代表メッセージ

経営者対談:Unlimited Florist ─ デジタルと手仕事の美徳は引き立てあえる ─


今回のコラムは、株式会社ユーアイ 取締役社長の藤吉恒雄さんがゲストです。大変活躍されている日本を代表するフローリストです。グランドハイアット東京やハイアット・リージェンシー京都、HOTEL THE MITSUI KYOTOの装花デザインなどを手がけていらっしゃいます。コロナ禍を経験して見えてきた課題、今後のビジネスの展望や、「デジタル」がもたらす未来について、対話しました。  

株式会社ユーアイ 取締役社長 藤吉恒雄 

株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎


▎80年代、「やはりあのシステムがほしい」と転職先にも導入 

 

星野 ダンクソフトは、この7月から40期目に入りました。藤吉さんとの関わりは、もう40年近くになります。最もおつきあいの長いクライアントのお一人です。 

 

藤吉 きっかけは知人の紹介でしたね。当時勤めていた結婚式場で、花の仕入れ管理に苦労していたときでした。週末には20〜30件の結婚式が行われるわけですが、それらすべてを手作業で集計していたんです。限界を感じ、システム開発を依頼しました。それがとても使いやすく便利で、その後、今の会社に移った時にも「やはりあのシステムがほしい」となりました。結果、移籍先にも同様のシステムを改めて導入していただいたのです。 

 

星野 お仕事の特徴として、一般的な販売管理とは、時間のスパンが違いますね。今日明日の出来事ではなく、結婚式は、来年、再来年という“未来”のデータを扱います。顧客も、ご両家だったりするので一人ではありません。仕入れも独特です。要素がことごとく他の業界と異なるので、一般的な販売管理システムでは何ひとつ合いませんでした。それがまるごと表現できるように開発する必要がありました。 

 

当時はそれを特殊だと感じていましたが、その後、多くの業界に触れる中で、実は他の分野でも必要とされていたことだとわかりました。私たちもよい勉強をさせていただいたと感謝しています。 

 

藤吉 いつもひょっこり事務所にやってきて、ちょちょっと仕事をしてリュックを背負って帰っていく。当時の星野さんの後ろ姿が印象に残っています。 

 

星野 最初の開発時は、まだまだパソコンも黎明期で、使わなくなった中古パソコンをお貸しして使ってもらったんですよね。だからいつも何かしら荷物があったんです(笑)。データベースも、いちからつくるしかなかった時代で、記録媒体はなんとフロッピーでした。 

 

藤吉 パソコンもブラウン管のような時代でしたね。   

▎デジタルを取りいれて効率化するためには、意識を変えることが重要 

 

藤吉 結婚式のしくみは、その頃からほとんど変わっていないかもしれません。何より、花をさす仕事自体は変わりません。ですが、それ以外の事務的な作業をデジタルで効率化できるようになりました。ただ、ものづくり業界の特性でもあるのか、手間を美徳とする文化も根強くあり、デジタルへの拒否反応は、まだまだあります。やはり意識を変えていく必要があると強く感じています。 

 

星野 とすると、こう言ってみてはどうでしょうか。デジタルで効率化したぶん時間ができる。その時間で、より手間をかけられるのですよ、と。要するに、デジタルと手仕事の美徳は、引き立てあえるんですよね。 

 

それから、デジタルでの効率化のポイントは、同じ情報は再利用し、一度で済むものは一度で済まそうという発想です。再利用できるところは再利用するとよいですよね。 

 

藤吉 イレギュラーも多い業界です。急な仕事が入ったり、なくなったり、シフトが日々変わったり、時間がばらばらだったり。効率化していかれるよう、仕事を見直して、しくみを変え、デジタルの使い手である我々の意識を変えることで、業界をもっと良くしていけるはずです。 

 

星野 柔軟に対応できるシステムにしておき、合理的にできるところは合理化する。その分、浮いた時間や費用を使って、クリエイティビティを発揮するところに注力していくことができます。そのためにこそ、デジタルをうまく取り入れて、効率化していきたいものですね。   

▎コロナ禍の2年半を、会社の体質を変える意義ある時間に 

 

星野 イレギュラーと言えば、コロナはフラワー業界にとってはいかがでしたか。 

 

株式会社ユーアイ 取締役社長 藤吉恒雄 氏

藤吉 コロナ禍のダメージは甚大でした。2020年の2月、大企業やブランドのパーティーなどのイベントが、いち早く中止になりはじめます。3月になると、学校が休校になり、結婚式や大小のイベントも軒並みキャンセル、または延期。4月、5月は、とうとうほぼゼロになりました。誰にも先の状況が読めないなかでしたが、5月末頃、持ちこたえるところまではやろうと、スタッフをひとりも手放さない決断をしました。現場仕事がない分、じっくり考えることができるため、これからの仕事の仕方について、スタッフ皆で考えはじめたんですね。 

 

星野 どんなことをされたのですか。 

 

藤吉 アイディアを出し合い、ミーティングを重ねて、どうすれば体質を変えられるか、考え抜きました。例えば、残業をなくす方法を突き詰めていくと、結婚式の打ち合わせから変えなければならないことが見えてきました。 

 

星野 その後、それを実践していかれたのですね。 

 

藤吉 2021年の秋頃には、幸いにも忙しさが戻ってきました。そこでトライ・アンド・エラーを繰りかえし、しくみを見直し、2年半かけて体質を変えてきました。チーム力もあがりました。その成果が今ようやく出てきたところです。 

 

星野 コロナ禍の時間を意義あるものにされましたね。 

 

藤吉 そうですね。じっくり考える時間をもらえたという意味では、意義ある時間でした。それまで馴染みのなかったオンラインでの打ち合わせにも慣れましたし。継続的に体質改善に向き合えたので、結果的には貴重な時間となりました。 

 

星野 そうなるように意志を持って、スタッフの皆さんと対話を重ねられたからこそですね。あらためて思うことですが、やはり「対話」が大事ですね。ダンクソフトでも、スタッフと私との対話、スタッフ同士の対話、お客様との対話を、約10年ほど前からでしょうか、意識的に重視してきました。 

 

くわえて、技術的なタイミングですね。ある意味、技術がコロナ禍に間に合ったと言えると思います。通信環境がこれだけ進化した今だったからこそ、コロナ禍でも、ストレスなくオンラインで対応できます。藤吉さんと出会った頃は、まだダイヤルアップの時代でした。そこからADSLを経て光ファイバーの時代になり、最大通信速度は、1980年からの30年で約10万倍になったと言われます。   

▎「デザイン価値」で、フローリストの地位を高める 

 星野 ところで、コロナ禍を経て、いま感じている課題は、どのようなことがありますか? 

 

藤吉 日本は生け花の世界ですと、伝統として確立されているところがあります。ですが、フローリストについては、どんなすばらしいデザインをしても、そこに対価を得るのが難しいことが、課題だと感じています。 

 

花を用いた空間装飾という私たちの仕事は、有形の花があってこそ成立します。ですが、そこにデザインや技術、ワザという無形のものがなければ成立しません。それこそ一番重要な部分であるにも関わらず、日本のお客様はモノ以外の側面、つまり無形のものには対価が発生しないと思っているようです。海外の企業や外資のクライアントは、「デザイン価値」に対価を払う文化が浸透しているのですが……。 

 

星野 わかります。分野は違いますが、実はダンクソフトでも、ウェブ・デザインやどこにもない新提案をする際に、同じような課題を感じています。 

 

藤吉 当社の社名は、「Unlimited Imagination」を略して「ユーアイ」(以下UI)です。想像性に限界を持たずにやろうという意味で、UIの花は「唯一無二の花」をコンセプトとしています。そのため、デザインにたどり着くまでに、多くの要素(エレメント)をふまえて考え抜きます。クラフトワークともいうべき手仕事のよさを生かしつつ、どうすれば無形の価値を評価する文化を確立、認知していけるのかを常々考えています。 

 

星野 業界を問わず、日本全体の課題ですね。例えば、ヨーロッパはブランディングにたけていて、価格設定が日本よりも高い。一人ひとりが長期休暇を取ることもできて、それでも会社が回ります。日本はそろそろ、安いものがいい、という風潮を変えないといけないタイミングにきていると思います。世界はとっくにそちらにシフトしているのですから。それがまわりまわって、若い人たちの賃金が上がらない問題に関連します。イマジネーションやクリエイティビティ、審美的要素など、無形のもの、いや、「デザイン価値」への評価や価値で対価を得ていく方向に、変えていかないといけないですね。 

 

藤吉 ブライダルのお仕事の場合、約3か月前からお会いして、当日までに複数回のお打合せをします。ですが、私たちは本番になるまで、どのような空間になるか実物をお見せすることができないんです。ですから、やはりヒト対ヒトの信頼関係が大事です。当日を迎える頃には、お友達のようになっている、そんなふうになりたいものです。 

 

星野 プロセスの価値ですね。 

 

藤吉 私たちUIは、マス・プロダクションとアートのあいだにいる、と考えています。手仕事の温かさを残しつつも、デジタルを使いながら効率化していくことが大事だと感じています。ですが、一方で、その2つの相反するものをいかにつなぎ、成果を出していくか。それが難しいところだとも思っています。星野さんから知恵を頂いたり、自分たちのタレント性をさらに磨いたり、意識をもってやっていかないといけないですね。 

 

星野 すばらしい考え方ですね。でも、実はデジタルって、とても温かみのあるものなんですよ。『「人を幸せにするシステム・デザイン」をimagineする』というコラムを先日掲載しましたが、デジタルがあれば、人やアイディアがつながって、温かくてクリエイティブな関係コミュニティをつくることができますしね。このプロセスで一人ひとりの可能性をひらくことができることも実感しています。ぜひご一緒に取り組んでいきたいですね。   

▎予期せぬ天変地異で左右される原価管理を、システムがサポート 

 

藤吉 もうひとつの課題は、原価管理です。生花の市場は“競り(せり)”で売買されます。値段が決まっておらず、状況により乱高下します。そのため、原価が安定しません。事前に「こんな花にしましょう」「あの花を使いたい」と相談していても、使う時期にいくらで買えるか、お客様のリクエストが、変動する市場に合致するとは限りません。原価予測がきわめて難しいんです。 

 

星野 競りというのは、また大変ですね。 

 

藤吉 ええ。天変地異で温室が飛んでしまうこともありますから、原価は常に変動します。ダンクソフトさんにつくっていただいたシステムでは、原価を記入するようになっています。そこで、原価の精度を高めるために、仕入れ担当者が、中卸業者さんに価格予想を出してもらうようにしました。それをもとに予想原価を記入していく。それによって原価管理が、以前よりは随分できるようになっています。また、会社が目標にする数値がコンピュータに入っているともいえますので、じゃあそこにどう合わせるか? と、担当者たちが、状況をみながらやりくりできるようになっています。 

 

星野 システム開発の時点では想定していなかった使い方ですね。システムはそのままでも使い方を発展させて、システムを、より有効に活用してくださっています。それで想定以上の積極的な効果を出されているということですから、開発者として、とても嬉しいお話をお聞きできました。 

 

 ▎花を再生する農場をつくりたい 

 

星野 最後に、未来にこうしていきたいという展望をお聞きできますか。 

 

藤吉 そうですね、もっとフローリストという職業がさらに認知され、地位が上がるようにしていきたいですね。当社UIを、考え抜いた商品・サービスを提供するプロフェッショナル集団にしたい。そのために私がすべきことは、スタッフにとってより良い環境をつくることだと考えています。労働時間にせよ、効率化にせよ、環境は私が整えるから、みんなそこで好きに暴れてくれたらいい、と。それと、個人的には、現役リタイア後は、農場をつくりたいという夢があるんです。 

 

星野 農場ですか? 

 

藤吉 花は、多くの場合、切り花で使います。根のついた状態で仕入れたものを切って使うことがあります。例えば、アジサイなどは株で買って、それを切って使うので、株が大量に残ってしまいます。これを農家は引き取って、育てなおしてはくれません。その、花を切り落とした後の根や株を、再生できればと思うのです。 

 

星野 そのためのプラント農場や温室というわけですね。 

 

藤吉 そうです。最たる例がクリスマス・ツリーです。何年もかかって育った樹木が、12月の約ひと月の役目を終えたら、そこまで。ツリーとして鉢植えにするため、根を小さく刈り込んでしまうので、もう再利用ができません。1~2メートルの背丈になるまで3、4年はかかります。このペースで行けば、育てる方が追いつかない。お金の問題より何より、ただただもったいない。このことがずっと気になっていて、現役を離れたらどこかで植物の再生活動ができればと思っているんです。 

 

星野 農業・林業×ITには大きな可能性が眠っています。ダンクソフトはデジタルの会社ですが、実は私は少し前から「自然と機械と人間の協働」に注目しているんですね。これがますます重要になっていくのは間違いないと思っているんです。そうした考えもあって、ダンクソフトは、この神田オフィスに移転してから、地域の皆さんと藍(あい)を育てる「神田藍プロジェクト」に参加するようになりました。オフィスのテラスで藍を栽培し始めて2年目になります。 

  

▎神田で藍を育てる コミュニティがあれば、どこにいても働ける未来へ 

 

オフィスのベランダで育てている藍の植木鉢

藤吉 ビルのテラスで藍を栽培? そんなことをされているのですか。 

 

星野 ええ。そこのベランダにあるんですよ。都会には地域コミュニティがあまりないので、身近な人を知っているコミュニティをつくりたいと思って始めたのですが、藍自体の魅力もわかってきました。株もどんどん増えて、今年はついに、神田で採れた種を植えて、藍を神田で育てて、神田で染めた「生葉染め」ができましたよ。 

 

通常、藍は染料に加工して使いますが、新鮮な生葉なら生葉染めができます。木綿や麻は染まりづらいのですが、動物性の生地は染めやすいそうですね。先日、群馬県にある世界遺産の富岡製糸場に行きまして、絹のポケットチーフを手に入れてきました。それを生葉染めで染めたものが、こちらです。 

 

藤吉 星野さんが染めたものですか? それは驚きました。 

 

星野 先日このオフィスで生場染めをしたところなんですよ。今日、藤吉さんにお渡ししようと思って用意しました。生葉染めの特徴で、色の濃淡も風合いも均一でなく表情豊かに染まります。お好きなものを一枚どうぞ。 

 

藤吉 青は好きな色で。では、濃いものをいただきますね。いい色だな、ありがとうございます。 

 

星野 それで、この藍の鉢植えのそばにカメラをセットして、リモートでウォッチしているんですよ。そうすることで、離れたところにいて、毎日様子を見に来ることができなくても、世話ができています。今はまだ水やりまで自動化できていませんが、それも手の届く未来です。 

 

いま進められている第5世代移動通信システム(5G)の通信速度は、第4世代(4G)の実に100倍以上も高速です。総務省では大型予算を組んで、離島や山間部をふくむ日本全域の5G化を急ピッチで進めています。過疎地や人間が住んでいない山林地域にもインターネットが行き渡れば、距離や住環境は大きな問題ではなくなります。人がこれまで住めないところでも活動や仕事ができるようになります。 

 

藤吉 そんなに進んでいるんですね。 

 

星野 そうなれば、藤吉さんがおっしゃった花の農場のようなことは、どこにいてもできるようになりますね。それと先ほど、環境は私が整える、とおっしゃいましたが、それこそダンクソフトでは、インターネットを上手に利用してクリエイティブに仕事ができるビジネス環境をつくるため、「スマートオフィス構想」を提唱しています。首都圏への一極集中を緩和し、地方にいてもやりたい仕事を選んで働ける環境を実現していく構想です。これが、これからますます重要になっていくでしょうね。地域にいながらにして日本各地、あるいは世界各地と連携・協働していくきっかけになる場としても、期待しています。 

 

藤吉 とすると、もっといろんなところで働けるように、価値観を変えていかなければなりませんね。 

 

星野 私のイメージだと、近いうちに鉄腕アトムが登場して、行きたいところに私を背負っていってくれると思っているんですよ(笑)。夢物語と思っていることが現実となるのも、きっとそう遠い未来ではありません。 

それにしても今回の対話は、思いがけず「再生」がテーマになりましたね。デジタルがあれば、手仕事も、植物も、コミュニティも再生できる。古代からあるものが、最新技術で、より魅力をもつ。今日は、unlimitedな夢もともに描ける時間をいただきました。ありがとうございました。 

  

Cross Talk:課題を課題として感じていないという課題 


[参加者] 

ウェブチーム 大村美紗 

開発チーム 澤口泰丞 

企画チーム Umut Karakulak 

代表取締役 星野晃一郎 


 ▎はじまりをつくり続けて 40 年 

 

星野 ダンクソフトは 7 月から新年度を迎え、40 期目に入りました。今回は、これからのダンクソフトをつくっていくスタッフ3名とのクロス・トークです。 

 

最初に、「ダンクソフトが 40 周年を迎える」と聞いて、どうですか。 

 

澤口 40 年というと、今の自分の年齢を上回ります。僕が生まれる前からこの会社があった。しかもその頃から IT に関する事業をしていたのだと思うと、それはすごいことだなと、素直に感心してしまいます。自分が 5 歳のとき、未来がこんなにデジタル社会になるなんて、想像もできませんでした。 

 

ウムト たしかに、40 年前にITの仕事をするって、とても大変だっただろうなと思いますね。5 年前でさえ、今使っているツールもなかったですし。技術も 5 年あれば相当変わっています。今思えばとても大変だったのに。 40 年前だとインターネットもなかったですよね? 

 

星野 そうですね。ダンクソフトの創業は 1983 年。日本でインターネットが一般に運用されはじめるのは 1990 年代以降ですから。 

 

大村 会社としてすごいことですよね。そして、それだけ続いているということは、続けるために業務内容もどんどん変化してきただろうし。でもデジタルという軸はずっとぶれていない。そこもすごいなと思います。 

 

星野 変化については、意識的に変えていることもあれば、状況が変わって変化したこともあります。世の中がすごいスピードで動いていますから。振り返れば、初期の頃は何もありませんでした。ウィンドウシステムもデータベースも何もないから、何でも自分たちでつくるしかなかったんですね。 

 

技術も社会も高速に進んで、ウムトも言ったように 5 年前と比べても想像もつかないくらい進みました。そう考えると、5 年後はさらに変化が加速しているかもしれません。たとえばデバイスも、今はスマホが主流ですが、これが指輪やメガネになったり、身体の中に入ったりするのかもしれない。いずれにせよ、デジタルはもっと身近になっていくでしょう。  

▎誰のどんな課題を解決していくのか 
─クライメイト・チェンジ、ペーパーレス、セキュリティ、フェイク・ニュース 

 

星野 これまでも、ダンクソフトは誰かの課題や、社会の課題を解決するためのソフトウェアを開発してきました。皆さんには、いま気になっている社会の課題がありますか?  

 

ウムト クライメイト・チェンジ。気候変動です。状況はとても深刻で、今、最優先すべき課題だと思います。 

 

この課題解決のために、デジタルに何ができるか。先日仲間と話しあったときには、使用した電気量を可視化するアプリを作成するアイディアが出ました。 

 

生活のなかで、どこでどれだけの電気を消費しているか、みんなはあまり気にせず暮らしていると思います。状況をデジタルで見えるようにします。そうすれば、節電しようとする行動を促せるのではないかと考えたんですね。実状を知るだけでも、人の行動は影響を受けますから。 

 

澤口 それにも通じますが、課題を課題と感じていないことも課題だと思います。現状に疑問を持たず、それでいいと思ってしまい、気づかない。 

 

たとえばペーパーレスが進まない企業もそうです。ずっと紙でやってきた。社内は相変わらず紙を使っている。だから、それでいいと思ってしまうんですね。別に課題だと思っていない。でも、もっと便利なツールや効率のよい方法があって、活用すれば色々な効果が期待できる。でも、なかなかそうした認識に至らない企業が多いのではないでしょうか。ですが、テクノロジーが進化したことで、敷居が低くなり、実は今はかえって導入のチャンスとも言えます。 

 

ダンクソフトが、よりよいソリューションを展開していくために、まだ課題を課題として気づいていない人に気づいてもらえたらと思います。そのための働きかけをするのも、僕たちの役割だと思います。 

 

大村 IT は便利です。同時に、メリットの背後に、デメリットや危険性も伴っているものです。ですが、どんなデメリットや危険性があるか、認識にはばらつきがあります。詳しい人はわかっているけれど、そうでない人は知らない。知らないまま、便利さを取り入れるつもりで、リスクにさらされてしまいます。 

 

星野 メリットを享受する裏側のデメリットの問題、大事ですね。その筆頭が、やはり、セキュリティとフェイクの問題でしょう。タダほど高いものはないのです。無料のサービスをかしこく使っているつもりが、実は自分のプライバシーを売り渡していた、ということになってしまいます。インターネット上には残念ながらフェイク・ニュースが横行しています。適切な自衛が必要であるにもかかわらず、そこはあまり語られていませんね。 

 

そういう意味でも、これからは「インターネットに よりよいもの をのせていく」ことがますます大切になります。インターネットとデジタルの未来のためにも。ダンクソフトは、そこを大切にしています。  

▎将来は、世界各地から参加者が集まる場に 

 

星野 みなさんは将来、どんなダンクソフトにしていきたいですか? 

