BOUSAIFULNESS ──災害前提社会への備え


 ▎BCP:3.11で失われた情報と思い出が教訓に 

 

今回は「防災」がテーマです。私個人としても以前から関心を持っており、取りあげたいと考えていました。最近は、ますます関心をお持ちの方も多いようです。 

 

ここでは、ダンクソフトが考えるこれからの防災について、2つの観点からお話しします。 

 

1つめは「BCP」(事業継続計画)です。大切な情報をどうバックアップし、すみやかな事業再開につなげるか。 

 

2つめは「コミュニティ」との関連です。防災力の高い、ソーシャル・キャピタルの豊かなコミュニティの形成に、企業がどう貢献していけるか。ダンクソフトのケースを例としてご紹介します。 

 

2011年の東日本大震災では、大切な写真がたくさん流されてしまいましたね。個人の情報と同様に、多くの自治体や企業が重要な情報を失いました。紙の台帳やカルテが流されたり、サーバーやコンピュータごと流されたりしたのです。紙の情報は、それ自体が失われると取り戻すことができません。ですが、データをインターネットにのせておけば、情報は助かります。そこで企業は「BCP」を意識することになります。   

▎企業にとって大事なのは、迅速なリカバリー 

 

「BCP」とは、事業継続計画(Business Continuity Plan)のことです。企業が災害やテロ、システム障害などの緊急事態に遭遇しても、損害を最小限におさえ、事業を再開・継続するための計画のことです。 

 

緊急事態は、突然やってくるのが特徴です。リーマン・ショックも、東日本大震災も、コロナ禍も、そうでした。その時、企業にとって大事なのは、迅速なリカバリーです。いかにすみやかに復旧し、事業を再開・継続できるかが、信用につながります。逆に、迅速に有効な手を打つことができなければ、機会ロスが高じて、とくに中小企業にとっては致命的なダメージとなる可能性があります。  

▎クラウドなら、どこにいてもビジネスを再開できる 

 

火事の多かった江戸時代に、江戸市中の大店は、万一の火事に備えて、店を再建するのに必要なだけの部材を江戸の外にバックアップしていたといいます。店という場をいち早くリカバリーすることが重要だったからですね。 

 

一方、現代企業にとって、もっとも重要なのはやはり「情報」です。江戸時代には建物のバックアップ部材を用意していたように、今の時代には、情報のバックアップを準備しておくことが必要です。情報をインターネット上にのせて、クラウド化できていれば、データのバックアップは常に自動的になされている状態です。こうしておけば、個人の生活においても、ビジネスにおいても、大切なものを失わずに済むわけです。 

 

「データ・バックアップと防災」と聞くと、これら2つを遠く感じる方もいるかもしれません。でも、これらは関連しているんですね。 

 

ダンクソフト神田オフィスは、以前にも紹介したとおり、ペーパーレスを徹底しています。できるだけモノを減らして、大事なものは整理し、かけがえのない情報はすべてインターネットにのせています。ですから、もし何か緊急事態が起こっても、インターネットさえあれば、どこででもビジネスを速やかに再開できます。 

 

必要な情報がインターネット上にさえあれば、どこにいてもビジネスを再開できる。こういう時代になっています。このことを多くの人に知ってほしいのです。 

 スマートオフィス構想を実践する新拠点 
https://www.dunksoft.com/message/2021-03  

▎災害、テロ、ミサイルまで想定するイマジネーションを 

 

防災や危機対策は、もっとも想像力を発揮すべきところです。未来を構想する際はもちろん、どこまで事前に最悪のケースを想定しておけるかが大事です。「防災」という観点では、不測の事態をイメージすることが欠かせません。 

 

日本では、「緊急事態」というと、地震、水害、台風といった自然災害を連想しがちです。ですが、BCPではミサイルが飛んでくることや、テロが発生することも想定します。テロや戦争と聞いても、なんとなく遠く感じるかもしれませんが、今、ウクライナをめぐって起きていることや、北朝鮮情勢をみても、対岸の火事ではなく、決してひとごとではありません。   

▎「顔見知りコミュニティ」の威力 

 

「防災」を考えるとき、地域の人たちと「顔見知り」の関係でコミュニティに参加できていることも大切です。都市では、隣に誰が住んでいるかがわからない状態は珍しくありません。しかし、実際のところは、東日本震災時でも、顔見知りかどうかが人の動きを分けたと言います。 

 

企業であれば、自社内や取引先など「オフィスの中」はよく知っていても、一歩「外」に出ると、意外と誰も知らない。知り合いがいません。そのような状態で、いざ災害になったときに、どう連携して乗り越えていくことができるでしょうか。   

▎ビル全体の備蓄倉庫をダンクソフト社内に 

 

昨年の夏、ダンクソフト神田オフィスの入居しているビルのオーナーが変わりました。その後、ビルとしての防災対策を検討するなかで、ビル全体のための備蓄倉庫をダンクソフト社内に設けることになりました。他社の分も含め、ヘルメットや、水や乾パン等の備蓄品をしまってあります。現在、私が防災責任者となって、いざ災害になったときに、どうオペレーションしていくか、ビル全体のBCPを策定しているところです。 

 

3.11では、都心部で帰宅困難者が多く出ました。あのときは、備えのあった一部の大企業が、社屋や備蓄を開放するなどしました。今では規模の大小を問わず、こうした行動が、企業の果たすべき社会的責任として求められています。私たちも、何かあったとき、地域や防災拠点になれる、地域の人々と助け合える、そのような良き企業市民としてのダンクソフトでありたいと考えています。   

▎オフィス街で藍(あい)を育て、コミュニティを育てる 

 

ダンクソフトが神田に移転してきたのは、2019年です。その後まもなく、縁あって、地域で活動している「神田藍(あい)プロジェクト」に関わるようになりました。 

 

神田には、江戸時代に、染物屋が軒を連ねる日本有数の紺屋町がありました。オフィス・ビルが建ち並ぶ現在の神田には、当時の様子は残っていないように見えますが、土地の記憶をたどり、神田の街で藍を育てようというプロジェクトです。 

 

ベランダで育てている藍

私たちも2年前から、フロアのベランダに藍の鉢を置いて育てています。藍は育てやすい植物で、日当たりさえよければ失敗が少ないのもいいところですね。お店の前で藍を育てている個人商店があったり、私たちのようにビルのベランダや屋上に鉢植えを並べている企業や銀行があったり。5月5日には、子供の日にちなんで、地域の子供たちに160株ほどの藍を提供しました。8月には子供たちの街歩きも予定されています。   

▎藍ネットワークを結ぶ「WeARee!(ウィアリー!)」へ 

 

オフィス移転からまだ3年ですが、藍を媒介に、顔見知りや知り合いが地域に増えました。このプロジェクトに関わっていなければ出会わなかったような、思いがけない方ともご縁が広がっています。新参者でも企業でも、枠をこえ、「藍」を介して地域にとけこんでいくことができる、素晴らしい取り組みだと感じています。 

 

いま、この神田藍プロジェクトの運営に、ダンクソフトの「WeARee!(ウィアリー!)」をご提供しているのですが、ゆるやかなつながりを持てるコミュニケーション・ツールとして、少しずつ活用がはじまっています。今後は、街歩きの記録や成果をアーカイブするなど、さらに可能性が広がっていくことを楽しみにしています。 

 神田藍愛プロジェクト 
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai 

 

 

2008年以降、ダンクソフトは「地域コミュニティ活性化」の実証実験に多数携わってきました。そのなかで、コミュニティの単位は、ある程度小さい方がよいと感じています。そして、小さな単位のコミュニティどうしがつながっていけば、安心・安全を担保したまま、信頼できる人どうしの集まりを広げていけます。   

▎「バザールバザール」でイノベーションと よりよいコミュニティを 

 

 ダンクソフト・バザールバザール 
https://dbb-web.bazaarbazaar.org/ 

こうした「スモール・コミュニティの連携」が実現できるデジタル・ツールとして開発しているのが、「ダンクソフト・バザールバザール」です。もともとコミュニティ運営の効率化を主眼に2016年から提供開始したものですが、他のコミュニティと相互連携できる機能も備えています。ですから、信頼できるコミュニティ同士で、ともに問題解決をすることも可能です。 

 

このため、バザールバザールは、「防災のプラットフォーム」にもなりうると考えています。 

日ごろからコミュニティ内でのコミュニケーションが成立していたら、お互いの安否確認から必要情報の共有までがスムーズです。顔の見える人同士のコミュニティですから、フェイク情報が入ることも極力避けられるでしょう。信頼のおける情報が得られること、また信頼できる別のコミュニティと協働できることは、非常事態下では、さらに大きな意味を持つでしょう。 

 

この夏、バザールバザールは、大幅なバージョンアップを予定しています。テーマは2つあって、「イノベーション」と「よいコミュニティ」です。 

 

参加者同士が雑談・会話・対話をする中から、ときに予想を超えた、そしてユニークなイノベーションが生まれるよう、さらに工夫を重ねています。 

 

それから、コミュニティ運営の「効率化」だけでなく、本当に「よいコミュニティ」をつくりたいですね。そのためには、ソーシャル・キャピタルがカギだと言われています。 

 

コミュニティというのは、単に人がいるだけでなく、それぞれがつながっていることが大事ですよね。また単につながっているだけでなくて、お互いに信頼し合っていること。そして、互恵的な関係が築かれていることも。 

 

ここにあげた〈社会的ネットワーク〉、〈相互信頼〉、〈互恵性〉をソーシャル・キャピタルといいますが、この3つが豊かであることが、「よいコミュニティ」の条件だとされています。「よいコミュニティ」では、防災意識が高く、災害時・災害後も助けあって、地域のリカバリー(回復)が速いことも知られています。 

 

「よいコミュニティ」ができれば、有事だけでなく、平時でも、また地方であれ都会であれ、安心して暮らせます。そして、もうひとつ。コミュニティが活気づくためには、そこにちょっとした「新しいこと」の取りいれ、イノベーションも必要ですよね。 

 

「イノベーション」と「よいコミュニティ」を支えるデジタル活用を、これからも、みなさんと一緒に進めていきたいですね。 

事例:学生・教員・企業による対話と協働をデジタル・ツールで支え、地域イノベーションを次々と創出する高専の未来

■学生・教員・地域企業が参加、協働事業「ACT倶楽部」がはじまった

徳島県阿南市で、地域のソーシャル・キャピタルを活かしたユニークな協働事業がはじまっている。

 

阿南市には、科学・技術を学ぶ学生が集う、国立阿南工業高等専門学校(以下、阿南高専)がある。実践的技術者が育つ場として、1963年に設立された学校だ。いままでに7700人の卒業生を輩出しており、地域企業の中にも本校を卒業した経営者や技術者が多数活躍している。そして、1995年、その地域の力を阿南高専の学生の未来にいかしていこうと、学生を支援する企業と個人の会として、「阿南高専教育研究助成会/ACTフェローシップ」が発足した。

 

サイエンスと産業連携により、地域課題解決にチャレンジするプラットフォームとして立ち上がった「阿南高専教育研究助成会/ACTフェローシップ」は、卒業生、経営者など企業約100社からなる多様なステイクホルダーが、現在参加している。 ACTフェローシップでは、以前から挑戦したいことがあった。それは、会費などによる金銭的な支援のみならず、ステイクホルダーの多様性をいかして、学生と社会人が一体となって何かに取り組むことができる場づくりである。そして、学生の未来に貢献し、地域イノベーションにつなげていく方法を模索していた。

2021年、その思いを実現する、ある動きが起こる。ACTフェローシップ会員と学生の協働プロジェクトからイノベーションがうまれる仕組みとして、「ACT倶楽部」が発足されることになったのだ。以前から阿南高専とはパートナーシップ協定を結び、サテライト・オフィス設置による学生との共創の場づくりに携わってきたダンクソフトは、連携パートナーである阿南高専の杉野隆三郎教授から、いちはやくこの動きを知ることになった。

  

■昭和の家具x最新テクノロジーでIoT家具をつくりだすプロジェクト・チームを結成

右から2番目が中川桐子氏 、一番左はダンクソフト 星野晃一郎

このACT倶楽部の立ち上げが一気に前進するきっかけとなったのは、ダンクソフト徳島オフィスの竹内祐介と、ダンクソフト・パートナーの中川桐子氏の存在といっても過言ではない。

 

ちょうどそのころ、中川氏は、生まれ育った阿南市の自宅解体に立ち会っていた。100年住宅が解体され、多くの貴重な木材や、昔から大切にされてきた家財道具が次々と運び出される中、これらの家財を廃棄するのではなく、なんとか今の時代に生かしていきたいという考えが強くなった。そこで、ふと、昭和の家具と最新の技術という異質な組み合わせが、何かイノベーションにつながるのではないかと思いついた。

 

ダンクソフト徳島オフィスの竹内祐介とともに、昭和時代からの家具を「IoT家具」として現代生活によみがえらせるプロジェクトに、学生とともに取りくむ可能性を、杉野隆三郎教授に相談してみることにした。すると、地域課題を地域と学生が協働して解決するイメージが、以前から杉野教授やACTフェローシップが考えてきたイメージと合致していることが判明。ほどなくして、新しい協働プラットフォーム構想「ACT倶楽部」が動き出すことになる。

 

また、阿南市出身で、地域ネットワークにも精通している中川氏は、IoT家具プロジェクトの提案者という役割だけでなく、ACT倶楽部と地域社会の媒介役「インターミディエイター」として抜擢される。その抜擢について中川氏は、「学校関係者ではない、また一企業に属しているわけではない存在が、中立性をもって趣旨を理解し倶楽部に関わることで、偏りなくACT倶楽部が純粋にイノベーションに向かっていくことに寄与できるのではないかと考えています」と話す。

 

ダンクソフトは、中川氏が提案した、廃棄寸前の家具をIoT家具としてよみがえらせる「Project KIRI」をいち企業メンバーとして支援するのと同時に、ACT倶楽部のITパートナーとして、学生・教員と参加企業メンバーのコミュニケーション・ツールとして、「ダンクソフト バザールバザール」を提供している。

 

ダンクソフトには、「答えがない複雑・多様な時代の対話と協働」について学びを修得しているメンバーがいる。そのため、そのメンバーがプロジェクトに関わることで、対話から新しいイディアが次々と生まれる場をつくることができる。また、プロジェクトを協働のスタイルで進めるため、参加者の多様性をいかしながら大小のイノベーションを創出しやすい環境をつくることが可能だ。こうして、中川氏の「いにしえの家具をIoT家具に」という課題提起をきかっけに、ダンクソフトが場づくりに関わりながら、学生・教員と社会との連携・協働の場が動きはじめたのだ。

  

■ACT倶楽部スタート早々、11もの協働プロジェクトが企業から提案される

ACT倶楽部は、2021年8月に設立され、10月に学生の募集を始めてからわずか2ヶ月で5つのプロジェクトが地域企業から提案され、2022年明けにはいくつかのプロジェクトがスタートするという、想定以上のスピードで動きはじめた。2022年4月現在、11の多岐にわたるプロジェクトが会員企業や個人から提案され、走り出している。

ACT倶楽部立役者の一人である杉野教授は、スタンフォード大学の客員研究員としてシリコンバレーの発展を自身の目で見てきた経験があり、長年温めてきたひとつの構想がある。当時も今もシリコンバレーでは、企業経営者から青少年まで幅広い人々が集まる地域クラブが多数あり、そこでは毎日のように様々なプロジェクトが実践されイノベーションが生まれている。同様の仕組みを、ここ阿南市でも生み出したいと杉野教授は考えてきた。

 

ダンクソフト社長 星野晃一郎と対談した際には、「あのころ世界を牽引していたシリコンバレーのように、クリエイティブなイノベーションがどんどん生まれる“共創の場”を、阿南につくりたいのです。そこから第2、第3のジョブズやAppleが生まれて、世界にはばたいていく。10億円規模の事業にも発展する。そんな大きな夢を思い描いて、このACT倶楽部を展開しています」と、熱く語って聞かせてくれた。

対談:地域イノベーションが生まれる協働のしくみとは──徳島でACT倶楽部が始動

  

■答えを共につくりだす“Co-learning”と“対話”を重視したプロセス

 

中川氏が提案した、いにしえの家具をテクノロジーで現代生活に再生するプロジェクト「Project KIRI」には、現在、4名の学生が参加している。建設コースの3年生が3名と、情報コース5年生1名の計4名、17歳~20歳の学生たちだ。ものづくりをする建築コースのメンバーと、プログラミングができるメンバーという異質な組み合わせが頼もしい。プロジェクトに参加する学生たちはみな、大人と関わって、学生のうちに色々と経験してみたいという動機でやってくる。

 

オンラインミーティングに集まる、プロジェクトKIRIのメンバー

「おもしろそうだったから興味を持ちました。実際におもしろいプロジェクトで、参加して良かったと思っています。この場で学んだことは、将来、自分の部屋をつくる際に参考にしたり、ICTコースに進んだ後は、自身の趣味にも生かしていきたいと思っています」
— (Aさん/情報コース5年生)
「興味本位からですが、仲の良い友人たちとACT倶楽部に参加しようと思いました。色々な会社の方や先生方と話ができて、交流の場としていいし、自分にとって役に立つ経験ができています」
— (Tさん/建設コース3年生)

プロジェクト開始以来、中川氏と竹内は学生たちと教員2名とともに、6回にわたりオンラインでのアイディア出し、交流を深めている。

 

「私たち自身も、最終的にIoT家具ができるのかどうか、定かではないのです。極端な話、できなくてもいいとも思っています。みんなで対話した結果、IoTすら乗らずに、別の最終形になってもいいと考えています。生活の中で、本当に生活者が喜んで使うものになればそれでいい。むしろこの学びあいのプロセスに価値があると考えます」と、プロジェクト発案者の中川氏は重視するポイントについて触れる。

 

また、竹内は「これからの時代、誰かが答えを持っているわけではないのですね。だから、対話しながら次をつくるプロセスをいちばん大切にしています。大事なのは誰かが答えを教えるのではなく、Co-learning、共にに学びあうことだと考えています」と語る。

 

「ただ、そうは言っても、最初の頃、学生さんたちはこのプロセスに慣れなったようで、大人の側に答えがあるものだという感覚があったようですね。ですが、対話を重ねるごとに、一緒に考えて次をつくっていく感覚が、学生にも身に着いてきました。今では学生・教員・企業人という立場を超えて、メンバーみんなで建設的に、クリエイティブな対話ができるようになってきました。このことだけでも、価値のあることだと思います」。(竹内)

  

■オンライン対話の場「バザールバザール」でアイディア出しを重ねる

企業と学生との協働プロジェクト内で、コミュニケーション・ツールとして使用されているのが、ACT倶楽部のITパートナーであるダンクソフトの「バザールバザール」だ。プロジェクトKIRIのみならず、現在進行中の3つのプロジェクトで、オンライン対話の場となっている。

 

ダンクソフト バザールバザールを使って対話。

「チームでアイディアを収集するときに使っています。プロジェクトの開始時は、最初に私からコメントを入れました。すべてを書き切らず、皆が参加しやすい程度の内容で投稿したら、すぐにスレッドができて、パンパンとコメントが他の方からも入ってきました。バザールはシンプルなツールなので、後から参加した人でも上から順に投稿を見ていけば、こんな風に皆が参加しているんだなと状況がよくわかります」と、中川氏はバザールバザールを使ったコミュニケーションを評価する。

 

「事務連絡というより、バザールはある意味、なんでも書いていい掲示板のような場なんです。出席の確認もそこでするし、思いついたアイディアを投稿したり。学生さんは撮ってみた動画を投稿してくるという事もあります。そのポイントポイントで、学生のアイディアが進化していくのが時系列でわかるのもいいですね。つい最近私は、おもしろそうなテレビ番組の情報をみなさんに参考として共有してみました」。(中川氏)

 

アイディア出しを重ねてきた学生たちも、プロジェクトやバザールバザールについて、率直な感想を聞かせてくれた。

「バザールバザールで、色々な方々と話し合ってアイディアを出すところが楽しいです。たまにコメントが来ているのを見逃したりしているので、通知機能があったら、なおありがたいです」
— (Mさん/建設コース3年生)
「アイディア出しは案外難しいこともあって、でもそれが楽しいところだと思っています。バザールバザールの使い勝手はいいですし、コミュニケーションについてはスムーズにいっています。1点、アイディア出しの投稿数が多くなると、最新のコメントを読むときに一番下までスクロールしないといけないのが大変。そこだけ改善していただけたらうれしいです」
— (Tさん/建設コース2年生)

学生たちのコメントを聞いた竹内は、開発者の顔をのぞかせる。開発者本人である竹内自身が、学生たちや先生方と協働する中で、ツールの使用者ともなっていることは、開発者としては稀有な状況でもある。

 

「この協働プロジェクトを通じて、学生から直接なまの声が聞けることは、開発者としてありがたいことです。開発側が決めた使い方はないので、バザールバザールを皆さんに自由に使ってほしいです。そのうえで協働ツールとして使っていただいて、不便なところを改修していきたいと考えています」。(竹内)

 

■「シンプルで使いやすいツール」から、「対話・協働がもりあがるツール」へ

ダンクソフトでは、バザールバザールを開発するにあたり、できる限り汎用的でシンプルなツールにするため、あえて機能を絞ってきたところがある。つまり、 Microsoft TeamsやSlackのような複雑なツールをパッと直感では使えるようなITを得意とする方からそうではない方までが、迷わずに使えるツールを心がけて開発している。「シンプルで軽くて、サクサク動く」。これは、現在ツールを利用している団体や企業からも高く評価される点のひとつだ。そこが、年齢もIT経験も多岐にわたるACT倶楽部にぴったりハマった。

 

ただ、利用者の様々のフィードバックを受けて、このバザールバザールをもっと協働に寄与できるツールにしていきたいと、バザールバザール開発チームは2022年6月に製品のバージョンアップに向けて、急ピッチで開発を進めている最中である。使いやすいシンプルさを残しつつ、今よりもっと対話と協働が促進されるツールとなるために、いくつかの大きな機能が追加される。

 

バザールバザールの開発マネージャー、ダンクソフト竹内

「何よりも、新しいアイディアや価値をうみだすための“対話ツール”として、もっと使いやすい環境にすることを主眼に、今回は改良を実装する予定です」と、開発マネージャーとしての竹内は解説する。

 

改良点のひとつは、アラート機能ができることだ。他のSNSツールと連携することで、バザールバザールにログインしなくても、メッセージが届いていることがわかるようなる。ふたつめは、コメントを3階層構造にすること。今は上から一覧で時系列に並ぶインターフェイスだが、今後は特定のコメントを選んで、そのコメントに続けて返信コメントが連なるようになる。掲示板コーナー内にいくつもスレッドを立てられるので、検索しやすく見た目もすっきりするだろう。これら2つの改良によって、メンバーはさらにタイムリーに対話に参加できるようになり、アイディア出しや連携が盛り上がる効果が期待できる。

 

もうひとつの改良点は、自分が投稿したデータを削除できるようにすることだ。現状では、既存の投稿を編集することはできるが、コメント削除ができない仕様だ。しかし、これからの時代は、こうしたツールのなかで、自らの情報を自らがコントロールできることがますます重要となる。個人情報保護の観点からも、ツールが一段ステップアップすることになる。より安心して使える環境が整うわけだ。

  

■“ソーシャル・キャピタル”が地域イノベーションを創出する未来

この後、プロジェクトKIRIでは、オンラインでのアイディア出しを終えて、いよいよ学校内に集まって、昭和の家具を触りながらの活動がはじまる。

 

竹内は、「阿南高専が田舎の高専で終わってしまうのはもったいない、それではだめだと考えています」と話す。

 

「田舎だからこそ、実現できることがあります。都会ではやりにくいことが、ここ阿南でできるはずだと考えています。ACT倶楽部の取り組みは、ACTフェローシップ会長の西野氏が長年やりたいと考えてきたイニシアチブだけあって、参加者の皆さんからの地域愛をかなり感じています。阿南高専を卒業して地域の経営者になった方々の後輩たちを見る顔で、誰もが学生を大事にしていることがわかります」。

 

社会的ネットワークのかなめとして、全プロジェクトを俯瞰して見守る立場でもある中川氏はこう指摘する。

 

「阿南高専の学生たちは、あずない子供たちなんです。純粋でいい子過ぎるところがあるので、突然都会に出てはつらいかもしれないと思う時があります。でも、このACT倶楽部では、学生のうちから最先端を見ることができます。第一線で活躍する大人たちと出会うことができます。また、みんなで手をかけていく家具は、ACT倶楽部の呼びかけを聞いて、地域にお住いのある方が寄贈してくださったものなんです。学生たちが、大人の人としゃべることができて刺激になっているとコメントしていました。だからこそ、私は“インターミディエイター”として、色々な大人に子供たちを会わせたいと思っています」。

 

イノベーションには、 “ソーシャル・キャピタル”が不可欠だ。しかし、これが都会では気薄になりがちだ。“相互信頼・社会的ネットワーク・互恵性”があってはじめて、“ソーシャル・キャピタル”が醸成される。そしてこれらは、“よいコミュニティの条件”でもある。

 

阿南高専のACT倶楽部には、立ち上げ以来、集まる人々や地域のあいだに“ソーシャル・キャピタル”が生まれてきているようだ。この先、インターミディエイターの存在や、バザールバザールのバージョンアップを経て、メンバーたちの対話や協働がさらに促進されていくことになるだろう。ACT倶楽部が、地域イノベーションの芽を様々に育む場となることに、さらに期待がかかる。

HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ第3回目です。インターネットの可能性が幕を開ける1990年代後半をとりあげます。

  

▎インターネットがいよいよ台頭

 前回の「HISTORY2」では、パーソナル・コンピュータ黎明期だった90年代前半のエピソードをお話ししました。激変が続くコンピュータ業界、空前のバブル景気、そしてバブル崩壊、相次ぐ災害と危機。苦境のなか、がむしゃらに仕事にうちこみ、WindowsやAccessをいち早く事業化していく激動の数年間でした。

 

