えのあった一部の大企業が、社屋や備蓄を開放するなどしました。今では規模の大小を問わず、こうした行動が、企業の果たすべき社会的責任として求められています。私たちも、何かあったとき、地域や防災拠点になれる、地域の人々と助け合える、そのような良き企業市民としてのダンクソフトでありたいと考えています。   

▎オフィス街で藍(あい)を育て、コミュニティを育てる 

 

ダンクソフトが神田に移転してきたのは、2019年です。その後まもなく、縁あって、地域で活動している「神田藍(あい)プロジェクト」に関わるようになりました。 

 

神田には、江戸時代に、染物屋が軒を連ねる日本有数の紺屋町がありました。オフィス・ビルが建ち並ぶ現在の神田には、当時の様子は残っていないように見えますが、土地の記憶をたどり、神田の街で藍を育てようというプロジェクトです。 

 

ベランダで育てている藍

私たちも2年前から、フロアのベランダに藍の鉢を置いて育てています。藍は育てやすい植物で、日当たりさえよければ失敗が少ないのもいいところですね。お店の前で藍を育てている個人商店があったり、私たちのようにビルのベランダや屋上に鉢植えを並べている企業や銀行があったり。5月5日には、子供の日にちなんで、地域の子供たちに160株ほどの藍を提供しました。8月には子供たちの街歩きも予定されています。   

▎藍ネットワークを結ぶ「WeARee!(ウィアリー!)」へ 

 

オフィス移転からまだ3年ですが、藍を媒介に、顔見知りや知り合いが地域に増えました。このプロジェクトに関わっていなければ出会わなかったような、思いがけない方ともご縁が広がっています。新参者でも企業でも、枠をこえ、「藍」を介して地域にとけこんでいくことができる、素晴らしい取り組みだと感じています。 

 

いま、この神田藍プロジェクトの運営に、ダンクソフトの「WeARee!(ウィアリー!)」をご提供しているのですが、ゆるやかなつながりを持てるコミュニケーション・ツールとして、少しずつ活用がはじまっています。今後は、街歩きの記録や成果をアーカイブするなど、さらに可能性が広がっていくことを楽しみにしています。 

 神田藍愛プロジェクト 
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai 

 

 

2008年以降、ダンクソフトは「地域コミュニティ活性化」の実証実験に多数携わってきました。そのなかで、コミュニティの単位は、ある程度小さい方がよいと感じています。そして、小さな単位のコミュニティどうしがつながっていけば、安心・安全を担保したまま、信頼できる人どうしの集まりを広げていけます。   

▎「バザールバザール」でイノベーションと よりよいコミュニティを 

 

 ダンクソフト・バザールバザール 
https://dbb-web.bazaarbazaar.org/ 

こうした「スモール・コミュニティの連携」が実現できるデジタル・ツールとして開発しているのが、「ダンクソフト・バザールバザール」です。もともとコミュニティ運営の効率化を主眼に2016年から提供開始したものですが、他のコミュニティと相互連携できる機能も備えています。ですから、信頼できるコミュニティ同士で、ともに問題解決をすることも可能です。 

 

このため、バザールバザールは、「防災のプラットフォーム」にもなりうると考えています。 

日ごろからコミュニティ内でのコミュニケーションが成立していたら、お互いの安否確認から必要情報の共有までがスムーズです。顔の見える人同士のコミュニティですから、フェイク情報が入ることも極力避けられるでしょう。信頼のおける情報が得られること、また信頼できる別のコミュニティと協働できることは、非常事態下では、さらに大きな意味を持つでしょう。 

 

この夏、バザールバザールは、大幅なバージョンアップを予定しています。テーマは2つあって、「イノベーション」と「よいコミュニティ」です。 

 

参加者同士が雑談・会話・対話をする中から、ときに予想を超えた、そしてユニークなイノベーションが生まれるよう、さらに工夫を重ねています。 

 

それから、コミュニティ運営の「効率化」だけでなく、本当に「よいコミュニティ」をつくりたいですね。そのためには、ソーシャル・キャピタルがカギだと言われています。 

 

コミュニティというのは、単に人がいるだけでなく、それぞれがつながっていることが大事ですよね。また単につながっているだけでなくて、お互いに信頼し合っていること。そして、互恵的な関係が築かれていることも。 

 

ここにあげた〈社会的ネットワーク〉、〈相互信頼〉、〈互恵性〉をソーシャル・キャピタルといいますが、この3つが豊かであることが、「よいコミュニティ」の条件だとされています。「よいコミュニティ」では、防災意識が高く、災害時・災害後も助けあって、地域のリカバリー(回復)が速いことも知られています。 

 

「よいコミュニティ」ができれば、有事だけでなく、平時でも、また地方であれ都会であれ、安心して暮らせます。そして、もうひとつ。コミュニティが活気づくためには、そこにちょっとした「新しいこと」の取りいれ、イノベーションも必要ですよね。 

 

「イノベーション」と「よいコミュニティ」を支えるデジタル活用を、これからも、みなさんと一緒に進めていきたいですね。 

事例:学生・教員・企業による対話と協働をデジタル・ツールで支え、地域イノベーションを次々と創出する高専の未来

■学生・教員・地域企業が参加、協働事業「ACT倶楽部」がはじまった

徳島県阿南市で、地域のソーシャル・キャピタルを活かしたユニークな協働事業がはじまっている。

 

阿南市には、科学・技術を学ぶ学生が集う、国立阿南工業高等専門学校(以下、阿南高専)がある。実践的技術者が育つ場として、1963年に設立された学校だ。いままでに7700人の卒業生を輩出しており、地域企業の中にも本校を卒業した経営者や技術者が多数活躍している。そして、1995年、その地域の力を阿南高専の学生の未来にいかしていこうと、学生を支援する企業と個人の会として、「阿南高専教育研究助成会/ACTフェローシップ」が発足した。

 

サイエンスと産業連携により、地域課題解決にチャレンジするプラットフォームとして立ち上がった「阿南高専教育研究助成会/ACTフェローシップ」は、卒業生、経営者など企業約100社からなる多様なステイクホルダーが、現在参加している。 ACTフェローシップでは、以前から挑戦したいことがあった。それは、会費などによる金銭的な支援のみならず、ステイクホルダーの多様性をいかして、学生と社会人が一体となって何かに取り組むことができる場づくりである。そして、学生の未来に貢献し、地域イノベーションにつなげていく方法を模索していた。

2021年、その思いを実現する、ある動きが起こる。ACTフェローシップ会員と学生の協働プロジェクトからイノベーションがうまれる仕組みとして、「ACT倶楽部」が発足されることになったのだ。以前から阿南高専とはパートナーシップ協定を結び、サテライト・オフィス設置による学生との共創の場づくりに携わってきたダンクソフトは、連携パートナーである阿南高専の杉野隆三郎教授から、いちはやくこの動きを知ることになった。

  

■昭和の家具x最新テクノロジーでIoT家具をつくりだすプロジェクト・チームを結成

右から2番目が中川桐子氏 、一番左はダンクソフト 星野晃一郎

このACT倶楽部の立ち上げが一気に前進するきっかけとなったのは、ダンクソフト徳島オフィスの竹内祐介と、ダンクソフト・パートナーの中川桐子氏の存在といっても過言ではない。

 

ちょうどそのころ、中川氏は、生まれ育った阿南市の自宅解体に立ち会っていた。100年住宅が解体され、多くの貴重な木材や、昔から大切にされてきた家財道具が次々と運び出される中、これらの家財を廃棄するのではなく、なんとか今の時代に生かしていきたいという考えが強くなった。そこで、ふと、昭和の家具と最新の技術という異質な組み合わせが、何かイノベーションにつながるのではないかと思いついた。

 

ダンクソフト徳島オフィスの竹内祐介とともに、昭和時代からの家具を「IoT家具」として現代生活によみがえらせるプロジェクトに、学生とともに取りくむ可能性を、杉野隆三郎教授に相談してみることにした。すると、地域課題を地域と学生が協働して解決するイメージが、以前から杉野教授やACTフェローシップが考えてきたイメージと合致していることが判明。ほどなくして、新しい協働プラットフォーム構想「ACT倶楽部」が動き出すことになる。

 

また、阿南市出身で、地域ネットワークにも精通している中川氏は、IoT家具プロジェクトの提案者という役割だけでなく、ACT倶楽部と地域社会の媒介役「インターミディエイター」として抜擢される。その抜擢について中川氏は、「学校関係者ではない、また一企業に属しているわけではない存在が、中立性をもって趣旨を理解し倶楽部に関わることで、偏りなくACT倶楽部が純粋にイノベーションに向かっていくことに寄与できるのではないかと考えています」と話す。

 

ダンクソフトは、中川氏が提案した、廃棄寸前の家具をIoT家具としてよみがえらせる「Project KIRI」をいち企業メンバーとして支援するのと同時に、ACT倶楽部のITパートナーとして、学生・教員と参加企業メンバーのコミュニケーション・ツールとして、「ダンクソフト バザールバザール」を提供している。

 

ダンクソフトには、「答えがない複雑・多様な時代の対話と協働」について学びを修得しているメンバーがいる。そのため、そのメンバーがプロジェクトに関わることで、対話から新しいイディアが次々と生まれる場をつくることができる。また、プロジェクトを協働のスタイルで進めるため、参加者の多様性をいかしながら大小のイノベーションを創出しやすい環境をつくることが可能だ。こうして、中川氏の「いにしえの家具をIoT家具に」という課題提起をきかっけに、ダンクソフトが場づくりに関わりながら、学生・教員と社会との連携・協働の場が動きはじめたのだ。

  

