代表メッセージ

CROSS TALK:ポリバレントで、学び続ける人に出会う場 ─ダンクソフトの人材ポリシー

ダンクソフトでは現在、Web開発に携わるメンバーを募集しています。そこで今回のコラムでは、Webチームの若手スタッフをはじめとするダンクソフト・メンバーがクロストークします。ダンクソフトならではの働き方や、やりがい、求める人材像など、ダンクソフトの考える採用について、語り合いました。 


<プロフィール>  

▎星野 晃一郎    

代表取締役 

星野晃一郎の未来の物語   
『SmartOffice Adventure ─ ぼくらは人がやらないことをやる ─ 』
https://www.dunksoft.com/40th-story-hoshino

▎竹内 祐介

開発チーム マネジャー  / 2012年入社 

徳島県出身。地元のソフトウェア会社に10年間勤務した後、ダンクソフトに入社。地元・徳島に拠点を置きながら、開発チームを統括する。 

竹内祐介の未来の物語
『ふるさとの未来を創る』 
https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi 

▎尾形 祐哉 

Webチーム /2021年入社 

アパレル系企業に勤務した後、ダンクソフトに入社。以来Webエンジニアとして経験を積む。  


 ▎ダンクソフトの「多様性」を尊重するマインドに共感した 

 

星野 尾形さんはダンクソフトに入社して何年になりますか? 

尾形 2021年に入社したので、今は3年目です。 

2023年11月 神山まるごと高専の皆さんとダイアログ

星野 ダンクソフトの中では一番ファッショナブルだと評判です。昨年、徳島の神山まるごと高専の学生さんたちとダイアログした際に、ファッションをほめられていましたよね(笑) 

竹内 前職はアパレル系の会社だったのですよね。そもそもどのような理由でダンクソフトに入社したのですか。 

尾形 前職はファッション・ブランドの店舗で、店長を任されていました。業務の中で、販売管理のアプリケーションを使う機会があり、それがきかっけでWebサイト制作に興味を抱くようになりました。これから大きく伸びる分野で、自分の可能性を試してみたいなと。 

でも、ITについてはまったく経験がなかったので、前職を辞めてから自分なりにWeb制作を勉強し、フリーランスのような形で少しずつ仕事を始めました。その際に、自分で首都圏にあるWeb制作ができる企業をリストアップしたんです。そのリストにダンクソフトも入れていて、採用ページを見てコンタクトしました。いま思うと、運命的な出会いでしたね(笑)。 

星野 ダンクソフトのどんなところがよかったですか? 

尾形 前職を辞めたタイミングで実は体を壊してしまい、体力に少し自信がなかったんです。自宅で働けるような仕事を望んでいて、その点、ダンクソフトは、リモートワークについては、それこそ日本でも先駆け的な会社ですから。 

また、働き方も含め「多様性」を尊重する文化にも共感しました。採用サイトにかかれていたスタッフ・ダイアログのなかに、「プログラミングのスキルはもちろん大切だけど、自分たちは“人となり”を重視したい」という言葉があって、印象的でしたね。 

 

 ▎各人のスキルや特性、将来目指すことに合わせて、学びの場をつくっていく 

 

星野 尾形さんは入社以来Webチームにいて、短期間にめざましく成長している印象がありますね。どのようなステップで技術を学んできたのですか? 

尾形 Webについては、入社前にそれなりに自分で勉強してきたつもりでしたが、やはり最初はわからないことばかりでした。そんな自分のレベルに合わせて、入社後しばらくは通常の業務とは別枠で、業務時間内に新しいことを学ぶ時間を用意してもらえました。これはすごく心強かったですね。また、業務の方も私のレベルアップに合わせて、少しずつ難易度の高い開発を任されていく感じで、気を配ってもらっていたように思います。このように学びと実践の相乗で成長できたと感じています。 

竹内 ダンクソフトの場合、大きな企業と違って、画一化された研修制度はありません。むしろ、もっと柔軟な学習環境があります。入社してきた各人のスキルや特性、将来伸ばしていきたい方向性などに合わせて、学びの場をつくっています。それもダンクソフトのよいところだと思いますね。 

尾形 私の場合、先輩スタッフがぜんぶを伝授するのではなく、ヒントをもとに自分で考える機会をつくってくださったんです。自分は考えることが好きなので、このやり方がマッチして、それがまたレベルアップにつながったと感じています。 

竹内 「考えることが好き」というのは大事なポイントですね。ここでの業務は、ただ言われたことを考えずにやるだけということだと、物足りないと思います。プロジェクトを進めるうえで、自分から積極的に自律的に考えられる人はいいですね。 

尾形 入社して以来、楽しく学ばせていただいています。というのも、自分にとって、この学びのプロセスは何かゲームと似ている感覚があるんです。次のステージに行くためには、こんなスキルや能力が必要となる、ならば学ぼう。そしてステップ・アップして達成感を得て、さらに次のステージへ……。そんな感覚です(笑)。 

竹内 その感じ、私もわかります。仕事そのものが楽しければ、学ぶことも苦にならないですよね。例えば、趣味でも同じかなと。私はマラソンに、星野さんはテニスにずっと熱中していますが、上手になりたいと思って新しい道具の情報を集めたりすることは、“たいへん”というよりも“面白い”ですよね。ダンクソフトの仕事には、そんな感覚があるように思いますね。 

 

 ▎デジタルを活用して互いに支え合い、協働していく文化がある 

 

星野 先ほど尾形さんはダンクソフトの魅力として「多様性」をあげていましたね。 

尾形 ダンクソフトの多様性については入社してみて、また改めて驚かされました。想像以上でした。子育てをしながら仕事をしている人もいるし、それこそ星野さんや竹内さんのように趣味にも熱中していて、ワーク・ライフ・バランスよく働いている人たちもいます。 

星野 そもそも働いている場所も国籍も多様ですし。竹内さんは徳島ですし、実家に戻って香川から仕事をしているメンバーや、いまはフランス人のスタッフが日本で暮らしながらダンクソフトで仕事をしていますね。 

尾形 ダンクソフトでは、こうした多様な働き方をサポートする制度も整っているんですよね。これは自分にとって想定外なことだったのですが、入社してしばらく経ってから、家族の介助のために仕事を休まなければならない状況になりました。この時も、介護休暇制度を活用して上手く家庭と仕事を両立することができ、助かりました。 

竹内 このような福利厚生制度についてもダンクソフトはいち早く取り入れてきましたよね。 

星野 デジタルを活用して仕事を効率よく進め、その分で生まれた時間を充実させていこうというのは、そもそもダンクソフトの根本的な考え方なんですよ。生まれた時間を新しいものを見たり学んだりする時間に充てていただきたいと、いつも話しています。好きなことを追求する時間が増えれば、感受性が豊かになって、クリエイティビティがあがり、仕事にもよりよい影響を及ぼすと考えています。 

このようなダンクソフトのポリシーは、2010年に東京都から「ワーク・ライフ・バランス認定企業」に選出されるなど、社会からも注目されてきました。 

竹内 さらにスタッフ自らが検討して、就業規則を自律的にアップデートさせています。例えば、これまでは「育児介護休暇」といった枠組みでしたが、もっと適用範囲を広げようと、2024年4月から「家族支援休暇」という形に改善しました。今までは家族の病気や介護では休めましたが、お子さんの入学式や卒業式などは入りませんでした。これを見直して、家族にまつわるほぼすべての支援については、休暇が取れるようになりました。 

星野 制度もさることながら、ダンクソフトには、デジタル技術を上手く活用してお互いに支え合い、協働のもとに仕事を進めていこうという文化があります。これもダンクソフトならではの特徴だと思いますね。 

 

 ▎自らの可能性に挑んでいく「ポリバレントな人材」に出会いたい 

 

星野 今回、ダンクソフトでは、WebデザイナーやWebエンジニアを採用したいと考えていますが、Webチームにいる尾形さんとしては、どんな人と一緒に働いていきたいと思っていますか?  

尾形 そうですね。プログラミングのスキルといったものはあるに越したことはないですが、ダンクソフトの場合、しっかり学ばせてもらえます。ですので、入社してからいくらでも学ぶチャンスがありますから、それほど気にする必要はないかもしません。それよりも、先ほどから話題に出ている「学び続けること」や、「自分から積極的にコミュニケーションがとれる」前向きな人が向いている会社だと感じています。 

星野 仲間と仕事をするにしても、お客様とやりとりするにしても、コミュニケーションは基本となる能力ですからね。一方で、コミュニケーションのためのデジタル・ツールもどんどん進化しています。デジタルに興味を持って積極的に取り込んでいくことも、これから必要となるコミュニケーション能力の一環だと考えています。 

マネージャーという立場にある竹内さんはどんなダンクの人材像を思い描いていますか。 

竹内 私は、ダンクソフトの魅力のひとつに、「ポリバレントな働き方」ができる環境があると思っています。「ポリバレント」というのは、状況や場面に応じて、フレキシブルに多様な役割を果たせる人のこと。ダンクソフトにはWeb以外にも、システム開発のプロジェクトもあります。これからは、Webとデータベースがもっと融合したようなプロジェクトも増えていくでしょう。2つのチームの枠組みにとらわれない業務もたくさんあります。新しく入ってきたメンバーの意欲やスキルに応じて、新しいチームが誕生する可能性だってあるわけです。 

星野 そうですね、これまでチャレンジし続けてきたように、これからも、社会の動きに先んじて、またメンバーたちの成長をみながら、会社も働き方もさらにどんどん進化させていこうと考えています。 

竹内 むしろ、先にダンクソフトが好きで、気に入って入社して、あとから仕事の内容を相談して考え、対話しながら決めていくような入社の仕方があってもいいと思っていますし、そういう方に参加してもらえたらいいなと。 

尾形 いま「ポリバレント」という言葉が出ましたが、自分自身が目指しているのがまさにそんなキャリアアップです。現在はWebチームにいますが、もっと全社的な業務に携わるのも面白そうですし、将来はマネジメントにも関心があります。 

星野 それは頼もしいですね(笑) 。 

竹内 ダンクソフトは会社そのものが柔軟ですし、規模もさほど大きくありません。大きな企業にいると、部分だけ担当して定年まで過ごすこともあると思います。ここでは、経営者に近いような視点で会社運営を知ることができるんですよね。エンジニアとしてばかりでなく、全社的な仕事やプロジェクトに挑めるチャンスもあります。尾形さんにはぜひチャレンジしてほしいですね。 

星野 40周年を経て、さらに50周年に向けて、メンバーそれぞれが、さらにアップデートしていく局面にいます。ですのでダンクソフトに、多様な働き方をしながら、もっと各人の能力を存分に発揮できる環境をつくろうとしています。そうすることで、一人ひとりの集合態であるダンクソフトがより善くなっていくと考えています。私たちと一緒に新しい変化を生みだしてみたい意欲あふれる人との出会いを、楽しみにしています。 


Web開発に携わるメンバーを募集しています。
ダンクソフトの採用情報は
こちらをご覧ください。

スマートオフィス化を妨げる2、3の思い込み:スマホができれば誰でも実現できる

スマートオフィス化を妨げる2、3の思い込み:スマホができれば誰でも実現できる

デジタルに苦手意識を持つご年配の方の中には、スマートオフィスと聞くだけで敬遠しがちの人も多いのではないでしょうか。ですが、実は、日々使っているスマホを操作できるくらいの知識さえあれば、実現できるものなのです。 

なぜ、今、「スマート・オフィス」なのか? 若い人たちを惹きつける未来のオフィス

私たちダンクソフトは、「スマート・オフィスづくり」に先駆的に取り組んできた企業です。最近では、この言葉をだいぶ耳にするようになりました。2008年から実証実験をはじめた私たちの、豊富な経験や知見をもとに、スマート・オフィスのつくり方を何回かのコラムにわけて紹介していこうと思います。 

 

第1回目は、なぜ今スマート・オフィスなのか?という背景と、最初のステップとなる「ペーパーレス化」についてです。どの企業にとっても深刻な課題である若いスタッフの採用・定着においても、実はスマート・オフィスはとても有効なチャレンジです。 



▎先駆者であるダンクソフトが考える「スマート・オフィス」とは? 

 

「スマート・オフィス」とは、インターネットやデジタル・ツールを積極的に活用して、どこからでも働くことのできる環境を整えたオフィスのことです。 

働く人がどこに住んでいても、たとえ子育てや介護で通勤が難しくても、まるで隣り合わせの机に座っているようにスムーズにコミュニケーションをとり、効率よく仕事をすることができます。 

 

この「スマート・オフィス」の概念を、私が意識するようになったのは、今から20年近く前、2000年代の初めだったと思います。あの頃、私は中小企業の経営者が集まった勉強会に加わり、今でいう「サテライト・オフィス」のような試みを各地で行っていました。 

 

それがひとつの形になったのが2008年です。静岡県の伊豆高原に、若い人たちが自然の遊びを体験できるような拠点を設け、そこに私たちダンクソフトの社員が常駐して、テレワークの実証実験を始めました。 

しかし、当時はまだWeb回線が不十分で、ファイル送信すらじれったいような状況だったため、なかなか実用段階には届きませんでした。 

 

当時のサテライト・オフィス実証実験の様子

その後の歩みについては、他のコラムなどでも紹介しているので詳しくは触れませんが、2011年、徳島県神山町に本格的なサテライト・オフィスを開設するなど、ダンクソフトは「スマート・オフィス構想」を実現するために、常に先頭を切って取り組んできました。 

創業から40年が過ぎた2024年現在、ダンクソフトは東京・神田にオフィスを持っていますが、ふだんここにいるのは私ひとりです。残り20名強のスタッフは、全員がリモートワークをコロナ後も継続しています。ときおり、リフレッシュのためにオフィスに来て仕事をするメンバーもいます。外国人スタッフも2人います。多様な個性と能力を持つメンバーたちが、さまざまな街で暮らしながら、一緒に働いています。 

 

このように先駆者として歩んできた私たちが感じていること。それは、今こそスマート・オフィスを、全国の企業で実現すべきだということです。それが働き方を変え、企業を変え、さらには地域社会や日本の社会を前進させていくきっかけになると考えています。 

2024年は、その大きな転換点となるはずです。  

▎若い人たちの感覚とオフィスの実態とのギャップは深まるばかり 

 

では、なぜ今こそスマート・オフィスなのか? その理由は、現在の若い人たちの感覚と、日本のオフィスの実態がかけ離れ、その乖離が限界近くにまで達してしまっていることにあります。 

そのギャップは、中小規模、あるいは地方の企業ほど深刻ではないのでしょうか。 

 

今の若い人たちは、デジタル・ネイティブと呼ばれるように、幼い頃からインターネットやスマートフォンを当たり前に利用してきた世代です。一方、今のオフィスはどうでしょうか? パソコンの利用が進んできたとはいえ、そのほとんどは個々の業務に限定され、デジタル化というには、ほど遠い状況です。管理職の人たちのリテラシーも高いとはいえません。 

 

そんな企業に、期待に胸膨らませて入社してきた若いスタッフの気持ちを想像してみてください。彼らは自分たちの能力が発揮できない環境を目の当たりにしてがっかりしてしまいます。ヤル気をなくすだけならまだよい方で、辞めてしまうこともよくあります。 

 

これは企業にとって大きな痛手です。デジタルに慣れ親しんだ若い世代からこそ多くを学ぶこと(「リバース・メンタリング」)、のみならず、お互いに学びあうことが、イノベーションへとつながります。そしてこれが、会社の成長の原動力となっていくわけです。 

 

私は現在、徳島県の阿南高等専門学校の生徒たちと、スマート・オフィスをテーマとした勉強会をリモートで月に数回行っています。彼らと話していると、新しい働き方への期待をひしひしと感じます。特に地域の若者のなかには、地域にそのまま残って仕事をすることを希望している人たちもいます。 

 

少子高齢化が進む今、若いスタッフの採用や定着は、どの企業にとっても最優先で取り組まなければならない経営課題です。その課題を解決し、スタッフと事業の成長につなげていくために鍵を握るのが「スマート・オフィス」です。   

▎スマート・オフィスへの第一歩はペーパーレス化にあり 

 

スマート・オフィスといっても、どこから手をつけてよいのかわからない……。そう悩んでいる経営者の方も多いかもしれません。しかし、第一歩を踏み出すことはけっして難しいことではありません。 

私は、このような相談に対して、まずはオフィスから紙をなくすこと、つまり「ペーパーレス化」から始めましょうと提案しています。なぜなら、紙が少なくなれば、オフィスの見た目が変わります。そこから働き方が変わり、社員の意識まで変化していくからです。 

 

あらためて目の前のオフィスの様子を見渡してみてください。 

デスクの上にはたくさんの書類が積み重なり、そのデスクを取り巻くように置かれた棚にも、さまざまな書類や資料であふれかえっている——。 

このような環境では、仕事の効率も高まりません。採用面接でオフィスを訪れた若い人たちが、その光景を垣間見て、果たして自分の将来を託せる会社だと思うでしょうか。 

 

『事例:「ペーパーレス化」で 6期連続の赤字からV字回復』はこちらをご覧ください。
 https://www.dunksoft.com/message/2019/7/22/-6v 

これもダンクソフトとゆかりの深い徳島県での事例ですが、デジタル化による業務改善を支援したことがあります。その会社は証券関係ということもあって、まさにオフィスは紙であふれかえるような状況でした。そこでまずペーパーレス化から始めたところ、最終的には自社ビルの1フロア丸ごとスペースを空けることができました。ペーパーレス化が業務改善にもつながり、業績も上向きになりました。 

 

「デジタル化は、エコノミーとエコロジーの両立を生みだす」と、私は機会あるごとに、そうお伝えしています。まさにそれを証明する事例だと思います。 

 

徳島合同証券株式会社 泊健一社長 のインタビューもご覧いただけます。

▎伝票や帳簿のデジタル化は、想像するよりもずっとカンタン 

 

ペーパーレス化について、もう少しだけ具体的な話をしたいと思います。なかでもまっ先に取り組むべきは、業務に関わる伝票や帳簿のデジタル化です。 

たとえば、経費の精算にしても、領収書を整理して申請書類に書き込み、上司の承認を得て、さらに経理担当者へ……というように、そのプロセスはたくさんの手間と紙を必要とします。これらを電子化することによって、業務は画期的に効率化し、オフィスの姿も変わっていきます。ペーパーレスばかりでなく、判子がいらなくなって、「サインレス」、さらには「キャッシュレス」も推進できるんですね。 

 

しかも、このようなデジタル・システムの導入は、想像するよりもずっと簡単です。最近では、使い勝手がよく、安価なクラウド・サービスが数多く提供されています。 

ダンクソフトでは、そのひとつである「kintone(キントーン)」を利用しています。その結果、20名強のメンバーがいる会社であるにもかかわらず、総務・経理の専任者は不要という仕組みをつくり出しています。  

キントーンを活用したプロジェクト事例『受注者・発注者という枠を超え、アイディアを出しあい実現した「働き方改革」』はこちらをご覧ください。

ある財団法人では、「キントーン」を活用してデジタル化を進めたところ、それまで煩雑だった、出張の申請・承認や経費の精算といった業務を大幅に効率化することができました。そればかりでなく、稟議の階層を減らすなど、組織のあり方とワークフローが変わることで、次第に個々人の意識まで変化していきました。これも、ダンクソフトが支援したスマート・オフィスの事例のひとつです。  

▎ペーパーレス化が進めば、組織も意識も自ずと変化していく 

 

経費の精算をはじめ「社内稟議に関わる決済の仕組み」は、人・お金・情報という、企業の根幹に深く関わります。その根幹のところをデジタル化していくことで、まずは、「ペーパーレス」や「業務の効率化」がおこります。これにとどまらず、組織の構造も、オフィスの形も、そして風景も、働く人たちの意識に変化をもたらすことができます。実はこれら一連の変革こそが、スマート・オフィスが目指す大きな目的でもあります。 

 

いくぶん改善されてきたとはいえ、日本企業の組織は、まだまだ階層の多いピラミッド型が主流です。一方、デジタルの世界はインターネットに象徴されるように、タテ構造や上下序列ではなく、ウェブ状、つまり多数多様なグループがつながりあう、柔軟な「アミの目の関係」が基本となります。社内でデジタル化に取り込んでいくことで、これをきかっけに、組織は自律・分散・協働型に、そしてコミュニケーションも自ずとフラットになっていくはずです。 

 

ダンクソフトのペーパーレス・ストレッチについては、こちらをご覧ください。
https://www.dunksoft.com/papaerless 

こうしたデジタル化の取り組みは、インターネットを介して社外と連携し、新しいビジネスを生み出していくためにも、もはや待ったなしの、とても重要なチャレンジとなります。その第一歩が、ワークプレイスのペーパーレス化です。 

 

とはいえ、長年慣れ親しんだ組織の形を変えていくことは簡単ではないと考える人も多いのではないでしょうか。そこで次回のコラムでは、スマート・オフィスという変革に向き合うためのマインドについてお話したいと思います。 

 

 

A NEW HOPE(2024年 年頭所感):若い人たちとワークプレイスをデジタル化する未来


2024年の年頭にあたり、
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。


このたびの能登半島地震により被災された方々、そのご家族のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

▎ワークプレイスのデジタル化を 

2021年9月、日本にようやくようやくデジタル庁がつくられました。同時期にオリンピックが行われ、コロナ禍を経て、日本企業にもデジタル化の大波がやってきたかのように見えました。 

 

しかし、総務省調査によれば、中小企業の約半数は、まだテレワークを導入していない状況です。また別の調査では、いまでもビジネス・パーソンの約半数が、日常的にFAXを使っているというデータがあります。その上、ポスト・コロナになって、テレワークをやめる企業も増えていると聞きます。 

 

昨今、DX、つまり、デジタル・テクノロジーを導入して、ビジネスや働き方を変革しようとする掛け声は大きくなる一方です。しかし実態は、思ったよりもデジタル活用が進んでいないようです。 

 

また、DXについて誤った考え方も散見されます。たとえば、コンピュータを使えばデジタル化が進んだといえるでしょうか。そうではありません。DXのためには、「アナログをやめること」がポイントです。複合機、プリンター、電話、FAXなどのアナログ機器をあいかわらず使い続けている限り、デジタル化したとは到底いいがたいのです。  

  

『理想的で機能するテレワーク環境づくり:発想転換のポイント』
https://www.dunksoft.com/message/2021-05 

私は2021年3月にあるシンポジウムで、当時は行政改革担当大臣だった河野太郎さんに、「もうFAXをやめませんか」と直接申し上げたことがあります。そのあと4月に国から、霞が関でのFAX廃止に向けて号令がかかりました。ただ、いまだに省庁の一部や地方自治体などで、根強くFAXが使われているようです。  

▎若い人たちの可能性をつんでしまわないよう、ご注意を 

大人たちがデジタル化に積極的に着手しないことが、これからを担う若者たちの入社やその後の定着を妨げる要因になっている。このことを認識できていない経営者も多いのではないでしょうか。 

 

若い人たちの声をきくと、デジタルを使わない大人と仕事をすることは「手間が増える」と感じているそうです。このため、思い描いていた仕事内容とのギャップから、入社してもすぐ退職してしまう人も多いようです。 

 

これから彼らが働いていく環境が、旧態依然としたものではいけないと、若い方々と話していると思えてきます。これからを担う若者たちはデジタル・ネイティブです。生まれたときからデジタルに親しんできた彼らが大人になったときに、企業に入社して、FAXを送る業務をされられている状況は、見たくないものだと思いませんか。海外では、もはやFAXは骨董品です。 

 

少子高齢化が進む中で、これからの若い人たちに選んでもらえる会社になるためにはどうしたらよいか。それには、いち早くデジタル化を進めることが必要です。若者たちの可能性の芽を摘んでしまうわけにはいきません。 

▎ “オフィス”を、“スマート・オフィス”へと変身させる 

では、どうしたらいいのでしょうか。 

 

もし現在の職場環境が、紙にあふれていたり、印鑑で決済や回覧板を回していたり、FAXで連絡を取っていたりする従来型の“オフィス”だとすれば、“スマート・オフィス”に変身させることで、解決できます。ダンクソフトは、2024年、“スマート・オフィス化”にとりくむ中小企業や団体をサポートしていきます。 

 

ダンクソフトの受賞歴はこちらをご覧ください。
https://www.dunksoft.com/award 

私たちダンクソフト自身が、2008年からテレワーク実証実験を始めている企業です。多くの企業に先んじて、様々な実験を重ね、成果をあげてきました。(総務省「テレワーク先駆者百選」、経済産業省「攻めのIT経営中小企業百選」、テレワーク推進企業等厚生労働大臣表彰など受賞歴多数) 

 

それらの取り組みから生まれたものが、「スマート・オフィス構想」です。インターネットやデジタルを積極的に活用して、どこからでも働ける環境を備えたオフィスを「スマート・オフィス」と名付けています。これまでにも、こうしたスマート・オフィスを企業、自治体、学校、地域団体などとつくってきました。 

 

スマート・オフィスでは、ペーパーレス化が進んでいて、インターネットで情報を共有できる職場環境が整っています。このため、働く人がどこに住んでいても、子育てや介護などで通勤が難しくても、仕事を続けることができるようになります。 

 

こうした場が増えていけば、若者たちが仕事をするために仕方なく都会へ出ていかなくても済み、地域に残れるようになります。 

 

そこでは、年齢を超えた「コ・ラーニング」や、逆に若い人たちの側から大人たちが学ぶ「リバース・メンタリング」が行われるようになります。結果として、職場や地域は多様性にあふれ、参加する人同士の活発な対話から、さまざまなアイディアやイノベーションがうまれる場になることでしょう。   

▎大事なのは、“モラル”を、より現代的にアップデートすること 

アナログからデジタルへ、ツールや環境を整えるときに、同時に見直していきたいものがあります。それは私たちの「モラル」です。 

 

これまで、日本の企業では、年功序列や男尊女卑といった儒教的な考え方がベースになっていました。若い人たちが活躍する文化をつくるには、こうした儒教的発想をそろそろ捨てたほうがいいでしょう。きつい上下関係は、しばしばイマジネーションを邪魔します。強いリーダーや教えたがりが集まる組織では、イノベーションが起こりにくくなります。それよりも、多様なメンバーたちが等しく発言しあえる柔軟なグループの集合体こそが、次をつくります。 

 

また、企業に求められることも、40年前とは大きく変化しています。環境問題、BCP、障がい者雇用、LGBTQ、SDGsなど、私たちを取り巻く環境も課題も、新しくなっています。変化する環境の中で、ダンクソフト自身が、自らの態度や慣行を常に見直し、モラルからアップデートしていく必要があります。同時に、お客様やパートナーや地域社会とともに、モラルをアップデートしていく役割があると考えています。 

 

デジタルは、40年で1億倍の成長を遂げました。これからも同じ勢いで成長していき、ツールはますます使いやすくなるでしょう。だからこそ、人間サイドの変化、それを使う人たちのモラルも、現代化していくことが重要です。    

▎デジタルと人が協働できれば、人の可能性がもっと拡がる 

ダンクソフトのスタッフは、デジタルを使って、効率的に、またクリエイティブに、日々の成果を出すことに慣れています。全社テレワークの体制や、新しい学びを重ねることで、チーム力も、ここ数年で格段にレベルアップしました。おそらく、一般的なビジネス・パーソンに比べたら、2倍、3倍はよりよい協働作業ができるメンバーたちでしょう。現に、ダンクソフトの「日報かんり」を活用した結果、スタッフが業務報告書を作成する時間が格段に減りました。全員にアンケートを取った平均で1ヶ月で8時間もの時間を効率化でき、その分を他の仕事・学習・連携のために活かしています。 

 

「デジタルをうまくいかして、デジタルと人が協働する」。この発想を持てば、人の可能性がおのずと開いてきます。行政系の財団法人では、ダンクソフトが開発したツールを使うことで、プログラミングを学び、自分でもプログラミングができるようになりました。 

  

企業に、デジタルを使いこなし、部門を超え、地域を超えて人々と連携・協働できる若者が1人いれば、これまでの10人分、100人分の力になるでしょう。若い人たちが集えるスマート・オフィスが増えていきさえすれば、そんな明るい未来が期待できます。少子高齢化だといって暗くなる必要はないかもしれません。 

 

ダンクソフトの大事な仕事のひとつは、デジタルのよりよい使い方や未来のオフィス環境を、わかりやすく提案していくことです。従来型オフィスを、“スマート・オフィスへ”。この考え方に賛同いただけるみなさんとともに学びあい、自分たちもレベルアップしながら、これからの若い方々が活躍できる地域社会をつくっていきたいと考えています。 

 