今回は、1990年代後半。社名をデュアルシステムから「ダンクソフト」へと変更しました。時代はいよいよインターネットが社会全体に広がっていくときです。私が感じていた可能性を実証したくて、まず自分自身ですすんで新しい体験をしていましたね。インターネットによって何がどう変わるのか。その先の未来を見ていた時代です。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)

https://www.dunksoft.com/message/2022-04 

  

▎Windows95から98へ。AppleからはiMacが登場

 当時の業界事情は、それまでから一転、大躍進したWindowsの全盛期になります。Windows95、Windows98。深夜のお祭りさわぎにわく秋葉原の情景は、もはや社会現象でした。覚えている人も多いでしょうね。

 

この頃、実はApple社は一度傾きかけています。ですが、スティーブ・ジョブズの復帰から、98年のiMac登場を経て、劇的な回復を遂げていきます。私自身、なかなか手にはいらなかったなか、運よく入手できたiMacを実際に使ってみて、これはなかなかいいな、と感じたことを覚えています。

  

▎特許申請に値する、画期的な工程管理システムを開発 

当時のダンクソフトは、それまでの流れを受けて、Accessを使ったアプリケーション開発を多く手掛けていました。なかでも、T建設様とプロジェクト管理のソフト会社とダンクソフトが共同開発したビルの工程管理システムは画期的でした。それまで熟練の職人が1週間かかって手計算していた工程計画を、ボタンひとつ押した瞬間に、わずか数秒で計算し、工程表が完成するというものでした。

 

これにはT建設様もとても驚いて、特許申請しようと提案されるほど斬新なものでした。デジタルを駆使して、効率化だけではない、その先にあるものに向かっていく。手計算からデジタルへ。ある意味、このシステム自体があっと驚く、新しい“はじまり”をつくったと言えるでしょう。建設業界で高い評価をいただいて口コミで次々に広がり、T建設様のほか、大手ゼネコン各社に採用いただきました。

 

会社としては、バブル崩壊のダメージから回復していく途上にありました。私を含め総勢5〜6人で、本当にがむしゃらに働いていたころです。連日、深夜まで仕事をして、会社に寝袋で泊まり込むことも珍しくありませんでした。今ではとても考えられませんね。

  

▎2週間の休暇をとり、ワールドカップを観にフランスへ

 ところで、インターネットは、まだビジネスにも、生活にも浸透していませんでした。ですが、私はインターネットに、はかりしれない可能性を感じていました。

 

そんななか、私にとって衝撃の大事件が起きます。1998年フランスFIFAワールドカップ・アジア予選で、サッカー日本代表が悲願の初出場を決めたのです。こんなことが現実になるとは想像もしていませんでした。小さいころプレイしていたこともあり、サッカーが大好きで、日本代表の試合もずっと見てきました。その少し前まで、日本のサッカーはとても世界に通用するものではなかったのです。

  

▎旅のテーマは「インターネット」

 いてもたってもいられず、フランスへ行こうと決心しました。会社はバブルの打撃から回復の途上という状況でしたから、葛藤もありました。でも、ワールドカップに日本代表が出場するなど、一生に一度のチャンスかもしれないと、当時、痛烈に思ったのです。思い切って2週間の長期休暇をとりました。

 

行く以上は何かに生かそうと考えまして、そこで掲げたテーマが「インターネット」です。すべての工程で、インターネットを駆使した旅にしようと、実験してみることを決めました。

  

▎先んじて自分で実験してみるという冒険

 まず、まだ当時めずらしかったことですが、事前から現地まで、旅行手配をすべてインターネットで、自力で予約してみましたね。

 

海外旅行といえば、移動・宿泊の手配は旅行会社、情報源は紙のガイドブックの時代です。もちろんカーナビはありません。それより少し前に何の予定も組まずに旅をするバックパッカーのブームもありましたが、このとき私が実践してみたのは、そうした現地飛び込み型ではなく、インターネットを使ってすべて自分で事前手配しながら、その上で気ままに次の目的地をめざす、新しいタイプの自由旅行でした。

 

マルセイユの街並み

対ジャマイカ、日本代表の3試合目を観たあと、私はアルルからマルセイユへと旅をしながら、サッカーの試合を楽しみました。その後はフランスを離れ、ミラノ、チューリヒへと、1300㎞をレンタカーで走破。その都度、インターネットでホテルを探し、地図をもって目的地へ移動します。最後は、スイスから帰国の途につきました。

  

▎現地からリアルタイムに情報発信、インターネットの手ごたえを確信

 それから、現地から試合速報や生の情報を、インターネットを使って知人たちにメール配信しました。試合直後に、会社のメンバーを含め20数名に、試合結果などをメールで送りました。それを社のメンバーが、インターネット上に公開してくれていました。

 

テレビ中継でマスメディアが報じるのとは違う、一個人の情報発信は、日本にいる人たちにとって貴重な情報だったと思います。いまでこそ、一人一人がSNSで情報を出せる時代になりましたが、現地から生の情報がほぼリアルタイムで届くことは珍しく、みなさん喜んでくださいました。

 

あの頃のインターネットは、パソコンにモデムが内蔵されていて、電話回線につなぐダイヤルアップ接続でした。いまのようなWi-Fiはありません。ですから、通信のために電話線を持ち歩いて、電話の回線ジャックにケーブルをさすわけです。ピーヒョロロローという発信音を聞きながら回線をつないだものです。

 

このとき体験した驚きと感動は、「インターネットの可能性を追求する」という明確なイメージとなり、現在のダンクソフトが掲げる「インターネットによりよいものをのせていく」という「スマートオフィス構想」につながっています。

 

インターネットを使えば、それまでやれないと思っていたことが、実はできる。実体験をもって「できるんだ」と知り、人々に先んじて手ごたえを感じたことの意味は大きかったですね。

 

当時の情報は、後に個人ブログに転載したので、今も読むことができます。よろしければご覧ください。 

http://blog.roberto-system.jp/200605/article_9.html 

  

▎日本人の働き方は、これでいいのか?

 さらに、この2週間の休暇で得たものがあります。それは、働き方に対する大きな意識の変化です。

 

当時私は、大変な葛藤があって「2週間も」休んでいるという気持ちがあり、覚悟を持って渡欧しました。ところが、ヨーロッパの人たちにとっては「2週間、それは短いね」という反応でした。価値観がまったくちがったのです。

 

彼らは1カ月~2カ月のバケーションを当たり前にとります。なのに、GDPはそれなりに高い。きっと集中して働き、思い切り休むからなのでしょう。メリハリというか、緩急があるのですね。

 

▎この違いはどこから来るのか

 旅先で会う向こうの人たちは、とても楽しそうでした。キャンピングカーで夏のバケーションをエンジョイしている人にもたくさん会いました。かたや日本の私たちは、毎日めちゃくちゃに働いてオフィスで寝袋。この違いはどこから来るのだろう? と考えずにいられません。

 

それまでは「これが当然」と思っていた過酷な働き方に、はっきりと疑問を覚えました。このままではよくない。働き方を変えていくほうがいい、と感じた原体験です。

  

▎いち早く実験して、未来を確信し、新しい“はじまり”をつくる

 この後、1990年代末ごろのいわゆる2000年問題を経て21世紀に入ると、いよいよインターネットが世界を席巻していきます。ダンクソフトも、ウェブサイト制作に力を入れ始めます。また、社内のことでいえば、2002年には就業規則をスタッフ自らが書きかえはじめ、スタッフたちが徐々に自律型人間へと変化していきます。そして2008年には、インターネット前提の働き方、テレワークの実践が始まります。

 

90年代後半にしていたことは、インターネットに感じた可能性をいち早く実験し、先どりし、未来への確信をつかんだこと。そして、この確信をビジネスへと展開し、社内外をインクリメンタル(漸進的)に変えていったことでした。90年代後半は、このあと劇的な変化を起こしていく、ダンクソフトらしい“はじまり”のはじまりでした。

 

HISTORY2:つねに新しいものを取りいれ、難局を超える(90年代前半)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を振り返る「HISTORY」シリーズの第2回。世界も日本も、そしてコンピュータ業界も激動した1990年代前半をとりあげます。  

▎90年代前半はパーソナル・コンピュータ黎明期 

 

前回の「HISTORY1」は、80年代の創業期、最初の「はじまり」についてでした。創業社長の急逝から私が会社を継承したこと。メインフレーム主流の時代に、いち早くPCベースでの開発を選択したこと。自社製品の開発を志向していたことなどを、コンピュータ業界の時代背景もまじえて話しました。 

 

今回は、1990年代前半に入ります。世の中は、空前のバブル景気から、バブル崩壊へ。湾岸危機、ソ連崩壊、そして阪神大震災、地下鉄サリン事件。危機や災害は遠い世界だけの話ではなく、私たち自身の日常にも潜んでいることを思い知らされる出来事が続いた時代です。 

 

この頃のコンピュータ業界は、いよいよパーソナル・コンピュータが席巻し、マイクロソフトが台頭してくる、コンピュータ黎明期です。アップル、マイクロソフト、IBM、富士通、NEC、コンパック、ゲートウェイ……。各社がこぞって新製品を開発し、業界が激しく動き始めた時期でした。そして、まだ世界が今のようにネットワークで複雑・多様につながってはいない、インターネットの夜明け前でもあります。 

 

HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり” 

https://www.dunksoft.com/message/2022-02  

▎一太郎、Lotus 1-2-3、NECの独壇場 

 

まず、当時の業界事情をざっと見ておきましょう。 

 

コンピュータというハードウェアを動かすには、基本ソフトウェアであるOS(オペレーティング・システム)が必要です。今でこそ、OSといえばWindowsとMac OSが圧倒的ですが、現在に至るまでには、さまざまなOSの栄枯盛衰がありました。また、OS上で使われるソフトウェアも、激動の変遷をとげて、今に至ります。 

 

80年代末から90年代初頭は、IBMがAppleのMacに対抗して、MS-DOSの後継となるOS/2を出した頃です。表計算ソフトといえばLotus 1-2-3(ロータス ワン・ツー・スリー)が強く、Microsoftのマルチプランだった時代です。プログラミング言語としてはBASIC(ベーシック)が主流でした。 

 

しかし日本のPC事情は、世界の趨勢とは少し違っていました。NECが圧倒的シェアを誇り、中でもなんと言ってもワープロソフトの一太郎、それに表計算ソフトのLotus 1-2-3がセットになって、オフィスの中に浸透していきました。もうひとつ、NECのパソコンはカラーグラフィックが豊富な色を表現できる強みも大きかった。IBMはビジュアル性能でNECに勝てなかったのです。 

▎OS/2からWindows3.1へ 

 

当時、当社はNEC系列の会社と取引があり、工場のオペレーティング・システムや東京駅の駅案内システムなどを開発していました。私自身は、同時に、NECがつくったBit-INNというパソコン・スクールの秋葉原校や大阪校で、OS/2や、プログラミング言語であるC言語やアセンブラの講師をしていました。 

 

昔から新しいもの好きが集まる会社だったんです。自社製品の開発にも、当時最新だったOS/2でのプログラミングで、いち早く挑戦しました。ただ、できたはいいが、あまりにも重かった。今までのマシンでは満足に動かず、なかなか実用には耐えませんでした。 

 

そこへ登場してきたのが、Windows3.0です。画期的なOSとして、1990年5月の登場以降、世界を塗りかえていきました。ですが、日本でのWindowsブームは、93年に登場するWindows3.1日本語版を待つことになります。当時まだ日本語対応の壁はそうとうに高く、開発が難航したのでした。   

▎ビル・ゲイツと意見交換した、第1回Windows World 

 

Windows3.1日本語版の発売に向けて、日本でもこのOSを広めようと、1991年6月、幕張メッセで第1回「Windows World Expo/Tokyo」が開催されました。当時大盛況だったMac Worldと比べ、Windows自体がまだ普及する前だったこともあり、イベント規模はとても小さかったんです。でも、面白そうだから出てみたい。出展社も来場者も少ないなか、実はこれに当社が出展していました。 

 

といっても、Windows製品はまだ作っていません。ないけれども、2つの製品を出展しました。ひとつが、MS-DOS用のWindowsシステム。もうひとつが、ロサンゼルスにある私の従兄弟の会社が開発した画像データベースの日本語版、自社ブランド製品でした。 

 

ビル・ゲイツと直接会って意見交換をしたのは、その初日の夜の懇親会です。その時出展している人たちと、ビル・ゲイツを囲んでの小さなパーティが開かれました。成毛眞さんもいました。 

 

せっかくの機会ですから名刺交換の際に、日本の機器とWindowsとの互換性のなさについて、ビル・ゲイツに物申しました。何とかします、と返答をもらったことを覚えています。当時の私の発言が寄与したかどうかはわかりませんが、いまやWindowsは互換性に配慮した製品になっています。 

 

開発者をパートナーとして大切にするMicrosoftの社風は今も変わりませんが、さすがに今ではこんなことはありえませんね。当時の日本が、いえ、世界でも、まだWindowsブレイク前夜だったことがわかります。   

▎バブル崩壊、遅れてやってきた打撃 

 

1989年12月29日、日経平均株価が史上最高の38,957円44銭を記録しました。空前のバブル景気です。株価はこれをピークに下落を始め、1991年3月、いわゆる「バブル崩壊」が始まります。しかし、実際に景気の悪化を私たちが実感するまでには、半年近くのタイムラグがありました。 

 

当時は大手企業の受託業務が多かったため、景気悪化の影響は大きいものでした。大口顧客の仕事が突然切られるなど、急激に仕事が減っていきました。その結果、1991年の暮れには、25人いた社員をわずか4人にまで減らさざるをえなくなっていました。チームごとクライアントに引き取っていただくなどの対応に努めはしたものの、新米経営者として、とても辛い経験でした。   

▎小さなチームでの再スタート。新発売のAccessを求めて、ロスへ飛ぶ 

 

小さなチームでの再スタートとなったのが、1992年初頭です。それまでの仕事が激減するなか、休暇もないほど働きづめだった状況から一転し、考える時間ができました。 

 

それまでは受託開発が中心でしたが、私自身はもともと音楽がつくりたかったことも重なり、これからは新しく自社製品を開発していこうと、思いいたります。これは、先代の創業社長がかかげたビジョンでもありました。 

 

当時はインターネットがまだない時代ですから、情報をとるには、アメリカのパソコン雑誌からでした。3、4か月後に日本に着くわけですが、定期購読していたんです。そこで、新しいデータベースソフト「Microsoft Access1.0」がアメリカで発売されるという情報に出会います。 

 

当時、日本ではPC用の本格的リレーショナル・データベースが、まだほぼありませんでした。データベースも自社内で開発していたのですが、限界がありました。そんなとき、パソコン雑誌でAccessの登場を知り、思ったんですね。これはまさに私達がほしかったものだ、と。 

 

そこで、ロサンゼルスまで飛んで、発売日に買いに行ったんです。翌1992年12月のことです。実際に開けてみると、やはりものすごくいい製品でした。ロスまで飛んだ甲斐がありました。この出たばかりのAccessを使って、色々なシステムを開発しました。日本の開発会社の中では、さきがけでした。 

 

さまざまな業界・企業・組織向けシステムを開発しました。そんな中、自社製品として、人脈管理ソフト「義理かんり」をつくります。これが、マイクロソフト担当者の目に留まり、共同でプロモーションを行うことになりました。Accessを普及させたいマイクロソフトからの依頼で、ソースコードを開示することを了承したのです。これもダンクソフトらしい、オープンで、開発会社としては画期的な選択でした。そして、製品は爆発的に広がっていきました。   

1992年、「義理かんり for Access」リリース 

https://www.dunksoft.com/message/2019/12/2   

▎未知を追いかけ、面白がるマインド 

 

まだインターネットが今のようになかった当時、最先端のものを取りに行くには、実際に行くしかありませんでした。私は昔から好奇心が強く、つねに新しいものを取り入れていきたいという気持ちがあります。ロスにいた従兄弟やアメリカのPC雑誌など、外の情報をみずからの足で取りに行っていたおかげで、「次」へいち早く踏み切れたのかもしれません。 

 

私に限らず、当社のメンバーは、未知のものを面白がり、未知のものを常に追いかけているところがあります。新しいものに出会うと、次のことができます。この姿勢は、ダンクソフトの特徴である「インクリメンタル・イノベーション」の土壌となっています。   

▎震災、テロ、核 

 

この頃も80年代同様、がむしゃらに仕事ばかりしていて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをあまり覚えていません。ですが、1995年、大きな災害や事件・事故が立て続けに起こります。1月の阪神淡路大震災、3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件、そして12月の高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故です。 

 

テレビから流れる震災の映像は衝撃でした。関西の仕事も多かったこともあり、神戸の被災地へも足を運びました、あの頃から大きな災害が起こり始めた、という印象が強いです。地下鉄サリン事件はオフィスのごく近くで起きたもので、パトカーや救急車のサイレンが鳴り続いていました。 

 

それまで平和に過ごしていたものが、そのような危機や災害は決して対岸の出来事ではなく、リアルに自分の身に起こりうるものなのだと初めて実感をもって認識したのが、思えばこの時だったのです。   

▎「よい社会をつくりたい」 

 

「もんじゅ」の事故については、もう少し違う思いがあります。実は私は、福井県敦賀市にあるこの原子炉に仕事で関わっていた時期があります。具体的な話はここでは控えますが、そこで見聞きした経験は、現在のダンクソフトや私自身にとって大きなものとなりました。特に、「エシカル」であること、そして「インターネットによりよいものをのせていく」という未来像にとってです。 

 

こうした経験を通して、私は、一人ひとりの生活が豊かになるために「よい社会をつくりたい」という思いを強め、そのための仕事をしていく会社でありたい、と考えるようになりました。人の生活とリスクをどう考えるのか。そしてデジタル・テクノロジーは、暮らしや社会の課題解決にどう寄与できるのか。デジタルで私たちができることは、これからに向けて、まだまだあると考えています。 

 

中央集権的でなく、パーソナルで民主的な、オープンで開かれた社会。トップダウン型でなく、自然発生的なネットワーク型の広がりへの志向を、明確に意識するようになりました。   

▎1995年、インターネット時代のはじまり。「ダンクソフト」のはじまり。 

 

1995年、Windows95が発売になります。日本語版発売日の、深夜のお祭り騒ぎを覚えている人も多いことでしょう。 

 

そして1995年といえば、後にインターネット元年と言われる年で、ここからインターネットが社会全体に広がっていきます。 

 

当社の社名変更も、この年でした。デュアルシステムから「ダンクソフト」へ。 

 

この年は、ダンクソフトにとっても私自身にとっても、大きな節目となる年だったのです。 

「人を幸せにするシステム・デザイン」をimagineする


▎注目したい3つのポイント 

 

今回は、先日公開された事例、NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様のプロジェクトを取りあげます。私の目から見た意味や価値、それを支えた開発メンバーの活躍についてお話しします。  

NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様の活動の様子

こちらの皆様は、花壇や区民農園の整備など、花とみどりで人と人をつなぎ、明るく安全で、住みよいまちづくりを目指す団体です。東京・大田区で20年以上にわたり活動を続けています。 

 

もともと情報管理に紙とデジタルを併用しておられ、メールやファックスなど連絡方法もさまざまでした。ですが、これから活動を続けていくためには、やはり団体運営にデジタルを取りいれることが必要だと、kintone導入に踏み切られました。 

 

プロジェクトは2年半にわたりました。詳細はここでは省きますが、いろいろと紆余曲折がありました。結果としては、すばらしい成果と価値を生み出しました。 

 

中でも今回注目したいポイントが、3つあります。 

まず、プロジェクトの進め方が、変化に対応できるフレキシブルな伴走型アプローチである点。次に、プロジェクトを通じてお客様の可能性や新しい行動を引きだす「エンパワリング」の好例となった点。そして、よりよい社会に向けた「インターネットの善用」という未来と希望についてです。また、真摯にやさしくクライアントと連携しつづけた開発メンバー、企画チーム大川慶一のサポートぶりについても紹介したいと思います。 

 

事例:作業効率化を機に、デジタル化でプロセスを見直し、誰もが関われる団体運営へ 

お客様:NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様 
https://www.dunksoft.com/message/case-hanamidori-kintone    

▎対話を通して、変化に対応していくフレキシブルな開発アプローチ 

 ひとつめのポイントは、プロジェクトの進め方です。ダンクソフトとのプロジェクトは、進め方が「変わっている」「他とは違う」とよく言われてきました。 

 

というのも、一般的なシステム開発では、最初にゴールを明確に設定し、機能や仕様を設計書に落とし込んでから、計画通りにつくっていく進め方が、まだまだ主流です。いわば、答えを決めてからスタートするわけです。 

 

しかし、私たちはそうではないやり方を得意としています。何ができるようになるとよいか、大まかなゴールを共有します。そのうえで、まずは出来るところから着手し、小さな部分からでも改善しながら、設計、実装、展開を速いサイクルで繰り返し、開発を進めます。 

 

大田・花とみどりのまちづくり様と対話を重ね、作りあげたシステム。参加者それぞれに送付するポイント発行案内もkintoneアプリから一括で作成が可能。

これは一般的にはアジャイル開発と呼ばれているアプローチです。アジャイルとは、身軽で敏捷なという意味ですが、ダンクソフトはこれにくわえ、昔から、お客様との丁寧な対話と変化への対応を大切にしてきました。対話を通して、少しずつイノベーションを積み重ねていく「インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)」を掲げるダンクソフトらしい柔軟な開発プロセスです。 

 

これが大きく奏功したのが、今回のプロジェクトでした。プロジェクト開始前では見えてこなかった課題を発見しながらリクエストにも対応できますし、常に「小さな提案」をしながら進めていくことができます。変化の激しい時代には、このほうが結果として、お客様の満足が高く、使い勝手もよくなり、長いこと使っていただけるシステムになるのです。   

▎やわらかい言葉でお客様と連携できるエンジニアがいる 

 大田・花とみどりのまちづくり様は、事業もデータもとても複雑な団体です。多岐にわたるすべての要件を満たすのは、容易ではありません。また、事務局も活動メンバーも比較的ご高齢で、パソコンやデジタルになじみのない人がほとんどでした。 

 

ダンクソフト 企画チーム 大川慶一

そんな中で、つくりながら試運転と改善を重ねる開発スタイルでこのプロジェクトを推進したのが、ダンクソフト企画チームの大川というエンジニアです。コロナ前から100%在宅ワークで勤務している北関東在住のスタッフで、打合せもサポートもリモートが基本でした。団体の皆さんにもオンラインでの打ち合わせに慣れていっていただきながら、共感をもって協働関係を築いていきました。 

 

一般的なIT企業では、営業担当がお客様と接して、エンジニアはお客様と会わずに、営業担当者が聞いてきたことをもとに開発だけするケースが多いものです。でも、ダンクソフトには営業担当はいません。プログラマーやエンジニアが直接お客様と対話し、プロジェクトを進めていきます。一人ひとりがフレキシブルに多様な役割を果たす、「ポリバレント」な動きをしています。 

 

大川はエンジニアでありながら、パソコン初心者にもわかりやすい、やわらかい言葉でデジタルを説明でき、システム導入の話ができます。しかも、そうした方々と、望ましいゴールを探りながら進むプロジェクトです。ダンクソフトに、このようにお客様と対話し、提案ができるエンジニアたちがいることは誇りです。  

 ▎可能性と行動を引きだし、学ぶ意欲を高めた「エンパワリング」なプロセス 

 さて、注目したい第2のポイントは、このプロジェクトに参加することで、団体メンバーの方々がエンパワーされたことです。ひとりひとりの可能性や新たな行動が引きだされたり、学びの意欲が生まれたりしたことです。ダンクソフトのプロジェクトは、関わった人たちがプロジェクトを通じてエンパワーされることも、特徴のひとつです。エンパワーというものは、1回したから終わりではなく、常にエンパワーしつづけることが大事ですから、これを「エンパワリング」と呼びます。 

 

デジタルにチャレンジし続ける、大田・花とみどりのまちづくり様

たとえば、大田・花とみどりの街づくり様の場合、kintoneを導入したことをきかっけに、事務局長みずからが本で勉強して自分でもアプリ作成をはじめたり。メンバーの皆さんも、コロナ禍でプロジェクトを継続するために、初めてリモート会議に挑戦したり。都度都度、大川に相談しながら、より自律的に、自分たち自身の手でもデジタルにチャレンジし続けていく学習力が生まれたようです。そうなると、プロジェクトをさらに先へと展開させていく推進力になるんですね。 

 

このように、ダンクソフトのプロジェクトは、プロセスのなかで一人ひとりが、デジタルによってできなかったことができるようになり、その先の課題に目が向くようになります。 

 

「ここを変えたらもっと良くなる」という試行錯誤を重ねて、今、こちらの団体では、「他にこんなこともできる」「活動と団体のさらなる価値向上を」と、デジタルを活用した新たな価値創造へと視野を広げておられます。   

▎団体の社会的意義 ~花と緑の防犯効果、安全で住みよいまちづくり 

 花や緑や花壇が整っている街は、歩いていても暮らしていても心地よいものです。人の癒しになるだけでなく、防犯効果や安全・安心につながります。「みどりで人と人をつなぎ、明るく安全で住みよいまちづくりを目指す」という、大田・花とみどりのまちづくり様の理念にうたわれている通りです。 

 

大田・花とみどりのまちづくり様が管理する、駅前花壇

普段の生活の中で、たいていの人は花や緑の果たす役割に気づきません。整った状態を維持する方たちがいることや、その業務の大変さを意識することもないでしょう。ですが、ニューヨークもそうでしたが、らくがきがなくなった街では犯罪が減少します。これと同じで、緑が整備されていることで、その街で安全・安心して暮らせているのだと思います。 

 

地域コミュニティの価値を高める活動の意味がいかに大きく重要か、私たちにとっても貴重な気づきとなりました。私自身、住んでいる地域で、緑や環境整備に目が行くようになり、そうした視点から街を評価するようになりました。今までとはまた違った目で地域を見るようになったのも、この団体をご支援したことがきかっけです。   

▎よりよい社会に向けた「インターネットの善用」を目指す 

 こうした社会的意義の大きい団体と連携できることで、自分たちの仕事が、デジタルの力が、またインターネットの活用が、社会がよりよい方向に向かう一助になっていることを、担当者が直接実感できます。その経験や知見を、さらに開発にフィードバックしていくことができます。このことは、ダンクソフトにとって大きな価値になっています。 