■ACT倶楽部スタート早々、11もの協働プロジェクトが企業から提案される

ACT倶楽部は、2021年8月に設立され、10月に学生の募集を始めてからわずか2ヶ月で5つのプロジェクトが地域企業から提案され、2022年明けにはいくつかのプロジェクトがスタートするという、想定以上のスピードで動きはじめた。2022年4月現在、11の多岐にわたるプロジェクトが会員企業や個人から提案され、走り出している。

ACT倶楽部立役者の一人である杉野教授は、スタンフォード大学の客員研究員としてシリコンバレーの発展を自身の目で見てきた経験があり、長年温めてきたひとつの構想がある。当時も今もシリコンバレーでは、企業経営者から青少年まで幅広い人々が集まる地域クラブが多数あり、そこでは毎日のように様々なプロジェクトが実践されイノベーションが生まれている。同様の仕組みを、ここ阿南市でも生み出したいと杉野教授は考えてきた。

 

ダンクソフト社長 星野晃一郎と対談した際には、「あのころ世界を牽引していたシリコンバレーのように、クリエイティブなイノベーションがどんどん生まれる“共創の場”を、阿南につくりたいのです。そこから第2、第3のジョブズやAppleが生まれて、世界にはばたいていく。10億円規模の事業にも発展する。そんな大きな夢を思い描いて、このACT倶楽部を展開しています」と、熱く語って聞かせてくれた。

対談:地域イノベーションが生まれる協働のしくみとは──徳島でACT倶楽部が始動

  

■答えを共につくりだす“Co-learning”と“対話”を重視したプロセス

 

中川氏が提案した、いにしえの家具をテクノロジーで現代生活に再生するプロジェクト「Project KIRI」には、現在、4名の学生が参加している。建設コースの3年生が3名と、情報コース5年生1名の計4名、17歳~20歳の学生たちだ。ものづくりをする建築コースのメンバーと、プログラミングができるメンバーという異質な組み合わせが頼もしい。プロジェクトに参加する学生たちはみな、大人と関わって、学生のうちに色々と経験してみたいという動機でやってくる。

 

オンラインミーティングに集まる、プロジェクトKIRIのメンバー

「おもしろそうだったから興味を持ちました。実際におもしろいプロジェクトで、参加して良かったと思っています。この場で学んだことは、将来、自分の部屋をつくる際に参考にしたり、ICTコースに進んだ後は、自身の趣味にも生かしていきたいと思っています」
— (Aさん/情報コース5年生)
「興味本位からですが、仲の良い友人たちとACT倶楽部に参加しようと思いました。色々な会社の方や先生方と話ができて、交流の場としていいし、自分にとって役に立つ経験ができています」
— (Tさん/建設コース3年生)

プロジェクト開始以来、中川氏と竹内は学生たちと教員2名とともに、6回にわたりオンラインでのアイディア出し、交流を深めている。

 

「私たち自身も、最終的にIoT家具ができるのかどうか、定かではないのです。極端な話、できなくてもいいとも思っています。みんなで対話した結果、IoTすら乗らずに、別の最終形になってもいいと考えています。生活の中で、本当に生活者が喜んで使うものになればそれでいい。むしろこの学びあいのプロセスに価値があると考えます」と、プロジェクト発案者の中川氏は重視するポイントについて触れる。

 

また、竹内は「これからの時代、誰かが答えを持っているわけではないのですね。だから、対話しながら次をつくるプロセスをいちばん大切にしています。大事なのは誰かが答えを教えるのではなく、Co-learning、共にに学びあうことだと考えています」と語る。

 

「ただ、そうは言っても、最初の頃、学生さんたちはこのプロセスに慣れなったようで、大人の側に答えがあるものだという感覚があったようですね。ですが、対話を重ねるごとに、一緒に考えて次をつくっていく感覚が、学生にも身に着いてきました。今では学生・教員・企業人という立場を超えて、メンバーみんなで建設的に、クリエイティブな対話ができるようになってきました。このことだけでも、価値のあることだと思います」。(竹内)

  

■オンライン対話の場「バザールバザール」でアイディア出しを重ねる

企業と学生との協働プロジェクト内で、コミュニケーション・ツールとして使用されているのが、ACT倶楽部のITパートナーであるダンクソフトの「バザールバザール」だ。プロジェクトKIRIのみならず、現在進行中の3つのプロジェクトで、オンライン対話の場となっている。

 

ダンクソフト バザールバザールを使って対話。

「チームでアイディアを収集するときに使っています。プロジェクトの開始時は、最初に私からコメントを入れました。すべてを書き切らず、皆が参加しやすい程度の内容で投稿したら、すぐにスレッドができて、パンパンとコメントが他の方からも入ってきました。バザールはシンプルなツールなので、後から参加した人でも上から順に投稿を見ていけば、こんな風に皆が参加しているんだなと状況がよくわかります」と、中川氏はバザールバザールを使ったコミュニケーションを評価する。

 

「事務連絡というより、バザールはある意味、なんでも書いていい掲示板のような場なんです。出席の確認もそこでするし、思いついたアイディアを投稿したり。学生さんは撮ってみた動画を投稿してくるという事もあります。そのポイントポイントで、学生のアイディアが進化していくのが時系列でわかるのもいいですね。つい最近私は、おもしろそうなテレビ番組の情報をみなさんに参考として共有してみました」。(中川氏)

 

アイディア出しを重ねてきた学生たちも、プロジェクトやバザールバザールについて、率直な感想を聞かせてくれた。

「バザールバザールで、色々な方々と話し合ってアイディアを出すところが楽しいです。たまにコメントが来ているのを見逃したりしているので、通知機能があったら、なおありがたいです」
— (Mさん/建設コース3年生)
「アイディア出しは案外難しいこともあって、でもそれが楽しいところだと思っています。バザールバザールの使い勝手はいいですし、コミュニケーションについてはスムーズにいっています。1点、アイディア出しの投稿数が多くなると、最新のコメントを読むときに一番下までスクロールしないといけないのが大変。そこだけ改善していただけたらうれしいです」
— (Tさん/建設コース2年生)

学生たちのコメントを聞いた竹内は、開発者の顔をのぞかせる。開発者本人である竹内自身が、学生たちや先生方と協働する中で、ツールの使用者ともなっていることは、開発者としては稀有な状況でもある。

 

「この協働プロジェクトを通じて、学生から直接なまの声が聞けることは、開発者としてありがたいことです。開発側が決めた使い方はないので、バザールバザールを皆さんに自由に使ってほしいです。そのうえで協働ツールとして使っていただいて、不便なところを改修していきたいと考えています」。(竹内)

 

■「シンプルで使いやすいツール」から、「対話・協働がもりあがるツール」へ

ダンクソフトでは、バザールバザールを開発するにあたり、できる限り汎用的でシンプルなツールにするため、あえて機能を絞ってきたところがある。つまり、 Microsoft TeamsやSlackのような複雑なツールをパッと直感では使えるようなITを得意とする方からそうではない方までが、迷わずに使えるツールを心がけて開発している。「シンプルで軽くて、サクサク動く」。これは、現在ツールを利用している団体や企業からも高く評価される点のひとつだ。そこが、年齢もIT経験も多岐にわたるACT倶楽部にぴったりハマった。

 

ただ、利用者の様々のフィードバックを受けて、このバザールバザールをもっと協働に寄与できるツールにしていきたいと、バザールバザール開発チームは2022年6月に製品のバージョンアップに向けて、急ピッチで開発を進めている最中である。使いやすいシンプルさを残しつつ、今よりもっと対話と協働が促進されるツールとなるために、いくつかの大きな機能が追加される。

 

バザールバザールの開発マネージャー、ダンクソフト竹内

「何よりも、新しいアイディアや価値をうみだすための“対話ツール”として、もっと使いやすい環境にすることを主眼に、今回は改良を実装する予定です」と、開発マネージャーとしての竹内は解説する。

 

改良点のひとつは、アラート機能ができることだ。他のSNSツールと連携することで、バザールバザールにログインしなくても、メッセージが届いていることがわかるようなる。ふたつめは、コメントを3階層構造にすること。今は上から一覧で時系列に並ぶインターフェイスだが、今後は特定のコメントを選んで、そのコメントに続けて返信コメントが連なるようになる。掲示板コーナー内にいくつもスレッドを立てられるので、検索しやすく見た目もすっきりするだろう。これら2つの改良によって、メンバーはさらにタイムリーに対話に参加できるようになり、アイディア出しや連携が盛り上がる効果が期待できる。

 

もうひとつの改良点は、自分が投稿したデータを削除できるようにすることだ。現状では、既存の投稿を編集することはできるが、コメント削除ができない仕様だ。しかし、これからの時代は、こうしたツールのなかで、自らの情報を自らがコントロールできることがますます重要となる。個人情報保護の観点からも、ツールが一段ステップアップすることになる。より安心して使える環境が整うわけだ。

  

■“ソーシャル・キャピタル”が地域イノベーションを創出する未来

この後、プロジェクトKIRIでは、オンラインでのアイディア出しを終えて、いよいよ学校内に集まって、昭和の家具を触りながらの活動がはじまる。

 

竹内は、「阿南高専が田舎の高専で終わってしまうのはもったいない、それではだめだと考えています」と話す。

 

「田舎だからこそ、実現できることがあります。都会ではやりにくいことが、ここ阿南でできるはずだと考えています。ACT倶楽部の取り組みは、ACTフェローシップ会長の西野氏が長年やりたいと考えてきたイニシアチブだけあって、参加者の皆さんからの地域愛をかなり感じています。阿南高専を卒業して地域の経営者になった方々の後輩たちを見る顔で、誰もが学生を大事にしていることがわかります」。

 

社会的ネットワークのかなめとして、全プロジェクトを俯瞰して見守る立場でもある中川氏はこう指摘する。

 