明るい未来はダンクソフトとともに。 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。 

 

40周年特設サイト https://www.dunksoft.com/40th

徳島ツアーで実感した、コ・ラーニングのおもしろさ 

今年も、ダンクソフトはさまざまな立場の人たちと対話し、協働してきました。2023年最後のコラムでは、11月に行われた徳島ツアーを振り返りながら、高校生や高専生など若い人たちと仕事をしてきた若手スタッフをまじえて座談会を行いました。  



■徳島ツアーで体感した、異なる立場が協働”する可能性    

  

星野 3年半ぶりの徳島ツアーが無事終わりました。とても充実していましたね。  

   

ウムト すごく楽しかったです。私は、2度目のツアー参加でした。最初の参加は、2011年のインターンのときです。私がダンクソフトに入社したのも、あのときの体験が楽しかったから。今回、12年ぶりに神山に行ってみると、以前よりもさらにオシャレになっていて驚きました。プライベートでも遊びに行きたいくらいです。  

   

星野 神山もどんどんアップデートされていますよね。  

   

神山まるごと高専のガラス張りの部屋

 僕は、神山まるごと高専がとくに印象に残っています。徳島県民ですが、神山には数回しか行ったことはなく、神山まるごと高専も中に入るのは初めてでした。内部を見てみるとガラス張りの施設があったりして、僕が卒業した阿南高専とは雰囲気がぜんぜん違いましたね。出会った学生さんも切れ者ですし、しかも他人と協力するオープンな気質が感じられました。  

   

濱口 高専の見学はおもしろかったですよね。ツアーでは、阿南高専も訪れました。7年も通った場所なので目新しさはないかなと思ったら大間違い。新しい設備も導入されて、少しずつ変わっているのを実感しました。  

   

星野 2つの高専を見学できたのは、とてもいい機会でしたね。阿南高専の設備は、とくにVRの環境などものすごかったですよね。中小企業が真似できないほどの設備を学生さんが使えるのは、すばらしい環境だと思います。  

   

阿南高専を見学

濱口 阿南高専が情報技術を突き詰める方向なら、神山まるごと高専は、情報技術を用いて問題解決をすることを主題においているように感じました。方向性が違うからこそどちらも重要なんだなと思いましたね。  

   

星野 高専というと、日本では建築や機械、最近なら情報など理系のイメージが強くあります。けれど、文系でもいいんです。神山まるごと高専はかならずしも理系ではない学生さんも集まっていることも大きな違いです。阿南高専と神山まるごと高専は、明らかに成り立ちから違います。だからこそ、協働するメリットが相当にあるのを感じます。     

■多様な立場の人が集うからこそ、深まる「対話」   

   

星野 今回のツアーは対話型「体験学習」の機会でした。高専生と対話するほかにも、多様な人たちとの出会いがありました。東京からは神田藍のメンバーやダンクソフトのスタッフが参加して、徳島では阿南高専のACT倶楽部関係者も合流。とても多種多様なメンバーでしたね。  

   

ツアー参加者と記念撮影

ウムト はい、いろいろな人の話を聞きました。懇親会では深夜1時、2時まで参加者さんたちと話しました。  

   

星野 3日連続で懇親会というのは、コロナ前にもなかったような充実度でしたね(笑)。  

   

ウムト コロナがあけたのを感じましたね。ふつう、ツアー中に真剣な話をしていたとしても、夜になるとくだけた話になることが多いと思うんです。でも、今回のみなさんは、深夜になっても「クリーンエネルギーを日本でどう使っていくか」といった未来の環境を考える話が白熱していてすごいなと思いました。  

   

星野 みなさん、問題意識をしっかりとおもちでしたよね。ウムトさんが環境問題について議論していたのは、永原レキさんという徳島県の方ですね。藍染めでいろいろな製品をつくっておられます。もともとはサーファーなので、環境への意識がおありなんだと思います。  

   

 僕は懇親会には参加しなかったのですが、永原さんとお話しする機会がありました。そのなかで、自分にはなかった視点を得られたんです。それは技術について。永原さんが藍染めの技術を継承しているということをお聞きして、僕は、技術が失われるのがもったいないから受け継いでいるのだろうと思っていました。けれど、永原さんは「人類の生存のために必要だ」と考えておられたんです。そんなに切実な思いがあることに心動かされました。  

   

星野 その人の信念に触れるような深い対話ができましたね。このような対話があちこちで起きていたと思います。これまでのツアーの参加者は、経営者などビジネス関係者がメインでした。ですが、今回はそれ以外の人たちも増えました。立場が違う人同士ですから、お互いに情報交換することも増えました。同じ場所をめぐっても、見え方もぜんぜん違いますし。多様な人たちが参加してくれたことで、人と人との結びつきも生まれ、イノベーションにもつながる予感があります。  

  

■「答えられない質問」から起こった阿南高専生とのコ・ラーニング  

   

星野 人とのつながりと言えば、今年、港さんや濱口さんは阿南高専で学生さんと学びあう機会があったのですよね。  

   

 はい、僕と濱口さんとで「ACT倶楽部」で学生さんと活動したり、「協働教育およびシステム設計」という授業のメンターを担当したりしています。授業では、名前のとおりシステム設計やシステム開発に関することを学んでいます。僕たちも4〜5年前に受けていた授業です。  

   

濱口 学生さんは意欲が高くて、質問してくる内容も高度なものが多いです。僕らはエンジニアとして働いて2年目なので、実務的な内容などはすぐに答えられないケースも正直あります。  

   

ウムト そういうときはどうしているんですか?  

   

濱口 学生さんといっしょに考えるようにしています。そうすると、僕にも発見があります。これの繰り返しですね。  

   

星野 阿南高専の授業で起きているのは、まさにコ・ラーニングであり、リバース・メンタリングですね。とてもいいですよね。こういう学びが、日本全国のあらゆる場面であたりまえになっていく必要があるなと感じます。     

■「1週間だけ社員として」仲間と協力してプロジェクトを進めたID学園の高校生  

   

ウムト 私も、今年は高校生のみなさんと学びあう機会がありました。ID学園さんという高校でインターンシップをおこないました。内容はWeARee!を使ったデジタル・スタンプラリーをつくるというものです。  

   

 生徒さんたちはどんな反応でした?  

   

ウムト 感動しましたね。最初の企画会議から、にぎやかに盛り上がっていました。みなさん、とても積極的でした。自分の考えをもっているのもすごいなと思いましたし、相手の意見を聞きながら協力して進めていこうという姿勢もすばらしかったです。  

   

ID学園の生徒さんたちと企画会議(ダンクソフト本社)

星野 ID学園さんでは、ふだんあまり授業には出ていないという生徒さんもインターンシップに参加してくれたんですよね。  

   

ウムト そう聞いています。高校生のみなさんには、ただ参加するのではなく「1週間だけ、ダンクソフトの社員としていっしょに働きましょう」と呼びかけました。実際、ダンクソフトのオフィスにも来て星野さんとも話したり、私たち開発者とともに活動したり。企業の人たちのプレゼンを一方的に聞くのではない、こういう場は初めてだったようで、とても楽しんでもらえましたね。  

   

星野 彼らとリアルに会ったときは、若い力の可能性を感じてワクワクしましたね。プロジェクト自体は、スピード感もあるし、クオリティも高かったです。WeARee!というサービス自体が、冒険しながら新しいものをつくる先駆的なものですから、この楽しさが伝わったのかなと思います。      

■高校生のフィードバックでWeARee!が変わった  

   

星野 ID学園さんでのインターンシップで、ウムトさんが高校生のみなさんから学んだことはなにかありました?  

   

ウムト たくさんありました。とくに印象的だったのは、WeARee!のなかにあるランキング機能についてです。私は、データを見せるのが大好きなので、WeARee!の機能のなかにランキングを表示していました。ユーザーのスタンプ取得数やタイムを順位付けしたものです。でも、生徒さんから「ランキングが見えるとレースっぽい」「ゆっくり遊びたい人もいる」という意見をもらって、なるほどと思いました。そこで、ランキングを非表示にできるような機能を実装しました。  

     

 生徒さんからのフィードバックが反映されるって、とてもいいですね。  

   

ウムトを囲む学生たち(ダンクソフト本社)

ウムト 意見をもらって、その場で開発を進めました。私が実際に開発している画面を見せると、生徒さんもテンションがあがるし、私もそれを見て嬉しくなりました。いまのWeARee!のログイン画面は、生徒さんからもらった意見を反映したものになっています。  

   

濱口 生徒さんから、サービスへの改善案がでるのがすごいなと思いました。ふつうは、使いにくい部分があっても「ふーん」って流しちゃう人が多いのかなと思います。意見を引きだす工夫は何かあったのでしょうか。  

   

ウムト 生徒さんは、実際の現場で開発がどのように進むのか興味があったようなのです。そこで、お客さんからフィードバックをもらったとき、どのように修正をかけていくか実際のプロセスを説明したんです。なので、生徒さんとしては自分の意見がしっかりと反映されるのだという手応えを感じてくれたのかなと思います。  

   

星野 生徒さんの声を聞いて、実際に開発が進む。そういう場面を体験してもらったのは、とてもよい機会でしたね。WeARee!は、ノー・コードでユーザーの求めている機能を作ってみせることができます。ノー・コードやロー・コード、少なめのコードで書ける製品やサービスがすごく増えてきています。そうすると、専門知識のある開発者だけでなく、ユーザーも開発に参加できるようになります。コ・ラーニングするほうへ、時代が進んでいるのですね。    

■社内で起こったリバース・メンタリング:孫ほど年齢が離れていても  

  

星野 学びあいといえば、思い出したエピソードがあります。ダンクソフト役員の渡辺さんは、濱口さんたちに対して業務内容のオーダーを口頭で伝えていたんです。でも、そうすると聞くほうは困りますよね。言われたことを、その場でぜんぶ記憶できるわけではない。記憶できないから、パソコンを使うわけです。そこで、濱口さんが口頭の伝達だと困っているということを伝えたんですよね。  

   

濱口 はい。文字で共有していただけるとありがたい、とお話ししました。  

   

星野 そうすると、テキストベースでの連絡へと切り替わりました。孫ほどの年齢が離れたスタッフからの意見を聞いて、行動が変わる。ダンクソフトでもリバース・メンタリングが機能していることを実感した例でした。  

  

■一瞬で時代は変わる。変化をキャッチし、変わり続けるダンクソフト  

  

星野 最近「茹でカエル」という言葉を知りました。自分が鍋のなかで茹でられているのに、変化がゆるやかなために気づかず、そのまま手遅れになってしまうということを指します。変化しない人たちへの視線は、ますます鋭くなってきています。  

   

時代は一瞬にして変わります。来年、再来年は、劇的に変わる可能性があります。たとえば、文字起こしの精度はいま、ものすごく上がっています。生成AIと連携することによって、要約もできるようになります。そうすると、会議しながらメモを取ることも楽になります。いま、電話を連絡ツールとしている業界なら、電話からTeamsなどのウェブアプリに変えるだけで、仕事の仕方も一気に変わるでしょう。  

   

私たちのようにプログラムを書く人は、つねに変化をキャッチしています。仕事の場面だけでなく、プライベートの時間もそうです。つねに新しいことに関心をもち、自分のお金を使って新しいことを試そうとする人も多いです。  

   

でもいっぽうで、技術の進化やまわりの変化に気づかない人もいます。そういう人たちも、ダンクソフトと関わることで学んでいけるようになっていってほしいですよね。  

   

2023年、コ・ラーニングやリバース・メンタリングの重要性を実感し、これからダンクソフトに関わってくれそうな若い方たちともコラボできたのは、とてもよかったと思います。いよいよ、50周年にむけてのスタートです。「学習する組織」を目指して、みなさん、ますます学びあっていきましょう。    










地方と都会が学びあう対話型「体験学習」:ダンクソフトの徳島視察ツアー

今月、4年ぶりに、ダンクソフト主催「徳島視察ツアー」を開催します。2011年に徳島・神山町でサテライト・オフィスの実証実験を行って以来、継続して実施してきたものです。都会と地方が自律・分散・協働する新しいワーク・スタイルを、時代に先んじて、多くの方々にご覧いただいてきました。今回のコラムでは、「学習する組織」をめざすダンクソフトが実施してきたツアーの経緯や意図、そして、11月の視察ツアーの狙いをお話しします。 

 

鍵となるテーマは、対話型「体験学習」です。ただ見て触れてという単なる体験学習から、対話型「体験学習」へとアップグレードすることが、この12年のダンクソフトの進化を表しています。 



┃東京のIT企業が、どうして徳島で活動することになったのか  

  

先月のコラムでお話ししたように、ダンクソフトは「学習する組織」を目指して、50周年に向けてスタートを切りました。「学習する組織」には「Co-learning(コ・ラーニング、共同学習)」が不可欠です。2023年11月には、もうひとつの拠点である徳島への視察ツアーをおこないます。視察ツアーにあわせて、全社会議DNAセミナーも徳島で開催することになりました。ダンクソフトが40周年を迎えた今年、この体験学習はひとつのターニング・ポイントになるだろうと考えています。  

  

なぜ、東京のIT企業が徳島でも活動しているのか。なぜダンクソフトは、徳島・神山でサテライト・オフィスの実証実験をし、最新のワーク・スタイルを知るための視察ツアーを重ねてきたのか。経緯をご存知ない方もいるので、まずは2007年の「伊豆高原での失敗」から、お話していきます。    

┃2007年、サテライト・オフィス実験は失敗から始まった  

  

東京ではない場所にサテライト・オフィスをつくったのは、2007年が最初でした。きっかけは社員の発案です。遊びをテーマにしたNPOを立ち上げたいというアイディアを採用し、伊豆高原の別荘を購入し、そこをオフィスとしてテレワークができるのか、実証実験を始めました。NPOでは、子どもたちとともに、カヌーとフライ・フィッシングを学ぶ活動をスタートしました。  

   

しかし、残念なことに、実験を開始してすぐにリーマン・ショックが起きました。伊豆高原を訪れる人も減り、NPOの活動は打撃を受けました。追い打ちをかけるように2011年、今度は東日本大震災が起こります。伊豆高原からはやむなく撤退することとなりました。東京以外の土地にスマート・オフィスをつくっていくという構想は、苦い失敗から始まったのです。     

┃「徳島はインターネットが速いらしい」:3.11直後、代替地を求めてふたたび動きだす  

   

東日本大震災のあと、世の中の動きはいったんストップしました。ダンクソフトの仕事も止まってしまいました。すると時間が生まれ、知り合いの経営者と話す機会が増えました。その時は、日本橋のオフィスをシェア・オフィスとして開放していたのですが、そこに集まる徳島県出身の経営者から意外なことを聞いたのです。「徳島県はインターネットが速いらしい」と。  

   

伊豆高原でのスマート・オフィス実証実験から、ネットの速さがとても重要だということを学んでいました。もし、ほんとうに速いならば、それは代替地になるかもしれない。そう思いました。当時は、東京でも計画停電があり、電車が間引き運転になっているような状態でした。その状況を見るにつけても、やはり安定的な代替地が必要でした。  

   

ダンクソフトの歴史を振り返る「HISTORY」も合わせてご覧ください。
https://www.dunksoft.com/message/2022-11 

そこで、徳島のネット環境が実際どうなっているのか、オフィスの候補地はどんなところがあるのか、視察に行くことになりました。2011年5月のことです。    

┃限界集落で計測した驚異の200Mbps  

   

最初は、県や市の商工労働部の紹介で、オフィスの候補地を探していきました。しかし、なかなかうまくいきません。というのも、地方で企業を誘致する場合は、工場を建設するなど大規模な誘致のため、大人数での居住地確保が一般的です。しかし、私たちが考えていたのは、2〜3人のスタッフ常駐です。この規模だと、県も市もあまり乗り気ではありませんでした。  

   

それでも毎月、2泊3日ほどのスケジュールで徳島の視察を続けました。7月になって県の集落再生の部署を紹介されると、流れが変わりました。その部署の人たちは「IT企業が限界集落に来るとおもしろい」と考えていたようなのです。  

   

彼らの紹介で、香川県にほど近い三好の集落や、海辺の漁村・伊座利などを見てまわりました。三好や伊座利などでインターネットの速度を計測してみると、当時で200Mbpsが出ていました。東京では考えられない速さでした。徳島では、県全域に超高速ブロードバンドを整備するという施策を推進していました。インターネット環境は申し分ありませんでした。      

┃インターミディエイターが、ダンクソフトと神山を結んでくれた  

  

つぎに考えねばならないのが、オフィスの場所です。どこがよいのか、かなりの地域を探しました。というのも、伊豆高原では地元のコミュニティにうまく入っていけなかったことも、失敗の一因だったからです。  

  

インターミディエイターとして活躍する中川桐子さん

そんなとき、「ダンクソフトには神山が合うと思う」と神山町を紹介してくれた人がいたのです。それは、日本橋オフィスをシェア・オフィスとして開放していた時に、徳島企業の東京スタッフとして駐在していた中川桐子さんです。中川さんは徳島のことも、私たちのこともよくご存知でした。こうした、未来志向であいだを取り持ってくれるインターミディエイターがいると、事がうまく進むのですね。そこからスムーズに物事が進みだしました。 伊豆高原の時にはできなかったことでした。 

  

そして2011年9月、徳島の神山に古民家を借りることになります。私は、2〜3人のスタッフがそこで働くのだろうと思っていましたが、ふたを開けてみれば10名ものスタッフが合宿していました。社員の半分です。びっくりしました。でも、その光景を見たとき、徳島にダンクソフトのもうひとつのオフィスができるのだろうと感じたものです。      

┃世界に先駆け、古民家でのテレワークが2011年に実現。そして神山のブレイク。  

  

スタッフたちは、インターネット速度が上がることで何が起こるのか、とても興味があって徳島に来たようです。当時、東京ではYouTubeもカクカクしていましたが、徳島ではスイスイ動くわけです。ネットの速度が速いので、勤務中は、神山と東京のスタッフ同士がスクリーン越しに常時接続して仕事をしていました。  

   

東京と徳島という距離があっても、まったく問題なくプロジェクトは進みましたね。むしろ、ネット環境が良かったため、徳島のほうが作業効率がよいくらいでした。  

   

これが2011年9月の話ですから、日本のなかでも世界のなかでも、先進的な取り組みだったと思います。そうなると、新しいワーク・スタイルにスタッフもワクワクしますし、メディアも注目を始めました。  

   

そして2011年12月、NHK総合テレビ「ニュースウォッチ9」が、神山町をとりあげました。そのときは、川のまんなかでパソコンやタブレットを開いて仕事をしているスタッフたちの映像が流れました。そこで、神山町が一気にブレイクしたのです。     

┃「黒船」と呼ばれて:地域のみなさんの懸念を払拭するために  

  

しかし、かならずしも地域の反応が良かったわけではありません。東京から来た「黒船」と呼ばれたり、もっと直接的に「なにしにきよるん」と言われたりしたこともあります。自分たちのシェアを奪われると勘違いされてしまったようなのです。でも、ダンクソフトと地元のIT企業の仕事ではフィールドが違います。懸念を払拭するため、ていねいに説明していきました。  

  

2011年9月の段階で、県庁の隣にある大きなホテルの会議室を貸し切って説明会を行いました。地元のIT企業などをお招きし、メディアを呼んで、ダンクソフトが地域に入っていくことで、どんな良いことが起きるのか、明確にアナウンスしました。そのときは、Zoomがまだなく、Skypeを使って、県庁とホテルと神山をつないで、デモを行いました。  

   

Umut Karakulakのインターンシップ体験記も合わせてご覧ください。
https://www.dunksoft.com/internship-umut 

そこでは、当時インターンシップ中だったトルコ出身のウムトさんが、マイクロソフトの「Kinect」というテクノロジーを使ってデモンストレーションをしました。これは、手の動きだけでパソコンなどの操作ができるというもの。この技術を使うことで、話せない人であってもコミュニケーションがとれること、高齢者の人であってもデジタル通信によって生活が便利になるということを、具体的に示しました。     

┃変化し続ける限界集落の“今”を体験する「視察ツアー」  

  

神山の古民家を借りてから、そこでは最新のワーク・スタイルが生まれていました。その様子を、東京の経営者のみなさんにも見ていただく機会を用意しました。視察ツアーを2011年9月から始め、コロナ禍の直前まで毎年開催してきました。これまでトータルで14〜15回実施したでしょうか。  

  

最大50名ほども参加者が集まるときもありました。徳島に来てもらい、テレワークが実際どのように行われているのかを見ていただきました。限界集落の現状もお伝えしました。懇親会ともなると、徳島駅前のお店に入り切らないほど。徳島の人も東京の人も、さまざまな立場の人たちが語り合う機会となりました。社会課題の解決こそがビジネス・チャンスですから、経営者にとっても多くのヒントがあったのではないかと思います。  

  

2012年3月には、神山町で、公民館の体育館を借りてイベントを行いました。そこには、東京から視察に訪れた日本マイクロソフトの樋口泰行社長(当時)や、神山の活性化をになうNPO法人グリーンバレーの大南信也理事長(当時)、徳島県庁の担当者などが集まって、パネル・ディスカッションを行いました。その様子はオンラインでも配信し、東京の人たちにも見てもらいました。このときは日本マイクロソフトの樋口社長が神山にいらっしゃるということで、大きな話題となりました。      

┃ダンクソフトが徳島に入って起きた変化とは  

  

いまでは、私たちが徳島で働きはじめたことで、県庁の方に「ダンクソフトとテレワークとワーク・ライフ・バランスがいっしょに来た」と喜んでもらえるほどになりました。  

   

私たちが実践していたテレワークという働き方を、徳島の人たちが初めて目にしたわけです。神山のサテライト・オフィスには電話機はなく、パソコン上に電話がかかってくる。限界集落にいながらにして、東京の仕事ができる。そういった新しい働き方がすでに可能だということを、見て知ってもらうことのインパクトは大きかったかなと思います。  

  

それに加えて、私たちはワーク・ライフ・バランスについての賞も多くいただいている企業なので、「仕事と生活を調和させながら働く」という考え方を広めるきっかけにもなったようです。       

ダンクソフトの受賞歴はこちら
https://www.dunksoft.com/award

┃多様な地域の人たちが協働することで、地域問題の解決が進む  

  

徳島とのつながりが深くなってきたからでしょうか、2013年4月から、私が徳島県集落再生委員として県の会議に参加することになりました。私は県民ではないので務まるかどうか不安もありましたが、委員として参加することで、地方で何が起こっているのかがよくわかるようになりました。  

   

たとえば、神山町では私たちが入る前くらいの段階で、きれいな道路が整備されました。道があれば、都心部から人が来やすくなるだろうとの判断でしたが、実際に起きたことはその逆。山のほうから都市部に出ていく人が増えてしまいました。神山町は、当時の人口は6000人を超えていましたが、いまは5000人。急速に減っています。東京にいると実感しにくいですが、地方だと人口減少という問題が差し迫ってきます。  

   

子どもたちも劇的に減っています。2011年に徳島に行ったときは、廃校が25もあると知らされました。遠距離の通学をする生徒が増え、しかしバスを出すほどの人数はいないため、タクシーで通学せざるを得ない生徒がいると聞きました。  

   

けれど、たくさんの学校がつぶされてしまう現状は、じつは都心のほうが先に進んでいる問題でもあると気づきました。私たちが40年前に都心へ出勤していたときには、すでに廃校はいくつもあったと記憶しています。子どもがいなくなるとコミュニティがなくなることを、私は東京でよく見てきました。ですから、徳島でこれから起きるであろうことも想像がつきます。東京の人が知らないこともあれば、逆に地域の人が知らないこともあります。多様な地域の人たちが連携・協働することで、よりよい問題解決のアプローチが生まれるのではないかと思っています。     

┃視察ツアーのテーマは「神山体験」と「藍」  

  

ではいよいよお待ちかね、今回2023年11月の視察ツアーの概要です。今回のツアーは、いまの神山を体験いただくだけでなく、「藍」もテーマにします。参加者は、ダンクソフトのスタッフやパートナーや大事なお客様、そして神田藍プロジェクトのメンバーです。  

  

「神田藍の会」については、こちらをご覧ください。
https://www.dunksoft.com/message/case-kanda-ai 

ダンクソフトは「神田藍の会」という活動に関わっています。何度もお話していることではあるのですが、この活動は藍を媒介に、社会関係が希薄になった都会で、地域コミュニティを再生していこうというものです。ダンクソフト本社のある東京都千代田区の神田エリアは、かつて「紺屋町」があり、藍との関わりが深い土地でした。ダンクソフトの本社ビルのベランダでも、3年前から藍を育てています。  

  

いっぽう徳島はといえば、江戸時代には藍染めの中心地でした。藍はキズを化膿させにくいという特殊な効果をもつので、職人から武士まで藍で染めたものを着たり、手ぬぐいとして持ったりしていました。日本中がそうでした。そんな状況で、徳島では藍を発酵させた「藍玉」の製法を門外不出にしていたのです。神田をはじめ全国にある「紺屋町」では、藍玉を仕入れた職人たちが染めものをしていました。  

  

つまり、徳島と東京・神田は、当時から藍で結ばれていたのですね。「神田藍の会」の活動では、藍の生葉染めをするなど、身近に藍のある暮らしを楽しみ、コミュニティが豊かになり始めています。しかし、徳島の人たちは、藍は名産品であっても、必ずしも藍を育てたり、染めを経験したりしているわけではありません。「神田藍」の活動が、いわば藍の本場である徳島に入っていくことで、専門的に藍を扱っていた人たち以外も藍に触れ、徳島のコミュニティが盛り上がっていくきっかけになればと想像しています。     

┃神山から、ダイアログとイノベーションが生まれる  

  

視察ツアーでは、いまいちばん新しい神山を体験しながら、多様な立場の人たちとのダイアログを楽しんでいただきたいと思っています。神山の活性化に長年尽力されてきたNPO法人グリーンバレーの視察も行いますし、「神山まるごと高専」という今年の4月に開校したばかりの高専の生徒さんとも、対話の機会を用意しています。 ここには、現在、富士通代表で高専と連携していると共に、インターミディエイターのおひとりでもある濱上隆道さんがいます。いろいろと一緒に企画を立てているところです。 

 

徳島のみなさんと神田藍のメンバー、グリーンバレーのみなさん、神山まるごと高専の生徒さん、そしてダンクソフトの若いスタッフたち。今回の視察ツアーでは、多様な立場の人たちが神山に集まります。都会や地方という垣根を超え、高専生から経営者まで、それぞれの知見や技能が交差したら、それが参加者や地域社会にイノベーションを生み出すきっかけにもなるでしょう。みなさんと未来志向でダイアログができることが、とても楽しみです。  

  

ダンクソフトが40周年を迎えたこの年に、コロナ禍を経てふたたび、徳島でコ・ラーニングできるのはうれしいことです。これからも「学習する組織」を目指して、ともに学びあい、高めあっていきましょう!  

