地方と都会が学びあう対話型「体験学習」:ダンクソフトの徳島視察ツアー

今月、4年ぶりに、ダンクソフト主催「徳島視察ツアー」を開催します。2011年に徳島・神山町でサテライト・オフィスの実証実験を行って以来、継続して実施してきたものです。都会と地方が自律・分散・協働する新しいワーク・スタイルを、時代に先んじて、多くの方々にご覧いただいてきました。今回のコラムでは、「学習する組織」をめざすダンクソフトが実施してきたツアーの経緯や意図、そして、11月の視察ツアーの狙いをお話しします。 

 

鍵となるテーマは、対話型「体験学習」です。ただ見て触れてという単なる体験学習から、対話型「体験学習」へとアップグレードすることが、この12年のダンクソフトの進化を表しています。 



┃東京のIT企業が、どうして徳島で活動することになったのか  

  

先月のコラムでお話ししたように、ダンクソフトは「学習する組織」を目指して、50周年に向けてスタートを切りました。「学習する組織」には「Co-learning(コ・ラーニング、共同学習)」が不可欠です。2023年11月には、もうひとつの拠点である徳島への視察ツアーをおこないます。視察ツアーにあわせて、全社会議DNAセミナーも徳島で開催することになりました。ダンクソフトが40周年を迎えた今年、この体験学習はひとつのターニング・ポイントになるだろうと考えています。  

  

なぜ、東京のIT企業が徳島でも活動しているのか。なぜダンクソフトは、徳島・神山でサテライト・オフィスの実証実験をし、最新のワーク・スタイルを知るための視察ツアーを重ねてきたのか。経緯をご存知ない方もいるので、まずは2007年の「伊豆高原での失敗」から、お話していきます。    

┃2007年、サテライト・オフィス実験は失敗から始まった  

  

東京ではない場所にサテライト・オフィスをつくったのは、2007年が最初でした。きっかけは社員の発案です。遊びをテーマにしたNPOを立ち上げたいというアイディアを採用し、伊豆高原の別荘を購入し、そこをオフィスとしてテレワークができるのか、実証実験を始めました。NPOでは、子どもたちとともに、カヌーとフライ・フィッシングを学ぶ活動をスタートしました。  

   

しかし、残念なことに、実験を開始してすぐにリーマン・ショックが起きました。伊豆高原を訪れる人も減り、NPOの活動は打撃を受けました。追い打ちをかけるように2011年、今度は東日本大震災が起こります。伊豆高原からはやむなく撤退することとなりました。東京以外の土地にスマート・オフィスをつくっていくという構想は、苦い失敗から始まったのです。     

┃「徳島はインターネットが速いらしい」:3.11直後、代替地を求めてふたたび動きだす  

   

東日本大震災のあと、世の中の動きはいったんストップしました。ダンクソフトの仕事も止まってしまいました。すると時間が生まれ、知り合いの経営者と話す機会が増えました。その時は、日本橋のオフィスをシェア・オフィスとして開放していたのですが、そこに集まる徳島県出身の経営者から意外なことを聞いたのです。「徳島県はインターネットが速いらしい」と。  

   

伊豆高原でのスマート・オフィス実証実験から、ネットの速さがとても重要だということを学んでいました。もし、ほんとうに速いならば、それは代替地になるかもしれない。そう思いました。当時は、東京でも計画停電があり、電車が間引き運転になっているような状態でした。その状況を見るにつけても、やはり安定的な代替地が必要でした。  

   

ダンクソフトの歴史を振り返る「HISTORY」も合わせてご覧ください。
https://www.dunksoft.com/message/2022-11 

そこで、徳島のネット環境が実際どうなっているのか、オフィスの候補地はどんなところがあるのか、視察に行くことになりました。2011年5月のことです。    

┃限界集落で計測した驚異の200Mbps  

   