「阿南高専の学生たちは、あずない子供たちなんです。純粋でいい子過ぎるところがあるので、突然都会に出てはつらいかもしれないと思う時があります。でも、このACT倶楽部では、学生のうちから最先端を見ることができます。第一線で活躍する大人たちと出会うことができます。また、みんなで手をかけていく家具は、ACT倶楽部の呼びかけを聞いて、地域にお住いのある方が寄贈してくださったものなんです。学生たちが、大人の人としゃべることができて刺激になっているとコメントしていました。だからこそ、私は“インターミディエイター”として、色々な大人に子供たちを会わせたいと思っています」。

 

イノベーションには、 “ソーシャル・キャピタル”が不可欠だ。しかし、これが都会では気薄になりがちだ。“相互信頼・社会的ネットワーク・互恵性”があってはじめて、“ソーシャル・キャピタル”が醸成される。そしてこれらは、“よいコミュニティの条件”でもある。

 

阿南高専のACT倶楽部には、立ち上げ以来、集まる人々や地域のあいだに“ソーシャル・キャピタル”が生まれてきているようだ。この先、インターミディエイターの存在や、バザールバザールのバージョンアップを経て、メンバーたちの対話や協働がさらに促進されていくことになるだろう。ACT倶楽部が、地域イノベーションの芽を様々に育む場となることに、さらに期待がかかる。

HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ第3回目です。インターネットの可能性が幕を開ける1990年代後半をとりあげます。

  

▎インターネットがいよいよ台頭

 前回の「HISTORY2」では、パーソナル・コンピュータ黎明期だった90年代前半のエピソードをお話ししました。激変が続くコンピュータ業界、空前のバブル景気、そしてバブル崩壊、相次ぐ災害と危機。苦境のなか、がむしゃらに仕事にうちこみ、WindowsやAccessをいち早く事業化していく激動の数年間でした。

 

今回は、1990年代後半。社名をデュアルシステムから「ダンクソフト」へと変更しました。時代はいよいよインターネットが社会全体に広がっていくときです。私が感じていた可能性を実証したくて、まず自分自身ですすんで新しい体験をしていましたね。インターネットによって何がどう変わるのか。その先の未来を見ていた時代です。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)

https://www.dunksoft.com/message/2022-04 

  

▎Windows95から98へ。AppleからはiMacが登場

 当時の業界事情は、それまでから一転、大躍進したWindowsの全盛期になります。Windows95、Windows98。深夜のお祭りさわぎにわく秋葉原の情景は、もはや社会現象でした。覚えている人も多いでしょうね。

 

この頃、実はApple社は一度傾きかけています。ですが、スティーブ・ジョブズの復帰から、98年のiMac登場を経て、劇的な回復を遂げていきます。私自身、なかなか手にはいらなかったなか、運よく入手できたiMacを実際に使ってみて、これはなかなかいいな、と感じたことを覚えています。

  

▎特許申請に値する、画期的な工程管理システムを開発 

当時のダンクソフトは、それまでの流れを受けて、Accessを使ったアプリケーション開発を多く手掛けていました。なかでも、T建設様とプロジェクト管理のソフト会社とダンクソフトが共同開発したビルの工程管理システムは画期的でした。それまで熟練の職人が1週間かかって手計算していた工程計画を、ボタンひとつ押した瞬間に、わずか数秒で計算し、工程表が完成するというものでした。

 

これにはT建設様もとても驚いて、特許申請しようと提案されるほど斬新なものでした。デジタルを駆使して、効率化だけではない、その先にあるものに向かっていく。手計算からデジタルへ。ある意味、このシステム自体があっと驚く、新しい“はじまり”をつくったと言えるでしょう。建設業界で高い評価をいただいて口コミで次々に広がり、T建設様のほか、大手ゼネコン各社に採用いただきました。

 

会社としては、バブル崩壊のダメージから回復していく途上にありました。私を含め総勢5〜6人で、本当にがむしゃらに働いていたころです。連日、深夜まで仕事をして、会社に寝袋で泊まり込むことも珍しくありませんでした。今ではとても考えられませんね。

  

▎2週間の休暇をとり、ワールドカップを観にフランスへ

 ところで、インターネットは、まだビジネスにも、生活にも浸透していませんでした。ですが、私はインターネットに、はかりしれない可能性を感じていました。

 

そんななか、私にとって衝撃の大事件が起きます。1998年フランスFIFAワールドカップ・アジア予選で、サッカー日本代表が悲願の初出場を決めたのです。こんなことが現実になるとは想像もしていませんでした。小さいころプレイしていたこともあり、サッカーが大好きで、日本代表の試合もずっと見てきました。その少し前まで、日本のサッカーはとても世界に通用するものではなかったのです。

  

▎旅のテーマは「インターネット」

 いてもたってもいられず、フランスへ行こうと決心しました。会社はバブルの打撃から回復の途上という状況でしたから、葛藤もありました。でも、ワールドカップに日本代表が出場するなど、一生に一度のチャンスかもしれないと、当時、痛烈に思ったのです。思い切って2週間の長期休暇をとりました。

 

行く以上は何かに生かそうと考えまして、そこで掲げたテーマが「インターネット」です。すべての工程で、インターネットを駆使した旅にしようと、実験してみることを決めました。

  

▎先んじて自分で実験してみるという冒険

 まず、まだ当時めずらしかったことですが、事前から現地まで、旅行手配をすべてインターネットで、自力で予約してみましたね。

 

海外旅行といえば、移動・宿泊の手配は旅行会社、情報源は紙のガイドブックの時代です。もちろんカーナビはありません。それより少し前に何の予定も組まずに旅をするバックパッカーのブームもありましたが、このとき私が実践してみたのは、そうした現地飛び込み型ではなく、インターネットを使ってすべて自分で事前手配しながら、その上で気ままに次の目的地をめざす、新しいタイプの自由旅行でした。

 

マルセイユの街並み

対ジャマイカ、日本代表の3試合目を観たあと、私はアルルからマルセイユへと旅をしながら、サッカーの試合を楽しみました。その後はフランスを離れ、ミラノ、チューリヒへと、1300㎞をレンタカーで走破。その都度、インターネットでホテルを探し、地図をもって目的地へ移動します。最後は、スイスから帰国の途につきました。

  

▎現地からリアルタイムに情報発信、インターネットの手ごたえを確信

 それから、現地から試合速報や生の情報を、インターネットを使って知人たちにメール配信しました。試合直後に、会社のメンバーを含め20数名に、試合結果などをメールで送りました。それを社のメンバーが、インターネット上に公開してくれていました。

 

テレビ中継でマスメディアが報じるのとは違う、一個人の情報発信は、日本にいる人たちにとって貴重な情報だったと思います。いまでこそ、一人一人がSNSで情報を出せる時代になりましたが、現地から生の情報がほぼリアルタイムで届くことは珍しく、みなさん喜んでくださいました。

 

あの頃のインターネットは、パソコンにモデムが内蔵されていて、電話回線につなぐダイヤルアップ接続でした。いまのようなWi-Fiはありません。ですから、通信のために電話線を持ち歩いて、電話の回線ジャックにケーブルをさすわけです。ピーヒョロロローという発信音を聞きながら回線をつないだものです。

 

このとき体験した驚きと感動は、「インターネットの可能性を追求する」という明確なイメージとなり、現在のダンクソフトが掲げる「インターネットによりよいものをのせていく」という「スマートオフィス構想」につながっています。

 

インターネットを使えば、それまでやれないと思っていたことが、実はできる。実体験をもって「できるんだ」と知り、人々に先んじて手ごたえを感じたことの意味は大きかったですね。

 

当時の情報は、後に個人ブログに転載したので、今も読むことができます。よろしければご覧ください。 

http://blog.roberto-system.jp/200605/article_9.html 

  

▎日本人の働き方は、これでいいのか?

 さらに、この2週間の休暇で得たものがあります。それは、働き方に対する大きな意識の変化です。

 

当時私は、大変な葛藤があって「2週間も」休んでいるという気持ちがあり、覚悟を持って渡欧しました。ところが、ヨーロッパの人たちにとっては「2週間、それは短いね」という反応でした。価値観がまったくちがったのです。

 

彼らは1カ月~2カ月のバケーションを当たり前にとります。なのに、GDPはそれなりに高い。きっと集中して働き、思い切り休むからなのでしょう。メリハリというか、緩急があるのですね。

 

▎この違いはどこから来るのか

 旅先で会う向こうの人たちは、とても楽しそうでした。キャンピングカーで夏のバケーションをエンジョイしている人にもたくさん会いました。かたや日本の私たちは、毎日めちゃくちゃに働いてオフィスで寝袋。この違いはどこから来るのだろう? と考えずにいられません。

 

それまでは「これが当然」と思っていた過酷な働き方に、はっきりと疑問を覚えました。このままではよくない。働き方を変えていくほうがいい、と感じた原体験です。

  

▎いち早く実験して、未来を確信し、新しい“はじまり”をつくる

 この後、1990年代末ごろのいわゆる2000年問題を経て21世紀に入ると、いよいよインターネットが世界を席巻していきます。ダンクソフトも、ウェブサイト制作に力を入れ始めます。また、社内のことでいえば、2002年には就業規則をスタッフ自らが書きかえはじめ、スタッフたちが徐々に自律型人間へと変化していきます。そして2008年には、インターネット前提の働き方、テレワークの実践が始まります。

 

90年代後半にしていたことは、インターネットに感じた可能性をいち早く実験し、先どりし、未来への確信をつかんだこと。そして、この確信をビジネスへと展開し、社内外をインクリメンタル(漸進的)に変えていったことでした。90年代後半は、このあと劇的な変化を起こしていく、ダンクソフトらしい“はじまり”のはじまりでした。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を振り返る「HISTORY」シリーズの第2回。世界も日本も、そしてコンピュータ業界も激動した1990年代前半をとりあげます。  

▎90年代前半はパーソナル・コンピュータ黎明期 

 