 

澤口 僕には将来したいことがあるんです。全国各地を訪れ、いろんな地域の人たちをダンクのメンバーにしたいんです。 

 

ダンクソフトは働きやすい会社です。長く働くことができます。でも、それが同質化にならず、新陳代謝を起こしつづけていたい。そのためにも、日本中のあちこちから、クリエイティブな人たちが参加し続けるダンクソフトであってほしいと思います。 

 

異なる文化圏の人どうしが刺激を受けあえる風通しのよい環境は、イノベーションをもっと促進するでしょうから。 

 

星野 まさに「スマートオフィス構想」の発想ですね。それぞれの居場所や愛着のある土地がスマートオフィスになっていく。僕たちが理想とする未来です。 

 

▼スマートオフィス構想とは  
https://www.dunksoft.com/message/2021-04

 

 

澤口 その土地でしか知られていない、外の人にとって魅力的なモノやコトなどの情報が、各地にたくさんあるはずです。地元の人には当たり前だけど、違う地域や外国の人にはとても貴重で価値があるとか。ささいな情報も、インターネットにのせることで世界に開かれ、世界中に知ってもらうことができる。そこから始まるものがきっとあると思います。 

 

星野 インターネットがこれだけ進んだ今、距離は問題ではなくなりました。ウムトは出身地のトルコと、日本にいても変わらずコミュニケーションがとれていますし。コロナ禍がおさまらない中で、フランスの学生がフランスに居ながらにしてダンクソフトでインターンを経験しましたね。 

 

ロシアとウクライナ問題のなかでも、例えば、イーロン・マスクがいちはやく衛星インターネット回線を開放しました。世界中のホワイト・ハッカーたちが、遠隔からウクライナに手を差し伸べました。かつてないインターネットと情報の動きが、支援の輪を広げています。 

 

インターネットがあれば、物理的な地域の壁を軽々超えて協働できる時代です。世界中からダンクソフトに参加者が集まる未来は、案外近いかもしれませんよ。 

▎時代と対話しながら、次のプロジェクトを生みだし続けるダンクソフトへ 

 

ウムト ダンクにはフレキシビリティがあって、まだまだ新しいワークススタイルに挑戦できる会社だと思います。一人ひとりがオーナーシップを発揮して、もっと面白いプロジェクトを進めていける可能性を感じています。 

 

大村 そうですね。ダンクソフトは、メンバーを自由にさせてくれます。良くも悪くも、“放し飼い”というか(笑)。だからみんないろんなことを考えて、それぞれに行動に移していくことができます。いまはコロナ禍を経験し、メンバー同士がなかなか直接会えなかったこともあり、ちょっとばらつきを感じています。ですから、ダンクソフトの長所である開放感を保ちつつ、これからは、スタッフ同士のコミュニケーションがもっと活性化される環境にしていければと思っています。 

 

こうして他のチーム・メンバーと話すのもいいですね。澤口さんとは同期ですが、今日初めて知った新たな面がありました。ウムトにも「え、そうだったの?」という意外な発見がありました。 

 

ウムト たしかに、ダンクはいろんなスキル持ったポリバレント(※1)な人たちが集まっていて、とても個性豊かです。ダンクソフトのメンバーそれぞれの特長や魅力が混ざりあえば、すごく面白いことが起こりそうです。 

 

星野 それぞれのメンバーが未来を考えて、次をつくっていく集合体が、ダンクソフトなのだと思っています。今回、皆さんの話を聞いていても、やっぱりそう思いました。ひとつのプラットフォームというか、もっと信頼感のあるコミュニティのイメージですね。 

 

年代も住む地域も多様ないろんな人たちが関わって、コ・ラーニングできる場所。みんなで社会課題を解決していく場所。時代と対話しながら、次のプロジェクトを生みだし続ける場所。ダンクソフトはそういう場所になっていってほしいと、あらためて思いました。 

 

みなさん、今日はありがとうございました。 

 

※1 ポリバレントとは?https://www.dunksoft.com/recruit#philosophy    


参加者プロフィール 

大村美紗 ウェブチーム 

2009年に新卒採用で入社。ウェブデザインを担当。コロナ禍でデジタル化やクラウド化が進むなか、デジタルの苦手な人が取り残されることが心配。デジタルに苦手意識を持つ人にも使いやすいものを提供したいと考えている。 

 

澤口泰丞 開発チーム 

2009年に新卒採用で入社。ダンクソフト・バザールバザールの開発、顧客へのシステム導入などを担当。対面に比べてリモートでのコミュニケーションに物足りなさを感じており、そこをデジタルで解消する有効な方法を探索している。 

 

UMUT KARAKULAK 企画チーム 

インターンシップを経て、2016年に新卒採用で入社。 ARシステムWeARee!の開発に携わる。いま注目しているのはAI。技術的にも環境的にもいよいよ準備が整い、イノベーションが期待できるとみている。 

 

ダンクソフト40周年特設サイトをぜひご覧ください→ https://www.dunksoft.com/40th

 

 

BOUSAIFULNESS ──災害前提社会への備え


 ▎BCP:3.11で失われた情報と思い出が教訓に 

 

今回は「防災」がテーマです。私個人としても以前から関心を持っており、取りあげたいと考えていました。最近は、ますます関心をお持ちの方も多いようです。 

 

ここでは、ダンクソフトが考えるこれからの防災について、2つの観点からお話しします。 

 

1つめは「BCP」(事業継続計画)です。大切な情報をどうバックアップし、すみやかな事業再開につなげるか。 

 

2つめは「コミュニティ」との関連です。防災力の高い、ソーシャル・キャピタルの豊かなコミュニティの形成に、企業がどう貢献していけるか。ダンクソフトのケースを例としてご紹介します。 

 

2011年の東日本大震災では、大切な写真がたくさん流されてしまいましたね。個人の情報と同様に、多くの自治体や企業が重要な情報を失いました。紙の台帳やカルテが流されたり、サーバーやコンピュータごと流されたりしたのです。紙の情報は、それ自体が失われると取り戻すことができません。ですが、データをインターネットにのせておけば、情報は助かります。そこで企業は「BCP」を意識することになります。   

▎企業にとって大事なのは、迅速なリカバリー 

 

「BCP」とは、事業継続計画(Business Continuity Plan)のことです。企業が災害やテロ、システム障害などの緊急事態に遭遇しても、損害を最小限におさえ、事業を再開・継続するための計画のことです。 

 

緊急事態は、突然やってくるのが特徴です。リーマン・ショックも、東日本大震災も、コロナ禍も、そうでした。その時、企業にとって大事なのは、迅速なリカバリーです。いかにすみやかに復旧し、事業を再開・継続できるかが、信用につながります。逆に、迅速に有効な手を打つことができなければ、機会ロスが高じて、とくに中小企業にとっては致命的なダメージとなる可能性があります。  

▎クラウドなら、どこにいてもビジネスを再開できる 

 

火事の多かった江戸時代に、江戸市中の大店は、万一の火事に備えて、店を再建するのに必要なだけの部材を江戸の外にバックアップしていたといいます。店という場をいち早くリカバリーすることが重要だったからですね。 

 

一方、現代企業にとって、もっとも重要なのはやはり「情報」です。江戸時代には建物のバックアップ部材を用意していたように、今の時代には、情報のバックアップを準備しておくことが必要です。情報をインターネット上にのせて、クラウド化できていれば、データのバックアップは常に自動的になされている状態です。こうしておけば、個人の生活においても、ビジネスにおいても、大切なものを失わずに済むわけです。 

 

「データ・バックアップと防災」と聞くと、これら2つを遠く感じる方もいるかもしれません。でも、これらは関連しているんですね。 

 

ダンクソフト神田オフィスは、以前にも紹介したとおり、ペーパーレスを徹底しています。できるだけモノを減らして、大事なものは整理し、かけがえのない情報はすべてインターネットにのせています。ですから、もし何か緊急事態が起こっても、インターネットさえあれば、どこででもビジネスを速やかに再開できます。 

 

必要な情報がインターネット上にさえあれば、どこにいてもビジネスを再開できる。こういう時代になっています。このことを多くの人に知ってほしいのです。 

 スマートオフィス構想を実践する新拠点 
https://www.dunksoft.com/message/2021-03  

▎災害、テロ、ミサイルまで想定するイマジネーションを 

 

防災や危機対策は、もっとも想像力を発揮すべきところです。未来を構想する際はもちろん、どこまで事前に最悪のケースを想定しておけるかが大事です。「防災」という観点では、不測の事態をイメージすることが欠かせません。 

 

日本では、「緊急事態」というと、地震、水害、台風といった自然災害を連想しがちです。ですが、BCPではミサイルが飛んでくることや、テロが発生することも想定します。テロや戦争と聞いても、なんとなく遠く感じるかもしれませんが、今、ウクライナをめぐって起きていることや、北朝鮮情勢をみても、対岸の火事ではなく、決してひとごとではありません。   

▎「顔見知りコミュニティ」の威力 

 

「防災」を考えるとき、地域の人たちと「顔見知り」の関係でコミュニティに参加できていることも大切です。都市では、隣に誰が住んでいるかがわからない状態は珍しくありません。しかし、実際のところは、東日本震災時でも、顔見知りかどうかが人の動きを分けたと言います。 

 

企業であれば、自社内や取引先など「オフィスの中」はよく知っていても、一歩「外」に出ると、意外と誰も知らない。知り合いがいません。そのような状態で、いざ災害になったときに、どう連携して乗り越えていくことができるでしょうか。   

▎ビル全体の備蓄倉庫をダンクソフト社内に 

 

昨年の夏、ダンクソフト神田オフィスの入居しているビルのオーナーが変わりました。その後、ビルとしての防災対策を検討するなかで、ビル全体のための備蓄倉庫をダンクソフト社内に設けることになりました。他社の分も含め、ヘルメットや、水や乾パン等の備蓄品をしまってあります。現在、私が防災責任者となって、いざ災害になったときに、どうオペレーションしていくか、ビル全体のBCPを策定しているところです。 

 

3.11では、都心部で帰宅困難者が多く出ました。あのときは、備えのあった一部の大企業が、社屋や備蓄を開放するなどしました。今では規模の大小を問わず、こうした行動が、企業の果たすべき社会的責任として求められています。私たちも、何かあったとき、地域や防災拠点になれる、地域の人々と助け合える、そのような良き企業市民としてのダンクソフトでありたいと考えています。   

▎オフィス街で藍(あい)を育て、コミュニティを育てる 

 

ダンクソフトが神田に移転してきたのは、2019年です。その後まもなく、縁あって、地域で活動している「神田藍(あい)プロジェクト」に関わるようになりました。 

 

神田には、江戸時代に、染物屋が軒を連ねる日本有数の紺屋町がありました。オフィス・ビルが建ち並ぶ現在の神田には、当時の様子は残っていないように見えますが、土地の記憶をたどり、神田の街で藍を育てようというプロジェクトです。 

 

ベランダで育てている藍

私たちも2年前から、フロアのベランダに藍の鉢を置いて育てています。藍は育てやすい植物で、日当たりさえよければ失敗が少ないのもいいところですね。お店の前で藍を育てている個人商店があったり、私たちのようにビルのベランダや屋上に鉢植えを並べている企業や銀行があったり。5月5日には、子供の日にちなんで、地域の子供たちに160株ほどの藍を提供しました。8月には子供たちの街歩きも予定されています。   

▎藍ネットワークを結ぶ「WeARee!(ウィアリー!)」へ 

 

オフィス移転からまだ3年ですが、藍を媒介に、顔見知りや知り合いが地域に増えました。このプロジェクトに関わっていなければ出会わなかったような、思いがけない方ともご縁が広がっています。新参者でも企業でも、枠をこえ、「藍」を介して地域にとけこんでいくことができる、素晴らしい取り組みだと感じています。 

 

いま、この神田藍プロジェクトの運営に、ダンクソフトの「WeARee!(ウィアリー!)」をご提供しているのですが、ゆるやかなつながりを持てるコミュニケーション・ツールとして、少しずつ活用がはじまっています。今後は、街歩きの記録や成果をアーカイブするなど、さらに可能性が広がっていくことを楽しみにしています。 

 神田藍愛プロジェクト 
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai 

 

 

2008年以降、ダンクソフトは「地域コミュニティ活性化」の実証実験に多数携わってきました。そのなかで、コミュニティの単位は、ある程度小さい方がよいと感じています。そして、小さな単位のコミュニティどうしがつながっていけば、安心・安全を担保したまま、信頼できる人どうしの集まりを広げていけます。   

▎「バザールバザール」でイノベーションと よりよいコミュニティを 

 

 ダンクソフト・バザールバザール 
https://dbb-web.bazaarbazaar.org/ 

こうした「スモール・コミュニティの連携」が実現できるデジタル・ツールとして開発しているのが、「ダンクソフト・バザールバザール」です。もともとコミュニティ運営の効率化を主眼に2016年から提供開始したものですが、他のコミュニティと相互連携できる機能も備えています。ですから、信頼できるコミュニティ同士で、ともに問題解決をすることも可能です。 

 

このため、バザールバザールは、「防災のプラットフォーム」にもなりうると考えています。 

日ごろからコミュニティ内でのコミュニケーションが成立していたら、お互いの安否確認から必要情報の共有までがスムーズです。顔の見える人同士のコミュニティですから、フェイク情報が入ることも極力避けられるでしょう。信頼のおける情報が得られること、また信頼できる別のコミュニティと協働できることは、非常事態下では、さらに大きな意味を持つでしょう。 

 

この夏、バザールバザールは、大幅なバージョンアップを予定しています。テーマは2つあって、「イノベーション」と「よいコミュニティ」です。 

 

参加者同士が雑談・会話・対話をする中から、ときに予想を超えた、そしてユニークなイノベーションが生まれるよう、さらに工夫を重ねています。 

 

それから、コミュニティ運営の「効率化」だけでなく、本当に「よいコミュニティ」をつくりたいですね。そのためには、ソーシャル・キャピタルがカギだと言われています。 

 

コミュニティというのは、単に人がいるだけでなく、それぞれがつながっていることが大事ですよね。また単につながっているだけでなくて、お互いに信頼し合っていること。そして、互恵的な関係が築かれていることも。 

 

ここにあげた〈社会的ネットワーク〉、〈相互信頼〉、〈互恵性〉をソーシャル・キャピタルといいますが、この3つが豊かであることが、「よいコミュニティ」の条件だとされています。「よいコミュニティ」では、防災意識が高く、災害時・災害後も助けあって、地域のリカバリー(回復)が速いことも知られています。 

 

「よいコミュニティ」ができれば、有事だけでなく、平時でも、また地方であれ都会であれ、安心して暮らせます。そして、もうひとつ。コミュニティが活気づくためには、そこにちょっとした「新しいこと」の取りいれ、イノベーションも必要ですよね。 

 

「イノベーション」と「よいコミュニティ」を支えるデジタル活用を、これからも、みなさんと一緒に進めていきたいですね。 

HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ第3回目です。インターネットの可能性が幕を開ける1990年代後半をとりあげます。

  

▎インターネットがいよいよ台頭

 前回の「HISTORY2」では、パーソナル・コンピュータ黎明期だった90年代前半のエピソードをお話ししました。激変が続くコンピュータ業界、空前のバブル景気、そしてバブル崩壊、相次ぐ災害と危機。苦境のなか、がむしゃらに仕事にうちこみ、WindowsやAccessをいち早く事業化していく激動の数年間でした。

 

今回は、1990年代後半。社名をデュアルシステムから「ダンクソフト」へと変更しました。時代はいよいよインターネットが社会全体に広がっていくときです。私が感じていた可能性を実証したくて、まず自分自身ですすんで新しい体験をしていましたね。インターネットによって何がどう変わるのか。その先の未来を見ていた時代です。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)

https://www.dunksoft.com/message/2022-04 

  

▎Windows95から98へ。AppleからはiMacが登場

 当時の業界事情は、それまでから一転、大躍進したWindowsの全盛期になります。Windows95、Windows98。深夜のお祭りさわぎにわく秋葉原の情景は、もはや社会現象でした。覚えている人も多いでしょうね。

 

この頃、実はApple社は一度傾きかけています。ですが、スティーブ・ジョブズの復帰から、98年のiMac登場を経て、劇的な回復を遂げていきます。私自身、なかなか手にはいらなかったなか、運よく入手できたiMacを実際に使ってみて、これはなかなかいいな、と感じたことを覚えています。

  

▎特許申請に値する、画期的な工程管理システムを開発 

当時のダンクソフトは、それまでの流れを受けて、Accessを使ったアプリケーション開発を多く手掛けていました。なかでも、T建設様とプロジェクト管理のソフト会社とダンクソフトが共同開発したビルの工程管理システムは画期的でした。それまで熟練の職人が1週間かかって手計算していた工程計画を、ボタンひとつ押した瞬間に、わずか数秒で計算し、工程表が完成するというものでした。

 

これにはT建設様もとても驚いて、特許申請しようと提案されるほど斬新なものでした。デジタルを駆使して、効率化だけではない、その先にあるものに向かっていく。手計算からデジタルへ。ある意味、このシステム自体があっと驚く、新しい“はじまり”をつくったと言えるでしょう。建設業界で高い評価をいただいて口コミで次々に広がり、T建設様のほか、大手ゼネコン各社に採用いただきました。

 

会社としては、バブル崩壊のダメージから回復していく途上にありました。私を含め総勢5〜6人で、本当にがむしゃらに働いていたころです。連日、深夜まで仕事をして、会社に寝袋で泊まり込むことも珍しくありませんでした。今ではとても考えられませんね。

  

▎2週間の休暇をとり、ワールドカップを観にフランスへ

 ところで、インターネットは、まだビジネスにも、生活にも浸透していませんでした。ですが、私はインターネットに、はかりしれない可能性を感じていました。

 

そんななか、私にとって衝撃の大事件が起きます。1998年フランスFIFAワールドカップ・アジア予選で、サッカー日本代表が悲願の初出場を決めたのです。こんなことが現実になるとは想像もしていませんでした。小さいころプレイしていたこともあり、サッカーが大好きで、日本代表の試合もずっと見てきました。その少し前まで、日本のサッカーはとても世界に通用するものではなかったのです。

  

▎旅のテーマは「インターネット」

 いてもたってもいられず、フランスへ行こうと決心しました。会社はバブルの打撃から回復の途上という状況でしたから、葛藤もありました。でも、ワールドカップに日本代表が出場するなど、一生に一度のチャンスかもしれないと、当時、痛烈に思ったのです。思い切って2週間の長期休暇をとりました。

 

行く以上は何かに生かそうと考えまして、そこで掲げたテーマが「インターネット」です。すべての工程で、インターネットを駆使した旅にしようと、実験してみることを決めました。

  

▎先んじて自分で実験してみるという冒険

 まず、まだ当時めずらしかったことですが、事前から現地まで、旅行手配をすべてインターネットで、自力で予約してみましたね。

 

海外旅行といえば、移動・宿泊の手配は旅行会社、情報源は紙のガイドブックの時代です。もちろんカーナビはありません。それより少し前に何の予定も組まずに旅をするバックパッカーのブームもありましたが、このとき私が実践してみたのは、そうした現地飛び込み型ではなく、インターネットを使ってすべて自分で事前手配しながら、その上で気ままに次の目的地をめざす、新しいタイプの自由旅行でした。

 

マルセイユの街並み

対ジャマイカ、日本代表の3試合目を観たあと、私はアルルからマルセイユへと旅をしながら、サッカーの試合を楽しみました。その後はフランスを離れ、ミラノ、チューリヒへと、1300㎞をレンタカーで走破。その都度、インターネットでホテルを探し、地図をもって目的地へ移動します。最後は、スイスから帰国の途につきました。

  

▎現地からリアルタイムに情報発信、インターネットの手ごたえを確信

 それから、現地から試合速報や生の情報を、インターネットを使って知人たちにメール配信しました。試合直後に、会社のメンバーを含め20数名に、試合結果などをメールで送りました。それを社のメンバーが、インターネット上に公開してくれていました。

 

テレビ中継でマスメディアが報じるのとは違う、一個人の情報発信は、日本にいる人たちにとって貴重な情報だったと思います。いまでこそ、一人一人がSNSで情報を出せる時代になりましたが、現地から生の情報がほぼリアルタイムで届くことは珍しく、みなさん喜んでくださいました。

 

あの頃のインターネットは、パソコンにモデムが内蔵されていて、電話回線につなぐダイヤルアップ接続でした。いまのようなWi-Fiはありません。ですから、通信のために電話線を持ち歩いて、電話の回線ジャックにケーブルをさすわけです。ピーヒョロロローという発信音を聞きながら回線をつないだものです。

 

このとき体験した驚きと感動は、「インターネットの可能性を追求する」という明確なイメージとなり、現在のダンクソフトが掲げる「インターネットによりよいものをのせていく」という「スマートオフィス構想」につながっています。

 

インターネットを使えば、それまでやれないと思っていたことが、実はできる。実体験をもって「できるんだ」と知り、人々に先んじて手ごたえを感じたことの意味は大きかったですね。

 

当時の情報は、後に個人ブログに転載したので、今も読むことができます。よろしければご覧ください。 

http://blog.roberto-system.jp/200605/article_9.html 

  

▎日本人の働き方は、これでいいのか?

 さらに、この2週間の休暇で得たものがあります。それは、働き方に対する大きな意識の変化です。

 

当時私は、大変な葛藤があって「2週間も」休んでいるという気持ちがあり、覚悟を持って渡欧しました。ところが、ヨーロッパの人たちにとっては「2週間、それは短いね」という反応でした。価値観がまったくちがったのです。

 

彼らは1カ月~2カ月のバケーションを当たり前にとります。なのに、GDPはそれなりに高い。きっと集中して働き、思い切り休むからなのでしょう。メリハリというか、緩急があるのですね。

 

▎この違いはどこから来るのか

 旅先で会う向こうの人たちは、とても楽しそうでした。キャンピングカーで夏のバケーションをエンジョイしている人にもたくさん会いました。かたや日本の私たちは、毎日めちゃくちゃに働いてオフィスで寝袋。この違いはどこから来るのだろう? と考えずにいられません。

 

それまでは「これが当然」と思っていた過酷な働き方に、はっきりと疑問を覚えました。このままではよくない。働き方を変えていくほうがいい、と感じた原体験です。

  

▎いち早く実験して、未来を確信し、新しい“はじまり”をつくる

 この後、1990年代末ごろのいわゆる2000年問題を経て21世紀に入ると、いよいよインターネットが世界を席巻していきます。ダンクソフトも、ウェブサイト制作に力を入れ始めます。また、社内のことでいえば、2002年には就業規則をスタッフ自らが書きかえはじめ、スタッフたちが徐々に自律型人間へと変化していきます。そして2008年には、インターネット前提の働き方、テレワークの実践が始まります。

 

90年代後半にしていたことは、インターネットに感じた可能性をいち早く実験し、先どりし、未来への確信をつかんだこと。そして、この確信をビジネスへと展開し、社内外をインクリメンタル(漸進的)に変えていったことでした。90年代後半は、このあと劇的な変化を起こしていく、ダンクソフトらしい“はじまり”のはじまりでした。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を振り返る「HISTORY」シリーズの第2回。世界も日本も、そしてコンピュータ業界も激動した1990年代前半をとりあげます。  

▎90年代前半はパーソナル・コンピュータ黎明期 

 

前回の「HISTORY1」は、80年代の創業期、最初の「はじまり」についてでした。創業社長の急逝から私が会社を継承したこと。メインフレーム主流の時代に、いち早くPCベースでの開発を選択したこと。自社製品の開発を志向していたことなどを、コンピュータ業界の時代背景もまじえて話しました。 

 

今回は、1990年代前半に入ります。世の中は、空前のバブル景気から、バブル崩壊へ。湾岸危機、ソ連崩壊、そして阪神大震災、地下鉄サリン事件。危機や災害は遠い世界だけの話ではなく、私たち自身の日常にも潜んでいることを思い知らされる出来事が続いた時代です。 

 

この頃のコンピュータ業界は、いよいよパーソナル・コンピュータが席巻し、マイクロソフトが台頭してくる、コンピュータ黎明期です。アップル、マイクロソフト、IBM、富士通、NEC、コンパック、ゲートウェイ……。各社がこぞって新製品を開発し、業界が激しく動き始めた時期でした。そして、まだ世界が今のようにネットワークで複雑・多様につながってはいない、インターネットの夜明け前でもあります。 

 

HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり” 

https://www.dunksoft.com/message/2022-02  

▎一太郎、Lotus 1-2-3、NECの独壇場 

 

まず、当時の業界事情をざっと見ておきましょう。 

 

コンピュータというハードウェアを動かすには、基本ソフトウェアであるOS(オペレーティング・システム)が必要です。今でこそ、OSといえばWindowsとMac OSが圧倒的ですが、現在に至るまでには、さまざまなOSの栄枯盛衰がありました。また、OS上で使われるソフトウェアも、激動の変遷をとげて、今に至ります。 

 

80年代末から90年代初頭は、IBMがAppleのMacに対抗して、MS-DOSの後継となるOS/2を出した頃です。表計算ソフトといえばLotus 1-2-3(ロータス ワン・ツー・スリー)が強く、Microsoftのマルチプランだった時代です。プログラミング言語としてはBASIC(ベーシック)が主流でした。 

 

しかし日本のPC事情は、世界の趨勢とは少し違っていました。NECが圧倒的シェアを誇り、中でもなんと言ってもワープロソフトの一太郎、それに表計算ソフトのLotus 1-2-3がセットになって、オフィスの中に浸透していきました。もうひとつ、NECのパソコンはカラーグラフィックが豊富な色を表現できる強みも大きかった。IBMはビジュアル性能でNECに勝てなかったのです。 

▎OS/2からWindows3.1へ 

 

当時、当社はNEC系列の会社と取引があり、工場のオペレーティング・システムや東京駅の駅案内システムなどを開発していました。私自身は、同時に、NECがつくったBit-INNというパソコン・スクールの秋葉原校や大阪校で、OS/2や、プログラミング言語であるC言語やアセンブラの講師をしていました。 

 

昔から新しいもの好きが集まる会社だったんです。自社製品の開発にも、当時最新だったOS/2でのプログラミングで、いち早く挑戦しました。ただ、できたはいいが、あまりにも重かった。今までのマシンでは満足に動かず、なかなか実用には耐えませんでした。 

 

そこへ登場してきたのが、Windows3.0です。画期的なOSとして、1990年5月の登場以降、世界を塗りかえていきました。ですが、日本でのWindowsブームは、93年に登場するWindows3.1日本語版を待つことになります。当時まだ日本語対応の壁はそうとうに高く、開発が難航したのでした。   

▎ビル・ゲイツと意見交換した、第1回Windows World 

 

Windows3.1日本語版の発売に向けて、日本でもこのOSを広めようと、1991年6月、幕張メッセで第1回「Windows World Expo/Tokyo」が開催されました。当時大盛況だったMac Worldと比べ、Windows自体がまだ普及する前だったこともあり、イベント規模はとても小さかったんです。でも、面白そうだから出てみたい。出展社も来場者も少ないなか、実はこれに当社が出展していました。 

 

といっても、Windows製品はまだ作っていません。ないけれども、2つの製品を出展しました。ひとつが、MS-DOS用のWindowsシステム。もうひとつが、ロサンゼルスにある私の従兄弟の会社が開発した画像データベースの日本語版、自社ブランド製品でした。 

 

ビル・ゲイツと直接会って意見交換をしたのは、その初日の夜の懇親会です。その時出展している人たちと、ビル・ゲイツを囲んでの小さなパーティが開かれました。成毛眞さんもいました。 

 

せっかくの機会ですから名刺交換の際に、日本の機器とWindowsとの互換性のなさについて、ビル・ゲイツに物申しました。何とかします、と返答をもらったことを覚えています。当時の私の発言が寄与したかどうかはわかりませんが、いまやWindowsは互換性に配慮した製品になっています。 

 

開発者をパートナーとして大切にするMicrosoftの社風は今も変わりませんが、さすがに今ではこんなことはありえませんね。当時の日本が、いえ、世界でも、まだWindowsブレイク前夜だったことがわかります。   

▎バブル崩壊、遅れてやってきた打撃 

 

1989年12月29日、日経平均株価が史上最高の38,957円44銭を記録しました。空前のバブル景気です。株価はこれをピークに下落を始め、1991年3月、いわゆる「バブル崩壊」が始まります。しかし、実際に景気の悪化を私たちが実感するまでには、半年近くのタイムラグがありました。 

 

