いまがいちばん新しい ─創業40周年を迎え、明日を語る─ 

ダンクソフトは2023年7月に創業40周年を迎え、今月より41期がスタートします。今回のコラムでは、これまでの歴程を幾分振り返りながら、「いまがいちばん新しい」ダンクソフトの現在、そして未来についてお話しします。 



┃インクリメンタル・イノベーションを積み重ねて 

  

おかげさまでダンクソフトは創業40周年を迎えます。ちょうど1年前の7月から、40周年特設ウェブサイトをスタートしました。その中で、40年で起きた世の中の動きとダンクソフトの活動を重ねてみました。 

 

この40年で、社会は大きく変わりました。それとともに、ダンクソフトは、少しずつよりよくしていく「インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)」を積み重ねてきました。つねに時代時代の少し先をいく価値を発揮しつづけてきた40年の歩みです。 

ダンクソフトの歴史を、IT 業界や社会の出来事とともにご紹介しています。
https://www.dunksoft.com/40th-history

 これまでも何度か話してきましたが、この会社の創業社長は別にいて、私ではないんですね。創業社長は、造船会社のIT部門で機械制御を担当した後、1983年に東京・秋葉原で、当社を設立しました。当時の社名は、株式会社デュアルシステムと言い、制御と呼ばれるハードウェアを動かす部分を想定してつくられた会社でした。 

 

しかし、創業から3年で社長が病気で急逝してしまいます。売上は2年で10倍近く伸び、社員も一挙に10名以上増えたタイミングでした。急成長していた部門を担当していたことから、入社2年目、社員番号4番の私が、2代目社長に就任することになりました。 

 

この会社をどう舵取りしていくか真剣に考えましたね。そして、事業内容をソフトウエアに絞りこむことにします。   

┃ソフトウエアで“ダンク・シュート”を決める 

  

ソフトウエアを開発し、提供していると、「プログラムをつくることで劇的に便利になる」という出来事に出会うことがあります。 

 

印象深かったことのひとつに、広告代理店さんにデータベース・システムを開発したプロジェクトがあります。原価管理から、発注、見積書の作成、最後は請求書の発行、入金回収まで、すべてのデータを関連づけたシステムを開発しました。 

 

ヒト、モノ、カネ、時間という、ビジネス上の重要リソースを、すべてデータベースにいれることで、便利にプロジェクトの見積もりが出せるし、営業が見積もりを自分でつくれるようになりました。また、それをシェアできるようにすることで、経験をシェアできるようになりました。 

 

すると、それまで4人いた庶務担当が、2、3年たつと配置換えになり、営業スタッフとして外へ出ていけるようになったのです。会社としては、外に出られる人が増えることは、いいことです。会社はこうやって変わっていくのだなというイメージを持つことができて、組織がよりよく変わる方向でプログラムをつくらないといけない、と思いましたね。 

 

その後、Windows95が発売された1995年、社名を「ダンクソフト」に変更しました。ダンクには、ジャンク、つまり、くだらないもの、という意味があります。おもしろくてくだらないものをつくりたい、ということもあったのですが、もうひとつ、バスケットボールのダンク・シュートの意味も込めました。 

 

ダンク・シュートは、普通のシュートと同じ2点カウントですが、ダンクが決まるとチームも会場も盛り上がり、ゲームの流れがそれだけで大きく変わります。ダンク・シュートのように、私たちもビジネスを劇的に変える経験をつくりたいという思いを込めて、名付けました。    

┃ポリバレントで、助け合う風土ができてきた  

 

ダンクソフトで大事にしている考え方には、スポーツから取りいれたものがいくつかあります。「ポリバレント」が、そのひとつです。 

 

「ポリバレント」とは、状況や場面に応じていろいろな役割ができる人を指します。いわば「一人十色」と言えます。かつてサッカーでは選手の役割は、ポジションごとに固定しているのが普通でした。しかし、あるときオランダがトータル・フットボールというチームのあり方を打ち出したんですね。一人ひとりが攻めも守りもでき、ゲームの状況に応じて役割が流動的に変わるというものです。 

  

ダンクソフトのメンバーは、それぞれがポリバレントになることを目指していますし、自然とポリバレント化にむかう環境も整えています。例えば、社内に総務や経理担当者がいないことも、そのひとつです。ここ20年、この体制をとっています。 

  