前回の「HISTORY1」は、80年代の創業期、最初の「はじまり」についてでした。創業社長の急逝から私が会社を継承したこと。メインフレーム主流の時代に、いち早くPCベースでの開発を選択したこと。自社製品の開発を志向していたことなどを、コンピュータ業界の時代背景もまじえて話しました。 

 

今回は、1990年代前半に入ります。世の中は、空前のバブル景気から、バブル崩壊へ。湾岸危機、ソ連崩壊、そして阪神大震災、地下鉄サリン事件。危機や災害は遠い世界だけの話ではなく、私たち自身の日常にも潜んでいることを思い知らされる出来事が続いた時代です。 

 

この頃のコンピュータ業界は、いよいよパーソナル・コンピュータが席巻し、マイクロソフトが台頭してくる、コンピュータ黎明期です。アップル、マイクロソフト、IBM、富士通、NEC、コンパック、ゲートウェイ……。各社がこぞって新製品を開発し、業界が激しく動き始めた時期でした。そして、まだ世界が今のようにネットワークで複雑・多様につながってはいない、インターネットの夜明け前でもあります。 

 

HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり” 

https://www.dunksoft.com/message/2022-02  

▎一太郎、Lotus 1-2-3、NECの独壇場 

 

まず、当時の業界事情をざっと見ておきましょう。 

 

コンピュータというハードウェアを動かすには、基本ソフトウェアであるOS(オペレーティング・システム)が必要です。今でこそ、OSといえばWindowsとMac OSが圧倒的ですが、現在に至るまでには、さまざまなOSの栄枯盛衰がありました。また、OS上で使われるソフトウェアも、激動の変遷をとげて、今に至ります。 

 

80年代末から90年代初頭は、IBMがAppleのMacに対抗して、MS-DOSの後継となるOS/2を出した頃です。表計算ソフトといえばLotus 1-2-3(ロータス ワン・ツー・スリー)が強く、Microsoftのマルチプランだった時代です。プログラミング言語としてはBASIC(ベーシック)が主流でした。 

 

しかし日本のPC事情は、世界の趨勢とは少し違っていました。NECが圧倒的シェアを誇り、中でもなんと言ってもワープロソフトの一太郎、それに表計算ソフトのLotus 1-2-3がセットになって、オフィスの中に浸透していきました。もうひとつ、NECのパソコンはカラーグラフィックが豊富な色を表現できる強みも大きかった。IBMはビジュアル性能でNECに勝てなかったのです。 

▎OS/2からWindows3.1へ 

 

当時、当社はNEC系列の会社と取引があり、工場のオペレーティング・システムや東京駅の駅案内システムなどを開発していました。私自身は、同時に、NECがつくったBit-INNというパソコン・スクールの秋葉原校や大阪校で、OS/2や、プログラミング言語であるC言語やアセンブラの講師をしていました。 

 

昔から新しいもの好きが集まる会社だったんです。自社製品の開発にも、当時最新だったOS/2でのプログラミングで、いち早く挑戦しました。ただ、できたはいいが、あまりにも重かった。今までのマシンでは満足に動かず、なかなか実用には耐えませんでした。 

 

そこへ登場してきたのが、Windows3.0です。画期的なOSとして、1990年5月の登場以降、世界を塗りかえていきました。ですが、日本でのWindowsブームは、93年に登場するWindows3.1日本語版を待つことになります。当時まだ日本語対応の壁はそうとうに高く、開発が難航したのでした。   

▎ビル・ゲイツと意見交換した、第1回Windows World 

 

Windows3.1日本語版の発売に向けて、日本でもこのOSを広めようと、1991年6月、幕張メッセで第1回「Windows World Expo/Tokyo」が開催されました。当時大盛況だったMac Worldと比べ、Windows自体がまだ普及する前だったこともあり、イベント規模はとても小さかったんです。でも、面白そうだから出てみたい。出展社も来場者も少ないなか、実はこれに当社が出展していました。 

 

といっても、Windows製品はまだ作っていません。ないけれども、2つの製品を出展しました。ひとつが、MS-DOS用のWindowsシステム。もうひとつが、ロサンゼルスにある私の従兄弟の会社が開発した画像データベースの日本語版、自社ブランド製品でした。 

 

ビル・ゲイツと直接会って意見交換をしたのは、その初日の夜の懇親会です。その時出展している人たちと、ビル・ゲイツを囲んでの小さなパーティが開かれました。成毛眞さんもいました。 

 

せっかくの機会ですから名刺交換の際に、日本の機器とWindowsとの互換性のなさについて、ビル・ゲイツに物申しました。何とかします、と返答をもらったことを覚えています。当時の私の発言が寄与したかどうかはわかりませんが、いまやWindowsは互換性に配慮した製品になっています。 

 

開発者をパートナーとして大切にするMicrosoftの社風は今も変わりませんが、さすがに今ではこんなことはありえませんね。当時の日本が、いえ、世界でも、まだWindowsブレイク前夜だったことがわかります。   

▎バブル崩壊、遅れてやってきた打撃 

 

1989年12月29日、日経平均株価が史上最高の38,957円44銭を記録しました。空前のバブル景気です。株価はこれをピークに下落を始め、1991年3月、いわゆる「バブル崩壊」が始まります。しかし、実際に景気の悪化を私たちが実感するまでには、半年近くのタイムラグがありました。 

 

当時は大手企業の受託業務が多かったため、景気悪化の影響は大きいものでした。大口顧客の仕事が突然切られるなど、急激に仕事が減っていきました。その結果、1991年の暮れには、25人いた社員をわずか4人にまで減らさざるをえなくなっていました。チームごとクライアントに引き取っていただくなどの対応に努めはしたものの、新米経営者として、とても辛い経験でした。   

▎小さなチームでの再スタート。新発売のAccessを求めて、ロスへ飛ぶ 

 

小さなチームでの再スタートとなったのが、1992年初頭です。それまでの仕事が激減するなか、休暇もないほど働きづめだった状況から一転し、考える時間ができました。 

 

それまでは受託開発が中心でしたが、私自身はもともと音楽がつくりたかったことも重なり、これからは新しく自社製品を開発していこうと、思いいたります。これは、先代の創業社長がかかげたビジョンでもありました。 

 

当時はインターネットがまだない時代ですから、情報をとるには、アメリカのパソコン雑誌からでした。3、4か月後に日本に着くわけですが、定期購読していたんです。そこで、新しいデータベースソフト「Microsoft Access1.0」がアメリカで発売されるという情報に出会います。 

 

当時、日本ではPC用の本格的リレーショナル・データベースが、まだほぼありませんでした。データベースも自社内で開発していたのですが、限界がありました。そんなとき、パソコン雑誌でAccessの登場を知り、思ったんですね。これはまさに私達がほしかったものだ、と。 

 

そこで、ロサンゼルスまで飛んで、発売日に買いに行ったんです。翌1992年12月のことです。実際に開けてみると、やはりものすごくいい製品でした。ロスまで飛んだ甲斐がありました。この出たばかりのAccessを使って、色々なシステムを開発しました。日本の開発会社の中では、さきがけでした。 

 

さまざまな業界・企業・組織向けシステムを開発しました。そんな中、自社製品として、人脈管理ソフト「義理かんり」をつくります。これが、マイクロソフト担当者の目に留まり、共同でプロモーションを行うことになりました。Accessを普及させたいマイクロソフトからの依頼で、ソースコードを開示することを了承したのです。これもダンクソフトらしい、オープンで、開発会社としては画期的な選択でした。そして、製品は爆発的に広がっていきました。   

1992年、「義理かんり for Access」リリース 

https://www.dunksoft.com/message/2019/12/2   

▎未知を追いかけ、面白がるマインド 

 

まだインターネットが今のようになかった当時、最先端のものを取りに行くには、実際に行くしかありませんでした。私は昔から好奇心が強く、つねに新しいものを取り入れていきたいという気持ちがあります。ロスにいた従兄弟やアメリカのPC雑誌など、外の情報をみずからの足で取りに行っていたおかげで、「次」へいち早く踏み切れたのかもしれません。 

 

私に限らず、当社のメンバーは、未知のものを面白がり、未知のものを常に追いかけているところがあります。新しいものに出会うと、次のことができます。この姿勢は、ダンクソフトの特徴である「インクリメンタル・イノベーション」の土壌となっています。   

▎震災、テロ、核 

 

この頃も80年代同様、がむしゃらに仕事ばかりしていて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをあまり覚えていません。ですが、1995年、大きな災害や事件・事故が立て続けに起こります。1月の阪神淡路大震災、3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件、そして12月の高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故です。 

 

テレビから流れる震災の映像は衝撃でした。関西の仕事も多かったこともあり、神戸の被災地へも足を運びました、あの頃から大きな災害が起こり始めた、という印象が強いです。地下鉄サリン事件はオフィスのごく近くで起きたもので、パトカーや救急車のサイレンが鳴り続いていました。 

 

それまで平和に過ごしていたものが、そのような危機や災害は決して対岸の出来事ではなく、リアルに自分の身に起こりうるものなのだと初めて実感をもって認識したのが、思えばこの時だったのです。   

▎「よい社会をつくりたい」 

 

「もんじゅ」の事故については、もう少し違う思いがあります。実は私は、福井県敦賀市にあるこの原子炉に仕事で関わっていた時期があります。具体的な話はここでは控えますが、そこで見聞きした経験は、現在のダンクソフトや私自身にとって大きなものとなりました。特に、「エシカル」であること、そして「インターネットによりよいものをのせていく」という未来像にとってです。 

 

こうした経験を通して、私は、一人ひとりの生活が豊かになるために「よい社会をつくりたい」という思いを強め、そのための仕事をしていく会社でありたい、と考えるようになりました。人の生活とリスクをどう考えるのか。そしてデジタル・テクノロジーは、暮らしや社会の課題解決にどう寄与できるのか。デジタルで私たちができることは、これからに向けて、まだまだあると考えています。 

 