 

“Co-learning”が、一人ひとりを成長・進化させる ―50周年に向けて「学習する組織」へ


■ダンクソフトが最も大事にする「コ・ラーニング」とは

 

ダンクソフトでは、「コ・ラーニング(Co-learning)」を重視してきました。コ・ラーニングとは、ともに学びあうこと、つまり、共同学習です。2008年の全社会議で話題にして以来、学びあいの文化、学びあいの場づくりを大事にしてきました。

 というのも、ダンクソフトはデジタル企業だからです。デジタル・テクノロジーは、40年で1億倍も性能が良くなりました。これからも驚異的なスピードで、新しい技術が登場し、発展します。連動して、私たちが学ぶことはどんどん増えていきますから、もう到底ひとりでは対応できなくなります(すでにそうです)。ですから、互いに学びあうことがますます大事になってきます。

テクノロジーの進化だけでなく、私たちを取り巻く環境も劇変しています。特に企業に求められることは、40年のあいだに大きく変化してきました。上司・部下という上下2分の関係を超えて、いかに目線をあわせて建設的な「対話」ができるか。社内外との横断的な協働を通じて、さらによりよい成果や意外な効果を生み出せるか。どうやって、よりよい地域社会の先導者になるか。どんなテーマでも、「Co-learning」の考え方が必要不可欠です。  

■「学びあう」ことで高めあうスポーツの現場

 

私はスポーツが大好きなのですが、最新のスポーツ界を見ていると、「コ・ラーニング」がよく実践されているのをたびたび見かけます。 

今年のWBCがそうでした。アメリカで経験を積んできたダルビッシュ選手に、日本のピッチャーはスライダーの投げ方を学んでいましたね。スライダーといえば、ダルビッシュが2009年のWBC決勝戦で最後の三振を打ちとった球種。その投げ方を、彼は若い選手たちとシェアしたのです。その成果でしょうか、大谷選手が決めた最後のボールはスライダー。そして日本はふたたび、世界一になりました。あのときは興奮しましたね。

 

かつてスポーツといえば、チーム内の全員がお互いのライバル(競争相手)でした。ですから互いに「学びあう」ことはなく、自分の技は盗まれないようにする、競争そのものの世界だったと思います。でもその文化が、いま確実に変わってきました。

 

スポーツ・クライミングという競技がありますよね。垂直に反り立つ壁をよじ登っていくもので、ボルダリングとも言われます。このスポーツでは、試合前に、どのように登るのか、その作戦を選手同士で相談するのです。このオブザベーションという時間では、各国の選手たちが、敵味方を超えて話し合っています。そのシーンがとてもおもしろいんです。

 

最近のスポーツでいえば、スケートボードも学びあう文化があります。誰かがいいスピードに乗ったり、技が決まったりしたら、それを見ている選手全員が喜び、賞賛しあいます。日本は女子も男子もかなり強い競技ですよね。

 

スポーツの世界では、コ・ラーニングしている場が目に見えて増えています。共同学習によって、互いに高めあっているわけです。  

■河原でパエリア。それが「体験学習」の始まりだった

 

ケニーズ・ファミリー・ビレッジ / オートキャンプ場さまとのプロジェクト事例『事例:楽しさの「背景」までも伝え共感を生むWEBサイトで、閲覧数も売上も120%増』も合わせてご覧ください。
https://www.dunksoft.com/message/casestory-kfv 

10年ほど前でしょうか、ダンクソフトでは、特別な共同学習の機会をもうけました。

舞台は埼玉県飯能市のキャンプ場。そこへ、ダンクソフトのスタッフやパートナーさん、大切な知り合いの方々もお誘いして、一緒にツアー・バスで行きました。皆で集まったキャンプ場は、ケニーズ・ファミリー・ビレッジさんという、ダンクソフトのお客様でもあります。川を堰き止めた天然のプールがあるような、自然いっぱいの環境です。

 

その河原で、パエリアを炊くことに挑戦したんですよ。バレンシアのパエリア・コンテストで第4位の腕を持つシェフに同行してもらい、チームに分かれて、実際に自分たちで、いちから焚火でパエリアを炊いてみました。

 

そのプロセスで、社内・社外という垣根を超えて、さまざまな立場の人たちと協働関係を模索しながら、ひとつのものを作りあげることを体験しました。多様な人々がかかわるとイノベーションが起こることを実地に体験したわけです。

 

十分に手足を動かしたあとで、座学のレクチャーの時間を用意しました。そこでは、「開かれた対話と創造の場」を重視する、これからのビジネスの考え方を学びました。チームでのパエリアづくりを通じて、横断的な対話や小さな創造活動を体験した直後なので、話がよく身に沁みこみますよね。

 

それ以前から、外部講師を招いた社内セミナーは開催していました。でもそれは座学的なので、このような機会、つまり、身体を動かした「体験学習」の場を最新のビジネス論と連動して行ったものは、このときが初めてでした。ただ話を聞くだけではなく、実体験がともなうと、理論的な話について理解の深さが段違いなんですよね。みんなで自然のなかで食べるパエリアは絶品でしたしね。でも、それにとどまらない時間を経験しました。

 

「学ぶ」ということは、知識を増やすことではなく、行動パターンが変化すること。頭だけで理解するにとどまらず、行動まで変わるには、身体が関わる学習、つまり体験学習がおおいに有効です。そこに、反復学習することも欠かせませんが。  

■「教える/教わる」関係が解消されると、積極性がアップする

 

「学習」と聞くと、堅苦しいものを思い浮かべる人もいるかもしれないのですが、「共同学習」や「体験学習」は、実際、すごく楽しいものです。多様な立場の人たちが集まると、自分の目の前で面白いことが起きますから。先月、それを「実感」する機会がありました。

 

神田藍の会とのプロジェクト事例『事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル』も合わせてご覧ください。
https://www.dunksoft.com/message/case-kanda-ai 

本社のある東京・神田のコミュニティ活性化のために参加している神田藍の会で、小学生といっしょに、藍の生葉染めを体験しました。そこに集まったのは、1年生から6年生までのお子さんとその親御さん、そしてボランティアでサポートしてくれる大学生や私たちのような年長者まで。幅広い世代が集いました。

 

参加した小学生も大学生スタッフも、親御さんも、藍染めは初めて。でも、藍の会メンバーは「教える」ということはしません。楽しく説明をした後は、ただ見守って、失敗することも含めて、あれこれと挑戦してもらう場でした。

 

すると、子どもたちがとても楽しそうにしているんですね。子どもたちは、まわりの参加者やスタッフたちとどうやったらいいのか、話し合って進めていきます。藍染めは、染めの回数が増えるほどに色が濃くなります。1回だけ染めると、美しいエメラルド・グリーンの色が一瞬出ます。私がよく染める時には、染めは1回にとどめて、あとは色を止める作業をして、水色のハンカチをつくります。

 

けれど、小学生たちは、染めの回数をどんどん重ねていきました。「もっと染めたらどうなるんだろう」と、好奇心に突き動かされているようでした。しつこく回数を重ねた子どもは、ジャパン・ブルーといわれる藍色に近い色にまで染め上げていました。そこまでやるのか、というほどの、のめり込みっぷりでした。

 

「学習」というと「教育」(教えること)の一部だと思われていますが、そうじゃないんですね。「教える/教わる」という関係をなくし、みんなが積極的に学びあえるようにすると、ここまで楽しい学びの場ができるのかと感激しましたね。事後アンケートでは、ほぼ100%が「とってもおもしろかった」「またやってみたい!」という回答でした。  

■グループで熱心に協働する、ハイレベルな高校生

 

最近の若い人たちは優秀です。変化・進化するのがあたりまえ、と考えているように見えます。とても素直ですし、学んだことをぐんぐん吸収する力もあります。阿南高専を卒業して新卒で入社したスタッフたちは、最近も、どんどん資格を取りにいって、自律的に学びを進めています。

 

先日、ID学園高等学校の生徒さんを対象にしたインターンシップ・プログラムを実施しました。「WeARee!(ウィアリー!)」というソフトウエアを使って、デジタルを活かした地域のスタンプラリーを作ってもらいました。これも体験学習ですね。

 

生徒さんたちはグループであれこれ話し合いながら、よりよいものを作ろうと一生懸命でした。その純粋な積極性がすばらしいと感じましたし、ダンクソフトのスタッフも、高校生のレベルの高さに驚いていました。チーム単位で熱心に協働する姿は、トルコやフランスなど海外出身のスタッフもびっくりするほどでした。  

■インターネット時代に必須の「リバース・メンタリング」

 

いまの若い世代は、デジタル・ネイティブです。彼らはインターネットを使って、どんどん自発的・自律的に学んでいます。

 

インターネットは、「知と人」のあり方を変えましたよね。これまで専門家しか知らなかったような情報に、誰でもアクセスできるようになったからです。かなりの部分において、知りたいことを自分で取りに行くことができる時代になりました。

 

そうなると、かつてのように、先生と呼ばれる物知りが、何も知らない生徒に上から「教えてあげる」という構図はもう成り立たないわけです。むしろ、ネット世代の若い人たちから学ぶ「リバース・メンタリング」で、ともに学んでいくスタンスが大事だと思います。

 

ただ、いくらインターネットに情報があるといっても完全ではありませんから、年長者が積み上げてきた経験も意味のあるものです。しかし、大事なのは、年上/年下、上司/部下などの上下関係をなくして、多様なバックグラウンドをもつ人たちがフラットに、インタラクティブに学びあうということです。

 

ダンクソフトでは、できるだけそういう環境を生み出すことを目指しています。そのために、様々な工夫もしています。たとえば、私とスタッフの皆さんが対話する機会を、定期的につくってきました。また、誰もが自由に発言できるよう、年齢や役職に関係なく、お互いに「さん付け」で呼びあうよう推奨しています。  

■「時速80kmは遅すぎる」:ヨーロッパ旅行で体感した変化

 

インターネットの発展によって、多くの人たちが学びを深められるようになりました。これまで語ってきたように、使えるツールや環境が変わると、人の能力が引き出されていきます。 

1998年、ヨーロッパへ旅行したときのことです。ドイツの高速道路、アウトバーンを走りました。そこは制限速度がありません。時速300kmで走る車もいるほどです。旅行中、私は時速160kmで走りました。相当な速度です。でも、周りの車もそれくらいで走行しているからでしょう、とくに恐怖を感じることもありませんでした。

 

驚いたのは、帰国したときです。成田に降り立って家に向かうとき、高速道路を時速80kmで走りました。これがあまりにも遅く感じたのです。止まっているのと同じじゃないかと思ったほどでした。

 

このとき私は、ドイツの「アウトバーン」を経験して、自分のポテンシャルがぐんと引き出されたんだなと感じたものでした。道具や環境が変わると、人はそれに対応・適応しようとすることによって潜在能力が引き出されるようなのです。  

■“アウトバーン”が、人の未知なるポテンシャルを引き出す

 

私たちはふだんからパソコンやスマホなどを使いますよね。デジタルも、さきほどお話ししたように、40年で1億倍も性能がよくなっています。新しいデバイスを使うと、もう昔のものには戻れませんよね。私たちの判断力や反応速度が、性能の高いデバイスによって、知らず知らず引き上げられているからです。

 

最近では、パソコンだけでなく、同時にスマホやタブレットも使うなど、マルチ・デバイス化も進んでいますから、並行処理する力も自然と身についています。デジタル・ツールによって、私たちのポテンシャルを引き出してもらっているわけです。

 

ですから、ダンクソフトでは、できるだけ最新のパソコンやモニターなどのデジタル環境を導入することにしています。最新型の環境を整えることで、ワークプレイスに“アウトバーン状態” をつくっています。学習のスピードもアウトプットの質も、格段に変わりますよ。 

■ダンクソフトという「学習する組織」

 

いま、いろいろなデバイスがインターネットに接続される時代になりました。そうすると、インターネット上で、国境を超えた多様な人たちと出会えますよね。国も違う、文化も違う、まったく異なる環境で育った人同士が出会い、ともに学びあうと、成長の仕方も大きく変わります。

 

ひとりで学ぶだけでなく、インターネットを使って様々な人たちとチームを組み、コ・ラーニングすること。これができれば、一人ひとりの能力はますます伸びていくでしょう。

 

スタッフにとっても、ふだんから関わってくださるお客様やパートナーにとっても、ダンクソフトとの関わりを持てば、「自ずとコ・ラーニングできる」し、ともにバージョン・アップ、グレード・アップができるような会社になっていきたいと考えています。ダンクソフトは「学習する組織」。50周年にむけて、アウトバーンをばんばんつくっていきます。「時速80km企業」で満足しないために、日々、楽しい「学びあい」を続けていきましょう!

「未来通帳®」─時間を生み出すコツとその恩恵とは─

ダンクソフトでは40周年を機に、「未来通帳®」の開発を、新たに進めようとしています。先月のコラムでは、青写真をみなさんと共有しました。今月は、未来通帳®をつかって「時間預金」をすると、どんな未来がまっているのか。時間預金するコツやそれによっておこる恩恵について、イメージをお話しします。 



■人にとって最大のリソース、それが「時間」   

「未来通帳®」については、こちらのコラムもあわせてご覧ください。

『“時間預金”でウェルネス豊かな社会を ―「未来通帳®」の描く未来―』
https://www.dunksoft.com/message/2023-08

未来通帳®は「時間」にフォーカスするツールです。デジタルを使って人々の手間を省くと、その分、時間が生まれます。そして、その時間、つまり時間を未来に向かって何に使うか、あれこれ構想したくなるサービスです。資産運用というと、なにかと「お金」の話ばかりになりますが、時間もまた、私たちがもつ最大の資産です。 

でも、すべての人々が忙しく、速いスピードで動く現代社会です。日本は14年連続で人口が減少しています。今年は、初めて47都道府県すべてで人口減少が認められたそうです。これまでの量的拡大を前提とした社会に変わり、これからは一人ひとりの生活の質を豊かにするために、そろそろ「時間」というリソースについても、語られるべき時代です。 

 

多くの人は、お金は貯められても、時間は貯められないと考えているようです。でも、ほんとうにそうでしょうか。無駄な作業をそいで、時間を貯め、その時間をより有効に使う。「時間預金」というアイディアについて考えてみたいと思います。   

■効率化が時間を生みだし、提案の質を高める   

ダンクソフトのペーパーレス化について、こちらのコラムも合わせてご覧ください。

『理想的で機能するテレワーク環境づくり:発想転換のポイント』
https://www.dunksoft.com/message/2021-05 

ダンクソフトは完全ペーパーレスです。紙の書類や印鑑を使わず、「日報かんり」など自社開発のソフトウエアを利用することによって、事務処理の時間は最小限に抑えられています。日報かんりを使用する前と比べて、事務処理にかける時間は10分の1以下になりました。 

 

これまで事務仕事にあてていた時間が大幅に削減されたことで、私たちはその時間をお客様への提案のブラッシュアップに充てることができました。以前なら、「完成した」と思って終えていたところから、さらにひと手間かけて、クオリティを高めることができます。そうしていくと、ウェブサイトもシステムも、お客様にとって、より使いやすいものになるのは明らかですよね。私たちの業界では、このように改善スパイラルをどれだけ繰り返せるかが、質を決める生命線。たいへん大事なことです。 

  

ダンクソフトが、お客様によい提案ができるのは、スパイラルを繰り返す「時間」があるおかげですね。何度も見直して、細かなところを改善することができます。創った時間を、一人ひとりの学びにあてることも、ダンクソフトでは推奨しています。デジタルの分野は日進月歩ですので、次のテクノロジーを常に学んでいくことはとても大切です。結果的に、お客様に喜んでもらえますし、他社とクオリティの面で違いを出せる。開発者も仕事にやりがいを感じることができます。  

■時間預金で、子育て・介護、そして地域貢献も可能に 

プロジェクトの充実だけでなく、それぞれがゆとりをもって子育てや介護などもできるようになるのもプラス面ですね。会社全体で見ても、一人ひとりに時間の余裕がある状況は、休暇の取りやすさと直結しているのが分かります。それぞれの事情にあわせて、働く時間をコントロールできるようになりますし、助け合う余裕も出てくるんですね。 

  

徳島オフィスの竹内 祐介の”物語”はこちらをご覧ください。
https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi 

さらに、効率化で預金した時間を使って、地域との関わりにも参加できるようになります。徳島オフィスの竹内は、そのモデル・ケースですね。地元・徳島を離れずにダンクソフトで働きながら、徳島県主催の「未来創造のための若手部会」に参加したりしていました。今も、阿南工業高等専門学校(高専)で授業をうけもち、若手の、つまり未来人材の育成にたずさわったりしています。効率化して捻出した時間預金で、ダンクソフトのメンバーによる地域貢献が実現しています。 

 

このように、働く人たちそれぞれが“時間を生みだす”ことは可能ですし、またそうすることで、企業のなかだけでなく、家庭や地域にまで、いい影響が及びます。未来に向けて、いいサイクルがまわりだすことを実感しています。  

■人生を大事にするヨーロッパの文化 

 人として生きていくうえで、時間がいかに大事なのか ──。 

ワールドカップを見に行った時のエピソードはこちらのコラムをご覧ください。

『HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半)』
https://www.dunksoft.com/message/2022-05 

こんなことに気づいたのは1998年、フランスにワールドカップを見に行ったときのことでした。当時の日本チームは、まだ世界レベルではなかったので、日本が出場できるのは一生に一度の機会だろうと思い、気合を入れて2週間の休みを取りました。 

 

現地は、サッカー好きの人々が、さまざまな国から集まっていました。彼らと話していると、2週間の休みは短すぎると口々に言うのです。「もっと休みを取らなきゃダメだよ」と、どこに行っても言われました。このとき、ヨーロッパの人々は、人生を随分と大切にしているように思ったんですね。休暇をしっかり取って、のんびりと旅行したり、何もしない時間を楽しんだり。 

 

一方、日本はといえば、前回2022年のワールドカップのときに、スタジアムで「2週間の休暇をありがとう」と上司への謝辞を掲げた人が話題になりましたね。あれから20年以上たっても、いまだに日本では休みをとるのが難しいことがわかります。   

■時間的にも、空間的にも、「バッファ」を 

「バカンス(vacance)」とは、「何もない状態(vacant)」と語源が共通です。つまり、バカンスとは、何もしないこと。この「余白」が大事なんですね。現状を見直したり、新しいものを取り入れたりするためには、バッファ(buffer)が必要です。時間的にも、空間的にも、です。 

  

空間的なスペースが必要だと思ったのは、ペーパーレス化を一挙に進めたときです。当時のオフィスにはオープン・スペースがあったので、そこに書類や文房具のたぐいを全部集めたんですね。自分たちが何をもっているのか一覧して、必要なものだけを残しました。全体を見て、取捨選択するためには「スペース」が欠かせないと思います。  

■デジタル時代、「頭のスペース」は拡張した 

じつは、頭のなかも同じではないでしょうか。携帯電話が普及する前の私たちは、よく使う電話番号や取引先の住所など細かな情報を記憶していましたよね。そうすると、けっこう頭はパンパンな状態。かといって、脳のなかのいらないものを出すわけにもいきません。 

  

でも、いまは違います。デジタル・ツールを使うことで、単純な情報を覚えずに済むようになりました。昔と今では、頭のなかのスペースの量がぜんぜん違っているんですよね。ずいぶん広がりました。 

  

頭のなかにたくさんのスペースがあるので、新しいものをいろいろ取り入れることができます。「これとこれをつないでみようか」と新結合(イノベーション)を導く試行錯誤もできるようになります。    

■余白が生みだす、思いがけない次の展開 

このように、ちょっとした余白があると、思いもよらなかった活動が生まれてくることも実感しています。 

 

たとえば、私がオフィスで藍を育てられるのも、デジタル・ツールを使って仕事を効率化して、時間をつくりだしているからです。藍は生き物ですので、水やりを忘れると枯れてしまいます。藍の世話をするためにも時間をつくろうというモチベーションにもなります。 

  

また、神田藍の会では、月に1回の会合を開いています。ダンクソフトの本社ビルからZoomをつないでいますので、リアルに参加したい人は集まり、オンラインで自宅や職場からの参加も可能です。録画もしてありますから、日程が合わなくてもキャッチアップできます。議事録は私がその場で打ち込んで作成し、それを共有します。その議事録は保存しておき、助成金を申請するためのデータとしても活用します。 

 

このように、情報を効果的に活用していくことで、一人ひとりのメンバーに時間の余裕が出てきました。そのおかげでしょうか、いまでは神田藍の活動から、様々な展開が自然と芽吹いてきたところです。   

■デジタル × イマジネーションで進める災害対策 

時間的なスペースは、イマジネーションを働かせるためにも重要です。近年、企業には災害対策が求められています。スタッフの安全を守ったり、事業を続けたりといった社内のことだけでなく、地域における防災拠点を担うといったことも企業の責任です。 

 

ダンクソフトが考えるこれからの防災については、こちらのコラムも合わせてご覧ください。

『BOUSAIFULNESS ──災害前提社会への備え 』
https://www.dunksoft.com/message/2022-06 

災害対策は、とくにイマジネーションを発揮することが必要です。災害はこれからやってくるものですから。どういう危機が起こりうるのか、あらゆる可能性を事前にイメージしておくということですね。それが備えにつながります。 

  

これからも予期せぬ災害は起こるでしょうが、いまの時代にはデジタルがあります。現代人は、そこが救いだと思いますよ。 

  

今年は関東大震災から100年。報道から当時の様子を見聞きしていると、現場が大混乱していて、情報が発信されないことが問題だと感じました。ですが、いまであればAIやIoTといった技術があります。人が動かずとも、プログラムで勝手に動くインフラが整っています。デジタル・テクノロジーを使うことで地域間の連携は進み、災害のときも、普段のときも、人々の生活はより良くなる時代になりました。 

 

私たちは災害が起こりうるということを、普段、つい忘れてしまいがちです。それでも、時間に余裕があれば、いざというときのことも考えられるようになるはずです。日ごろからの時間預金をすることで、災害対策に気を配ることもできる。そんな心の余裕も、持っておきたいですね。  

■地域全体で時間をつくり、ソーシャル・キャピタルを高める 

個人の時と同じで、地域全体で時間に余剰ができると、地域を今よりよくする可能性がでてきます。ですから、「未来通帳®」というデジタル・ツールを、地域全体で導入し、データを共有することなどもイメージしています。 

 

たとえば、ダンクソフトの学童支援システムを導入している はなまる学童クラブさんの現場に、「未来通帳®」というデジタル・ツールを導入したら、これまでの事務効率化に、さらに輪をかけて効率化できると思います。 

  

はなまる学童クラブさんのシステム導入事例はこちらをご覧ください。

『「学童保育サポートシステム」が運営を楽に便利に、石垣島の子供たちを笑顔に』
https://www.dunksoft.com/message/case-hanamaru-kintone 

石垣島の はなまる学童クラブさんでは、毎月決まって行政に提出する報告書類があるそうです。未来通帳®を使えば、まず、パソコンを使わずに、スマホの音声入力で簡単に情報を入れられる。スマホを使うので、写真の添付にも手間がかかりません。その情報をクラウドにあげることで、家で事務作業する人たちも仕事に関われるようになります。スマホで入力したものが、そのままボタンひとつで日々の報告書に変わる。そして、それを役所への提出書類としても活用できます。デジタル・ツールによって、報告書をつくる時間を大幅に短縮することができるのです。 

 

地域全体で業務の手間や時間を省ければ、お子さんや高齢の方たちをコミュニティ全体で見守ることもできますね。安心・安全な社会がつくりやすくなります。 

 

また、今年の6月には、岐阜のいぶき福祉会(https://ibuki-komado.com/)さんを訪ねにいきました。そこでも、デジタルの力で可能性がひらける可能性を強く感じました。デジタルが進んでいけばいくほど、いぶきで仕事をしている仲間のみなさん(障害のある利用者さんたち)の「できる」が増えていくはずです。 

 

そして、スタッフのみなさんが事務処理にかける時間にしても、確実に大幅に省くことができます。いぶきのみなさんは、団体内に閉じるのではなく、地域に開かれた活動をなさっていますから、時間が余れば余るほど、岐阜ではソーシャル・キャピタルが高まっていくと想像しています。   

■未来通帳®が、事務を、暮らしを、地域を変えていく 

これからは、自分のため、地域のため、社会のために時間を使っていく時代です。一人ひとりが余剰時間をつくっていくことで、これからの日本が変わっていくことになります。学ぶ時間にあて、行動変化を起こすのもいいでしょう。家族と過ごす時間にするのも大事です。考える時間も大事ですから、何もしない余白の時間を確保するのもいいですよね。一人ひとりの地域での活動がもっと増えれば、ソーシャル・キャピタルが豊かな社会へつながるでしょう。「未来通帳®」をつかって時間を預金していくことが、未来をつくります。 

  

ダンクソフトは、この7月から、50周年にむけての10年があらたに始まりました。私たちはどんなふうに「時間」というリソースをつかっていくのか。どんな未来社会をつくっていくのか。あらためて考えるタイミングです。「未来通帳®」を使った地域構想とともに、人々の時間の見方や使い方を変えていきたいですね。 


 

 

“時間預金”でウェルネス豊かな社会を ―「未来通帳®」の描く未来―

「時間は人生のために®」。ダンクソフトが大事にしてきたテーマです。そこで、デジタル・テクノロジーを使って業務を効率化し、生まれた時間をよりよく使うことで、一人ひとりのクリエイティビティを高めようと考え続けてきました。今回のコラムでは「未来通帳®」という新たなシステムの構想をお話しします。これはまだ青写真なのですが、皆さんとアイディアをもちよって、一緒につくりあげていきたいと考えています。 



┃もしも、「時間を預金する」ことができたら  

  

【関連コラム】
はなまる学童クラブ様のシステム導入事例、『「学童保育サポートシステム」が運営を楽に便利に、石垣島の子供たちを笑顔に』https://www.dunksoft.com/message/case-hanamaru-kintone 

先日、石垣島でダンクソフトの学童支援システムを導入している はなまる学童クラブさんと話をした時のことでした。地域では、みんな忙しく働いているけれども、デジタルが必ずしも上手な人ばかりではないので、不便なことも多い。もっとデジタルを上手に活用して効率的に動ける地域になったら、捻出した時間を地域の介護や子育てに使えるのではないか。「ダンクさん、何かできませんか」と、言われたのです。 

 

時間は大事です。でも現代は、みんな、時間がありません。忙しい人が多く、予定を合わせるのも一苦労です。 

 

ですが、もし、スケジュール調整が瞬時にできるようになったらどうでしょう。いちいち電話やメールをしたり、調整ツールをつかったりせずとも、さっと会議日程を決められます。日程を共有するのにもいちいち連絡する必要がなく、関わるすべての人にいっせいにリアルタイムで共有されるのです。 

  

そうなったら、それぞれが浮いた時間を貯金でき、使える時間は格段に増えます。日本中で、誰かのために、あるいは自分のために使える時間が激増します。社会全体でなら、どれだけ多くの時間が生み出せることでしょう。地域課題の解決に充てられる時間も増えていくでしょう。最近Appleは預金サービスに参入しましたが、これは文字通り“money”に着目していますよね。私たちは、むしろ、「時間(time)」を貯金するという考えなんです。  

┃企業が多様な役割を求められる時代に 

 

ここのところ、企業はさまざまな社会的役割を求められています。少子高齢化対策から、災害時に地域でBCPの担い手になること、障がいのある人を雇用すること、それにプライバシー・マークの取得からSDGsまで、実に多様です。これはつまり、企業で働く一人ひとりも、さまざまな課題の解決に向けて、日々考え、行動していくことが求められているということです。 

 

そのためには、働く一人ひとりが業務を効率化して、時間をねん出する必要があります。生まれた時間は、社会課題の解決や、新しい学びや、コ・ラーニングに振り分ければ、個人もクリエイティビティがあがるし、よりよい未来社会をつくるきかっけが生まれます。そんなツールができないものかと、40周年を迎えた今年、考えを進めています。  

┃時間をうみだす「未来通帳®」という構想 

 

デジタルで日常を効率化して、時間をつくる。そうして生まれた時間を、個人が、企業が、地域社会が、ウェルネスを豊かにする方向に活用していく。この構想を「未来通帳®」と名付けてみました。暫定的な名前かもしれません。これから構想が進む段階で、変わっていってもかまわないと思っています。  

 

未来通帳®には、ふつうの通帳と異なるところが2つあります。ひとつは、「お金」ではなく「時間」を扱うということ。もうひとつは、「未来」を記録できるということです。通帳は、これまでの取引記録など「過去の情報」を記録するものです。ですが、何か「未来の情報」を書き記せるようなツールをつくりたいと考えています。ビジネスは未来をイメージしていかないとうまく進みませんから。    

┃長期スパンでビジネスを見透す「未来かんり®」に着想を得て 

  

未来情報を書き記すシステムとしては、ダンクソフトでは、ずいぶん前に「未来かんり®」というソフトウエアを開発しました。これは、ビジネスで重要なヒト、モノ、カネ、時間を一元管理する販売管理システムです。この中に、画期的な点がいくつもありました。  

  

そのひとつが、数年先の未来情報まで扱えることです。ほとんどの販売管理システムが扱うのは、1年間という会計年度での管理です。でも、このシステムを開発したときの課題は、2〜3年先の、未来に行われる結婚式にまつわる情報に、どうシステムが対応できるかでした。これは、それまでの一般的なシステムでは課題解決ができなかったのです。  

【関連コラム】
株式会社ユーアイ 取締役社長 藤吉恒雄氏とのクロストーク『経営者対談:UNLIMITED FLORIST ─ デジタルと手仕事の美徳は引き立てあえる
 https://www.dunksoft.com/message/2022-08

【関連コラム】
『最初プロジェクトは、花屋さんのための課題解決システム ~80年代からサブスク型』
 https://www.dunksoft.com/message/2022-02#2202%E2%80%905

この問題をなんとかクリアしようとして生まれたのが、来年、再来年、そしてその先と、会計年度をまたぐようなスパンで情報を扱うというアイディアでした。「未来かんり®」では、単年度を超えて、それまでより長期的に情報を可視化できるようになったのです。すると、「この先、いつどれくらいの投資をするか」といった先々のことまで、考えられるようになりました。   

┃個人も、企業も、「時間のポートフォリオ」を組んでいく 

 