当時は大手企業の受託業務が多かったため、景気悪化の影響は大きいものでした。大口顧客の仕事が突然切られるなど、急激に仕事が減っていきました。その結果、1991年の暮れには、25人いた社員をわずか4人にまで減らさざるをえなくなっていました。チームごとクライアントに引き取っていただくなどの対応に努めはしたものの、新米経営者として、とても辛い経験でした。   

▎小さなチームでの再スタート。新発売のAccessを求めて、ロスへ飛ぶ 

 

小さなチームでの再スタートとなったのが、1992年初頭です。それまでの仕事が激減するなか、休暇もないほど働きづめだった状況から一転し、考える時間ができました。 

 

それまでは受託開発が中心でしたが、私自身はもともと音楽がつくりたかったことも重なり、これからは新しく自社製品を開発していこうと、思いいたります。これは、先代の創業社長がかかげたビジョンでもありました。 

 

当時はインターネットがまだない時代ですから、情報をとるには、アメリカのパソコン雑誌からでした。3、4か月後に日本に着くわけですが、定期購読していたんです。そこで、新しいデータベースソフト「Microsoft Access1.0」がアメリカで発売されるという情報に出会います。 

 

当時、日本ではPC用の本格的リレーショナル・データベースが、まだほぼありませんでした。データベースも自社内で開発していたのですが、限界がありました。そんなとき、パソコン雑誌でAccessの登場を知り、思ったんですね。これはまさに私達がほしかったものだ、と。 

 

そこで、ロサンゼルスまで飛んで、発売日に買いに行ったんです。翌1992年12月のことです。実際に開けてみると、やはりものすごくいい製品でした。ロスまで飛んだ甲斐がありました。この出たばかりのAccessを使って、色々なシステムを開発しました。日本の開発会社の中では、さきがけでした。 

 

さまざまな業界・企業・組織向けシステムを開発しました。そんな中、自社製品として、人脈管理ソフト「義理かんり」をつくります。これが、マイクロソフト担当者の目に留まり、共同でプロモーションを行うことになりました。Accessを普及させたいマイクロソフトからの依頼で、ソースコードを開示することを了承したのです。これもダンクソフトらしい、オープンで、開発会社としては画期的な選択でした。そして、製品は爆発的に広がっていきました。   

1992年、「義理かんり for Access」リリース 

https://www.dunksoft.com/message/2019/12/2   

▎未知を追いかけ、面白がるマインド 

 

まだインターネットが今のようになかった当時、最先端のものを取りに行くには、実際に行くしかありませんでした。私は昔から好奇心が強く、つねに新しいものを取り入れていきたいという気持ちがあります。ロスにいた従兄弟やアメリカのPC雑誌など、外の情報をみずからの足で取りに行っていたおかげで、「次」へいち早く踏み切れたのかもしれません。 

 

私に限らず、当社のメンバーは、未知のものを面白がり、未知のものを常に追いかけているところがあります。新しいものに出会うと、次のことができます。この姿勢は、ダンクソフトの特徴である「インクリメンタル・イノベーション」の土壌となっています。   

▎震災、テロ、核 

 

この頃も80年代同様、がむしゃらに仕事ばかりしていて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをあまり覚えていません。ですが、1995年、大きな災害や事件・事故が立て続けに起こります。1月の阪神淡路大震災、3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件、そして12月の高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故です。 

 

テレビから流れる震災の映像は衝撃でした。関西の仕事も多かったこともあり、神戸の被災地へも足を運びました、あの頃から大きな災害が起こり始めた、という印象が強いです。地下鉄サリン事件はオフィスのごく近くで起きたもので、パトカーや救急車のサイレンが鳴り続いていました。 

 

それまで平和に過ごしていたものが、そのような危機や災害は決して対岸の出来事ではなく、リアルに自分の身に起こりうるものなのだと初めて実感をもって認識したのが、思えばこの時だったのです。   

▎「よい社会をつくりたい」 

 

「もんじゅ」の事故については、もう少し違う思いがあります。実は私は、福井県敦賀市にあるこの原子炉に仕事で関わっていた時期があります。具体的な話はここでは控えますが、そこで見聞きした経験は、現在のダンクソフトや私自身にとって大きなものとなりました。特に、「エシカル」であること、そして「インターネットによりよいものをのせていく」という未来像にとってです。 

 

こうした経験を通して、私は、一人ひとりの生活が豊かになるために「よい社会をつくりたい」という思いを強め、そのための仕事をしていく会社でありたい、と考えるようになりました。人の生活とリスクをどう考えるのか。そしてデジタル・テクノロジーは、暮らしや社会の課題解決にどう寄与できるのか。デジタルで私たちができることは、これからに向けて、まだまだあると考えています。 

 

中央集権的でなく、パーソナルで民主的な、オープンで開かれた社会。トップダウン型でなく、自然発生的なネットワーク型の広がりへの志向を、明確に意識するようになりました。   

▎1995年、インターネット時代のはじまり。「ダンクソフト」のはじまり。 

 

1995年、Windows95が発売になります。日本語版発売日の、深夜のお祭り騒ぎを覚えている人も多いことでしょう。 

 

そして1995年といえば、後にインターネット元年と言われる年で、ここからインターネットが社会全体に広がっていきます。 

 

当社の社名変更も、この年でした。デュアルシステムから「ダンクソフト」へ。 

 

この年は、ダンクソフトにとっても私自身にとっても、大きな節目となる年だったのです。 

「人を幸せにするシステム・デザイン」をimagineする


▎注目したい3つのポイント 

 

今回は、先日公開された事例、NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様のプロジェクトを取りあげます。私の目から見た意味や価値、それを支えた開発メンバーの活躍についてお話しします。  

NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様の活動の様子

こちらの皆様は、花壇や区民農園の整備など、花とみどりで人と人をつなぎ、明るく安全で、住みよいまちづくりを目指す団体です。東京・大田区で20年以上にわたり活動を続けています。 

 

もともと情報管理に紙とデジタルを併用しておられ、メールやファックスなど連絡方法もさまざまでした。ですが、これから活動を続けていくためには、やはり団体運営にデジタルを取りいれることが必要だと、kintone導入に踏み切られました。 

 

プロジェクトは2年半にわたりました。詳細はここでは省きますが、いろいろと紆余曲折がありました。結果としては、すばらしい成果と価値を生み出しました。 

 

中でも今回注目したいポイントが、3つあります。 

まず、プロジェクトの進め方が、変化に対応できるフレキシブルな伴走型アプローチである点。次に、プロジェクトを通じてお客様の可能性や新しい行動を引きだす「エンパワリング」の好例となった点。そして、よりよい社会に向けた「インターネットの善用」という未来と希望についてです。また、真摯にやさしくクライアントと連携しつづけた開発メンバー、企画チーム大川慶一のサポートぶりについても紹介したいと思います。 

 

事例:作業効率化を機に、デジタル化でプロセスを見直し、誰もが関われる団体運営へ 

お客様:NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様 
https://www.dunksoft.com/message/case-hanamidori-kintone    

▎対話を通して、変化に対応していくフレキシブルな開発アプローチ 

 ひとつめのポイントは、プロジェクトの進め方です。ダンクソフトとのプロジェクトは、進め方が「変わっている」「他とは違う」とよく言われてきました。 

 

というのも、一般的なシステム開発では、最初にゴールを明確に設定し、機能や仕様を設計書に落とし込んでから、計画通りにつくっていく進め方が、まだまだ主流です。いわば、答えを決めてからスタートするわけです。 

 

しかし、私たちはそうではないやり方を得意としています。何ができるようになるとよいか、大まかなゴールを共有します。そのうえで、まずは出来るところから着手し、小さな部分からでも改善しながら、設計、実装、展開を速いサイクルで繰り返し、開発を進めます。 

 

大田・花とみどりのまちづくり様と対話を重ね、作りあげたシステム。参加者それぞれに送付するポイント発行案内もkintoneアプリから一括で作成が可能。

これは一般的にはアジャイル開発と呼ばれているアプローチです。アジャイルとは、身軽で敏捷なという意味ですが、ダンクソフトはこれにくわえ、昔から、お客様との丁寧な対話と変化への対応を大切にしてきました。対話を通して、少しずつイノベーションを積み重ねていく「インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)」を掲げるダンクソフトらしい柔軟な開発プロセスです。 

 

これが大きく奏功したのが、今回のプロジェクトでした。プロジェクト開始前では見えてこなかった課題を発見しながらリクエストにも対応できますし、常に「小さな提案」をしながら進めていくことができます。変化の激しい時代には、このほうが結果として、お客様の満足が高く、使い勝手もよくなり、長いこと使っていただけるシステムになるのです。   

▎やわらかい言葉でお客様と連携できるエンジニアがいる 

 大田・花とみどりのまちづくり様は、事業もデータもとても複雑な団体です。多岐にわたるすべての要件を満たすのは、容易ではありません。また、事務局も活動メンバーも比較的ご高齢で、パソコンやデジタルになじみのない人がほとんどでした。 

 

ダンクソフト 企画チーム 大川慶一

そんな中で、つくりながら試運転と改善を重ねる開発スタイルでこのプロジェクトを推進したのが、ダンクソフト企画チームの大川というエンジニアです。コロナ前から100%在宅ワークで勤務している北関東在住のスタッフで、打合せもサポートもリモートが基本でした。団体の皆さんにもオンラインでの打ち合わせに慣れていっていただきながら、共感をもって協働関係を築いていきました。 

 

一般的なIT企業では、営業担当がお客様と接して、エンジニアはお客様と会わずに、営業担当者が聞いてきたことをもとに開発だけするケースが多いものです。でも、ダンクソフトには営業担当はいません。プログラマーやエンジニアが直接お客様と対話し、プロジェクトを進めていきます。一人ひとりがフレキシブルに多様な役割を果たす、「ポリバレント」な動きをしています。 

 

大川はエンジニアでありながら、パソコン初心者にもわかりやすい、やわらかい言葉でデジタルを説明でき、システム導入の話ができます。しかも、そうした方々と、望ましいゴールを探りながら進むプロジェクトです。ダンクソフトに、このようにお客様と対話し、提案ができるエンジニアたちがいることは誇りです。  

 ▎可能性と行動を引きだし、学ぶ意欲を高めた「エンパワリング」なプロセス 

 さて、注目したい第2のポイントは、このプロジェクトに参加することで、団体メンバーの方々がエンパワーされたことです。ひとりひとりの可能性や新たな行動が引きだされたり、学びの意欲が生まれたりしたことです。ダンクソフトのプロジェクトは、関わった人たちがプロジェクトを通じてエンパワーされることも、特徴のひとつです。エンパワーというものは、1回したから終わりではなく、常にエンパワーしつづけることが大事ですから、これを「エンパワリング」と呼びます。 

 

デジタルにチャレンジし続ける、大田・花とみどりのまちづくり様

たとえば、大田・花とみどりの街づくり様の場合、kintoneを導入したことをきかっけに、事務局長みずからが本で勉強して自分でもアプリ作成をはじめたり。メンバーの皆さんも、コロナ禍でプロジェクトを継続するために、初めてリモート会議に挑戦したり。都度都度、大川に相談しながら、より自律的に、自分たち自身の手でもデジタルにチャレンジし続けていく学習力が生まれたようです。そうなると、プロジェクトをさらに先へと展開させていく推進力になるんですね。 

 

このように、ダンクソフトのプロジェクトは、プロセスのなかで一人ひとりが、デジタルによってできなかったことができるようになり、その先の課題に目が向くようになります。 

 

「ここを変えたらもっと良くなる」という試行錯誤を重ねて、今、こちらの団体では、「他にこんなこともできる」「活動と団体のさらなる価値向上を」と、デジタルを活用した新たな価値創造へと視野を広げておられます。   

▎団体の社会的意義 ~花と緑の防犯効果、安全で住みよいまちづくり 

 花や緑や花壇が整っている街は、歩いていても暮らしていても心地よいものです。人の癒しになるだけでなく、防犯効果や安全・安心につながります。「みどりで人と人をつなぎ、明るく安全で住みよいまちづくりを目指す」という、大田・花とみどりのまちづくり様の理念にうたわれている通りです。 

 

大田・花とみどりのまちづくり様が管理する、駅前花壇

普段の生活の中で、たいていの人は花や緑の果たす役割に気づきません。整った状態を維持する方たちがいることや、その業務の大変さを意識することもないでしょう。ですが、ニューヨークもそうでしたが、らくがきがなくなった街では犯罪が減少します。これと同じで、緑が整備されていることで、その街で安全・安心して暮らせているのだと思います。 

 

地域コミュニティの価値を高める活動の意味がいかに大きく重要か、私たちにとっても貴重な気づきとなりました。私自身、住んでいる地域で、緑や環境整備に目が行くようになり、そうした視点から街を評価するようになりました。今までとはまた違った目で地域を見るようになったのも、この団体をご支援したことがきかっけです。   

▎よりよい社会に向けた「インターネットの善用」を目指す 

 こうした社会的意義の大きい団体と連携できることで、自分たちの仕事が、デジタルの力が、またインターネットの活用が、社会がよりよい方向に向かう一助になっていることを、担当者が直接実感できます。その経験や知見を、さらに開発にフィードバックしていくことができます。このことは、ダンクソフトにとって大きな価値になっています。 

 

現に、このプロジェクトを担当した大川は、最近、「人を幸せにするシステム・デザインって何だろう」ということを考え始めています。 

 

インターネットは良くも悪くも便利なツールになりました。それだけに、どうしてもお金が儲かる方向に悪用されることがあります。そちらの方が目立ってきているし、ユーザーの側が心無い企業に日々データを搾取されている実態もあります。 

 

ですがダンクソフトは、「インターネットの善用」を目指しています。よりよい社会に向かうために、インターネットの力を役立てたい。人がより明るい未来に向かうための活動を支援したいし、自分たちも向かっていきたい。そう考えています。 

 

社会全体でさまざまな分断が進むなか、インターネットで仕組みをつくる側にいる立場として、デジタルをどう使っていくか。「デジタル・デバイドの解消からコミュニティの活性化へ」というデジタルの未来を見据え、「よりよいインターネット」に寄与する存在でありたいと思います。 

HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり”

2022年、ダンクソフトは第40期を迎えます。その節目にあたり、今年のコラムでは何回かにわけて、IT業界の進展と共に変身してきたダンクソフトの歴史を取りあげていきます。初回となる今回は、ダンクソフトができた1980年代。誰も知らない創業の頃を語ってみたいと思います。 



▎1983年、デュアルシステム創業 ~はじまりは“ハードウェア”~ 

 

誤解されることが多いのですが、私は創業社長ではありません。創業者の遺志を受け継いで就任した、2代目社長です。東京・秋葉原に株式会社デュアルシステムが創業したのが1983年7月、創業者は会田祥彦さんでした。造船会社のIT部門で機械制御を担当していた方で、旺盛な独立精神から起こした会社です。自身で独自のブランド製品をつくりだしたいという希望をもってスタートしました。 

 

当時は、社員3名、アルバイト1名。初めて開発した自社製品は、PCとプリンタのあいだに置いて切り替えを行うスイッチでした。驚かれると思いますが、ダンクソフトの前身であるデュアルシステムの“はじまり”は、ハードウェアでした。ですから、社員にはメカトロニクスの技術者やハードウェア技術者もいました。 

 

若かりし頃の星野晃一郎

私が入社したのは、創業から1年後の1984年7月です。もともと音楽を志す文系学生でした。大学卒業後に音楽をやりながら、小さな寺子屋で英語と数学の個別学習を担当していたんです。ある日、インテルの最新CPU関する英語マニュアルを一緒に読んでほしいということで、SEの方が寺子屋にやってきました。彼は私に英語を、そして私は彼からプログラミングを学ぶという “co-learning” がはじまりました。その方から昼間は使わないPCを借りて、独学でプログラミングを学びはじめました。 

 

目に見えないものを構築していく点で、プログラミングは、音楽と親和性が高くて、おもしろかったんです。自作で学習システムやワープロソフトを作ったりして、ハマりました。一方、音楽のほうは、山下達郎の登場に衝撃を受けて、これは太刀打ちできないな、と。それを機に音楽の道ではなく、縁あってこの会社に入ることになったのです。入社した当時、私のプログラミング歴は2年半でした。  

▎2年で売上10倍の超急成長 

 

入社後すぐに担当したのが、富士通のプロジェクトでした。本社の制御系通信システムの開発プロジェクトに、メンバーとしてアサインされました。振り返っても、40年この業界で仕事をしてきた中で過去最高に難しい仕事で、当時は毎日、ただただがむしゃらに働いていましたね。 

 

入社時点の肩書は主任でした。とはいえ、社員数人の小さな会社です。部下は誰もいない、ひとり主任でした。まもなく管理主任になり、課長代理になりました。しかし課長はいません。じきに課長になり、部長代理になり(もちろん部長はいません)、入社から約2年で部長になっていました。その頃には部下も10人近くおり、売上も入社時の10倍ほどまで伸びていました。  

▎ハードウェアからソフトウェアへの転換 ~創業社長の急逝を乗り越えて~ 

 

ところが、1986年7月、社長が病気で急逝します。創業からわずか3年でした。そして同年9月、入社2年にして私が2代目社長に就任することになったのです。 

 

ソフトウェアに特化していくのはそこからです。小さな会社はノウハウこそが資産なので、やれることを絞らないと価値につながらないということは常に意識していました。そこで事業内容をハードウェア中心から、ソフトウェアに特化。あつかう分野もプログラミング言語も、意識的に絞っていきました。  

▎「これからはPCの時代だ」 ~未来を見すえた決断~ 

 

80年代は汎用機(メインフレーム)全盛期。企業のシステム開発は汎用機で行うことが主流でした。パーソナル・コンピュータ(PC)はその名の通り、個人で楽しむホビー用と認識されていて、プロが使うマシンとは思われていませんでした。当然ながら、PCベースでシステム開発をする企業もまだまだ少なかった。 

ですが、そんな中、ダンクソフトはPCベースのシステム開発を選択しました。PCの方がスピードにもコストにも優れ、作業の時間が短縮できます。実際に使用するクライアントの利便性が高いことも明らかでした。オモチャで開発するのかと揶揄する人もいた時代でしたが、今思えば、未来を見通した、先見性ある決断でした。 

汎用機(左)と当時画期的だったNEC9801(右) 

(出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0
Ing. Richard Hilber - 自ら撮影, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8724964による

https://en.wikipedia.org/wiki/PC-9800_series By Miyuki Meinaka - File:NEC_PC-9801UV_owned_by_Takayama_city.jpg, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77386805)

▎最初プロジェクトは、花屋さんのための課題解決システム ~80年代からサブスク型~ 

 

自社製品としての初プロジェクトで、自分たちがつくりたいものをつくれた最初のものは、花屋さんのためのシステムでした。 

 

ウェディング向けの花屋さんをやっている方が、コンピュータでしくみを作ることに、会社としてチャレンジされたいという相談でした。私たちも結婚式場に出向いてインタビューを重ねました。コンピュータを購入する予算がないため、ダンクソフトで余っていた少し古いPCを貸し出して導入し、販売管理の仕組みができあがりました。式に関する情報、会場、ドレスに合わせた花や小物の情報、イベント情報などが管理できる仕組みです。 

 

システムとして画期的だったのは、時間・期間の区切りをなくし、長期にわたるプロジェクト管理を可能にしたことでした。 

 

80年代に主流だった保存媒体フロッピーディスク 

(出展:https://en.wikipedia.org/wiki/Floppy_disk By George Chernilevsky - Own work, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6963942 ) 

当時の販売管理システムでは、通常、月や年単位で会計が区切られていました。月単位で管理して、月が終わったら〆て計算し、フロッピーに保存というものが主流でした。 

ただ、結婚式は1年後など先々での実施なので、時間に関係なく販売管理ができるものである必要がありました。また、花屋さんは週1回仕入れに行き、仕入れた花も再利用ができます。そういう特殊な事情を加味したシステムでした。 

 

今でいうサブスク型の契約でした。斬新です。こうして通常であればマシン購入やシステム開発費など、莫大な初期投資が必要だったところ、イニシャル・コストを抑えての導入が実現できました。40年たった今でも、しっかりシステムの内容を決めてから受発注するプロジェクトが多いのが実情です。そんな中、80年代に、お客様と連携しながら少しずつ開発し、刷新していく顧問型プロジェクトとして提供したのは、時代を先行していましたね。 

 

このお客様は今でもご支援が続いています。デジタルの力で、ビジネスをよりよくしていくパートナー(協働相手)として、連携しながらご一緒しています。 

 

また、ここで生まれた、決算期に縛られない、時間をこえて企業の重要情報を管理できる斬新な発想は、その後も変わらず弊社製品の設計思想として受け継がれています。現在の製品でいえば、「未来かんり」に活かされています。 

 

▎「はじまりをつくる」のはじまり 

 

もともとデュアルシステム(現ダンクソフト)は、創業者が自社ブランド製品を開発する意図で立ちあげた会社です。ハードウェアからソフトウェアに転換した今日も、自社ブランドを開発するというDNAは、現在のダンクソフトに受け継がれています。新しい取り組みに挑戦し、常に学びつづけ、学びあうという精神も、創業時から大切にしていること。ダンクソフトのインクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)を支えていると言えるでしょう。  

▎80年代の創業期は時代の激動期 

 

私はビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスと同じ年の生まれです。80年代のIT業界は、やがて来るパソコン時代やインターネット時代を目前に控え、ものすごいスピードで動き続けていました。黎明期とはこういうものなんでしょうね。私たちも、ここから変わっていく、そのはじまりをつくっていくという自由な時代の風を感じながら、休みなく働き続けていました。  

ビル・ゲイツ(左)とスティーブ・ジョブス(右)

(出展:
Bill Gates photo by DFID - UK Department for International Development - https://www.flickr.com/photos/dfid/19111683745/, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

Steve Bobs photo by Matthew Yohe, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

私自身も超多忙で、月の残業時間が多いときで150時間にのぼり、最多で9つのプロジェクトを抱えて同時進行。もっとも過酷な時期は月1kgずつ体重が落ちていき、命の危険を覚えたこともありました(笑)。 

 

80年代の創業期はそんな猛烈な状況でしたから、あっという間に過ぎたというか、あまりに忙しすぎて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをよく覚えていないくらいです。唯一覚えているのは、84年のロス五輪の時期、実家に戻って家族とテレビを見たという記憶ぐらいです。そんな激動の立ちあげ期が、ダンクソフトにもあったということです。 

 

この後、90年代、そして21世紀へと時代が進み、自社製品のリリース、ダンクソフトへの社名変更、マイクロソフト社とのパートナーシップ等を経て、ダイバーシティ、ワーク・ライフ・バランス、そしてエシカルへと向かって変化しつづけていくことになります。そのあたりはまた次回以降、順にお話ししていこうと思います。  

2022年 年頭所感

新年あけましておめでとうございます。 

2022年の年頭にあたり、ご挨拶申し上げます。  


▎2022年、デジタルで劇的に流れを変えていく 

 

2022年は、後戻りせず、未来を実現していく時です。 

 

インターネットにあらゆるものをのせていく。加速してきた流れが、いよいよ社会と暮らしを変える大きなうねりとなってきました。「スマートオフィス構想」も、新たな局面に入っています。 

 

本年はダンクソフトにとって、40期目となる大きな節目の年でもあります。他に先がけて常にクリエイティブにはじまりをつくり、劇的に流れを変える年にしていきます。   

▎社名の「ダンク」はダンク・シュートのダンク 

 

ダンクソフトの「ダンク」は、ダンク・シュートのダンクです。これはバスケットボールの花形プレイで、高く跳んでリングの真上からボールを直接たたき込む、あのダンク・シュートです。 

 

ダンク・シュートは、相手のディフェンスを完全に崩して、試合の「流れ」を劇的に変えることができます。インパクトが大きく、人の心を動かします。驚きで感動を生むという大きな力をもっています。   

▎驚きで感動を生み、世の中のシーンを変える 

 

また、ダンクは「ジャンク」ともかけています。ジャンクDNAのジャンクですね。くだらないもの、つまらないもの、がらくたを意味しますが、一見くだらなく思えるもののなかに、実は価値があるという意味を込めています。どうでもいいような役に立たないものをつくっている会社です、と言いながら、実は予断をもたず、劇的に流れを変える、新しい価値を提示するようなサービスやプロダクトをつくっているという(笑)。遊び心のある、ちょっとしたユーモアでもあります。 

 

ダンクソフトは、いつもダンク・シュートをねらっています。ダンク・シュートのような、劇的に流れを変えるサービスやプロダクトをつくり、世の中のシーンを変えていく。新たなはじまりをつくる。常にそこを目指しています。2022年は、40周年を刻む年でもありますから、スタッフやお客様、そしてパートナーの皆様と共に、ダンク・シュートを次々と決め、驚きで感動を生んでいきたいですね。  

▎2021年の成果が結実、アワードも受賞 

 