中央集権的でなく、パーソナルで民主的な、オープンで開かれた社会。トップダウン型でなく、自然発生的なネットワーク型の広がりへの志向を、明確に意識するようになりました。   

▎1995年、インターネット時代のはじまり。「ダンクソフト」のはじまり。 

 

1995年、Windows95が発売になります。日本語版発売日の、深夜のお祭り騒ぎを覚えている人も多いことでしょう。 

 

そして1995年といえば、後にインターネット元年と言われる年で、ここからインターネットが社会全体に広がっていきます。 

 

当社の社名変更も、この年でした。デュアルシステムから「ダンクソフト」へ。 

 

この年は、ダンクソフトにとっても私自身にとっても、大きな節目となる年だったのです。 

「人を幸せにするシステム・デザイン」をimagineする


▎注目したい3つのポイント 

 

今回は、先日公開された事例、NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様のプロジェクトを取りあげます。私の目から見た意味や価値、それを支えた開発メンバーの活躍についてお話しします。  

NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様の活動の様子

こちらの皆様は、花壇や区民農園の整備など、花とみどりで人と人をつなぎ、明るく安全で、住みよいまちづくりを目指す団体です。東京・大田区で20年以上にわたり活動を続けています。 

 

もともと情報管理に紙とデジタルを併用しておられ、メールやファックスなど連絡方法もさまざまでした。ですが、これから活動を続けていくためには、やはり団体運営にデジタルを取りいれることが必要だと、kintone導入に踏み切られました。 

 

プロジェクトは2年半にわたりました。詳細はここでは省きますが、いろいろと紆余曲折がありました。結果としては、すばらしい成果と価値を生み出しました。 

 

中でも今回注目したいポイントが、3つあります。 

まず、プロジェクトの進め方が、変化に対応できるフレキシブルな伴走型アプローチである点。次に、プロジェクトを通じてお客様の可能性や新しい行動を引きだす「エンパワリング」の好例となった点。そして、よりよい社会に向けた「インターネットの善用」という未来と希望についてです。また、真摯にやさしくクライアントと連携しつづけた開発メンバー、企画チーム大川慶一のサポートぶりについても紹介したいと思います。 

 

事例:作業効率化を機に、デジタル化でプロセスを見直し、誰もが関われる団体運営へ 

お客様:NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様 
https://www.dunksoft.com/message/case-hanamidori-kintone    

▎対話を通して、変化に対応していくフレキシブルな開発アプローチ 

 ひとつめのポイントは、プロジェクトの進め方です。ダンクソフトとのプロジェクトは、進め方が「変わっている」「他とは違う」とよく言われてきました。 

 

というのも、一般的なシステム開発では、最初にゴールを明確に設定し、機能や仕様を設計書に落とし込んでから、計画通りにつくっていく進め方が、まだまだ主流です。いわば、答えを決めてからスタートするわけです。 

 

しかし、私たちはそうではないやり方を得意としています。何ができるようになるとよいか、大まかなゴールを共有します。そのうえで、まずは出来るところから着手し、小さな部分からでも改善しながら、設計、実装、展開を速いサイクルで繰り返し、開発を進めます。 

 

大田・花とみどりのまちづくり様と対話を重ね、作りあげたシステム。参加者それぞれに送付するポイント発行案内もkintoneアプリから一括で作成が可能。

これは一般的にはアジャイル開発と呼ばれているアプローチです。アジャイルとは、身軽で敏捷なという意味ですが、ダンクソフトはこれにくわえ、昔から、お客様との丁寧な対話と変化への対応を大切にしてきました。対話を通して、少しずつイノベーションを積み重ねていく「インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)」を掲げるダンクソフトらしい柔軟な開発プロセスです。 

 

これが大きく奏功したのが、今回のプロジェクトでした。プロジェクト開始前では見えてこなかった課題を発見しながらリクエストにも対応できますし、常に「小さな提案」をしながら進めていくことができます。変化の激しい時代には、このほうが結果として、お客様の満足が高く、使い勝手もよくなり、長いこと使っていただけるシステムになるのです。   

▎やわらかい言葉でお客様と連携できるエンジニアがいる 

 大田・花とみどりのまちづくり様は、事業もデータもとても複雑な団体です。多岐にわたるすべての要件を満たすのは、容易ではありません。また、事務局も活動メンバーも比較的ご高齢で、パソコンやデジタルになじみのない人がほとんどでした。 

 

ダンクソフト 企画チーム 大川慶一

そんな中で、つくりながら試運転と改善を重ねる開発スタイルでこのプロジェクトを推進したのが、ダンクソフト企画チームの大川というエンジニアです。コロナ前から100%在宅ワークで勤務している北関東在住のスタッフで、打合せもサポートもリモートが基本でした。団体の皆さんにもオンラインでの打ち合わせに慣れていっていただきながら、共感をもって協働関係を築いていきました。 

 

一般的なIT企業では、営業担当がお客様と接して、エンジニアはお客様と会わずに、営業担当者が聞いてきたことをもとに開発だけするケースが多いものです。でも、ダンクソフトには営業担当はいません。プログラマーやエンジニアが直接お客様と対話し、プロジェクトを進めていきます。一人ひとりがフレキシブルに多様な役割を果たす、「ポリバレント」な動きをしています。 

 

大川はエンジニアでありながら、パソコン初心者にもわかりやすい、やわらかい言葉でデジタルを説明でき、システム導入の話ができます。しかも、そうした方々と、望ましいゴールを探りながら進むプロジェクトです。ダンクソフトに、このようにお客様と対話し、提案ができるエンジニアたちがいることは誇りです。  

 ▎可能性と行動を引きだし、学ぶ意欲を高めた「エンパワリング」なプロセス 

 さて、注目したい第2のポイントは、このプロジェクトに参加することで、団体メンバーの方々がエンパワーされたことです。ひとりひとりの可能性や新たな行動が引きだされたり、学びの意欲が生まれたりしたことです。ダンクソフトのプロジェクトは、関わった人たちがプロジェクトを通じてエンパワーされることも、特徴のひとつです。エンパワーというものは、1回したから終わりではなく、常にエンパワーしつづけることが大事ですから、これを「エンパワリング」と呼びます。 

 

デジタルにチャレンジし続ける、大田・花とみどりのまちづくり様

たとえば、大田・花とみどりの街づくり様の場合、kintoneを導入したことをきかっけに、事務局長みずからが本で勉強して自分でもアプリ作成をはじめたり。メンバーの皆さんも、コロナ禍でプロジェクトを継続するために、初めてリモート会議に挑戦したり。都度都度、大川に相談しながら、より自律的に、自分たち自身の手でもデジタルにチャレンジし続けていく学習力が生まれたようです。そうなると、プロジェクトをさらに先へと展開させていく推進力になるんですね。 

 

このように、ダンクソフトのプロジェクトは、プロセスのなかで一人ひとりが、デジタルによってできなかったことができるようになり、その先の課題に目が向くようになります。 

 

「ここを変えたらもっと良くなる」という試行錯誤を重ねて、今、こちらの団体では、「他にこんなこともできる」「活動と団体のさらなる価値向上を」と、デジタルを活用した新たな価値創造へと視野を広げておられます。   

▎団体の社会的意義 ~花と緑の防犯効果、安全で住みよいまちづくり 

 花や緑や花壇が整っている街は、歩いていても暮らしていても心地よいものです。人の癒しになるだけでなく、防犯効果や安全・安心につながります。「みどりで人と人をつなぎ、明るく安全で住みよいまちづくりを目指す」という、大田・花とみどりのまちづくり様の理念にうたわれている通りです。 

 

大田・花とみどりのまちづくり様が管理する、駅前花壇

普段の生活の中で、たいていの人は花や緑の果たす役割に気づきません。整った状態を維持する方たちがいることや、その業務の大変さを意識することもないでしょう。ですが、ニューヨークもそうでしたが、らくがきがなくなった街では犯罪が減少します。これと同じで、緑が整備されていることで、その街で安全・安心して暮らせているのだと思います。 

 

地域コミュニティの価値を高める活動の意味がいかに大きく重要か、私たちにとっても貴重な気づきとなりました。私自身、住んでいる地域で、緑や環境整備に目が行くようになり、そうした視点から街を評価するようになりました。今までとはまた違った目で地域を見るようになったのも、この団体をご支援したことがきかっけです。   

▎よりよい社会に向けた「インターネットの善用」を目指す 

 こうした社会的意義の大きい団体と連携できることで、自分たちの仕事が、デジタルの力が、またインターネットの活用が、社会がよりよい方向に向かう一助になっていることを、担当者が直接実感できます。その経験や知見を、さらに開発にフィードバックしていくことができます。このことは、ダンクソフトにとって大きな価値になっています。 

 

現に、このプロジェクトを担当した大川は、最近、「人を幸せにするシステム・デザインって何だろう」ということを考え始めています。 

 

インターネットは良くも悪くも便利なツールになりました。それだけに、どうしてもお金が儲かる方向に悪用されることがあります。そちらの方が目立ってきているし、ユーザーの側が心無い企業に日々データを搾取されている実態もあります。 

 

ですがダンクソフトは、「インターネットの善用」を目指しています。よりよい社会に向かうために、インターネットの力を役立てたい。人がより明るい未来に向かうための活動を支援したいし、自分たちも向かっていきたい。そう考えています。 

 

社会全体でさまざまな分断が進むなか、インターネットで仕組みをつくる側にいる立場として、デジタルをどう使っていくか。「デジタル・デバイドの解消からコミュニティの活性化へ」というデジタルの未来を見据え、「よりよいインターネット」に寄与する存在でありたいと思います。 