今回の「未来通帳®」は、財務的なことにかかわることではなく、“時間”に着目する構想です。「“生まれた時間”をどんなことに投資していきたいか」を考え、生活設計することができます。たとえば、身体、メンタル、精神性、知的好奇心などウェルネスにかんすることから、SDGsやソーシャル・キャピタルなど社会や地球にかかわることまで、自分が求める未来にむけて、分野を選んで時間を配分していきます。 

 

ただし、せっかく時間を生み出しても、その時間を必ずしも有意義なことにつかうとは限りませんよね。 

 

そこで、「時間のポートフォリオ」という考え方を入れて、どんな分野にどれぐらいの時間をかけたか、一覧で見えるようなしくみを想定しています。 

 

「思っていたよりも、ソーシャル・キャピタルづくりにかけた時間が少ないな」、「環境保全に取りくみたかったけれど、今月はちょっと足りていないな」「ソーシャルな活動に費やしすぎたかな」など、実際につかった時間が可視化されるようになります。洗濯機が登場して家事の時間が短縮されたのに、それがテレビを見る時間になってしまった、というようなことでは残念ですから。 

 

時間のポートフォリオがあれば、自分の行動を振り返り、これからの行動を変えていくことができます。そうすることで、自分のウェルネスを充実させることにつながります。みんなで集合的にポートフォリオを共有すれば、ウェルネス豊かな未来社会に近づくだろう、ということなんですね。  

┃アクターを超えた連携・協働をうながすために 

  

「未来通帳®」では、手はじめに、一企業を超えてカレンダーを共有してみたいと思い描いています。会社のなかでスタッフ同士の予定を共有し把握しあうのは、今ではあたりまえになりつつあります。ダンクソフトでも、皆の予定をOutlookで共有しています。私のカレンダーも全員が見られますし、直接予定を書きこむこともできます。 

  

しかし、多くの場合、カレンダーを共有できるのは企業内に限られています。ですが、これからは、一社だけで課題解決するのではなく、さまざまな立場の人と協働し、価値を共創する時代です。他の会社、団体、そして地域の人たちなど、様々なアクターと予定を共有できたら、さらに連携・協働が実現し、加速すると思いませんか。「予定を入れる」「予定を共有する」ところが、未来が始まるポイントなのです。 

 

これまでの感覚だと「この日、どうでしょうか」と、事前に声をかけて調整することになりますが、その手間や時間も、ツールによって簡単に省くことができます。対話の場がすぐに設定できますから、プロジェクトはスピーディーに動きだしますね。多方向の関係づくりも進むことになりますし、多様なアクターたちによる協働の成果として、予想もしなかったイノベーションが生まれてくるでしょう。  

┃1ヶ月で8時間もの時間が生まれたツール「日報かんり®」をモチーフに 

  

実際に、デジタル・ツールがあると、どれぐらいの時間が節約されるものでしょうか。いえ、どれぐらい新たに時間を生み出せるのでしょうか。 

 

ダンクソフトでは、「日報かんり®」という、自社開発のツールを使っています。スタッフ一人ひとりが、予定表に自分の予定を30分単位から入力していきます。1日の終わりになると、クリックひとつで予定表が日報に変換されるという、便利な仕組みです。自分がどのプロジェクトにどれくらいの時間を使ったかも、自動で集計されます。  

  

このツールのおかげで、スタッフが業務報告書を作成する時間が格段に減りました。あるスタッフは、1ヶ月で8時間もの時間が生まれたといいます。 

 

事務処理に割く時間が短縮されたので、私たちは日々の「所感」を書く時間をつくることができました。所感には「今日のBGMはこれ」とか「こんなお昼ごはんを食べた」など、業務報告には載らないような、他愛もない内容を書いています。でも、これがいいんですね。 

 

お互いに読んでコメントしあう感じになり、自然と相互理解が深まり、メンバー間のコミュニケーションが活発になりました。これによって、相互に連携・協働する素地ができてきています。  

┃デジタル・ネイティブとつくる、大航海を楽しむような新時代の協働システム  

 

デジタル・テクノロジーは、これからますます発展していきます。暫定的に「未来通帳®」と呼んでいるこのシステムに、どんな機能をもたせるか、どんなインターフェースにしていくかなど、具体的な内容については、多様な方々との対話のなかで生まれていくでしょう。特に、徳島の阿南高専ACT倶楽部のメンバーや、ダンクソフトのインターンシップ生など、若い方々との「対話と協働」のなかから、具現化していくつもりです。  

 

21世紀に生まれたデジタル・ネイティブたちは、どんな未来を思い描くのか。その未来のために、どんなツールがあったら便利で、意味が感じられるのか。皆さんもアイディアがあったらお寄せください。ともにつくりあげるプロセスが、いまから楽しみです。 

 

2006年に、ヨーロッパへワールドカップ観戦に行きました。その際に立ち寄った、港町・マルセイユの小さなお店で、「航海日誌」に出会いました。英語では log bookと呼ばれ、航海の一部始終を毎日書き記すものです。紙をほとんど処分した完全ペーパーレスのオフィスに、いまも大事に置いている、数少ない紙モノです。 

 

Uncharted Waters ──。これは「未知の海」のことなんですが、これからの未来社会づくりも、いわば、海図なき航海のようなものでしょう。なので、航海日誌を手に、大海原へ航海に出るように、来るべき未来社会を楽しみながらつくっていけるような協働環境を用意してみたいと考えています。  

いまがいちばん新しい ─創業40周年を迎え、明日を語る─ 

ダンクソフトは2023年7月に創業40周年を迎え、今月より41期がスタートします。今回のコラムでは、これまでの歴程を幾分振り返りながら、「いまがいちばん新しい」ダンクソフトの現在、そして未来についてお話しします。 



┃インクリメンタル・イノベーションを積み重ねて 

  

おかげさまでダンクソフトは創業40周年を迎えます。ちょうど1年前の7月から、40周年特設ウェブサイトをスタートしました。その中で、40年で起きた世の中の動きとダンクソフトの活動を重ねてみました。 

 

この40年で、社会は大きく変わりました。それとともに、ダンクソフトは、少しずつよりよくしていく「インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)」を積み重ねてきました。つねに時代時代の少し先をいく価値を発揮しつづけてきた40年の歩みです。 

ダンクソフトの歴史を、IT 業界や社会の出来事とともにご紹介しています。
https://www.dunksoft.com/40th-history

 これまでも何度か話してきましたが、この会社の創業社長は別にいて、私ではないんですね。創業社長は、造船会社のIT部門で機械制御を担当した後、1983年に東京・秋葉原で、当社を設立しました。当時の社名は、株式会社デュアルシステムと言い、制御と呼ばれるハードウェアを動かす部分を想定してつくられた会社でした。 

 

しかし、創業から3年で社長が病気で急逝してしまいます。売上は2年で10倍近く伸び、社員も一挙に10名以上増えたタイミングでした。急成長していた部門を担当していたことから、入社2年目、社員番号4番の私が、2代目社長に就任することになりました。 

 

この会社をどう舵取りしていくか真剣に考えましたね。そして、事業内容をソフトウエアに絞りこむことにします。   

┃ソフトウエアで“ダンク・シュート”を決める 

  

ソフトウエアを開発し、提供していると、「プログラムをつくることで劇的に便利になる」という出来事に出会うことがあります。 

 

印象深かったことのひとつに、広告代理店さんにデータベース・システムを開発したプロジェクトがあります。原価管理から、発注、見積書の作成、最後は請求書の発行、入金回収まで、すべてのデータを関連づけたシステムを開発しました。 

 

ヒト、モノ、カネ、時間という、ビジネス上の重要リソースを、すべてデータベースにいれることで、便利にプロジェクトの見積もりが出せるし、営業が見積もりを自分でつくれるようになりました。また、それをシェアできるようにすることで、経験をシェアできるようになりました。 

 

すると、それまで4人いた庶務担当が、2、3年たつと配置換えになり、営業スタッフとして外へ出ていけるようになったのです。会社としては、外に出られる人が増えることは、いいことです。会社はこうやって変わっていくのだなというイメージを持つことができて、組織がよりよく変わる方向でプログラムをつくらないといけない、と思いましたね。 

 

その後、Windows95が発売された1995年、社名を「ダンクソフト」に変更しました。ダンクには、ジャンク、つまり、くだらないもの、という意味があります。おもしろくてくだらないものをつくりたい、ということもあったのですが、もうひとつ、バスケットボールのダンク・シュートの意味も込めました。 

 

ダンク・シュートは、普通のシュートと同じ2点カウントですが、ダンクが決まるとチームも会場も盛り上がり、ゲームの流れがそれだけで大きく変わります。ダンク・シュートのように、私たちもビジネスを劇的に変える経験をつくりたいという思いを込めて、名付けました。    

┃ポリバレントで、助け合う風土ができてきた  

 

ダンクソフトで大事にしている考え方には、スポーツから取りいれたものがいくつかあります。「ポリバレント」が、そのひとつです。 

 

「ポリバレント」とは、状況や場面に応じていろいろな役割ができる人を指します。いわば「一人十色」と言えます。かつてサッカーでは選手の役割は、ポジションごとに固定しているのが普通でした。しかし、あるときオランダがトータル・フットボールというチームのあり方を打ち出したんですね。一人ひとりが攻めも守りもでき、ゲームの状況に応じて役割が流動的に変わるというものです。 

  

ダンクソフトのメンバーは、それぞれがポリバレントになることを目指していますし、自然とポリバレント化にむかう環境も整えています。例えば、社内に総務や経理担当者がいないことも、そのひとつです。ここ20年、この体制をとっています。 

  

総務・経理にかんする日常的な業務は、それぞれのスタッフがシステムから入力して完結します。各メンバーがふだんからバックオフィスの仕事に触れていると、どんなドキュメントが必要か、どんなルールになっているかということが、自ずとよくわかってきます。イレギュラーなことが起きても、適宜、経験のあるスタッフと協働することで問題解決へと向かいます。業務をブラックボックス化せずに、経験をシェアしていくことで、社員同士の互恵的関係(助け合う関係)を日ごろから培っているんですね。   

┃「対話するチーム」が未来をつくる 

  

ダンクソフトのユニークネスは、構成メンバーが多様であるだけでなく、お互いに協働できることです。社員同士のコミュニケーションは、ここ1年ほどでとても深まりました。大きかったのが、40周年記念企画としておこなった「未来の物語プロジェクト」です。 

  

「自分たちが思い描くダンクソフトの未来を、自分たちでつくろう」と唱えたひとりのプロジェクト・メンバーの声に多くのスタッフたちが共鳴し、全社員の8割にあたる20名が未来の物語を書き上げました。会社の未来は、経営者ひとりが決めるものではありません。スタッフそれぞれが思い描く未来の集合体が、ダンクソフトの未来です。物語を書くことで、一人ひとりが「未来は自分たちで創り出せる」と実感できたことは重要な共通体験であり、大きな成果でした。 

  

皆がそれぞれの書いた物語を読みあい、会話・対話し、フィードバックしました。これによって、互いのことをより深く知ることができ、以前よりも日常のコミュニケーションの質が高まっているのを実感しています。すると、連動して、お客様に対する提案内容のクオリティも驚くほど向上したのです。これは思いがけないうれしい成果でした。 

 

社内では、私が毎月のコラムを公開すると、それを受けてスタッフが、部署の垣根を超えた対話の場をもっています。また、日報を利用したちょっとしたコミュニケーションも活発になっています。スタッフのコメントから、私自身もあらたに気が付くこともあるんですね。最近は、返してくれるコメントの量がますます増えて、リプライするのが追いつかないほどです。コラムや日報を介して、ダンクソフトはつねに「コ・ラーニング(共同学習)」状態を目指している、と言えるでしょう。  

┃人は成長しつづける:80代の剣士の姿 

 

進化可能な場や組織では、個人のポテンシャルも引き出されていきます。私は67歳になりますが、自分自身、今もまだ成長している感覚が持てているんですよね。環境が大きく変わる今日、それはとてもよいことだと思います。 

 

最近思い出すのは、小学生のころに見た剣士の姿です。私は8歳のときから、剣道を習っていました。父は当時、剣道六段。師範になっていました。父といっしょに通っていたのは、講談社の敷地内にある野間道場でした。天覧試合が行われた日本一の道場です。そこで持田盛二さんという、“昭和の剣聖”と呼ばれた人が稽古をつけていました。 

  

このときの様子が目に焼き付いています。持田さんは当時80歳を超えていたはずです。でも誰も太刀打ちできないのです。剣道は、年齢が上がれば上がるほど強くなれる滅多にないタイプのスポーツなんですね。身体の動きが多少鈍くなったとしても、相手の心理を読む洞察力はますます高まるからです。そうした経験もあってか、年齢を重ねるごとに、いっそう進化できると確信しています。   

┃「いまがいちばん新しい」 

 

さて、集団や組織の次元に目を移すと、ダンクソフトもまた、つねに進化しつづけています。40周年を迎えるにあたって、「40年目のダンクソフト いまがいちばん新しい」というキイ・フレーズを掲げました。「いまがいちばん新しい」と自信をもって言えるのは、私たちは先行して未来をつくろうとしているからです。 

40周年特設ウェブサイト
https://www.dunksoft.com/40th

いまでは一般に浸透したテレワークについても、ダンクソフトでは2008年から取り組みを始めていました。当初はウェブ回線が不十分で、実用段階には届きませんでした。しかし、段階的に環境を整えていったことで、子どもを保育園に入れられなかったスタッフが在宅勤務できるまでになりました。 

 

また、東日本大震災のあと、徳島にサテライト・オフィスを開設するなど、「スマート・オフィス構想」をすこしずつ実践してきました。こうした積み重ねがあったので、2020年のコロナ禍では、緊急事態宣言が出された翌日から、全社テレワークに即時切り替えることができました。  

┃失敗は財産、危機は転換のチャンス 

 

いまのダンクソフトは、インクリメンタル・イノベーションの積み重ねの上に成り立っています。私たちが時代の変わり目にいち早く対応できているのは、世間に先行して失敗を獲得しているからなんですね。先にやって、先に失敗しているので、さらにその先にいくことができるのです。だから、まずはやってみる。前例もなく、手順も不明瞭ですから、先行していれば失敗するのは当然です。誰も挑戦していない新分野なら、失敗すること自体が財産になります。早く失敗し、そこから学べば、早く先へ進めます。こうやってダンクソフトは、未来をつくってきました。 

  

私たちにとって危機は忌避するものではありません。さらにレベルアップしていくためのチャンスです。日本は災害大国ですから、そこから立ち直るレジリエンスは高いでしょう。しかし、復元したあと、さらに新しい次の一手を打っていこうという動きはあまり見られないように感じます。 

  

新型コロナウイルス感染症の位置づけは、5類へと移行しました。しかし、未来を考えたときに、パンデミックはまだまだ起こる可能性があります。ですから、パンデミック以前の状態、つまり「もとに戻ってよし」とするのではなく、さらなる進化を遂げて未来をつくっていくタイミングにしていくべきだと考えています。要するに、危機こそ、自ら転換点をつくる好機です。   

┃デジタルがつくる多様性の高いコミュニティ 

 

ダンクソフトがこれから力を入れていきたいことに、「コミュニティづくり」があります。これは大きく2つの取り組みがあり、ひとつは、これまで徳島にサテライト・オフィスを設置するなど、遠くの地方との関係を結んできました。もうひとつは、ここ2年、「神田藍」というプロジェクトを通じて、本社のある神田周辺で、つまり都市の中のコミュニティづくりにも関わっています。ここ40年の歴史で、はじめての取り組みです。 

 

実際、藍という植物を媒介にすることで、街の人たちとの関わりが増えています。ふらりとお菓子をもってオフィスに来てくれる方もおられますね。神田藍のコミュニティが広がることで、これまで関わりのなかった企業や団体とも連携が生まれています。これは一種の副次効果でしょうね。「ソーシャル・キャピタル」がじわじわと醸成されていくことで、イノベーションの芽が出てきているのを感じます。 

 

こうして多様な人々の集まるコミュニティを、これからはデジタル・ツールがさらに支えます。ウェブARツール「WeARee!(ウィアリー)」や、会員組織運営を助ける「ダンクソフト・バザールバザール」などのプロダクトです。離れていても協力ができて、未来を共につくるチャレンジができるような仕組みが重要でしょう。  

┃国境も障害も、デジタルで超えていく 

  

協働しながら、イノベーションを生み出するには、多様な属性をもつ人が集まっているほうがよいものです。ダンクソフトというコミュニティも、住んでいる地域はバラバラですし、それぞれが多様な個性、特徴、スキルをもっている人たちで構成されています。最近ではトルコやフランス出身のスタッフも迎え、国籍も多様化してきました。 

 

デジタル・ネットワークを活用することによって、より多様な仲間と協働していくことができるでしょう。たとえば、身体が不自由な人もそうです。すでに、ALSの患者さんが視線入力でパソコンを操作できるようになっています。デジタルを利用すれば、場所や環境に左右されずに働けるようになります。ともに働くことで、互いの視野が広くなり、クリエイティビティがさらに高まる。どんどん発展するデジタル・ツールを使えば、人や組織の可能性をひらくことも可能です。   

┃船の舳先に立つ企業として 

  

“船の舳先(へさき)”に立つ。ダンクソフトの企業姿勢です。船首にいると先がよく見通せ、先行している感覚があります。船の後方にいると、安定しているかもしれませんが、どこに向かっているかわかりません。前にいる分だけ先が見えるし、どこに向かっていくのか、未来をつくっていくことができます。 

  

デジタル環境も技術も、目覚ましいスピードで変化しています。10年先はまだ考えられますが、100年先には私はもういませんし、その頃ダンクソフトはどうなっているのか、どうありたいのか。 

 

100年先だと量子コンピュータさえ、過去の話題に変わっていたりと、やれることも世界認識も変わっているでしょう。ある意味、年齢も居場所も関係なくなり、言語の壁もなくなっているでしょう。地球のなかだけにいるとは限りません。私たちの子孫は火星に住んでいるかもしれません。 

 

住む場所も、話す言葉も、生まれた時代もまったく異なる人たちが、目線を合わせて連携・協働する世界をいかに実現するか。やがて、資本主義のあり方も変わるでしょう。当然、ダンクソフトができることも変わるはずです。それでも、多様性・複雑性を重視する方向に向かっていることは間違いないでしょう。人間と機械と自然との関わりをうまく結び、船の舳先に立ってイノベーションを起こしつづけていく存在でありたい、と考えています。 

 

ダンクソフト発・地球によりよいデジタル推進

ダンクソフトは来月40周年を迎えます。この40年で、社会で企業が求められる役割が、大きく変わってきました。企業は経済一辺倒で事業を拡大すればよいという時代は、もうとっくに終わっています。 

 

6月5日は国連が定めた「世界環境デー」です。これにちなんで、今月は、「地球環境によりよいデジタル」というテーマでお話しします。デジタル企業であるダンクソフトがこれまで取り組んできたこと、そしてこれから私たちに求められることなどが中心です。 



▎2009年。「新しい働き方」を実現したら、「紙」を使わなくなった  

振り返ってみると、ダンクソフトの場合、何か別の課題を解決していたら、結果として環境にもよりよい活動になっていた、ということが多いようです。  

たとえば、「ペーパーレス」の取り組みが、そのひとつです。2009年の段階で、ほぼ社内のペーパーレス化が完了していました。当時、国内的に見ても、かなり先駆的なことだったと思います。  

本格的なテレワーク導入のきっかけとなった社員のインタビュー記事がCHANTO総研のウェブサイトに掲載されています。
https://chanto.jp.net/articles/-/237229 

転換点になったのは、育休中のスタッフから相談を受けたことでした。「子どもを保育園に入れられなかったから、復職できない」というのです。そのとき私は、であれば、オンラインで勤務してみたらどうだろうと提案したんですね。以前からテレワークの試みは始めていましたが、完全にリモートのみで働くことは未経験でした。そこから、保育園問題を解消するため、お母さんが自宅を離れずに育児をしながら遠隔で働き続ける工夫を導入していきました。情報共有をさらにスムーズにしようと、クラウド化も加速させました。  

育休スタッフの切実な声を聞き、実際に働ける方法を探っていたら、結果的にデジタル化が進み、紙を減らすことにもつながり、今でいう新しい働き方を先取りしていました。  

▎複合機のないスマートオフィスへ 

こういうわけで、当時から、業務のなかで、紙を使うことはほとんどありませんでした。さらにスタッフは1つのPCに2つのモニターをつなげて使う“ダブルモニター”にすることで、作業のために紙を出力する必要がなくなりました。会議では、大型モニターを利用し、資料や議事録を表示します。紙の資料を会議のために印刷したり、議事録を印刷して配布したり、といった手間や無駄がなくなります。情報共有と情報開示を進めた結果、環境にもよりよい「ペーパーレス」なオフィスになりました。 

 

デジタル化されたダンクソフト本社オフィス

2023年のいま、神田の本社オフィスには、ファクシミリ(FAX)はもちろん、コピー機もプリンターもありません。ダンクソフトはオフィス移転を比較的多く行ってきたのですが、そのたびにスリム化、つまりデジタル化を重ねてきました。脱アナログ化したこのオフィスは、「スマートオフィス」のショーケースです。従来のオフィスにあったような備品がない代わりに、良質なスピーカーや大型ディスプレイなどテレワーク環境が整っています。オフィスに来てくださった方には「こんなオフィスは見たことない」とよく驚かれます。 

 

■『スマートオフィス構想を実践する新拠点』
https://www.dunksoft.com/message/2021-03 

■『理想的で機能するテレワーク環境づくり:発想転換のポイント』
https://www.dunksoft.com/message/2021-05 

▎“エコ・ペーパーレス”の推進で、環境保全とコスト削減を両立 

デジタル・ツールを使うと、紙の使用量はもちろん減ります。ということは、それにあわせて文房具への支出も減ります。さらには、オフィス内に書類を管理する場所もいらなくなります。コピー機を置かなくなれば、年間で数百万円単位のコスト削減が可能です。そのうえ、わざわざ書類を事務所に取りに行くという面倒からも解放されます。経済と環境保全を両立させる取り組みを、ダンクソフトでは“エコ・ペーパーレス”と呼び、推進していました。 

 

ペーパーレス化に取り組んだ当時の、徳島合同証券様の取材動画

デジタルの推進によるエコ・ペーパーレス化は、これまでたくさんのお客様とともに取り組んできました。たとえば徳島合同証券様は、社内に眠っていた3.5トンもの書類を捨てることに成功しました。社員それぞれが管理していた個人情報をデジタルに一元化することで、コピー機やFAXを利用する頻度も激減しました。結果的に700万円ものコストが削減されました。もともと環境への意識が高い泊健一社長でしたが、その後もSDGsを推進する企業として、徳島の要になっていらっしゃるようです。ちょうどカーボン・オフセットの発想が注目されていた頃でした。 

 

■ 事例:「ペーパーレス化」で 6期連続の赤字からV字回復 
https://www.dunksoft.com/message/2019/7/22/-6v 

 ■ 泊健一社長からのダンクソフトへのコメント 
https://www.dunksoft.com/work-style  

▎森林保全NPOが、デジタル化を推進:「森での時間が増えた」 

NPO法人 樹木・環境ネットワーク協会様のケースも、思い出されます。ちょうどコロナ禍がはじまる直前でした。テレワークの仕組みを導入する支援をしました。 

 

ダンクソフト社員がテレワーク勤務体験談を共有している様子

こちらの協会は、森や里山の保全活動や、そのための人材育成を活動の主軸にしています。テレワーク補助金を使って、事務所の外からでもデータにアクセスし、どこからでも活動ができるように設定を行いました。 

 

デジタル導入により、ひとつは、広報担当の方が、介護と仕事を両立できるようになりました。また、「事務仕事のために、森に行く時間が減ってしまう」という事務局長さんの悩みが、業務が効率化されたことによって解消されました。デジタル導入で、離職も防ぎ、「森林保全」という本業に、さらに時間と力をかけられる環境をつくられたわけです。 

 

■ 事例:テレワークで実現したNPOの働き方改革と拡がる可能性 
https://www.dunksoft.com/message/case-telework-npo-shu  

▎ダンクソフトがかかわることで、環境保全が広がる 

NPO法人 樹木・環境ネットワーク協会様は、「人と自然が調和する持続可能な社会」を目指して、森づくりをはじめとしたさまざまな活動を行っています。ダンクソフトがデジタル化を支援することで、間接的に、環境保全に協力できたことになると考えています。 

 

NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様の活動の様子。駅前の花壇整備。

他にも、NPO法人 大田・花とみどりのまちづくり様のご支援では、より使いやすいボランティア管理システムをkintoneで実現しました。事務局もボランティアも、手作業で行っていた集計業務をデジタル化し、本来リソースを使うべき緑化のために、もっと力をかけられるようになりました。そして、さらに新しい領域や課題に取り組もうという気持ちにもなっていただくことができました。担当したダンクソフトのスタッフも、現場に足を運んで様子を拝見することができ、大田区の緑化に貢献できたと喜んでいました。 

 

■ 事例:作業効率化を機に、デジタル化でプロセスを見直し、誰もが関われる団体運営へ 
https://www.dunksoft.com/message/case-hanamidori-kintone  

 

▎ダイアログ・スペースから、森づくりを考える 

このように、環境問題に取り組む団体を支援することで、私たちダンクソフトの自然環境への意識もよりいっそう高められています。 

 

NPO法人森づくりフォーラム様とも、樹木・環境ネットワーク協会様を介して出会いました。3年前から、ダンクソフトのオフィス内にある「ダイアログ・スペース」を使って、ハイブリッド型の全国大会を開催するご支援をしています。コロナ前には、年に1度、リアルに集って大きなイベントを行っていたところが、コロナで一変。オンラインで上手に配信する方法と場所を提供し、新しい形の全国大会実施にこぎつけました。 

 

今年も、6月10日(土)と11日(日)の2日間にわたって、「第27回 森林と市民を結ぶ全国の集い2023」が開催されます。1日目はオンライン配信と国立オリンピック記念青少年総合センター現地会場とのハイブリッドで実施。2日目はオンライン配信で開催します。 

「続・森は誰のもの? ~森林コモンズを活かす明日へ~ 第27回 森林と市民を結ぶ全国の集い2023」 
https://moridukuri.jp/forumnews/forest2023_commons 

開催期間: 2023年6月10日(土)・11日(日) 

 

2日目の11日は、ダンクソフトの「ダイアログ・スペース」から、全国へ配信します。今年のテーマは「続・森は誰のもの?〜森林コモンズを活かす明日へ〜」です。どんな話が聞けるのか、私も楽しみにしています。 

  

ダンクソフトの「ダイアログスペース」

ダンクソフトの「ダイアログ・スペース」は、約1Gbpsの超高速光通信や、マイクやカメラ、モニター、高品質スピーカーを備えています。このオンライン・フォーラムもリアル感のあるセッションを楽しんでもらえるでしょう。「全国の集い」はどなたでもお越しいただけますので、ぜひご参加いただければと思います。 

 

ダンクソフトでは、このような「開かれた対話と創造の場づくり」を、さまざまなパートナーと一緒に行っていきたいと考えています。オフィスのダイアログ・スペースを利用してハイブリッド型イベントを実施することにご関心のある方は、ぜひお声がけください。(お問い合わせはこちらから) 

▎ウェブ・カメラで見守る「神田藍」の鉢植え 

オフィスといえば、オフィスのベランダでは、ここのところ、「藍」を育てています。 

 

ダンクソフトのオフィスは神田駅前にあります。神田はかつて、染物屋の集まる日本有数の「紺屋町」でした。そこで、この地域で暮らす人や働く人たちが「藍」を媒介にコミュニティをつくろうと、「神田藍プロジェクト」が始まりました。今年で3年目になる取り組みで、ダンクソフトも参加しています。5月には、千代田区のまちづくりサポート報告会にて、活動に対して「サポート大賞」を受賞しました。 

 

ダンクソフトオフィスのベランダで育てている藍

私にとっていちばん身近な自然は、ここにあります。藍を育てるのも、もう3年になりました。毎日水やりをしなくてはいけないことも、雨の日は水やりをしなくていいから嬉しいことも、今では私自身の日常です。これまで植物を育てたことはなかったのですが、育て方も少しずつ進化してきました。藍の様子を遠隔で24時間見られる「見守りカメラ」を設置したり、藍が自動で水を吸い上げる装置を入れたりするなど、藍が育つ環境もデジタルで整えてきました。 

 

■ 事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル
https://www.dunksoft.com/message/case-kanda-ai 