2021年は、多くの新たなはじまりが生まれた、いい1年になりました。日本各地でさまざまなプロジェクトが展開し、新たなシーンを生み出しました。業績もよく、新しいメンバーが4人入社。来春ジョインする2人の内定も決まっています。 

 

そんな2021年の終わりに、ダンクソフトは、株式会社 主婦と生活社が主催する「CHANTO総研企業アワード2021」を受賞しました。各地で展開するリモートオフィスや長年にわたるテレワークの実績など、スタッフの働きやすさにつながる施策のほか、「スマートオフィス構想」に対して評価いただいたものです。 

 

こうした賞をいただくのは、2017年の東京都「東京ライフ・ワーク・バランス認定企業」以来で、ありがたいことにこれで16個目の受賞となります。2017年には、他にも、経済産業省「攻めのIT経営中小企業百選」、徳島県「とくしま子育て大賞 子育てサポート大賞」と、年間に3つの受賞という晴れがましい年でした。 

 

●参考 

https://www.dunksoft.com/news/2021/12/9 

https://www.dunksoft.com/award 

 

●CHANTO総研のインタビュー記事 

https://chanto.jp.net/work/working/237219/ 

https://chanto.jp.net/work/working/237229/   

▎ウェブチームと手がける、生活イノベーション 

 

2022年のダンクソフトの見どころを、チームごとにご紹介したいと思います。 

 

まずウェブチームは、昨年4人の新メンバーを迎え、大きくパワーアップしました。新卒メンバーも含めて適応がとても早く、新たなテクノロジーを導入するよい機会にもなりました。 

 

また、これまで開発を進めてきたプロジェクトから、今年、大きな新展開を発表できる予定です。たとえば、投資の民主化と呼びたいような、皆さんがあっと驚く新しいサービスを用意しています。大半の人たちにとって遠くに感じられた証券取引や投資がもっと身近になり、生活の中に新しいイノベーションを提供できる運びで、期待がかかります。   

▎業務効率化ツールが「対話ツール」へと進化 

 

次に開発チームでは、「ダンクソフト・バザールバザール」のメジャー・アップデートに向けて動いています。バザールバザールは、現在は組織の会員管理を主眼としたクラウド・サービスとして提供しています。おもに事務局が業務を効率化して、会員とのコミュニケーションを円滑に活発にするサービスとして、力を発揮しています。 

 

今、この特長をさらに伸ばしながらも、単なる業務効率化ツールにとどまらない、「対話ツール」へと進化させています。ニュービジネス協議会様や阿南高専ACT倶楽部様のような先行事例をよきモデルとして、さまざまな組織への導入をサポートしていければと考えています。 

 

対談:地域イノベーションが生まれる協働のしくみとは──徳島でACT倶楽部が始動 

https://www.dunksoft.com/news/2021/11/1 

 

「対話」はとても重要で、ダンクソフトでも重視しています。多様な人たちが自律しながら協力し、平等に意見を出しあえ、良質な対話ができることで、組織も、チームも、個人もよくなると考えています。議論や評論や論破ではなく、「多様性の中の対話」によって、イノベーションを起こしていくことが大事です。このためのツールへと、バザールはさらに進化していくことでしょう。  

 ▎誰でもどこからでも、世界を視野にビジネスを 

 

企画チームの2022年は、「WeARee!」(ウィアリー)の進展が大いに期待しています。先月のコラムでは、砥部焼の窯元とともにバーチャル・ツアーを実現したケースをお話ししました。バーチャル・ツアーを使って、作家や生産者自身が、地域に居ながらにして、みずから世界へプレゼンテーションできる環境が整いました。愛媛まで足を運べなくても、インターネットごしに日本のアートワークを手に入れたい人は世界中にいますので、バーチャル・ツアーの後、即、ECサイトで入手することも可能です。このように、「バーチャル・ツアー+ECサイト」という組み合わせによって、世界が一気に目の前にやってきますね。 

 

言葉の壁も、翻訳技術の向上によって、大きな障害ではなくなりました。世界を視野に入れたビジネスが、場所や組織規模を問わず、誰にでも可能な時代なのです。 

 

バーチャル・ツアーだけでなく、「WeARee!」は、使い方次第で、まだまだ多様な可能性がひらけていくでしょう。新しい使い方をたくさん発見するために、多くの方々に使っていただける年にしていきたいですね。  

▎石垣島の学童運営にみる、未来の先どり 

 

2021年のハイライトとして大きいのが、何度かご紹介してきた石垣島の放課後学童クラブのケースです。デジタル導入による作業効率化、コミュニティ活性化の温かくも斬新な成功事例で、このケースには私たちが目指す未来のかたちが詰まっています。   

▎小さな会社こそ、デジタル化の好機 

 

かつて、デジタル化や情報システムの導入は、とてもお金のかかるものでした。大企業でなければ難しかった時代がありました。ですが、クラウドが登場して、システム導入に要する費用は劇的に下がりました。 

 

いまや、小さな組織でも、かつて大企業だけが使えたようなシステムを利用できるようになりました。いえ、むしろ小さな会社や団体ほど、デジタル化の劇的なメリットがあります。テクノロジーが急速に進展し、いよいよ環境が整った今、小さな組織、地域の組織、PCが浸透していない組織こそ、デジタル化の恩恵を実感する好機なのです。  

 ▎スマホとインターネットさえあれば、できる 

 

石垣島はなまる学童クラブ様の場合も、もともとPCを使う人は、ほとんどいませんでした。でも、スマホとインターネットは、日ごろから皆さんが使っているのです。それなら後は、“インターネットにあらゆるものをのせていけばよい”だけ。ダンクソフトは、そこをお手伝いしていきました。 

 

結果、変化は劇的でした。はなまる学童クラブ様の場合、事務担当の専任スタッフがいなくても運営できるようになったのですから。それほどに事務作業の負荷を減らせています。もちろん作業は全て、使い慣れたスマホのままです。 

 

このようにスマホとインターネットがあれば、できる。「ない」と思っていたインフラが、実は「ある」。このことに、サービスを提供する企業サイドが、まだ気づいていないだけだと思います。    

▎子どもたちが未来だ 

 

効率化で得られた費用や時間は、子どもたちのために。子どもたちがのびのびと成長できる、理想の学童づくりのために活かされています。 

 

子どもたちの笑顔が何よりですね。未来をつくるのは彼らですから。そこに未来が見えます。ダンクソフトにとって、子どもたちの未来につながるサポートをしていること自体が価値でもあります。 

 

また、はるか2000キロも離れた石垣島の学童と東京の会社が、実際に会わずにも協働できることも新しい。いくつもの意味で、私たちが目指す未来のかたちの詰まったケースだと思います。   

▎ダンクソフトは地域へ、世界へ 

 

インターネットにあらゆるものをのせていく。そしてその先にある「スマートオフィス構想」へ。これまで展開してきたサービスから、未来を先どりする事例が、目に見える形で、次々と結実してきています。 

 

「WeARee!」も「ダンクソフト・バザールバザール」も「日報かんり」も「学童アプリ」も、すべてスマートオフィス構想の一環です。これからさまざまなプロダクト&サービスが連携し、収斂し、スマートオフィス構想がいよいよあちこちで実現していくフェイズに入りました。 

 

2021年はフランスからのインターンを受け入れ、ダンクソフトにとってヨーロッパが近くなりました。3年後にはパリでオリンピック開催です。そのころまでには、ダンクソフトも世界へ向けた「スマートオフィス構想」を展開していきたいですね。機は熟したと感じています。 

 

世界全体を見渡せば、あちこちで分断が進んでもいることが気がかりです。都市と地域、子どもの現在と将来、地域と世界、森と人……。しかし、関係が途切れている“あいだ”にこそ、デジタル活用の可能性があります。最後に一言。気が付いた人から変わっていくことが大事です。そのための意識変革をうながすのが、私たちダンクソフトの役割だと思っています。 

 

2022年、もとに戻らず、ご一緒にデジタルで次なるはじまりをつくっていきましょう!

株式会社ダンクソフト 
代表取締役 星野 晃一郎 

ダンクソフトの“さきがけ文化”を体験するインターンシップ


▎コロナ禍でもフランスからテレワークで5週間の学生インターン 

左上から時計回りに、インターン生のルカ、ダンクソフト 代表取締役 星野、ダンクソフトのウムト、ダンクソフト 取締役 板林

左上から時計回りに、インターン生のルカ、ダンクソフト 代表取締役 星野、ダンクソフトのウムト、ダンクソフト 取締役 板林

この夏、フランスの大学院生をインターンとして受け入れました。フランスのエクス=マルセイユ大学のビジネス法研究所で修士に在籍する学生で、名前をルカといいます。コロナ禍のなか、5週間にわたるテレワークでのインターンでした。ルカからの最終レポートを引用しながら、紹介します。 

 

いつか日本で仕事をするためには、法律以外のスキルを身につけたほうがいいと考えました。そこで、夏休みを活かして、日本のIT企業でインターンをすることにしました。ダンクソフトのことは、日本政府が発表した「高度外国人材活躍企業50社(※)」のリストに掲載されていたことで知りました。もちろん、COVIDの問題から、日本に移住することは不可能ですが、すべてのことを遠隔地でスムーズに行うことができました。 

  ※「高度外国人材活躍企業50社」(経産省)

コロナ禍で中小企業の採用やインターン受け入れが難しくなっています。しかし、ダンクソフトの場合、整ったテレワーク環境があります。テレワークでも社員がプロジェクトを遂行し、学びあうことに慣れていますから、インターンシップも可能です。期間終了後、日英仏3ヶ国語での充実したレポートが届きました。彼にとって良質なインターン経験となったことは私達にも嬉しいことです。 

 

インターンシップのプログラムは非常によく構成されていました。市場調査からテスト、HTMLの開発まで、さまざまな仕事に挑戦しました。日本のデータ・コンプライアンスやウェブ・デザインについての説明も受けました。私の国では、インターンとしてこのような配慮を受けることは結構稀なことなので、嬉しい驚きがありました。私は日本で働くことに自信が持てるようになりましたし、ダンクソフトで働くこと以外に、この2ヶ月間をより良く過ごすことはできなかったと確信しています。 

ITではなく法律を専門とするヨーロッパの若者と一緒に働く経験は、受け入れ側である私達にとっても新鮮でした。やはり価値観や文化の違う人が入ると、視点が変わって面白いですね。ダイバーシティ(多様性)の価値や重要性もより深いレベルで認識できましたし、スタッフにとっても非常に有意義な体験でした。  

 

▎海外からエンジニアがインターンを経て入社 

 ルカのインターンシップをホストとして受け入れていたのは、ダンクソフトに在籍するトルコ人スタッフのウムトです。じつはこのウムト自身が、ダンクソフトが最初に受け入れた第1号のインターンでした。 

ダンクソフトに在籍するトルコ人スタッフのウムト

ダンクソフトに在籍するトルコ人スタッフのウムト

ダンクソフトでは、80年代から海外エンジニアと活発に交流していましたが、インターンシップというスキームで学生を受け入れたのは、このときが初めてのこと。面接は当時主流だったskypeで行いました。その後、2011年3月に東日本大震災が起こり、来られないかと懸念しましたが、こういう時だからこそ日本のために貢献したいと、6月ごろに2名の大学生が来日しました。ご存じの方も多いと思いますが、明治時代、和歌山沖でトルコ船が遭難した際、現地の日本人が乗組員を献身的に救助したという話があります。彼らはそれを忘れていないのですね。 

 

当時ウムトはトルコの大学で学ぶ学生で、来日後はサテライト・オフィスの実証実験に役立つツールを開発するなど、才能を発揮しました。その後トルコに戻り大学を卒業後、再び来日してダンクソフトに就職しました。現在はエンジニアとしてバリバリ活躍しています。 

 

▎マイクロソフト社とのニート支援プログラム 

その頃から、ダンクソフトでは、さまざまな形でインターンや研修生を受け入れてきました。  

就労支援プロジェクトに参加したのテレワークインターン達

就労支援プロジェクトに参加したのテレワークインターン達

2014年には、マイクロソフト社および若者支援のNPO法人育て上げネットと連携し、若年無業者(いわゆるニート)の就労支援プロジェクトを実施しました。プログラミングの学習からインターンまで、すべてオンラインで行いました。  

この取り組みは、その後も数年にわたって継続しました。その結果、今は退職しましたが、2名の若者がダンクソフトに就職しています。 

 

総務省のテレワーク実験も兼ねた北海道での合宿研修、全国規模でのオンライン研修など、さまざまな取り組みを重ねていき、「通わなくてもオンラインでインターンができる」という手応えは、2014年時点で確かなものになりました。他より動きがかなり早いと思います。 

 

ひとくちにニートと言われる若年無業者ですが、それぞれの長所や個性が活かせる、働きやすい環境があるのです。オンライン、テレワークという働き方には、彼らを含め、人間の可能性を引き出すポテンシャルが確実にあります。 

 

▼テレワークインターン修了式の様子 

https://www.dunksoft.com/news/news/20180327.html

  

▎経産省若手官僚が驚いたダンクソフトの先進性 

 経済産業省官僚のインターンを受け入れたこともあります。若手官僚に「先進性のある企業で就労体験をさせたい」ということで、当時、「中小企業IT経営力大賞」、「テレワーク先駆者百選」、「東京ライフ・ワーク・バランス認定企業」、「ダイバーシティ経営企業100選」等、さまざまな賞を受賞していたダンクソフトに白羽の矢が立ったのだそうです。  

ダンクソフトのサテライトオフィス

ダンクソフトのサテライトオフィス

研修期間は約2週間。出社して仕事をしたり、地域で展開していたサテライト・オフィスに出張したり、テレワークの実際を経験したり。離れて仕事をしているテレワークや、ファックスもコピー機もないペーパーレス・オフィスを体験して、「こんな働き方があるのか」と、ずいぶんカルチャー・ショックを受けていました。 

 

昨年、ワシントンDCに留学中の際に、向こうからダンクソフトのオンライン・コミュニティに参加したりもしてくれました。こうした経験を生かして、あっと驚くような面白いことを実現してくれるでしょう。楽しみにしています。 

 

▼ダンクソフトの受賞歴等 

https://www.dunksoft.com/award 

  

▎徳島の学生がテレワークでインターン  

阿南工業高等専門学校のインターン生

阿南工業高等専門学校のインターン生

近年は、徳島県阿南市の阿南工業高等専門学校(阿南高専)から毎年インターンの受け入れをしています。徳島サテライト・オフィスの竹内祐介(開発チーム マネージャー)が講師として授業を担当しているご縁もあり、継続的な関係を築いています。 

 

最初の年は、実際に東京にやって来て就労体験をする、ごく一般的なインターンでした。その後、サテライト・オフィスとテレワークを併用したスタイルになり、現在はコロナ禍でほぼテレワークのみとなっています。 

 

毎年ブラッシュアップを重ね、遠隔形式でもきわめて充実したインターン経験ができる確信ができました。社会に出る前の学生、特に地方在住の若者が、テレワークの可能性を実感する。その経験は、大都市圏に住んでいない彼らの将来の可能性を大きく広げてくれます。ひいては日本の未来をよりよくするためにも、一人でも多くの若者たちにそうした体験を提供していきたいものです。 

 

▼阿南高専 インターン生の声 

https://www.dunksoft.com/message/2020-11 

  

▎受け入れ側にとっても、さまざまなプラス効果 

 インターンの受け入れは面倒だと躊躇する中小企業は多いかもしれません。しかし、こうしたインターンの受け入れは、ダンクソフトにとっても、プラスとなっています。 

 

外国人、若年無業者(ニート)、官僚、学生(非首都圏在住)。さまざまな属性の人が来ることで、異質な考え方に出会うことができます。社内だけで閉じているとどうしても考え方が似てきます。彼らの参加によって、スタッフの視点が変わり、発想が刺激されます。「開かれた対話」を通して意外なアイデアを受け入れる素地が、ますます整っていきます。 

 

採用にもよい影響があります。阿南高専のインターン経験者も、2名が卒業後ダンクソフトに入社。お互いをよく知ったうえでの良質な採用につながっています。また、新しい人たちを受け入れること自体に慣れ、関わり方も上達していきます。たとえば、新しく入ったスタッフへのカリキュラムが洗練されました。また、新しく入ったスタッフに次の人の受入をホストしてもらうことで、さらによいコ・ラーニング(共同学習)の循環が生まれています。 

 

▼スタッフ全員がバージョンアップしていく 

https://www.dunksoft.com/message/2021-07 

  

▎ダンクソフトに“留学”? 

 「ダンクソフトの働き方やオフィスを見たい、知りたい」という視察のニーズは多いです。大企業から公共機関、NPOまで、さまざまなところから来られます。 

 

「イノベーションの場」である、ダンクソフトの神田オフィス

「イノベーションの場」である、ダンクソフトの神田オフィス

ダンクソフトは、「インターネットにあらゆるものをのせていく」ことで、新しい働き方をいちはやく実践してきました。ペーパーレス、テレワークといった、インターネット時代のオフィスのあり方と働き方。それを見たいとおっしゃるのですね。コロナ以前から多かったですが、現在は「スマートオフィス構想」を実践する拠点として、さらに注目いただいているようです。これからテレワークやペーパーレスを考えている企業や団体は、当社の神田オフィスに、ぜひ視察にいらしていただきたいと思っています。 

 

ただ、やはり外側から見るだけではわからないことが多々あります。インターンとして実際に体験し、実感をもって知ることは、「ダンクソフトの“さきがけ文化”に触れる」絶好の機会として、刺激的な学びとなるでしょう。そういう意味では、ダンクソフトでのインターン経験は、異文化体験、留学に似ているかもしれません。デジタルを上手に取り入れて、温かくてクリエイティブな先進的ワークスタイルを実現しています。 

 

▼スマートオフィス構想を実践する新拠点 

https://www.dunksoft.com/news/2021/3/8 

  

▎異文化と協働する「スマートオフィス構想」 

 今後ダンクソフトがめざすさらなる未来、「スマートオフィス構想」は、こうした経験の受け皿になる場でもあります。インターネットにあらゆるものをのせていくことで、国内外を問わず人々が結びついていく。関係の網の目を広げていける。ダイバーシティと開かれた対話による未来志向の協働の場、イノベーションの場です。 

 

ダンクソフトは、企業、団体、学生のインターンを歓迎します。また、ダンクソフトのデジタル文化を短期的に体験していただけるプログラムも考えていく予定です。 

 

▼スマートオフィス構想とは 

https://www.dunksoft.com/message/2021-04

価値創造は「驚き」からはじまる─東京2020大会のボランティア現場から─ 


▎ボランティア現場から見た東京2020大会 

9月5日、代々木のオリンピックスタジアムでパラリンピック閉会式が行われ、東京2020大会が閉会しました。コロナ禍が続くなか、人類史上初めての無観客開催という挑戦でした。  

実は私は、安全に気を付けながらもオリ・パラの大会ボランティアをしていました。おかげで、多くの驚くべきシーンや瞬間に立ち会う機会を得ました。 

 今回のコラムでは、ボランティアという“中の人”として実感した「驚きの体験」を中心にお話します。今回のオリ・パラで見聞し感じたこと、そこから見えてきた人間とデジタルの協働、そしてダンクソフトの未来について、考えたことをお話ししていきます。 

開催を巡ってはさまざまな意見や議論もありました。ですが、アスリートが人類の可能性を超えていく姿はやはり純粋に素晴らしい。私はあらためてそのことに感動しました。また、テクノロジーの進化がはっきりと可視化された大会でもありました。 

 

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▎はじまりは2002年の日韓ワールドカップ 

 世界規模で行われるスポーツ大会のボランティアをするのは、これが2度目になります。初めてボランティアを経験したのが、2002年のFIFAワールドカップ日韓大会の時。有意義な体験でした。そうした経緯があったので、今回もこれは経験しておきたいと考え、応募しました。 

今回のポジションは、幕張メッセ(千葉市)フェンシング会場でのメディア・サポートでした。自宅から往復2時間、日によっては朝5時起きで出かけ、帰宅は夜10時を回ることも。しかも持ち場の一部は40度を超える屋外という厳しいコンディションでした。 

結論として、やはりやってよかったです。素晴らしい体験でした。チャレンジすることで得難い「驚き」が得られました。「驚き」には「発見」があります。新しい世界との出会いがあります。クリエイティブな可能性の入口となります。 

▎日本フェンシング初の金メダル、その歴史的瞬間に立ち会う 

忘れられない場面のひとつは、日本フェンシング初の金メダル、男子エペ団体優勝の瞬間に立ち会えたことです。なんといっても、私の持ち場である会場での出来事です。空気の変化を肌で感じていました。 

一瞬で流れが変わったのは、準々決勝で日本がフランスに勝った瞬間でした。世界ランキング8位の日本が、4連覇を狙う世界ランキング1位のフランスを下したのですから、大ニュースです。 

一気に注目が集まったため、即時対応で殺到するメディアの受け入れ体勢を整え、決勝が始まるまで対応におおわらわでした。そして、日本優勝、国歌斉唱、記者会見。優勝した日本チーム自身が驚いたかもしれません。この先のパリ大会での活躍がさらに楽しみです。これほどの瞬間に立ち会えたことは、忘れられない経験となりました。 

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▎デジタルを駆使した大会運営とメディア・センター 

 デジタルの進化と浸透ぶりにも驚きました。今回、ボランティア・チーム運営の連絡や情報共有に使っていたのは、ビジネス・チャット・ツールです。進んでいますね。メディア・センターはもちろんインターネット完備で、メディア・クルーは皆パソコンを持ち込んでいました。 

 19年前、2002年の日韓ワールドカップでは、まだ複合機がメディア・センターに並び、手書き原稿をFAXで送っている人がいました。この20年の変化を思うと、技術の進歩は圧倒的です。 

また、映像は4Kでめざましくきれいになりました。一方で、現状では通信速度がまだ追いついていないため、生放送映像に一瞬の遅れが生じます。今の技術段階はそういう時代なのだと、これは現場にいたからこそ気づいたことでした。 

▎ボランティア・チームは「コ・ラーニング」だった 

 ボランティア・チームの動きに「コ・ラーニング」を感じたことも印象深いことでした。異例づくしの大会で、人も不足がち。誰かが教えるマニュアル通りにやればいい、という状況ではありませんでした。 

そんな中、「楽しもう」と多くのボランティアが言っていました。そして、楽しみながら、言われなくても自分で考えて動いていく。現場・状況に応じて柔軟な判断ができていく。少なくとも、私のチームでは、対話を通して互いに学びあいながら遂行する、コ・ラーニングの現場が生まれていることが見て取れました。  

▎13歳の金メダリストに見た新しい価値観と可能性 

 ボランティアとして関わってはいませんが、スケートボード、スポーツ・クライミング(ボルダリング)の選手達に見られる価値観の新しさにも、目を見張りました。他の選手を「敵」とみなして競うことをしません。一緒に目標に向かい、さらなる可能性に挑戦していく「仲間」として応援しあっているようです。 

 だからこそ、次のレベルにチャレンジしていける。皆で飛躍し全体のレベルをあげていけるんですね。史上最年少の金メダリストとなったスケートボード女子ストリートの西矢椛選手は13歳。新しい技を出せる瞬間を、純粋に仲間と楽しんでいるように見えます。その結果、世界1位となりました。オリ・パラが見せる、これからの人類の可能性を象徴する、驚きの出来事でした。   

▎パラリンピック記録が世界新を更新する 

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最後に強調したいのが、パラリンピックへの大きな期待です。一部では有名な話ですが、義肢の進化はめざましい。走り幅跳びでは義足ジャンパーがオリンピック超えの記録を出すと期待されています。

今回のパラリンピックでは、ドイツのマルクス・レーム選手が8メートル18を飛びました。8月のオリンピック優勝記録(8メートル41)には届かなかったものの、わずか23センチの差まできています。 

 道具やトレーニング方法が変わって飛躍していく。これは、パラリンピックに限りません。肉眼での判定が難しい場合のビデオ判定は、テニスやサッカーをはじめ、各種スポーツ競技で使われるようになりました。さまざまなテクノロジーが媒介することで、できることが広がっていくのです。 

▎オリ・パラがひとつになるとき 

 スポーツ以外でもそうです。将棋やチェスは、AIが人間に勝つ段階に入りました。そうすると、今度はそのAIを相手に人間が学ぶことで、次の次元の棋士が生まれる。そのような方向に、学び方が変わったわけです。人間が機械に敗北したのではなく、人間と機械との協働が、これまでより一段高い所で起こり、人類の成長につながっていく流れだと私は思います。 

 ダンクソフトが扱う「デジタル・テクノロジー」も、これに通じるものがあります。人間の可能性を引き出す媒介となるものと捉えています。 

 今大会でも、性の多様性についての話題がありました。過去3倍の182人がLGBTQであることを公表しました。またパラリンピックの理念は、常に多様性に挑戦してきました。将来、オリンピック・パラリンピックが現在の「男と女」「健常者と障害者」という分け方をしなくなる日も、遠くないのではないでしょうか。 