事例:作業効率化を機に、デジタル化でプロセスを見直し、誰もが関われる団体運営へ

お客様:NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様

花壇や区民農園の整備など、屋外での活動がメインのNPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様。多岐にわたる事業の事務作業は煩雑を極め、少人数で抱え込んでいた。このままでは活動を継続することが難しくなると危惧され、仕組みから見直すことに。kintoneを導入し、活動記録の集計作業の効率化がひと段落した今、さらなる活用方法を構想中だという理事長の内田秀子氏、事務局長、総務担当の3名にお話を伺った。 

大田・花とみどりのまちづくりは、東京都大田区を拠点に地域の緑化や緑の普及啓発を行うNPO法人だ。駅前花壇の整備、区民農園の管理、平和の森公園内の展示室を活用した「みどりの縁側」の企画運営などを大田区から委託されている。田園調布せせらぎ公園での園芸セミナー、児童館や福祉施設での花壇管理の技術指導といった緑化啓発事業にも、自主活動として取り組む。

メンバーは現在113名。2003年の設立当時に定年を迎えていたメンバーや、その人たちに誘われた同年代の友人たちが集まったため、一番厚い年齢層は70~80代と高いことが特徴だ。会員の8割以上がさまざまなフィールドに出向いて手を動かし、活動している。現場の数は約24カ所、担当するリーダーと副リーダーは30名弱だ。

 

■膨大な量の煩雑な情報を短時間で集計する重労働

同団体では行政からの受託事業も多く、遂行責任が生じる場面が多いことから、作業内容に応じた報酬を支払っている。ただし、定員を設けず、誰もが参加できる場として運営するため、時給換算といった単純な仕組みではなく、「ポイント制」を採用している。作業量による評価額を、その活動に参加した人数でシェアする仕組みだ。ポイントの算出方法は活動ごとに異なるため、集計作業の煩雑さに事務局は頭を抱えていた。

多くのメンバーが参加する活動では、ポイントの集計作業の負担も大きくなっていた

「集計のための表が非常に細かく、それぞれの活動現場が思い思いの書き方で提出してくれます。送られてくるデータはフォーマットがまちまち。手入力もあれば、エクセルのデジタル・データもあります。それがFaxで送られてきたり、メールで送られてきたりと多種多様でした。それを事務局でとりまとめて、整理して、入力からアウトプットまでの時間が短い中、そこから必要な情報を抜き出して間違いなく転記するのは大変です。孤独な作業でもありました」と事務局長は打ち明ける。3カ月に1回の集計作業を終えると、会員の努力とその成果を数字としてとらえることができて面白いのだが、5日間ほど目がかすみ、頭痛にも悩まされていた。

さらに、区に提出する活動報告書への記入内容も、事業や契約先によって異なる。実施したことを毎日紙に書いて提出するチームもあれば、3カ月分をまとめて提出するチームもある。これに、事務局で集計した参加人数や作業時間のデータを突き合わせて、全体像を把握するのだ。

事務局側がこの膨大な作業を、今後も耐え続ければ済むという話でもなかった。「設立から今まで、さまざまな仕事が次々と増え、現場に合わせてつぎはぎで運営してきました。これでは、これ以上は事業を増やすことができない状態です」と話すのは、事務局長の内田秀子氏だ。作業内容が属人的になり、「今ここで整備しておかないと、いつか無理が来てしまう。今こそが変える時」と感じていたという。

 

■効率化を通して、プロセスそのものを見直し

https://www.dunksoft.com/kintone

事務作業を担える人を増やしたい。できれば入力や参照をしやすいよう改善したい。でもこの団体の複雑な動きに対応できるアプリはあるのだろうか……? 悶々と悩んでいるときに紹介されたのが、ダンクソフトだった。抱えている課題を相談するうちに、まずはポイント集計業務の改善を短期的なゴールに定め、業務改善プラットフォーム「kintone(キントーン)」を導入してみることとなった。

「出来上がったものをお渡して終わりというプロジェクトではありません。ある程度アプリを操作できるぐらいまでできた段階でお渡しし、使っていただきながら、ご一緒によりよく改善していく開発スタイルをとりました」と語るのは、プロジェクトを担当したダンクソフト企画部の大川だ。

ダンクソフトがkintoneを試運転できる状態に整え、それを事務局で試しながらフィードバックをしていった。実際に担当者がアプリを使って、ここをこうしたいという改善点を伝え、大川がそれらをアプリ側に反映していく。これを何度も丁寧に積み重ねてきた。

「何かあっても大川さんがいるから、という安心感がありました」と総務担当は振り返る。「初歩的なことを聞いても、すぐに分かるように教えてくださるし、『ここを変えたらヒューマン・エラーが減りそう』と言えば、次回までに変えてくださる。課題解決までの2年半は紆余曲折がありましたが、気持ちの部分は楽に進めることができました」。

kintoneを使って集計作業をする、大田・花とみどりのまちづくりの職員

また、大川は北関東在住で、「何か不可能なことがあれば都内のメンバーが伺い、私は当初からリモートでの参加を想定していました」と語る。ちょうどプロジェクト開始時期がコロナ禍の直前だったことも功を奏した。このプロジェクトでオンライン・ミーティングを行うことで、やりとりを通してkintoneに、そしてオンライン・ミーティングにも徐々に慣れていくことができた。

さらに、kintone導入の過程で、活動自体を見直すようにもなった。「当初は私たちの記録方法にkintoneを合わせようという考え方だったのですが、自分たちの記録方法をkintoneに合わせて変える必要があることに気付いたのです」と事務局長は説明する。記録方法やポイント付与の基準を統一するなど、kintoneへの入力、集計がしやすい形へと改めていった。また、現場のリーダーや副リーダーを対象に、活動記録のデジタル化を推進する背景や、協力してもらいたいことについて説明会を何度も実施した。

kintoneの導入は、集計作業の負担軽減だけでなく、業務改善のきっかけにもつながった。

デジタル化の効果を身をもって体験したのは事務局長で、「頭痛が無くなったんです」と表情を輝かせる。総務担当も「パソコンを触れる人ならばできる作業になり、誰もが何らかの形で関われるようになった」と安堵する。最近はデータ入力担当のスタッフが2名参加するようになった。事務局がデータをスムーズに入力することができるよう、ここまで業務改善が進んできた。さらに今後は、「活動への出欠エントリーなどを、会員自身が直接入力できるようにしていけないか」と、アプリを会員間にも広げていくことを視野に入れている。

 

■高齢だからこそ、オンラインの活用を

ちょうどkintone導入と作業の見直しを進めるタイミングが、コロナ禍と重なった。そのため、活動自体の縮小や人数制限、整理を余儀なくされた。多くの人が縦横無尽に動き回るコロナ前の動き方のままだったら、kintoneに合わせて記録方法を見直すことは難しかっただろう。当初は緊張していたオンライン・ミーティングを、コロナ禍までに経験を積むことができていたのも、思わぬ収穫だった。

会員の多くが高年齢でデジタルの操作に慣れていないことや、さまざまなフィールドで手を動かす活動が主体ということもあり、kintoneに実際に触っているのはまだ数名のみだ。情報共有や気分転換を兼ねて、現場に集まってのリアルなミーティングは今のところは欠かせない。

地域の花壇整備や、Zoom体験講座に積極的に参加する、大田・花とみどりのまちづくりの会員のみなさん

だが一方で「高齢だからこそ家から出るのが難しくなり、オンラインであれば参加できるという人も出てきています。『世の中もオンラインの時代だから』と前向きな方もいるんですよ」と事務局長は付言する。少しでも慣れてもらうため、会員の自宅からきれいな庭を配信したり、2021年2月から数カ月、会員向けにZoom体験講座を継続して開催したりした。すると「最初に参加してくらたのが、80代超の人たちだったんです。高度経済成長を引っ張ってきた世代なので、新しいものにも積極的に取り組んでくれるみたいですね」。

 

■システム活用で、団体の価値を高めていきたい

登録された活動記録を元にポイント集計を行う画面

短期的なゴールだったポイント集計作業の改善がひと段落した今、せっかく導入したkintoneを別のことにも活用できないかと同団体では考えている。ポイント集計によって、誰の何時間の働きがどのような成果につながったのかが有機的に見えてくる。財産ともいえるこの貴重なデータを、団体をうまくアピールできる表現に加工や編集ができないないかと模索中だ。

これまでは講演などに出向いた際の団体紹介で、花壇の説明を一から始め、写真を見せながら「黄色いジャンパーを着ている人たちが働いている」と説明してきた。しかし、それにも若干の違和感を覚えていた。「当団体の活動によってもたらされた変化を、データの裏付けを交えながら表現できれば」と内田氏は意気込みを語る。

参加者それぞれに送付するポイント発行案内もkintoneアプリから一括で作成が可能

内田氏が関心を持つのは、「私たちの仕事によって、大田区の何が変わったのか」だという。「作業量でいえば、もちろん業者の方が行う方が格段に多いでしょう。でも、区民が公共事業を担い、区内の緑の何パーセントに関わったのかということについて、データを用いての表現も試みてみたいですね」

これにはkintone導入に関して理解をしてくれた会への感謝の意味合いも込められている。今まで築き上げてきた業務管理方法でも、どうにかギリギリのところで運営してこられたが、それでも新システムの導入について前向きに受け止め、理解を示してもらった。だからこそ、ポイント集計の作業改善にとどまらない成果を出したい、「宝の持ち腐れにしたくない」と事務局長は話す。

実際に事務局長は、kintoneについての書籍を読み込み、アプリ作成も試しているという。「こっそりアプリを作って、やっぱり何か違うなと思い直してすぐ消したり。試してみても誰かに迷惑をかけるわけではないので、楽しみながら試行錯誤しています」

今後はさらに、区内の緑や公園について独自の目線で調査を行い、ストックしたデータを提案に活かすなどの活用ができないかと構想中だ。「行政に対しても、今まではどちらかというと、与えられた仕事をこなすことで精いっぱいでした。もう少し提案型の事業へと発展させたい、それにあたってデジタルの力を借りられれば」と語る事務局長は、若者たちも関わりやすい事業形態へと変えていくことで、新しい仲間を増やしていきたいという希望を抱いている。 