 

現に、このプロジェクトを担当した大川は、最近、「人を幸せにするシステム・デザインって何だろう」ということを考え始めています。 

 

インターネットは良くも悪くも便利なツールになりました。それだけに、どうしてもお金が儲かる方向に悪用されることがあります。そちらの方が目立ってきているし、ユーザーの側が心無い企業に日々データを搾取されている実態もあります。 

 

ですがダンクソフトは、「インターネットの善用」を目指しています。よりよい社会に向かうために、インターネットの力を役立てたい。人がより明るい未来に向かうための活動を支援したいし、自分たちも向かっていきたい。そう考えています。 

 

社会全体でさまざまな分断が進むなか、インターネットで仕組みをつくる側にいる立場として、デジタルをどう使っていくか。「デジタル・デバイドの解消からコミュニティの活性化へ」というデジタルの未来を見据え、「よりよいインターネット」に寄与する存在でありたいと思います。 

事例:作業効率化を機に、デジタル化でプロセスを見直し、誰もが関われる団体運営へ

お客様:NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様

花壇や区民農園の整備など、屋外での活動がメインのNPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様。多岐にわたる事業の事務作業は煩雑を極め、少人数で抱え込んでいた。このままでは活動を継続することが難しくなると危惧され、仕組みから見直すことに。kintoneを導入し、活動記録の集計作業の効率化がひと段落した今、さらなる活用方法を構想中だという理事長の内田秀子氏、事務局長、総務担当の3名にお話を伺った。 

大田・花とみどりのまちづくりは、東京都大田区を拠点に地域の緑化や緑の普及啓発を行うNPO法人だ。駅前花壇の整備、区民農園の管理、平和の森公園内の展示室を活用した「みどりの縁側」の企画運営などを大田区から委託されている。田園調布せせらぎ公園での園芸セミナー、児童館や福祉施設での花壇管理の技術指導といった緑化啓発事業にも、自主活動として取り組む。

メンバーは現在113名。2003年の設立当時に定年を迎えていたメンバーや、その人たちに誘われた同年代の友人たちが集まったため、一番厚い年齢層は70~80代と高いことが特徴だ。会員の8割以上がさまざまなフィールドに出向いて手を動かし、活動している。現場の数は約24カ所、担当するリーダーと副リーダーは30名弱だ。

 

■膨大な量の煩雑な情報を短時間で集計する重労働

同団体では行政からの受託事業も多く、遂行責任が生じる場面が多いことから、作業内容に応じた報酬を支払っている。ただし、定員を設けず、誰もが参加できる場として運営するため、時給換算といった単純な仕組みではなく、「ポイント制」を採用している。作業量による評価額を、その活動に参加した人数でシェアする仕組みだ。ポイントの算出方法は活動ごとに異なるため、集計作業の煩雑さに事務局は頭を抱えていた。

多くのメンバーが参加する活動では、ポイントの集計作業の負担も大きくなっていた

「集計のための表が非常に細かく、それぞれの活動現場が思い思いの書き方で提出してくれます。送られてくるデータはフォーマットがまちまち。手入力もあれば、エクセルのデジタル・データもあります。それがFaxで送られてきたり、メールで送られてきたりと多種多様でした。それを事務局でとりまとめて、整理して、入力からアウトプットまでの時間が短い中、そこから必要な情報を抜き出して間違いなく転記するのは大変です。孤独な作業でもありました」と事務局長は打ち明ける。3カ月に1回の集計作業を終えると、会員の努力とその成果を数字としてとらえることができて面白いのだが、5日間ほど目がかすみ、頭痛にも悩まされていた。

さらに、区に提出する活動報告書への記入内容も、事業や契約先によって異なる。実施したことを毎日紙に書いて提出するチームもあれば、3カ月分をまとめて提出するチームもある。これに、事務局で集計した参加人数や作業時間のデータを突き合わせて、全体像を把握するのだ。

事務局側がこの膨大な作業を、今後も耐え続ければ済むという話でもなかった。「設立から今まで、さまざまな仕事が次々と増え、現場に合わせてつぎはぎで運営してきました。これでは、これ以上は事業を増やすことができない状態です」と話すのは、事務局長の内田秀子氏だ。作業内容が属人的になり、「今ここで整備しておかないと、いつか無理が来てしまう。今こそが変える時」と感じていたという。

 

■効率化を通して、プロセスそのものを見直し

https://www.dunksoft.com/kintone

事務作業を担える人を増やしたい。できれば入力や参照をしやすいよう改善したい。でもこの団体の複雑な動きに対応できるアプリはあるのだろうか……? 悶々と悩んでいるときに紹介されたのが、ダンクソフトだった。抱えている課題を相談するうちに、まずはポイント集計業務の改善を短期的なゴールに定め、業務改善プラットフォーム「kintone(キントーン)」を導入してみることとなった。

「出来上がったものをお渡して終わりというプロジェクトではありません。ある程度アプリを操作できるぐらいまでできた段階でお渡しし、使っていただきながら、ご一緒によりよく改善していく開発スタイルをとりました」と語るのは、プロジェクトを担当したダンクソフト企画部の大川だ。

ダンクソフトがkintoneを試運転できる状態に整え、それを事務局で試しながらフィードバックをしていった。実際に担当者がアプリを使って、ここをこうしたいという改善点を伝え、大川がそれらをアプリ側に反映していく。これを何度も丁寧に積み重ねてきた。

「何かあっても大川さんがいるから、という安心感がありました」と総務担当は振り返る。「初歩的なことを聞いても、すぐに分かるように教えてくださるし、『ここを変えたらヒューマン・エラーが減りそう』と言えば、次回までに変えてくださる。課題解決までの2年半は紆余曲折がありましたが、気持ちの部分は楽に進めることができました」。

kintoneを使って集計作業をする、大田・花とみどりのまちづくりの職員

また、大川は北関東在住で、「何か不可能なことがあれば都内のメンバーが伺い、私は当初からリモートでの参加を想定していました」と語る。ちょうどプロジェクト開始時期がコロナ禍の直前だったことも功を奏した。このプロジェクトでオンライン・ミーティングを行うことで、やりとりを通してkintoneに、そしてオンライン・ミーティングにも徐々に慣れていくことができた。

さらに、kintone導入の過程で、活動自体を見直すようにもなった。「当初は私たちの記録方法にkintoneを合わせようという考え方だったのですが、自分たちの記録方法をkintoneに合わせて変える必要があることに気付いたのです」と事務局長は説明する。記録方法やポイント付与の基準を統一するなど、kintoneへの入力、集計がしやすい形へと改めていった。また、現場のリーダーや副リーダーを対象に、活動記録のデジタル化を推進する背景や、協力してもらいたいことについて説明会を何度も実施した。

kintoneの導入は、集計作業の負担軽減だけでなく、業務改善のきっかけにもつながった。

デジタル化の効果を身をもって体験したのは事務局長で、「頭痛が無くなったんです」と表情を輝かせる。総務担当も「パソコンを触れる人ならばできる作業になり、誰もが何らかの形で関われるようになった」と安堵する。最近はデータ入力担当のスタッフが2名参加するようになった。事務局がデータをスムーズに入力することができるよう、ここまで業務改善が進んできた。さらに今後は、「活動への出欠エントリーなどを、会員自身が直接入力できるようにしていけないか」と、アプリを会員間にも広げていくことを視野に入れている。

 

■高齢だからこそ、オンラインの活用を

ちょうどkintone導入と作業の見直しを進めるタイミングが、コロナ禍と重なった。そのため、活動自体の縮小や人数制限、整理を余儀なくされた。多くの人が縦横無尽に動き回るコロナ前の動き方のままだったら、kintoneに合わせて記録方法を見直すことは難しかっただろう。当初は緊張していたオンライン・ミーティングを、コロナ禍までに経験を積むことができていたのも、思わぬ収穫だった。

会員の多くが高年齢でデジタルの操作に慣れていないことや、さまざまなフィールドで手を動かす活動が主体ということもあり、kintoneに実際に触っているのはまだ数名のみだ。情報共有や気分転換を兼ねて、現場に集まってのリアルなミーティングは今のところは欠かせない。

地域の花壇整備や、Zoom体験講座に積極的に参加する、大田・花とみどりのまちづくりの会員のみなさん

だが一方で「高齢だからこそ家から出るのが難しくなり、オンラインであれば参加できるという人も出てきています。『世の中もオンラインの時代だから』と前向きな方もいるんですよ」と事務局長は付言する。少しでも慣れてもらうため、会員の自宅からきれいな庭を配信したり、2021年2月から数カ月、会員向けにZoom体験講座を継続して開催したりした。すると「最初に参加してくらたのが、80代超の人たちだったんです。高度経済成長を引っ張ってきた世代なので、新しいものにも積極的に取り組んでくれるみたいですね」。

 

■システム活用で、団体の価値を高めていきたい

登録された活動記録を元にポイント集計を行う画面

短期的なゴールだったポイント集計作業の改善がひと段落した今、せっかく導入したkintoneを別のことにも活用できないかと同団体では考えている。ポイント集計によって、誰の何時間の働きがどのような成果につながったのかが有機的に見えてくる。財産ともいえるこの貴重なデータを、団体をうまくアピールできる表現に加工や編集ができないないかと模索中だ。

これまでは講演などに出向いた際の団体紹介で、花壇の説明を一から始め、写真を見せながら「黄色いジャンパーを着ている人たちが働いている」と説明してきた。しかし、それにも若干の違和感を覚えていた。「当団体の活動によってもたらされた変化を、データの裏付けを交えながら表現できれば」と内田氏は意気込みを語る。

参加者それぞれに送付するポイント発行案内もkintoneアプリから一括で作成が可能

内田氏が関心を持つのは、「私たちの仕事によって、大田区の何が変わったのか」だという。「作業量でいえば、もちろん業者の方が行う方が格段に多いでしょう。でも、区民が公共事業を担い、区内の緑の何パーセントに関わったのかということについて、データを用いての表現も試みてみたいですね」

これにはkintone導入に関して理解をしてくれた会への感謝の意味合いも込められている。今まで築き上げてきた業務管理方法でも、どうにかギリギリのところで運営してこられたが、それでも新システムの導入について前向きに受け止め、理解を示してもらった。だからこそ、ポイント集計の作業改善にとどまらない成果を出したい、「宝の持ち腐れにしたくない」と事務局長は話す。

実際に事務局長は、kintoneについての書籍を読み込み、アプリ作成も試しているという。「こっそりアプリを作って、やっぱり何か違うなと思い直してすぐ消したり。試してみても誰かに迷惑をかけるわけではないので、楽しみながら試行錯誤しています」

今後はさらに、区内の緑や公園について独自の目線で調査を行い、ストックしたデータを提案に活かすなどの活用ができないかと構想中だ。「行政に対しても、今まではどちらかというと、与えられた仕事をこなすことで精いっぱいでした。もう少し提案型の事業へと発展させたい、それにあたってデジタルの力を借りられれば」と語る事務局長は、若者たちも関わりやすい事業形態へと変えていくことで、新しい仲間を増やしていきたいという希望を抱いている。 


導入テクノロジー

kintone

デジタルもっと活用プラン

※詳細はこちらをご覧ください。https://www.dunksoft.com/kintone 

NPO法人 大田・花とみどりのまちづくりとは

東京の大田区をフィールドに、ボランティア活動を通じて地域の緑化と緑の普及啓発を行い、豊かさと潤いのあるまちづくりに寄与することを目的としたNPO法人です。

https://hanamidori.sakura.ne.jp/

 

HISTORY 1:1983年、はじまりをつくる会社の“はじまり”

2022年、ダンクソフトは第40期を迎えます。その節目にあたり、今年のコラムでは何回かにわけて、IT業界の進展と共に変身してきたダンクソフトの歴史を取りあげていきます。初回となる今回は、ダンクソフトができた1980年代。誰も知らない創業の頃を語ってみたいと思います。 



▎1983年、デュアルシステム創業 ~はじまりは“ハードウェア”~ 

 

誤解されることが多いのですが、私は創業社長ではありません。創業者の遺志を受け継いで就任した、2代目社長です。東京・秋葉原に株式会社デュアルシステムが創業したのが1983年7月、創業者は会田祥彦さんでした。造船会社のIT部門で機械制御を担当していた方で、旺盛な独立精神から起こした会社です。自身で独自のブランド製品をつくりだしたいという希望をもってスタートしました。 

 

当時は、社員3名、アルバイト1名。初めて開発した自社製品は、PCとプリンタのあいだに置いて切り替えを行うスイッチでした。驚かれると思いますが、ダンクソフトの前身であるデュアルシステムの“はじまり”は、ハードウェアでした。ですから、社員にはメカトロニクスの技術者やハードウェア技術者もいました。 

 

若かりし頃の星野晃一郎

私が入社したのは、創業から1年後の1984年7月です。もともと音楽を志す文系学生でした。大学卒業後に音楽をやりながら、小さな寺子屋で英語と数学の個別学習を担当していたんです。ある日、インテルの最新CPU関する英語マニュアルを一緒に読んでほしいということで、SEの方が寺子屋にやってきました。彼は私に英語を、そして私は彼からプログラミングを学ぶという “co-learning” がはじまりました。その方から昼間は使わないPCを借りて、独学でプログラミングを学びはじめました。 

 

目に見えないものを構築していく点で、プログラミングは、音楽と親和性が高くて、おもしろかったんです。自作で学習システムやワープロソフトを作ったりして、ハマりました。一方、音楽のほうは、山下達郎の登場に衝撃を受けて、これは太刀打ちできないな、と。それを機に音楽の道ではなく、縁あってこの会社に入ることになったのです。入社した当時、私のプログラミング歴は2年半でした。  

▎2年で売上10倍の超急成長 

 

入社後すぐに担当したのが、富士通のプロジェクトでした。本社の制御系通信システムの開発プロジェクトに、メンバーとしてアサインされました。振り返っても、40年この業界で仕事をしてきた中で過去最高に難しい仕事で、当時は毎日、ただただがむしゃらに働いていましたね。 

 

入社時点の肩書は主任でした。とはいえ、社員数人の小さな会社です。部下は誰もいない、ひとり主任でした。まもなく管理主任になり、課長代理になりました。しかし課長はいません。じきに課長になり、部長代理になり(もちろん部長はいません)、入社から約2年で部長になっていました。その頃には部下も10人近くおり、売上も入社時の10倍ほどまで伸びていました。  

▎ハードウェアからソフトウェアへの転換 ~創業社長の急逝を乗り越えて~ 

 

ところが、1986年7月、社長が病気で急逝します。創業からわずか3年でした。そして同年9月、入社2年にして私が2代目社長に就任することになったのです。 

 

ソフトウェアに特化していくのはそこからです。小さな会社はノウハウこそが資産なので、やれることを絞らないと価値につながらないということは常に意識していました。そこで事業内容をハードウェア中心から、ソフトウェアに特化。あつかう分野もプログラミング言語も、意識的に絞っていきました。  

▎「これからはPCの時代だ」 ~未来を見すえた決断~ 

 

80年代は汎用機(メインフレーム)全盛期。企業のシステム開発は汎用機で行うことが主流でした。パーソナル・コンピュータ(PC)はその名の通り、個人で楽しむホビー用と認識されていて、プロが使うマシンとは思われていませんでした。当然ながら、PCベースでシステム開発をする企業もまだまだ少なかった。 

ですが、そんな中、ダンクソフトはPCベースのシステム開発を選択しました。PCの方がスピードにもコストにも優れ、作業の時間が短縮できます。実際に使用するクライアントの利便性が高いことも明らかでした。オモチャで開発するのかと揶揄する人もいた時代でしたが、今思えば、未来を見通した、先見性ある決断でした。 

汎用機(左)と当時画期的だったNEC9801(右) 

(出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0
Ing. Richard Hilber - 自ら撮影, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8724964による

https://en.wikipedia.org/wiki/PC-9800_series By Miyuki Meinaka - File:NEC_PC-9801UV_owned_by_Takayama_city.jpg, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77386805)

▎最初プロジェクトは、花屋さんのための課題解決システム ~80年代からサブスク型~ 

 

自社製品としての初プロジェクトで、自分たちがつくりたいものをつくれた最初のものは、花屋さんのためのシステムでした。 

 

ウェディング向けの花屋さんをやっている方が、コンピュータでしくみを作ることに、会社としてチャレンジされたいという相談でした。私たちも結婚式場に出向いてインタビューを重ねました。コンピュータを購入する予算がないため、ダンクソフトで余っていた少し古いPCを貸し出して導入し、販売管理の仕組みができあがりました。式に関する情報、会場、ドレスに合わせた花や小物の情報、イベント情報などが管理できる仕組みです。 

 

システムとして画期的だったのは、時間・期間の区切りをなくし、長期にわたるプロジェクト管理を可能にしたことでした。 

 

80年代に主流だった保存媒体フロッピーディスク 

(出展:https://en.wikipedia.org/wiki/Floppy_disk By George Chernilevsky - Own work, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6963942 ) 

当時の販売管理システムでは、通常、月や年単位で会計が区切られていました。月単位で管理して、月が終わったら〆て計算し、フロッピーに保存というものが主流でした。 

ただ、結婚式は1年後など先々での実施なので、時間に関係なく販売管理ができるものである必要がありました。また、花屋さんは週1回仕入れに行き、仕入れた花も再利用ができます。そういう特殊な事情を加味したシステムでした。 

 

今でいうサブスク型の契約でした。斬新です。こうして通常であればマシン購入やシステム開発費など、莫大な初期投資が必要だったところ、イニシャル・コストを抑えての導入が実現できました。40年たった今でも、しっかりシステムの内容を決めてから受発注するプロジェクトが多いのが実情です。そんな中、80年代に、お客様と連携しながら少しずつ開発し、刷新していく顧問型プロジェクトとして提供したのは、時代を先行していましたね。 

 

このお客様は今でもご支援が続いています。デジタルの力で、ビジネスをよりよくしていくパートナー(協働相手)として、連携しながらご一緒しています。 

 

また、ここで生まれた、決算期に縛られない、時間をこえて企業の重要情報を管理できる斬新な発想は、その後も変わらず弊社製品の設計思想として受け継がれています。現在の製品でいえば、「未来かんり」に活かされています。 

 

▎「はじまりをつくる」のはじまり 

 

もともとデュアルシステム(現ダンクソフト)は、創業者が自社ブランド製品を開発する意図で立ちあげた会社です。ハードウェアからソフトウェアに転換した今日も、自社ブランドを開発するというDNAは、現在のダンクソフトに受け継がれています。新しい取り組みに挑戦し、常に学びつづけ、学びあうという精神も、創業時から大切にしていること。ダンクソフトのインクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)を支えていると言えるでしょう。  

▎80年代の創業期は時代の激動期 

 

私はビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスと同じ年の生まれです。80年代のIT業界は、やがて来るパソコン時代やインターネット時代を目前に控え、ものすごいスピードで動き続けていました。黎明期とはこういうものなんでしょうね。私たちも、ここから変わっていく、そのはじまりをつくっていくという自由な時代の風を感じながら、休みなく働き続けていました。  

ビル・ゲイツ(左)とスティーブ・ジョブス(右)

(出展:
Bill Gates photo by DFID - UK Department for International Development - https://www.flickr.com/photos/dfid/19111683745/, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

Steve Bobs photo by Matthew Yohe, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/in 

私自身も超多忙で、月の残業時間が多いときで150時間にのぼり、最多で9つのプロジェクトを抱えて同時進行。もっとも過酷な時期は月1kgずつ体重が落ちていき、命の危険を覚えたこともありました(笑)。 

 

80年代の創業期はそんな猛烈な状況でしたから、あっという間に過ぎたというか、あまりに忙しすぎて、世の中で起きていたことや、時代のエピソードをよく覚えていないくらいです。唯一覚えているのは、84年のロス五輪の時期、実家に戻って家族とテレビを見たという記憶ぐらいです。そんな激動の立ちあげ期が、ダンクソフトにもあったということです。 

 

この後、90年代、そして21世紀へと時代が進み、自社製品のリリース、ダンクソフトへの社名変更、マイクロソフト社とのパートナーシップ等を経て、ダイバーシティ、ワーク・ライフ・バランス、そしてエシカルへと向かって変化しつづけていくことになります。そのあたりはまた次回以降、順にお話ししていこうと思います。  

2022年 年頭所感

新年あけましておめでとうございます。 

2022年の年頭にあたり、ご挨拶申し上げます。  


▎2022年、デジタルで劇的に流れを変えていく 

 

2022年は、後戻りせず、未来を実現していく時です。 

 

インターネットにあらゆるものをのせていく。加速してきた流れが、いよいよ社会と暮らしを変える大きなうねりとなってきました。「スマートオフィス構想」も、新たな局面に入っています。 

 

本年はダンクソフトにとって、40期目となる大きな節目の年でもあります。他に先がけて常にクリエイティブにはじまりをつくり、劇的に流れを変える年にしていきます。   

▎社名の「ダンク」はダンク・シュートのダンク 

 

ダンクソフトの「ダンク」は、ダンク・シュートのダンクです。これはバスケットボールの花形プレイで、高く跳んでリングの真上からボールを直接たたき込む、あのダンク・シュートです。 

 

ダンク・シュートは、相手のディフェンスを完全に崩して、試合の「流れ」を劇的に変えることができます。インパクトが大きく、人の心を動かします。驚きで感動を生むという大きな力をもっています。   

▎驚きで感動を生み、世の中のシーンを変える 

 

また、ダンクは「ジャンク」ともかけています。ジャンクDNAのジャンクですね。くだらないもの、つまらないもの、がらくたを意味しますが、一見くだらなく思えるもののなかに、実は価値があるという意味を込めています。どうでもいいような役に立たないものをつくっている会社です、と言いながら、実は予断をもたず、劇的に流れを変える、新しい価値を提示するようなサービスやプロダクトをつくっているという(笑)。遊び心のある、ちょっとしたユーモアでもあります。 

 

ダンクソフトは、いつもダンク・シュートをねらっています。ダンク・シュートのような、劇的に流れを変えるサービスやプロダクトをつくり、世の中のシーンを変えていく。新たなはじまりをつくる。常にそこを目指しています。2022年は、40周年を刻む年でもありますから、スタッフやお客様、そしてパートナーの皆様と共に、ダンク・シュートを次々と決め、驚きで感動を生んでいきたいですね。  

▎2021年の成果が結実、アワードも受賞 

 

2021年は、多くの新たなはじまりが生まれた、いい1年になりました。日本各地でさまざまなプロジェクトが展開し、新たなシーンを生み出しました。業績もよく、新しいメンバーが4人入社。来春ジョインする2人の内定も決まっています。 

 

そんな2021年の終わりに、ダンクソフトは、株式会社 主婦と生活社が主催する「CHANTO総研企業アワード2021」を受賞しました。各地で展開するリモートオフィスや長年にわたるテレワークの実績など、スタッフの働きやすさにつながる施策のほか、「スマートオフィス構想」に対して評価いただいたものです。 

 

こうした賞をいただくのは、2017年の東京都「東京ライフ・ワーク・バランス認定企業」以来で、ありがたいことにこれで16個目の受賞となります。2017年には、他にも、経済産業省「攻めのIT経営中小企業百選」、徳島県「とくしま子育て大賞 子育てサポート大賞」と、年間に3つの受賞という晴れがましい年でした。 

 

●参考 

https://www.dunksoft.com/news/2021/12/9 

https://www.dunksoft.com/award 

 

●CHANTO総研のインタビュー記事 

https://chanto.jp.net/work/working/237219/ 

https://chanto.jp.net/work/working/237229/   

▎ウェブチームと手がける、生活イノベーション 

 

2022年のダンクソフトの見どころを、チームごとにご紹介したいと思います。 

 

まずウェブチームは、昨年4人の新メンバーを迎え、大きくパワーアップしました。新卒メンバーも含めて適応がとても早く、新たなテクノロジーを導入するよい機会にもなりました。 

 

また、これまで開発を進めてきたプロジェクトから、今年、大きな新展開を発表できる予定です。たとえば、投資の民主化と呼びたいような、皆さんがあっと驚く新しいサービスを用意しています。大半の人たちにとって遠くに感じられた証券取引や投資がもっと身近になり、生活の中に新しいイノベーションを提供できる運びで、期待がかかります。   

▎業務効率化ツールが「対話ツール」へと進化 

 

次に開発チームでは、「ダンクソフト・バザールバザール」のメジャー・アップデートに向けて動いています。バザールバザールは、現在は組織の会員管理を主眼としたクラウド・サービスとして提供しています。おもに事務局が業務を効率化して、会員とのコミュニケーションを円滑に活発にするサービスとして、力を発揮しています。 

 

今、この特長をさらに伸ばしながらも、単なる業務効率化ツールにとどまらない、「対話ツール」へと進化させています。ニュービジネス協議会様や阿南高専ACT倶楽部様のような先行事例をよきモデルとして、さまざまな組織への導入をサポートしていければと考えています。 

 

対談:地域イノベーションが生まれる協働のしくみとは──徳島でACT倶楽部が始動 

https://www.dunksoft.com/news/2021/11/1 

 

「対話」はとても重要で、ダンクソフトでも重視しています。多様な人たちが自律しながら協力し、平等に意見を出しあえ、良質な対話ができることで、組織も、チームも、個人もよくなると考えています。議論や評論や論破ではなく、「多様性の中の対話」によって、イノベーションを起こしていくことが大事です。このためのツールへと、バザールはさらに進化していくことでしょう。  

 ▎誰でもどこからでも、世界を視野にビジネスを 

 

企画チームの2022年は、「WeARee!」(ウィアリー)の進展が大いに期待しています。先月のコラムでは、砥部焼の窯元とともにバーチャル・ツアーを実現したケースをお話ししました。バーチャル・ツアーを使って、作家や生産者自身が、地域に居ながらにして、みずから世界へプレゼンテーションできる環境が整いました。愛媛まで足を運べなくても、インターネットごしに日本のアートワークを手に入れたい人は世界中にいますので、バーチャル・ツアーの後、即、ECサイトで入手することも可能です。このように、「バーチャル・ツアー+ECサイト」という組み合わせによって、世界が一気に目の前にやってきますね。 