▎人類は、人類の可能性を超えていく

東京2020大会でのこうした驚くべき体験を振り返って思うのです。たとえばウサイン・ボルト選手の世界新記録更新を人々が喜べるのは、そこに人類の可能性を見ているからです。陸上だけでなく、これまでの記録を超えていく人が、皆から称賛される。そういう世界です。私達ダンクソフトも、そこに挑戦していきたいと思います。 

40周年に向かう今年、皆さんにもっと「驚き」を提供していきたいと考えています。対話を通して、楽しみながら、ともに高め合う「コ・ラーニング」の時代へ。デジタルで広がる可能性をさらに進化させ、期待をより上回る新しい価値をご一緒に創出する存在でありたいと考えています。 

 

「コ・ラーニング」という考えで仕事をすれば、仕事はもっと楽しくなる


 ▎コ・ラーニング:「仕事を楽しく」進めるカギ

 

ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

星野 前回7月に、新年度のはじまりとして、「コ・ラーニング元年」のお話をしました。

 今回はその続きで、「コ・ラーニングという考え方で仕事をすれば、仕事はもっと楽しくなる」という話をしたいと思っています。

今日は、当社の新たなプロジェクトに取り組んでいる板林淳哉と一緒です。さまざまな現場で起きる、実際のエピソードを交えながら進めていきましょう。

ダンクソフト 取締役 板林淳哉

ダンクソフト 取締役 板林淳哉

板林 今日は、ダンクソフトが大事にする「コ・ラーニング」や「対話の文化」が、プロジェクト現場での「楽しさ」につながっていることを、少しでもお伝えできたらと思っています。

 

▎コミュニティの活性化には、ARサービス「WeARee!(ウィアリー!)」

 

板林 早速ですが、まず、ある現場でのエピソードからお話したいと思います。新製品開発のプロジェクトです。

 

ダンクソフトは、2020年11月に、ARサービス「WeARee! (ウィアリー!)」をリリースしました。これはコミュニティづくりを促進することができるツールです。簡単な操作で、ARコンテンツをインターネットにのせることができます。そしてウェブページを作成し、参加者と交流することができるというものです。

機能的なメリットとしては、GPSの位置情報を紐付けるのはもちろん、3Dモデルが使えること、手頃な価格帯、専用アプリ不要の使いやすさなどがあります。

 

手軽で使いやすいツールなので、これまでデジタルに馴染みの薄かった人にこそ楽しんでいただけると嬉しいです。誰にでも使ってもらえるツールを目指しています。

 

星野 そうそう、そこは常々ダンクソフトでも考えていることですよね。この神田オフィスにあるダイアログ・スペースにまつわる情報を WeARee! にのせたいですね。お客様やスタッフがバーチャルで訪れて、見学をして、楽しくコミュニケーションができるようにしたいなと。先日は北海道からも WeARee! への引き合いがありましたね。

ダンクソフト神田本社内のダイアログ・スペース

ダンクソフト神田本社内のダイアログ・スペース

 板林 参加者同士で継続的にコミュニケーションがとれる状態をWeARee!でつくれることもポイントですね。これからはビジネスにせよ、コミュニティの活性化にせよ、一方向ではなくて、コミュニケーションがカギですからね。

 

参考記事:WeARee! 導入事例:上野動物園で実施した実証プロジェクト

▎美術館 × WeARee! のアート・プロジェクト

 

板林 今、このWeARee! を使ったユニークな取り組みが、現在進行形で進んでいます。まちなかのパブリック・アートを対象として、屋外オープン・スペースで鑑賞イベントを開催しようというものです。

東京都美術館と東京藝術大学が「とびらプロジェクト」というソーシャル・デザイン・プロジェクトを実施しており、「とびラー」と呼ばれるアート・コミュニケータたちが活躍しています。広く一般から集まったメンバーの方々で、3年の任期後も有志でさまざまな活動を続けています。この活動は、その「とびラー」OB・OGチームとの協働プロジェクトなんです。

 

星野 当初は美術館での館内イベントを考えていたんですよね?

 

板林 そうなんです。ですが、撮影条件や現場のオペレーションなどを具体化しながら話し合うなかで、まちなかのパブリック・アートを対象として屋外でやってはどうかという、アイディアが思いがけず浮上しました。

 

いろいろ考えていくと、その方が、制約が少なく、参加者が楽しめて、WeARee!の機能もフル活用できるね、と。主催者の「かなえたいこと」を聞くことで、私たちダンクソフトのメンバーにも新たなアイディアがわきました。最新の技術やツールをどう使えるか、何ができるか、もっと面白い可能性はないか。相互の対話の中から、どんどんよりよい意見が出てきました。

▎「コ・ラーニング」が新たなアイディアを生む

 

星野 双方のプロジェクト・メンバーのあいだで思いがけない見方が生まれたというのは、対話の効果ですね。

 

板林 はい、まさに対話を重ねて、お互いにイメージや理想を出し合うことで生まれる相乗効果でした。誰かがアイディアを出すと、別のメンバーから「それならば」とさらなる発想が飛び出してきます。その繰り返しでした。結果、当初は誰も想像もしていなかったグッド・アイディアが生まれたのです。

 

星野 いいですね。そのプロセスは、まさに「コ・ラーニング」が起こっていますね。

 

板林 WeARee!の開発チームには、トルコ人のメンバーも参加しています。多様性のあるチーム・メンバーから、いろいろな見方が入ることも、プロセスを楽しくしていると思います。

 

星野  結果として“誰も予期していなかったこと”が起こっているのが、大事なポイントですね。予定したことを予定していた通りにやることは誰でもできるし、案外簡単です。そうではなく、予定調和ではなくて、予期していなかった成果・効果が生まれるコミュニケーション・プロセスは、ダンクソフトならではですね。

 

お客様との関係が、発注・受注の関係ではなく、お客様・サービス提供者という立場を超えて、パートナーとして「一緒になって取り組む姿勢」がプロセスを楽しくしますね。これが「コ・ラーニング」のはじまりです。どちらかが相手の上に立とうとすると、この関係は生まれません。

 

目線を合わせて、一緒になって考えることができるから、お客様が求めていたことがよく見えてきますし。多様な人たちがお互いに対話するなかで、新しい発見がありますから、おのずとイノベーションが生まれやすい。お客様も、何が課題で、そのためにデジタルで何ができるのかを、よくご自分で理解できるようになっていただけます。

  

▎コミュニティが活性化すれば、日々の業務連絡さえ楽しくなる

 

星野 日頃の職場でのちょっとしたやりとりも同様ですね。対話の文化があれば、コミュニケーションにストレスが少なく、事務的なコミュニケーションにさえ楽しさが生まれたりもします。

 

板林 それでいうと、最近のダンクソフトでは、スタッフが日々の仕事を報告する「日報」が割に面白いんです。一般的な、形式的な日報とは印象がずいぶん違います。たとえば「今日のBGM」を書き添える人がいたり、毎回なぜかラーメン店情報をつけていたり。高専(高等専門学校)を卒業したばかりの新入社員が入ったことによる新しい風も感じています。

 

星野 徳島の山本君ですね。彼の日報は、ちょっとしたショート・コントになっている気がしますよ。先日のは、チョコボールの“当たり”が出た小話でしたね。話にオチがあるのは関西文化圏だからかな?(笑)

 

板林 なるほど(笑)。読んでいて楽しい空気が出てきたのは確かですよね。だからでしょうか、思わず反応を返す人もいますし。

 

星野 ただの事務連絡に見えて、実はちょっとした雑談も交えた会話のいとぐちになっている。ささやかに思えるかもしれませんが、コミュニティの活性化にとって、情報共有の仕方ににぎわいがあることは、とても大切なことですね。業務連絡といいながら、ゆるやかなコミュニケーションが生まれ、人間関係を確実に豊かにしてくれていますよ。

  

▎「ダンクソフトと仕事をすると楽しい」:その意味

 

星野 お客様から「ダンクソフトと仕事をすると楽しい」という褒め言葉をいただくことがよくあります。ビジネスやプロジェクトが、対話重視、コ・ラーニング重視の現場になりつつあるからだと考えています。こうした「仕事の楽しさ」は、単にオモシロ・オカシイということではありませんね。むしろ一方向ではない楽しさや、一緒に学び続ける楽しさ、また、見たことのないものに向かう楽しさや、ともに変化・成長する楽しさなのでしょう。

 

板林 そう思います。そのためにも、社外のお客様にとってもコミュニケーションしやすいパートナーになれているなら嬉しいです。

 

ケニーズ・ファミリー・ビレッジ / オートキャンプ場  川口泰斗氏

ケニーズ・ファミリー・ビレッジ / オートキャンプ場 川口泰斗氏

以前、ウェブのリニューアルで大きな成果を出されたケニーズファミリービレッジさんから、「同じ船に乗ったクルーのよう、仲間のようだ」といっていただきました。

 星野 あのプロジェクトもよかったね。大きな相談事ではなくても、スタッフに気軽に連絡してきてくださるお客様がいるとも聞いています。大事なお知り合いや関連企業をご紹介いただくことも多くなってきました。技術面だけでなく、ダンクソフトのヒューマンな部分も、徐々に信頼いただけるようになってきたからではないか、と考えています。

 

イノベーションは、地道な取りくみの果てにしか生まれません。日々の小さな改良の積み重ねが、やがてある時大きな変化を生み出します。もちろん、大変なことはありますが、一緒に課題を設定し、大変さを乗り越えるのも、また楽しいこと。

 

ただし、対話型、コミュニケーション型であることが条件ですね。ダンクソフトとプロジェクトをご一緒した方たちは、そのあたりを実感して、「仕事の楽しさ」を感じていらっしゃるのだろうと思います。これからも、皆さんとさらに楽しくプロジェクトを進めて、世の中をもっと便利に、よりよくしていきたいものですね。「コ・ラーニング」という考え方で仕事をすれば、仕事はもっと楽しくなると、強調したいです。

 

経営者対談:ともにちからを合わせ、デジタルで人々を幸せに

今回のコラムでは、リコージャパン 代表取締役である坂主智弘さんをゲストにおむかえし、コロナ禍を経て見えてきたこれからのビジネスについて、「デジタル」がもたらす未来について、対話しました。

 

リコージャパン株式会社 代表取締役 社長執行役員 CEO 坂主智弘

株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎



 ▎「この人だ!」と直感した

 

坂主 星野さんと出会ったのは、2016年でしたね。一般社団法人マーチング委員会(※)のイベント「マーチングEXPO2016」で、星野さんの講演をお聞きしたことがきっかけです。講演テーマは「IT企業が田舎でまちおこし」。星野さんは、講師として、神山をはじめITを活用した地域創生の事例を紹介されました。

 

そのお話がとても興味深く、「この人だ!」と直感したのです。自分の知りたいことがここにある、こんな人はそういない、このチャンスを逃してはいけない、という印象でした。そこで、講演後すぐにご挨拶に行きました。

 

星野 この日の会場は、神奈川県海老名市にある「リコーフューチャーハウス」でした。海老名はリコーさんの最大の研究開発拠点。そこに新たにつくられたビジネス共創のコミュニケーション・スペースでした。その施設のことや、リコーさんの地方創生の取り組みなどについてお話ししましたね。

 

※マーチング委員会:日本のまちなみをイラストで伝え、地域の魅力を再発信する団体。

左:株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎 右:リコージャパン株式会社 代表取締役 社長執行役員 CEO 坂主智弘さん

左:株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎
右:リコージャパン株式会社 代表取締役 社長執行役員 CEO 坂主智弘さん

▎徳島県視察ツアーで見た「これからの働き方」の衝撃

 

坂主 その後すぐに、当時は日本橋にあったダンクソフトさんのオフィスにお邪魔して。翌2017年3月には、徳島県神山町を訪ねるサテライト・オフィス視察ツアーにも参加しました。

 

星野 懐かしいですね。ダンクソフトでは、「徳島サテライト・オフィス視察ツアー」を毎年実施してきました。2011年に始まり、コロナ以前は、毎年2回ほど開催していました。

 

坂主 なかでも、大自然の中でノート・パソコンを開いて仕事をしている。そんな情景に「こんな働き方があるのか」と衝撃を受けました。

坂主さんが衝撃を受けたという情景

坂主さんが衝撃を受けたという情景

星野 坂主さんご自身が、お一人で参加されていましたね。あの時も、首都圏をはじめ全国から多様なメンバーが集った視察でした。

 

坂主 そうですね、視察先はもちろん、参加者も刺激的な方ばかりで、懇親会も有意義でした。その後のつながりも生きています。以来、星野さんとは、さまざまなところでご一緒してきました。あとはパエリアでしょうか(笑)。

 

星野 ははは。二人とも食いしん坊ですから(笑)。コロナ禍の前は、会えばおいしいものをご一緒していましたね。

  

▎コロナ禍をへて見えてきた未来──リコージャパンの場合

 

坂主 コロナ禍をへて、大きく変わったことが2つあります。まずは、「働く場所を選ばない働き方」が、すでに実態のなかにあることです。4年前に神山を視察した頃を思うと、今ようやく、時代が追いついてきたなと感じます。

 

次に、コミュニケーションのあり方です。私たちリコージャパンは複合機をはじめとする事務機器の製造・販売・保守を行う会社です。訪問サポートの比重は高く、何があっても「まずは足を運ぶ」という考えが主流でした。

 

「リコーさん最近来ないから、他社に変えちゃったよ」というようなことも少なくない業界です。フェイス・トゥ・フェイスでないと取り合わないという傾向は、とくに地方において、強かったのです。

 

ところが、コロナ禍以降、リモートの商談がすっかり浸透しました。以前は商談によっては商品担当者がリアルに同行していましたが、今はお客様担当者だけが現場に行き、商品担当者は現地へ行かずにオンライン参加が可能です。お客様にタブレット1枚を見せて「連れてきました」と言える世界になりました。

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▎「もう戻れない」──どこにいても働ける時代へ

 

星野 飛躍的な変化ですね。

 

坂主 今回のこの変化は、「ジャンプした」という印象をもっています。一部展開にとどまっていたものが、もう使わざるをえない状況になり、ためらいの小川を飛び越えたと言いますか。

 

リコージャパンは、2011年の東日本大震災を契機に働き方改革を進め、リモート・ワークを推進してきました。2019年には、総務省のテレワーク先駆者百選に選ばれ、賞もいただきました。その時点で、ノート・パソコンとWi-Fiルーターは、たしかに支給していました。ですが、実際の使用頻度や使用率は、必ずしも高くはなかったのです。今回、それが一気にジャンプしました。もう戻らないでしょう。

 

星野 このコロナ禍で、テレワークに切り替えるたくさんの社員の方に「テレワーク検定」を活用いただきました。現在のテレワーク状況はいかがですか?

 

坂主 私のいる本社は、約430席の事業所です。増減はありますが、おおよそ約70〜100人が出社しています。全体の4分の1弱です。

 

今回のことで、作業場所としてのオフィスは必要なかったと、よくわかりました。変わらずリアルに集まることが必要なのは、会議や意思決定、コミュニケーションの場面です。

 

▎コロナがもたらした変化──ダンクソフトの場合

 

星野 ダンクソフトの場合、社内のことより、周りの変化が大きかったです。とくに、出向先クライアントの方針ですね。これまで出向先の意向や環境が理由となってテレワークが難しかったクライアントも、今回は対応せざるをえない状況でした。

 

ダンクソフトは、2008年からテレワークを導入しています。震災後の2011年には、徳島にサテライト・オフィスを開設。リモートで働くことが普通な環境が、比較的、早くからありました。コロナ禍では、2020年3月25日の都知事による自粛宣言の翌日から、出向スタッフを含め、全員が在宅テレワークを始めました。そのまま1年以上が経過し、今も徹底したテレワークで円滑に仕事を続けています。

 

坂主 ほとんどのビジネス・パーソンが、一度はリモート・ワークを実際に体験した。このことの意味は大きいですね。

 

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星野 そうですね。アタマで知っているのと、実際に「やったことがある」のとでは、次元が違いますから。コロナ禍で、まったくのアナログ運営をしていたフラメンコ・スクールがデジタル化に挑戦して、リコーさんの360度カメラ「THETA(シータ)」を取り入れた実験なども行いましたね。そういう意味でも、先程おっしゃった「時代が追いついてきた」という印象は、私もまったく同じ感覚を、周りから受けています。まさに「ジャンプ」ですね。たった1年でこれだけ変わるんだと感慨深いです。

▎「真のデジタル化」へ──リコージャパン「Empowering Digital Workplaces」の挑戦

 

坂主 しかし、ビジネスの現場では、仕事のワークフローがリモート・ワークに対応してないケースが少なくありません。発注書がオフィスにFAXで届く、書類にハンコが必要、などです。デジタル・サービスを使うために紙や人の介在が、どうしてもまだあるのです。

 

リコージャパンはドキュメントに関わってきた会社です。もともとの出発点もそこにありました。しかし、もうデジタルの時代です。リモート・ワークの障害となるドキュメントの課題を改善し、本当の意味でのデジタル化を推進していきたいと考えています。

 

そこで、リコージャパンでは、複合機などのハードウェアとクラウドをつなげ、そこにAIを導入。「人にやさしいデジタルを全国の仕事場に」と掲げて、「Empowering Digital Workplaces」の展開を進めています。( 参考情報:リコージャパンのサステナビリティ トップ・メッセージ

 

ここでいうデジタル化は、情報がパソコンで表示できる状態を意味しているのではありません。FAXで届いた書類の数値や文字が、または録音データが自動的に認識され、コンピュータで処理できるようになっていることを「デジタル化」と呼んでいます。

 

FAXで届いた注文書を手入力するとか、音源をテープ起こしするといった、人に負荷のかかる単純作業は、機械にやってもらいます。知的労働のなかでも「力仕事」にあたるものです。それによって、人にしかできない、より創造的な仕事に集中できる環境をつくります。

  

▎ユーザーを交えた対話の場をつくる

 

星野 30年前から比べると、OCR(紙面に書かれた文字を認識する技術)の認識率は大きく高まりました。さらに、AIと出会ったことで、一気に化けましたね。オリンピック・パラリンピックの影響もあり、翻訳も飛躍的に進みました。

 

リコージャパンさんはこうした最新技術を使って新しいサービスを展開されているわけですが、そのプラットフォーム上で、パートナー企業とともにコミュニティをつくろうとされていますね。

 

私は、ここにとても期待しています。また、そのコミュニティに製品を実際に利用しているユーザーも入ると、さらに加速するのではないでしょうか。

 

坂主 なるほど、ユーザーも。たしかに、それはいいですね。いいヒントをいただきました。

 

星野 さらにいえば、ノンユーザー(nonuser)も入るとなおよいですね。多様性の中のチームができて、活発な対話の場を生み出すことが大切だと思います。

  

▎ダンクソフトの「SmartOffice構想」が描く未来

 

星野 ダンクソフトでは、「インターネットに“あらゆるもの”をのせていく」を合言葉に、「SmartOffice構想」を推進しています。「SmartOffice構想」は、場所を選ばずに、一人ひとりが、よりクリエイティビティを発揮できる働き方の未来です。

 

そこでは、いろんな人やグループが柔軟なつながりを持つ。対話し、連携し、協働して、社会課題の解決や新たな価値創造があちこちで生まれる。「SmartOffice構想」は、このような連携・協働が多方向で広がっていく未来をめざしています。

 

▎エンプロイー・ハピネスのために

 

星野 デジタル社会で大事なのは、やはり「人」ですね。とくに次の2つがこれからのキイワードだと考えています。ひとつは「ポリバレント」。一人ひとりが多様な役割を持ちあわせ、柔軟に動ける人のことです。もうひとつは「インターミディエイター」です。「あいだ」を結び、地域やビジネスを活性化し、それまでにない価値を生みだす役割です。

 

坂主 私はかねがね「エンプロイー・サティスファクション(働く人の満足度)」でなく「エンプロイー・ハピネス(働く人の幸福度)」でなければならないと考えてきました。一緒に働く時間が、その人の人生にとって幸せなものであってほしい。満足でなくハッピーでなければと。そのように考えています。

  

星野 ダンクソフトも、『「 Digital Re-Creation 」で人々を幸せに!』を、掲げています。重なりますね。

 

また、「楽」を大事にしています。仕事を楽に楽しくし、効率化して捻出した時間で一人ひとりが充実した人生を楽しむことを大切にしています。そうでないと、クリエイティブな発想も生まれにくいでしょう。遊び心や面白い発想が新たな価値創造に欠かせないのは言うまでもありませんしね。

 

▎最後に残る「人にしかできない仕事」とは?

 

坂主 リコーは2036年に創業100年を迎えます。その時どんな会社になっていたいかというと、働くことに喜びを感じる。人間が人間らしい仕事をして喜びを感じる。そんな環境づくりのお手伝いをできる会社になっていたいと考えています。

 

ただ、言葉ではそう言えるのですが、じゃあ実際に「人にしかできない仕事」「人間らしい仕事」って何? となると、どういう仕事なのでしょうね。自動化が進むと、労働の対価にお金をもらうという働き方がなくなってしまうかもしれません。そのとき、人間は何ができるのか。「人間ができること」が問い直されているのではないでしょうか。

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星野 効率化や生産性向上の先に、どんな未来を見たいのか、ですね。

 

坂主 人間にしかできない仕事。その多くは社会課題と直結しているでしょう。私たちリコージャパンは、本業でもって社会課題の解決をしていきたい。社会課題の解決とは、つまり、その先にある新たな価値創造も意味します。社会課題の解決と価値創造はもともと同軸だと考えていますので。

 

星野 ダンクソフトは、デジタルで効率化の先にある未来を応援し、人と場をリ・クリエーション(再創造)したいと考えています。人にしかできない仕事は、「リ・クリエーション」。いかにクリエイティビティを高めるかにかかっているのではないでしょうか。

 

▎ 「参加とつながり」から生まれる次のビジネス

 

坂主 ところで、星野さん、ワーケーションをどう見ていますか?

 

星野 大きな可能性があると思いますよ。技術的には、すでにできて当たり前です。私自身も、そう呼ばれはじめる以前から、国内だけでなく、ブラジルでのワールドカップや、ウィンブルドンで観戦をしながら海外でもワーケーションしてきています。ただ、単に「休暇を楽しみ、仕事もする」という使い方ではもったいないと思います。そうではなく、行った先で、地域や人につながらないと意味がありません。地元の人と出会ったり、社会課題の解決や新たな価値創造につながる活動に参加したりしてこそ、ワーケーションの可能性も生かせるというものです。

 

坂主 まさにそうですね。「つなぐ」ことは大事です。つなぐだけで変わるものもある。最近、自治体等からワーケーションのニーズを聞くことが増えました。しかし、課題を感じてもいました。単なる休暇ではもったいない。そこですね。その地域の課題解決につながっていてこそ、価値がありますね。

 

星野 ワーケーションは、IターンやBCPのトライアルとしても有効でしょうね。都市と地域を結ぶという意味でも、人と人、人と地域を結ぶという意味でも。また、事業継承の可能性も広がります。一次産業の飛躍も後押しできるでしょう。

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坂主 最終的に、人が何に幸福や喜びを感じるかといえば、やはり「人と人のつながり」だと思います。チームの連帯を感じたときの喜びはかえがたいものです。そういう意味では、人と人のつながりをつくることが、喜びにも、新しいビジネスにもなっていくと言えるでしょう。

 

星野 そうですね、インターミディエイターの考え方が、まさにそのものでしょう。分断されているところに結び目を作っていく役割です。あいだを丁寧に結ぶ存在がなければ、都市と地方のように本来異質なものが再結合されることは難しい。新しいタイプの媒介者がいなければ新結合はありえず、企業にも地域にも社会にも、イノベーションは起こらないままです。特にポスト・コロナ社会、デジタル社会といった多様性が重視される社会では重要になりますね。

  

▎「自然・機械・人間の協働」で、新たな価値創造へ

 

坂主 デジタル化を活用した農業や一次産業の新たな価値創造は、我々も大いに注目しているところです。ユーザーとダイレクトにつながって、一緒に価値創造ができる時代になりました。

 

星野 坂主さんも話されていたとおり、5G網の拡充により、今後、自然の中へも、インターネットが急速に拡張していきます。私は少し前から「自然と機械と人間の協働」に注目しているのですが、これがますます重要になっていくのは間違いありません。

 

それをビジネスにしていく上で求められるのが、感性でしょう。豊かな感受性。クリエイティビティです。あまり言われませんが、クリエイティビティがもっとも求められるのは経営者でしょうね。新しいものをつくっていくしかありませんし。

 

坂主 「つくっていく」ってわくわくしますね。フリー・ハンドで生み出し、つくりこんでいく。楽しいですよね、やっぱり。

 

星野 そのためには時間と刺激が必要ですね。経営者こそワーケーションをするといいかもしれません。

 

坂主 ははは、たしかに。私もワーケーションしようかな(笑)。

 

星野 いいですね(笑)。リコージャパンさんの若手スタッフの皆さんとお話したときに、これは未来への可能性だと感じました。ぜひ彼らともワーケーションをご一緒に!本日はありがとうございました。

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理想的で機能するテレワーク環境づくり:発想転換のポイント


▎河野大臣に脱FAXを直接提言 

 

河野太郎 行政改革担当大臣と、ダンクソフト代表 星野晃一郎

河野太郎 行政改革担当大臣と、ダンクソフト代表 星野晃一郎

「霞が関でFAX廃止へ。テレワークの阻害要因。」──河野太郎 行政改革担当大臣が「脱FAX」の方針を表明したことが報じられました。4月13日の記者会見でのことです。

 

実は、これに先立つ3月9日、私から河野大臣に質問をする機会がありました。「そろそろFAXやめませんか?」と、ずばり申し上げたのでした。

一般社団法人東京ニュービジネス協議会(NBC)のオンライン・イベントに、河野大臣をゲストとしてお呼びしていたのです。その中で私は、Internet Society研究部会長として質問を担当しました。河野大臣は、2015年にもダンクソフトの神山オフィスに視察に来られたことがあり、私はその折にもお話ししていたので、6年ぶりにお会いしたことになります。 

 

3月のイベントは、「ビジネス・シーンでのFAXは廃止できるのか?」を検証する連続企画の第1回でした。主な話題は、日本企業の「脱FAX」が進まない現状。それがいかにビジネスやテレワークの阻害要因になっているか。また海外では、FAXはすでに過去のもので博物館レベルだという状況と、いまだに日本では現役で日常的に使われているガラパゴス現象。これに海外の人がいかに驚くか、などでした。 

 

私が「脱FAX」を河野大臣へ直接提言した約1ヶ月後、河野大臣による記者会見での発言を聞きました。FAXを廃止し、テレワークしやすい状況をつくるために、いよいよ霞が関が動き出したと、感慨深く受け止めました。 

 

▎スタッフを在宅にするだけで、他は変えない「形だけのテレワーク」になっていないか? 