最初は、県や市の商工労働部の紹介で、オフィスの候補地を探していきました。しかし、なかなかうまくいきません。というのも、地方で企業を誘致する場合は、工場を建設するなど大規模な誘致のため、大人数での居住地確保が一般的です。しかし、私たちが考えていたのは、2〜3人のスタッフ常駐です。この規模だと、県も市もあまり乗り気ではありませんでした。  

   

それでも毎月、2泊3日ほどのスケジュールで徳島の視察を続けました。7月になって県の集落再生の部署を紹介されると、流れが変わりました。その部署の人たちは「IT企業が限界集落に来るとおもしろい」と考えていたようなのです。  

   

彼らの紹介で、香川県にほど近い三好の集落や、海辺の漁村・伊座利などを見てまわりました。三好や伊座利などでインターネットの速度を計測してみると、当時で200Mbpsが出ていました。東京では考えられない速さでした。徳島では、県全域に超高速ブロードバンドを整備するという施策を推進していました。インターネット環境は申し分ありませんでした。      

┃インターミディエイターが、ダンクソフトと神山を結んでくれた  

  

つぎに考えねばならないのが、オフィスの場所です。どこがよいのか、かなりの地域を探しました。というのも、伊豆高原では地元のコミュニティにうまく入っていけなかったことも、失敗の一因だったからです。  

  

インターミディエイターとして活躍する中川桐子さん

そんなとき、「ダンクソフトには神山が合うと思う」と神山町を紹介してくれた人がいたのです。それは、日本橋オフィスをシェア・オフィスとして開放していた時に、徳島企業の東京スタッフとして駐在していた中川桐子さんです。中川さんは徳島のことも、私たちのこともよくご存知でした。こうした、未来志向であいだを取り持ってくれるインターミディエイターがいると、事がうまく進むのですね。そこからスムーズに物事が進みだしました。 伊豆高原の時にはできなかったことでした。 

  

そして2011年9月、徳島の神山に古民家を借りることになります。私は、2〜3人のスタッフがそこで働くのだろうと思っていましたが、ふたを開けてみれば10名ものスタッフが合宿していました。社員の半分です。びっくりしました。でも、その光景を見たとき、徳島にダンクソフトのもうひとつのオフィスができるのだろうと感じたものです。      

┃世界に先駆け、古民家でのテレワークが2011年に実現。そして神山のブレイク。  

  

スタッフたちは、インターネット速度が上がることで何が起こるのか、とても興味があって徳島に来たようです。当時、東京ではYouTubeもカクカクしていましたが、徳島ではスイスイ動くわけです。ネットの速度が速いので、勤務中は、神山と東京のスタッフ同士がスクリーン越しに常時接続して仕事をしていました。  

   

東京と徳島という距離があっても、まったく問題なくプロジェクトは進みましたね。むしろ、ネット環境が良かったため、徳島のほうが作業効率がよいくらいでした。  

   

これが2011年9月の話ですから、日本のなかでも世界のなかでも、先進的な取り組みだったと思います。そうなると、新しいワーク・スタイルにスタッフもワクワクしますし、メディアも注目を始めました。  

   

そして2011年12月、NHK総合テレビ「ニュースウォッチ9」が、神山町をとりあげました。そのときは、川のまんなかでパソコンやタブレットを開いて仕事をしているスタッフたちの映像が流れました。そこで、神山町が一気にブレイクしたのです。     

┃「黒船」と呼ばれて:地域のみなさんの懸念を払拭するために  

  

しかし、かならずしも地域の反応が良かったわけではありません。東京から来た「黒船」と呼ばれたり、もっと直接的に「なにしにきよるん」と言われたりしたこともあります。自分たちのシェアを奪われると勘違いされてしまったようなのです。でも、ダンクソフトと地元のIT企業の仕事ではフィールドが違います。懸念を払拭するため、ていねいに説明していきました。  

  

2011年9月の段階で、県庁の隣にある大きなホテルの会議室を貸し切って説明会を行いました。地元のIT企業などをお招きし、メディアを呼んで、ダンクソフトが地域に入っていくことで、どんな良いことが起きるのか、明確にアナウンスしました。そのときは、Zoomがまだなく、Skypeを使って、県庁とホテルと神山をつないで、デモを行いました。  