 

言葉の壁も、翻訳技術の向上によって、大きな障害ではなくなりました。世界を視野に入れたビジネスが、場所や組織規模を問わず、誰にでも可能な時代なのです。 

 

バーチャル・ツアーだけでなく、「WeARee!」は、使い方次第で、まだまだ多様な可能性がひらけていくでしょう。新しい使い方をたくさん発見するために、多くの方々に使っていただける年にしていきたいですね。  

▎石垣島の学童運営にみる、未来の先どり 

 

2021年のハイライトとして大きいのが、何度かご紹介してきた石垣島の放課後学童クラブのケースです。デジタル導入による作業効率化、コミュニティ活性化の温かくも斬新な成功事例で、このケースには私たちが目指す未来のかたちが詰まっています。   

▎小さな会社こそ、デジタル化の好機 

 

かつて、デジタル化や情報システムの導入は、とてもお金のかかるものでした。大企業でなければ難しかった時代がありました。ですが、クラウドが登場して、システム導入に要する費用は劇的に下がりました。 

 

いまや、小さな組織でも、かつて大企業だけが使えたようなシステムを利用できるようになりました。いえ、むしろ小さな会社や団体ほど、デジタル化の劇的なメリットがあります。テクノロジーが急速に進展し、いよいよ環境が整った今、小さな組織、地域の組織、PCが浸透していない組織こそ、デジタル化の恩恵を実感する好機なのです。  

 ▎スマホとインターネットさえあれば、できる 

 

石垣島はなまる学童クラブ様の場合も、もともとPCを使う人は、ほとんどいませんでした。でも、スマホとインターネットは、日ごろから皆さんが使っているのです。それなら後は、“インターネットにあらゆるものをのせていけばよい”だけ。ダンクソフトは、そこをお手伝いしていきました。 

 

結果、変化は劇的でした。はなまる学童クラブ様の場合、事務担当の専任スタッフがいなくても運営できるようになったのですから。それほどに事務作業の負荷を減らせています。もちろん作業は全て、使い慣れたスマホのままです。 

 

このようにスマホとインターネットがあれば、できる。「ない」と思っていたインフラが、実は「ある」。このことに、サービスを提供する企業サイドが、まだ気づいていないだけだと思います。    

▎子どもたちが未来だ 

 

効率化で得られた費用や時間は、子どもたちのために。子どもたちがのびのびと成長できる、理想の学童づくりのために活かされています。 

 

子どもたちの笑顔が何よりですね。未来をつくるのは彼らですから。そこに未来が見えます。ダンクソフトにとって、子どもたちの未来につながるサポートをしていること自体が価値でもあります。 

 

また、はるか2000キロも離れた石垣島の学童と東京の会社が、実際に会わずにも協働できることも新しい。いくつもの意味で、私たちが目指す未来のかたちの詰まったケースだと思います。   

▎ダンクソフトは地域へ、世界へ 

 

インターネットにあらゆるものをのせていく。そしてその先にある「スマートオフィス構想」へ。これまで展開してきたサービスから、未来を先どりする事例が、目に見える形で、次々と結実してきています。 

 

「WeARee!」も「ダンクソフト・バザールバザール」も「日報かんり」も「学童アプリ」も、すべてスマートオフィス構想の一環です。これからさまざまなプロダクト&サービスが連携し、収斂し、スマートオフィス構想がいよいよあちこちで実現していくフェイズに入りました。 

 

2021年はフランスからのインターンを受け入れ、ダンクソフトにとってヨーロッパが近くなりました。3年後にはパリでオリンピック開催です。そのころまでには、ダンクソフトも世界へ向けた「スマートオフィス構想」を展開していきたいですね。機は熟したと感じています。 

 

世界全体を見渡せば、あちこちで分断が進んでもいることが気がかりです。都市と地域、子どもの現在と将来、地域と世界、森と人……。しかし、関係が途切れている“あいだ”にこそ、デジタル活用の可能性があります。最後に一言。気が付いた人から変わっていくことが大事です。そのための意識変革をうながすのが、私たちダンクソフトの役割だと思っています。 

 

2022年、もとに戻らず、ご一緒にデジタルで次なるはじまりをつくっていきましょう!

株式会社ダンクソフト 
代表取締役 星野 晃一郎 

ポスト・コロナの「人新世時代」、もとに戻らずデジタルで“はじまり”を

2021年最後のコラムとなる今回は、代表取締役 星野晃一郎と取締役 板林淳哉が対談しました。ポスト・コロナ社会、そして「スマートオフィス構想」の未来に向けて、「インターネットにあらゆるものをのせていく」を軸に、今年1年を振り返りながら、40周年を迎える2022年以降を見据えます。



 ▎2021年、多くの新たなはじまりが生まれた

 

星野 ダンクソフトにとっての2021年は、いい1年でした。デジタル活用の波が広がっていったからです。距離や空間を超えて、人と人が出会い、少しずつ関係が生まれていく。こうして新しいプロジェクトが始まり、多くの新たなはじまりが生まれました。そのような良い流れが連鎖していく1年でしたね。  

右:ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎
左:ダンクソフト 取締役 板林淳哉

▎「できない」を「できる」に変えるデジタルの力

 

星野 さて、今年の板林さんといえば、やはり「WeARee!」(ウィアリー)。かなり面白いプロジェクトがいろいろと展開しましたね。

 

リコーのTheta(シータ)で撮影した、「縁庵」のバーチャルツアー

板林 中でもご紹介したいのが、今年10月に「WeARee!」を使って開催したオンライン・イベントです。東京・湯島にあるギャラリー縁庵 様で、愛媛にある砥部焼の窯元4か所とつないだ展示会を行いました。
 

星野 東京のギャラリーで作品の展示を行いつつ、遠く離れた愛媛の窯元とインターネットでつなげたんでしたね。

 

板林 はい。今回は、窯元ツアーをインターネット上に用意したんです。ウェブ上の入り口から窯元に入っていき、まるで実際に訪れているかのように作業場や窯を見学することができます。ポイントは、これらの画像を現地の窯元の作家さん自身が撮影したところにあります。リコーのTheta(シータ)という360度カメラで撮影していただきました。

 

星野 自分たちで撮影してもらって、映像を送ってもらったんだね。

 

リコーのTheta(シータ)で撮影した、「器屋ひより」のバーチャルツアー

板林 そうです。従来は、僕らが撮りに行ってコンテンツを作成するやり方が一般的でした。ところが、コロナ禍や緊急事態宣言の影響で現地に行けない。そこで遠隔でご支援しながら、窯元の皆さんに撮影してもらうことにしました。一種の分散作業ですね。これによって、ご自身たちでデジタルに触れる機会をもっていただけましたし、そうすることで「やってみたらできた」という経験をしていただきました。自然とデジタル・リテラシーを高めていただけましたし、その上、距離を超えて、ご一緒にギャラリー来訪者の「新しい体験」をつくりあげることができて、これがとてもよかったのです。

 

星野 このプロジェクト自体がデジタルに親しみ、デジタルを学ぶ機会にもなっているのですね。

 

板林 もとに戻らず、デジタルではじまりをつくるというのは、ひとつはこういうことかもしれません。  

▎あなたの「体験」もインターネットにのせられる

 

星野 これまでデジタルを使っていなかった人が、チャレンジしてやってみたということがすばらしい。その成功体験やノウハウは、必ず今後に生きてきますね。「デジタル・デバイドの解消」から、「コミュニティの活性化」へ。ダンクソフトが目指すモデルのひとつです。

 

板林 企業活動のための情報だけでなく、あなたの「体験」もインターネットにのせていく。この試みが形にできたことは、今年の大きなトピックのひとつだと思います。「コロナだから」デジタルを使うのではなく、コロナはあくまできっかけで、デジタルの強みを活かした時間や場所を問わない働き方や暮らし方を、今後もどんどん広げていきたいです。

 

Googleが検索という新しいツールを開発したとき、様々なユーザーが参加することで、新しい使い方が発見されていきました。「WeARee!」を使っていただいていると、まだまだ潜在的な可能性がありそうです。さらに多くの方々にご参加いただいて、皆さんと新しい使い方を発見していきたいと思っています。  

▎日本人は変化を嫌う国民性?

 

星野 そんな新しいチャレンジが見られる一方で、日本全体で見れば、思ったほどマインドセットは変わっていませんね。せっかくのチャンスなのに、変化の機会にできなかったと感じています。ここまで追い込まれているのに変われないというのは、やはり変化を嫌う国民性なのでしょうか。

 

板林 2021年は、世間ではDX(デジタル・トランスフォーメーション)元年と言われたり、デジタル庁が開設されたり、デジタル化推進に注目が集まったのにですね。

 

河野大臣へ直接提言するダンクソフト星野

星野 まったくです。実際、急激な進展もあったんですよね。印鑑はなくなりましたし、河野太郎大臣のファックス廃止宣言も記憶に新しいところです。私も河野大臣に直接提言させていただきました。来年1月には、改正電子帳簿保存法が施行されます。世の中がデジタル化に舵を切りだしているにもかかわらず、企業人のマインドセットは新しくならずに、都会はもう満員電車の通勤生活に戻ってしまっています。

▎「人新世時代」の働き方へ

 

板林 そうですね。緊急事態が明けて、もう大丈夫という風潮になりつつあります。11月に経団連がテレワーク削減の提言を出しましたが、「元に戻る」になってしまっては……。

 

星野 よくないですよね。時代に逆行していますよ。東日本大震災後もそうでしたが、仮にコロナが収束したとしても、働き方やライフスタイルが元に戻っても何もいいことはありません。特にこの「人新世」(じんしんせい)の時代にあって、自然から人間に警告が突きつけられていると思うのです。人新世というのは、地質学上の新しい時代区分のことですが、要するに人間の活動が地球に多大な影響を与えているから、ビジネスの仕方、暮らし方の発想を変えようということですね。こうした言葉が出てきたのに、ビジネスや暮らしの実態が変わらないのは残念です。

 

本当は、東京の一極集中をどうするのかだったり、地方に住む若者の働き方の可能性をどう広げていけるのかを考えないといけません。国や組織が動くのを待つというより、課題に気が付いた人からやっていくことが大事です。

 

東京2020大会のボランティアに参加した、ダンクソフト星野

今年はオリ・パラでのボランティア体験は大きくて、ボランティア仲間は、やる気のある、未来を見ている人ばかりでした。同じ方向を見ている人たちがこんなにもいるんだと実感できる、いい体験でした。こういう人たちが一方にはいて、しかも変われるところから少しずつでも変わっていける、やればできる時代になっているわけですから、チャレンジしていく人たちと一緒に未来をつくっていくタイミングなんですよ。

 

参考情報:経団連も提言

https://www.asahi.com/articles/ASPC85STNPC8ULFA00H.html 

▎「インターネット」を分母として考える

 

板林 とはいえ、やはり「何から始めたらよいのかわからない」という人も多いです。ダンクソフトはそういう方や組織や企業へのサポートをしていて、「DXについて教えてほしい」という星野さんへの講演依頼もあいかわらず多いですね。

 

星野 どのように進めていけばいいのか。何から始めればよいのか、よく聞かれます。最近の講演やレクチャーでは、こんな資料を使っています。「インターネットにあらゆるものをのせていく」ためにするべきことを視覚化したものです。

 

星野 これは、分母がインターネット、分子がそこにのせる情報、という形になっています。あらゆるものを「インターネット」という分母にのせて考えてみる。これを今、辞書のように「A to Z」方式でまとめています。たとえば「A」は、Accounting(会計、経理)の「A」。人、モノ、金、時間の情報で、キャッシュレスやペーパーレスに関わります。「B」は「Business Rules(ビジネス・ルール)」で、就業規則に対応した申請など。サインレスや印鑑廃止に関わってきます。A・Bの特徴は、定形で、数値で、計算可能な情報であることです。

 

また、定型の数値情報は、情報の形が決まっているので、何十年経っても変わりません。20世紀型のコンピュータが扱える情報です。大事なのは、単にパソコンに入れるのではなく、分母にインターネットがあること。そして、情報を使える状態に整頓しておくことです。

 

板林 データをインターネット上に保存しておくと、検索性が高く、活用しやすいですね。データ・リテラシーは必要ですが、社内ルールなどをつくって、それらにそって整理しておけば、アクセスした誰もが使えるものになります。

 

星野 作業に要する時間を短縮して効率化し、あいた時間をクリエイティブなものに向けることができます。働く場所を問わなくなるため、テレワークの前提でもあります。ダンクソフトの方法でもあります。

▎すばらしい未来はもう始まっている

 

「学童保育サポートシステム」を導入し、勤怠管理から児童情報の共有、経理書類作成などの業務をアプリで一括管理している、はなまる学童クラブ様

星野 インターネットにあらゆるものをのせていく先には、「スマートオフィス構想」があります。元に戻るのではなく、いける人、気づいた人から前に進んでいけばいいんですよ。デジタルには「できない」を「できる」に変える力があるんですから。最近事例として公開した石垣島の放課後学童クラブの話などを見ていると、すばらしい未来がもう始まっていることが実感できますよね。ここから変わっていけるのだという希望が見えるケースだと思います。

 

板林 ダンクソフトの支援でkintoneを使った学童システムを開発・導入いただいている石垣島の、はなまる学童クラブ様ですね。

 

星野 詳しくはまた改めてご紹介しますが、次のアクションを起こしていくのは、こういうところで育った子どもたちですね。彼らこそ未来の担い手です。そのような組織や団体のサポートをしていることに大きな意義を感じています。

 

参考:「学童保育サポートシステム」が運営を楽に便利に、石垣島の子供たちを笑顔に

https://www.dunksoft.com/message/case-hanamaru-kintone

 

来年、ダンクソフトは40周年を迎えます。こうした動きをさらに加速させ、「スマートオフィス構想」を実現し、展開していきましょう。皆さんとともに、また新たなはじまりの年にしていきます!

対談:地域イノベーションが生まれる協働のしくみとは──徳島でACT倶楽部が始動

共同研究、特別講演、非常勤講師、ACTフェローシップ……。徳島県阿南市の阿南工業高等専門学校(阿南高専)とダンクソフトは、多岐にわたるプロジェクトを通じて協働を重ねてきました。そして今年「ACT倶楽部」が新たに発足。企業・学生・研究者たちが関わりあう活発な対話と協働の場が動き始めています。 

 

今回のコラムでは、阿南高専 創造技術工学科の杉野隆三郎教授をゲストにおむかえし、地域と企業との協働、地域のイノベーションについて対話しました。 

 

阿南工業高等専門学校 創造技術工学科 教授 杉野隆三郎 

株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎  



▎なぜ異例のスピード・スタートが切れたのか? 

 

ACTフェローシップのメンバー

星野 今年8月、阿南高専教育研究助成会(ACTフェローシップ)に、新たに「ACT倶楽部」が設立されました。設立からわずか2ヶ月で、現在、早くも5つのプロジェクトが始動しているのは驚異的なスピードです。杉野先生、これは快挙ですよ。 

 

杉野 ACTフェローシップは、サイエンスと産業連携により地域課題解決にチャレンジするプラットホームです。1995年に発足しました。本校を支援する卒業生や経営者や企業約100社からなる多様なステイクホルダーが参加しています。 

 

星野 ダンクソフトもACTフェローシップのメンバーです。 

 

杉野 このACTフェローシップから今年新たに生まれたイニシアチブが、「ACT倶楽部」です。企業が抱える課題を持ち込み、企業・学生・教職員・行政や地域社会が連携して課題解決に取り組む仕組みです。イノベーションが生まれる共創の場をつくっていこうとする、新たなチャレンジです。 

 

星野 ACT倶楽部が発足したことで、25年の実績あるACTフェローシップが、ここにきて新たな局面に入ったことを強く感じています。 

 

杉野 そうですね。ACT倶楽部はいいスタートを切れたと思います。その要因のひとつに、人と人とのあいだを結んで協働を推進する「インターミディエイター」を新たな役割として導入したことがあると思います。 

 

星野 目覚ましいスピードと成果ですね。企業、経営者、地域社会と、学生や研究者といった異質なステイクホルダーを、柔軟かつクリエイティブに結んで、よりよい協働関係をつくりだす役割ですね。 

 

杉野 よき共創の場を意図的にデザインできたことが奏効したのだと見ています。昨年2020年11月の計画スタートから1年、設立から2ヶ月。いよいよ本格始動です。  

▎協働を加速させるデジタル・テクノロジー 

 

星野 ACT倶楽部内のコミュニケーションを活性化することが、協働のうえでは重要ですね。今回、倶楽部を支えるコミュニケーション・ツールとして、ダンクソフトのバザールバザールが使われています。スピーディーでスムーズな情報共有はもちろん、コミュニティそのものの活性化が期待できますね。 

 

杉野 バザールバザールは、デジタルで共創場を創出していかれるすぐれたシステムだと期待しているんです。教育現場のIT化を進めるなか、さまざまなシステムやサービスを使ってきました。ですが、経験上、重かったり使い勝手が悪かったりと、負荷の大きさにストレスを感じるものが多くて。その点、バザールバザールは非常に軽快で、使いやすいです。 

 

星野 ありがとうございます。デジタルが苦手な方でも参加できるよう、使いやすさを重視しています。なので、アプリにはせず、ウェブ・ブラウザで使えることもポイントです。 

 

杉野 フル・オープンでないことも大きな魅力ですね。親密なコミュニティが成立するには、いい意味でクローズドな場である安心感が必要です。その方針からもバザールバザールが最適だと考え、採用しました。 

 

星野 安心して発言できるコミュニケーション・ツールとするため、クローズドであること、そこに集まる大事な情報を商用利用しないことは不可欠と考え、そのように設計したのがバザールバザールです。そう言っていただけると嬉しいですね。 

 

杉野 多様な人びとの協働を支え、加速させてくれるデジタル・テクノロジーの好例ですね。全国に同様のコミュニティが今後できていくと思いますが、ぜひ導入されていくと良いと思います。  

▎魚群の数理モデルを人間社会に応用する!? 

 

星野 杉野先生との出会いは、今から6年前、2015年の秋でした。ACTフェローシップで私が講演をさせていただき、その後の交流会、そして徳島までの帰路も通して、幅広く深く話し込みましたね。印象深い出会いでした。 

 

杉野 ええ、阿南市から徳島まで、汽車のボックスシートで膝を突き合わせて。その日の講演のこと、ダンクソフトさんのサテライト・オフィスやさまざまなプロジェクト、それに私の研究テーマなど、非常に意気投合して多岐にわたってお話ししました。 

 

星野 ちょうどその頃ダンクソフトは、サテライト・オフィスやウェブ・ライター養成講座など、徳島でいくつかの協働プロジェクトを進めているところでした。動物の群れ行動の研究から、人間界でイノベーションを生む共創プロジェクトへと発展してきたという杉野先生の研究テーマが興味深くて、すっかり惹き込まれました。 

 

杉野 私はもともと数理工学を専門としていて、魚の群れ行動を数値化する研究をしていました。群れの動きが環境や刺激によってどう変わるかを調べ、数理モデル化して応用していこうという研究です。徳島県水産研究所と10年にわたって共同研究をしていました。 

阿南高専 杉野教授の魚の群れ行動を数値化する研究。

水槽のマアジに当てる光の色を変え、群れ行動の変化を観測。カオス・フラクタル理論に基づき数学的法則性を導き出して数式化する。結果を比較することで、場が作用して行動が変化していることがわかる。これが人間にも当てはまるのではないかという仮説から、杉野先生の現在の研究へと発展した。 

 

杉野 ですが、私が考えたい究極のテーマは、やはり「人間って何だ? 人間社会はどこに向かうべきか?」でした。群れ行動の数理モデルを人間社会に応用していきたいと考えていました。数学と社会を結ぶよきパートナーを探していたときに、星野社長と出会ったのです。 

▎「開かれた対話と創造の場」がイノベーションを生む 

 

星野 出会いから半年後に共同研究のご提案をいだきました。 

 

「共創場」のイメージ

杉野 依頼に快諾いただき、2016年に「共創場」の共同研究が始まったんですよね。あれから5年。IT企業であるダンクソフトとの共同研究のおかげで、学問的な領域に深みと拡張性が出てきました。 

 

星野 ぜひ詳しく聞かせてください。 

 

杉野 キイワードは「自他非分離」です。自分と他人を切断していない。それが創造性に寄与していると考えています。清水博著『場と共創』に大いに影響を受け、イノベーションが生まれる「共創場」の創出についての研究を続けています。まだ研究途上ではありますが、環境が生物の群れ行動に作用することは確実です。 

 

星野 2016年から共同研究を開始し、2018年には早稲田大学で開催された情報処理学会の全国大会にも一緒に出席しました。 

 

杉野 通常、科学や技術は最適性に向かうことが多いのですが、この研究では関連性(relevancy)を重視しています。関係の中から何かよきものが出てくると考えるサイエンスです。 

 

星野 貴重なスタンスだと感じます。コンピュータを使うと、どうしても生産性や効率性にいきがちです。ですが、大事なのは「クリエイティビティ」ですから。クリエイティブなイノベーションが起きる場づくりを追求する杉野先生の研究は、ダンクソフトがまさに得意とするところでもあります。 

 

杉野 星野社長ご自身が人間同士の関係に関心を持っていることもあって、閉じた方向に向かったりしないのですね。人間の可能性や能力を拡張する方向を見ておられる。実際に、ウェブ・ライター養成講座をはじめ、複数の共同学習プロジェクトにも取り組まれていました。そうした新しいビューポイントを具体的な活動のなかで得られたことは、研究者として大きな成果です。ダンクソフトとの共同研究だからこそ得られた結果ですね。 

 

星野 私から見ると、阿南高専で動き始めていたACTフェローシップの動きが面白かったですね。やはり杉野先生が「協働」のイメージをもっていることが大きいと思っています。 

 

ダンクソフトでは、「開かれた対話と創造の場」を重視しています。共創とは、つまり、多様な人たちと開かれた状態で対話をするなかで、予期しなかった新しいことが創造されて、イノベーションがおこっていくことですよね。また、最近はやはり「主客未分」ということを考えており、非常に近いものを感じています。 

 

その杉野先生がつくる場は、他にはない柔軟でクリエイティブな人のつながりで構成されています。高専の教員の方でこんな方がいるのかと驚きました。 

 

杉野 イノベーションを起こせる場づくりをまさに始めようというタイミングでした。その中に共通の知人や友人がいるというご縁もありましたね。 

 

星野 そこから5年で、よくぞここまで来ましたよね。すばらしい成果と速度です。よくダンクソフトを選んでいただいたと感謝しています。  

▎阿南高専と「スマートオフィス構想」の未来 

 

星野 この先に向けて、どのような展望や未来構想をお持ちなのですか。 

 

『阿南にクリエイティブなイノベーションがどんどん生まれる「共創の場」をつくりたい』と語る杉野教授。

杉野 私は以前スタンフォード大学に客員研究員として在籍していたことがあります。その時に見ていたシリコンバレーには、多様な地域クラブが多数あり、企業経営者から青少年まで幅広い人々が集まって、さまざまなプロジェクトが実践され、そしてイノベーションが生まれていました。 

 

星野 Appleもそのようにして生まれた企業でしたね。 

 

杉野 まさにですね。あのころ世界を牽引していたシリコンバレーのようにクリエイティブなイノベーションがどんどん生まれる「共創の場」を、阿南につくりたいのです。そこから第2、第3のジョブズやAppleが生まれて、世界にはばたいていく。10億円規模の事業にも発展する。そんな大きな夢を思い描いて、このACT倶楽部を展開しています。 

 

星野 ダンクソフトが推進する「スマートオフィス構想」の将来像と重なります。私達は、どうすれば愛着のあるふるさとに若者が定着していけるかを重視しています。学生と企業の協働から新たなイノベーションが生まれていく。ここで育った若者が、暮らしたい場所で暮らしながら仕事ができる。愛着のあるふるさとに暮らし、地域社会のための活動もできる。そんなプロジェクトが、数十、数百、千と増えていけば、徳島の未来が見えてきます。長期で見れば、日本の未来を変えていく動きになっていくでしょう。 

 

杉野 ACT倶楽部での関係や学びを生かして、学生が在学中にどんどん起業していくといいですね。失敗は成功の母というとおり、失敗なしに良いものは生まれません。世の中にサービスやプロダクトを出してビジネスを生み出していくのは大変なことです。早く始めて、失敗も経験して、どんどんチャレンジしていくのが何よりです。 

 

星野 そのとおりだと思います。 

 

「共創の場」の準備をする学生

杉野 ですから、始めるのはやはり若いほうがいいですね。高専生は15歳で入学し、20歳で卒業します。在学中から起業してチャレンジしはじめれば、まだまだ何度でも失敗できます。ACT倶楽部というコミュニティのなかでトライ・アンド・エラーを繰り返していけることが、イノベーションを育むよい環境となります。 

 

星野 まずは事例をつくっていくこと、ひとりの成功例を生み出していくことが大事ですね。目の前に実際に実現している人がいる。そういう人が確実に地域に増えている。成功事例が増えていくことで、他地域のモデルにもなっていきます。高専で5年かけて技術や経験を積んで卒業していく若者が、地域の外に出ざるをえない状況はもったいないです。 

  

▎「コ・ラーニング」なくして先に進めない時代 

 

星野 日本は課題先進国です。地域の課題をどう解決していくか。協働の場からどのようにイノベーションを生み出していけるか。そのためのメソッドと可能性を、今、世界中が必要としています。コロナ禍によってその必要性はさらに高まっています。 

 

杉野 首都対地方、若者対高齢者、男対女……。なんでも二項対立の対立構造で捉えがちな世の中です。その呪縛から解放され、役割を担いあえる「自他非分離の共創の場」をつくりたい。ITベースのスマートオフィスなら可能なのではないでしょうか。 

 

また、人的環境は、より多様で多年代であるほど良いと考えています。人それぞれに得意なことがあり、異なるものを持っています。多様な人々による自他非分離のよき場をつくることは、「スマートオフィス構想」の真の姿でもあるのかもしれません。 