■ WeARee!で見る神田藍プロジェクト 
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai/content/4872?resp=1726

  

▎5G構想でインターネットが行き渡った日本中の森で、できること 

インターネット回線とカメラをつないで、植物を遠隔で見守る。私がオフィスの鉢植えに活用しているこの仕組みは、森林管理に応用できるものだと考えています。見守りカメラを設置して、それがインターネット回線につながってさえいれば、現地に行かずとも森林の状況を把握することができます。ダンクソフトで使っているSwitchBot社製のカメラは、太陽光エネルギーを使えるので、電源に配線しなくとも連続使用ができます。 

 

いま、日本では5G構想が実現しつつあります。これは、現在使われている第4世代(4G)の100倍以上高速な通信網を、離島や山間部を含む日本全域に張りめぐらせるという計画です。10Kmメッシュでカバーしていく計画なので、近いうちにどんな地域にもインターネットが行き渡るようになるでしょう。デジタル環境は飛躍的に進化しています。 

 

都市部ではインターネットがおおむね浸透してきました。あとは山間部や森林です。そこが整えば、どこにいても森林保全の活動ができ、これまで人が入りにくかった奥地まで目が行き届くようになります。ロボットなどとも協働すれば、人が介在しなくてもできることが、めざましく増えていくはずです。 

 

「森林保全」というと、自然を「人間や機械が関わらないもの」ととらえがちです。自然と人間、自然と機械を、対立構造で考える人も少なくありません。ですが、人間もまた自然の一部です。その人間がつくった機械もまた、自然と関わりを持つ重要な一部と考えたほうが、無理がないと思っています。 

 

日本はこれから人口が減っていきます。人口8000万人になったとき、働ける人口もずいぶんと減っているでしょう。そのような時代にこそ、デジタルとインターネットが活躍します。一次産業や二次産業にデジタルを導入し、関わる人を増やす。今後のテーマになっていくでしょう。 

  

▎スタッフ一人ひとりが、未来の地球環境を考えている、そんな会社に  

私自身は、一時、OECDが公開していたBLI(Better Life Index)の指標を意識して見ていたことがありました。Better Life Index(「より良い暮らし指標」)は、2011年に公開されたもので、住宅、収入、雇用、共同体、教育、環境、ガバナンス、医療、生活満足度、安全、仕事と生活の両立という11の分野で比較する、豊かさの指標です。 

 

今は、SDGsが企業にとっても考えるべき必須事項となっています。40年前にはもっぱら金銭的価値の追求が企業に求められていたことに対して、今は、社会的価値や環境価値が同時に求められるようになりました。時代が大きく変わっているのです。 

 

企業に地球環境保全の努力が求められるようになるのであれば、スタッフ一人ひとりに求められることも、当然変わっていくことになります。ダンクソフトでは、スタッフ一人ひとりが環境意識、社会意識を持てるように、評価制度を見直そうとしています。メンバーが未来の地球環境を考えている、そんな会社になっていきたいと考えています。 

 

そのためには、「業務」内容への評価以外にも、「未来」を切り拓く人になるために学び、考え、行動できているかという観点も、大事にしていく予定です。40周年を機に、「人として、よりよくなっていく」方向を目指したいと思っています。 

 

日本高専学会と考える、日本の将来 ―地域と地域をテクノロジーが結ぶ未来像―

今回のコラムは、日本高専学会会長の山下哲先生、理事の土井智晴先生をゲストにおむかえしました。日本高専学会は、2022年より「ダンクソフト・バザールバザール」を導入し、研究会活動がさらに活性化したという声を寄せていただきました。高専といえば、日本の技術力の要。デジタル・ネイティブ世代のポテンシャルをひらくための環境づくりや、スマートオフィス構想の展望について語らいました。 

【左から】  

日本高専学会 代表 山下哲さん 

日本高専学会 理事 土井智晴さん 

株式会社ダンクソフト 代表取締役社長 星野晃一郎 

株式会社ダンクソフト 開発チーム マネージャー  竹内 祐介  



▎海外から高く評価される、日本特有の「高専」という制度

ACTフェローシップのメンバーと

星野 ダンクソフトは、いろいろなご縁が重なって、高専とのつながりが深くなっています。徳島の阿南工業高等専門学校(阿南高専)で、竹内が授業を担当するようになって5年。 高専と社会を結ぶACTフェローシップのメンバーとしてプロジェクトにかかわったり、学生がインターンに来たりパートナーシップ協定を結んで協働したり。昨年は阿南高専から2名が新卒で入社しました。 

 

山下 嬉しいご縁ですね。私が会長を務めている日本高専学会は、「高専」という日本特有の教育制度をより良い制度に改編していくことについて、研究活動を行っています。日本のためにさらに役立て、世界へ発信していこうという学会です。今年で発足29年になります。 

  

星野 高専生はとても優秀ですね。昨年入社した阿南高専の2人も、入社直後から大活躍です。 

  

日本高専学会 代表 山下哲さん 

山下 それはなによりです。そもそも高専という制度は、産業界からの要請に応えてつくられたものでした。1950年代後半、日本はめざましい経済成長を遂げました。そのとき、それを支える技術者が求められるようになりました。日本で初めての「国立高等専門学校」が設立されたのは1962年でした。高校3年間に2年プラスして5年間の高専を卒業すると、そのまま企業で働けるようなレベルの人を育てようと、60年前につくられた学校制度です。 

  

星野 ダンクソフトの連携先である阿南高専OB会の現会長が、やはり高専の卒業生で、彼はたしか高専の1期生か2期生だったと思います。 

  

山下 初期の卒業生でしたら、なおさら優秀な方でしょう。当時の高専は入学希望者がとても多く、入学してくるのは偏差値70を超えるような学生ばかりだったそうです。文部科学省が最初につくったカリキュラムは、高専の5年間で大学の工学部卒業と同等レベルの専門知識を身につけるという、とんでもなくハードなものでしたから。高専は、設立以来ずっと、学生のポテンシャルをおおいに発揮させる学びの場だと思っています。 

  

星野 高専制度が始まって60年、高専学会が発足して30年ですか。時代が変わるなかで、高専に求められるものも変わってきたのか、とイメージしているんですが。 

  

山下 ええ。私自身、変わりゆく中を生きてきました。高専はその成り立ちからして、文科省管轄の他の教育機関と異なる側面が多く、チャレンジできることも多い学校制度です。そこで、この制度をさらに進化させるべく、本学会が設立されたというわけです。 

 

いまでは日本の高専制度は海外でも高く評価されて、海外高専へと展開しています。日本は、モンゴルやタイ、ベトナムの3カ国を中心に、高専のカリキュラム設計や教材開発、教職員研修などのサポートを行っています。  

 

高専学会公式サイト 
https://jact.sakura.ne.jp/ 

 

高専学会では、研究助成も行っています。また、研究会活動の活発化にも、力を入れています。会員が中心となって、それぞれの研究分野を持ち寄って高めていこうというものです。一般教育科目、人権教育、留学生対応教育などにかんする研究会が立ち上がっています。  

▎KOSEN EXPOでも注目された「スマートオフィス構想」  

星野 ダンクソフトで働く2名の高専卒業生は、デジタル・ネイティブたちです。40周年プロジェクトの物語にも書いていましたが、中学生のときに初めてスマホを手にして、ものすごい衝撃を受けたそうです。彼が言うには「徳島という田舎から、世界が見えることに驚いた」と。彼らはデジタル・ネットワークを駆使して、自分から学びにいく力をすでに身につけています。社会を変えて未来をつくっていくのは、きっと彼ら若者たちだと感じています。 

  

株式会社ダンクソフト 開発チーム マネージャー  竹内 祐介  

竹内 私は2018年から阿南高専で非常勤講師をしていますが、そこでは教員も生徒も、顔を合わせれば「技術の社会実装」という言葉を口にします。技術を社会問題の解決にむけて役立てようという意識を、みんながもっていますね。 

  

星野 昨年、オンラインで開催された「KOSEN EXPO2022」もその一環でした。あのイベントは、「研究・教育の成果の社会実装を目指す高専」と「高専の技術やアイデアを活用しながら課題解決を目指す企業・団体等」とのマッチングをはかるものでした。 

  

竹内 「KOSEN EXPO2022」では、新卒の2人が大活躍しました。特設ウェブサイトの制作からプロジェクトの発表まで、彼らがすべて担当してくれて。テーマは「ふるさとの未来をつくる、スマートオフィス構想」。発表も上々でしたし、ウェブサイトもかなりの閲覧数があったようです。 

 

星野 ダンクソフトでは「スマートオフィス構想」を提唱しています。インターネットを上手に利用して、クリエイティブに仕事ができるビジネス環境を各地につくろうというものです。これにより、首都圏への一極集中を緩和して、地方にいてもやりたい仕事を選んで働ける環境を実現していくことができます。地域には、学校を卒業してもそのまま地元に残りたい若者がいます。その場合でも、デジタルがあれば、地域にいながらにして、日本各地や世界各地と連携・協働できるしくみを、整えることが可能です。そうすれば、日本は地域から変わっていくはずです。 

徳島県の阿南高専を2022年に卒業、物語プロジェクト最年少受賞者の濱口航貴(ウェブチーム)が直面した「未来社会」を描く難しさとは

https://www.dunksoft.com/message/2023-03  

若手の活躍が光った「KOSEN EXPO 2022」 

https://www.dunksoft.com/message/2022-12 

▎都心への一極集中ではなく、地域にいても働ける未来 

星野 高専生は企業からも引く手あまたですよね。ですが、彼らの就職先が都市部に偏ってしまう現状は何とかしないといけません。本人が東京へ出ていきたいのならもちろんよいのですが、本当は地域に残りたいのに、仕事がないからやむなく都市部へ出ていってしまうのは、地域の未来にとっても、もったいないことです。「スマートオフィス構想」は、高専卒業生が地元に残り活躍するスキームのひとつになるものだと考えています。 

ダンクソフトは2011年の東日本大震災をきっかけに、“場所を問わず働ける”リモートワークの実験を始めました。コロナ禍を経て、全員リモートワークが基本となっています。 

  

山下 全員がリモートワークというのは画期的ですね。  

  

ふるさとの未来を創る、竹内祐介の物語

https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi  

竹内 私もいま、徳島の自宅から参加しています。私が入社した2012年は、徳島でリモートワークの実証実験が行われていたタイミングでした。私は徳島出身で、就職してからも徳島で働いていましたが、初めての子どもが生まれる直前に転勤を言い渡されてしまって。子育ては地元でしたかったので、退職せざるを得ませんでした。 

  

土井 竹内さんには長らくお世話になっていますが、そんな経緯があったとは知りませんでした。  

  

徳島県神山町でサテライトオフィスの実証実験(2012年)

竹内 そうですね。そこで出会ったのが、徳島県神山町でサテライトオフィスの実験をしていたダンクソフトでした。古民家で、数名のスタッフが東京本社とビデオ会議をつないで業務を行っていたんですよ。いまから10年以上まえですから、その姿にはびっくりしました。こんな働き方があるのか、と目からうろこでした。そこで東京まで直談判しに行き、徳島サテライトオフィスをつくってもらって、徳島で働けることになりました。  

 

▎各校固有の「知と技能」をデジタルで結ぶ  

株式会社ダンクソフト 代表取締役社長 星野晃一郎 

星野 いまのデジタル・ネイティブ世代は、オンラインでのやりとりは小さいころから慣れています。ですから、リモートで働くことになんの違和感もなく適応できます。これは私たちの世代とはぜんぜん違いますよね。若い方たちはすばらしい強みをもっていると思いますよ。「スマートオフィス構想」で、そんな彼らのポテンシャルが、より活かせるようになると考えています。 

  

山下 リモートでの連携や協働といえば、高専学会でもこれから考えていることがあります。それは、インターネットを使って、各高専が誇るスペシャリストの技を、全国の高専で共有できないかということです。 

 

というのも、どの高専にも名物先生がいて、持てる技術や高い技能を伝えるために工夫を凝らした実験や実習を多く取り入れたカリキュラムを組んでいます。それは素晴らしいことである一方、現状では各校固有のものになっています。これらを、全国高専で共有していきたいのです。 

 

現在のVRやARの技術を使って、たんなる座学の“視聴”を超えて、“実体験ができた”と実感できるレベルで体験できないか。たとえば阿南高専の生徒が、私のいる木更津高専の実習を“体験”するといったことを、将来的に実現させたい。技術者の将来と日本の未来という意味でも。一朝一夕でできることではなくとも、きっと近い将来に見えてくる未来の姿だとも思います。 

 

インターネットやデジタルの力を活用した遠隔コミュニケーションについては、ぜひダンクソフトさんとも知恵を出しあっていければと思います。  

  

星野 嬉しいです。この対話の場そのものが未来ですね。ぜひともいっしょにチャレンジしていきましょう。 

  

▎効率化は、クリエイティビティのために  

星野 高専学会様には「ダンクソフト・バザールバザール」を導入いただいています。ご使用になってみていかがでしょうか。 

 

日本高専学会 理事 土井智晴さん 

土井 おかげさまで、いまのところとても助かっています。日本高専学会では、2022年に、会員組織の運営効率化のため、バザールバザールを導入しました。それまで300名ほどの会員にむけて封書で案内していたため、かなりの手間とコストがかかっていました。それが、システム導入後はその書類封入作業から解放されました。めざましい効率化とコスト削減になりましたね。 

  

山下 コロナ禍もあり、オンライン化が一気に進みました。おかげで経費をかなり削減できました。効率化によって得られた予算で、学会内で力を入れていきたい先述の研究会活動へ、助成制度を進めることができました。これは、うれしいことのひとつです。研究助成を得た先生方からも、研究会の新提案が増えるなど、さらに研究会活動が活発になることを期待しています。 

  

土井 そのほかにも、管理者がそれぞれのPCで管理していた会費情報・会員情報をバザールバザール上に移すことができました。セキュリティの観点からも、管理の見直しとクラウドを使うことを求められていたのですが、今回それが実現できて、ほっとしました。 

 

ダンクソフト・バザールバザール
https://dbb-web.bazaarbazaar.org/ 

また、バザールバザールは会員管理に役立つだけでなく、会員同士の情報共有や情報交換にも使えます。とくに研究会会員どうしの意見交換や対話に有効ですね。最近は、より便利な機能が加わって使いやすくなったおかげで、バザール内に設けた研究会のコミュニティで、参加者からの発言が増えてきています。 

 

星野 業務の効率化が進んで、研究という本来の業務に割く時間や費用がうまれたり、オンラインでの談話や対話が活性化したりしているのですね。まさにバザールバザールが目指すところです。よりよく使っていただいて、ありがとうございます。  

 

日本高専学会では、会員を募集しています。

↓入会案内はこちらをご覧ください。

https://jact.sakura.ne.jp/enter/ 

▎ソフトウエアと集会が、イノベーションを創出する 

土井 じつは高専学会だけでなく、私の勤務先であり母校でもある大阪公立大学高専の同窓会にも、バザールバザールを導入させていただきました。毎年160名の卒業生ほとんどが同窓会に加入します。卒業すると学校とのつながりが切れてしまいがちですが、これからはバザールバザールが、卒業生たちを結び、コミュニティをより活性化していってくれそうだと期待しています。   

 

竹内   高専学会さんは、バザールバザールをお使いになるなかで、「使ってみてこうだった」とか「こんな機能がほしい」など感想やリクエストをくださいます。お互いに対話を重ねることで、ともにシステムをよりよくアップデートしていけることをありがたく感じています。   

  

星野   毎年160人ということは、20年後には、大阪公立大学高専の同窓会メンバーだけでも3000人を超えるわけですね。イノベーションは、多種多様な方々がかかわる場所から起きていきます。バザールバザールによって、日本中の高専卒業生がネットワーク上でつながる環境がうまれたら、そこからたくさんのイノベーションが起こる予感がします。 

  

▎協働を通じて地域イノベーションのさざ波を   

星野 土井先生はロボット工学がご専門ですね。未来の展望をどうご覧になっていますか? 

 

土井 いま世の中は、ChatGPTなどAIを使ったソフトウエア開発がブームですよね。いわば、アタマがますます充実しているわけです。私は専門がロボット工学です。神戸で毎年夏に開催する「レスキューロボットコンテスト(※)」の実行委員もしているものですから、機械出身の人間から見ると、どうもアタマばかりで、カラダがついていっていないように感じます。これから先、脳や情報といったソフトウエアばかりでなく、機械や実物をつくっていくハードウェアの力も引き続き重要で、重視すべきだと考えています。 



※ レスキューロボットコンテストとは、防災・減災に関する社会啓発およびロボット技術を通した人材育成を目的とし、災害救助を題材としたロボットコンテストです。2001年から毎年夏に開催されています。

↓レスキューロボットコンテストについては、こちらをご覧ください。https://www.rescue-robot-contest.org/ 



星野 おもしろいですね。じつはダンクソフトはもともとハードウェア開発から始まった会社でした。そんなこともあって、私もハードには関心があるのですが、ロボットはこれからますます研究が進んでいくので、注目しています。ロボットとインターネットが合わされば、ものすごく可能性がひらけていきますよね。 

  

ダンクソフトはデジタルの会社ですが、「人間と機械と自然の協働」に注目しています。たとえば、森づくりなど森林保全の取り組みをする団体と連携もしています。土井先生のお話をうかがって、たとえば人が立ち入りにくい森のなかにロボットが入って、人間がリモートで木を伐採し、それによって森林問題の解決につながる未来が、もう目の前にきていると期待が高まりました。 

 

あとは、やはり介護ですね。私の場合は、ぎりぎり介護ロボットが間に合って、90歳になっても鉄腕アトムに担いでもらって世界中を飛び回れるだろうと、真面目に思っていたりします。ともあれ、これから目指すべきは「アタマとカラダの融合」ですね。 

 

竹内   どれだけデジタルが発達しても、人間が肉体をもっている以上、リアルなものはかならず残ります。ですから、ソフトウエアはリアルな場をいかにサポートできるかということが、今後より重要になってくると思います。私も大学で専攻したのは材料系だったので、ハードウェアの重要性も楽しさも、お話を聞いていてそうだなと思います。 

 

土井   この国はたぶんかなりテクノロジーが好きなのだと思います。私がいる大阪の堺には有名な仁徳天皇陵という前方後円墳がありますが、ピラミッドと比較される建造物が、なぜあの場所にあるのか、いろいろ調べてみると理由があり、そこから日本人の新しい技術に対する好奇心のようなものが見えてきます。新しいもの好きがいて、古いものを大切にする人もいて、それが融合して時を経ると、新しいテクノロジーとなって出てくる。だから焦ることなく、日本人らしいものを生み出していけばいいと考えています。 

 

星野   山下先生、土井先生のお話をうかがって、テクノロジーによる明るい未来を感じました。それとともに、日本の将来を考えると、都市部だけに活気があるのではなく、それ以外の地域各地をよりよくしていくことも必要不可欠です。このとき、技術が、地域社会に貢献できることは、たくさんあります。さまざまなコストを下げることはもちろん、人と人をつなぐことや、人間とロボットをつなぐことも、そのひとつですよね。 

 

ですので、テクノロジーに明るい先生方や高専生の皆さんが、さらに社会と接点をもち、その技術や技能をもって、地域の課題・問題を解決していくことで、高専の価値は、さらに高まると思います。たとえば、そうした試みのひとつが、阿南高専の「ACT倶楽部」ですね。ですので、一方では、ソフトとハードを切り離さない「技術イノベーション」を進めること、そして他方では、“技術と社会”が接点をもち、高専を起点に「地域イノベーション」のさざ波を広げていけるよう、私たちも、これからも一緒に協働していけるといいですね。本日は、ありがとうございました。 

40周年「ダンク感謝祭」は、集い、出会い、次の“はじまり”をつくる場

ダンクソフトはこの7月に40周年を迎えます。今回のコラムでは、40周年に向けて、これからどんなことをしようとしているか、いま考えていることをお話しします。ぜひ皆さんと、この節目を起点に、未来にむけて連携していきたいと思っています。  



▎「物語プロジェクト」と「感謝祭」を並行して実施 

 

今年7月に、ダンクソフトが40周年を迎えます。このタイミングで、「感謝祭」を実施したいと考えています。 

ただ、一般に日本ではバーゲン・セールのようなものを感謝祭と称することもありますが、そういう意味じゃないんですね。 

謝意を伝えたいのは、わりと広い範囲でして――直接のお客様はもちろん、スタッフ、その家族、お客様の先にいるお客様……といったステイクホルダーをイメージしています。 

さらに、いわゆる自然の恵みもあってビジネスや地域活動も可能なわけで、そういった地球環境のような「自然資本」も感謝祭の対象ですね。一連のシリーズにして実施できるようにと、各担当者たちが企画しています。というわけで、わりと広いスコープで「感謝祭」をとらえてるんですよ。 

 

それと、ダンクソフトでは、いま、「物語プロジェクト」が3つのレベルで進行中です。 

3月の社長コラム『ダンク史上初、つくりたい未来の物語が集結 』はこちら。
https://www.dunksoft.com/message/2023-03

まず第1に、スタッフ一人ひとりによる、未来志向の物語づくりです。これは先月のコラムでご紹介しました。 

 

ただし、これでは個人語り、つまり「点」ですので、これを「面」にしたいんですね。そこで、部署を超えたメンバーたちが、お互いの物語をつなげあおうと、対話ベースで、意見や感想をフィードバックしあっています。つまり、個々の物語をリンクしあって「物語の結び目」をつくるのが、第2のレベルです。 

 

さらに第3の動きとして、ダンクソフトの「サービス」を物語化するプロジェクトも動き始めています。いままで機能については語ってきたのですが、それだけでなく、未来志向で、もっと別の語り方もできると思っています。 

 

ということで、「物語プロジェクト」と「感謝祭」を、2重らせん的にからめながら、並行して進めていこうと思っています。  

▎「感謝祭」という名前のきっかけ 

 

「感謝祭」というネーミングを最初に使ったのは、昨年10月のことでした。<高専エキスポ>に参加したときでした。ちょうどハロウィンの頃のイベントだったのですが、謝肉祭というのもちょっとそぐわないな、と思いまして、そこではじめて感謝祭と銘打ったんですね。 

 

「神田藍の会」についてはこちらをご覧ください。
https://yushin.wearee.jp/kanda-ai 

最初に「感謝祭」というネーミングを使っていたのは、<神田藍の会>を一緒に推進している一般社団法人遊心の峯岸由美子さんでした。峯岸さんのおっしゃる「感謝祭」は、会の皆さんはもちろんのこと、それだけでなく、自然の恵みをはじめ、あらゆるものに感謝する祭、という意味でした。それを聞いて、なるほど、それはいい表現だと思いました。そこで、私も参加している<神田藍の会>で、12月10日に「感謝祭」を行いました。 

 

翌日11日には、ダンクソフトのコミュニケーション・サービス「WeARee!(ウィアリー!)」をテーマに、オンラインでの感謝祭をやってみました。考えてみると、昨年11月のサイボウズ・デイズへのイベント出展も、お客様に感謝するという意味では、「感謝祭」だったと言えるでしょうね。  

▎「バザールバザール」は業務効率化と集会のためのツール 

 

7月から40周年目がスタートしますので、いろいろな切り口で、お客様、パートナー、さらにその先にいる方々のアイディアも取りいれながら、楽しい感謝祭をご一緒に企画していきたいと考えています。 

 

「ダンクソフト・バザールバザール」についてはこちらをご覧ください。
https://dbb-web.bazaarbazaar.org/ 

感謝祭を通じて、結果として、皆さんにとって、関係づくりとコミュニティの活性化につながることを期待しています。そこで、ひとつの案として、いま、「ダンクソフト・バザールバザール」という製品を使って、インターネット上に皆で集える“グラン・バザール”をオープンしようと検討しているところです。 

 

「バザールバザール」は、バザール=市(いち)という名前のイメージ通り、もともとは安心して出会える場をイメージして、つくりました。 

 

機能としては2つあって、「効率化ツール」兼「集会ツール」なんですね。これはもともと、団体運営の事務効率化から出発したツールなんです。業種はなんであれ、事務作業はだんだん煩雑になっていきますから、「効率化」は大事ですよね。これが第1機能です。 

もうひとつ。歴史を見ると、何かが新しく起こるときって、「集団」ベースじゃないですか。大学の発生も、政党の発生も、企業の発生も。なので、いまは時代的にもイノベーションが必要なので、ネクスト・パンデミックとかにも関係なく、人が集まったり、出会ったりできる「集会ツール」にしたいんですよね。それが「バザールバザール」の第2機能です。「集会なくして、イノベーションなし」ですから。 

ただし、ただ不特定多数の人たちがやってきても、“不安な場”になるだけですよね。なので「バザール」上では、知り合いの知り合いとか、誰かの紹介とか、なんらかのつながりをもった人たちが集える、“安心できる場”になることを目指しています。  

▎インターネット上にみんなが集う“グラン・バザール”を 

 

この「バザールバザール」を、ダンクソフトと関わりのある方々に開放して、40周年だからこそできる集いの場 “グラン・バザール” を企画しています。 

 

「ダンクソフト・バザールバザール」開発チームによるダイアログも、合わせてお楽しみください。プロダクト、サービスに対する考えや思いを語っています。
https://www.dunksoft.com/message/engineering-next-vol1 

コロナ禍では、なかなか気軽に人とリアルに会えず、関係が希薄になるということがあったのではないでしょうか。また、オンラインで不特定多数の人々とつながってしまえるからこそ、発言がしづらかったり、発言が商用利用されることを懸念したり、ということもあるでしょうね。「バザールバザール」という、個人情報保護もしっかりしていて、広告・宣伝が一切入らない、“安全なバザール”(インターネット空間)の中なら、皆さんに楽しく集まって、遊んでいただけると思うんです。 

 

そこは、お互いのケミストリーもよく働き、のみならず、よい偶発が起こっていく。人と人がつながるきっかけも、たくさん生まれていくでしょう。ダンクソフトを通じて、新しい出会いや対話が生まれ、次へのアイディアが生まれる “楽しいバザール” ができればと考えています。 

 

「ACT倶楽部」についてはこちらのコラムをご覧ください。
https://www.dunksoft.com/message/2021-11 

具体的には、40年間のダンクソフトの歴史を通じて関わりを持ってくださったお客様やパートナーにアカウントを用意して、バザールに参加していただけるようにしていきます。現在ダンクソフトの製品やサービスを使っていただいているお客様はもちろんのこと、かつて使ってくださった方々、ダンクソフトが中央FMでスポンサーしているふたつの番組のリスナーさんたち、スタッフや登壇者、徳島ACT倶楽部のメンバーといった皆さんにも入ってもらえると、場が多様化して面白くなりそうです。  

▎希薄になったコミュニティ:東京のご近所付きあい事情 

 

最近、吉祥寺に引っ越したスタッフが、ご近所へ引っ越しの挨拶に回ろうとしたら、一軒も出てきてくれなかったとのことでした。その話を聞いた別のスタッフも、引っ越しの挨拶で、誰も応答してくれなかった経験をもっていました。 

 

現代の東京らしいエピソードではありますが、残念なことですね。きっとできるだけ人と顔を合わせたくないのでしょう。コミュニケーションを断つ方向に進んでいるようにみえますね。 

 

以前から、強盗や詐欺など凶悪な事件がありますから、防犯上、警戒するのもわからなくはありません。ただ、隣近所に誰が住んでいるのかもわからないのは、特に「防災」の観点から考えれば、あまり良い状態とはいえません。  

▎離れていても、声をかけあえる関係がある豊かさ 

 

“グラン・バザール” は、これとは逆をいく動きです。「感謝祭」もまた、そういう風潮とは逆の方向に向かうものです。 

 

昨今の異常気象や災害状況などを見ても、互恵的なコミュニティが維持され、活性化されるかどうかは、私たちにとって今後の死活問題です。それがデジタルの登場によって、新しい形の活路が見えはじめています。つまり、離れていてもコミュニケーションがとれて、サポートができる。そうなってきたんですね。 

 

ダンクソフトでは、さまざまな製品・サービスを提供しています。それは一見、バラバラなことをしているように見えるかもしれません。ですが、実際には皆さんと共に「デジタル・デバイドの解消」を行い、そこからさらに「コミュニティの活性化」へ向かえるよう、支援するということが、共通のテーマになっています。感謝祭を通じて、またグラン・バザールを通じて、知らなかった良いサービスや、その上手な使い方、デジタルを日常に取りいれるコツなども、知っていただくきっかけになればと思います。 

 

感謝祭やグラン・バザールの先には、「スマートオフィス構想」の推進というビジョンがあります。いまや、インターネットが生活の中に溶け込んでいて、人との関係やネットワークがあれば、場所を問わず、若い人たちが住みたい地元を離れずに仕事ができるようになりました。画期的なことです。これからは、私たちと地方との関わりがさらに増えて、東京でも地方でも、色々な展開が増えてくるだろうと思います。 

 

先日の誕生日に、ソーシャル・メディアでたくさんのお祝メッセージをいただきました。まだお返ししきれていないのですが、北海道から沖縄まで、またスペインからもメッセージがとどきました。デジタルがあるからこそ、こうして離れていてもコミュニケーションがとれるわけで、今までなら経験できなかった豊かさを実感しています。 

 

昨年オープンした「40周年特設サイト」にも、さまざまな方からお祝いメッセージをいただいています。40周年を迎えるのが今年2023年の7月。ここからさらに、よりよい未来をつくっていきましょう!  