総務・経理にかんする日常的な業務は、それぞれのスタッフがシステムから入力して完結します。各メンバーがふだんからバックオフィスの仕事に触れていると、どんなドキュメントが必要か、どんなルールになっているかということが、自ずとよくわかってきます。イレギュラーなことが起きても、適宜、経験のあるスタッフと協働することで問題解決へと向かいます。業務をブラックボックス化せずに、経験をシェアしていくことで、社員同士の互恵的関係(助け合う関係)を日ごろから培っているんですね。   

┃「対話するチーム」が未来をつくる 

  

ダンクソフトのユニークネスは、構成メンバーが多様であるだけでなく、お互いに協働できることです。社員同士のコミュニケーションは、ここ1年ほどでとても深まりました。大きかったのが、40周年記念企画としておこなった「未来の物語プロジェクト」です。 

  

「自分たちが思い描くダンクソフトの未来を、自分たちでつくろう」と唱えたひとりのプロジェクト・メンバーの声に多くのスタッフたちが共鳴し、全社員の8割にあたる20名が未来の物語を書き上げました。会社の未来は、経営者ひとりが決めるものではありません。スタッフそれぞれが思い描く未来の集合体が、ダンクソフトの未来です。物語を書くことで、一人ひとりが「未来は自分たちで創り出せる」と実感できたことは重要な共通体験であり、大きな成果でした。 

  

皆がそれぞれの書いた物語を読みあい、会話・対話し、フィードバックしました。これによって、互いのことをより深く知ることができ、以前よりも日常のコミュニケーションの質が高まっているのを実感しています。すると、連動して、お客様に対する提案内容のクオリティも驚くほど向上したのです。これは思いがけないうれしい成果でした。 

 

社内では、私が毎月のコラムを公開すると、それを受けてスタッフが、部署の垣根を超えた対話の場をもっています。また、日報を利用したちょっとしたコミュニケーションも活発になっています。スタッフのコメントから、私自身もあらたに気が付くこともあるんですね。最近は、返してくれるコメントの量がますます増えて、リプライするのが追いつかないほどです。コラムや日報を介して、ダンクソフトはつねに「コ・ラーニング(共同学習)」状態を目指している、と言えるでしょう。  

┃人は成長しつづける:80代の剣士の姿 

 

進化可能な場や組織では、個人のポテンシャルも引き出されていきます。私は67歳になりますが、自分自身、今もまだ成長している感覚が持てているんですよね。環境が大きく変わる今日、それはとてもよいことだと思います。 

 

最近思い出すのは、小学生のころに見た剣士の姿です。私は8歳のときから、剣道を習っていました。父は当時、剣道六段。師範になっていました。父といっしょに通っていたのは、講談社の敷地内にある野間道場でした。天覧試合が行われた日本一の道場です。そこで持田盛二さんという、“昭和の剣聖”と呼ばれた人が稽古をつけていました。 

  

このときの様子が目に焼き付いています。持田さんは当時80歳を超えていたはずです。でも誰も太刀打ちできないのです。剣道は、年齢が上がれば上がるほど強くなれる滅多にないタイプのスポーツなんですね。身体の動きが多少鈍くなったとしても、相手の心理を読む洞察力はますます高まるからです。そうした経験もあってか、年齢を重ねるごとに、いっそう進化できると確信しています。   

┃「いまがいちばん新しい」 

 

さて、集団や組織の次元に目を移すと、ダンクソフトもまた、つねに進化しつづけています。40周年を迎えるにあたって、「40年目のダンクソフト いまがいちばん新しい」というキイ・フレーズを掲げました。「いまがいちばん新しい」と自信をもって言えるのは、私たちは先行して未来をつくろうとしているからです。 

40周年特設ウェブサイト
https://www.dunksoft.com/40th

いまでは一般に浸透したテレワークについても、ダンクソフトでは2008年から取り組みを始めていました。当初はウェブ回線が不十分で、実用段階には届きませんでした。しかし、段階的に環境を整えていったことで、子どもを保育園に入れられなかったスタッフが在宅勤務できるまでになりました。 

 

また、東日本大震災のあと、徳島にサテライト・オフィスを開設するなど、「スマート・オフィス構想」をすこしずつ実践してきました。こうした積み重ねがあったので、2020年のコロナ禍では、緊急事態宣言が出された翌日から、全社テレワークに即時切り替えることができました。  

┃失敗は財産、危機は転換のチャンス 

 

いまのダンクソフトは、インクリメンタル・イノベーションの積み重ねの上に成り立っています。私たちが時代の変わり目にいち早く対応できているのは、世間に先行して失敗を獲得しているからなんですね。先にやって、先に失敗しているので、さらにその先にいくことができるのです。だから、まずはやってみる。前例もなく、手順も不明瞭ですから、先行していれば失敗するのは当然です。誰も挑戦していない新分野なら、失敗すること自体が財産になります。早く失敗し、そこから学べば、早く先へ進めます。こうやってダンクソフトは、未来をつくってきました。 