導入テクノロジー

kintone

デジタルもっと活用プラン

※詳細はこちらをご覧ください。https://www.dunksoft.com/kintone 

NPO法人 大田・花とみどりのまちづくりとは

東京の大田区をフィールドに、ボランティア活動を通じて地域の緑化と緑の普及啓発を行い、豊かさと潤いのあるまちづくりに寄与することを目的としたNPO法人です。

https://hanamidori.sakura.ne.jp/

 

HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり”

2022年、ダンクソフトは第40期を迎えます。その節目にあたり、今年のコラムでは何回かにわけて、IT業界の進展と共に変身してきたダンクソフトの歴史を取りあげていきます。初回となる今回は、ダンクソフトができた1980年代。誰も知らない創業の頃を語ってみたいと思います。 



▎1983年、デュアルシステム創業 ~はじまりは“ハードウェア”~ 

 

誤解されることが多いのですが、私は創業社長ではありません。創業者の遺志を受け継いで就任した、2代目社長です。東京・秋葉原に株式会社デュアルシステムが創業したのが1983年7月、創業者は会田祥彦さんでした。造船会社のIT部門で機械制御を担当していた方で、旺盛な独立精神から起こした会社です。自身で独自のブランド製品をつくりだしたいという希望をもってスタートしました。 

 

当時は、社員3名、アルバイト1名。初めて開発した自社製品は、PCとプリンタのあいだに置いて切り替えを行うスイッチでした。驚かれると思いますが、ダンクソフトの前身であるデュアルシステムの“はじまり”は、ハードウェアでした。ですから、社員にはメカトロニクスの技術者やハードウェア技術者もいました。 

 

若かりし頃の星野晃一郎

私が入社したのは、創業から1年後の1984年7月です。もともと音楽を志す文系学生でした。大学卒業後に音楽をやりながら、小さな寺子屋で英語と数学の個別学習を担当していたんです。ある日、インテルの最新CPU関する英語マニュアルを一緒に読んでほしいということで、SEの方が寺子屋にやってきました。彼は私に英語を、そして私は彼からプログラミングを学ぶという “co-learning” がはじまりました。その方から昼間は使わないPCを借りて、独学でプログラミングを学びはじめました。 

 

目に見えないものを構築していく点で、プログラミングは、音楽と親和性が高くて、おもしろかったんです。自作で学習システムやワープロソフトを作ったりして、ハマりました。一方、音楽のほうは、山下達郎の登場に衝撃を受けて、これは太刀打ちできないな、と。それを機に音楽の道ではなく、縁あってこの会社に入ることになったのです。入社した当時、私のプログラミング歴は2年半でした。  

▎2年で売上10倍の超急成長 

 

入社後すぐに担当したのが、富士通のプロジェクトでした。本社の制御系通信システムの開発プロジェクトに、メンバーとしてアサインされました。振り返っても、40年この業界で仕事をしてきた中で過去最高に難しい仕事で、当時は毎日、ただただがむしゃらに働いていましたね。 

 

入社時点の肩書は主任でした。とはいえ、社員数人の小さな会社です。部下は誰もいない、ひとり主任でした。まもなく管理主任になり、課長代理になりました。しかし課長はいません。じきに課長になり、部長代理になり(もちろん部長はいません)、入社から約2年で部長になっていました。その頃には部下も10人近くおり、売上も入社時の10倍ほどまで伸びていました。  

▎ハードウェアからソフトウェアへの転換 ~創業社長の急逝を乗り越えて~ 

 

ところが、1986年7月、社長が病気で急逝します。創業からわずか3年でした。そして同年9月、入社2年にして私が2代目社長に就任することになったのです。 

 

ソフトウェアに特化していくのはそこからです。小さな会社はノウハウこそが資産なので、やれることを絞らないと価値につながらないということは常に意識していました。そこで事業内容をハードウェア中心から、ソフトウェアに特化。あつかう分野もプログラミング言語も、意識的に絞っていきました。  

▎「これからはPCの時代だ」 ~未来を見すえた決断~ 

 

80年代は汎用機(メインフレーム)全盛期。企業のシステム開発は汎用機で行うことが主流でした。パーソナル・コンピュータ(PC)はその名の通り、個人で楽しむホビー用と認識されていて、プロが使うマシンとは思われていませんでした。当然ながら、PCベースでシステム開発をする企業もまだまだ少なかった。 

ですが、そんな中、ダンクソフトはPCベースのシステム開発を選択しました。PCの方がスピードにもコストにも優れ、作業の時間が短縮できます。実際に使用するクライアントの利便性が高いことも明らかでした。オモチャで開発するのかと揶揄する人もいた時代でしたが、今思えば、未来を見通した、先見性ある決断でした。 

汎用機(左)と当時画期的だったNEC9801(右) 

(出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0
Ing. Richard Hilber - 自ら撮影, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8724964による

https://en.wikipedia.org/wiki/PC-9800_series By Miyuki Meinaka - File:NEC_PC-9801UV_owned_by_Takayama_city.jpg, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77386805)

▎最初プロジェクトは、花屋さんのための課題解決システム ~80年代からサブスク型~ 

 

自社製品としての初プロジェクトで、自分たちがつくりたいものをつくれた最初のものは、花屋さんのためのシステムでした。 

 

ウェディング向けの花屋さんをやっている方が、コンピュータでしくみを作ることに、会社としてチャレンジされたいという相談でした。私たちも結婚式場に出向いてインタビューを重ねました。コンピュータを購入する予算がないため、ダンクソフトで余っていた少し古いPCを貸し出して導入し、販売管理の仕組みができあがりました。式に関する情報、会場、ドレスに合わせた花や小物の情報、イベント情報などが管理できる仕組みです。 

 

システムとして画期的だったのは、時間・期間の区切りをなくし、長期にわたるプロジェクト管理を可能にしたことでした。 

 

80年代に主流だった保存媒体フロッピーディスク 

(出展:https://en.wikipedia.org/wiki/Floppy_disk By George Chernilevsky - Own work, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6963942 ) 

当時の販売管理システムでは、通常、月や年単位で会計が区切られていました。月単位で管理して、月が終わったら〆て計算し、フロッピーに保存というものが主流でした。 

ただ、結婚式は1年後など先々での実施なので、時間に関係なく販売管理ができるものである必要がありました。また、花屋さんは週1回仕入れに行き、仕入れた花も再利用ができます。そういう特殊な事情を加味したシステムでした。 

 

今でいうサブスク型の契約でした。斬新です。こうして通常であればマシン購入やシステム開発費など、莫大な初期投資が必要だったところ、イニシャル・コストを抑えての導入が実現できました。40年たった今でも、しっかりシステムの内容を決めてから受発注するプロジェクトが多いのが実情です。そんな中、80年代に、お客様と連携しながら少しずつ開発し、刷新していく顧問型プロジェクトとして提供したのは、時代を先行していましたね。 

 

このお客様は今でもご支援が続いています。デジタルの力で、ビジネスをよりよくしていくパートナー(協働相手)として、連携しながらご一緒しています。 

 

また、ここで生まれた、決算期に縛られない、時間をこえて企業の重要情報を管理できる斬新な発想は、その後も変わらず弊社製品の設計思想として受け継がれています。現在の製品でいえば、「未来かんり」に活かされています。 

 

▎「はじまりをつくる」のはじまり 

 

もともとデュアルシステム(現ダンクソフト)は、創業者が自社ブランド製品を開発する意図で立ちあげた会社です。ハードウェアからソフトウェアに転換した今日も、自社ブランドを開発するというDNAは、現在のダンクソフトに受け継がれています。新しい取り組みに挑戦し、常に学びつづけ、学びあうという精神も、創業時から大切にしていること。ダンクソフトのインクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)を支えていると言えるでしょう。  

▎80年代の創業期は時代の激動期 

 

私はビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスと同じ年の生まれです。80年代のIT業界は、やがて来るパソコン時代やインターネット時代を目前に控え、ものすごいスピードで動き続けていました。黎明期とはこういうものなんでしょうね。私たちも、ここから変わっていく、そのはじまりをつくっていくという自由な時代の風を感じながら、休みなく働き続けていました。  

ビル・ゲイツ(左)とスティーブ・ジョブス(右)

(出展:
Bill Gates photo by DFID - UK Department for International Development - https://www.flickr.com/photos/dfid/19111683745/, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

Steve Bobs photo by Matthew Yohe, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

私自身も超多忙で、月の残業時間が多いときで150時間にのぼり、最多で9つのプロジェクトを抱えて同時進行。もっとも過酷な時期は月1kgずつ体重が落ちていき、命の危険を覚えたこともありました(笑)。 

 

80年代の創業期はそんな猛烈な状況でしたから、あっという間に過ぎたというか、あまりに忙しすぎて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをよく覚えていないくらいです。唯一覚えているのは、84年のロス五輪の時期、実家に戻って家族とテレビを見たという記憶ぐらいです。そんな激動の立ちあげ期が、ダンクソフトにもあったということです。 

 

この後、90年代、そして21世紀へと時代が進み、自社製品のリリース、ダンクソフトへの社名変更、マイクロソフト社とのパートナーシップ等を経て、ダイバーシティ、ワーク・ライフ・バランス、そしてエシカルへと向かって変化しつづけていくことになります。そのあたりはまた次回以降、順にお話ししていこうと思います。  

2022年 年頭所感

新年あけましておめでとうございます。 

2022年の年頭にあたり、ご挨拶申し上げます。  


▎2022年、デジタルで劇的に流れを変えていく 

 

2022年は、後戻りせず、未来を実現していく時です。 

 

インターネットにあらゆるものをのせていく。加速してきた流れが、いよいよ社会と暮らしを変える大きなうねりとなってきました。「スマートオフィス構想」も、新たな局面に入っています。 