   

Umut Karakulakのインターンシップ体験記も合わせてご覧ください。
https://www.dunksoft.com/internship-umut 

そこでは、当時インターンシップ中だったトルコ出身のウムトさんが、マイクロソフトの「Kinect」というテクノロジーを使ってデモンストレーションをしました。これは、手の動きだけでパソコンなどの操作ができるというもの。この技術を使うことで、話せない人であってもコミュニケーションがとれること、高齢者の人であってもデジタル通信によって生活が便利になるということを、具体的に示しました。     

┃変化し続ける限界集落の“今”を体験する「視察ツアー」  

  

神山の古民家を借りてから、そこでは最新のワーク・スタイルが生まれていました。その様子を、東京の経営者のみなさんにも見ていただく機会を用意しました。視察ツアーを2011年9月から始め、コロナ禍の直前まで毎年開催してきました。これまでトータルで14〜15回実施したでしょうか。  

  

最大50名ほども参加者が集まるときもありました。徳島に来てもらい、テレワークが実際どのように行われているのかを見ていただきました。限界集落の現状もお伝えしました。懇親会ともなると、徳島駅前のお店に入り切らないほど。徳島の人も東京の人も、さまざまな立場の人たちが語り合う機会となりました。社会課題の解決こそがビジネス・チャンスですから、経営者にとっても多くのヒントがあったのではないかと思います。  

  

2012年3月には、神山町で、公民館の体育館を借りてイベントを行いました。そこには、東京から視察に訪れた日本マイクロソフトの樋口泰行社長(当時)や、神山の活性化をになうNPO法人グリーンバレーの大南信也理事長(当時)、徳島県庁の担当者などが集まって、パネル・ディスカッションを行いました。その様子はオンラインでも配信し、東京の人たちにも見てもらいました。このときは日本マイクロソフトの樋口社長が神山にいらっしゃるということで、大きな話題となりました。      

┃ダンクソフトが徳島に入って起きた変化とは  

  

いまでは、私たちが徳島で働きはじめたことで、県庁の方に「ダンクソフトとテレワークとワーク・ライフ・バランスがいっしょに来た」と喜んでもらえるほどになりました。  

   

私たちが実践していたテレワークという働き方を、徳島の人たちが初めて目にしたわけです。神山のサテライト・オフィスには電話機はなく、パソコン上に電話がかかってくる。限界集落にいながらにして、東京の仕事ができる。そういった新しい働き方がすでに可能だということを、見て知ってもらうことのインパクトは大きかったかなと思います。  

  

それに加えて、私たちはワーク・ライフ・バランスについての賞も多くいただいている企業なので、「仕事と生活を調和させながら働く」という考え方を広めるきっかけにもなったようです。       

ダンクソフトの受賞歴はこちら
https://www.dunksoft.com/award

┃多様な地域の人たちが協働することで、地域問題の解決が進む  

  

徳島とのつながりが深くなってきたからでしょうか、2013年4月から、私が徳島県集落再生委員として県の会議に参加することになりました。私は県民ではないので務まるかどうか不安もありましたが、委員として参加することで、地方で何が起こっているのかがよくわかるようになりました。  

   

たとえば、神山町では私たちが入る前くらいの段階で、きれいな道路が整備されました。道があれば、都心部から人が来やすくなるだろうとの判断でしたが、実際に起きたことはその逆。山のほうから都市部に出ていく人が増えてしまいました。神山町は、当時の人口は6000人を超えていましたが、いまは5000人。急速に減っています。東京にいると実感しにくいですが、地方だと人口減少という問題が差し迫ってきます。  

   

子どもたちも劇的に減っています。2011年に徳島に行ったときは、廃校が25もあると知らされました。遠距離の通学をする生徒が増え、しかしバスを出すほどの人数はいないため、タクシーで通学せざるを得ない生徒がいると聞きました。  