 

コロナ禍が続くなか、この1年、テレワークの推進が叫ばれてきました。4月27日には、NTTが従業員の出社比率を3割から2割に下げるなど、企業の在宅勤務が拡大していると、日経新聞が報じています。

 

ですが、「形だけのテレワーク」になっていないでしょうか? オフィスに、まだFAXが置いてある企業も多いでしょう。在宅勤務のために書類やデータを手で持ち帰って仕事をしているようでは、アナログ時代の“持ち帰り仕事”とまったく変わりません。人を在宅にするだけでなく、オフィスやデータの在り方をしっかり見直さないと、残念ながら「形だけのテレワーク」になります。

▎継続的なテレワークができる理想的なビジネス環境をつくる 

 

徳島市、高知市、阿南市、藤沢市からオンラインで集うスタッフた ち。各自の働く場所が「スマートオフィス」になっている

徳島市、高知市、阿南市、藤沢市からオンラインで集うスタッフた ち。各自の働く場所が「スマートオフィス」になっている

スマートオフィス時代のテレワークでは、仕事に必要な情報は、インターネット上にあります。オフィスのキャビネットに保管しているわけではありません。出社してであれ、在宅であれ、同じように必要な情報にアクセスできる環境が整えば、理想的なテレワーク環境に近づきます。つまり、。これが、「テレワーク」のメリットを最大限に享受できるビジネス環境といえます。

 

ただ、日本企業の現状は、情報のデジタル化も、テレワーク環境も、まだまだ未整備と言わざるをえません。とにかく人を在宅にさせただけのテレワークに留まっていませんか。テレワークは、もっと便利で、快適で、大きな可能性を秘めています。

 

河野大臣の発言を聞くと、国はオフィスの「脱アナログ」に踏み切ろうとしているようです。昨年の「脱ハンコ」に続く、今回の「脱FAX」。ビジネスにおける脱アナログのスピードは加速度的に上がり、今後はさらにあっという間に進みます。「そうは言っても、現場ではFAXがまだまだ現役。廃止は難しいだろう」と、旧態依然の現状にあぐらをかいていると、気づけば自社だけが時代に取り残されていた、ということになりかねません。時代と対話しましょう。オフィスの「脱アナログ」化に向けて、今すぐ動きたいものです。

▎ダンクソフトが手放した&ほぼ使わない9つのもの 

 

では、脱アナログ化されたスマートオフィスとは、具体的にはどんなオフィスなのでしょうか。スマートオフィスでの働き方は、どのようなものになるのでしょうか。3月に移転したダンクソフトの新・神田オフィスをモデルケースとしてご紹介します。違いがよくわかるのが、「スマートオフィス構想」の実現を提唱するダンクソフトが「手放したもの」と、それぞれの廃止年です。

 

【ないもの:手放した時期】

・モノクロ・カラー複合コピー機: 1990年代後半

・個人デスクの袖机(引き出し): 2007年

・ファクシミリ(FAX): 2010年

・プリンター: 2021年

 

【ほぼない/使わないもの】

・書類キャビネット: 2021年4月現在、ハンギング・フォルダーで契約書200-300枚のみストック

・電話: 2021年(電話機は所有しているが、回線につながずしまってある)

・名刺: 2020年。ダンクソフト「バザール・バザール」上で電子名刺が持てるように。

・文房具: 個人では持たない。1 箇所にまとめ、全員で共有。

・印鑑: 契約・申請等のため、一応ある程度

 

いまやオフィスに保管してある文書はハンギング・フォルダー2つ だけ。

いまやオフィスに保管してある文書はハンギング・フォルダー2つ だけ。

1990年代から、紙を減らし、アナログ情報をデジタル化していくことには取り組んでいました。個人デスクの袖机をなくしたのも、オフィスの紙を減らす取り組みの具体策です。これはスタッフからの発案でした。しまう場所があるから、ついしまってしまう。ならば、収納場所を最低限に減らしてしまえばよい、という逆転の発想です。これが大成功で、オフィスのペーパーレスが加速。現在は、書類保管場所は、ハンギング・フォルダー2つ分のみになりました。

 

オフィス移転のたびに、いわばスリム化と、さらなるデジタル化を重ねてきたわけですが、今年3月のオフィス移転では、とうとうプリンターを手放しました。もしどうしても必要があれば、コンビニ出力で対応します。逆に言えば、それでまかなえるくらい、諸々の申請を含め、もうビジネスに紙はほとんど不要になってきているのです。 

 

プリンターを置かないオフィスのため、プライバシーマーク申請書類をコンビニエンスストアで PDF 印刷。「紙を要求しない世の中になればいいだけなのです が」(星野談)

プリンターを置かないオフィスのため、プライバシーマーク申請書類をコンビニエンスストアで PDF 印刷。「紙を要求しない世の中になればいいだけなのです が」(星野談)

ちなみに、3月の移転後初の大量印刷案件は、4月19日、約60枚にのぼるプライバシーマーク更新のための提出書類でした。ダンクソフトにとって、約60枚は“大量”です。インターネット時代に不可欠な制度がいまだに電子化されていないというのも皮肉なものですが、これに限らず、早く紙を要求しない世の中になってほしいものです。  

▎「データの持ち方」がカギを握る 

 

次は、いろいろ断捨離をしてきたダンクソフトにも、まだ「あるもの」という視点から、スマートオフィスのあり方を考えてみましょう。デジタル化、スマートオフィス化のために、新たに必要になるものもあります。

 

【あるもの】

・スキャナー

・カメラ、スピーカー

・ダブルモニター

・クラウド・サービス

 

スキャナーは情報を電子化するため。カメラとスピーカーは、オンライン通話やウェブ会議等、離れた場所にいる人たちと自在にコミュニケーションするため。ダブルモニターは、作業時にモニターを 2 枚使うことを言います。1 枚は参照画面と、1 枚は作業画面。大画面なら、1 画面を左右で使い分けることもできます。

 

ここまでが、仕事を効率化して余暇時間を生み出すためのツールです。加えて、より重要な、情報インフラとも言えるのが、最後に挙げたクラウド・サービスです。ダンクソフトで導入・活用しているのは、「未来かんり」、「日報かんり」。これらは自社製品です。そして、Microsoft 「Teams」、「Office 365」、「kintone」、「Backlog」(プロジェクト管理)、デザイナー用のアドビ等。これらは、場所を選ばずどこでもクリエイティブに働けるためのツール群です。

 

在宅勤務も、遠隔拠点でも、まったくストレスなく、どこにいても同じように働けるように、オフィスの在り方やデータの持ち方を再点検して、発想転換してみましょう。そうすることで、スタッフ同士のみならず、多様な社外メンバーとの協働プロジェクトが進むようになるでしょう。20年にわたってインターネット時代のオフィス環境を追求してきたダンクソフトのメソッドをすべて共有し、皆さんと一緒に「スマートオフィス構想」を加速させていきたいと考えています。あらゆる情報をインターネットにのせ、データの持ち方やあり方を進化させれば、スマートオフィス化に大きく前進できます。

「イノベーションの場」として2021年3月に生まれ変わったのダンクソフトの神田オフィス

「イノベーションの場」として2021年3月に生まれ変わったのダンクソフトの神田オフィス

 

自然×人×デジタルが協働する未来へ

自然×人×デジタルが協働する未来へ

▎時代がダンクソフトに急接近してきた

  ダンクソフトでは、3月からオフィス内に「ダイアログ・スペース」を新設しました。ここをデジタル拠点として、去る3月7日~14日に、8日間にわたるオンライン・イベント「森林と市民を結ぶ全国の集い」が開催されました。東日本大震災から10年、コロナ禍のいま、森林と市民を結ぶあらたなかたちを模索しようと、企画されたものでした。

 振りかえれば、震災当時のダンクソフトは創業28年を迎えたころで、テレワークを実装する「これからの働き方」を実証実験しているところでした。

 はじまりは2008年、当時、私たちは伊豆高原でサテライト・オフィスの実験を試みました。豊かな大自然のなかで、環境についても学びながら、首都圏の仕事をテレワークで行うことができるリモートワーク拠点をつくろうとしたのです。今でいうワーケーション、避暑地などで休暇をとりながら働くスタイルです。ただ、当時の伊豆高原はまだ通信環境が脆弱で、実用レベルには達しませんでした。その後2010年に、育休明けスタッフが社内第1号のテレワーカーとして自宅から仕事をはじめ、これがテレワークの先鞭となりました。

 ▶テレワーク ──2008年から始まった取り組み
  
https://www.dunksoft.com/message/2019/8/1/-2008

 震災があったのは、その1年後です。首都圏への一極集中によるリスクを痛感しました。震災後、BCP(事業継続計画)の観点からも代替地を求め、ダンクソフトは徳島県神山町に本格的なサテライト・オフィスを設けます。伊豆高原では得られなかった、地元とダンクソフトを結ぶインターミディエイターの存在にも、大いに助けられました。

 このとき、川の中でパソコンを使って仕事をしている映像がNHKの「ニュースウオッチ9(ナイン)」で紹介されました。これが大きな話題となりました。

川の中でパソコンを使って仕事をしている様子は、当時社会に驚きとなった

川の中でパソコンを使って仕事をしている様子は、当時社会に驚きとなった

 インターネット環境さえ充分整っていれば、森や川や海辺といった大自然のなかで、都会とも世界とも直結したビジネスができる。いま私たちが「スマートオフィス構想」のなかで提案している「インターネットにあらゆるものをのせていく」という未来の働き方は、その頃すでに始まっていました。

 以来10年、デジタル・テクノロジーはめざましい進展を遂げました。ポスト・コロナ時代の今、この10年でダンクソフトが一歩一歩進めてきたことが、一挙に時代の潮流になってきました。時代がダンクソフトに急接近してきた。そのように感じています。

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5Gが切り拓く新たなインターネット社会 

 劇的な展開を呼びこんだのは、通信環境の驚異的な進化、やはり何と言っても、これが大きいです。ダイヤルアップからADSLを経て光ファイバーの時代になり、最大通信速度は、1980年からの30年で約10万倍になったと言われます。 

 そしてここにきて到来したのが、「5Gの時代」です。第5世代移動通信システム(5G)の通信速度は、現在使われている第4世代(4G)の実に100倍以上も高速です。この5G通信網で、離島や山間部をふくむ日本全域を覆う計画があります。総務省では大型予算を組んで、5Gインフラ整備を急ピッチで進めています。

 5G構想のすごいところは、これまで取り残されがちだった離島・半島・山間部・僻地・地方こそ網羅し、文字通り日本中をカバーしようとしている点です。今後は、人間が住んでいない地域にも、インターネットが行き渡ります。人間・自然・機械(デジタル)が協働する時代が、情報インフラの面で、いよいよ本格始動するのです。 

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人間・自然・機械が協働する「未来」はすでに到来している

  人間・自然・機械(デジタル)が協働する未来は、じつはすでに始まっています。それを、ダイアログ・スペースをデジタル拠点として行った「森林と市民を結ぶ全国の集い」でも、実感しました。

 スマートオフィス構想を実践する新拠点
  https://www.dunksoft.com/message/2021-03

 ▶第25回 森林と市民を結ぶ全国の集い2021
  https://www.moridukuri.jp/forumnews/tsudoi2021.html 

  NPO法人「森づくりフォーラム」が長年、年に 1 度開催してきた集いです。が、2020年はコロナ禍で開催できず、今年はオンライン開催となったため、ダンクソフトとして初めて実行委員として参加しました。

  今年は震災から10年目にあたります。コロナ禍ということで、宮城、福島、岩手の東北3拠点のほか、東京・栃木・群馬などの各拠点をオンラインでつなぎました。スピーカーも全国各地、そしてドイツからもメンバーが集いました。海外もふくめて、のべ800人が参加する大きなイベントとなりました。

リコーの360度カメラTHETA(シータ)を使った自然体験デモ(サシバの里自然学校 遠藤 隼 氏)

  今回、25年にわたる開催史のなかで、初めてのオンライン開催となりました。くわえて、デジタルの可能性が分科会のテーマとして初めて着目されたことは、ひとつのニュースでした。このエポック・メイキングな場に、デジタルとオンラインの担い手として、ダンクソフトが協働力を発揮できたことを嬉しく思います。

 実際に開催してみて、神田オフィス内に新設したダイアログ・スペースの価値を、皆さんに体感していただくことができました。通信が安定していること、音が良いこと。オンライン・オフラインを超えた場づくりに必要なデジタル環境が整っていること。だからこそ、対話に注力でき、コミュニケーションがより活性化するのです。

 遠隔拠点の機材アドバイスや良質なスピーカーの貸し出しも行いました。複数拠点を網の目状につなぎつつ、安定したコミュニケーション・ネットワークの実現によって、ストレスなく、各メンバーがすぐそばに集っているかのように、参加いただけたようです。

ダンクソフトのオフィス内にある「ダイアログ・スペース」がデジタル拠点となって、オンライン・オフラインを問わず、参加者間での対話が深まるイベントとなった

ダンクソフトのオフィス内にある「ダイアログ・スペース」がデジタル拠点となって、オンライン・オフラインを問わず、参加者間での対話が深まるイベントとなった

▎「協働」と「コ・ラーニング」がこれからの価値観 

 自然 × デジタルの可能性についても、大きな手応えがありました。森づくりの担い手や後継者の人材不足、高齢化、専門性の高さ、都会との距離、ビジネスの創出といったトピックが話し合われました。これらの課題に対して、デジタルを取り入れるからこそ解決できることがたくさんあります。 

 たとえば、ドローンで森を俯瞰する、集まったデータで森を見える化する、荒れた森林をロボットで維持・管理する、熱センサーで木の健康状態を判断する……などなど、環境保全としても、ビジネスとしても、実にこれからの可能性にあふれています。自然との貴重な個別体験があって、それを互いから学び合えるような、これからにふさわしい学びの場の提供も可能です。深い森、遠い森に行かなくても、あるいは行けない方でも、オンライン配信による新たな学習機会を創出できます。自然との関りを、より多くの人々に広げることになります。

 じつは、2017年に徳島県神山町で開かれた世界構想プログラム「物語の結び目会議」で、ダンクソフトの未来構想を描きました。その時にダンクソフトの竹内が描いた未来像が、まさにこうしたデジタルで森とともに生きる・暮らすというものでした。当時はまだ技術が追いついていませんでしたが、5G通信網で日本全国が覆われようとしている今、これはもう、間もなく到来する現実だと言えるでしょう。

 ポスト・コロナ社会の新しい価値観のもと、競争ではなく「協働」の概念が、今後ますます大事になります。本社という一か所に人間を集約するのではなく、人や拠点が多中心に、分散型で、地域を超えて、網の目状につながる。人と人はもちろん、人と自然、人と技術、自然と技術もまた協働の場を必要としています。

 ダンクソフトはその実践者であり、モデルケースでもあります。私たちがデジタルに長けたインターミディエイターとして、人と技術、人と自然、技術と自然のあいだを丁寧に媒介していって、さまざまな協働作業をうながす役割は大きいと考えています。

 異なる価値観どうしが出遭ったり、会話・対話が生まれやすい場をホストできたり、新しいエクスペリエンスの提供・向上に寄与できたり、共に学び合うコ・ラーニング(Co-learning/共同学習)の環境が生まれる一助になっていれば、とても嬉しいことです。

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一極集中を超えていく

2021年4月1日より、徳島オフィスに、地元・阿南工業高等専門学校の卒業生・山本さん(左前)が、新卒社員として入社しました。デジタルを活かせば、地元の地域社会に残りたい若い世代が、地元でやりたい仕事につくことができます。

2021年4月1日より、徳島オフィスに、地元・阿南工業高等専門学校の卒業生・山本さん(左前)が、新卒社員として入社しました。

デジタルを活かせば、地元の地域社会に残りたい若い世代が、地元でやりたい仕事につくことができます。

 この10年、デジタル・テクノロジーはめざましい進展を遂げてきました。これからは、もっとデジタルを活かすことで、都市部への一極集中から、各地に分散的に広がていく時代です。

いつも話していますが、昨今、生まれ育った地域に残りたい若者たちが増えています。すでに授業はオンラインで受けられるようになりました。仕事も同じです。テレワークなら、どこにいても都会の仕事ができます。場所に縛られず働くことができるので、住みたい場所に住み、地元の地域社会に残ることができます。

 これは高齢化問題の解消にもつながっています。地域に若い世代が残ることで、高齢者と若い人たちが地域で協働することができます。森づくりの場合も、環境保全に関わる人を増やせるし、若い参加者が森に入って行って、それを高齢の匠たちが遠隔でアドバイスするということもできるようになります。高齢化をネガティブにばかりとらえるのではなく、可能性に着目すれば、新たなビジネスの仕方も、社会的関わりも生まれていくでしょう。

 このように、日本各地に分散拠点、すなわち「スマートオフィス」が増え、お互いに連携し、社会的協働の機会が増えていくほど、日本は地域からそうとうに変わっていきます。技術力と協働力をいかして、日本は世界に先駆けて新しい姿をみせるときです。より明るい未来に向けて、日本が世界を変えていく。これが、「スマートオフィス構想」を通じて実現できる未来像です。

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 ▶ご参考:総務省 令和3年 予算
 テレワークや遠隔教育、遠隔医療を支える情報通信基盤の整備: 219.5億円
 Beyond5Gや5Gの高度化等の実現のカギを握る先端技術の研究開発:507.6億円
 詳細はこちら 
https://www.soumu.go.jp/main_content/000742163.pdf 

スマートオフィス構想を実践する新拠点

▎オフィスの再定義が必要だ 

 

ポスト・コロナ社会において、オフィスの役割は大きく変化します。ここ1年で、オフィスを手放す選択をとった企業も多いようですが、ダンクソフトは違います。 

オフィスを残し、この場を、単なる「業務遂行の場」ではなく、「イノベーションの場」として再定義しました。 

 

この新・神田オフィスですが、3月1日に、フロア移転しました。同じビルの10階(最上階)にあります。7階にいたときより、ずっと見晴らしがよくなり、全面の窓から神田の街なみが一望できます。 

「イノベーションの場」として生まれ変わったダンクソフトのオフィス

「イノベーションの場」として生まれ変わったダンクソフトのオフィス

 しかし、こうしたロケーション以上に、このオフィスの特徴は、「インターネットにあらゆるものをのせていく」ことにあります。後で述べるように、ここは本当にモノが少ないオフィスです。つまりここは「スマートオフィス構想」のショーケースであり、同時に、この構想をさらに加速し、全国各地に展開していく場として位置づけています。 

ダイアログ・スペース

ダイアログ・スペース

オンラインとオフラインをあわせた、良質なハイブリッド型イベントやダイアログが行える空間を、オフィス内に新設しました。テレワーク、クラウド、ウェブ、デジタル・コミュニケーションの組み合わせで、スタッフと、お客様と、地域と、世界と、より連携を拡げ、もっと協働していくために、世の中に先駆けた、新たな試みをしていきたいと思っています。 

 

もう一点。「イノベーションの場」としての新・神田オフィスは、2つの方向での役割を持っています。 

ひとつは、テレワークが加速するなかでも、スタッフが安心・安全に集うことのできる、働きやすい「みんなのオフィス」であること。 

カフェ・スペース

カフェ・スペース

もうひとつは、人とビジネスと地域をつなぐ役割です。ここは、当社のスタッフ以外の人たちも参加しながら、ネット上であれ近隣社会であれ、コミュニティを活性化していく重要な結節点でもあるのです。 

▎議論ではなく、対話を重視。そのための音響と通信環境 

 

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重要なのは、質の高い、より豊かな「対話」を生みだすことのできるオフィスかどうかです。議論ではありません。それでは勝ち負けを意識したやりとりになってしまいます。そうではなく、多様な人々が集い、関わり、対話を重ねることで、次に向けた新しいアイディアやプロジェクトを生みだす時です。インターネットで日本各地とも世界各地ともつながり、そのたびに新しいビジネスが広がっていきます。 

 

今回、そのために必要な設備を、無駄なくしっかり備えました。音響と通信環境、つまり「音場」によって、オンラインとオフライン両方からの参加者同士で対話をする際のクオリティに違いがでます。 

 

貸出可能な、高品質の会議用マイク 

貸出可能な、高品質の会議用マイク 

そこで、高品質のマイクと厳選したスピーカーを導入し、超高速インターネットを引いています。オンライン上の個別対話やグループ対話で、もっとも大きなストレスになるのが、じつは音響・音声の悪さです。声が途切れたり、ニュアンスが聞き取りにくかったりすると、対話の質やリズムに影響します。みなさん映像を過度に気にしがちですが、大切なのは音響や音声といった「音場」のほうなのです。これらの音響セットは2セット用意しており、貸し出しも可能です。 

 

また、4K時代をふまえ、4K対応パネルも約10台。カメラは、4K相当が出る秀逸なウェブカメラを採用しました。通信回線は、セキュリティ面を考え、2つの回線を引き、分けて使っています。ひとつは、クライアント業務専用の回線で、もうひとつは、外部からダイアログに参加する方々に使っていただけるものになります。 

 

オープンで、フレキシブル。それでいながらハイリー・セキュアード(highly secured)な、守るところは守るオフィスです。  

▎Digital、Diversity、Dialogueの相乗で、新たな価値を創造する 

 

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こうした優れたデジタル環境に包まれた、新設の「ダイアログ・スペース」で、さまざまな活動を進めていく予定です。たとえば、オンライン・イベントの主催や、コミュニティ・ラジオのスタジオにもなりますし、もちろん、日々の会議やビジネス・カンファレンス、シンポジウムなども、ストレスなくできる環境が整っています。 

 

貸出可能なスピーカー、M’s system

貸出可能なスピーカー、M’s system

今回、特徴的なスピーカーを採用しました。演奏家や作曲家も好んで使っていて、ラグジュアリー・ホテルなどでも多く取り入れられているものです。音質がナチュラルで、リアリティ溢れるサウンドが特徴です。 

 

深みがあって、柔らかく豊かな音色が空間に広がり、からだ全体を包み込みます。音楽を聴くと、とてもリアルなライブ感があります。オンライン会議の音も、このスピーカーを通すと、気持ち良く響いて、長時間聞いていても疲れないんです。 

 

昨年、約10時間のオンライン・フォーラムを、このスピーカーで実施してみました。オンライン参加した方から、長時間で疲れるのではないかと心配したが、自然な音で聞きやすく、他の参加者が近くにいるように感じて、ストレスなく過ごせたと好評価をもらいました。 

 

新オフィスは天井が高いので、音が広がって圧巻です。いい音が、オンラインからの参加者にも響きます。参加する場所を問わず、隣にいるようなライブ感で対話ができる音場になっています。 

▎「スマートオフィス構想」のモデルとしての新拠点 

 