 

本年はダンクソフトにとって、40期目となる大きな節目の年でもあります。他に先がけて常にクリエイティブにはじまりをつくり、劇的に流れを変える年にしていきます。   

▎社名の「ダンク」はダンク・シュートのダンク 

 

ダンクソフトの「ダンク」は、ダンク・シュートのダンクです。これはバスケットボールの花形プレイで、高く跳んでリングの真上からボールを直接たたき込む、あのダンク・シュートです。 

 

ダンク・シュートは、相手のディフェンスを完全に崩して、試合の「流れ」を劇的に変えることができます。インパクトが大きく、人の心を動かします。驚きで感動を生むという大きな力をもっています。   

▎驚きで感動を生み、世の中のシーンを変える 

 

また、ダンクは「ジャンク」ともかけています。ジャンクDNAのジャンクですね。くだらないもの、つまらないもの、がらくたを意味しますが、一見くだらなく思えるもののなかに、実は価値があるという意味を込めています。どうでもいいような役に立たないものをつくっている会社です、と言いながら、実は予断をもたず、劇的に流れを変える、新しい価値を提示するようなサービスやプロダクトをつくっているという(笑)。遊び心のある、ちょっとしたユーモアでもあります。 

 

ダンクソフトは、いつもダンク・シュートをねらっています。ダンク・シュートのような、劇的に流れを変えるサービスやプロダクトをつくり、世の中のシーンを変えていく。新たなはじまりをつくる。常にそこを目指しています。2022年は、40周年を刻む年でもありますから、スタッフやお客様、そしてパートナーの皆様と共に、ダンク・シュートを次々と決め、驚きで感動を生んでいきたいですね。  

▎2021年の成果が結実、アワードも受賞 

 

2021年は、多くの新たなはじまりが生まれた、いい1年になりました。日本各地でさまざまなプロジェクトが展開し、新たなシーンを生み出しました。業績もよく、新しいメンバーが4人入社。来春ジョインする2人の内定も決まっています。 

 

そんな2021年の終わりに、ダンクソフトは、株式会社 主婦と生活社が主催する「CHANTO総研企業アワード2021」を受賞しました。各地で展開するリモートオフィスや長年にわたるテレワークの実績など、スタッフの働きやすさにつながる施策のほか、「スマートオフィス構想」に対して評価いただいたものです。 

 

こうした賞をいただくのは、2017年の東京都「東京ライフ・ワーク・バランス認定企業」以来で、ありがたいことにこれで16個目の受賞となります。2017年には、他にも、経済産業省「攻めのIT経営中小企業百選」、徳島県「とくしま子育て大賞 子育てサポート大賞」と、年間に3つの受賞という晴れがましい年でした。 

 

●参考 

https://www.dunksoft.com/news/2021/12/9 

https://www.dunksoft.com/award 

 

●CHANTO総研のインタビュー記事 

https://chanto.jp.net/work/working/237219/ 

https://chanto.jp.net/work/working/237229/   

▎ウェブチームと手がける、生活イノベーション 

 

2022年のダンクソフトの見どころを、チームごとにご紹介したいと思います。 

 

まずウェブチームは、昨年4人の新メンバーを迎え、大きくパワーアップしました。新卒メンバーも含めて適応がとても早く、新たなテクノロジーを導入するよい機会にもなりました。 

 

また、これまで開発を進めてきたプロジェクトから、今年、大きな新展開を発表できる予定です。たとえば、投資の民主化と呼びたいような、皆さんがあっと驚く新しいサービスを用意しています。大半の人たちにとって遠くに感じられた証券取引や投資がもっと身近になり、生活の中に新しいイノベーションを提供できる運びで、期待がかかります。   

▎業務効率化ツールが「対話ツール」へと進化 

 

次に開発チームでは、「ダンクソフト・バザールバザール」のメジャー・アップデートに向けて動いています。バザールバザールは、現在は組織の会員管理を主眼としたクラウド・サービスとして提供しています。おもに事務局が業務を効率化して、会員とのコミュニケーションを円滑に活発にするサービスとして、力を発揮しています。 

 

今、この特長をさらに伸ばしながらも、単なる業務効率化ツールにとどまらない、「対話ツール」へと進化させています。ニュービジネス協議会様や阿南高専ACT倶楽部様のような先行事例をよきモデルとして、さまざまな組織への導入をサポートしていければと考えています。 

 

対談:地域イノベーションが生まれる協働のしくみとは──徳島でACT倶楽部が始動 

https://www.dunksoft.com/news/2021/11/1 

 

「対話」はとても重要で、ダンクソフトでも重視しています。多様な人たちが自律しながら協力し、平等に意見を出しあえ、良質な対話ができることで、組織も、チームも、個人もよくなると考えています。議論や評論や論破ではなく、「多様性の中の対話」によって、イノベーションを起こしていくことが大事です。このためのツールへと、バザールはさらに進化していくことでしょう。  

 ▎誰でもどこからでも、世界を視野にビジネスを 

 

企画チームの2022年は、「WeARee!」(ウィアリー)の進展が大いに期待しています。先月のコラムでは、砥部焼の窯元とともにバーチャル・ツアーを実現したケースをお話ししました。バーチャル・ツアーを使って、作家や生産者自身が、地域に居ながらにして、みずから世界へプレゼンテーションできる環境が整いました。愛媛まで足を運べなくても、インターネットごしに日本のアートワークを手に入れたい人は世界中にいますので、バーチャル・ツアーの後、即、ECサイトで入手することも可能です。このように、「バーチャル・ツアー+ECサイト」という組み合わせによって、世界が一気に目の前にやってきますね。 

 

言葉の壁も、翻訳技術の向上によって、大きな障害ではなくなりました。世界を視野に入れたビジネスが、場所や組織規模を問わず、誰にでも可能な時代なのです。 

 

バーチャル・ツアーだけでなく、「WeARee!」は、使い方次第で、まだまだ多様な可能性がひらけていくでしょう。新しい使い方をたくさん発見するために、多くの方々に使っていただける年にしていきたいですね。  

▎石垣島の学童運営にみる、未来の先どり 

 

2021年のハイライトとして大きいのが、何度かご紹介してきた石垣島の放課後学童クラブのケースです。デジタル導入による作業効率化、コミュニティ活性化の温かくも斬新な成功事例で、このケースには私たちが目指す未来のかたちが詰まっています。   

▎小さな会社こそ、デジタル化の好機 

 

かつて、デジタル化や情報システムの導入は、とてもお金のかかるものでした。大企業でなければ難しかった時代がありました。ですが、クラウドが登場して、システム導入に要する費用は劇的に下がりました。 

 

いまや、小さな組織でも、かつて大企業だけが使えたようなシステムを利用できるようになりました。いえ、むしろ小さな会社や団体ほど、デジタル化の劇的なメリットがあります。テクノロジーが急速に進展し、いよいよ環境が整った今、小さな組織、地域の組織、PCが浸透していない組織こそ、デジタル化の恩恵を実感する好機なのです。  

 ▎スマホとインターネットさえあれば、できる 

 

石垣島はなまる学童クラブ様の場合も、もともとPCを使う人は、ほとんどいませんでした。でも、スマホとインターネットは、日ごろから皆さんが使っているのです。それなら後は、“インターネットにあらゆるものをのせていけばよい”だけ。ダンクソフトは、そこをお手伝いしていきました。 

 

結果、変化は劇的でした。はなまる学童クラブ様の場合、事務担当の専任スタッフがいなくても運営できるようになったのですから。それほどに事務作業の負荷を減らせています。もちろん作業は全て、使い慣れたスマホのままです。 

 

このようにスマホとインターネットがあれば、できる。「ない」と思っていたインフラが、実は「ある」。このことに、サービスを提供する企業サイドが、まだ気づいていないだけだと思います。    

▎子どもたちが未来だ 

 

効率化で得られた費用や時間は、子どもたちのために。子どもたちがのびのびと成長できる、理想の学童づくりのために活かされています。 

 

子どもたちの笑顔が何よりですね。未来をつくるのは彼らですから。そこに未来が見えます。ダンクソフトにとって、子どもたちの未来につながるサポートをしていること自体が価値でもあります。 

 

また、はるか2000キロも離れた石垣島の学童と東京の会社が、実際に会わずにも協働できることも新しい。いくつもの意味で、私たちが目指す未来のかたちの詰まったケースだと思います。   

▎ダンクソフトは地域へ、世界へ 

 

インターネットにあらゆるものをのせていく。そしてその先にある「スマートオフィス構想」へ。これまで展開してきたサービスから、未来を先どりする事例が、目に見える形で、次々と結実してきています。 

 

「WeARee!」も「ダンクソフト・バザールバザール」も「日報かんり」も「学童アプリ」も、すべてスマートオフィス構想の一環です。これからさまざまなプロダクト&サービスが連携し、収斂し、スマートオフィス構想がいよいよあちこちで実現していくフェイズに入りました。 

 

2021年はフランスからのインターンを受け入れ、ダンクソフトにとってヨーロッパが近くなりました。3年後にはパリでオリンピック開催です。そのころまでには、ダンクソフトも世界へ向けた「スマートオフィス構想」を展開していきたいですね。機は熟したと感じています。 

 

世界全体を見渡せば、あちこちで分断が進んでもいることが気がかりです。都市と地域、子どもの現在と将来、地域と世界、森と人……。しかし、関係が途切れている“あいだ”にこそ、デジタル活用の可能性があります。最後に一言。気が付いた人から変わっていくことが大事です。そのための意識変革をうながすのが、私たちダンクソフトの役割だと思っています。 

 

2022年、もとに戻らず、ご一緒にデジタルで次なるはじまりをつくっていきましょう!

株式会社ダンクソフト 
代表取締役 星野 晃一郎