   

けれど、たくさんの学校がつぶされてしまう現状は、じつは都心のほうが先に進んでいる問題でもあると気づきました。私たちが40年前に都心へ出勤していたときには、すでに廃校はいくつもあったと記憶しています。子どもがいなくなるとコミュニティがなくなることを、私は東京でよく見てきました。ですから、徳島でこれから起きるであろうことも想像がつきます。東京の人が知らないこともあれば、逆に地域の人が知らないこともあります。多様な地域の人たちが連携・協働することで、よりよい問題解決のアプローチが生まれるのではないかと思っています。     

┃視察ツアーのテーマは「神山体験」と「藍」  

  

ではいよいよお待ちかね、今回2023年11月の視察ツアーの概要です。今回のツアーは、いまの神山を体験いただくだけでなく、「藍」もテーマにします。参加者は、ダンクソフトのスタッフやパートナーや大事なお客様、そして神田藍プロジェクトのメンバーです。  

  

「神田藍の会」については、こちらをご覧ください。
https://www.dunksoft.com/message/case-kanda-ai 

ダンクソフトは「神田藍の会」という活動に関わっています。何度もお話していることではあるのですが、この活動は藍を媒介に、社会関係が希薄になった都会で、地域コミュニティを再生していこうというものです。ダンクソフト本社のある東京都千代田区の神田エリアは、かつて「紺屋町」があり、藍との関わりが深い土地でした。ダンクソフトの本社ビルのベランダでも、3年前から藍を育てています。  

  

いっぽう徳島はといえば、江戸時代には藍染めの中心地でした。藍はキズを化膿させにくいという特殊な効果をもつので、職人から武士まで藍で染めたものを着たり、手ぬぐいとして持ったりしていました。日本中がそうでした。そんな状況で、徳島では藍を発酵させた「藍玉」の製法を門外不出にしていたのです。神田をはじめ全国にある「紺屋町」では、藍玉を仕入れた職人たちが染めものをしていました。  

  

つまり、徳島と東京・神田は、当時から藍で結ばれていたのですね。「神田藍の会」の活動では、藍の生葉染めをするなど、身近に藍のある暮らしを楽しみ、コミュニティが豊かになり始めています。しかし、徳島の人たちは、藍は名産品であっても、必ずしも藍を育てたり、染めを経験したりしているわけではありません。「神田藍」の活動が、いわば藍の本場である徳島に入っていくことで、専門的に藍を扱っていた人たち以外も藍に触れ、徳島のコミュニティが盛り上がっていくきっかけになればと想像しています。     

┃神山から、ダイアログとイノベーションが生まれる  

  

視察ツアーでは、いまいちばん新しい神山を体験しながら、多様な立場の人たちとのダイアログを楽しんでいただきたいと思っています。神山の活性化に長年尽力されてきたNPO法人グリーンバレーの視察も行いますし、「神山まるごと高専」という今年の4月に開校したばかりの高専の生徒さんとも、対話の機会を用意しています。 ここには、現在、富士通代表で高専と連携していると共に、インターミディエイターのおひとりでもある濱上隆道さんがいます。いろいろと一緒に企画を立てているところです。 

 

徳島のみなさんと神田藍のメンバー、グリーンバレーのみなさん、神山まるごと高専の生徒さん、そしてダンクソフトの若いスタッフたち。今回の視察ツアーでは、多様な立場の人たちが神山に集まります。都会や地方という垣根を超え、高専生から経営者まで、それぞれの知見や技能が交差したら、それが参加者や地域社会にイノベーションを生み出すきっかけにもなるでしょう。みなさんと未来志向でダイアログができることが、とても楽しみです。  

  

ダンクソフトが40周年を迎えたこの年に、コロナ禍を経てふたたび、徳島でコ・ラーニングできるのはうれしいことです。これからも「学習する組織」を目指して、ともに学びあい、高めあっていきましょう!