ダンク史上初、つくりたい未来の物語が集結

ダンソフト40周年企画のひとつとして、2022年から、社内で「未来の物語」を描くプロジェクトを実施してきました。2023年1月に集まった物語は、全部で実に20作品にのぼります。これらを読み合い投票する社内コンテストを行いました。今回は、受賞者4名とプロジェクト担当者を迎えて、今回のプロジェクト、そして、この先の未来について語り合いました。 

 

最優秀賞     野田周子(ウェブチーム) 

役員賞(板林賞) 大川慶一(企画チーム) 

役員賞(渡辺賞) 濱口航貴(ウェブチーム) 

役員賞(星野賞) 港左匡(開発チーム) 

 

プロジェクト担当 澤口泰丞(開発チーム) 

代表取締役 星野晃一郎 



▎ダンク史上初の快挙、“こんな経験は40年間で初めてだ” 

 

星野 何度か話していますが、最初は有志数名だけで物語を書くことになるかと予想していたんです。それが、澤口さんの「いや、全員で書くんだ」という発言から、全社プロジェクトになっていきました。しかし、ここまでになるとは思ってなかったですね。 

 

澤口 会社の未来を考える時に、一部の人だけが考えた未来に乗っかるような状況ってすごく怖いなと、まず思ったんです。そうならないために、一人ひとりみんなが会社の明るい未来を考えてもらいたい。そのためのきっかけになるという意味で、物語を書いて未来を語るという今回のプロジェクトは、意義のあることだったと思います。 

 

星野 こうして未来語りの物語をお互いに交換し、物語を介してお互いを深く知ることができたというのは、チームとして相当頼もしいですよ。ひとつ言えるのは、ダンクソフト40年の歴史の中で、社内の人たちがこれだけお互いを知ったのは初めてだということです。こんな経験は私もしたことがなく、ダンク史上初の快挙です。ここからチームがどうなっていけるか、40周年を迎える7月に向けて、すごく楽しみにしています。 

 

澤口 私自身、何度も感動することの連続でした。まずやはり20作品ができあがったこと自体が嬉しく感動的でしたし、読み込んでみると、一つひとつが本当に素敵で、また感動しました。さらに、賞を選ぶ投票の段階でも、多くのスタッフが投票に参加してくれたことにも感動しましたし、かつ投票に添えられたメッセージにも感激しました。 

 

代表取締役 星野晃一郎 

星野 ここまでの数が集まるとはね。年末の仕事納めの時点で見たときは8本だったんです。ところが、1月4日の仕事始めの日に開けてみたら、いきなり20本が提出されていて。すごいですよね、これって。 

 

澤口 最初は最優秀賞ひとつだけの予定でしたが、「これだけの数が集まったし、しかも力作揃いで、賞がひとつだけではもったいない」ということになり、急きょ役員賞を追加してもらいましたね。ダンクソフトには役員が3人いるので、新たに賞が3つ増えて4つになりました。今日は受賞者の皆さん4人に集まってもらいました。  

▎未来社会を描く難しさ。ここから VR の未来はどうなる? 

 ──まずは今回の最年少受賞者の濱口さんです。徳島県の阿南高専を2022年に卒業し、春に新卒入社してまもなく1年。今回、役員賞(副社長・渡辺賞)を受賞しました。 

 

濱口航貴(ウェブチーム)

濱口 私の物語は、中学時代に初めてスマートフォンに触れて、文明的なものを感じたエピソードから、やや SF 的ともいえる未来社会へと向かう、という内容でした。中学時代、家ではスマホを持たせてもらえなくて、親に内緒でスマホを入手しました。初めて文明に触れた経験でした。徳島という田舎で生まれ育って、それまで家と学校の往復だけが世界だったんです。だから、スマホとの出会いはすごい衝撃でした。初めて都会の人たちと同じ情報に触れ、同じものを享受できたという感覚です。これがIT分野と出会った原体験となって、今の自分があることを物語に書きました。 

 

星野 濱口さんのその興奮はわかる気がしますね。私が初めてインターネットを体験したのが、たしか1993年頃。当時はニフティー・サーブの時代で、あの頃のブラウザは、たしかモザイクだったかな。世界に窓が開いた興奮を、よく覚えています。 

 

濱口 スマホ以前は何も持っていなかったので、逆に感動が大きかったかもしれません。それまで情報を得るといえばテレビぐらいしかなかったところから、いきなりインターネットに触れたので。 

 

星野 濱口さんが出会ったスマホですから、相当完成された状態のデジタルを、最初にいきなり見たわけだからね。 

 

濱口 はい。僕の物語の結末は、未来社会がどうなっているかを思いつくまま書いたものでした。その世界では、VRやアバターを当たり前に使って仕事をしている想定です。ただ、個人的には、実際にはこの方向でVR が進化することはないだろうと思っていて、そう思いながら書いたところがあります。 

というのも、未来の姿がまだ想像がつかなくて。今のVRは、VRゴーグルをつけて3Dでモデリングされた世界を目視することができるものです。でも、まだその空間で移動する方法が明確に定義されていない感覚があります。いわゆるゲームでいうところのコントローラーができる前のような状態なんじゃないかと思っています。 

なので、その VR 空間でどういうふうに立ち回るかが確立されてみないことには、実際にどのように実用されていくのかが思い描けなくて。仕事でコミュニケーション・ツールとして使うなら、VR ゴーグルをつけて何かするよりも、現在のビデオ会議の方が効率的です。どういうところで VR がビデオ会議を上回るのか。離れたもの同士が会議をしているというような方向性ではないんじゃないかと思いつつ、あえてフィクションとして書いてみた、という感じです。 

 

澤口 今回、「ダンクソフトの未来像」をみんなで考えていくにあたって、一人ひとりの未来が合わさったものが会社の未来になっていってほしいと考えました。みんな苦労しながらも、会社と自分の「未来」について、すごく考えて書いてくれましたね。 

 

濱口 物語を書く上で困ったのは、まさに未来の部分でした。実は色々な未来シナリオを書いて、何回も書き直してみたんです。でも、何度書いても「これは違うな」という未来しか書けず、それで「こうはならないな」と思う未来を描くことになってしまいました。今回の僕の物語の反省点はそこで、つくりたい未来像を描き切れなかったことでした。 

物語を書いてよかったことは、自分が過去に歩んできた道をあらためて振り返るきっかけになったことと、未来について考えられたことです。日頃はやはり、どうしても目の前のことに集中することが多いので、改めて先の事を考えるよいチャンスになりました。今回は、つくりたい未来について書ききれませんでしたが、引き続き、もっともだと思える未来像を書けるようになっていきたいです。 

 

大川 濱口さんも港さんもすごく若くて、自分とは離れた世代の若者です。そういう方たちがどういう視点で物事を見て、どういう経験をしてきたのかを、今回、物語を通して詳しく知ることができました。率直な感想として、共感しました。そこに書かれていた子供時代のときめきや行動原理は、私自身も同じ年頃の頃に感じていたものと近く、親近感を持ちました。  

▎過去の延長ではなく、そうあってほしい未来を描く 

──続いて、濱口さんと同時入社、同じく阿南高専出身の港さんです。役員賞(社長:星野賞)を受賞しました。 

 

港左匡(開発チーム)

 私の物語は、自分の過去の経歴をたどり、今後どうなっていってほしいかという未来について書いたものです。前半の振り返りパートは、高専に入った頃の話からダンクソフトに入って仕事をしている現在あたりまで。後半は、未来ということで、まあ、好き勝手に書きました(笑)。私も濱口さんと同じで、未来で自分が具体的に何をしているかを書くのは難しかったので、未来がどうあってほしいかを想定して、どう働いているかの観点で書きました。 

内容としては、メタバース的な社会の姿を、「なるべくそうあってほしい」という観点で書きました。バーチャル空間というか、デジタル技術を使った働き方が標準になっていってほしいということですね。また、そのなかで、ダンクソフトは新しい技術をどんどん取り入れていく積極的な姿勢をいつまでも保ったままの企業であってほしい、というようなメッセージを書きました。 

ただ、僕もこのままではメタバース空間で仕事はできないと思っています。具体的には、入力デバイスが、現状のキーボードやタッチ・ディスプレイなどのままではダメで。濱口さんの話にもゲーム・コントローラーの話が出ていましたが、もっと根本的にひっくり返すような何かがないと、このままでは使いづらいです。それをどう解決できるのかというと、ひとつは軽量化ですね。今のヘッドフォンくらい身軽なもので、VR空間に入っていかれるぐらいの軽さが欲しい。現状だと、トラッキング・センサーなど大掛かりな装置が必要なことが、今の技術的限界なので、今後それがどうなるか。うーん、わかりません(笑)。 

 

星野 港さんが書いた物語を初めて読んだのは、私と入江さんなんですよ。去年の全社会議でチームが同じだったんですね。そのときにみんなで物語を書き始めたわけですが、これは面白いなと思いました。だって港さんの物語なのに「私は竹内祐介です」から始まるんですよ。もうその時点で実際にイメージも浮かぶし、何が始まるんだろうと先が期待されて。その書き出しがよかったのと、全体の構成も構造的で、そこも良かったです。 

 

 物語の始まりは会話で書いた方が良いというのを聞いたことがあったので、自分としては特殊なことをしたつもりはなかったんですが(笑)。 

書いてみてよかったのは、よい振り返りの機会になったことです。過去の自分は、ある意味で他人だと思うので、そういう意味では、書く方も読む方も含めて、他者の経歴を知る、とても良い経験になりました。 

苦しかったのは、過去の厳しかった経験と向き合うことでした。結局、辛いことばかり書いても仕方ないと考えて、ばっさりカットしました。あと、書く内容や構想自体は頭の中でイメージできても、それを実際に文章に起こすことに時間がかかり、なかなか難しかったです。今後推敲していくとしたら、未来の部分で自分が何をしているかを膨らませると、もっとバランスがよくなっていくかなと考えています。 


野田 高専に進学する人は、中学の時点ですでに将来を考えて、高専という5年の道を選んでいるだけあり、港さんも濱口さんも、未来社会の姿をよく描けていましたよね。普段の仕事ではチームが違うのですが、松江のワーケーションに参加したとき、松江と徳島をオンラインでつないで、おふたりのプレゼンを聞く機会がありました。こうして物語を読ませてもらったりして、ふたりともプレゼンも文章もうまく、吸収力と行動力のある方たちであることがよくわかります。 

 

大川 私も普段はチームが違うので関わりが少ないのですが、こうして物語を通しておふたりの経験や思いを詳しく知ることができてよかったです。皆さんの物語を読んでいると、港さんも濱口さんも野田さんも、ダンクソフトに今こうしてみんながいることが、奇跡的だなと感じました。  

▎心に抱えた歯がゆさが、物語をつくることで昇華された 

──次は、最後の役員賞(取締役:板林賞)、大川さんです。 

 

大川慶一(企画チーム)

大川 昨年5月に祖母が亡くなりました。私はそこを起点とする物語を書きました。享年99歳、あと1年で100歳だったのですが。昨年はコロナ禍まっただなかだったので、祖母が倒れて入院したと聞いて病院に行っても、直接には会えません。リモート面会しかできないんですね。そのまま何ヶ月か通い続けたのですが、ずっとリモート面会のまま。結局、祖母は最後まで、画面越しに映る私たちを家族として認識できませんでした。こちらが言葉をかけても、伝わっているという実感も、励ませているという手応えもなく、歯がゆい思いをしているうちに亡くなってしまいました。 

これまでダンクソフトで、リモートワークや年配の方々のデジタル・ワークをサポートする仕事をしていたにもかかわらず、灯台下暗しで、一番身近な家族に対してケアができていなかった葛藤がありました。そこから、未来につなげていきました。世の中的にも、世代がひとつ上がると、もう見えない領域というか、手付かずのまま問題が置き去りにされていることに気づき、これまでITに触れる機会のなかった高齢者に何かアプローチできないかと考え、行動を起こしていく、というのが物語の流れです。 

最終的には、高齢者施設で、IT機器をつかったコミュニケーションやレクリエーション、またタブレットで絵を描くとか、ツールに慣れる機会を高齢の方々へ提供する事業を進めている未来を、フィクションとして描いた物語となりました。 

 

星野 物語の構造のひとつに、「不足から充足に向かう」ということがあります。大川さんの物語は、ご自身にとって身近な課題、つまり不足からはじめて、それが充足された未来のビジネス・プランを構想したことが、とてもよかったですね。 

 

大川 理想の未来を書くことで、心の中に抱えていた歯がゆさやモヤモヤが、ある程度は解消されたように感じます。このモヤモヤは、自分の中に抱えたままだと、ずっと悔いとして解決されずに残るたぐいのものだったと思うので、文字にして出力できて、本当によかったです。 

港さんは辛い経験を振り返ることが苦しかった、と話していましたが、私はそこには難しさはなかったです。むしろ逆でした。祖母が亡くなった時、亡くなる瞬間に立ち会えなかったこともあって、全く何の感情も浮かんで来なかったんですよ。それが、具体的に物語として表現したことで、ああ、こういう気持ちを発散したかったんだな、という気持ちに、ようやく気づくことができました。 

 

 いろんな世代がデジタル・ツールを使えるようにしようという、「デジタル・デバイドの解消」に向かうビジョンが感じられて、とても共感しました。実は私が投票したひとつが、大川さんの物語だったということを、ここで告白します(笑)。 

 

野田 私もコロナ禍のなかで家族が入院し、面会もできなくなっていく体験をしたので、重なる部分があり、共感をもって読みました。また、高齢者のデジタル・デバイドの現状と、課題解決のための事業提案の必要性が、とても切実な問題として迫ってきました。大川さんの試みが、今後も多くの人に役立つと良いなと思いました。 

 

星野 大川さんの言うように、物語として書き出すことで越えられたり、逆に港さんの言うように、一度書き出してみて思い切って捨ててしまうというのも、ひとつの物語効果だと思います。やはり自分を外に表現するのは大事ですね。今回のことは、それぞれの人が自分自身を振り返り、次を考える、いい機会になりましたね。 

 

澤口 はい。今回、皆さんに物語を書いてもらいたかったねらいの一つとして、お互いのことを知ってもらうということがありました。コロナでテレワーク化が進み、ずっと離れて仕事をしていて、お互いのことが見えづらい状況が続いていました。ですので、同僚を知るためのツールとしての物語ということも、意識していました。物語づくりは、各自が自分や他者に向き合うことでもあり、過去、現在を超えて、未来に向けてこれからどうしていくかを考えることでもあります。このあたりがやはり、物語プロジェクトとして、とても有効だったのではないかと思います。  

▎「偶発性」から始まる、私の物語 

──それではいよいよ最後、最優秀賞の野田さんです。 

 

野田周子(ウェブチーム)

野田 私も基本的には自分の経歴を物語化しました。物語は、私が松江に行ったこと自体が、家族の遺したメッセージとシンクロしていたという偶発性を発端として始まります。そして、人とのご縁や偶発的な出来事がダンクソフトへの入社につながっていったこと。去年、松江でのワーケーションを経験したんですが、その経験やその周りに起きた偶然の出来事を描いた物語でした。 

 例えば、転職時に私を面接した人が同じ小学校だったことが、何十年後かにわかったことや、ワーケーション先の松江で、出向先の企業で仲の良かった出雲出身の方が、実はダンクのメンバーとご近所同士で親しくしているのがわかったこととか。ダンクソフトでは日本全国どこでも仕事ができるので、それが将来は世界に広がっていくという物語になりました。 


大川 野田さんの物語は、ここまで多様な経験をされていること、そしてそれをここまで詳しく物語にされていることがすごいと思いました。なんといっても文章がすばらしくて、めまぐるしくシーンが動くんですね。松江に行くところから始まって、綱渡りのように進んで、最後は奇跡的なめぐりあわせでダンクソフトにたどり着く。とてもドラマチックで面白かったです。 

 

野田 ありがとうございます。物語を書いてよかったことは、何度も皆さんからも話が出ているように、やはり、これまでを振り返ることができたことでした。あんなことがあったな、こんなこともあったな、と懐かしさを感じながら、ダンクソフトで働いている現在までの出来事を辿ることができたのはいい経験でした。 

ただ、私は未来については描けなかったんですよ。大川さんも港さんも濱口さんも、未来が書けていて、すごいと思いました。私の場合は、目の前の現実的なことしか考えられなくて、なかなかそこまでいきませんでした。でも、未来もしっかり考えなきゃいけないなというのが、これからの課題だと分かったことも、今回参加した収穫でした。 

 

星野 実は、私も票を入れました。野田さんはダンクソフトに来る前は旅行関係の仕事をしていて、世界各地を旅行しています。多彩な経験のなかで、いろんなことに挑戦してきた、ものすごいチャレンジャーの物語でした。仕事が大変なときにはバスケットボールをするのが息抜きだという部分などは、私もテニスをしているので、共感しましたね。 

 今回、4人の物語以外も含めて、どの物語も、ボリュームも構成力もよく、読み応えのある物語ばかりでした。ですが、その中でも野田さんの物語は、多くのスタッフからの票を得ることになりましたね。  

▎新しいことへの挑戦が評価されるダンクソフト 

 

星野 今回、澤口さんがいろいろと工夫して主体的に動き、新しいプロジェクトを、ここまでに育ててくれたことは、これからのモデルになると考えています。異なるものやひとのあいだを結び、展開をつくる「インターミディエイター」を、実践したプロジェクトになりましたね。通常の開発者としての業務もあるなか大変だったと思いますが、よくやってくれました。それはきっと誰もが感じていることではないでしょうか。 

 

野田 まったくそう思います。それに、人望のある人でないと、一緒になにかをつくりあげようとは思えないので、そういった面で澤口さんは適任だったと思います。今後もし何か手伝えることがあるなら私も参加できたらと思うので、ぜひ声をかけてください。 

 

濱口 実はプロジェクトの途中の段階で、澤口さんが僕や港さんを含む数人を集めて、意見交換の場を設けてくれたことがありました。そんなふうに若い世代の声も聞きながら、もちろん他にもいろんな人の意見を聞きながら、プロジェクトを進めていかれたのだろうと思うと、本当に感謝しています。 

 

 今回、こうして振り返りの機会をつくってもらえてありがたかったです。また、プロジェクトの進め方自体も素晴らしくて、多くの人に参加してもらう工夫をし、周囲の賛同を得ながらプロジェクトを推進していかれた推進力は、メタ的な観点でもすごいと思いました。他のプロジェクトにも応用できるポイントがいろいろあると思うので、どんな工夫をしたかを、ぜひ共有していただきたいです。 

 

大川 今回、この物語プロジェクトで一番感謝しているのは、物語を交換しあうという形で、社内メンバーとのコミュニケーションができたことです。お互いの物語を読むと、どんどんその人の目線になって想像でき感情移入が進んで、人に対するリスペクトが生まれてくるんですよね。自己紹介やプロフィールの交換では、こうはなりません。すごく良かったです。 

 

澤口 皆さんにそんなふうに評価してもらえて、担当した甲斐がありました。こういう取り組みは、通常のクライアント対応の仕事とは違うタイプのものですが、何か新しいことへの挑戦がこんなふうに評価されるというのは嬉しいですし、大事なことだと考えます。  

▎会社自体がひとつの生命体  



星野 ダンクソフトはもともと私が作った会社ではありません。私は社員番号4番で、4人目に入社したメンバーです。創業から今までに、約130人がこの会社に関わりました。その時その時に在籍した人たちが会社を支え、会社の40年をつくってきました。そう考えると、会社自体が、ひとつの「生命体」のようなところがあります。常に動き変化しながら、動的平衡を保って、イノベーションを起こし続けています。私は経営者ですが、私だけで作ってきたわけではないし、これからはそういう時代でもありません。 

今後は、つくられた物語のひとつひとつを、孤立させずに、それぞれの物語を重ね合わせて、結び目をつくっていきたいものですね。さらに、社内メンバーだけではなく、パートナーやお客様も、物語に登場したり、自ら物語づくりに参加していただきたいと考えています。 

 デジタル・テクノロジーは、この40年で1億倍に成長してきました。この先、さらに進化は加速するでしょう。そこには、恩恵も危うさも、両方あるわけです。ですからそこに、どんなよりよい未来の物語を描けるかが、重要になります。だからこそ、これからはさらに、お客様とも一緒に物語をつくっていくのが必要だと考えています。そして、コ・ラーニングし、成長しあえる組織同士のネットワークが生まれていってほしい。これは私がもっている「コミュニティ」のイメージに通じるものです。お客様や社会と、共に進化、つまり「共進化」しながら、デジタルを使って、よりよい未来や社会がつくれるような流れができればと思っています。 

 


今回の受賞者以外の、ダンクソフトにかかわる人たちが考える「未来の物語」を40周年記念特設サイトで公開しています。
https://www.dunksoft.com/40th-story 

 

計画一辺倒ではない、偶発性からのイノベーション 


今日のテーマは「偶発性」です。偶発性が大事であること、インターネットで偶発が起きやすいこと、それによるイノベーションの可能性についてお話しします。 

▎偶発性の原体験 


昔、こんなことがありました。私が入社3年目の1986年ごろのことです。当時は初代の社長が存命で、自分のチームにスタッフが10人ほどいました。 

 

IT技術者の国家資格といえば、「情報処理技術者試験」です。これを、当時、会社としてみんなで受験してみようということになりました。医師や弁護士と違って、IT業界では資格がなくても仕事はできます。ですが、試験に挑んでみると、自分ができなかった部分がわかるし、できないところを埋めていくことができます。情報処理業界における自分の位置づけや実力もわかります。 

 情報処理技術者試験は、情報処理推進機構(通称IPA)によるものです。今では資格の種類も増えてバリエーションが豊富になっていますが、当時はまだ2種・1種・特種の3つしかなかったんですね。2種が一般的プログラマー、1種は多少設計も含み、特種がシステム・エンジニアでコンサルティングもできる人、という3区分です。他のスタッフには2種を受けてもらい、当時私は部長職に就いていたこともあり、特種を受けようかということになりました。  

▎神田駅前の電話ボックスで出会ったチャンス

 

ところが、秋の試験を目前に控えたその夏、先代が急逝し、急遽、私が会社を継ぐことになりました。社長就任が9月、試験が10月。とにかくバタバタしていて、受験勉強も手のつかない状況でした。 

 

本と出遭った神田の電話ボックスは、現在も神田駅前に存在する。

当時、“半ドン”といって、午前中仕事をしてお昼前に帰るというワークスタイルがありました。ある半ドンの土曜日に、これから帰るよと家に“帰るコール”をしようと、神田駅の電話ボックスに入りました。すると、電話の上に本が置いてありました。B5判でかなり分厚い、雑誌のような本で、誰かの置き忘れたものでした。見ればなんとそれが、まさに私が受験しようとしていた特種情報処理技術者試験対策のテキストだったのです。そんなことってあるんですね。 

 

もう時効でしょうから白状しますが(笑)、そのテキストを持ちかえりました。社長になったばかりの超多忙ななかでしたが、行きかえりの電車の中で、必死にその本を読み込み、試験に備えましたね。  

▎合格率10%の難関に合格、転機となった“特種”取得 

 

試験は10月の天気のいい日曜日に行われました。午前午後と1日がかりの試験です。午後いちは小論文で、400字のものを2つ。午後の最後には、長文の論文で2400字程度の試験でした。そのテキストに、事前にするべき対策が書いてあったので、書かれたとおりに時間制限を設けて、前週に論文を書く予行演習をしていました。3つのテーマから1つを選んで、制限時間2時間。悪筆ですが書くのは速い方なので、当日も1時間ほどで書きあげて提出し、あとは結果を待つばかりとなりました。 

 

当時の特種は合格率が10%ほどで、なかなか受からないものだったんです。待つこと3か月、翌年2月に、郵送で無事に合格の通知が届きました。そのときの合格通知と受験票は今でももっています。かなりの狭き門でもありましたし、合格通知が届いたときはすごく嬉しかったですね。 

 

特種の資格試験に合格したことで、新人社長として自信と手応えも得られましたし、その後の指針になりました。それに、大手企業と直接取引をするときには、資格の有無で評価が異なりました。特種を持っていることで、相手に自分の力を示すことができました。同じ資格を持った先方担当者と対等に話もできて、プロジェクトがスムーズにいくなど、効果を実感しました。  

▎スタッフの思いがけない提案から動き出した物語プロジェクト  

もうひとつ、最近、偶発性から展開したプロジェクトがあります。前回のコラムで取り上げた、ダンクソフト40周年の物語プロジェクトが、そのひとつとなっています。 

ダンクソフトにかかわる人たちが考える「未来の物語」
https://www.dunksoft.com/40th-story 

 

企画当初は、5,6人ぐらいの有志が物語を書けばいいだろうというのが、私の印象でした。それが、ひとりのスタッフの思いがけない提案で、大きな変化が生まれましたんですね。 

 

それは、「経営陣が描いた未来の物語にただ乗っかるのではなく、スタッフみんなに、未来は自分でつくるものだと思ってほしい。だから、未来の物語を全員に書いてもらいたい」という、スタッフからの提案でした。私にとっては、まったく予想外の、嬉しい出来事でした。彼が“理想”を語ったことを機に、昨年以来、全員で未来の物語を書こう!という、予想を超えたプロジェクトに発展していったわけです。 

 

このプロジェクトを通じて、提案した本人は、さらによりよく変化を遂げていきました。また、彼だけでなく、周囲のスタッフにも好影響をもたらし、社内によい変化の波が広がることになりました。結果として、当初の想定を大きく上回って、1月の時点で、20以上の物語が提出されたんですね。スタッフが全部で26、7名ですから、とても高い比率で参加していることになります。 

 

しかし、それにとどまらず、それぞれの描いた未来の物語が、実現に向けてすでに少しずつ動きはじめているのも、いいことですね。7月の40周年を目前に、一人ひとりの参加によって、ダンクソフトにイノベーションの芽が数々生まれています。 

▎インターネットは偶発性を促進する  


もうひとつ、最近、インターネットが、より偶発性をもたらすのではないかと気づくきっかけがありました。 

 

事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル
https://www.dunksoft.com/message/case-kanda-ai

先日開催した神田藍プロジェクトのオンライン・イベントで、いくつかの偶発性が、会に意外な活気をもたらしたのです。 

 

ひとつは、徳島県から出向で東京に駐在している徳島県庁のIさんが、めずらしくアポイントなしで、ダンクソフトの神田オフィスを訪ねていらしたんですね。思いがけないことでしたが、その時にいろいろと話ができて、イベントにもリアル参加していただくことになりました。 

 もうひとつは、オンライン・イベント当日、徳島県神山町に暮らすSさんのFacebook投稿で、神山町でも藍を育てていることがわかりました。このことで直前にやりとりをして、その流れでお誘いしたところ、徳島からオンラインでイベントに参加してくださったんです。その後、ちょうど神山でも藍の種ができているということで、後日それを送ってもらい、いま徳島から届いた藍の種がこのオフィスにあります。 

 

藍を介して、徳島と神田がつながることをイメージしてはいましたが、こんな風にスピーディに徳島の方たちと関わりを持てたのも、オンライン・イベントだったからこそです。素敵なハプニングが起こり、新しい動きが生まれはじめました。 

 

これまでの、オフライン中心のビジネス・シーンでは、そもそも偶発性はなかなか生まれにくいものだったと感じています。オフラインの打ち合わせや会合などを考えると、予定通りの時間と場所に、予定通りの人数で参加することが通常でした。 

 

ですが、インターネットとオンライン・コミュニケーションの発達によって、偶発的な出来事が、よりひんぱんに起きるようになってきているのでは、と体感しています。 

 

オンラインのセッションの時に、たまたまそのタイミングで出会った人に参加してもらうと会話が活性化する、といった経験のある人は、割に多いのではないでしょうか。あるいは、ふと参加してもらった人から意外なつながりが広がったり、その場にとても良い影響をもたらしてくれたりする。私自身も、何度もこうした経験をしています。 

