1:働きやすい環境づくり

我々の仕事の大半は、頭の中で色々な情報を整理しお客様、あるいは地域の課題をデジタルで解決していくこと。コンピュータで表現された情報以外に外部から把握することは難しい。逆に考えれば隣に座っていても仕事以外の事を考えることは可能だし、株式投資してみたりアルバイトすることも可能だったりする。そういうクリエイティブ系の企業で管理、評価といったところに注力するよりはセルフマネージメントをベースにして、個人の能力を最大限に生かせるリラックスできる環境を整備する方がお互いのためではないかと行きついたのが2002年頃。

創業20年何も手付かずだったブラックに近い企業が変化し始める。就業規則を社員主導で変えてみた。4大卒の新卒採用に踏み切り、新入社員の彼女たちを翌年の採用担当にした。彼女たち中心に社内の問題点を挙げてもらい、会社案内やWEBサイトを作りなおしながら、色々な声が通り変化できるベースを作った。会社のロゴも変わり、オフィスには引き出しのないIKEAの家具が揃い、結果的に無駄な紙がほとんどないデジタルの企業に生まれ変わるまでに6-7年かかった。

TOPDOWNではなくPROJECTを作ったわけでもなく、一人ひとりに「変化して良いんだ」「会社って変えられるんだ」という風土ができたことが大きかったと思う。企業情報の骨格を人、モノ、金の部分(いわゆる基幹系)とそれ以外の情報系・通信系にわけ、基幹系はトコトン情報を寄せて多重化しないことに拘った。90年代に結婚式場のフローリストや広告代理店、出版社などの情報システムを寄せる技術でコンパクトにまとめるノウハウを集大成した結果である。

プライバシーマーク取得に伴い、溢れていた申請の紙を電子申請ワークフローにした2008年時点で、ほぼほぼ紙のない会社になっていた。在宅勤務が可能になり、徳島県からスタートした「地方で雇用するためにサテライトオフィスを作る」モデルから地方創生や働き方改革の先駆者となった。徳島では6年間で6人現地採用して6人のお子さんが生まれた。移住のスキームで語られることの多いサテライトオフィスだがDUNKSOFTには移住させることはゼロ。地方で雇用を作り地元に遺れる可能性を広げている。

これもデジタルで情報がタイムリーにやり取りできるからこそ。WEB会議を常時TVのようにつないだままコミュニケーションができ、クラウドの時代のメリットを享受している。