 

ダンクソフト 星野晃一郎

星野 おっしゃるように、多様な人たち同士での「コ・ラーニング」(共同学習)なくして先に進めない時代です。各自がイノベーションを担うためには、マインドセットを切り替えることがますます重要になっていきますね。 

 

杉野 私自身も痛感していますが、人間、年齢を重ねると身体的な課題が必ず出てきます。それでもなお、すべての人が受容されるべきだと私は思うのです。一人ひとりが秘めている未知の可能性は必ずあります。ITベースのスマートオフィス構想は、それを可能にしてくれると確信しています。そういう意味では、「スマートオフィス構想」とは、ある種の社会運動なのかもしれませんね。 

 

星野 日本が直面する多くの困難や課題を越えていく、小さくても確かな事例を広げていきたいですね。人間の可能性から、ひいては社会の未来、人類の未来まで見据えるような広く深いお話をありがとうございました。 


 [voice] 

ダンクソフト 竹内祐介

竹内祐介(開発チーム マネージャー、インターミディエイター、徳島サテライト・オフィス勤務) 

 

 2018年度から私は阿南高専で非常勤講師として授業を受け持っています。情報コースの学生を対象に、最新技術など実践的なテクノロジーを担当しています。 

 サテライト・オフィス、人も技術も多様である状態、そして、対話と協働からイノベーションを起こしていくという考え方は、ダンクソフトが文化として以前からもっていた特性です。そこに、杉野先生との連携によって、学術的な見地からの裏付けが付加されたことは大きいです。 

 ITの分野は、学びつづけないと仕事ができません。学び直しの必要性はどんなエンジニアもよく理解しています。「ACT倶楽部」のように、学生たちと協働できる未来志向のコ・ラーニングの場はとても重要で、エンジニアにとって有意義で有益です。企業や先輩が学生に一方向に教えるということはもはやなく、むしろ、コ・ラーニング型で進めていかないと、学生は参加意欲が削がれ、企業の側もやっていけなくなる時代です。ACT倶楽部やACTフェローシップの価値は、今後ますます高く認識されていくでしょう。 

 

 

事例:「学童保育サポートシステム」が運営を楽に便利に、石垣島の子供たちを笑顔に

お客様:はなまる学童クラブ 様

はなまる学童クラブは、沖縄県石垣市にある宮良地域初の放課後学童クラブだ。2020年春、学童立ち上げにあたり、ダンクソフトの支援でkintoneを使った「学童保育サポートシステム」を開発・導入した。実はスタッフのほとんどがタブレットとスマホのみで暮らしている、デジタル活用とは程遠い環境にいた。それが、勤怠管理から児童情報の共有、経理書類作成などをスマホのアプリで楽に運用できるようになり、学童業務の効率化を実現。捻出できた費用や時間は、児童一人ひとりの個性が尊重され、可能性を引き出せる理想の学童づくりのために、活かされている。

 

■東京から2000キロのアナログ地域ではじまった、子供たちの居場所づくり

 

「学童設立のきっかけは、70代のある女性でした」と語るのは、はなまる学童クラブ立ち上げメンバーの一人で、運営者である松原かい氏だ。「かつえばぁば」の愛称で親しまれるかつえ氏は、中学校教員を引退後、民生委員として地域を長年見守っている。

 

当時、宮良地域には放課後学童クラブはなく、子どもたちが学校内で遊べるのは4時半まで。かつえ氏は、地域で行き場のない子供たちの姿を見るにつけ、「放課後も児童が安心して過ごせる場所が不可欠だ」と、学童づくりの必要性を感じていた。

 

はなまる学童クラブの松原かい氏(右)

3児の母でもある松原氏は、本職であるフリー・アナウンサー業のかたわら、石垣市で唯一の児童館設立に携わるなど、これまでも子育て支援に情熱を注いできた。同じ宮良地区に住むこの2人が村の読み聞かせボランティア・サークルで出会い、地域内に学童クラブの設立を目指して数名のメンバーとともに活動を始めることになった。それは2019年8月、オープンからわずか半年前のことだった。そこから猛スピードで動きはじめ、地域の親御さんたちのニーズや要望をリサーチし、対話を重ねた。その後、2020年3月末、ついに市から地域での必要性を認められ、石垣市教育委員会、宮良小学校、はなまる学童クラブの三者が正式に協定を結んだのだ。

  

■アナログ人間が「学童保育サポートシステム」の導入に踏みきったわけ

 

はなまる学童クラブのスタッフ

大急ぎで設立準備を進めていた矢先、コロナの影響により、始業式つまり学童開所日の前日に、しばらくの学校休校が知らされる。これに伴い、急遽、放課後だけでなく丸1日学童をオープンすることとなり、倍のスタッフ人数が必要となった。そんな中での一番の課題が、勤怠管理をはじめとする運営管理の仕組みづくりだった。松原氏によれば、知る限りでは宮良地域ではパソコンがそれほど普及していないようだ。現に、かつえ氏はそろばんを使って運営費を試算していたほどのアナログ度合である。スタッフや保護者も例外ではなく、アナログ環境で暮らしている。

 

そんな折に松原氏が紹介を受けたのが、東京にあるダンクソフトだった。松原氏は、ダンクソフトはデジタルがうとい方でも頼りになる存在だと聞き、まずは急務だったスタッフのシフトづくりから相談を始めた。初めてのZoom会議にはタブレットを使って接続し、テクノロジーに驚きながらも、困りごとをいちから相談していった。手厚いヒアリングを経て提案されたのが、kintoneによる「学童保育サポートシステム」だった。そして、協働プロセスが始まった。パソコンを使わずにも、スマホやタブレットであらゆる記録・管理・情報共有ができるように、ダンクソフトが伴走しながらシステムをつくりあげていく。

 

当初はデジタルに半信半疑だったという松原氏にとって、担当者であるダンクソフト 中香織の存在が大きかったという。「2児の親でもあり、学童を利用したことがある働くお母さんであるなど、中さんとは共通点が多く、深くしゃべらなくてもお互い頑張っているのだという信頼感がありました」と、松原氏は笑顔で話す。「デジタルが分からない人にとって、まず導入した際の効果の想像がつきません。何ができるのかについて想像が及ばないので、それを導入したらいいのかどうか判断がつきません。お話をする前は市販のシフト表アプリを使おうかと考えていましたが、中さんを頼りに、やってみようと思えました」。

  

■初心者にも使いやすいアプリで、業務が効率化、スタッフ間連携もスムーズに

 

「学童保育サポートシステム」の主な内容は、スタッフの「勤怠管理」や児童情報を記録する「児童日報」、「出席簿」、市に毎月提出する「収支報告書」や「保育料管理帳」「給与台帳」などだ。

 

入力に不備があると、赤字でエラーメッセージが出るようになっている

ヒアリングを踏まえて中が重視したのは、デジタルに不慣れな方でも利用できるユーザー・インターフェイスである。例えば、入力に不備があると、赤字でどうすればいいか表示を出したり、不足がある場合は保存ができないようにしたりなど工夫した。kintoneのノウハウをいかしつつ、「初心者でもわかる、利用者視点のシステムづくり」を徹底した。実際に、今では10名のスタッフ全員がkintoneを使って業務連携を行っている。

 

お話をうかがった、はなまる学童クラブの仲間 巳賀 氏(左)と中藤 詩織 氏(右)

スタッフのひとりである仲間 巳賀(みか)氏は、自身の子育てがひと段落した後、地域の子供たちのために活動したいと、はなまる学童クラブに参加した。kintoneアプリの使い方を覚えるには、それほど時間がかからなかったという。「出欠簿や児童日報など、あらゆる記録がスマホでできるので助かっています。場所や時間を問わず利用できてありがたい」と、kintoneを評価する。また、「入力した情報をスタッフみんなで共有できることも魅力のひとつ。週に数回現場に入るスタッフにも、不在時に起ったことを伝達できるので」と、スタッフ間連携を重視するうえでのアプリの活躍を語った。

 

スマホで簡単に入力

また、同じくスタッフの中藤 詩織氏は、パソコン以外の端末で利用できるメリットを強調する。「以前勤めていた学童では、子どもたち全員の情報を数台のパソコンのみで入力・管理していました。そのため学童の施設内にいるときにしか記録ができず、入力待ちの列ができて業務に滞りがでたり、残業が発生したりすることもありました。はなまる学童では、kintoneの仕組みがあるので、時間を問わず、複数人が自分のスマホから同時に、どこにいても入力できることが魅力です。また、手書きで書類をつくるときの書き損じが発生することもありません。業務の進み具合が全然違います」。

 

「中さんは私のような“できない人”の声に耳を傾け、困りどころに新しい機能を一つひとつ追加してくださいました。こうしたきめ細やかなコミュニケーションを積み重ねるうちに、ダンクソフトさんへの安心感が自然とうまれてきました」と、松原氏は今までのプロセスを振り返る。

  

■行政への書類報告も、学童アプリがすべて解決

 

保育料を管理するページ

はなまる学童クラブが絶賛するのが、石垣市へ毎月提出する書類手続きの効率化だ。「保育料」にまつわる業務を例にとると、学童の利用料金体系は多岐にわたる。「ひとり親割引」「兄弟姉妹割引」「2つの割引の併用」などがあり、児童一人ひとりの利用料は異なる。そのため、手動では計算が煩雑になっていた。

 

今では、kintoneに基本情報さえ入力しておけば、各自の利用料が正確に算出できるようになっている。さらにそれらの情報が、石垣市へ毎月提出する書類のひとつである収支集計にも、自動で反映される。市が指定する書類に合わせて、中がkintoneをカスタマイズしたことが功を奏した。

 

松原氏は、「毎月の石垣市への書類提出は相当大きな負担になりますが、日々入力した情報がほぼそのまま提出できるフォーマットになっていて助かっています。市の担当者さんからも、書類の正確さや明確さを評価いただけています」と、業務の効率化の恩恵を痛感している。

  

■効率化で生まれたリソースを有効活用し、子供の可能性をひらく学童づくりへ

 

このようにスタッフ一人ひとりが自分で操作し、情報をいつでもどこでも入力できるようになったことが、業務の効率化に大きく寄与。そこからうまれた時間や費用は、今、様々に活用されている。その筆頭は、はなまる学童クラブが何より大切にしている、児童へのケアの充実である。

 

出席簿・児童日報のページ

仲間氏は、これまではどうしても低学年やサポートを必要とする児童に付きっきりになりがちだったが、日々の業務の効率化によって、より多くの時間を子どもたち一人ひとりに充てることができるようになったと語る。また、児童日報をはじめとするスタッフ間での情報共有によって、週1回・月1回勤務のスタッフが、学童にいなくても子どもたちの最新状況を把握できるようになった。これが、より手厚い児童のケアにつながっている。

 

さらに、保護者とのコミュニケーションも改善した。中藤氏によると、過去に勤務した学童では、保護者から「学童の中で子どもがどのように過ごしているのかわからない」という声が多く届いたという。はなまる学童クラブでは、kintoneによる学童アプリでのスタッフ同士の情報共有に加え、グループLINEで保護者とのコミュニケーションをとっている。子供たちの活動写真を共有したり、こまめに連絡ができる環境を用意した。また送迎時には、アナログでの会話を大切にすることで、対面での親御さんとの関係も少しずつあたたまっていると、中藤氏は顔をほころばせる。

 

はなまる学童クラブを支えるスタッフ

スタッフへ還元もできていると、松原氏はシステム導入の効果を実感している。多くの学童では、運営者とは別に、煩雑になる管理業務のために事務員を雇うことが必要だ。しかし、はなまる学童クラブは、kintoneがあるため、事務員を雇わずに、本来事務員が担うはずの業務一切を松原氏が引き受けることができている。事務員分の人件費を、今いるスタッフに還元することで、島の学童水準よりプラスαの時給を実現できているという。「パソコンがない私ひとりで事務員分の仕事ができるのも、kintoneアプリがあるからこそ。スタッフも『超ホワイト企業!』と喜んでくれています。学童の子供たちが、毎日すてきに働く女性スタッフたちの姿を見て、女の子も男の子も、女性が働くことはすばらしいことだと思ってくれたら……」。そう語る松原氏は、子供たちが未来を担う頃には島にも男女共同参画社会が実現しているようにと、島の未来へ思いをはせる。

  

■学童アプリでひろがる事業運営の可能性と子供たちの未来

 

タブレットでも簡単に、児童の様子を入力できる

ゼロからのkintone導入の効果は、はなまる学童クラブから他の学童へも波及している。隣村で新たに開所された放課後学童クラブでは、やはりダンクソフトのシステムが選ばれた。学童クラブ運営者が、はなまる学童クラブの元副主任であり、アプリの便利さを肌で感じていたことが採用の決め手だったという。

 

また、中は自らの学童利用経験から、今後は保護者や学校も含めたkintoneの利用を視野に入れている。「私が利用していた学童で、親が翌月の予定を紙で提出し、スタッフが手間をかけてそれらをパソコンに入力している現場を目の当たりにしました。ここもデジタルを活用することで、スタッフのシフトと同じように、リアルタイムで児童のスケジュールを共有できるようになります」。ほかにも、学校と学童で2度行われている児童の検温情報も、学校の理解が得られれば共有することがシステム上は可能だ。デジタルを活用することで、今までにない学校や保護者、地域との連携の可能性が、まだまだ眠っている。

 

「いよいよ石垣の小学校でも、一人1台のタブレットを利用した授業が始まります。これからもダンクソフトさんからデジタル面の支援を受けながら、デジタルをうまく使っていきたい。はなまる学童クラブが保護者にとって安心して子供を通わせられる学童に、また子供たちにとって可能性を伸ばせるよりよい居場所となれるように、活動していきます」と、松原氏はこれからの熱意を語った。

 

はなまる学童クラブでは、すでに来年度の入所希望も出てくるなど、保護者や地域からの反響もあるそうだ。学童支援システムとともに始まった学童運営も、4月からは3年目に入る。児童たちが楽しく生き生きと過ごせる学童クラブが、実現できつつあるようだ。


■導入テクノロジー

kintone

kintone学童保育サポートシステム

※詳細はこちらをご覧ください。https://www.dunksoft.com/kintone/gakudo

 

■ はなまる学童クラブ(放課後児童クラブ @宮良小学校 家庭科室)とは

 石垣市の宮良地域初の放課後学童クラブ。2021年10月現在、小学校全校生徒100名強のうち、23家庭・27名の児童が利用している。児童一人ひとりや保護者や地域とのコミュニケーションを重視した安心・安全な居場所づくりを心がけている。目指すは子どもたちにとっての「第2のおうち」。

 

https://www.dunksoft.com/hanamaru/200617 (はなまる学童レポートURL)

ダンクソフトの“さきがけ文化”を体験するインターンシップ


▎コロナ禍でもフランスからテレワークで5週間の学生インターン 

左上から時計回りに、インターン生のルカ、ダンクソフト 代表取締役 星野、ダンクソフトのウムト、ダンクソフト 取締役 板林

左上から時計回りに、インターン生のルカ、ダンクソフト 代表取締役 星野、ダンクソフトのウムト、ダンクソフト 取締役 板林

この夏、フランスの大学院生をインターンとして受け入れました。フランスのエクス=マルセイユ大学のビジネス法研究所で修士に在籍する学生で、名前をルカといいます。コロナ禍のなか、5週間にわたるテレワークでのインターンでした。ルカからの最終レポートを引用しながら、紹介します。 

 

いつか日本で仕事をするためには、法律以外のスキルを身につけたほうがいいと考えました。そこで、夏休みを活かして、日本のIT企業でインターンをすることにしました。ダンクソフトのことは、日本政府が発表した「高度外国人材活躍企業50社(※)」のリストに掲載されていたことで知りました。もちろん、COVIDの問題から、日本に移住することは不可能ですが、すべてのことを遠隔地でスムーズに行うことができました。 

  ※「高度外国人材活躍企業50社」(経産省)

コロナ禍で中小企業の採用やインターン受け入れが難しくなっています。しかし、ダンクソフトの場合、整ったテレワーク環境があります。テレワークでも社員がプロジェクトを遂行し、学びあうことに慣れていますから、インターンシップも可能です。期間終了後、日英仏3ヶ国語での充実したレポートが届きました。彼にとって良質なインターン経験となったことは私達にも嬉しいことです。 

 

インターンシップのプログラムは非常によく構成されていました。市場調査からテスト、HTMLの開発まで、さまざまな仕事に挑戦しました。日本のデータ・コンプライアンスやウェブ・デザインについての説明も受けました。私の国では、インターンとしてこのような配慮を受けることは結構稀なことなので、嬉しい驚きがありました。私は日本で働くことに自信が持てるようになりましたし、ダンクソフトで働くこと以外に、この2ヶ月間をより良く過ごすことはできなかったと確信しています。 

ITではなく法律を専門とするヨーロッパの若者と一緒に働く経験は、受け入れ側である私達にとっても新鮮でした。やはり価値観や文化の違う人が入ると、視点が変わって面白いですね。ダイバーシティ(多様性)の価値や重要性もより深いレベルで認識できましたし、スタッフにとっても非常に有意義な体験でした。  

 

▎海外からエンジニアがインターンを経て入社 

 ルカのインターンシップをホストとして受け入れていたのは、ダンクソフトに在籍するトルコ人スタッフのウムトです。じつはこのウムト自身が、ダンクソフトが最初に受け入れた第1号のインターンでした。 

ダンクソフトに在籍するトルコ人スタッフのウムト

ダンクソフトに在籍するトルコ人スタッフのウムト

ダンクソフトでは、80年代から海外エンジニアと活発に交流していましたが、インターンシップというスキームで学生を受け入れたのは、このときが初めてのこと。面接は当時主流だったskypeで行いました。その後、2011年3月に東日本大震災が起こり、来られないかと懸念しましたが、こういう時だからこそ日本のために貢献したいと、6月ごろに2名の大学生が来日しました。ご存じの方も多いと思いますが、明治時代、和歌山沖でトルコ船が遭難した際、現地の日本人が乗組員を献身的に救助したという話があります。彼らはそれを忘れていないのですね。 

 

当時ウムトはトルコの大学で学ぶ学生で、来日後はサテライト・オフィスの実証実験に役立つツールを開発するなど、才能を発揮しました。その後トルコに戻り大学を卒業後、再び来日してダンクソフトに就職しました。現在はエンジニアとしてバリバリ活躍しています。 

 

▎マイクロソフト社とのニート支援プログラム 

その頃から、ダンクソフトでは、さまざまな形でインターンや研修生を受け入れてきました。  

就労支援プロジェクトに参加したのテレワークインターン達

就労支援プロジェクトに参加したのテレワークインターン達

2014年には、マイクロソフト社および若者支援のNPO法人育て上げネットと連携し、若年無業者(いわゆるニート)の就労支援プロジェクトを実施しました。プログラミングの学習からインターンまで、すべてオンラインで行いました。  

この取り組みは、その後も数年にわたって継続しました。その結果、今は退職しましたが、2名の若者がダンクソフトに就職しています。 

 

総務省のテレワーク実験も兼ねた北海道での合宿研修、全国規模でのオンライン研修など、さまざまな取り組みを重ねていき、「通わなくてもオンラインでインターンができる」という手応えは、2014年時点で確かなものになりました。他より動きがかなり早いと思います。 

 

ひとくちにニートと言われる若年無業者ですが、それぞれの長所や個性が活かせる、働きやすい環境があるのです。オンライン、テレワークという働き方には、彼らを含め、人間の可能性を引き出すポテンシャルが確実にあります。 

 

▼テレワークインターン修了式の様子 

https://www.dunksoft.com/news/news/20180327.html

  

▎経産省若手官僚が驚いたダンクソフトの先進性 

 経済産業省官僚のインターンを受け入れたこともあります。若手官僚に「先進性のある企業で就労体験をさせたい」ということで、当時、「中小企業IT経営力大賞」、「テレワーク先駆者百選」、「東京ライフ・ワーク・バランス認定企業」、「ダイバーシティ経営企業100選」等、さまざまな賞を受賞していたダンクソフトに白羽の矢が立ったのだそうです。  

ダンクソフトのサテライトオフィス

ダンクソフトのサテライトオフィス

研修期間は約2週間。出社して仕事をしたり、地域で展開していたサテライト・オフィスに出張したり、テレワークの実際を経験したり。離れて仕事をしているテレワークや、ファックスもコピー機もないペーパーレス・オフィスを体験して、「こんな働き方があるのか」と、ずいぶんカルチャー・ショックを受けていました。 

 

昨年、ワシントンDCに留学中の際に、向こうからダンクソフトのオンライン・コミュニティに参加したりもしてくれました。こうした経験を生かして、あっと驚くような面白いことを実現してくれるでしょう。楽しみにしています。 

 

▼ダンクソフトの受賞歴等 

https://www.dunksoft.com/award 

  

▎徳島の学生がテレワークでインターン  

阿南工業高等専門学校のインターン生

阿南工業高等専門学校のインターン生

近年は、徳島県阿南市の阿南工業高等専門学校(阿南高専)から毎年インターンの受け入れをしています。徳島サテライト・オフィスの竹内祐介(開発チーム マネージャー)が講師として授業を担当しているご縁もあり、継続的な関係を築いています。 

 

最初の年は、実際に東京にやって来て就労体験をする、ごく一般的なインターンでした。その後、サテライト・オフィスとテレワークを併用したスタイルになり、現在はコロナ禍でほぼテレワークのみとなっています。 

 

毎年ブラッシュアップを重ね、遠隔形式でもきわめて充実したインターン経験ができる確信ができました。社会に出る前の学生、特に地方在住の若者が、テレワークの可能性を実感する。その経験は、大都市圏に住んでいない彼らの将来の可能性を大きく広げてくれます。ひいては日本の未来をよりよくするためにも、一人でも多くの若者たちにそうした体験を提供していきたいものです。 

 

▼阿南高専 インターン生の声 

https://www.dunksoft.com/message/2020-11 

  

▎受け入れ側にとっても、さまざまなプラス効果 

 インターンの受け入れは面倒だと躊躇する中小企業は多いかもしれません。しかし、こうしたインターンの受け入れは、ダンクソフトにとっても、プラスとなっています。 

 

外国人、若年無業者(ニート)、官僚、学生(非首都圏在住)。さまざまな属性の人が来ることで、異質な考え方に出会うことができます。社内だけで閉じているとどうしても考え方が似てきます。彼らの参加によって、スタッフの視点が変わり、発想が刺激されます。「開かれた対話」を通して意外なアイデアを受け入れる素地が、ますます整っていきます。 

 

採用にもよい影響があります。阿南高専のインターン経験者も、2名が卒業後ダンクソフトに入社。お互いをよく知ったうえでの良質な採用につながっています。また、新しい人たちを受け入れること自体に慣れ、関わり方も上達していきます。たとえば、新しく入ったスタッフへのカリキュラムが洗練されました。また、新しく入ったスタッフに次の人の受入をホストしてもらうことで、さらによいコ・ラーニング(共同学習)の循環が生まれています。 

 

▼スタッフ全員がバージョンアップしていく 

https://www.dunksoft.com/message/2021-07 

  

▎ダンクソフトに“留学”? 