 

また、これも皆さん経験があると思うのですが、ソーシャル・メディアにしてもチャットやメッセージのやり取りにしても、インターネットでのコミュニケーションの中で、なんだか妙にリズムやタイミングがうまく合うなとか、逆に合わないとか、そういう相性やタイミングってありますよね。距離や時間を超えていくからこそ、インターネットは偶発性が促進されやすいメディアなのだと感じています。  

▎イノベーションを生む「偶発」の力  

従来のビジネスでは、偶発性は嫌われてきたんですよね。PDCAをまわす、といわれるように、まず計画を立てることが大事で、計画通りに実行することがよいことだ、と考えられていました。一方、偶発性をとらえて動いていくと、思いがけない方向へ行きます。計画や予想とは違うことがおこります。ですから、「偶発的なもの」は、きっちり計画した通りに実行することに価値を置く人たちにとっては、避けるべきもの、排除すべきものになってきました。 

 

ですが、これからは「イノベーションの時代」ですから、単に計画したことをきちんと実行するだけでなく、偶然起こることを、適宜うまく取り入れていくこと。そこで起こっていることをちゃんと見て、必要なことは受け入れ、次につなげていくこと。こうしたことが大事になっていきます。これは、私の好きな音楽のジャム・セッションやスポーツにも通じるものがあります。イノベーションとは、こうやって、偶発性を起点に起こっていくものではないでしょうか。 

 

さて、いくつかの実際にあった経験をお話ししました。神田駅の電話ボックスで、置き忘れたテキストに出遭ったことも、あるスタッフが、思いがけず理想を語ったことも、まったく「偶発的なこと」でしたが、それを見落とさず、かつ、否定しなかったことで、その後、次々と物事が展開していったわけです。インターネットがいいのは、こうした面白いハプニングに遭遇しやすい場だからですね。 

 

計画は大事ですが、それだけを絶対化しないこと。むしろこんな風に、偶発的な動きをうまく掴むと、それが後から見れば、イノベーションの起点だった、ということがあるわけです。 

 

これから本格化するイノベーションの時代では、計画一辺倒ではない、偶発性に開かれた姿勢が、ますます大事になっていくと考えています。 

 

40周年 年頭所感:「インターネットに よりよいものをのせていく」


新年あけましておめでとうございます。

2023年の年頭にあたり、ご挨拶申し上げます。


 ▎「インターネットに よりよいものをのせていく」 ─ 明日の”ethics”

 

2023年、ダンクソフトは40周年を迎えます。

ここからの40年を考えると、インターネットを前提としながら、さらに目覚ましい速度でテクノロジーが進化していきます。だからこそ、ダンクソフトが大事にしているテーマが、ますます重要になってきます。

 

それは、

「インターネットによりよいものをのせていく」こと。

 

世界が動乱するいま、2023年は、よりよい社会をつくる方向に転じていかないと意味がないと思っています。そのための鍵が「ethics(エシクス、倫理)」です。よりよい社会に向かうためのethicsについて、ダンクソフトだけでなく、デジタルを使う多くの方たちと共に、このことを考えていく。今年はその “はじまりの年” にしていきます。

 

手始めに、ダンクソフトが重視するethicsは何か。さしあたり3つあげるなら、対話、協働、コ・ラーニング(共同学習)です。 

▎「コ・ラーニング」型のワークチームとコミュニティへ

 

社内に目を転じれば、2022年は40周年に向かう記念の年ということで、数々の部門横断プロジェクトを実施しました。これらを通じて、スタッフたちがめざましく成長したことは、ダンクソフトにとって大きなトピックでした。

 

長らく日本企業は人材育成への投資を行ってきませんでした。そんな中、ダンクソフトでは、2006年に初開催した、年に2回の社内プログラム「DNAセミナー」や、これからの考え方を学びあう講義やワークショップなどを実施。スタッフたちは、そこで得た学びを業務やプロジェクトで実践します。こうして、継続してスタッフたちが自然と育つための環境をつくってきました。

 

また、私たち技術者の特性として、常にあたらしい技術の習得を止めるわけにいかない、ということがあります。

 

ただ、学びつづけなければならないのは、デジタルの分野に限ったことではありません。誰もが、よりよい学びに出会って、自らの行動を変えていく習慣がついていれば、複雑・多様なこの時代でも、先を見透して成果が出せるようになっていきます。

  

しかも、これから直面する課題は、一人では十分に対応しがたい複合的なものになっていきます。ですからチームやコミュニティなど、ネットワーク的に解決していくことになります。その際、日本は資源が限られていますので、あらためて一人ひとりの知識的レベルを上げていかないといけない。要するに重要なのは、学びつづけ、それを活かせる人。もっとみんなで分かったことをシェアして、お互いにレベルアップしていくことが大事です。

 

これからは、年齢も関係ないし、住んでいる場所も関係ない。その意味で、対等に問題解決の場に参加する時代になりました。デジタル・ネイティブとも呼ばれる若い方々のクリエイティビティも存分に活かしながら、コ・ラーニング型のワークチームとコミュニティをつくっていきたいものです。

 

ここで重要なのが、「リバース・メンタリング」の考え方です。年長者が若い人たちに上から知識を教え込む時代は終わりました。これからは、それが逆転して、若い世代から学びとる時代です。彼らを教育するのでありません。むしろ、コ・ラーニングを通じて、お互いに変化していくことを目指していきたいです。それが互いの可能性を引き出し、イノベーションへとつながるからです。 

 ▎「スマートオフィス構想」の目的は、人々を幸せにすること

 

そこで、「スマートオフィス構想」です。日本は課題先進国といわれますが、ということは、日本だけでなく、いずれは世界中が似たような生活課題を抱える状況になっていきます。そのとき若い人たちとともに、そしてデジタルを使って身近な課題を解決していく場が、「スマートオフィス」です。あまり移動しなくても世界中をマーケットにして、高いレベルでビジネスができる流れを生みだせる時代に必要な場です。

 

こうした次代をつくる動きとは対極にあるのが、ロシア・ウクライナ戦争でしょう。2022年は、ロシアのウクライナ侵攻に象徴される、社会的分断と辛らつな戦いの1年でした。2022年の「今年の漢字」に「戦」の字が選ばれたことも記憶に新しいところです。

 

ですが、こうした時代の風潮や雰囲気に引っぱられてはいけない時だと考えています。

 

ビジネスを語るとき、よく戦争のメタファーが好んで使われます。例えば、戦略、戦術、ターゲット(標的)、ロジスティクス、そして領土の奪い合いであるシェア争いなどは、もともと軍事用語からの転用です。勝ち負け2分法を前提とした競争戦略論ではなく、お客様と対話を重ねながら、互いの足りないところを補完しあい、協働型で未来を描ければ、ビジネスはもっと創造的で豊かになるでしょう。「スマートオフィス構想」は、そうした考え方のうえに成り立つものです。

 

ダンクソフトが学童システムで関わっている石垣島からは台湾が見えたり、その先には中国があったりして、色々な船が行き来していますから防衛も大事です。しかし、コミュニケーションを通じて、社会をよりよい方向に向けていくことを誰もが考えないといけない。そのために“Building a Better Internet”、つまり、「インターネットの善用」がとても重要です。 

▎未来を果敢に描きだす企業に

 

今年は、課題をより解決するためのプロダクトやサービスへと、レベルアップしていく年になります。

 

例えば、ウェブARツール「WeARee!(ウィアリー)」や、会員組織運営を助ける「ダンクソフト・バザールバザール」などは、いずれもコミュニティのためのツールです。つまり、新しい関係を結び、既存の関係を豊かにし、相互信頼を深めるためのツールです。

 

2022年後半に開催した、地元・神田藍プロジェクトの感謝祭では、WeARee!(ウィアリー)のスタンプラリー機能を活用してイベントを盛りあげました。今年も、さらに使い勝手がよくなり、コミュニティを支える方向で、開発が進むでしょう。

 

バザールバザールは、今よりもっと参加者同士が対話できるツールとなるよう、開発チームで新機能を検討し、開発を進めています。ここでもお話したことのある、徳島県にある阿南高専と「ACT倶楽部」という連携プロジェクトに取り組んでいますが、バザールバザールを通じて、ずいぶんと活性化しています。2022年には、いよいよ内容が展開して、地域課題の解決事例が成果として出はじめました。



ここでも、参加する学生たち・教員たち・地域企業・その他の関係者たちを結ぶコミュニティ・ツールとして、バザールバザールを採用いただいています。

 

 事例:地域イノベーションを次々と創出する「ACT倶楽部」

 

学童保育の取り組みをサポートする「kintone学童保育サポートシステム」も、昨年「Cybozu Days2022」に出展した際、大盛況でした。開発メンバーたちが、学童システムを必要とする来場者の方々とじっくり話ができたようで、それらがこの後、ソリューションとして反映されるのが楽しみです。

“学童運営が楽になる” ダンクソフトの学童支援システム
https://www.dunksoft.com/kintone/gakudo/ 


また、ウェブチームは、金融機関を長年ご支援しています。近年、「貯蓄から投資へ」という流れが出てくる中、新たに投資を始めてみる生活者が増えたそうです。口座数はコロナ前後で300万件増となっています。

 

デジタル・デバイドの方々や、金融知識が必ずしも豊富ではない生活者も、今後こうした投資関連のサービスを利用することになります。だからこそ、こうしたデジタル分野にこそ、これからは機能する「ethics」が不可欠です。

 

私自身は、今年も総務省の地域情報化アドバイザーを継続します。その関係で、四国、松江をはじめ、全国各地に点在する先見性のある方々と「スマートオフィス構想」の取り組みを進めていきたいと考えています。

 

この他にも、プロダクトごとに、ユーザーの方々と一緒になって「感謝祭(イベント)」を開催する運びです。オンラインや動画もフル活用しながら、ダンクソフトの外の方々とのコミュニケーションを増やすこと、そして、より様々な場面で私たちのプロダクトが活用される1年にしていきます。

 

40周年を迎える2023年は、いま生まれているよい流れを、さらに盛りあげていく1年です。みなさまとの丁寧かつ的確な対話を通じて、ぜひ協働型でプロジェクトを進めていきましょう。10年先、50年先、100年先のよりよい未来を描きながら。

 

ダンクソフト40周年記念特設サイト
https://www.dunksoft.com/40th

物語だけでなく、その“結び目”もつくろう 


2022年最後のコラムとなる今回は、代表取締役 星野晃一郎と取締役 板林淳哉が対談しました。40年の節目に向けて、そしてこの先の50年を見据え、今年1年を振り返ります。

左:ダンクソフト 取締役 板林淳哉   右:ダンクソフト 代表取締役 星野晃一郎

▎未来の物語は自分でつくる

 

星野 今年1年を振り返ると、やはり創業40年目を迎える年だったことが大きいですね。板林さんはどんなことが印象に残っていますか。

 

「ダンクソフト40周年」特設サイト
dunksoft.com/40th


ダンクソフトに関わる人々の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story

板林 いろいろありますが、中でも全社で物語づくりをしてきたことです。7月にオープンした「ダンクソフト40周年」の特設サイトでは、何名かのメンバーが先行して、それぞれの物語を公開しています。その後、若いメンバーが中心になって、全員が物語を書くことになりました。ダンクソフトにとって、とてもよいことだと思います。

 

開発チーム 澤口泰丞の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story-sawaguchi

星野 40年目を迎えた節目に、思いがけず、みんなで未来を考えるきっかけになりました。というのも、最初は全社ではなく、有志だけでやろうかと考えていたんですね。ところが、開発チームの澤口さんが「全員に参加してほしい」「人の描いた未来に乗っかるのではなく、一人ひとりが自分で未来を描いてほしい」というようなことを言ってくれたんでしたね。

 

板林 はい、それを受けて、社内でどんどん物語が生まれはじめたのが嬉しいことでしたね。

 

星野 そう、若い世代がどんとボリュームのある、いきいきとした物語を書いてくるんですよね。本当に感心します。

 

ダンクソフトの歴史を、IT 業界や社会の出来事と共にご紹介しています
https://www.dunksoft.com/40th-history

代表取締役 星野晃一郎の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story-hoshino

板林 「40周年特設サイト」のなかにあるヒストリーのコーナーも、星野さんによるヒストリーのコラムも、よかったですね。僕も知らないことばかりで、毎回新鮮でした。

 

星野 コラム公開後に感想を持ちよってダイアログするのが、社内の習慣として定着しましたね。メンバーから「こうして今があるんだな」「ずっとイノベーションしつづけてきたから今があるのだな」「自分たちも学んで、イノベーションが起こせるようにしていきたい」という声が聞けたのも、嬉しいことでした。

  

▎対話次第で高まるチーム力

 

星野 2022年は、対話の機会を引きつづき増やしました。物語を書いたり、対話を重ねたりする中で、一人ひとりが育ってきました。結果、チームとしての力も上がってきました。それを実感する1年でしたね。スタッフそれぞれのコミュニケーションが、とても豊かになっています。他社と比較しても、ダンクソフトでは、スタッフが自分の考えや伝えるべきことを、自分の言葉で相手に届ける力がついてきています。今年はスタッフ一人ひとりの可能性が、さらに花開いた1年だったと言えます。

 

板林 その成果が次々と形になっていく場面が、とくに秋以降に多くありました。KOSEN EXPO 2022(コウセン・エキスポ2022)CybozuDays 2022(サイボウズデイズ 2022)、DNAセミナー収穫祭。要(かなめ)となるさまざまな場で、それをすごく感じました。

 

星野 多くのメンバーたちが、部門を超えて活動に参加していたのはよかったですね。特に、今年春に新卒で入った2人が、目覚ましい活躍をしてくれました。

 

 ▎若手の活躍が光ったKOSEN EXPO 2022

 

星野 KOSEN EXPOは、高専(高等専門学校)と産業界の連携創出を目的としたイベントです。今年は10月24日(月)から28日(金)まで5日間にわたってオンライン開催されました。その中で、ダンクソフトは30分の配信を行い、全国の高専生の皆さんに向けて、「SmartOffice構想」の話をしました。

中心を担ってくれたのが、この春、阿南高専を卒業してダンクソフトに新卒で入った濱口さん・港さんの若者コンビです。そこに徳島オフィスを立ち上げるきっかけとなった竹内さん、インターミディエイターの中川さんが加わって、番組を配信しましたね。いま手がけている、学生と地域企業の連携・協働を促進するプロジェクト「ACT倶楽部」の話からはじまり、地域の若者が活躍する未来を語りました。

 

■ACT倶楽部について
dunksoft.com/message/case-bazzarbazzar-actclub

■コロナ禍のなかオンラインでインターン経験を積んだ港さん
dunksoft.com/message/2020-11

 

板林 つい、この3月まで学生だった2人が、資料作成も含めてとても頑張っていましたね。準備は大変だったはずですが、ハロウィンの仮装をして楽しそうなよいプレゼンテーションになりました。

KOSEN EXPO 2022の様子

星野 ダンクソフトに入社してからまだ約半年です。しかも、4月から週に1度の出社日以外はテレワークで働いています。それでここまで育っているのは、ダンクソフトが培ってきたテレワーク環境の質を象徴していますね。  

▎CybozuDays 2022での大成功

 

星野 11月には、サイボウズのクラウドサービス総合イベント「CybozuDays(サイボウズデイズ)」に出展しました。11月10日(木)から11日(金)にかけて、幕張メッセで3年ぶりのリアル開催でした。ダンクソフトの出展は、1コマの小さなブースでした。パネルは2枚だけ。石垣島の「はなまる学童クラブ」様の取り組み事例を紹介し、とてもシンプルなブースでしたが、大成功をおさめましたね。はなまる学童クラブの松原かいさんには石垣から来ていただき、今回ユーザーの生の声を語っていただいたんです。

 

■事例:「学童保育サポートシステム」が運営を楽に便利に、石垣島の子供たちを笑顔に
dunksoft.com/message/case-hanamaru-kintone

 

板林 こうした展示会では、一般的に言って、サービスを提供している側が、自分たちだけで作ったものを紹介するブースが多いですね。しかし、ダンクソフトのブースはそれと違って、開発者と利用するユーザーさんが、一緒にブースに立っていたんですよね。ですから、学童を運営する現場の悩みや課題をよく聞くことができました。それらを理解しながら、ブースに訪れた方々と学童システムについてお話できたのは貴重です。開発者とユーザーが一緒にブースで来場者に応対するスタイルは、なかなか思いつかないし、思いついても簡単にできることではありません。新しい形で成功した、面白い取り組みだったと思います。

 

星野 サイボウズの営業部長にも注目されて、「ユーザーが話してくれるのがいちばんだと気づきました」と高く評価されたそうですね。  

▎横断的チームが力を発揮した

 

ダンクソフトパートナー 片岡幸人の「未来の物語」
dunksoft.com/40th-story-kataoka

星野 このCybozuDaysも、社内横断的なプロジェクト・チームによって実現したものですね。部門を超えて、入社間もない若いスタッフたちも参加したのがいいことですね。メンバーとしては、学童システム開発者でもあり、プロジェクト担当者の中さんを中心に、kintone開発を担当している片岡さん、大川さん。そこに澤口さん、徳島オフィスのメンバーやウェブチーム、企画チームからも参加し、制作物のデザインやウェブ制作、当日の幕張メッセでのブース対応など、スピード感のある横断的チームが力を発揮しました。

 

■石垣はなまる学童クラブ KINTONE通信「祝!1周年」
dunksoft.com/hanamaru/210528

  

板林 サイボウズさんとの付き合いは10年近くになりますが、以前出展した時にはあまり人が来ず、淋しいブースだったりしたのが、今年は全く新しいスタイルがつくれて、本当によかったです。

 

星野 当日は11時の開場からすぐに人が集まり始めて、ちょっと見たことがないような活況ぶりでしたよ。ただ道行く人にチラシを配るようなやり方じゃなくて、2日で100人以上の方々にしっかり話をすることができたようです。1週間を待たず問い合わせが入って次につながるなど、充実した成果となっています。よい流れができました。

▎近況からはじまるCo-learning:DNAセミナー

 

板林 DNAセミナーは年に2回開催している全社セミナーで、2006年から実施しています。今回もオンラインを併用し、ハイブリット型で開催しました。トピックの発表では、前述の港さん・濱口さんが高専エキスポの体験を話し、ウェブチームのメンバー2名が、松江でのワーケーション体験を共有しました。

 

星野 一人ひとりの近況も面白かったよね。

 

板林 はい。全社テレワークになってからは、雑談もなかなかできないので、DNAセミナーの冒頭に、各自からの5分間近況シェアを取りいれました。それぞれが工夫して面白く話していて、コミュニケーションが豊かになりましたね。チームの関係を深めるよい機会にもなりました。

 

星野 個性というか、それぞれの地域差も面白くて、ダンクソフトに集うメンバーたちはほんとに特色がありますね。前にも増して、多様性をひしひしと感じました。最近ウェブチームに入ったあるメンバーは、周囲にクヌギ林があって、カブトムシを幼虫から育てていると話しながら、実際にカメラごしにカブトムシを見せたりもしていました。

 

板林 3日前から息子を誘ってベースを始めましたと、弾いてみせたメンバーもいましたね。あと、関西メンバーはどうしてもオチをつけたがる(笑)。やはりお笑いの精神が身についているんでしょうか。  

▎一人ひとりの物語づくりと未来志向の結び目づくり

 

板林 DNAセミナーのコアの部分として、物語づくりをしましたね。それぞれが自分とダンクソフトの過去・現在・未来の物語を書く30分のグループワークです。5月のDNAセミナーでは、まだまだ遠慮がちな書きぶりにとどまっていたものが、今回はしっかりと物語の形になってきました。テーマは、ダンクソフトに入る前、入ってからどうなってきたか、そして未来に何をしていきたいか。

 

星野 みんな楽しんで書いてたね。

 

板林 そうですね、他のメンバーの物語を聞くことからの発見も大きかったです。まだまだ未来の部分が書き足りない感じなんですが、それでも聞いているとやはり大きな方向は共有してるんじゃないでしょうか。それぞれが描いた物語をつくりっぱなしにせず、孤立させずに、物語と物語の“結び目”をつくっていくのがポイントですね。それによって互いが連携・協働していくことをイメージしているのですが、今回は未来に結び目ができていく期待が持てました。

 

星野 DNAセミナーは以前から、自ら学ぶこと、そして、お互いから学ぶことを大切にしてきました。では何を学ぶのか。はっきり言えるのは、エンジニアだからといって技術だけ学べばよいわけではありません。より広く、深く、永く生かせる学びを、コ・ラーニングできるといいなと思った時に、物語の力はこれからますます重要になると考えたんですね。というのも、物語を介してコミュニケーションをすることで、互いの理解が深まるんですね。これからは多様なメンバーがチームを組み、ネットワーク的に課題解決をし、需要創造に向かうことで、社会全体がより豊かになっていく。それとともに、ダンクソフトもよりよい未来に向かっていく。ここから50年先の未来を一緒に考えてみる機会。そんなイメージでいます。板林さんはどう思いますか。

 

板林 そうですね、会社の中にこもって、コードを書いてプログラムを作る人だけと話していると、未来から逆算してつくるより、今できることだけに取りくんでしまうというか、小さくまとまった守りの姿勢になって、閉じがちです。でも本当は未来に向かってやりたいことをどうすればできるかを考えたいですね。そして自分がそこにどう関われるかをポジティブに考え、主体的に結び目をつくっていく。このとき、お互いの物語を知ることで、相手と自分の結び目が見えて、一緒にやるきっかけになっていくんですよね。未来の部分がまだみんな書き足りないので、もっと豊かにしていきながら、かつ、たくさんの結び目を見つけていきたいです。

 

星野 そのためにも、「対話」が大事ですよ。

 

神田藍のプロジェクトでも、物語を描くことによって、それまでよく知らなかった近隣の人たちやコミュニティーとのつながりができていったんですね。しかも、話がトントン拍子に進み、プロジェクトが一気に加速しました。分断が進む時代ですが、だからこそ、対話と協働で、一人ひとりの物語を丁寧に重ねていくことが大切ですね。みんなで物語をつくる取り組みは、今後も続いていきます。来年に向けて、ぜひ社外の方々とも、多様な「物語の結び目」をつくっていきたいですね。それが、イノベーションにつながっていきますので。

 

■事例:神田藍プロジェクト 〜ソーシャル・キャピタルを育む藍とデジタル
dunksoft.com/message/case-kanda-ai

 

HISTORY5:自律・分散・協働型社会への先駆的助走(2010年代) 


ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ。第5回目の今回は、2010年代から現在までをお話しします。2011年の東日本大震災からコロナ禍まで、世界が大きく変化しています。そのなかでダンクソフトの未来への起点を、いくつもつくった転換期です。  

▎流れを変えた、徳島サテライト・オフィス設立 

 

前回の「HISTORY4」では、2000年代を取り上げました。GAFAが急速に世界に展開していった時期です。その一方で、日本のデジタル化は大きく出遅れ、世界から取り残されていきました。思ったように進まない日本の状況に、もどかしさを感じざるを得ませんでした。 

 

そのような中にあっても、まずは自分たちから「理想のインターネット」を実現していこうと、ダンクソフト社内の働き方改革や環境改善を進めていきました。働く一人ひとりの「人間」に注力して、デジタルでどこまでできるかを模索したタイミングです。 

 

これら2000年代の努力やしかけが、いよいよ顕在化してきたのが2010年代です。この時期、ダンクソフトは、時代に先駆けてサテライト・オフィスやテレワークの実証実験を、日本各地でスタートします。ペーパーレス、自由度の高い働き方など、ダンクソフト文化の先進性が高く評価されはじめ、大きな潮流が生まれていきました。 

 

中でもダンクソフトにとって大きな転機となったのは、やはり徳島にサテライト・オフィスをかまえたことでした。徳島以前と以後では、組織も文化も変わりました。それほどに影響力のある出来事でした。 

  

▎自分たちが「進んでいる」と気づき始めた 

 

2009年、ダンクソフトは「中央区ワーク・ライフ・バランス推進企業」認定制度の、第1回認定企業に選ばれました。翌2010年には、中央区に続いて、東京都産業労働局が合計10社程度選定する「東京ワーク・ライフ・バランス認定企業」にも選ばれます。こうした受賞をきっかけに、自分たちの働き方が、世の中より進んでいることに気づき始めたのが、2009年頃でした。 

 

また、2010年には、経済産業省が主催する「中小企業IT経営力大賞」も受賞しています。この頃、ダンクソフトはすでにペーパーレスをほぼ実現していました。紙のない会議や、複写機のないオフィスを、多くの企業や行政が視察に訪れました。皆さんずいぶん驚かれたのですが、自分たちにとってはもう当然のことになっていたので、驚かれることに私たち自身が驚いていたものです。ただ、この現象は、10年以上たった今でも、続いています。 

 

ダンクソフトの受賞歴はこちら
https://www.dunksoft.com/award

実際には当時、ワーク・ライフ・バランスを推進する企業はまだまだ少なく、特に中小企業では「そんなことをしていたら会社がつぶれる」という考え方の経営者が多かったのです。ペーパーレスも、世の中ではまだ夢のような話でした。景気も調子のいい時期でした。 

 

こうした流れのなかで、3.11が起こりました。これは大きな衝撃でした。  

▎アフター3.11、新たなパラダイムの中で 

 

2011年3月の東日本大震災で、世の中のパラダイムは大きく変わりました。震災と原発事故によって、それまであたりまえだった「日常」が足元から崩れました。仕事をする意味を考え始める人も出てきました。人は自然にあらがえない。あの事象をまのあたりにして、あらためてそう気づき、価値観を変えていこうとする人も多くいました。 

 

私たちも、BCP(事業継続計画)の観点から、震災後に徳島に行くことになり、ものの見方がまったく変わりました。それまで山手線の内側だけが商圏だったものが、一気に視野が広がったのです。 

マイクロソフトの事例紹介で、ダンクソフト星野が東日本大震災当時の考えを語っています。

  

▎新たな希望と可能性:「デジタルを活用すれば、できる」 

 

少子化、首都圏一極集中、地方の衰退、過疎化、消滅集落、少子高齢化。地方には仕事がなく、一方で都会では技術者不足の未来が目に見えており、日本の課題は深刻化するばかりです。地球規模で見ても、気候変動、森や海などの環境破壊、戦争や紛争、エネルギーや食料の枯渇など、課題が山積みです。社会全体が行き詰まって、このままでは無理なことは明らかでした。 

 

当時、世間では「打つ手がない」という論調がほとんどでした。ですが、私たちにはそれとは違う可能性が見えていました。 

 

それは、 

「デジタルを活用すれば、できる」ということでした。   

▎NHKで全国に衝撃をもたらした徳島の情景 

 

2011年9月、徳島県神山町で、県内の地域団体と連携して、サテライト・オフィスの実証実験をしました。地域団体と連携したのは、ヨソ者だけでやるのではなく、地元の方たちと一緒にやることが大切だと考えていたからです。 

 

それでも、最初は東京の会社がマーケットを広げに来たと誤解され、「黒船」と呼ばれたりもしました。だからこそ、丁寧に「対話の場」を設けることを決め、地道に丁寧なコミュニケーションを重ねるなかで、次第次第に地域との関係を深めていくことができたんですね。 

 

さて、このときの取り組みをNHKが取材に来ていたんです。10月に徳島放送局で、12月にはNHK総合テレビ「ニュースウオッチ」で紹介されました。放映された情景は、川の中でPCを使って仕事をしている人の姿。この映像は観る人に強烈なインパクトがあったようですね。 

 

その後、「あの映像を観ましたよ」という人たちに、いったい何十人あったかわかりません。目にした方々に、新しい未来や希望を直感させる光景だったのでしょう。これが全国に流れました。この映像を観た人たちの中で、デジタル化への意識が芽生える転換点となったことは間違いありません。   

▎何も諦めなくていい 

 

こうした一連の流れから、ダンクソフトでは、徳島市内にサテライト・オフィスを開設することになります。きっかけは、ひとりの働きかけです。「地元・徳島を離れず、自分の持てる力を活かして、ダンクソフトで働きたい」とプロアクティブに行動した、ひとりの人間がいたことで、徳島にオフィスが生まれたのです。彼はエンジニアであり、夫であり、父であり、生まれ育った徳島での生活を望む徳島市民でした。 

 

ダンクソフト 竹内祐介の「物語」はこちら
https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi

これが当社の竹内さんなのですが、当時の状況では、彼が望むワーク・スタイルをかなえる道がありませんでした。エンジニアとしての仕事は、徳島県内にはほとんどなかったのが実情です。徳島で暮らし続けるには、「何かを諦めなくてはいけない」。この切実な発言を聞き、そんなナンセンスな話はないと考え、竹内さんをスタッフに迎えいれ、徳島に拠点をつくりました。それから10年、何も諦めなくてよい環境で、彼は開発チームのマネジャーとして活躍しています。 

  

▎事情や課題は一人ひとりちがう 

 

これに先立って、2010年には、育休から復帰したスタッフがダンクソフト初のテレワーカーとして、仕事を再開する場面もありました。彼らのような人たちがいることで、ダンクソフトにはそれ以降、より多様で、優秀な方たちが集まってくるようになりました。 

 

私が、がむしゃらに働いた80年代90年代を経て、フランスでの体験をきっかけに無茶な働き方に疑問をもつようになったことは「HISTORY3」で話したとおりです。 

 

事情や課題はスタッフごとにちがいます。それを丹念に聞いて課題解決し、事例化していくことは、企業としての蓄積になります。もちろん、後に続く人にとっても、これからの若者の未来にとっても望ましいことです。 

 

今では、様々な地域にいながら、子育てをしながら、介護をしながら、あるいは海外から、優秀な人たちが多様なスタイルで働くダンクソフトになっています。   

▎「インターミディエイター」という概念に出遭って見えた未来 

 

2013年、もうひとつの大切な出来事がありました。それは「インターミディエイター」という概念に出遭ったことです。 

 

それまで手探りしながら、あるいはポール・フルキエの『哲学講義』、中国との縁がきっかけで読んだ孔子の『論語』、荘子の『荘子』などに学びながら、自分なりに考えてきたことが、ここで明確に言語化されました。このフィロソフィーが入ってきて、勇気づけられて、ほっとして前を向けるところがありました。 

 

また、一般的にいわれる「マーケット」という概念をリセットできたことも大きかったですね。お金のやりとりをするだけがマーケットではない。マーケットとは本来、人と人が集まって交流する場であり、対話の場であって、経済的な取引はその一部で起きているにすぎません。 

 

震災の直前に始めた生放送のラジオ番組を「ツイッター市(いち)」と名づけたのは、まさにそうしたマーケット本来のイメージを「市」に託したものでした。多様な人々が集まり、交流し、対話を行うこと、つまり、場における相互作用が、市でのイノベーションを生み出します。この考え方は、後にソリューションとして開発した「ダンクソフト・バザールバザール」(2016年)の名前にも、継承されています。 

 

ダンクソフトにかかわる人たちが考える「未来の物語」を紹介しています。https://www.dunksoft.com/40th-story

最近も、どうして先んじて未来を実現できるのかと、ご質問いただきました。「インターミディエイター」のマインドセットのひとつに、未来の物語を描く“ナラティブ・ケイパビリティ”というものがあります。未来を構想し、物語化することで、連携・協働がしやすくなって、構想の実現がはやくなるわけです。物語を未来にむけて実践し具現化していくことによって、ダンクソフトではここのところ、様々な新しい動きがここそこに生まれています。   

▎いつまでファックスを使い続けるのか? 