ダンクソフト代表 星野のデジタル名刺

ダンクソフト代表 星野のデジタル名刺

今回のフロア移転では、オフィスのペーパレス化もさらに徹底し、モノを減らしました。今回、ついにプリンター(複合機)をなくしたのです。もともと、FAX、電話、書類保管庫、袖机等は、ダンクソフトのオフィス内にはありません。以前から、文房具も個々で持つのをやめ、オフィス全体で共有できるコーナーをつくってセンタリングしました。モノが減るほど、オフィスの引っ越しも身軽になります。印鑑、名刺も早くなくしたいところです。ちなみに、私はもう紙の名刺を持つことは辞めました。直接会えなくても誰もがアクセスできるよう、デジタル名刺にしています。 

 

スマートオフィスの醍醐味は、「インターネットにあらゆるものをのせている」状態であることです。情報は紙ベースではなく、インターネット上にありますから、どこにいても同じ環境でアクセスできます。ですから仕事も、work from home (WFH)に限らず、どこにいてもできるわけです。 

 

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そうなると、オフィスに出社することの意味が変わります。今までは、作業・業務を遂行するために通勤していました。しかしこれからは、積極的なコミュニケーションや対話のために、出社することになるでしょう。そこから生まれる気づきや発見が、つまり新鮮な認識の変化が、スタッフ一人ひとりのクリエイティビティを刺激します。新・神田オフィスは、安全に配慮しつつ、人が気持ちよく滞在できる環境です。社内メンバーは必要に応じて出社し、ダンクソフトが社内外のメンバーと日々創りだしている新しいビジネス・シーンに触れることもできます。 

 

こうしたデジタル・メディアに支えられた対話の場を、どう有効に活用していくか。カギは「多様性の中の対話」です。この可能性を、みなさんともっともっと広げていきたいと思っています。お客様たち、その先のお客様たち、社内メンバーたち、地域の方々、遠く離れていても同じ未来を見ている方々など、さまざまなみなさんと一緒に、クリエイティブな未来を、ここから切りひらいていきたいと考えています。 

 

 


★ダンクソフト 「ダイアログ・スペース」 仕様・設備 

【通信環境】 

・NURO光 約 1 Gbpsの超高速 

・Bフレッツ セキュリティ重視(600-700Mbps) 

・有線で屋上まで敷衍可 

【音響・音声】 

・高品質 会議用マイク 5台 :貸出可能 

・スピーカー(M’s system) :貸出可能 

【モニター】 

・55インチ 4K 有機LED大モニター 

・30インチ弱 高解像度 PCモニター 12台 

【カメラ】 

・ウェブカメラ(4K相当)Microsoftライフカム 3台

 

●ダイアログ・スペースのご利用・同環境の導入支援について、いつでもご相談ください。 

ポスト・コロナ社会で“次を創るテレワーク”を

▎テレワークを、次を創るために活かすには

 

今月は改めて「テレワーク」についてお話しします。

これからの社会インフラは「インターネット」です。年頭所感でもそこを強調しました。ビジネスも、働き方も、暮らし方も、根本的に変わりました。

インターネットに“あらゆるもの”をのせていく」流れは、ますます加速していきます。再度、緊急事態が宣言され、再びテレワークが注目されています。ですが、非常時だけでなく、今後はつねに、テレワークを前提とした、よりクリエイティブな働き方がデフォルトになっていきます。

今月はテレワークの課題をまとめました。この1年、ダンクソフトで実践して見えてきた実際の話です。テレワークの効果や見落とされがちなこと、そして、ダンクソフトならではの“次を創る”ためのテレワーク導入支援について。

 テレワークのさらなる活用のために、このコラムを参考にしていただければと思います。 

▎ポスト・コロナ社会をみすえた環境整備

 

2020年3月25日、東京都知事が自粛宣言を出しました。その日のうちに、ダンクソフトでは、全社テレワーク化を即断します。翌日から、出向スタッフも出向先に行くことなく、全員が在宅でのテレワークに切り替えました。それから約1年。この期間の本社オフィスへの出社人数は、のべ10人未満です。それくらい徹底してテレワークで円滑に仕事を続けています。

●参考情報:

2020年8月に一度、その時点でのリアルタイム情報をお届けしました。

 https://www.dunksoft.com/message/2020-08

 

その後、ポスト・コロナ社会をみすえて、さらに環境整備を続けています。たとえば、テレワーク環境向上のため、スタッフが日々使用する一部のPCを刷新し、ストレスなく在宅ワークできるように整備しました。また、神田オフィスを、ポスト・コロナ時代の「イノベーション装置」として再定義し、オフィスの一部をリデザインしています。さらに、次の需要創造に向けて、新スタッフの募集もはじめています。

▎改めて、テレワークの効能

ダンクソフトはもともと2008年からテレワークを推進してはいました。それを、昨年は約半数のスタッフがオフィスに出社して仕事をしている状態から、全社完全テレワーク化しました。

スタッフは、この1年、通勤による時間的・精神的・体力的消耗から解放されています。子育て中の方は特に、家族のそばにいられる安心感が得られるようです。生まれた余裕は、それぞれスキルアップや家族との時間にあてることができています。この結果、実際、徹底して全社的なテレワークを実践してみると、チームの集中力、生産性はやはり上がっています。

また、クライアントへの波及効果も大きなものでした。ダンクソフトが「テレワーク先駆企業」(中央区ワーク・ライフ・バランス推進企業(2009年)、テレワーク推進賞 優秀賞(2014年)、テレワーク先駆者百選(2016年)、テレワーク推進企業等厚生労働大臣表彰(輝くテレワーク賞)(2016年)、平成29年度東京ライフ・ワーク・バランス認定企業 (2017年))として提唱しつづけてきたワーク・スタイルが、いまや、皆さんの現実となりました。今までは、そうはいっても在宅勤務なんて、と思われていた方もいらっしゃいました。が、この1年で、やはり大事なことだったと認識していただいたようです。ダンクソフトと関わりをもつ企業や団体が、その価値に気づき、デジタル化へのシフトがはじまっています。 

▎1年の経験から、見えてきた課題

全社的なテレワークを進めていく中で、いくつかの課題も見えてきました。

自分のペースで仕事ができる環境は集中力を高めます。ただ当初は、逆に集中しすぎて、息抜きがうまくできないという問題が生じました。やがて慣れてくると、自分なりのペースができ、皆、息抜きのしかたもうまくなっているようです。休憩時間に好きなピアノを弾いて過ごしているスタッフもいます。

また、通勤をはじめとする運動量や生活パターンが変わるため、太ったり痩せたりした人もありました。体型・体力・健康の維持にも自律的な工夫が必要です。

実験的に、2020年12月には、スタッフが林野庁事業に参加しました。森林の中で働くことをモニターするツアーでした。ストレス軽減のために自然に触れ、自然の中でデジタルを活かして仕事をする機会も、これから重視されていくでしょう。 

ここにきて、状況を見ながらですが、輪番制でオフィスに通って仕事をすることを望む声が出ています。通勤時間をうまく有効活用していたスタッフや、家庭の事情でオフィスにいるほうが集中できるスタッフからの声です。ポスト・コロナ社会のオフィスの使い方を、スタッフとともに、さらに検討する時期に来ています。 

スタッフが参加した林野庁事業「森林×SDGs ポスト・コロナ時代のNew Standard探求モニターツアー」。森林の中でテレワークする機会も増えていくでしょう。

スタッフが参加した林野庁事業「森林×SDGs ポスト・コロナ時代のNew Standard探求モニターツアー」。森林の中でテレワークする機会も増えていくでしょう。

▎テレワーク中の「雑談」をどう起こすか

全員がテレワークという状態でうまくいくかどうかは、やはり「コミュニケーション」にかかっています。目的と場面に応じたツールの選択と使い方が大事です。

たとえば、ダンクソフトでは、こんなケースがありました。

全員テレワークになって「雑談」がしづらくなっていたのですが、「あった方がいい」「多少の雑談もしたい」と感じる人が出てきました。「雑談・会話・対話」のことです。この3つのモードを適宜切り替えながら、あらゆるプロジェクトは展開し、新しい発想やイノベーションの芽が生まれます。ですから、テレワーク中に雑談の機会をどうつくるかは、プロジェクトを活性化する上で大事なテーマです。

ちょっとした雑談の場になっています「日報かんり」

ちょっとした雑談の場になっています「日報かんり」

私たちの場合、意外なところから雑談が生まれています。日々の業務内容を集約し、共有するために使用している「日報かんり」というソフトがあるのですが、その報告欄が、ちょっとした雑談の場になっているのです。“かんり”と言いながら、その日のBGMを必ず記載する人、サッカーの話題を欠かさない人、ブームの鬼滅トークで盛りあがる面々。中には「昼食を簡易にしすぎて栄養不足」とこぼした人がいて、他のメンバーからアドバイスが届いたこともありました。「日報かんり」に書きこんだ内容が自動でMicrosoft Teamsへ共有されるので、いいねや、絵文字を付けたり、チャット欄は日々にぎわっています。

 ●参考情報:

在宅勤務をサポートする日報かんり

http://service.dunksoft.com/nippoukanri/

 

こうしてみるとツールの力のように見えますが、実はもうひとつ大事なのは、メンバー間の「互恵的関係」(助けあう関係)を日ごろから培っておくことです。どんなよいシステムも、効果を発揮するには、前提として社内にソーシャル・キャピタルが醸成されている必要があることを、改めて実感しています。

 

▎日本の会社は、オフィシャルとプライベートを分けすぎている

メンバー間の「互恵的関係」をつくるには、あるていど情報をオープンにしておくことが不可欠です。そこが、日本の会社風土の中で大きく欠けていると思う点です。多くの場合、会社はオフィシャルな場であり続けているので、実は会社では建前で過ごしている人が多いと思います。

そこがダンクソフトは違っていて、ある程度の情報をそれぞれがオープンにしている。建前ではない風土があります。そうしておかないと、子育てや介護をしながらのメンバーもいるため、チームで連携・協働がしづらくなります。必要に応じてプライベートの状況を提示することは、「おたがいさま」の助けあいのためにも欠かせません。この10年でその風土がじわじわとできてきました。

他社の状況を見ていると、個々人の事情を共有するところまで、まだできていなかったり、抵抗があったりするようです。でも、これから在宅勤務をうまく続けようとするなら、オフィシャルとプライベートという考え方ではなくなっていきます。もっとブレンドされて、交ざりあっていくでしょう。

今は、夜でも休日でも、スマホに刻々とビジネスの話が飛び込んでくる時代です。また、逆に、日中の業務中に、子供の用事で少し抜ける分を、夜にカバーすることもあるでしょう。昭和・平成時代の働き方には、もう戻らない。これからは業務時間とプライベートと呼ばれる領域を切り離しすぎないことが必要です。

▎Zoom会議ができただけで終わらずに、その先のテレワークへ

テレワーク化のための助成金制度も多くなっています。ただ難点は、範囲が限定的で、大事な部分が抜け落ちている場合が多いことです。本来、E-learning、セキュリティ対策、BCP(事業継続計画)、ペーパレスによる環境配慮などを合わせて考えることで、テレワークの真価が発揮されます。これらが含められない助成金があることは、大変残念なことです。

テレワークをはじめることで、デジタル・デバイド(情報格差)を、まずは解消できます。ただ、Zoomでオンライン会議ができるだけにとどまるなら、まだまだです。デジタルをもっと活用していくために、情報をインターネット上にのせていきましょう。そして、社内であれ、お客様との関係であれ、地域であれ、コミュニティを活性化していくことに、目を向けたいものです。こうすることで、自社の次なる展開が生まれていきます。

ダンクソフトは、クライアントの状況に応じたテレワーク導入をお手伝いしています。助成金の申請にあわせた短期間での支援実績もあります。アドバイザーとしてご支援したある団体では、1ヶ月半で導入から報告書の完成までをスピード実施。見事、令和2年度の総務省「テレワーク先駆者百選」に選定されました。

“次を創るテレワーク”の輪を、引き続き広げていきたいと思っています。


●いつでもご相談ください。

テレワークの円滑な導入・定着・さらなる展開に向けて、丁寧にサポートしていきます。

 

参考情報:

・テレワーク検定 https://www.wnw-academy.com/ 

・テレワーク導入支援 https://www.dunksoft.com/129573523721 

・日報かんり http://service.dunksoft.com/nippoukanri/ 

2021年 年頭所感


新年あけましておめでとうございます。

2021 年の年頭にあたり、ご挨拶申し上げます。


▎2021年、「インターネットに“あらゆるもの”をのせていく」

 2021年は、コロナ後の社会を創る時です。

 そして、コロナ後のビジネスを創るときです。

 そのカギは、「インターネットに“あらゆるもの”をのせていく」ことだと考えています。

 この流れは加速するでしょうし、加速させていきます。

 インターネットが、これからの社会インフラです。そこにようやく気づいた人も、あらためて気づいた人もいたと思います。ともあれ、ビジネスも、働き方も、暮らし方も、根本的に変わりました。

▎需要創造のパートナーへ

 コロナ禍は、各分野で需要の蒸発を生みました。ならば他方で、需要を創造しなくてはなりません。ひとつ、私たちのクライアントの話をご紹介します。長年の付きあいのある方々です。

 昨年、スマートフォンで完結できる資産運用サービスがはじまりました。数百円、数千円という少額で株式投資ができ、書類郵送は不要。取引はスマホアプリのみで行います。若者向けを想定していたのですが、少額、手軽、操作がわかりやすい……といった長所が支持されて、それまで株式投資に縁のなかったさまざまな方たちが使いはじめています。

 このように対面での窓口業務を減らし、オンラインで手続きできるようにすることで、需要の裾野が広がりました。「インターネットに“あらゆるもの”をのせていく」ことで、単に効率化することを超えて、新たな需要創造につなげていくご支援を、2021年も加速していきます。

▎“3つのD”――コロナ後における地域とビジネスのカギ

  デジタル化のはじまりは、対話のはじまりです。ウェブは本来双方向の場で、一方的なメッセージを押しつける場ではないからです。きれいにお化粧された情報だけ出していても始まりません。多様な相手に応じた質の高いコミュニケーション、つまり「対話する関係」を、いかにウェブ上で実現するかが問われる時代なのです。要するに、「デジタル」「ダイバーシティ(多様性)」「ダイアログ(対話)」。この“3つのD”が、これからの地域社会を創り、これからのビジネスを創っていきます。

▎効率化を超えて

 それから、ふたこと目には、デジタルで「効率化したい」という声も依然として多いですね。これは、一種の“効率化マニア”です。たしかに、デジタルを上手に使えるようになると、生産性や効率性は上がります。ですが、デジタルの効果は、それにとどまりません。

 デジタル化によって対話が生まれ、互いの関係が豊かになることが、デジタルがもたらす大事な効果です。デジタルは、なんとなく冷たい、非人間的というイメージが一部にありますが、まったく逆なのです。

 デジタルをうまく活かしてデジタル・デバイド(情報格差)を解消する。そして、効率性や生産性向上の実現とともに、連携と協働があちこちで進んで、人間のポテンシャルがもっと引きだされる。この過程で、ソーシャル・キャピタルが醸成されていくと、地域とビジネスも活性化していきます。ダンクソフトは、デジタルで効率化の先にある未来を応援し、人と場をリ・クリエーション(再創造)していきたいと思います。

▎「ポリバレントなひと」と「あいだを結ぶひと」

 デジタル社会で大事なのは、やはり「人間」です。とくに次の2つが、これからの人を語るキイワードです。

 ひとつは「ポリバレント」。一人ひとりが多様な役割を持ちあわせ、状況や場面におうじて柔軟に動ける人のことです。私の担当や専門はこれだから、そちらのことは知りません、という態度とは真逆です。

 もうひとつは「インターミディエイター」です。社会や関係の分断が進むなか、「あいだ」を結び、地域やビジネスを活性化していく役割です。この2つを兼ね備えていたら、なおいいですね。今後、ますます必要とされていく動きですから。

▎「イノベーション装置」として、オフィスを再定義

 さて、ダンクソフトの東京オフィスは、2019年に移転した新オフィスです。場所は神田の駅前で、大きな窓から光がよく入る、快適な新築ビルです。だれも出社しなくなった後、オンライン化が進むポスト・コロナ社会をみすえて、オフィスの一部を改装しました。

  そこは、高速・高品質のインターネット環境と音響がある、コミュニティ・スペースです。多様な人々がここに集って、出会い、対話が始まることでイノベーションが起こりつづける「イノベーション装置」としてのオフィスと再定義しました。

 冒頭にも触れたように、ダンクソフトでは2020年3月から全スタッフがリモート・ワークを継続しています。スタッフ同士あるいはお客様と会いたい気持ちが増してきて、最近では、恋しいよね、という会話も聞かれます。人は集うことで次の時代を創ってきた、と言います。2021年以降、社内外のたくさんの方々と、次を創るプロジェクトを起こしていくためにも、「集う価値」を重視しようと思っています。もちろん安全には十分に配慮しながらです。ここでは、オンラインとオフラインのハイブリッド型の集いやイベントができるので、もっと面白いことが起こる場になるだろうと期待しています。

▎ウェブ会議の質は「音」で決まる 

 そのための環境も整えました。安定した接続ができる有線の高速インターネット回線。高性能の集音マイク。そして、最大の特徴は、場の息遣いまで伝わる波動スピーカーです。空気全体を震わせることで、サントリーホール全体を心地よい音で満たすことができるというもので、世界的ミュージシャンやホテルに選ばれています。 

 オンライン・イベントやウェブ会議では、コミュニケーションの質を左右するカギは、実は「音の質」にあります。音声がクリアでなかったり、途切れがちだったりすると、ストレスが大きく、参加していて疲れますし、内容もなかなか入ってきません。質の高いインターネット・コミュニケーションをつくるうえで、「いい音づくり」が、とても大事なのです。ダンクソフトの神田オフィスがホストになればクオリティが保てるということは、配信スタジオとして大きな可能性をもっていると思います。

 すでに先日、パイロット・ケースにあたるフォーラムを行いました。上々の手応えがありました。この先行事例を実績として、2021年は、このオフィスを、人々が出会える場、イノベーションが起こる場として、皆さんと一緒に育てていきます。

▎2021年は「自然×デジタル」が飛躍する

 2021年の大きな変化として、インターネットでつながる先が、どんどん自然の中へと拡張していくでしょう。コロナ禍の動きを見ても、森、山、海といった自然界に、以前に増して人が足を運ぶようになっているようです。そこで、自然のなかに、どうデジタルをもっていくか。映像品質、通信速度などのインフラが豊かに整ったいま、もしかしたらインターネットから届く情報による体験が、アナログの、いわゆる現地での体験を越える可能性も出てきたわけです。私は少し前から「自然と機械と人間の協働」に注目しているのですが、この動きがこれからますます進むのは間違いありません。

 都市部への一極集中を軽減する意味でも、すでに人が動き始めています。BCP(事業継続計画)やリスク回避の観点からも、分散・拡散の流れが見られます。人が動けば、新しい情報も動きます。ダンクソフトでは、昨年から森林再生の取り組みや、新たな森林価値の創造に向けたプロジェクトに関わり始めました。ポスト・コロナ社会では、インターネットやデジタルの舞台は、大都市や都会から、日本全国のさまざまな地域、そして自然の中へと、さらに加速しつつ広がっていきます。

▎「SmartOffice構想」で、ともに未来へ 

 ビジネスは市場で完結しません。地域へ、自然へと広がっています。こうした複雑化し、多様化する社会の動きをみすえて、ダンクソフトはかねてから「SmartOffice構想」を推進しています。

 「インターネットに“あらゆるもの”をのせていく」を合言葉に、いろんな人やグループが柔軟なつながりを持つ。対話し、連携し、協働して、生活課題の解決や新たな価値創造が進んでいく。このような連携・協働の広がりをめざすのが「SmartOffice構想」です。

 全国各地、自分のいるところがオフィスになりますから、この動きはやがて、“脱一極集中の社会”へとつながっていきます。

 ところで、そこでは全員が「一丸となる」のではなく、それぞれが異なるキャラクターやポテンシャルを発揮しています。ダンクソフトのスタッフたちは、日ごろから一丸となることはありません。それぞれに自律し、連携して動いていくことが大事です。もう「選択と集中」の時代ではありません。「自律・分散・協調」から、イノベーションも生まれていくことになります。協働意識の中から、生活コミュニティを形成し、一人ひとりが豊かさを実感できる未来をつくっていきましょう。

 

株式会社ダンクソフト

代表取締役 星野 晃一郎

対話と協働から、その先の未来をつくる ー 需要創造を担う仲間を募集します

もくじ

  • ダンクソフトが考える「需要創造」とは?

  • そのポジションが必要になる背景は?

  • どんな方が向いている?

  • 必要なスキル、条件は?

  • ダンクソフトが思い描く未来イメージとは?

  • ポジションに求める人物像は?


 現在、ダンクソフトでは、プロジェクトの拡大・増加にともない、新たな仲間を募集しています。今月は「需要創造の担い手」の募集について、代表取締役 星野晃一郎と取締役 板林淳哉がくわしくお話しします。


ー需要創造の担い手を募集するとのことですが、ダンクソフトが考える「需要創造」とは?

 星野 ひとことで言うと、対話の中から新たな価値を生みだしていくこと。もう少し言えば、外に出ていき、デジタルとインターネットを活用し、対話によって多様なかたたちと協働して、新たな価値を創造していくことと考えています。

シンプルに言えば、「デジタルで ‘はじまり’ をつくる」。それをビジネスにしていく、ともいえます。

コラムに関するオンライン会議の様子 上:株式会社ダンクソフト  代表取締役 星野晃一郎、下:株式会社ダンクソフト  取締役  板林淳哉

コラムに関するオンライン会議の様子 

上:株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎、下:株式会社ダンクソフト 取締役 板林淳哉

ーそのポジションが必要になる背景は?

 星野 創業当初、ダンクソフトはシステム開発の受注会社でした。10年が経つ頃から自社製品の開発をするようになります。そして90年代の終わりに、インターネットが登場してウェブ・デザインの仕事が増え、21世紀は圧倒的にウェブ・デザインが多くなりました。ところが、2011年の東日本大震災以降、地方・地域とのつながりができ、デジタルを使ったコミュニティづくりに関わるようになりました。とくにこの10年ほどは、今までまったくやっていなかったことにもチャレンジして、少しずつビジネスにすることを続けてきています。

板林 そうですね。震災をきっかけに、徳島や萩や北海道など日本各地にご縁をいただいて、地域の中で拠点づくり、場づくり、サテライト・オフィスの立ち上げなど、コミュニティの活性化をお手伝いするようになりました。それまではいわゆるシステム開発の会社でしたから、本当に手探りの、まったく新しいチャレンジでしたね。

星野 今回募集したいのは、こうしたこれからの需要創造を一緒に担える仲間です。

板林 従来のビジネスでは、発注する側、受注する側という関係が多く見られます。発注する側が一方的に要望を言い、受注する側がそれに応えるものです。そうではなく、受発注の関係を超えていくというか。クライアントと対話する。そして協働作業のプロセスをとおして、ともに新しい価値を生んでいく。そうした対話と協働による価値創造・需要創造を一緒にやっていけるかたを迎えたいと考えています。

地域でのサテライト・オフィス実証実験の様子

地域でのサテライト・オフィス実証実験の様子

 星野 今後、日本各地の地域コミュニティがますます重要になっていくでしょう。といっても、これは地方に限ったことではなく、都市部でも課題を抱えているとみています。そこでカギを握るのが、デジタル・テクノロジーの力です。「インターネットにあらゆるものをのせていく」ことで、より豊かな未来が描けるようになっていくでしょう。最近は森づくりなど、自然環境問題に関わる人たちとの関係も増えています。インターネットが行き渡って、森のような自然と都会をインターネットでつなげるようになってきました。都会に人が集中しなくても仕事を続けていけるのです。たとえば、コロナ禍で環境汚染が抑えられ、インドで見えなかったヒマラヤ山脈が見えるなど、人間の移動が減ることで自然環境がよくなる現象もみられました。このまま、一極集中が解消されて、うまく分散と協調が進めば、自然環境問題も改善に向かうかもしれません。

板林 そうした新しい動きが増えていくことも見越して、さまざまなプロジェクトを一緒に担っていただける新メンバーを、中長期的に募集していく計画です。

ー「需要創造」担当には、どんなかたが向いていますか?

星野 まず欠かせないのは、「コミュニケーション力」です。私たちの仕事の基本は、クライアントの困りごとを丁寧に掘りさげて、デジタル・テクノロジーで解決していくところにあります。何に本当に困っているのか、自分でもわかっておられないことも多いわけです。とにかく「相手」に関心があることが大事ですね。

板林 モノを売ることを優先する発想や、数字を追いかけるような営業・セールスといった従来型のビジネスの考え方は、ダンクソフトには合わないと思っています。数字やエクセルの表がゴールになってしまうと、「人の顔」が見えなくなってしまいますので。数字が優先されると、クライアントと協働の関係にもなりにくかったり、対話が大事だという価値観が共有しにくかったりと、ミスマッチが多くなるんです。

星野 ダンクソフトという会社は、キャラクターの集合体のようなところがあるので、数値ゴールで誰かが誰かを統制しようと思っても、うまくいかないんですよ(笑)。ですからここでも、数値よりも、関わる「人」を重視できることは大事ですね。

板林 その意味で、効率化や最先端といったことではなく、「カスタマー・インティマシー」を高めていくことが、ダンクソフトの根底にありますね。お客様との親密度をどれだけ高められるか、またお客様がその先のお客様と関係を親密にできるデジタルを、大事にしています。

ー必要なスキル、条件などはありますか?