 「ダンクソフトの働き方やオフィスを見たい、知りたい」という視察のニーズは多いです。大企業から公共機関、NPOまで、さまざまなところから来られます。 

 

「イノベーションの場」である、ダンクソフトの神田オフィス

「イノベーションの場」である、ダンクソフトの神田オフィス

ダンクソフトは、「インターネットにあらゆるものをのせていく」ことで、新しい働き方をいちはやく実践してきました。ペーパーレス、テレワークといった、インターネット時代のオフィスのあり方と働き方。それを見たいとおっしゃるのですね。コロナ以前から多かったですが、現在は「スマートオフィス構想」を実践する拠点として、さらに注目いただいているようです。これからテレワークやペーパーレスを考えている企業や団体は、当社の神田オフィスに、ぜひ視察にいらしていただきたいと思っています。 

 

ただ、やはり外側から見るだけではわからないことが多々あります。インターンとして実際に体験し、実感をもって知ることは、「ダンクソフトの“さきがけ文化”に触れる」絶好の機会として、刺激的な学びとなるでしょう。そういう意味では、ダンクソフトでのインターン経験は、異文化体験、留学に似ているかもしれません。デジタルを上手に取り入れて、温かくてクリエイティブな先進的ワークスタイルを実現しています。 

 

▼スマートオフィス構想を実践する新拠点 

https://www.dunksoft.com/news/2021/3/8 

  

▎異文化と協働する「スマートオフィス構想」 

 今後ダンクソフトがめざすさらなる未来、「スマートオフィス構想」は、こうした経験の受け皿になる場でもあります。インターネットにあらゆるものをのせていくことで、国内外を問わず人々が結びついていく。関係の網の目を広げていける。ダイバーシティと開かれた対話による未来志向の協働の場、イノベーションの場です。 

 

ダンクソフトは、企業、団体、学生のインターンを歓迎します。また、ダンクソフトのデジタル文化を短期的に体験していただけるプログラムも考えていく予定です。 

 

▼スマートオフィス構想とは 

https://www.dunksoft.com/message/2021-04

価値創造は「驚き」からはじまる─東京2020大会のボランティア現場から─ 


▎ボランティア現場から見た東京2020大会 

9月5日、代々木のオリンピックスタジアムでパラリンピック閉会式が行われ、東京2020大会が閉会しました。コロナ禍が続くなか、人類史上初めての無観客開催という挑戦でした。  

実は私は、安全に気を付けながらもオリ・パラの大会ボランティアをしていました。おかげで、多くの驚くべきシーンや瞬間に立ち会う機会を得ました。 

 今回のコラムでは、ボランティアという“中の人”として実感した「驚きの体験」を中心にお話します。今回のオリ・パラで見聞し感じたこと、そこから見えてきた人間とデジタルの協働、そしてダンクソフトの未来について、考えたことをお話ししていきます。 

開催を巡ってはさまざまな意見や議論もありました。ですが、アスリートが人類の可能性を超えていく姿はやはり純粋に素晴らしい。私はあらためてそのことに感動しました。また、テクノロジーの進化がはっきりと可視化された大会でもありました。 

 

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▎はじまりは2002年の日韓ワールドカップ 

 世界規模で行われるスポーツ大会のボランティアをするのは、これが2度目になります。初めてボランティアを経験したのが、2002年のFIFAワールドカップ日韓大会の時。有意義な体験でした。そうした経緯があったので、今回もこれは経験しておきたいと考え、応募しました。 

今回のポジションは、幕張メッセ(千葉市)フェンシング会場でのメディア・サポートでした。自宅から往復2時間、日によっては朝5時起きで出かけ、帰宅は夜10時を回ることも。しかも持ち場の一部は40度を超える屋外という厳しいコンディションでした。 

結論として、やはりやってよかったです。素晴らしい体験でした。チャレンジすることで得難い「驚き」が得られました。「驚き」には「発見」があります。新しい世界との出会いがあります。クリエイティブな可能性の入口となります。 

▎日本フェンシング初の金メダル、その歴史的瞬間に立ち会う 

忘れられない場面のひとつは、日本フェンシング初の金メダル、男子エペ団体優勝の瞬間に立ち会えたことです。なんといっても、私の持ち場である会場での出来事です。空気の変化を肌で感じていました。 

一瞬で流れが変わったのは、準々決勝で日本がフランスに勝った瞬間でした。世界ランキング8位の日本が、4連覇を狙う世界ランキング1位のフランスを下したのですから、大ニュースです。 

一気に注目が集まったため、即時対応で殺到するメディアの受け入れ体勢を整え、決勝が始まるまで対応におおわらわでした。そして、日本優勝、国歌斉唱、記者会見。優勝した日本チーム自身が驚いたかもしれません。この先のパリ大会での活躍がさらに楽しみです。これほどの瞬間に立ち会えたことは、忘れられない経験となりました。 

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▎デジタルを駆使した大会運営とメディア・センター 

 デジタルの進化と浸透ぶりにも驚きました。今回、ボランティア・チーム運営の連絡や情報共有に使っていたのは、ビジネス・チャット・ツールです。進んでいますね。メディア・センターはもちろんインターネット完備で、メディア・クルーは皆パソコンを持ち込んでいました。 

 19年前、2002年の日韓ワールドカップでは、まだ複合機がメディア・センターに並び、手書き原稿をFAXで送っている人がいました。この20年の変化を思うと、技術の進歩は圧倒的です。 

また、映像は4Kでめざましくきれいになりました。一方で、現状では通信速度がまだ追いついていないため、生放送映像に一瞬の遅れが生じます。今の技術段階はそういう時代なのだと、これは現場にいたからこそ気づいたことでした。 

▎ボランティア・チームは「コ・ラーニング」だった 

 ボランティア・チームの動きに「コ・ラーニング」を感じたことも印象深いことでした。異例づくしの大会で、人も不足がち。誰かが教えるマニュアル通りにやればいい、という状況ではありませんでした。 

そんな中、「楽しもう」と多くのボランティアが言っていました。そして、楽しみながら、言われなくても自分で考えて動いていく。現場・状況に応じて柔軟な判断ができていく。少なくとも、私のチームでは、対話を通して互いに学びあいながら遂行する、コ・ラーニングの現場が生まれていることが見て取れました。  

▎13歳の金メダリストに見た新しい価値観と可能性 

 ボランティアとして関わってはいませんが、スケートボード、スポーツ・クライミング(ボルダリング)の選手達に見られる価値観の新しさにも、目を見張りました。他の選手を「敵」とみなして競うことをしません。一緒に目標に向かい、さらなる可能性に挑戦していく「仲間」として応援しあっているようです。 

 だからこそ、次のレベルにチャレンジしていける。皆で飛躍し全体のレベルをあげていけるんですね。史上最年少の金メダリストとなったスケートボード女子ストリートの西矢椛選手は13歳。新しい技を出せる瞬間を、純粋に仲間と楽しんでいるように見えます。その結果、世界1位となりました。オリ・パラが見せる、これからの人類の可能性を象徴する、驚きの出来事でした。   

▎パラリンピック記録が世界新を更新する 

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最後に強調したいのが、パラリンピックへの大きな期待です。一部では有名な話ですが、義肢の進化はめざましい。走り幅跳びでは義足ジャンパーがオリンピック超えの記録を出すと期待されています。

今回のパラリンピックでは、ドイツのマルクス・レーム選手が8メートル18を飛びました。8月のオリンピック優勝記録(8メートル41)には届かなかったものの、わずか23センチの差まできています。 

 道具やトレーニング方法が変わって飛躍していく。これは、パラリンピックに限りません。肉眼での判定が難しい場合のビデオ判定は、テニスやサッカーをはじめ、各種スポーツ競技で使われるようになりました。さまざまなテクノロジーが媒介することで、できることが広がっていくのです。 

▎オリ・パラがひとつになるとき 

 スポーツ以外でもそうです。将棋やチェスは、AIが人間に勝つ段階に入りました。そうすると、今度はそのAIを相手に人間が学ぶことで、次の次元の棋士が生まれる。そのような方向に、学び方が変わったわけです。人間が機械に敗北したのではなく、人間と機械との協働が、これまでより一段高い所で起こり、人類の成長につながっていく流れだと私は思います。 

 ダンクソフトが扱う「デジタル・テクノロジー」も、これに通じるものがあります。人間の可能性を引き出す媒介となるものと捉えています。 

 今大会でも、性の多様性についての話題がありました。過去3倍の182人がLGBTQであることを公表しました。またパラリンピックの理念は、常に多様性に挑戦してきました。将来、オリンピック・パラリンピックが現在の「男と女」「健常者と障害者」という分け方をしなくなる日も、遠くないのではないでしょうか。 

▎人類は、人類の可能性を超えていく

東京2020大会でのこうした驚くべき体験を振り返って思うのです。たとえばウサイン・ボルト選手の世界新記録更新を人々が喜べるのは、そこに人類の可能性を見ているからです。陸上だけでなく、これまでの記録を超えていく人が、皆から称賛される。そういう世界です。私達ダンクソフトも、そこに挑戦していきたいと思います。 

40周年に向かう今年、皆さんにもっと「驚き」を提供していきたいと考えています。対話を通して、楽しみながら、ともに高め合う「コ・ラーニング」の時代へ。デジタルで広がる可能性をさらに進化させ、期待をより上回る新しい価値をご一緒に創出する存在でありたいと考えています。 

 

「コ・ラーニング」という考えで仕事をすれば、仕事はもっと楽しくなる


 ▎コ・ラーニング:「仕事を楽しく」進めるカギ

 

ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

星野 前回7月に、新年度のはじまりとして、「コ・ラーニング元年」のお話をしました。

 今回はその続きで、「コ・ラーニングという考え方で仕事をすれば、仕事はもっと楽しくなる」という話をしたいと思っています。

今日は、当社の新たなプロジェクトに取り組んでいる板林淳哉と一緒です。さまざまな現場で起きる、実際のエピソードを交えながら進めていきましょう。

ダンクソフト 取締役 板林淳哉

ダンクソフト 取締役 板林淳哉

板林 今日は、ダンクソフトが大事にする「コ・ラーニング」や「対話の文化」が、プロジェクト現場での「楽しさ」につながっていることを、少しでもお伝えできたらと思っています。

 

▎コミュニティの活性化には、ARサービス「WeARee!(ウィアリー!)」

 

板林 早速ですが、まず、ある現場でのエピソードからお話したいと思います。新製品開発のプロジェクトです。

 

ダンクソフトは、2020年11月に、ARサービス「WeARee! (ウィアリー!)」をリリースしました。これはコミュニティづくりを促進することができるツールです。簡単な操作で、ARコンテンツをインターネットにのせることができます。そしてウェブページを作成し、参加者と交流することができるというものです。

機能的なメリットとしては、GPSの位置情報を紐付けるのはもちろん、3Dモデルが使えること、手頃な価格帯、専用アプリ不要の使いやすさなどがあります。

 

手軽で使いやすいツールなので、これまでデジタルに馴染みの薄かった人にこそ楽しんでいただけると嬉しいです。誰にでも使ってもらえるツールを目指しています。

 

星野 そうそう、そこは常々ダンクソフトでも考えていることですよね。この神田オフィスにあるダイアログ・スペースにまつわる情報を WeARee! にのせたいですね。お客様やスタッフがバーチャルで訪れて、見学をして、楽しくコミュニケーションができるようにしたいなと。先日は北海道からも WeARee! への引き合いがありましたね。

ダンクソフト神田本社内のダイアログ・スペース

ダンクソフト神田本社内のダイアログ・スペース

 板林 参加者同士で継続的にコミュニケーションがとれる状態をWeARee!でつくれることもポイントですね。これからはビジネスにせよ、コミュニティの活性化にせよ、一方向ではなくて、コミュニケーションがカギですからね。

 

参考記事:WeARee! 導入事例:上野動物園で実施した実証プロジェクト

▎美術館 × WeARee! のアート・プロジェクト

 

板林 今、このWeARee! を使ったユニークな取り組みが、現在進行形で進んでいます。まちなかのパブリック・アートを対象として、屋外オープン・スペースで鑑賞イベントを開催しようというものです。

東京都美術館と東京藝術大学が「とびらプロジェクト」というソーシャル・デザイン・プロジェクトを実施しており、「とびラー」と呼ばれるアート・コミュニケータたちが活躍しています。広く一般から集まったメンバーの方々で、3年の任期後も有志でさまざまな活動を続けています。この活動は、その「とびラー」OB・OGチームとの協働プロジェクトなんです。

 

星野 当初は美術館での館内イベントを考えていたんですよね?

 

板林 そうなんです。ですが、撮影条件や現場のオペレーションなどを具体化しながら話し合うなかで、まちなかのパブリック・アートを対象として屋外でやってはどうかという、アイディアが思いがけず浮上しました。

 

いろいろ考えていくと、その方が、制約が少なく、参加者が楽しめて、WeARee!の機能もフル活用できるね、と。主催者の「かなえたいこと」を聞くことで、私たちダンクソフトのメンバーにも新たなアイディアがわきました。最新の技術やツールをどう使えるか、何ができるか、もっと面白い可能性はないか。相互の対話の中から、どんどんよりよい意見が出てきました。

▎「コ・ラーニング」が新たなアイディアを生む

 

星野 双方のプロジェクト・メンバーのあいだで思いがけない見方が生まれたというのは、対話の効果ですね。

 

板林 はい、まさに対話を重ねて、お互いにイメージや理想を出し合うことで生まれる相乗効果でした。誰かがアイディアを出すと、別のメンバーから「それならば」とさらなる発想が飛び出してきます。その繰り返しでした。結果、当初は誰も想像もしていなかったグッド・アイディアが生まれたのです。

 

星野 いいですね。そのプロセスは、まさに「コ・ラーニング」が起こっていますね。

 

板林 WeARee!の開発チームには、トルコ人のメンバーも参加しています。多様性のあるチーム・メンバーから、いろいろな見方が入ることも、プロセスを楽しくしていると思います。

 

星野  結果として“誰も予期していなかったこと”が起こっているのが、大事なポイントですね。予定したことを予定していた通りにやることは誰でもできるし、案外簡単です。そうではなく、予定調和ではなくて、予期していなかった成果・効果が生まれるコミュニケーション・プロセスは、ダンクソフトならではですね。

 

お客様との関係が、発注・受注の関係ではなく、お客様・サービス提供者という立場を超えて、パートナーとして「一緒になって取り組む姿勢」がプロセスを楽しくしますね。これが「コ・ラーニング」のはじまりです。どちらかが相手の上に立とうとすると、この関係は生まれません。

 

目線を合わせて、一緒になって考えることができるから、お客様が求めていたことがよく見えてきますし。多様な人たちがお互いに対話するなかで、新しい発見がありますから、おのずとイノベーションが生まれやすい。お客様も、何が課題で、そのためにデジタルで何ができるのかを、よくご自分で理解できるようになっていただけます。

  

▎コミュニティが活性化すれば、日々の業務連絡さえ楽しくなる

 

星野 日頃の職場でのちょっとしたやりとりも同様ですね。対話の文化があれば、コミュニケーションにストレスが少なく、事務的なコミュニケーションにさえ楽しさが生まれたりもします。

 

板林 それでいうと、最近のダンクソフトでは、スタッフが日々の仕事を報告する「日報」が割に面白いんです。一般的な、形式的な日報とは印象がずいぶん違います。たとえば「今日のBGM」を書き添える人がいたり、毎回なぜかラーメン店情報をつけていたり。高専(高等専門学校)を卒業したばかりの新入社員が入ったことによる新しい風も感じています。

 

星野 徳島の山本君ですね。彼の日報は、ちょっとしたショート・コントになっている気がしますよ。先日のは、チョコボールの“当たり”が出た小話でしたね。話にオチがあるのは関西文化圏だからかな?(笑)

 

板林 なるほど(笑)。読んでいて楽しい空気が出てきたのは確かですよね。だからでしょうか、思わず反応を返す人もいますし。

 

星野 ただの事務連絡に見えて、実はちょっとした雑談も交えた会話のいとぐちになっている。ささやかに思えるかもしれませんが、コミュニティの活性化にとって、情報共有の仕方ににぎわいがあることは、とても大切なことですね。業務連絡といいながら、ゆるやかなコミュニケーションが生まれ、人間関係を確実に豊かにしてくれていますよ。

  

▎「ダンクソフトと仕事をすると楽しい」:その意味

 

星野 お客様から「ダンクソフトと仕事をすると楽しい」という褒め言葉をいただくことがよくあります。ビジネスやプロジェクトが、対話重視、コ・ラーニング重視の現場になりつつあるからだと考えています。こうした「仕事の楽しさ」は、単にオモシロ・オカシイということではありませんね。むしろ一方向ではない楽しさや、一緒に学び続ける楽しさ、また、見たことのないものに向かう楽しさや、ともに変化・成長する楽しさなのでしょう。

 

板林 そう思います。そのためにも、社外のお客様にとってもコミュニケーションしやすいパートナーになれているなら嬉しいです。

 

ケニーズ・ファミリー・ビレッジ / オートキャンプ場  川口泰斗氏

ケニーズ・ファミリー・ビレッジ / オートキャンプ場 川口泰斗氏

以前、ウェブのリニューアルで大きな成果を出されたケニーズファミリービレッジさんから、「同じ船に乗ったクルーのよう、仲間のようだ」といっていただきました。

 星野 あのプロジェクトもよかったね。大きな相談事ではなくても、スタッフに気軽に連絡してきてくださるお客様がいるとも聞いています。大事なお知り合いや関連企業をご紹介いただくことも多くなってきました。技術面だけでなく、ダンクソフトのヒューマンな部分も、徐々に信頼いただけるようになってきたからではないか、と考えています。

 

イノベーションは、地道な取りくみの果てにしか生まれません。日々の小さな改良の積み重ねが、やがてある時大きな変化を生み出します。もちろん、大変なことはありますが、一緒に課題を設定し、大変さを乗り越えるのも、また楽しいこと。

 

ただし、対話型、コミュニケーション型であることが条件ですね。ダンクソフトとプロジェクトをご一緒した方たちは、そのあたりを実感して、「仕事の楽しさ」を感じていらっしゃるのだろうと思います。これからも、皆さんとさらに楽しくプロジェクトを進めて、世の中をもっと便利に、よりよくしていきたいものですね。「コ・ラーニング」という考え方で仕事をすれば、仕事はもっと楽しくなると、強調したいです。

 

「コ・ラーニング」で人が育ち、ビジネスも追い風に ~39期目を迎えて


▎もう「教える」時代ではない

 

ダンクソフトは7月から新年度に入りました。40周年という節目に向けて、ダンクソフトは、この新年度を「コ・ラーニング元年」と位置づけます。

 

「コ・ラーニング(Co-learning)」とは、共に学びあう、共同学習のこと。対話と協働を重視するダンクソフトがここ数年目指してきた姿であり、チャレンジと実践を重ねてきたことでもあります。

 

もう「教える」時代ではありません。知識のある人がない人に一方的に教える教育から、共同学習へ。今年度は、この「コ・ラーニング」をより一層重視し、社内外に広げていく年にしていきます。

▎スタッフ全員がバージョンアップしていく

                                                                                   

現在のダンクソフトは、全体としていい流れにあり、おかげさまでビジネスも好調に推移しています。

 

2021年4月に行われたオンライン入社式。徳島と全国をつないで実施。

2021年4月に行われたオンライン入社式。徳島と全国をつないで実施。

とりわけよいのは「人」です。この半年で4人の経験者を採用しました。4人とも素晴らしい人ばかりで、大いに期待しています。また、5年ぶりに新卒採用を行い、今年4月に1名、来年4月に2名がメンバーに加わります。新卒スタッフは、ダンクソフトがオフィスをもつ徳島での採用です。かねてから連携してプロジェクトを実施してきた阿南工業高等専門学校の卒業生たちです。テクノロジーに強い人たちです。都会に出てくるのではなく、地元にいながらにして、もっとクリエイティブに才能をいかした働き方ができるよう、これまで提唱してきました。これが、今年、実現しました。

新スタッフが加わることで、既存スタッフを含め、ダンクソフト全体の意識が高まり、成長します。よく言われる、「人を育てることで、教える側が育つ」というようなことではありません。

 

最初に触れたとおり、これからは、もう「教える」時代ではなくて、共に学びあう「コ・ラーニング」の時代です。新スタッフの存在は、既存スタッフに刺激を与え、私たちに新しい学びをもたらしてくれます。それによって、私たちはこれまでつちかった知識や考え方を、さらにバージョンアップしていくことができるのです。

 

もちろん、実践の場で学びあうことで、新しく入ったスタッフにとっても、ダンクソフトが新たな発見と成長の機会になることは、言うまでもありません。

▎「対話の風土」ができてきた

 

社内の対話文化もいよいよ醸成されてきました。ダンクソフトでは、2年前から、私と社内スタッフとの「対話の時間」を設けています。年2〜3回のペースで、チームごとに、定期的にグループ対話を重ねてきました。

 

もっとも、最初は「対話」と言えるようなものにはなりませんでした。十数人のチームなのに参加者が1人しかいなかったこともありました。業務面談かヒアリングのようなものと誤解されたのかもしれません。「対話」というもの自体になじみが少なかったのでしょうね。

 

それが今では、それぞれが自分の声で、自分の考えを言えるようになってきました。たいていのメンバーは、もう当てられなくても自発的に発言します。人と異なる考えでも口にします。チームを超えたコミュニケーションも生まれています。

 

「コ・ラーニング」にとって大切な「対話の風土」が、社内にできてきたのです。とても素晴らしい、誇らしいことだと嬉しく思っています。

 

数年来、星野とスタッフたちとの対話を意識的に増やしてきたダンクソフト。

数年来、星野とスタッフたちとの対話を意識的に増やしてきたダンクソフト。

▎多様性こそがパワーになる

 

こうした「コ・ラーニング」の環境は、メンバーが多様であればあるほどよいものです。住む地域、年齢、性別、国籍、考え方や趣味や生活スタイル……。もちろん働き方もそうです。いろんな人がいることで、相乗効果が高まります。そして、対話的に学びあうことで、イノベーションが起こってきます。

 

ダンクソフトにはトルコ人スタッフが働いています。また、現在、フランス在住の学生をインターン生として受け入れています。言葉も文化も風土も異なる人がいることはやはりよいですね。日本の中にばかりいるとどうしても視野が狭くなりますが、異なる文化を知ることで、仕事にフィードバックがかかります。

 

他にも、ダンクソフトで長く働いている人、新しく入った人。都市に住む人、地方に住む人。50代、60代もいれば、新卒採用の若者もいる。多様なメンバーが関わることで、互いに学びあい、より高め合うことができるのです。その結果、さまざまな新結合がおこり、イノベーション、つまり、新たな「はじまり」が生まれるのだと考えています。 

▎「コ・ラーニング」がビジネスの追い風に

 

社内で対話が浸透するにつれ、お客様との関係も、さらに良好になってきました。受注する・発注するだけの間柄を超えた、対話関係を築いて、一緒に次を創れるお客様がいらっしゃるのは、ありがたいことです。

 

現在ダンクソフトのビジネスが良好なのも、このようにしてお客様との対話関係が育ち、現場でも「コ・ラーニング」がすでに生まれ始めていることと無関係ではないでしょう。むしろ大きな一因として、プラス効果をもたらしていると見ています。 

▎効率化で生まれたリソースで、コミュニケーションに注力

 

ダンクソフトは、今年度も引き続き「デジタル・デバイドの解消」、そして 「コミュニティの活性化」 を、色々な方々との連携・協働で実現していきたいと考えています。さまざまなサービスや製品を、そのためのツールとして活かしていきます。

 

しくみは小さく、シンプルにして、まず効率化します。そして、余った時間やリソースで、コミュニケーションに注力する。未来への準備は、できるだけ早くするべきです。今はまさにその好機なのです。

 

たとえば、新しいお客様を取り入れたければ、窓口はインターネットやアプリの中にあるべきです。電車や車にのってわざわざ窓口に行かなくても、インターネット上に窓口があれば、シンプルにコミュニケーションがはじめられます。

 

情報を囲い込んで複層化させるよりも、クラウドにのせ、お客さんも含めた外に開いていく必要があります。基本の情報基盤もシームレスにインターネット上にあることは、BCP対策にも有効です。

 

「インターネットにあらゆるものをのせていく」ことがビジネスを加速させる、これがこれからの時代です。 

 ▎しくみは小さく、シンプルに

 

なぜ今、好機なのか? シンプル化が必要なのか? それは、ITのとらえ方そのものが変わるタイミングに来ているからです。サービスが変わっていく時だからです。

 

ダンクソフトのお客様の中にも、シンプルで使いやすいシステムを導入して、デジタル・デバイドの解消に成功されたケースが多々あります。

 

たとえばNPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様は、クラウド型のシステムを導入し、手書きとエクセルが混在する煩雑な情報管理を卒業していこうとされています。

 

また、石垣はなまる学童クラブ様では、子育て経験のあるダンクソフトのスタッフが、その知見を生かして、学童保育運営のさまざまなアプリをクラウド型システムで構築しました。タブレットやスマホだけで使える、現場に即した情報環境を実現し、快適にお使いいただいています。

石垣はなまる学童くらぶから定期的によせられるKintone通信。

石垣はなまる学童くらぶから定期的によせられるKintone通信

 ▎知らないうちに「デジタル・デバイド」になっている基幹システム

 

また、今の時代、組織内にある身動きのとれない古い基幹システムが、逆にデジタル・デバイドになってしまっているケースもあります。導入当時の技術と環境では良かったインフラも、今となっては、刷新が必要になっています。

 

最近は、こうした基幹システムの見直し・刷新のご相談が多くありますが、これも次の動きをいち早くつくるためには、企業・団体にとって急務です。 

▎対話と学びあいがコミュニティを活性化する

 

できるだけシンプルに、簡便に、効率的に「デジタル・デバイドの解消」をしていきましょう。そして より注力すべき「コミュニティの活性化」に向けたしくみづくり、対話、運用にこそ、リソースをつかっていきましょう。

 

ビジネスはやはり「人」です。企業の枠にしばられず、お客様、その先にいるお客様、ノンユーザーも含めて、多様なメンバーが出会い、実践の場で対話を通して互いに学びあう「コ・ラーニング」が、ますます重要になっていきます。今年度も、皆様とともに停滞を打ち破り、次を拓く「はじまり」をつくっていきたいと考えています。 


経営者対談:ともにちからを合わせ、デジタルで人々を幸せに

今回のコラムでは、リコージャパン 代表取締役である坂主智弘さんをゲストにおむかえし、コロナ禍を経て見えてきたこれからのビジネスについて、「デジタル」がもたらす未来について、対話しました。

 

リコージャパン株式会社 代表取締役 社長執行役員 CEO 坂主智弘

株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎



 ▎「この人だ!」と直感した

 

坂主 星野さんと出会ったのは、2016年でしたね。一般社団法人マーチング委員会(※)のイベント「マーチングEXPO2016」で、星野さんの講演をお聞きしたことがきっかけです。講演テーマは「IT企業が田舎でまちおこし」。星野さんは、講師として、神山をはじめITを活用した地域創生の事例を紹介されました。

 

そのお話がとても興味深く、「この人だ!」と直感したのです。自分の知りたいことがここにある、こんな人はそういない、このチャンスを逃してはいけない、という印象でした。そこで、講演後すぐにご挨拶に行きました。

 

星野 この日の会場は、神奈川県海老名市にある「リコーフューチャーハウス」でした。海老名はリコーさんの最大の研究開発拠点。そこに新たにつくられたビジネス共創のコミュニケーション・スペースでした。その施設のことや、リコーさんの地方創生の取り組みなどについてお話ししましたね。

 

※マーチング委員会:日本のまちなみをイラストで伝え、地域の魅力を再発信する団体。

左:株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎 右:リコージャパン株式会社 代表取締役 社長執行役員 CEO 坂主智弘さん

左:株式会社ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎
右:リコージャパン株式会社 代表取締役 社長執行役員 CEO 坂主智弘さん

▎徳島県視察ツアーで見た「これからの働き方」の衝撃

 

坂主 その後すぐに、当時は日本橋にあったダンクソフトさんのオフィスにお邪魔して。翌2017年3月には、徳島県神山町を訪ねるサテライト・オフィス視察ツアーにも参加しました。

 

星野 懐かしいですね。ダンクソフトでは、「徳島サテライト・オフィス視察ツアー」を毎年実施してきました。2011年に始まり、コロナ以前は、毎年2回ほど開催していました。

 

坂主 なかでも、大自然の中でノート・パソコンを開いて仕事をしている。そんな情景に「こんな働き方があるのか」と衝撃を受けました。

坂主さんが衝撃を受けたという情景

坂主さんが衝撃を受けたという情景

星野 坂主さんご自身が、お一人で参加されていましたね。あの時も、首都圏をはじめ全国から多様なメンバーが集った視察でした。

 

坂主 そうですね、視察先はもちろん、参加者も刺激的な方ばかりで、懇親会も有意義でした。その後のつながりも生きています。以来、星野さんとは、さまざまなところでご一緒してきました。あとはパエリアでしょうか(笑)。

 

星野 ははは。二人とも食いしん坊ですから(笑)。コロナ禍の前は、会えばおいしいものをご一緒していましたね。

  

▎コロナ禍をへて見えてきた未来──リコージャパンの場合

 

坂主 コロナ禍をへて、大きく変わったことが2つあります。まずは、「働く場所を選ばない働き方」が、すでに実態のなかにあることです。4年前に神山を視察した頃を思うと、今ようやく、時代が追いついてきたなと感じます。

 

次に、コミュニケーションのあり方です。私たちリコージャパンは複合機をはじめとする事務機器の製造・販売・保守を行う会社です。訪問サポートの比重は高く、何があっても「まずは足を運ぶ」という考えが主流でした。

 

「リコーさん最近来ないから、他社に変えちゃったよ」というようなことも少なくない業界です。フェイス・トゥ・フェイスでないと取り合わないという傾向は、とくに地方において、強かったのです。

 

ところが、コロナ禍以降、リモートの商談がすっかり浸透しました。以前は商談によっては商品担当者がリアルに同行していましたが、今はお客様担当者だけが現場に行き、商品担当者は現地へ行かずにオンライン参加が可能です。お客様にタブレット1枚を見せて「連れてきました」と言える世界になりました。

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▎「もう戻れない」──どこにいても働ける時代へ

 

星野 飛躍的な変化ですね。

 

坂主 今回のこの変化は、「ジャンプした」という印象をもっています。一部展開にとどまっていたものが、もう使わざるをえない状況になり、ためらいの小川を飛び越えたと言いますか。

 

リコージャパンは、2011年の東日本大震災を契機に働き方改革を進め、リモート・ワークを推進してきました。2019年には、総務省のテレワーク先駆者百選に選ばれ、賞もいただきました。その時点で、ノート・パソコンとWi-Fiルーターは、たしかに支給していました。ですが、実際の使用頻度や使用率は、必ずしも高くはなかったのです。今回、それが一気にジャンプしました。もう戻らないでしょう。

 

星野 このコロナ禍で、テレワークに切り替えるたくさんの社員の方に「テレワーク検定」を活用いただきました。現在のテレワーク状況はいかがですか?