 

一方、社会の動きとしては、2014年に、まち・ひと・しごと創生「長期ビジョン」「総合戦略」が閣議決定されています。ようやくというか、今ごろというか、世の中の変化というのは、私たちの思うようなスピードでは進んでくれないものです。 

 

働き方改革、テレワーク推進、ペーパーレスも同様です。これだけ「DX」(デジタル・トランスフォーメーション)と言われながら、まだファックスを全廃できていない状況を一刻も早く何とかしなければ、子どもたちの世代に負の遺産を遺してしまいます。   

▎オープンでフラットなインターネット社会をつくるために 

 

問題は他にもあります。インターネットがここまで広がると、怪しいサービスや広告モデルに席巻されてしまい、今や、インターネットの安心・安全・セキュリティは、ますます重要な課題になりました。 

 

以前からお伝えしてきた通り、インターネットは便利ですが、パーフェクトなツールではありません。国家をまたいで情報が行き交うサイバー・スペースには、警察がいません。フェイクニュース問題はもちろん、世界では子どもの誘拐など実害も多発しています。情報格差・学習格差も深刻な課題です。 

 

ですから、これからますます重要になるのは、「インターネットに “よりよいもの” をのせていく」ことです。ダンクソフトは、これを掲げながら、よりオープンでフラットな、健全なインターネット社会をつくっていけるよう、努力を続けていきたいと考えています。   

▎「リバース・メンタリング」の時代へ 

 

今後のカギは「リバース・メンタリング」です。年長者が若い人たちに上から知識を教え込む時代は終わりました。これからは、それが逆転して、むしろ若い世代に学ぶ時代、そして、ともに学びあうCo-learningの時代です。特に、デジタル分野についてはそれが顕著です。 

 

日本にもデジタル・ネイティブ世代が育っています。AIでトレーニングを積んでいる将棋の藤井聡太さんもそうですし、若いテニス・プレーヤーは、ゲームを通じてフェデラーやナダルのプレイを体験し、経験値を積んでいます。ダンクソフト新入社員の港さんは、家庭のデジタル大臣として、年長者たちをサポートしながら家庭内デジタル・デバイドを解消しているようです。 

 

また、ゲーム世代は、オンライン・ゲームなどで、国境を越えて協働することの愉しさや効果を、身をもって知っています。従来の考え方に縛られている大人よりもずっと、これからの新しい発想やリテラシーを身に着けています。さらに急激に進化していくデジタルやインターネットは、チームで学ぶ習慣が求められて、Co-learning 自体が組織文化に必須になる、と考えています。こういうことを、かえって大人たちは知りません。「またゲームか」と眉をひそめているあいだに、彼らはやってくる未来に積極的に適応しているのです。 

 

ここからさらにデジタル技術は進歩していきます。Co-learning を通じて新しい世代の得意なデジタルと、大人たちの経験や知恵とを交換していくことが、イノベーションを起こしていくと確信しています。なにしろイノベーションとは異質なものの関わりから生まれるのですから。彼らを教育するのではなく、ともに学び合って、エンパワリングし、力になっていけるか。私たちがこれをできるかどうかで、身のまわりも、日本人の未来も変わってくることでしょう。 

ダンクソフト 星野晃一郎の「物語」はこちら
https://www.dunksoft.com/40th-story-hoshino


CROSS TALK:ダンクの対話するエンジニアたち 


今回は、ダンクソフトの開発方針についてお話しします。お客様との持続的な対話があるからこそ、つねに先んじて変化に対応した提案が可能になります。こうしたダンクソフトのフレキシブルな開発アプローチと、まだ業界でもめずらしい“対話するエンジニア”たちの姿勢を感じていただければと思います。   

▎ずっと前からアジャイルだった 

 

星野晃一郎

星野 ダンクソフトのシステム開発は進め方が他とは違います。よく「業界のやり方にとらわれない会社」と言われてきました。今でいうアジャイル開発的なアプローチを、昔からずっと追及していたからでしょう。アジャイル開発の概念自体は、21世紀に入って生まれたものです。今でこそ、言葉も手法も市民権を得ていますが、当時はまったく馴染みがありませんでした。 

 

竹内 そうですね、少し解説すると、アジャイル開発の「アジャイル」とは、直訳では「速い、機敏、俊敏」という意味です。文字通り、開発スピードをあげて、素速く提供します。そして、設計、実装、展開を速いサイクルで何度も繰り返しながら、より発見的にすすめていくアプローチです。予め決まったゴールに向かっていって、つどつど変更できないのではなく、むしろ、予想もしなかった結果を生みだすこともできます。サービスインまでが速いことに加え、状況の変化に応じて柔軟に対応できるのが長所です。  

一方、従来型のウォーターフォール開発では、最初にゴールを明確に設定します。まず見積りと設計書を用意。その後、仕様書に従って、決まった各工程を順々に進めていきます。柔軟性には欠けますが、最初に全体像が決まるわかりやすさはあります。 

 

星野 ダンクソフトは昔から、お客様との丁寧な対話と柔軟な変化対応を大切にしてきました。対話を重ねながら、相互的に開発を進める中で、最初に想定していたゴールよりも、もっといいゴールに到達できます。そういう発見的でアジャイルな開発姿勢でずっとやってきました。技術の進化が速い業界ですから、言語や手法やサービスなど、ツールはどんどん進化します。ですが、開発ポリシーの根本は変っていません。そこに多様な経験と高い技術を持つポリバレントなエンジニアが加わって、より盤石の体制となっているのが、現在のダンクソフトなんですね。 

 

よく対話型だと時間がかかりませんかと訊かれますが、対話的であることと、アジャイル型であることは矛盾しません。むしろ、環境変化が速いですから、お客様とたえず情報をやりとりできる関係のほうがいいわけですよ。ちなみに、“対話するエンジニア”というのは、業界ではめずらしいスタイルです。 

 

※ポリバレントとは 

https://www.dunksoft.com/recruit#philosophy 

▎バラエティ豊かな背景のエンジニアたち 

 

星野 今回は、私を含めて、4人のエンジニアが参加していますが、いずれも、経歴も性格も本当に多様で個性的です。バラエティ豊かなんです。それぞれ異なる知見と経験を持つエンジニアたちがチームで協働することは、お互い刺激になりますし、ダンクソフト全体の技術が高まります。価値観も、ずいぶん多様になりました。対話する文化の浸透と相まって、次第に相乗効果を発揮し、いいダンクソフト文化を形成しています。せっかくなので、自己紹介をしてみましょうか。 

 

竹内祐介の「未来の物語」https://www.dunksoft.com/40th-story-takeuchi

竹内 ダンクソフトに参加する前は、私は地元徳島で、ジャストシステム社にいました。約10年にわたり、エンタープライズ向けソリューションや日本語入力システムの開発等に携わっていました。ダンクソフトでは、企業向けシステムや「バザールバザール」等の開発を担当しています。 

 

大川慶一

大川 私は栃木在住ですが、前職は県外の会社で、制御系のシステム開発をしていました。秘匿性の高いソース・コードを扱っていましたので、情報管理に厳しい、かなりクローズドな職場でした。オープンソースやテレワークの対極ともいえる環境でしたね。 

 

ダンクソフトに転職して以降は、地元栃木からの完全テレワークです。サイボウズ社のkintoneなどプログラミングだけでなく、Microsoft社製品やウェブサイト制作のサポートも行っています。 

 

片岡幸人の「未来の物語」https://www.dunksoft.com/40th-story-kataoka 

片岡 大学は文系学部を卒業しました。キーボードも満足に打てないのに、システムエンジニアという響きのかっこよさから、思い立って名古屋のIT企業に入社。エンジニアの道に入りました。やがて地元の高知にUターンし、教育委員会で5年間本業の一般的な事務作業などをこなしながら、平行してさまざまなIT関連業務に携わりました。その間、デジタルで効率化して得られた時間を活かして、教育委員会内で新しいことを提案したり、高知大学の大学院に進んで、学び直したりもしました。その後、教育委員会を退職、ベンチャー企業への参加を経て独立しまして、現在はパートナーとしてダンクソフトのプロジェクトに参加しています。 

▎肌で感じていた、ウォーターフォール型の限界 

 

星野 私たちが今でいうアジャイル型開発を独自に手探りで実践していた時代から、いよいよ本格的にアジャイル開発の手法を取り入れていくことになったのが、2015年です。「バザールバザール」の開発に乗り出した時でした。 

 

竹内 まずはセオリー通りの方法を忠実に取り入れてみようと考えて、アジャイル開発の具体的な手法の1つであるスクラム開発を採用しました。 

 

星野 片岡さんがジョインしたのが、ちょうどこのタイミングでしたね。 

 

片岡幸人

片岡 はい。当時私はアジャイル開発にいくつかの疑問をもっていました。というのも、名古屋のIT企業時代の頃から顕著でしたが、まず見積が重要になるケースがやはり多いですね。最初に予算と全体像を決めてスタートする進め方が、どうしても打破できない。こういうクライアントに対して、アジャイル開発の手法は使えないと思い込んでいたんです。 

 

でも、実際のところ、うまくいっていないプロジェクトを見ると、失敗の原因はだいたいの場合、クライアントとのコミュニケーション不足です。早い段階でコンセンサスがとれていないことがトラブルの原因となっていることがほとんどなんですよ。回避するためには、少しでも早くモックアップを見せ、イメージを共有しながら進めていくこと。勝手に一気につくりすぎない。それって、結局はアジャイルなんですよね。  

▎互いに変化していく“顧問型プロジェクト” 

 

「大田・花とみどりのまちづくり」様を紹介したコラム、『「人を幸せにするシステム・デザイン」をIMAGINEする』 
https://www.dunksoft.com/message/2022-03 

星野 ダンクソフトでは“顧問型プロジェクト”と呼んでいるものがあります。お客様との対話を重視し、連携しながら開発と刷新を繰り返していく進め方を言います。例えば、大川さんが担当したNPO法人「大田・花とみどりのまちづくり」様のプロジェクトは、その好例のひとつとして、以前、コラムでも紹介しました。 

 

大川 私も、前職では完全にウォーターフォール型でした。ダンクソフトに入って初めて目の当たりにした“顧問型プロジェクト”の進め方は、とても新鮮で魅力的でした。大田・花とみどりのまちづくり様のプロジェクトでは、月1回の定例ミーティングを重ねるなかで、お客様が次第に自律的になっていって、自分たちの手でデジタルにチャレンジしていかれる姿に感動しました。 

 

星野 そこは大川さんの持ち味も大きいですよね。エンジニアでありながら、パソコン初心者にもわかりやすい、やわらかい言葉でデジタルを説明してくれます。なにより、お客様と丁寧に対話を重ねていますよね。それによってお客様が一緒になって変わっていく様子が見られます。お互いに学びあって、自律的に育つ環境が生まれたのはなかなか誇らしいことです。  

▎リバース・メンタリングは、開かれた社会の入り口 

 

星野 先ほどのケースはご高齢の方々が運営する団体で、大川さんという孫ほどのエンジニアとCo-learningの関係(互いに学びあう関係)ができました。こんなふうに、うんと若い人からデジタルを学ぶ時代が、もうそこまで来ています。これを「リバース・メンタリング」と言います。その動きは、今後間違いなく加速していくでしょうね。 

 

片岡 そうですね、子どもはどんどん進化します。私の子供も、スマホで話しながらチームを組んで、PCのオンライン・ゲームをやりながら、TVのYouTubeで攻略動画を流し、マルチタスクでデジタルを使いこなしています。順応力が高いんですよ。けれども、まだまだ学校の尺度では、子供のデジタル活用は悪とされることも多いんです。大人がそれを邪魔することのない社会をつくっておかないといけません。 

 

竹内 日本のデジタル化がまだまだだ、ということを星野さんもよく話していますが、日本は、多様性への許容も、ずっと乏しかったのだと思います。世界のなかでもずば抜けて変化が好きでない性分。新しいシステムにのりかえる、そうしたイノベーション・コストを受け入れるのが苦手な人たちというか。そのような考え方は変えていかなければ、と思いますね。 

 

大川 想起されるのは、台湾のコロナ対策の機敏さです。2020年に、IT担当大臣のオードリー・タンが、広く国民の意見をききながらシステムをつくり、広く人々が参加できる場をつくりました。何かと囲い込んで、クローズド環境でプロジェクトをすすめる日本とは、あまりに対照的です。すべてがオープンソース化されている状態がいちばん幸せだと考えています。そういう社会をめざしたいですね。  

▎人々の善さが引き出されるインターネット空間とは 

 

星野 いかにソーシャル・キャピタルを高めて、コミュニティを活性化していくか。これが今、とても重要だと考えています。そのためのコミュニケーション環境を充実させることは、デジタルの大切な役割のひとつです。そこでダンクソフトでは、このことを念頭に、現在、「バザールバザール」のバージョン・アップを進めています。 

 

竹内 もともとバザールバザールは安心・安全な場を提供することを理念としてきました。これに加えて、人の善さが自然と引き出される、いわば性善説が機能する雰囲気・空間にバージョン・アップしていきたいと考えています。 

 

竹内祐介

やらないと決めていることは、既存のSNSとの比較や競争ですね。逆に、ぜひ取り入れたい機能としては、「インターミディエイター」の特徴をバザールバザールに積極的にフィードバックしていくことです。インターミディエイターとは、人と人のあいだを上手に結んで、対話と協働を促進する役割です。 

 

バザールバザールを使うと、さらに対話が活性化されるものにしていきたいと検討しています。具体的には、お互いが大事にしている未来志向の物語を関連づけたり、その結果、参加者(ユーザー)の積極的な参加・関与をうながしたり、使えば使うほど、使う方の可能性が引き出されたりといったあたりを実現したいですね。 

 

また、アジャイルっぽい考え方なのですが、つくり手が使い方を決めすぎない、遊びを持たせた場にしようとも、考えています。私たちが思いもよらなかったような使い方をしてもらえると嬉しいです。  

▎デジタル化で、より楽に仕事ができる環境を 

 

星野 ダイアログが活発になるというのは期待がかかりますね。ダンクソフト・バザールバザールは、コミュニティを形成していくうえでますます重要なツールとなっていきます。実際、阿南工業高等専門学校のACT倶楽部で採用いただき、そこから他の高等専門学校へも、バザールバザールの輪が広がっています。 

 

ダンクソフトの“さきがけ文化”を体験するインターンシップ 
https://www.dunksoft.com/message/2021-10   

事例:学生・教員・企業による対話と協働をデジタル・ツールで支え、地域イノベーションを次々と創出する高専の未来 
https://www.dunksoft.com/message/case-bazzarbazzar-actclub    

「テレワーク」をテーマに阿南高専で特別講義を実施 
https://www.dunksoft.com/news/2019/9/11    

高専×産業界 KOSEN EXPO 2022 
https://expo2022.kosen-k.go.jp/   

星野 一方で、社会全体を見ると、デジタル化がまだまだ、という印象です。河野太郎さんがデジタル大臣に戻ってきましたが、一昨年の3月、河野さんにオンライン上でFAXをやめることを進言しました。しかし、実際にはなかなか減りません。 

 

時々思い出すのが、以前、萩の立明木(あきらぎ)中学で授業をして、先端を示したときのことです。子どもたちは感激して喜んでくれました。あの子たちが大人になって就職し、会社でFAXを使うという未来は避けたい。また、デジタル化の名目で複合機を普及させる会社が多いですが、それではペーパーレスは進みません。 

 

こんな状況がまだまだ多いのですが、私たちはデジタル・デバイドの解消とスマートオフィス構想を着々と進めています。そのかなめになるのは、こうした“対話するエンジニア”たちです。ますますデジタル化を進めて、より楽に仕事ができる環境を、ぜひ多くの方々に整えていただきたいですね。 

 

HISTORY4:ヨコをみず、未来を見てきた(2000年代)


今月のコラムは、ダンクソフトの歴史を語る「HISTORY」シリーズ第4回目。2000年代をとりあげます。21世紀に入り、IT業界の動きが社会全体の潮目をつくりはじめました。ダンクソフトも、現在につながるさまざまな変革や転機を経験していきます。  

▎GAFAの萌芽と、日本のガラパゴス化 

 

前回の「HISTORY3」では、インターネットが登場しはじめた90年代後半のエピソードをお話ししました。Windowsが95から98へと大躍進し、AppleからはiMacが登場してV字回復。一方、ダンクソフトでは、私がインターネットに感じた可能性をいち早く実験し、フランスへの旅で未来への確信をつかんだ時期でした。働き方を変えていく方向も、その中で見えてきました。 

 

今回は、2000年代です。Google、Amazon、Facebook、そしてTwitterなどの新興企業が次々と登場し、EコマースとSNSが急激に伸張しました。ですが、日本ではいくつかのハードルのために、インターネットと基幹システムの接続がうまく進みませんでした。私の感覚では、インターネット化への動きがぱたっと止まってしまった。むしろ後退して世界から日本が取り残されてしまった時代でもありました。 

 

何がハードルとなっていたのか。その中で、ダンクソフトは何をしていったのか、2000年代の葛藤と挑戦をお話ししてみようと思います。 

 

HISTORY3:「インターネット」をいち早く実験、フランスへの旅で可能性を確信(90年代後半) 

https://www.dunksoft.com/message/2022-05  

 

▎大きく出遅れていた日本 

 

2000年9月、Googleが日本語による検索サービスを開始。同11月、Amazonが日本でのサービスをスタート。2001年1月には英語版Wikipediaが初めて公開されるなど、世界はいよいよインターネット時代かと思われました。実際、日本の企業でも電子メールはいち早く広まりましたし、パソコンもようやく1人1台時代になってきていました。しかし、そうした表面的なインターネットの普及とはうらはらに、システムの根幹のところでは、日本は実は大きく出遅れていたのです。 

 

欧米では、インターネットの普及に先立ち、MS-DOS時代にすでにネットウェアやネットワーク・システムによるファイル・サーバーが広く浸透していました。つまり、これは、社内LANが普及して、同僚たちとファイル共有が社内で行える状態です。その後でインターネットが入ってきたため、情報が保存される基幹システムが社内にまずきちんとあり、その上でインターネットを介して外部とつながるという、あるべき順序で展開されました。 

  

▎日本のデジタル化を阻んだ3つの理由 

 

しかし、日本は違いました。日本が出遅れたのには、3つの理由がありました。 

 

ひとつ。日本では、まだLAN環境さえ十分に整わないうちに、インターネットが来てしまったことです。そのため、基幹システムでデータベースをしっかり構築することをしないまま、それとは別のところで、インターネット上で動的に情報を動かす試みが始まってしまいます。 

 

これにより、多くのECサイトは基幹システムと連携できず、ECサイトで集めた情報を社内データベースに改めて入力しなおすなど、情報が二重化していたのです。企業やビジネスの情報の持ち方としては、良い状態ではありませんでした。 

 

2つ目の理由は、ネットワーク回線が遅く、速度がまったく足りなかったこと。できなかったというより、古いサービスを優先して、キャリアが普及させたくなかったのではないかと思っていますが、その後、ソフトバンクBBが登場してADSLを日本中に配ることで、高速インターネットが普及します。それまで、日本のネットワーク環境は大変もどかしいものでした。 

 

3つ目として、日本語という言語特有の課題がありました。27文字のアルファベットで完結する英語に対して、日本語はひらがな・カタカナ、それぞれの全角と半角、さらに膨大な数の漢字があります。これらを処理するジャストシステムのフロントエンド・プロセッサは画期的な発明でした。同時に、システムにとっては大変負荷のかかるものでもあり、文字通り“PCの重荷”となっていました。日本語をのせると使い物にならない。そこでダンクソフトでは、ネットウェアは英語版、ATOKは明朝体以外のフォントをはずし、必要最低限にスリム化してシステムを動かすというアクロバティックな方法で、この課題をクリアしていました。 

  

▎自分たちが「理想のインターネット」を実現していく 

 

こうした複数のハードルのために、もっと画期的に進んでいくと考えていたデジタル化が、日本では思ったように進みませんでした。それどころか、むしろ後退して、世界から取り残されて止まってしまった感じがありました。それが2000年代の日本のIT事情で、当時感じていた歯がゆさでした。 

 

それでもダンクソフトは、「インターネットの理想」を追求していきます。データベースが得意なことと、いち早くインターネットの可能性を試していたことが、功を奏しました。既存の社内データベースとEコマース・サイトを連携するプロジェクトへの要請が増加していきます。アメリカの大手スピーカー・ブランドも、当時のクライアントのひとつでした。 

 

また、予測したように世の中のデジタル化が進まないならと、むしろ自社内の環境改善に力を注ぎ始めました。デジタルで実現したいこと、未来のあるべき姿を自分たちで実践していき、「ほら、こういうことだよ」と周囲に見せられるようにしようと、動き始めます。  

 

▎何よりも「人間」に注力した 

 

根底にあったのは、会社がより良くなっていくためには、会社の体質を変え、働きやすい環境をつくることだ、という思いでした。そうすることで、スタッフがモチベーションをもって働けるようになるだろう、と考えたんですね。そうした先にしか未来はないという確信がありました。 

 

就業規則を創業以来はじめて変更したのが、この時期です。女性スタッフが抱える出産・子育ての課題を中心に、働きやすい環境を自分たちで積極的にデザインしました。例えば、就業規則をスタッフ自らが作成したのは、その典型例です。驚くほど効果がありました。自分たちでつくったルールですから、スタッフたちが内容をよく覚えているんです。普通は誰も関心がないんですが、就業規則なんて。このタイミングで人事評価制度も新たにつくりました。数値的に見えやすい結果を評価するだけでなく、一人ひとりの行動を丁寧に評価し、プロセスを評価してきました。今では、スタッフの評価をめぐって、もっとじっくり対話するようになっています。 

 

その後も、社内コミュニケーションの機会を増やし、2006年には初の「DNAセミナー」を開催しました。以来、年に1、2回は全社員が集うCo-learningの場を用意しています。2022年6月に内閣が提示した新政策の中に、「人材への投資」が重点テーマとして入りました。この背景には、実は世界各国と比較して、日本企業は人材への投資をしてこなかったという事実があります。こうした中、継続的にスタッフが互いに育っていく環境づくりをしてきたことは、誇らしい取り組みだと考えています。 

  

▎『哲学講義』から受けた刺激 

 

当時も今も、私がイメージしているのは、ヨーロッパの働き方です。1998年のフランス滞在で、彼らの働き方や休暇の取り方をじかに見る機会がありました。 

 

また、当時プロジェクトで連携した法政大学教授から紹介された書籍からの学びも、大事なモチーフになっています。 

 

これは、ポール・フルキエの書いた『哲学講義』という本なのですが、フランスのリセ(高等学校)で、哲学の代表的な教科書になっている分厚いテキストです。その中に、フランスの労働社会学者ジョルジュ・フリードマンによる一節があります。 

 

「未来の問題は労働ではなく、逆説的ではあるが、余暇の問題となろう」 

 

つまり、働く人にとって、余暇は本来、人間性の発達と倫理的進歩の時間となるべきもの。しかしそれは反対に、堕落と倫理的無秩序の機会にもなりうる。これをどう防ぐかが問題だ、というのです。 

 

ここには余暇の生かし方の問題があるわけですが、余暇を人間性の発達につなげるには、人は学び続けることが大事でしょうね。こうしてクリエイティビティも発揮していくことができるのだと考えています。 

 

私自身、時代時代で必要な本を読み、話に耳を傾け、かつ実践しながら、新しいはじまりをつくってきました。ダンクソフトには、「時間は人生のために」というモットーがあるのですが、これは、この頃に生まれました。フルキエの『哲学講義』もそうですし、中国との縁がきっかけで読んだ孔子の『論語』、荘子の『荘子』も好きです。本は時代を超えて人に出会えるので素晴らしいと思います。 

  

▎初のMicrosoftアワード受賞 

 

2000年代後半のハイライトのひとつは、初めてMicrosoftからアワードを受賞したことです。 

 

2006年にアメリカでDynamics CRMというデータベース・ソフトが発売されました。日本支社のダレン・ヒューストン社長(当時)に相談をすると、本社の担当者を紹介してくれました。すぐにシアトルまで会いに行きました。 

 

話をしてみると、Dynamics CRMでダンクソフトの実現したいことが表現できることを確信、その年の後半から、開発をスタートしました。 

 

結果、2007年には、Microsoftのパートナー・プログラムで実績を評価され、パートナー・オブ・ザ・イヤーを受賞。パートナー企業の数は、日本だけでも万を超えますが、ゴールド・パートナーは数えるほどしかありません。しかも、ゴールドの中では一番小さな規模の会社だったので、嬉しく光栄なことでした。 

  

▎「SmartOffice構想」の兆しは2000年代に 

 

ここから、ダンクソフトはさらに加速します。 

 

翌年の2008年には、クラウドサービスの導入・運用支援の提供を開始。伊豆高原でサテライト・オフィスの実証実験にも挑戦します。これについて、40周年を機に、詳しい物語を書いてみました。よろしかったらご覧ください。 

 

そして、ダンクソフトで最初のテレワーカーが誕生するのが2010年4月。今にして思えば、現在かかげる「SmartOffice構想」の布石ともいえる動きが、2000年代には始まっていたのでした。 

 

2010年に入ると、テレワークやサテライト・オフィスを本格稼働させます。「インターネットに よりよいものをのせていく」という現在の流れに向かって、インクリメンタル・イノベーション(漸進的イノベーション)に着手した時期です。この2010年代については、また次の機会にお話ししようと思います。 

 

SmartOffice Adventure ─ ぼくらは人がやらないことをやる ─ 

https://www.dunksoft.com/40th-story-hoshino