星野 配属ありきでは考えていません。プログラミングなり、ウェブ・デザインなり、その人のできること、得意なこと、したいことから入っていってもらう形になるでしょう。

板林 そうですね。ただ、やはり基本的に「デジタルが好き」であってほしいですね。デジタル関連の経験者や、IT関連のプロジェクト・マネジメント経験者も歓迎です。また、以前の星野さんの話にも出ているとおり、どんどん新しく出てくるテクノロジーを「学び続ける好奇心」がある人。社内の技術者とも地域の人ともコミュニケーションができて、それぞれの人の力を引き出せる。そんなかただとうれしいです。

星野 まさに「インターミディエイター」ということですね。多様な人々やものたちのあいだを結んで、次の展開をつくれるかた。

板林 はい。僕らが関心のあるのは「人」なので、人に興味があって、未来が語れる人であってほしいですね。ダンクソフトとお客さんの1対1だけでなく、周囲も含めて関係づくりをしていくようなところがありますので。

星野 あとは、ポリバレントであることは、ダンクソフトのスタッフとしては大事にしています。そして、変わりゆく状況にも臨機応変に対応できて、フレキシブルに考えたり動けたりできること。ただ、これは、このポジションにかかわらず、ダンクソフトの全員に共通する資質といえるでしょう。 

ポリバレントとは?

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 ーダンクソフトが思い描く未来イメージとは?

星野 先ほど触れたとおり、今後は都市部への一極集中が解消されていく流れになると思っています。その結果、地域社会もネット・コミュニティもますます重要になっていくでしょう。協働意識の中からコミュニティが形成され、協働が広がる中で、お互いの価値が交換されて、新たな価値創造があちらこちらで推進される。私たちが現在進めている「SmartOffice構想」の先にある未来のイメージです。

SmartOffice構想とは? 

板林 もう競争ばかりしている時代ではありません。競争すると、つい横ばかりを見てしまいがちです。その結果、同質化が進みます。こうした競争の限界を補いながら、これからの生活や地域社会、そして新たなビジネスのあり方を探ることが、私たちの仕事にとっても、より重要になっていくと考えています。競争至上主義という発想を超えて、連携・協働の新しいあり方を探るなかで、新たな価値が生まれ、需要も創造されていくのだと思っています。

星野 今はちょうど時代の節目。ここでパラダイム・シフトが加速してほしいところです。つまり、デジタルを活用するのはもちろん、対話と協働から未来をつくっていくことですね。

板林 実際、ダンクソフトがプロジェクトでご一緒する人は、自分たちの目前の利益や売上最優先というより、プロジェクトの関係者や社会課題を見すえながら、対話と協働ができている人たちが多い印象がありますね。

星野 かつてのCSRや、今のSDGsのブームもそうですが、株主資本主義や右肩上がりでないといけないという幻想を捨てないと、自然環境にもいいわけがないのはわかりきったことです。では、どうするのかと突きつけられているのが今なのではないでしょうか。 

ーこのポジションに求める人物像は?

星野 僕らはやはり未来が見たいし、つくりたい。そして「未来」はつくれるものです。とくにこの10年は、その手応えを実感してきました。コミュニティでの連携や相互作用の中から共感と納得が広がって、新たな価値が生み出されていく経験を何度もしました。

板林 失敗も楽しめるくらいのマインドがあれば、嵐も新型コロナも一緒に乗り越えていけそうです。とはいえ、それを糧にしてビジネスにしていく意識も大切です。まだ見ぬところに向かっていくので、凝り固まった頭だとダメだとは思いますが、あとはもう、どんな人をお迎えできるかが楽しみなだけですね。

 星野 今後も、今までやっていないことへのチャレンジが続きます。よくわからないものを面白がって楽しめる、そんな挑戦を共にできるフレキシブルな仲間を待っています。 

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【プロジェクトの拡大・増加にともない、新たに複数名の仲間をお迎えします】

1.     企業ウェブサイトの運用サポート 

2.     ウェブ・デザイナー 

3.     プログラマー 

4.     需要創造 担当         など 

  • 雇用形態: 正社員(3ヶ⽉の試⽤期間があります)

※ 詳しくはお問い合わせください。 https://www.dunksoft.com/request





新時代をつくりだすポリバレントなプログラマー

 もくじ

[代表メッセージ]

株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

 ■「はじまり」をつくり続けるダンクソフトの40年

 ■ 向かいたい未来像に向けて、プログラムを書く

[ダンクソフトで働くプログラマーの声]

株式会社ダンクソフト 開発チーム マネージャー 竹内祐介

 ■ プログラミングを中心に、両側に広がるグラデーションを幅広く担う

 ■ “一人十色”のポリバレントなプログラマーとして活躍できる

 ■「テレワーク」という新しい働き方をつくってきた

 ■ こんなプログラマーに来てほしい2つのこと  

[インターン生の声]

 阿南工業高等専門学校 創造技術システム工学専攻 電気電子情報コース 1年 港 左匡 さん

 ■ テレワークの最先端をいく理想の環境

 

[最後に:代表メッセージ]

 ■ このポジションに求める人物像


現在、ダンクソフトでは、プロジェクトの拡大・増加にともない、新たな仲間を募集しています。今月はプログラマー募集について、仕事内容と働く環境を詳しくお話ししていきます。


[代表メッセージ]

株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

■「はじまり」をつくり続けるダンクソフトの40年

 ダンクソフトは、まもなく40周年。1983年の設立から38期目を迎えています。社名に「ソフト」とついてはいますが、仕事はソフトウェア開発だけではありません。ウェブ関係から、ネットワークやセキュリティなどインフラに近いものまで、またAIやARのようなものまで、幅広くさまざまなサービスを提供している会社です。今は、ポスト・コロナ社会での「インターネットにあらゆるものをのせていく」ことの重要性を、みなさんと対話しながら、提案しています。

 ですが、もともとはプログラムが主な事業だった歴史があります。創業当初は、制御系システムのプログラムを多く手がけていました。まだOSも自分たちで書いていた時代もありました。その後、OSとしてはWindows、データベースとしてはMicrosoft Access、ネットワークOSとしてはNetWareなどを組み合わせて業務システムをつくったのが、今の流れのはじまりです。ダンクソフトは、日本でAccessやNetWareをつかってシステムをつくった最初の会社のひとつです。出たばかりのAccess を、わざわざロサンゼルスまで買いにいって、英語版でプログラム開発をスタートしたこともよく覚えています。ですから、ダンクソフトの「はじまりをつくる」というのは、その頃から変わらない姿勢なんです。

 ◆1992年、「義理かんり FOR ACCESS」リリース

 https://www.dunksoft.com/message/2019/12/2 



■ 向かいたい未来像に向けて、プログラムを書く

 私自身もプログラムを書いてきましたし、どんどん出てくる新しいものを勉強しながら、今でもやっています。やっぱり「つくる」って楽しいですし、プログラミングはおもしろい技術ですよね。ある意味、ひとつの世界を自分の手で生みだして動かすわけで、できたときの喜びは大きいものです。

 うまく仕上がってクライアントに喜んでいただけることは本当に嬉しく、プログラマーにとって大きなやりがいを感じる瞬間です。それと、ダンクソフトの場合、こんな未来に向かいたい、こんな世の中になっていけばもっと楽しい、という未来のイメージを描いて、テクノロジーの観点から提案していくのが特徴です。単にプログラムを作っているというより、クライアントと一緒に未来を創るようなイメージで仕事をしています。

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[ダンクソフトで働くプログラマーの声]

株式会社ダンクソフト 開発チーム マネージャー 竹内祐介

■ プログラミングを中心に、両側に広がるグラデーションを幅広く担う

 ダンクソフトのプログラマーの仕事は、非常に多岐にわたります。プログラマーだからといって、プログラミングだけしているわけではありません。製品開発をコアとしつつ、前段となる企画段階から、ヒアリング、提案、それに開発後のサポート、更新、アップデートまで、業務内容はとても幅広いです。どまんなかは製品開発として、クライアントとのコミュニケーションやサポートといった“両サイド”もプログラマーが担っているわけです。ですから、クライアントと対話を重ね、サポートもし、企画からご提案していきます。開発領域を中心にグラデーションを描くように広がりのある業務全般に携わることができるのが、ダンクソフトのプログラマーの特徴と言えるでしょう。

 他社へのシステム提供も、自社サービスの開発も、両方あります。少数メンバーでやっていることもあって、どの製品も誰でも全員ができるような情報共有をしています。チーム全員がさまざまな役割を果たし、チームですべての仕事をしている、という考え方ですね。

スクリーンショット 2020-10-30 22.00.56.png

 

■ “一人十色”のポリバレントなプログラマーとして活躍できる

 前職の会社は分業化されていて、プログラマーはプログラミング業務に徹するのが方針でした。外に出ないので名刺もほとんど必要なく、前職では10年働いて10枚しか使いませんでした。それが2012年にダンクソフトに入って、最初の1年で100枚以上を使い切っていました。会社の方針が違うと、同じ職種でも働き方が大きく変わることがよくわかるエピソードだと思います。

 また、仕事内容は社外にも広がり、地元企業でのセミナー講師や、学校で授業まで担当するようになりました。私は3年前から、徳島県阿南市にある阿南工業高等専門学校(阿南高専)で、OSやプログラムの授業を担当しています。

 ダンクソフトは、このように、1人が複数のポジションや役割を担うことができる、“一人十色”の「ポリバレント」であることを重視しています。自分の可能性を広げ、新しい学びに挑戦したい人にぴったりの環境だと思います。

 ◆ポリバレント人材は「一人十色」

https://www.dunksoft.com/message/2019/06/03

 

■ 「テレワーク」という新しい働き方をつくってきた 

 働き方の大きな特徴として、場所にとらわれないことがあります。私自身も現在は、徳島で仕事をしていますし、開発チームのメンバーは、徳島、東京、高知など、それぞれの居住地にいて、仕事はテレワークで行っています。 

 ダンクソフト徳島オフィスの開設と私の入社が同時で、2012年。じつは私自身は、星野に直談判したことがきっかけで、徳島オフィスを創設していただいた経緯があります。今でこそ「テレワーク」という働き方も浸透してきましたが、私たちは、日本ではまだテレワークという概念すら確かでなかった頃から、「ITを使う職種であるプログラマーの仕事は、離れていてもできるはず」「それを当たり前としてやっていきたい」と考えて、挑戦してきました。「こうすれば離れて働ける」「やれるんだ」ということを示すために多少の苦難は自分たちで乗り越えてきた、そんなメンバーが今のダンクソフト開発チームのプログラマーと言えます。

 ◆ 徳島オフィスの誕生 ~ 都会と地方の新たな「結び目」~

  https://www.intermediator.jp/post/yusuke-takeuchi-01

■ こんなプログラマーに来てほしい2つのこと

 チームに新たに迎える仲間として、「こんな人に来てほしい」と思うことが2つあります。ひとつは、プログラミングが好きな人に来てほしいと思っています。私は今もプログラミングが大好きです。プログラムってすごくかっこいいし、没頭できる時間なんですね。だからやっぱりプログラミングが好きな人に来てほしいです。そして、ものづくりを楽しめる人に来ていただきたいです。

 一方で、とはいえ、プログラミングはあくまで道具であるとも考えています。

だから、ふたつめとして、ものをつくるだけでなく、「価値をつくる」ことを楽しめる人だといいなと思います。クライアントから、あるご要望があったとして、よくよく話を聞いてみれば、実はプログラミングが必要ない場合だってあります。プログラミング以外の手段でお困りごとが解決されてもいいと私は思っています。とにかくクライアントと私たちのあいだで、「新たな価値」が生まれることに喜びを感じられるような人と一緒に仕事がしたいと思います。

 

[インターン生の声]

阿南工業高等専門学校 創造技術システム工学専攻 電気電子情報コース 1年 港 左匡 さん

■ テレワークの最先端をいく理想の環境

 10月中旬からインターン生として、ダンクソフト徳島オフィスで4週間のインターンをしています。阿南高専の本科情報コースを卒業し、現在は専攻科の1年です。本科4年生のときに竹内さんの授業を受けたことをきっかけに、ダンクソフトを知り、インターンを希望しました。旅をするのが好きなので、将来は、場所に縛られずにどこででも働けるような働き方で、プログラマーとして活躍していきたいと思っています。ダンクソフトはテレワークが本当に進んでいて、ここはテレワークの最先端だと感動しました。こんな働き方を知れて、とてもよかったです。人生の選択肢が広がりました。インターンもテレワークで実施しており、月曜だけ徳島オフィスに出向き、火曜から金曜までは自宅からのテレワークです。 

 今ちょうど、あるクライアントのシステム更新の時期にあたるということで、大きなプロジェクトの一端に関わらせていただいています。これまで授業で扱っていたのとは桁違いに大規模なコードを目の当たりにして、とても貴重な経験をしています。1万行を超える、質の高いコードを初めて見ました。また、竹内さんの説明を聞いて、よくデザインされたプログラムなら、10年20年経ってもじゅうぶん通用することもわかりました。そんなプログラムが書けるってすごいなと憧れますし、ぼくもプログラミングの技術を磨いて、優秀なプログラマーを目指したいと思います。

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[最後に:代表メッセージ]

■ このポジションに求める人物像

 プログラミングの世界は時代がとても速くて、言語もどんどん変わるし、私が経験しているだけでもパラダイム・シフトが何回もあるわけです。OSはMS-DOSからWindowsになり、言語もベーシックからオブジェクト志向にかわっていって。一方で、プログラミングがわからないスタッフやお客様とも話ができないといけないし、インターネットやインフラやセキュリティの知識も必要になってきます。 

 知っておかないといけない範囲がそもそも広く、しかも、どんどん新しい技術が出てきます。新しいことを学びつづけなければなりませんから、そこに好奇心をもって向かっていける人、共に学び合っていける「Co-Learning」の仲間になれる人を迎えられるといいなと思います。

 それから、やはり「ポリバレント」を重視したいですね。人間は多面体なので、いろいろやった方が、いろんなところに埋もれている得意なところが見えてきます。それによって、人がより豊かになっていくんですね。

 そして、「あいだ」を意識すること。縦割りの中に埋没するのではなく、組織内外で切れ切れになっているものの「あいだ」に立つ視点がとても重要だと考えています。クライアントと私たちのあいだ、さらにクライアントのビジネスのさらに先にいるお客様をイメージする。そして、いろいろな人、モノ、地域などの「あいだ」に立って、デジタルを活かして、新しいはじまりをつくっていく。ダンクソフトという会社もですし、またそこで働く一人ひとりも、それぞれがインターミディエイターとして「あいだ」に立ってもらえたらと思います。

 そのためにも、「共感できる力」が大事だと考えます。プログラムのスキルはもちろん、仲間に対しても、クライアントに対しても、エンパシー(共感)をもって、困りごとをデジタルで超えていく。居住地や勤務場所はどこでもかまいません。今回登場した竹内は、転職を機に、「どうせなら新しい働き方をつくる側になる方がおもしろい」と思って、ダンクに飛び込んだそうです。しくみや制度が先にあるのではなく、やりたい人、動きだした人がいて、そこに新しいしくみや価値が生まれていく。ダンクソフトらしいエピソードです。社内外のさまざまな人と連携して、チームで一緒にやっていける仲間として、新たなメンバーを募りたいと考えています。

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【プロジェクトの拡大・増加にともない、新たに複数名の仲間をお迎えします】

  • 募集職種: 

  1. 企業ウェブサイトの運用サポート 

  2. ウェブ・デザイナー 

  3. プログラマー 

  4. 需要創造 担当 など 

  • 雇用形態: 正社員(3ヶ⽉の試⽤期間があります)

※ 詳しくはお問い合わせください。 https://www.dunksoft.com/request

 

ポテンシャルを引きだす職場、その秘訣とは

 もくじ

■ ダンクソフトが大切にしていること

■「リ・クリエイター」たちが、新たな「はじまり」をつくる

■ ウェブ・チームで活躍する仲間を募集します

■ 全スタッフがテレワークでも、「チーム」で助けあう

■「ポリバレント」であることが、一人ひとりのポテンシャルを引きだす

  

■ ダンクソフトが大切にしていること

 ポスト・コロナ社会のはじまりとなった2020年。日本はもちろん、世界中が一斉に、目に見える形で変わりつつあります。移動に制限がうまれ、リアルに人と人とが会うことが難しくなりました。この状況は、まだしばらくは続くと言われています。大きな転換点になりました。

 その中で、インターネットやデジタル・テクノロジーの可能性を感じた方も多いでしょう。これから、「インターネットにあらゆるものをのせていく」ことが、もっともっと重要になってきます。その先に、ビジネスの未来も、地域の未来も、一人ひとりの未来も、つくっていくものだと確信しています。

 株式会社ダンクソフトは、デジタルで新しい未来の「はじまり」をつくることに取りくんでいる企業です。1983年の設立から38期目を迎え、まもなく40歳。これまでも、さまざまな「はじまり」をつくってきました。ウェブ・チーム、開発チーム、企画チームという3つのチームがあり、それらのどれもが、インターネットを活かして、ビジネスをよりよくし、人びとを幸せにするためのプロジェクトを行っています。

 そして、いま、ダンクソフトでは、さらに新しい「はじまり」を一緒につくっていく仲間を募りたいと考えています。

■「リ・クリエイター」たちが、新たな「はじまり」をつくる

「We are Re-Creators. はじまりをつくる」

 私たちは、ここ数年、この言葉をかかげて、プロジェクトを実施してきました。ダンクソフトのスタッフは、みな “Re-Creator(リ・クリエイター)” です。

 それは、変化に対して前向きである人。  好奇心が旺盛な人。  ダンクソフトが実践している画期的な働き方や未来志向の試みを、一緒におもしろがれる人。  よりクリエイティブな働き方を自分で実践していきたい人。  いろんなことに挑戦したい人。  目線を合わせて、対話できる人。  そして、時代の転換期を迎えたいま、さまざまな人やモノの “あいだ” を結んで次の展開をおこすことに長けた人。 

 要するに、混迷や停滞を打ち破って、再び新たな動きや変化をつくりだせる人、それを「リ・クリエイター」(Re-creator)と呼んでいるのです。

 ダンクソフトでは、こうした特長を兼ねそろえた「リ・クリエイター」(Re-creator)たちを、新たな「はじまり」をつくる担い手として、期待し、頼りにしています。

◆「リ・クリエイター」とは? (実例あり)https://www.dunksoft.com/message/2020-07

■ ウェブ・チームで活躍する仲間を募集します

 まず今回は、ウェブ・チームの話をしようと思います。ダンクソフトでは、企画から制作・メンテナンスやアドバイスまでの包括的なウェブ・コミュニケーション支援を行っていて、ウェブ・チームが担当しています。今回、ウェブを通じたコミュニケーション・デザインができる方や、ウェブのコーディング、フロントのスクリプトがかける方、また、サイト運営ができる方を歓迎します。

 クライアントのコーポレート・サイトやキャンペーン・サイト、ランディング・ページをつくるなど、情報の価値を何倍にも魅力的に表現するような、クリエイティブなご提案を続けてきました。さらに、クライアントが、その先にいるお客様とよりよい関係をつくり、コミュニティが醸成され、新たなビジネス機会への架け橋となるような、ウェブ・コミュニケーションを提案しています。大手企業をご支援する25年以上も続いているプロジェクトもあれば、家族や仲間が集うキャンプ場のウェブ・コミュニケーション、そして、これからのコミュニティ形成のためのウェブ開発など、様々なプロジェクトが並行して走っています。

◆ウェブ・チームはどんな仕事をしている? https://www.dunksoft.com/message/casestory-kfv

■ 全スタッフがテレワークでも、「チーム」で助けあう

 こうした様々なプロジェクトをチームで推進していくわけですが、3月に東京都知事から緊急事態宣言が発表された翌日から、ダンクソフトでは全員が在宅テレワークでの勤務をしています。オフィスに出社するように戻している企業もあるようですが、私たちは、当面は現在のテレワーク環境を続けます。スタッフ一人ひとりの生命を守ることが、いま一番大事なことだと考えているからです。 

 それに、ダンクソフトでは、12年前の2008年からテレワークの実証実験を重ねてきました。失敗もいろいろありましたが、今では、コロナ禍で全員在宅ワークになっても、プロジェクト推進は何の支障もないと言っていいほど、とてもスムーズに行われています。今回、クラアント先に常駐していたスタッフも、在宅ワークに切りかえて、プロジェクトを継続しています。オンサイトだったスタッフのひとりは、今回はじめてテレワークを経験して、ダンクソフトが先進企業だったことを改めて実感したと、感想を聞かせてくれました。

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 このウェブ・チームには、もともと100%テレワークのメンバーもいます。徳島在住で、2017年にテレワークを前提にメンバーに加わり、ウェブ・チームの一人として活躍しています。 

◆テレワーク ─2008年から始まった取り組み

 https://www.dunksoft.com/message/2019/8/1/-2008

◆インターネットに あらゆるものを のせていく ─テレワーク実際編 https://www.dunksoft.com/message/2020-08

 来春には、徳島県阿南市にある阿南工専を卒業する学生が新卒で入社予定です。新卒でありながら、徳島からのテレワークです。新しい未来の「はじまり」をつくる会社として、こうしたデジタル・ネイティブ世代に選ばれているのは、とても嬉しいことです。

 全員が在宅ワークという状況が長期化すると、お互いに意識を払えるかどうかが、より大事になってきます。チーム・メンバーからのアウトプットを待つだけじゃなくて、隣にいない、離れた相手をケアして声をかけられるか。お互い様の気持ちで、助け合えるかどうか。結果的に、そういうことが、効率化やクオリティ向上につながって、スタッフがクリエイティビティを発揮できる時間や領域が増えていきます。

◆働き方改革とは──「クリエイティブ・ワークチーム」というビジョンhttps://www.dunksoft.com/message/creativeworkteam

■「ポリバレント」であることが、一人ひとりのポテンシャルを引きだす

 インターネットをフルに活かした柔軟な働き方は、ダンクソフトではコロナ前から通常に行われていたことでした。これができているのは、「チーム」としてメンバーどうしが有機的に動ける環境があるからです。チャット・ツールなども駆使して、チームでのコミュニケーションをあつくしています。また、お互いに仕事を学びあえる「Co-learning(コ・ラーニング/共同学習)」のしくみも大切にしています。

 ダンクソフトで大事にしていることのひとつに、「ポリバレント」ということがあります。これは、状況や場面に応じて、いろんな役割ができる人のことを言います。メンバーが一人ひとりポリバレントになっていくことで、何かあったときには誰かが代わりをでき、休みも取りやすい状態になっています。異なるタイプの仕事に挑戦するなかで、思いもかけなかった能力が発揮されることもあります。ポリバレントであろうとすることは、人のポテンシャルを引き出すことでもあるのです。

 加えて、定期的にチームごとに対話の時間をもち、社長である私もそこに入ります。よいことも、不安や懸念も、自分の言葉で直接私に提案してもらい、みんなが考えていることを共有します。私も、包み隠さず率直に考えをお話するようにしています。社長とスタッフというより、お互い、「人と人」としてコミュニケーションする関係を、居心地よく感じるからです。かねてから、もっと会社はコミュニティに近づいたほうがいいというイメージを持っています。

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◆コミュニティの活性化とソーシャル・キャピタルhttps://www.dunksoft.com/message/2019/10/7/-

 世間には出る杭が打たれる場所も多いようですが、ダンクソフトは、その逆です。言いたいことが言える会社で、言えば実現する。もちろん、未来志向で建設的な事であれば、ということですが(笑)。言った人から楽しくなる会社です。「いま何ができるか」はもちろん大切ですが、新しいことをつねに学び続けること、学びなおすことに意欲的な人に出会いたいと願っています。その方にまだ眠っている能力を、ダンクソフトで引き出せるかもしれません。

◆ポリバレント人材は「一人十色」https://www.dunksoft.com/message/2019/06/03


【プロジェクトの拡大・増加にともない、新たに複数名の仲間をお迎えします】

  • 募集職種: 

  1. 企業ウェブサイトの運用サポート 

  2. ウェブ・デザイナー 

  3. プログラマー 

  4. 需要創造 担当 など 

  • 雇用形態: 正社員(3ヶ⽉の試⽤期間があります)

※ 詳しくはお問い合わせください。 https://www.dunksoft.com/request