 

坂主 私のいる本社は、約430席の事業所です。増減はありますが、おおよそ約70〜100人が出社しています。全体の4分の1弱です。

 

今回のことで、作業場所としてのオフィスは必要なかったと、よくわかりました。変わらずリアルに集まることが必要なのは、会議や意思決定、コミュニケーションの場面です。

 

▎コロナがもたらした変化──ダンクソフトの場合

 

星野 ダンクソフトの場合、社内のことより、周りの変化が大きかったです。とくに、出向先クライアントの方針ですね。これまで出向先の意向や環境が理由となってテレワークが難しかったクライアントも、今回は対応せざるをえない状況でした。

 

ダンクソフトは、2008年からテレワークを導入しています。震災後の2011年には、徳島にサテライト・オフィスを開設。リモートで働くことが普通な環境が、比較的、早くからありました。コロナ禍では、2020年3月25日の都知事による自粛宣言の翌日から、出向スタッフを含め、全員が在宅テレワークを始めました。そのまま1年以上が経過し、今も徹底したテレワークで円滑に仕事を続けています。

 

坂主 ほとんどのビジネス・パーソンが、一度はリモート・ワークを実際に体験した。このことの意味は大きいですね。

 

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星野 そうですね。アタマで知っているのと、実際に「やったことがある」のとでは、次元が違いますから。コロナ禍で、まったくのアナログ運営をしていたフラメンコ・スクールがデジタル化に挑戦して、リコーさんの360度カメラ「THETA(シータ)」を取り入れた実験なども行いましたね。そういう意味でも、先程おっしゃった「時代が追いついてきた」という印象は、私もまったく同じ感覚を、周りから受けています。まさに「ジャンプ」ですね。たった1年でこれだけ変わるんだと感慨深いです。

▎「真のデジタル化」へ──リコージャパン「Empowering Digital Workplaces」の挑戦

 

坂主 しかし、ビジネスの現場では、仕事のワークフローがリモート・ワークに対応してないケースが少なくありません。発注書がオフィスにFAXで届く、書類にハンコが必要、などです。デジタル・サービスを使うために紙や人の介在が、どうしてもまだあるのです。

 

リコージャパンはドキュメントに関わってきた会社です。もともとの出発点もそこにありました。しかし、もうデジタルの時代です。リモート・ワークの障害となるドキュメントの課題を改善し、本当の意味でのデジタル化を推進していきたいと考えています。

 

そこで、リコージャパンでは、複合機などのハードウェアとクラウドをつなげ、そこにAIを導入。「人にやさしいデジタルを全国の仕事場に」と掲げて、「Empowering Digital Workplaces」の展開を進めています。( 参考情報:リコージャパンのサステナビリティ トップ・メッセージ

 

ここでいうデジタル化は、情報がパソコンで表示できる状態を意味しているのではありません。FAXで届いた書類の数値や文字が、または録音データが自動的に認識され、コンピュータで処理できるようになっていることを「デジタル化」と呼んでいます。

 

FAXで届いた注文書を手入力するとか、音源をテープ起こしするといった、人に負荷のかかる単純作業は、機械にやってもらいます。知的労働のなかでも「力仕事」にあたるものです。それによって、人にしかできない、より創造的な仕事に集中できる環境をつくります。

  

▎ユーザーを交えた対話の場をつくる

 

星野 30年前から比べると、OCR(紙面に書かれた文字を認識する技術)の認識率は大きく高まりました。さらに、AIと出会ったことで、一気に化けましたね。オリンピック・パラリンピックの影響もあり、翻訳も飛躍的に進みました。

 

リコージャパンさんはこうした最新技術を使って新しいサービスを展開されているわけですが、そのプラットフォーム上で、パートナー企業とともにコミュニティをつくろうとされていますね。

 

私は、ここにとても期待しています。また、そのコミュニティに製品を実際に利用しているユーザーも入ると、さらに加速するのではないでしょうか。

 

坂主 なるほど、ユーザーも。たしかに、それはいいですね。いいヒントをいただきました。

 

星野 さらにいえば、ノンユーザー(nonuser)も入るとなおよいですね。多様性の中のチームができて、活発な対話の場を生み出すことが大切だと思います。

  

▎ダンクソフトの「SmartOffice構想」が描く未来

 

星野 ダンクソフトでは、「インターネットに“あらゆるもの”をのせていく」を合言葉に、「SmartOffice構想」を推進しています。「SmartOffice構想」は、場所を選ばずに、一人ひとりが、よりクリエイティビティを発揮できる働き方の未来です。

 

そこでは、いろんな人やグループが柔軟なつながりを持つ。対話し、連携し、協働して、社会課題の解決や新たな価値創造があちこちで生まれる。「SmartOffice構想」は、このような連携・協働が多方向で広がっていく未来をめざしています。

 

▎エンプロイー・ハピネスのために

 

星野 デジタル社会で大事なのは、やはり「人」ですね。とくに次の2つがこれからのキイワードだと考えています。ひとつは「ポリバレント」。一人ひとりが多様な役割を持ちあわせ、柔軟に動ける人のことです。もうひとつは「インターミディエイター」です。「あいだ」を結び、地域やビジネスを活性化し、それまでにない価値を生みだす役割です。

 

坂主 私はかねがね「エンプロイー・サティスファクション(働く人の満足度)」でなく「エンプロイー・ハピネス(働く人の幸福度)」でなければならないと考えてきました。一緒に働く時間が、その人の人生にとって幸せなものであってほしい。満足でなくハッピーでなければと。そのように考えています。

  

星野 ダンクソフトも、『「 Digital Re-Creation 」で人々を幸せに!』を、掲げています。重なりますね。

 

また、「楽」を大事にしています。仕事を楽に楽しくし、効率化して捻出した時間で一人ひとりが充実した人生を楽しむことを大切にしています。そうでないと、クリエイティブな発想も生まれにくいでしょう。遊び心や面白い発想が新たな価値創造に欠かせないのは言うまでもありませんしね。

 

▎最後に残る「人にしかできない仕事」とは?

 

坂主 リコーは2036年に創業100年を迎えます。その時どんな会社になっていたいかというと、働くことに喜びを感じる。人間が人間らしい仕事をして喜びを感じる。そんな環境づくりのお手伝いをできる会社になっていたいと考えています。

 

ただ、言葉ではそう言えるのですが、じゃあ実際に「人にしかできない仕事」「人間らしい仕事」って何? となると、どういう仕事なのでしょうね。自動化が進むと、労働の対価にお金をもらうという働き方がなくなってしまうかもしれません。そのとき、人間は何ができるのか。「人間ができること」が問い直されているのではないでしょうか。

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星野 効率化や生産性向上の先に、どんな未来を見たいのか、ですね。

 

坂主 人間にしかできない仕事。その多くは社会課題と直結しているでしょう。私たちリコージャパンは、本業でもって社会課題の解決をしていきたい。社会課題の解決とは、つまり、その先にある新たな価値創造も意味します。社会課題の解決と価値創造はもともと同軸だと考えていますので。

 

星野 ダンクソフトは、デジタルで効率化の先にある未来を応援し、人と場をリ・クリエーション(再創造)したいと考えています。人にしかできない仕事は、「リ・クリエーション」。いかにクリエイティビティを高めるかにかかっているのではないでしょうか。

 

▎ 「参加とつながり」から生まれる次のビジネス

 

坂主 ところで、星野さん、ワーケーションをどう見ていますか?

 

星野 大きな可能性があると思いますよ。技術的には、すでにできて当たり前です。私自身も、そう呼ばれはじめる以前から、国内だけでなく、ブラジルでのワールドカップや、ウィンブルドンで観戦をしながら海外でもワーケーションしてきています。ただ、単に「休暇を楽しみ、仕事もする」という使い方ではもったいないと思います。そうではなく、行った先で、地域や人につながらないと意味がありません。地元の人と出会ったり、社会課題の解決や新たな価値創造につながる活動に参加したりしてこそ、ワーケーションの可能性も生かせるというものです。

 

坂主 まさにそうですね。「つなぐ」ことは大事です。つなぐだけで変わるものもある。最近、自治体等からワーケーションのニーズを聞くことが増えました。しかし、課題を感じてもいました。単なる休暇ではもったいない。そこですね。その地域の課題解決につながっていてこそ、価値がありますね。

 

星野 ワーケーションは、IターンやBCPのトライアルとしても有効でしょうね。都市と地域を結ぶという意味でも、人と人、人と地域を結ぶという意味でも。また、事業継承の可能性も広がります。一次産業の飛躍も後押しできるでしょう。

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坂主 最終的に、人が何に幸福や喜びを感じるかといえば、やはり「人と人のつながり」だと思います。チームの連帯を感じたときの喜びはかえがたいものです。そういう意味では、人と人のつながりをつくることが、喜びにも、新しいビジネスにもなっていくと言えるでしょう。

 

星野 そうですね、インターミディエイターの考え方が、まさにそのものでしょう。分断されているところに結び目を作っていく役割です。あいだを丁寧に結ぶ存在がなければ、都市と地方のように本来異質なものが再結合されることは難しい。新しいタイプの媒介者がいなければ新結合はありえず、企業にも地域にも社会にも、イノベーションは起こらないままです。特にポスト・コロナ社会、デジタル社会といった多様性が重視される社会では重要になりますね。

  

▎「自然・機械・人間の協働」で、新たな価値創造へ

 

坂主 デジタル化を活用した農業や一次産業の新たな価値創造は、我々も大いに注目しているところです。ユーザーとダイレクトにつながって、一緒に価値創造ができる時代になりました。

 

星野 坂主さんも話されていたとおり、5G網の拡充により、今後、自然の中へも、インターネットが急速に拡張していきます。私は少し前から「自然と機械と人間の協働」に注目しているのですが、これがますます重要になっていくのは間違いありません。

 

それをビジネスにしていく上で求められるのが、感性でしょう。豊かな感受性。クリエイティビティです。あまり言われませんが、クリエイティビティがもっとも求められるのは経営者でしょうね。新しいものをつくっていくしかありませんし。

 

坂主 「つくっていく」ってわくわくしますね。フリー・ハンドで生み出し、つくりこんでいく。楽しいですよね、やっぱり。

 

星野 そのためには時間と刺激が必要ですね。経営者こそワーケーションをするといいかもしれません。

 

坂主 ははは、たしかに。私もワーケーションしようかな(笑)。

 

星野 いいですね(笑)。リコージャパンさんの若手スタッフの皆さんとお話したときに、これは未来への可能性だと感じました。ぜひ彼らともワーケーションをご一緒に!本日はありがとうございました。

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理想的で機能するテレワーク環境づくり:発想転換のポイント


▎河野大臣に脱FAXを直接提言 

 

河野太郎 行政改革担当大臣と、ダンクソフト代表 星野晃一郎

河野太郎 行政改革担当大臣と、ダンクソフト代表 星野晃一郎

「霞が関でFAX廃止へ。テレワークの阻害要因。」──河野太郎 行政改革担当大臣が「脱FAX」の方針を表明したことが報じられました。4月13日の記者会見でのことです。

 

実は、これに先立つ3月9日、私から河野大臣に質問をする機会がありました。「そろそろFAXやめませんか?」と、ずばり申し上げたのでした。

一般社団法人東京ニュービジネス協議会(NBC)のオンライン・イベントに、河野大臣をゲストとしてお呼びしていたのです。その中で私は、Internet Society研究部会長として質問を担当しました。河野大臣は、2015年にもダンクソフトの神山オフィスに視察に来られたことがあり、私はその折にもお話ししていたので、6年ぶりにお会いしたことになります。 

 

3月のイベントは、「ビジネス・シーンでのFAXは廃止できるのか?」を検証する連続企画の第1回でした。主な話題は、日本企業の「脱FAX」が進まない現状。それがいかにビジネスやテレワークの阻害要因になっているか。また海外では、FAXはすでに過去のもので博物館レベルだという状況と、いまだに日本では現役で日常的に使われているガラパゴス現象。これに海外の人がいかに驚くか、などでした。 

 

私が「脱FAX」を河野大臣へ直接提言した約1ヶ月後、河野大臣による記者会見での発言を聞きました。FAXを廃止し、テレワークしやすい状況をつくるために、いよいよ霞が関が動き出したと、感慨深く受け止めました。 

 

▎スタッフを在宅にするだけで、他は変えない「形だけのテレワーク」になっていないか? 

 

コロナ禍が続くなか、この1年、テレワークの推進が叫ばれてきました。4月27日には、NTTが従業員の出社比率を3割から2割に下げるなど、企業の在宅勤務が拡大していると、日経新聞が報じています。

 

ですが、「形だけのテレワーク」になっていないでしょうか? オフィスに、まだFAXが置いてある企業も多いでしょう。在宅勤務のために書類やデータを手で持ち帰って仕事をしているようでは、アナログ時代の“持ち帰り仕事”とまったく変わりません。人を在宅にするだけでなく、オフィスやデータの在り方をしっかり見直さないと、残念ながら「形だけのテレワーク」になります。

▎継続的なテレワークができる理想的なビジネス環境をつくる 

 

徳島市、高知市、阿南市、藤沢市からオンラインで集うスタッフた ち。各自の働く場所が「スマートオフィス」になっている

徳島市、高知市、阿南市、藤沢市からオンラインで集うスタッフた ち。各自の働く場所が「スマートオフィス」になっている

スマートオフィス時代のテレワークでは、仕事に必要な情報は、インターネット上にあります。オフィスのキャビネットに保管しているわけではありません。出社してであれ、在宅であれ、同じように必要な情報にアクセスできる環境が整えば、理想的なテレワーク環境に近づきます。つまり、。これが、「テレワーク」のメリットを最大限に享受できるビジネス環境といえます。

 

ただ、日本企業の現状は、情報のデジタル化も、テレワーク環境も、まだまだ未整備と言わざるをえません。とにかく人を在宅にさせただけのテレワークに留まっていませんか。テレワークは、もっと便利で、快適で、大きな可能性を秘めています。

 

河野大臣の発言を聞くと、国はオフィスの「脱アナログ」に踏み切ろうとしているようです。昨年の「脱ハンコ」に続く、今回の「脱FAX」。ビジネスにおける脱アナログのスピードは加速度的に上がり、今後はさらにあっという間に進みます。「そうは言っても、現場ではFAXがまだまだ現役。廃止は難しいだろう」と、旧態依然の現状にあぐらをかいていると、気づけば自社だけが時代に取り残されていた、ということになりかねません。時代と対話しましょう。オフィスの「脱アナログ」化に向けて、今すぐ動きたいものです。

▎ダンクソフトが手放した&ほぼ使わない9つのもの 

 

では、脱アナログ化されたスマートオフィスとは、具体的にはどんなオフィスなのでしょうか。スマートオフィスでの働き方は、どのようなものになるのでしょうか。3月に移転したダンクソフトの新・神田オフィスをモデルケースとしてご紹介します。違いがよくわかるのが、「スマートオフィス構想」の実現を提唱するダンクソフトが「手放したもの」と、それぞれの廃止年です。

 

【ないもの:手放した時期】

・モノクロ・カラー複合コピー機: 1990年代後半

・個人デスクの袖机(引き出し): 2007年

・ファクシミリ(FAX): 2010年

・プリンター: 2021年

 

【ほぼない/使わないもの】

・書類キャビネット: 2021年4月現在、ハンギング・フォルダーで契約書200-300枚のみストック

・電話: 2021年(電話機は所有しているが、回線につながずしまってある)

・名刺: 2020年。ダンクソフト「バザール・バザール」上で電子名刺が持てるように。

・文房具: 個人では持たない。1 箇所にまとめ、全員で共有。

・印鑑: 契約・申請等のため、一応ある程度

 

いまやオフィスに保管してある文書はハンギング・フォルダー2つ だけ。

いまやオフィスに保管してある文書はハンギング・フォルダー2つ だけ。

1990年代から、紙を減らし、アナログ情報をデジタル化していくことには取り組んでいました。個人デスクの袖机をなくしたのも、オフィスの紙を減らす取り組みの具体策です。これはスタッフからの発案でした。しまう場所があるから、ついしまってしまう。ならば、収納場所を最低限に減らしてしまえばよい、という逆転の発想です。これが大成功で、オフィスのペーパーレスが加速。現在は、書類保管場所は、ハンギング・フォルダー2つ分のみになりました。

 

オフィス移転のたびに、いわばスリム化と、さらなるデジタル化を重ねてきたわけですが、今年3月のオフィス移転では、とうとうプリンターを手放しました。もしどうしても必要があれば、コンビニ出力で対応します。逆に言えば、それでまかなえるくらい、諸々の申請を含め、もうビジネスに紙はほとんど不要になってきているのです。 

 

プリンターを置かないオフィスのため、プライバシーマーク申請書類をコンビニエンスストアで PDF 印刷。「紙を要求しない世の中になればいいだけなのです が」(星野談)

プリンターを置かないオフィスのため、プライバシーマーク申請書類をコンビニエンスストアで PDF 印刷。「紙を要求しない世の中になればいいだけなのです が」(星野談)

ちなみに、3月の移転後初の大量印刷案件は、4月19日、約60枚にのぼるプライバシーマーク更新のための提出書類でした。ダンクソフトにとって、約60枚は“大量”です。インターネット時代に不可欠な制度がいまだに電子化されていないというのも皮肉なものですが、これに限らず、早く紙を要求しない世の中になってほしいものです。  

▎「データの持ち方」がカギを握る 

 

次は、いろいろ断捨離をしてきたダンクソフトにも、まだ「あるもの」という視点から、スマートオフィスのあり方を考えてみましょう。デジタル化、スマートオフィス化のために、新たに必要になるものもあります。

 

【あるもの】

・スキャナー

・カメラ、スピーカー

・ダブルモニター

・クラウド・サービス

 

スキャナーは情報を電子化するため。カメラとスピーカーは、オンライン通話やウェブ会議等、離れた場所にいる人たちと自在にコミュニケーションするため。ダブルモニターは、作業時にモニターを 2 枚使うことを言います。1 枚は参照画面と、1 枚は作業画面。大画面なら、1 画面を左右で使い分けることもできます。

 

ここまでが、仕事を効率化して余暇時間を生み出すためのツールです。加えて、より重要な、情報インフラとも言えるのが、最後に挙げたクラウド・サービスです。ダンクソフトで導入・活用しているのは、「未来かんり」、「日報かんり」。これらは自社製品です。そして、Microsoft 「Teams」、「Office 365」、「kintone」、「Backlog」(プロジェクト管理)、デザイナー用のアドビ等。これらは、場所を選ばずどこでもクリエイティブに働けるためのツール群です。

 

在宅勤務も、遠隔拠点でも、まったくストレスなく、どこにいても同じように働けるように、オフィスの在り方やデータの持ち方を再点検して、発想転換してみましょう。そうすることで、スタッフ同士のみならず、多様な社外メンバーとの協働プロジェクトが進むようになるでしょう。20年にわたってインターネット時代のオフィス環境を追求してきたダンクソフトのメソッドをすべて共有し、皆さんと一緒に「スマートオフィス構想」を加速させていきたいと考えています。あらゆる情報をインターネットにのせ、データの持ち方やあり方を進化させれば、スマートオフィス化に大きく前進できます。

「イノベーションの場」として2021年3月に生まれ変わったのダンクソフトの神田オフィス

「イノベーションの場」として2021年3月に生まれ変わったのダンクソフトの神田オフィス

 

自然×人×デジタルが協働する未来へ

自然×人×デジタルが協働する未来へ

▎時代がダンクソフトに急接近してきた

  ダンクソフトでは、3月からオフィス内に「ダイアログ・スペース」を新設しました。ここをデジタル拠点として、去る3月7日~14日に、8日間にわたるオンライン・イベント「森林と市民を結ぶ全国の集い」が開催されました。東日本大震災から10年、コロナ禍のいま、森林と市民を結ぶあらたなかたちを模索しようと、企画されたものでした。

 振りかえれば、震災当時のダンクソフトは創業28年を迎えたころで、テレワークを実装する「これからの働き方」を実証実験しているところでした。

 はじまりは2008年、当時、私たちは伊豆高原でサテライト・オフィスの実験を試みました。豊かな大自然のなかで、環境についても学びながら、首都圏の仕事をテレワークで行うことができるリモートワーク拠点をつくろうとしたのです。今でいうワーケーション、避暑地などで休暇をとりながら働くスタイルです。ただ、当時の伊豆高原はまだ通信環境が脆弱で、実用レベルには達しませんでした。その後2010年に、育休明けスタッフが社内第1号のテレワーカーとして自宅から仕事をはじめ、これがテレワークの先鞭となりました。

 ▶テレワーク ──2008年から始まった取り組み
  
https://www.dunksoft.com/message/2019/8/1/-2008

 震災があったのは、その1年後です。首都圏への一極集中によるリスクを痛感しました。震災後、BCP(事業継続計画)の観点からも代替地を求め、ダンクソフトは徳島県神山町に本格的なサテライト・オフィスを設けます。伊豆高原では得られなかった、地元とダンクソフトを結ぶインターミディエイターの存在にも、大いに助けられました。

 このとき、川の中でパソコンを使って仕事をしている映像がNHKの「ニュースウオッチ9(ナイン)」で紹介されました。これが大きな話題となりました。

川の中でパソコンを使って仕事をしている様子は、当時社会に驚きとなった

川の中でパソコンを使って仕事をしている様子は、当時社会に驚きとなった

 インターネット環境さえ充分整っていれば、森や川や海辺といった大自然のなかで、都会とも世界とも直結したビジネスができる。いま私たちが「スマートオフィス構想」のなかで提案している「インターネットにあらゆるものをのせていく」という未来の働き方は、その頃すでに始まっていました。

 以来10年、デジタル・テクノロジーはめざましい進展を遂げました。ポスト・コロナ時代の今、この10年でダンクソフトが一歩一歩進めてきたことが、一挙に時代の潮流になってきました。時代がダンクソフトに急接近してきた。そのように感じています。

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5Gが切り拓く新たなインターネット社会 

 劇的な展開を呼びこんだのは、通信環境の驚異的な進化、やはり何と言っても、これが大きいです。ダイヤルアップからADSLを経て光ファイバーの時代になり、最大通信速度は、1980年からの30年で約10万倍になったと言われます。 

 そしてここにきて到来したのが、「5Gの時代」です。第5世代移動通信システム(5G)の通信速度は、現在使われている第4世代(4G)の実に100倍以上も高速です。この5G通信網で、離島や山間部をふくむ日本全域を覆う計画があります。総務省では大型予算を組んで、5Gインフラ整備を急ピッチで進めています。

 5G構想のすごいところは、これまで取り残されがちだった離島・半島・山間部・僻地・地方こそ網羅し、文字通り日本中をカバーしようとしている点です。今後は、人間が住んでいない地域にも、インターネットが行き渡ります。人間・自然・機械(デジタル)が協働する時代が、情報インフラの面で、いよいよ本格始動するのです。 

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人間・自然・機械が協働する「未来」はすでに到来している

  人間・自然・機械(デジタル)が協働する未来は、じつはすでに始まっています。それを、ダイアログ・スペースをデジタル拠点として行った「森林と市民を結ぶ全国の集い」でも、実感しました。

 スマートオフィス構想を実践する新拠点
  https://www.dunksoft.com/message/2021-03

 ▶第25回 森林と市民を結ぶ全国の集い2021
  https://www.moridukuri.jp/forumnews/tsudoi2021.html 

  NPO法人「森づくりフォーラム」が長年、年に 1 度開催してきた集いです。が、2020年はコロナ禍で開催できず、今年はオンライン開催となったため、ダンクソフトとして初めて実行委員として参加しました。

  今年は震災から10年目にあたります。コロナ禍ということで、宮城、福島、岩手の東北3拠点のほか、東京・栃木・群馬などの各拠点をオンラインでつなぎました。スピーカーも全国各地、そしてドイツからもメンバーが集いました。海外もふくめて、のべ800人が参加する大きなイベントとなりました。

リコーの360度カメラTHETA(シータ)を使った自然体験デモ(サシバの里自然学校 遠藤 隼 氏)