  

私たちにとって危機は忌避するものではありません。さらにレベルアップしていくためのチャンスです。日本は災害大国ですから、そこから立ち直るレジリエンスは高いでしょう。しかし、復元したあと、さらに新しい次の一手を打っていこうという動きはあまり見られないように感じます。 

  

新型コロナウイルス感染症の位置づけは、5類へと移行しました。しかし、未来を考えたときに、パンデミックはまだまだ起こる可能性があります。ですから、パンデミック以前の状態、つまり「もとに戻ってよし」とするのではなく、さらなる進化を遂げて未来をつくっていくタイミングにしていくべきだと考えています。要するに、危機こそ、自ら転換点をつくる好機です。   

┃デジタルがつくる多様性の高いコミュニティ 

 

ダンクソフトがこれから力を入れていきたいことに、「コミュニティづくり」があります。これは大きく2つの取り組みがあり、ひとつは、これまで徳島にサテライト・オフィスを設置するなど、遠くの地方との関係を結んできました。もうひとつは、ここ2年、「神田藍」というプロジェクトを通じて、本社のある神田周辺で、つまり都市の中のコミュニティづくりにも関わっています。ここ40年の歴史で、はじめての取り組みです。 

 

実際、藍という植物を媒介にすることで、街の人たちとの関わりが増えています。ふらりとお菓子をもってオフィスに来てくれる方もおられますね。神田藍のコミュニティが広がることで、これまで関わりのなかった企業や団体とも連携が生まれています。これは一種の副次効果でしょうね。「ソーシャル・キャピタル」がじわじわと醸成されていくことで、イノベーションの芽が出てきているのを感じます。 

 

こうして多様な人々の集まるコミュニティを、これからはデジタル・ツールがさらに支えます。ウェブARツール「WeARee!(ウィアリー)」や、会員組織運営を助ける「ダンクソフト・バザールバザール」などのプロダクトです。離れていても協力ができて、未来を共につくるチャレンジができるような仕組みが重要でしょう。  

┃国境も障害も、デジタルで超えていく 

  

協働しながら、イノベーションを生み出するには、多様な属性をもつ人が集まっているほうがよいものです。ダンクソフトというコミュニティも、住んでいる地域はバラバラですし、それぞれが多様な個性、特徴、スキルをもっている人たちで構成されています。最近ではトルコやフランス出身のスタッフも迎え、国籍も多様化してきました。 

 

デジタル・ネットワークを活用することによって、より多様な仲間と協働していくことができるでしょう。たとえば、身体が不自由な人もそうです。すでに、ALSの患者さんが視線入力でパソコンを操作できるようになっています。デジタルを利用すれば、場所や環境に左右されずに働けるようになります。ともに働くことで、互いの視野が広くなり、クリエイティビティがさらに高まる。どんどん発展するデジタル・ツールを使えば、人や組織の可能性をひらくことも可能です。   

┃船の舳先に立つ企業として 

  

“船の舳先(へさき)”に立つ。ダンクソフトの企業姿勢です。船首にいると先がよく見通せ、先行している感覚があります。船の後方にいると、安定しているかもしれませんが、どこに向かっているかわかりません。前にいる分だけ先が見えるし、どこに向かっていくのか、未来をつくっていくことができます。 

  

デジタル環境も技術も、目覚ましいスピードで変化しています。10年先はまだ考えられますが、100年先には私はもういませんし、その頃ダンクソフトはどうなっているのか、どうありたいのか。 

 

100年先だと量子コンピュータさえ、過去の話題に変わっていたりと、やれることも世界認識も変わっているでしょう。ある意味、年齢も居場所も関係なくなり、言語の壁もなくなっているでしょう。地球のなかだけにいるとは限りません。私たちの子孫は火星に住んでいるかもしれません。 

 

住む場所も、話す言葉も、生まれた時代もまったく異なる人たちが、目線を合わせて連携・協働する世界をいかに実現するか。やがて、資本主義のあり方も変わるでしょう。当然、ダンクソフトができることも変わるはずです。それでも、多様性・複雑性を重視する方向に向かっていることは間違いないでしょう。人間と機械と自然との関わりをうまく結び、船の舳先に立ってイノベーションを起こしつづけていく存在でありたい、と考えています。