  今回、25年にわたる開催史のなかで、初めてのオンライン開催となりました。くわえて、デジタルの可能性が分科会のテーマとして初めて着目されたことは、ひとつのニュースでした。このエポック・メイキングな場に、デジタルとオンラインの担い手として、ダンクソフトが協働力を発揮できたことを嬉しく思います。

 実際に開催してみて、神田オフィス内に新設したダイアログ・スペースの価値を、皆さんに体感していただくことができました。通信が安定していること、音が良いこと。オンライン・オフラインを超えた場づくりに必要なデジタル環境が整っていること。だからこそ、対話に注力でき、コミュニケーションがより活性化するのです。

 遠隔拠点の機材アドバイスや良質なスピーカーの貸し出しも行いました。複数拠点を網の目状につなぎつつ、安定したコミュニケーション・ネットワークの実現によって、ストレスなく、各メンバーがすぐそばに集っているかのように、参加いただけたようです。

ダンクソフトのオフィス内にある「ダイアログ・スペース」がデジタル拠点となって、オンライン・オフラインを問わず、参加者間での対話が深まるイベントとなった

ダンクソフトのオフィス内にある「ダイアログ・スペース」がデジタル拠点となって、オンライン・オフラインを問わず、参加者間での対話が深まるイベントとなった

▎「協働」と「コ・ラーニング」がこれからの価値観 

 自然 × デジタルの可能性についても、大きな手応えがありました。森づくりの担い手や後継者の人材不足、高齢化、専門性の高さ、都会との距離、ビジネスの創出といったトピックが話し合われました。これらの課題に対して、デジタルを取り入れるからこそ解決できることがたくさんあります。 

 たとえば、ドローンで森を俯瞰する、集まったデータで森を見える化する、荒れた森林をロボットで維持・管理する、熱センサーで木の健康状態を判断する……などなど、環境保全としても、ビジネスとしても、実にこれからの可能性にあふれています。自然との貴重な個別体験があって、それを互いから学び合えるような、これからにふさわしい学びの場の提供も可能です。深い森、遠い森に行かなくても、あるいは行けない方でも、オンライン配信による新たな学習機会を創出できます。自然との関りを、より多くの人々に広げることになります。

 じつは、2017年に徳島県神山町で開かれた世界構想プログラム「物語の結び目会議」で、ダンクソフトの未来構想を描きました。その時にダンクソフトの竹内が描いた未来像が、まさにこうしたデジタルで森とともに生きる・暮らすというものでした。当時はまだ技術が追いついていませんでしたが、5G通信網で日本全国が覆われようとしている今、これはもう、間もなく到来する現実だと言えるでしょう。

 ポスト・コロナ社会の新しい価値観のもと、競争ではなく「協働」の概念が、今後ますます大事になります。本社という一か所に人間を集約するのではなく、人や拠点が多中心に、分散型で、地域を超えて、網の目状につながる。人と人はもちろん、人と自然、人と技術、自然と技術もまた協働の場を必要としています。

 ダンクソフトはその実践者であり、モデルケースでもあります。私たちがデジタルに長けたインターミディエイターとして、人と技術、人と自然、技術と自然のあいだを丁寧に媒介していって、さまざまな協働作業をうながす役割は大きいと考えています。

 異なる価値観どうしが出遭ったり、会話・対話が生まれやすい場をホストできたり、新しいエクスペリエンスの提供・向上に寄与できたり、共に学び合うコ・ラーニング(Co-learning/共同学習)の環境が生まれる一助になっていれば、とても嬉しいことです。

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一極集中を超えていく

2021年4月1日より、徳島オフィスに、地元・阿南工業高等専門学校の卒業生・山本さん(左前)が、新卒社員として入社しました。デジタルを活かせば、地元の地域社会に残りたい若い世代が、地元でやりたい仕事につくことができます。

2021年4月1日より、徳島オフィスに、地元・阿南工業高等専門学校の卒業生・山本さん(左前)が、新卒社員として入社しました。

デジタルを活かせば、地元の地域社会に残りたい若い世代が、地元でやりたい仕事につくことができます。

 この10年、デジタル・テクノロジーはめざましい進展を遂げてきました。これからは、もっとデジタルを活かすことで、都市部への一極集中から、各地に分散的に広がていく時代です。

いつも話していますが、昨今、生まれ育った地域に残りたい若者たちが増えています。すでに授業はオンラインで受けられるようになりました。仕事も同じです。テレワークなら、どこにいても都会の仕事ができます。場所に縛られず働くことができるので、住みたい場所に住み、地元の地域社会に残ることができます。

 これは高齢化問題の解消にもつながっています。地域に若い世代が残ることで、高齢者と若い人たちが地域で協働することができます。森づくりの場合も、環境保全に関わる人を増やせるし、若い参加者が森に入って行って、それを高齢の匠たちが遠隔でアドバイスするということもできるようになります。高齢化をネガティブにばかりとらえるのではなく、可能性に着目すれば、新たなビジネスの仕方も、社会的関わりも生まれていくでしょう。

 このように、日本各地に分散拠点、すなわち「スマートオフィス」が増え、お互いに連携し、社会的協働の機会が増えていくほど、日本は地域からそうとうに変わっていきます。技術力と協働力をいかして、日本は世界に先駆けて新しい姿をみせるときです。より明るい未来に向けて、日本が世界を変えていく。これが、「スマートオフィス構想」を通じて実現できる未来像です。

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 ▶ご参考:総務省 令和3年 予算
 テレワークや遠隔教育、遠隔医療を支える情報通信基盤の整備: 219.5億円
 Beyond5Gや5Gの高度化等の実現のカギを握る先端技術の研究開発:507.6億円
 詳細はこちら 
https://www.soumu.go.jp/main_content/000742163.pdf 

スマートオフィス構想を実践する新拠点

▎オフィスの再定義が必要だ 

 

ポスト・コロナ社会において、オフィスの役割は大きく変化します。ここ1年で、オフィスを手放す選択をとった企業も多いようですが、ダンクソフトは違います。 

オフィスを残し、この場を、単なる「業務遂行の場」ではなく、「イノベーションの場」として再定義しました。 

 

この新・神田オフィスですが、3月1日に、フロア移転しました。同じビルの10階(最上階)にあります。7階にいたときより、ずっと見晴らしがよくなり、全面の窓から神田の街なみが一望できます。 

「イノベーションの場」として生まれ変わったダンクソフトのオフィス

「イノベーションの場」として生まれ変わったダンクソフトのオフィス

 しかし、こうしたロケーション以上に、このオフィスの特徴は、「インターネットにあらゆるものをのせていく」ことにあります。後で述べるように、ここは本当にモノが少ないオフィスです。つまりここは「スマートオフィス構想」のショーケースであり、同時に、この構想をさらに加速し、全国各地に展開していく場として位置づけています。 

ダイアログ・スペース

ダイアログ・スペース

オンラインとオフラインをあわせた、良質なハイブリッド型イベントやダイアログが行える空間を、オフィス内に新設しました。テレワーク、クラウド、ウェブ、デジタル・コミュニケーションの組み合わせで、スタッフと、お客様と、地域と、世界と、より連携を拡げ、もっと協働していくために、世の中に先駆けた、新たな試みをしていきたいと思っています。 

 

もう一点。「イノベーションの場」としての新・神田オフィスは、2つの方向での役割を持っています。 

ひとつは、テレワークが加速するなかでも、スタッフが安心・安全に集うことのできる、働きやすい「みんなのオフィス」であること。 

カフェ・スペース

カフェ・スペース

もうひとつは、人とビジネスと地域をつなぐ役割です。ここは、当社のスタッフ以外の人たちも参加しながら、ネット上であれ近隣社会であれ、コミュニティを活性化していく重要な結節点でもあるのです。 

▎議論ではなく、対話を重視。そのための音響と通信環境 

 

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重要なのは、質の高い、より豊かな「対話」を生みだすことのできるオフィスかどうかです。議論ではありません。それでは勝ち負けを意識したやりとりになってしまいます。そうではなく、多様な人々が集い、関わり、対話を重ねることで、次に向けた新しいアイディアやプロジェクトを生みだす時です。インターネットで日本各地とも世界各地ともつながり、そのたびに新しいビジネスが広がっていきます。 

 

今回、そのために必要な設備を、無駄なくしっかり備えました。音響と通信環境、つまり「音場」によって、オンラインとオフライン両方からの参加者同士で対話をする際のクオリティに違いがでます。 

 

貸出可能な、高品質の会議用マイク 

貸出可能な、高品質の会議用マイク 

そこで、高品質のマイクと厳選したスピーカーを導入し、超高速インターネットを引いています。オンライン上の個別対話やグループ対話で、もっとも大きなストレスになるのが、じつは音響・音声の悪さです。声が途切れたり、ニュアンスが聞き取りにくかったりすると、対話の質やリズムに影響します。みなさん映像を過度に気にしがちですが、大切なのは音響や音声といった「音場」のほうなのです。これらの音響セットは2セット用意しており、貸し出しも可能です。 

 

また、4K時代をふまえ、4K対応パネルも約10台。カメラは、4K相当が出る秀逸なウェブカメラを採用しました。通信回線は、セキュリティ面を考え、2つの回線を引き、分けて使っています。ひとつは、クライアント業務専用の回線で、もうひとつは、外部からダイアログに参加する方々に使っていただけるものになります。 

 

オープンで、フレキシブル。それでいながらハイリー・セキュアード(highly secured)な、守るところは守るオフィスです。  

▎Digital、Diversity、Dialogueの相乗で、新たな価値を創造する 

 

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こうした優れたデジタル環境に包まれた、新設の「ダイアログ・スペース」で、さまざまな活動を進めていく予定です。たとえば、オンライン・イベントの主催や、コミュニティ・ラジオのスタジオにもなりますし、もちろん、日々の会議やビジネス・カンファレンス、シンポジウムなども、ストレスなくできる環境が整っています。 

 

貸出可能なスピーカー、M’s system

貸出可能なスピーカー、M’s system

今回、特徴的なスピーカーを採用しました。演奏家や作曲家も好んで使っていて、ラグジュアリー・ホテルなどでも多く取り入れられているものです。音質がナチュラルで、リアリティ溢れるサウンドが特徴です。 

 

深みがあって、柔らかく豊かな音色が空間に広がり、からだ全体を包み込みます。音楽を聴くと、とてもリアルなライブ感があります。オンライン会議の音も、このスピーカーを通すと、気持ち良く響いて、長時間聞いていても疲れないんです。 

 

昨年、約10時間のオンライン・フォーラムを、このスピーカーで実施してみました。オンライン参加した方から、長時間で疲れるのではないかと心配したが、自然な音で聞きやすく、他の参加者が近くにいるように感じて、ストレスなく過ごせたと好評価をもらいました。 

 

新オフィスは天井が高いので、音が広がって圧巻です。いい音が、オンラインからの参加者にも響きます。参加する場所を問わず、隣にいるようなライブ感で対話ができる音場になっています。 

▎「スマートオフィス構想」のモデルとしての新拠点 

 

ダンクソフト代表 星野のデジタル名刺

ダンクソフト代表 星野のデジタル名刺

今回のフロア移転では、オフィスのペーパレス化もさらに徹底し、モノを減らしました。今回、ついにプリンター(複合機)をなくしたのです。もともと、FAX、電話、書類保管庫、袖机等は、ダンクソフトのオフィス内にはありません。以前から、文房具も個々で持つのをやめ、オフィス全体で共有できるコーナーをつくってセンタリングしました。モノが減るほど、オフィスの引っ越しも身軽になります。印鑑、名刺も早くなくしたいところです。ちなみに、私はもう紙の名刺を持つことは辞めました。直接会えなくても誰もがアクセスできるよう、デジタル名刺にしています。 

 

スマートオフィスの醍醐味は、「インターネットにあらゆるものをのせている」状態であることです。情報は紙ベースではなく、インターネット上にありますから、どこにいても同じ環境でアクセスできます。ですから仕事も、work from home (WFH)に限らず、どこにいてもできるわけです。 

 

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そうなると、オフィスに出社することの意味が変わります。今までは、作業・業務を遂行するために通勤していました。しかしこれからは、積極的なコミュニケーションや対話のために、出社することになるでしょう。そこから生まれる気づきや発見が、つまり新鮮な認識の変化が、スタッフ一人ひとりのクリエイティビティを刺激します。新・神田オフィスは、安全に配慮しつつ、人が気持ちよく滞在できる環境です。社内メンバーは必要に応じて出社し、ダンクソフトが社内外のメンバーと日々創りだしている新しいビジネス・シーンに触れることもできます。 

 

こうしたデジタル・メディアに支えられた対話の場を、どう有効に活用していくか。カギは「多様性の中の対話」です。この可能性を、みなさんともっともっと広げていきたいと思っています。お客様たち、その先のお客様たち、社内メンバーたち、地域の方々、遠く離れていても同じ未来を見ている方々など、さまざまなみなさんと一緒に、クリエイティブな未来を、ここから切りひらいていきたいと考えています。 

 

 


★ダンクソフト 「ダイアログ・スペース」 仕様・設備 

【通信環境】 

・NURO光 約 1 Gbpsの超高速 

・Bフレッツ セキュリティ重視(600-700Mbps) 

・有線で屋上まで敷衍可 

【音響・音声】 

・高品質 会議用マイク 5台 :貸出可能 

・スピーカー(M’s system) :貸出可能 

【モニター】 

・55インチ 4K 有機LED大モニター 

・30インチ弱 高解像度 PCモニター 12台 

【カメラ】 

・ウェブカメラ(4K相当)Microsoftライフカム 3台

 

●ダイアログ・スペースのご利用・同環境の導入支援について、いつでもご相談ください。 

事例:テレワークで実現したNPOの働き方改革と拡がる可能性

お客様:特定非営利活動法人 樹木・環境ネットワーク協会様

介護のために仕事を辞めることになるかもしれない――職員からの相談をきっかけに、樹木・環境ネットワーク協会はテレワーク体制を導入した。導入直後に新型コロナウイルス感染症が拡大。しかし、いくつかの事業は休止や縮小を余儀なくされたものの、基本的な業務は継続することができた。テレワーク導入時に直面した課題、そして広がった可能性について、お話を伺った。

 

■事務所に縛られず、フィールドでの活動を増やしたい

フィールドでの活動風景

フィールドでの活動風景

 樹木・環境ネットワーク協会は、森や里山の保全活動と、そのための人材育成を主軸に置くNPOだ。「聚フィールド」と呼ばれる山林や里山、公共緑地を全国13カ所で管理する他、植物や生態系の知識を持つ人材を育てる検定制度「グリーンセイバー」も設立当初から運営している。検定に合格した人々が中心となってフィールドの保全活動を行っているのが特徴だ。

自分たちが保全してきたフィールドだから、自分たちしか手をつけられない……と閉鎖的になるのではなく、「もっと広くいろいろな方にかかわってもらうことで、自然との付き合い方や自然への関心を高める普及啓発活動を大切にしています」と語るのは、事務局長を務める後藤洋一氏だ。人と自然の関係がもっと近しいものとなり、「人と自然が調和する持続可能な社会」を目指すというのは、同協会の理念でもある。 

特定非営利活動法人 樹木・環境ネットワーク協会 理事・事務局長 後藤洋一 氏

特定非営利活動法人 樹木・環境ネットワーク協会 理事・事務局長 後藤洋一 氏

だからこそ、後藤氏は8~9年前に同協会にかかわるようになってすぐに、「事務所に縛られて行動が制限されてしまうことなく、もっと自由な働き方ができないだろうか」と考えるようになった。そうすれば、もっとフィールドでの活動を増やすことができるからだ。

 



■介護と仕事の両立を模索 

2018年春、後藤氏は「事務所に来るのが難しくなるかもしれない」と広報担当の石崎庸子氏から相談を受けた。両親の介護が必要になり、事務所に来るシフトを組みにくくなるかもしれないというのだ。実家は自宅から近いが、事務所から電車で1時間ほどかかってしまう。急用が発生しても、すぐに駆け付けることが難しい。これから状況がどのように変わっていくかが分からないため、仕事を続けられなくなるのではと不安を抱えていた。

実は後藤氏もかつて、実家の介護や通院を手伝いながら、仕事と両立させることの難しさを痛感した時期があった。そこで石崎氏の相談に背中を押され、「テレワーク」という働き方を選択肢に加えるべく動き出した。

ダンクソフト星野との打ち合わせの様子

ダンクソフト星野との打ち合わせの様子

テレワークについて、ダンクソフトの代表取締役 星野晃一郎に相談したところ、テレワークの助成金があることを知った。8月から情報収集を開始し、申請準備を10月から進めて12月に取得。その後に機器やシステムの導入を完了し、翌年2月には最終報告書を提出するというハードスケジュールを決行した。ダンクソフトには、申請書類の書き方や導入後のフォローまでを相談した。

 後藤氏と星野は、以前からNPOのためのクラウド勉強会を毎月共催してきた間柄だ。だがダンクソフトに支援を頼んだ理由は、他にもあった。「相見積もりを取るために来てもらった他社の方が、とても営業的だったのです。その点、星野さんはフレンドリーで、気さくにいろいろ話すことができました」

またダンクソフト自身がサテライト・オフィスやテレワークに取り組んできた実績や、さまざまなNPOとの協働経験が豊富なことも安心だった。「地域活動に積極的に取り組むダンクソフトは、NPOに対する理解が深いと感じました」

 

■わずかな準備期間で情報収集から導入まで

 テレワークの本格導入を始める前から、同協会では共有サーバーとメールを基盤に運営していた。皆で共有するデータは必ずサーバーに入れておき、メンバーは誰でも見られるようにしていた。この共有サーバーに外からアクセスできるよう、今回から安全性の高いネットワーク接続が可能な「VPN」を設定した。

左:自宅のテレワーク環境  右:オフィスのテレワーク環境

左:自宅のテレワーク環境  右:オフィスのテレワーク環境

 そして、テレワーク中はマイクロソフトのグループウェア「Teams」を常時接続することとした。画面には作業中のソフトウェアとTeamsが表示されるため、作業効率を上げるためのサブモニターも購入。会議用スピーカーやWebカメラも用意した。これらの機器は自宅でも必要になるが、個人負担で購入しなくても済むよう、協会から貸与することとした。

苦労したのは、助成金ごとに助成対象が異なることだ。例えば最初に申請した助成金では、サブモニターやWebカメラは助成対象だが、パソコン自体は対象外。業務を行いながらTeamsを常時接続すると、古いパソコンには負荷が大きいため、後に別の助成金を申請して購入することとなった。

ダンクソフト企画チーム大川慶一が、ダンクソフトでのテレワーク勤務体験談をお話しました

ダンクソフト企画チーム大川慶一が、ダンクソフトでのテレワーク勤務体験談をお話しました

12月半ばに助成金を取得してから、星野によるセミナーと体験会が実施された。スケジュールを組んでみると、セミナーを年内に始めておかなければ、2月の報告書提出には間に合わない。1回目のセミナーは年内最終営業日に、2回目と3回目は1月中に行った。東京事務所6名のうち、テレワークの対象となる4名が参加した。

 

「なんとなく理解しているつもりだったことを、きちんと体系立てて説明していただきました」と石崎氏は振り返る。「具体的に何をどのように進めていくか。その前段階として、世の中の流れや、テレワークの基本的な考え方を、この機会にひととおり教えていただけて、ありがたかったです」

 

■緊急事態宣言に間に合った、テレワークへの移行

 助成金のスケジュールの関係で、テレワーク環境を急ピッチで整えた直後に、新型コロナウイルスの感染が国内で拡大した。そのおかげで、3月末に第1回目の非常事態宣言が発令された頃には、事務所の作業の9割近くをテレワークに切り替えることができた。

だが、対外的な窓口である事務所を完全に閉めることはできないし、郵便物の受け取りや発送作業など、事務所での作業はゼロにはならない。「テレワークには合わず、休業状態になった仕事もありました」と後藤氏は打ち明ける。「それでも、基本的な業務は稼働していますし、テレワークに対するハードルはだいぶ下がったと感じています」 

スタッフとオンライン会議中の後藤氏

スタッフとオンライン会議中の後藤氏

これまでも共有サーバーを使っていたとはいえ、新しいツールに慣れるまでは若干の混乱が生じた。Teams内には、さまざまなプロジェクトごとのチャネルを設けているため、いつどこで話された内容だったのか混乱することもあった。Teamsを見られない環境にいる人には、メールで情報共有をすることもある。「Teams内に保存するのか、メールで送るのか、共有サーバーに置くのか。情報をきちんと一括して残しておくことが、慣れるまでは難しかった」と石崎氏は語る。

 Teamsを使って、常時接続の会議が毎日開かれているので、顔を見ながら話せる場がある。これにより、離れていても事務所にいる時と同じように、一緒に働いている感覚が得られる。それでも「もっと他愛のない雑談ができる場を作れないか」と石崎氏は考えている。「雑談が減って、何かが目に見えて滞っているということはありません。でも事務所では雑談をきっかけに何かが生まれたり、仕事がうまくまわっていくための種みたいなものが、もっとあったように思うのです。次は、テレワークの中でも、うまく雑談かできる工夫をしてみたいですね」

  

■介護しながらも働けることが、団体の価値を高める

特定非営利活動法人 樹木・環境ネットワーク協会 広報 石崎庸子 氏

特定非営利活動法人 樹木・環境ネットワーク協会 広報 石崎庸子 氏

 石崎氏には、気がかりなことがもうひとつあるという。出勤回数を大幅に減らし、基本的には在宅で勤務していることで、他のスタッフの負担が増えているのではないか、という点だ。「私は主に広報関連の仕事をしていますが、事務局に行けば電話応対や、発送の仕事が忙しいようならば手伝うこともできます。でも行かないと、自分の担当業務のみになってしまうので、申し訳ない気持ちになります」

この心配に対し、星野は「そこはお互いさまであって、これから介護は誰もが避けられないこと。石崎さんがそういう事情を抱えながらも働けるということ自体が、周りの人にとって、よい事例になっていると思います」と語る。

「今までは、そういう個人的な事情を隠すのが日本の企業文化でした。介護は結構大変なことなのに、自分だけで背負ってしまい、結果的に会社を辞めてしまっていました」。だが介護される側の人数が増え、公の部分だけでは支えられなくなり、民間の力で支えていく時代に変わってきているのだという。

「負担を組織としてシェアできるというのは、価値が高いこと。同じような課題を抱えた人にアドバイスできるということの価値は、今後高まっていくのではないでしょうか。お互いを尊重して、それぞれが助け合って、無理のないやり方で進めていくことの方が、成果が出やすいと思います」

  

■テレワーク環境整備の、その先に見える未来

テレワークのスピード導入と、その後の試行錯誤が功を奏し、2020年10月には、総務省の令和2年度「テレワーク先駆者百選」(注1)に選ばれた。「おめでとうございますという声はありますけど、今のところはまだ大きな反響はないですね」と笑う後藤氏だが、企業連携を推進する団体としては百選に選ばれたことが、企業との信頼づくり、新しい連携先企業との関係づくりにも通じるだろうと期待する。

また、「テレワークの導入に積極的に取り組んでいるNPOは、まだ多くありません。働き方を模索している団体に、何らかの刺激になれればと思います」と、NPO界全体のデジタル化推進に目を向ける。実際に、受賞をきっかけに、テレワーク環境の整え方や助成金の使い方について、さまざまなアドバイスを求められる機会が増えたという。

今回のテレワーク導入によって変わったのは、働き方だけではない。2020年12月には、大規模なオンライン・イベントも実現した。運営サポートとして携わっていた後藤氏は、事務局に「星野さんにアドバイスをしてもらってはどうか」と紹介。オンライン配信の機材や段取りのアドバイスだけでなく、シンポジウム会場としてダンクソフトのダイアログ・スペース(注2)を活用した。

「テレワークを導入して終わりではもったいない。さらに、オンライン・イベントを一緒に実施したり、セキュリティについて学びを重ねたりすることで、“Co-learning(コ・ラーニング/共同学習)”の関係を続けていくことが大事だと考えています。ダイアログ・スペースが、こうしたCo-learningの一助となれば」と、星野は今後の展望を語る。

 

「森林と市民を結ぶ全国の集い2021」

「森林と市民を結ぶ全国の集い2021」

3月には、1週間におよぶ『森林と市民を結ぶ全国の集い2021』も開催を予定している。第25回目となるシンポジウムだが、今年はオンラインでの配信となる。東日本大震災から10年という節目でもあり、オンラインでの自然体験やグリーンリカバリーといったタイムリーな話題も議論される。ダンクソフトのダイアログ・スペースの他、東北3県からも配信するということで、初めて尽くしの準備は佳境に入っている。

「今までリアルに実施してきたイベントがオンライン化していく中で、さまざまなアドバイスをいただいたり、イベント会場を借りることも今後増えていくのではないでしょうか。テレワーク導入を超えて、ダンクソフトさんと継続的に協働して、何か企画していきたいですね」。後藤氏は、テレワーク導入の経験から、この先の可能性に大きな期待を寄せる。後藤氏をモデルに、森林や自然に関わるNPO団体が、デジタル・テクノロジーを活かして、さらに躍進する未来が待ち遠しい。


 注1)総務省が平成27年度から、テレワークの導入・活用を進めている企業や団体を「テレワーク先駆者」とし、その中から十分な実績を持つ企業等を「テレワーク先駆者百選」として公表している。

 

注2)ダイアログ・スペースは、ダンクソフトの神田オフィス内に設けられた場。全社員がテレワークに移行し、誰も出社しなくなったオフィスの一部を活用しており、オンラインとオフラインのハイブリッド型のイベントを良質な環境で開催できる。


 ■ 導入テクノロジー

テレワーク導入支援テレワーク検定

  

■特定非営利活動法人 樹木・環境ネットワーク協会とは

森づくりを通して環境を考える任意団体として1995年に設立され、1998年よりNPO法人として活動をスタート。各地で森づくりや里山再生に取り組みながら、グリーンセイバー資格検定制度を運営するなど、「森を守る・人を育てる・森と人を繋ぐ」をテーマに、活動の幅を広げている。

https://shu.or.jp/